私は、小泉内閣の重点課題である不良債権処理や郵政民営化は重要だと思うが、これは日本の「国のかたち」を変える第一歩にすぎない。最大の問題は、日本では「三権分立」が建て前にすぎず、行政にすべての権力が集中していることだ。
これはRIETIにいた3年間で痛感した。レッシグも、今年の春のお別れパーティで、日本の印象として「官僚の影響力が、法律家に比べて質量ともに圧倒的だ。米国はその逆で、私はこれを憂えているが、日本の状況もいかがなものか」といっていた。
こういう傾向は欧州にも共通らしいが、日本は明治の初めに極端に行政中心の大陸法を輸入したため、立法府がいまだに未発達で、一般国民のわからないところで「政令」とか「逐条解釈」とかいう形で事実上の法律が決まってしまう。つまり日本は、法治国家という建て前だが、実態は「官治国家」なのである。
私は今、原告として裁判にかかわっている。司法業界の非効率性も相当なものだが、これは行政もいい勝負だから、全体としては司法のほうがはるかに健全だと思う。それは、最後は第三者の「常識」で決まるからだろう。RIETI騒動のように、非常識な行政がとことん居直ることはできない。
司法改革の目標は「法化社会」とされているが、これも奇妙な言葉だ。それは現在の日本社会が法によって統治されていないということを意味しているからである。私は、これこそもっとも重要で、かつもっとも改革の困難な問題だと思う。なにしろ、この伝統には100年以上の「経路依存性」があるのだから。
これはRIETIにいた3年間で痛感した。レッシグも、今年の春のお別れパーティで、日本の印象として「官僚の影響力が、法律家に比べて質量ともに圧倒的だ。米国はその逆で、私はこれを憂えているが、日本の状況もいかがなものか」といっていた。
こういう傾向は欧州にも共通らしいが、日本は明治の初めに極端に行政中心の大陸法を輸入したため、立法府がいまだに未発達で、一般国民のわからないところで「政令」とか「逐条解釈」とかいう形で事実上の法律が決まってしまう。つまり日本は、法治国家という建て前だが、実態は「官治国家」なのである。
私は今、原告として裁判にかかわっている。司法業界の非効率性も相当なものだが、これは行政もいい勝負だから、全体としては司法のほうがはるかに健全だと思う。それは、最後は第三者の「常識」で決まるからだろう。RIETI騒動のように、非常識な行政がとことん居直ることはできない。
司法改革の目標は「法化社会」とされているが、これも奇妙な言葉だ。それは現在の日本社会が法によって統治されていないということを意味しているからである。私は、これこそもっとも重要で、かつもっとも改革の困難な問題だと思う。なにしろ、この伝統には100年以上の「経路依存性」があるのだから。
弁護士、公務員、銀行員などは、公益性が強くそのことを意識して仕事をすることを期待されているのだと思います。
社会階層としてエリートと認められているのも公益性が強い職業だからであり、「よい大学」をでているからでも「難しい資格試験」をパスしているからでもないでしょう。
なんだかんだいろいろ批判されても、やっぱり最後はこうしたエリート層の助力が社会生活上必要とされることを誰もが知っているのだと思います。だからこそ、エリート層は批判に真摯に耳を傾けて欲しいと思います。
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「具体的なデータとともに批判されることはめったない」から、反論しようにも手がかりがない(小倉秀夫氏)とは、高級官僚の国会答弁のようで、実にいやな感じを禁じ得ません。資料収集こそが弁護士のプロの仕事の基本でしょう。国民の人権保護が尊敬されるべき弁護士の仕事のはずなのに、データを持ってこいと言って威張っている様は、ほとんど悪代官に写ります。
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社会が複雑化し、仕事がますます細分化、専門化するなかで、法律関連マターにおける弁護士の守備範囲があいまいになり、加重・過剰な範囲を弁護士が担っているようにみえます。法律マターということで、本来の守備範囲を超えて非専門分野までを、勢いでやってしまっているようにみえます。
たとえば、企業の破綻処理等に起因した不動産処分などでは、結果として、弁護士は好き放題な勝手な処分をしているかに見える、というのが周辺業界の感想です。
不動産処分のほとんどが、正規の評価をせずに恣意的に処分していると思われています。
もちろん正規の評価をしなくても、公開の入札で処理していればあらぬ疑いは生じないでしょう。
疑われていることは、彼ら(責任的地位にある弁護士)は、不動産の評価を正規の鑑定機関にもださず、オープンな形の入札もせずに、随意に適当に処分していると思われていることです。
これでは、公共事業の談合事件よりはるかに悪質ではないかと、邪推されています。
(データを持ってこいと言われそうですね。そんなデータがとれるわけないじゃないですか。)
不良債権担保不動産の処理が本格化した97年以降、企業破綻に関与する弁護士は怪しいと周辺の不動産関連業者は認識しはじめました。そうした懸念の続くなか、中坊の詐欺事件?があり、弁護士資格の返上であやうく起訴猶予に持ち込んだのだと一般的には認識されています。そして、この事件で、不動産業界周辺では、「やっぱり、あいつらは怪しいよ」とほぼ確信され、弁護士の権威は地に落ちています。
無資格の◆▲コンサルタントなどは、詐欺的なことが多かった経緯からか、社会的には全く相手にされません。だから 資格者たる弁護士には、信頼を保持してほしいのです。ところが、最近のは弁護士は、サラ金の債権回収や、地代の増額請求など、法的には全く問題なくても、外部からは、弱いものいじめやゼニゲバの手先のようなことが、目立ちます。
要するに、品がないのです。
社会全般が、金融バクチ経済化しているので、致し方ない面があるのかもしれませんが、一定の節度を、弁護士さんには期待したものです。
品があれば、人助けの良い仕事と尊敬されます。
品がないと、人の弱みにつけこんで稼ぎ回るゼニゲバと卑下されます。そして、今、卑下され始めているのだと思います。
噂で話されても反論しようもないとまたいわれそうです(笑)。
企業破綻処理をやらない弁護士さんには全く無関係かもしれません。