日本の経済システムを戦時体制の延長上にある「1940年体制」とよんだのは野口悠紀雄氏だが、原田泰氏などは「1970年体制」という考え方を提唱している。一般には、石油危機をきっかけに日本は「成熟経済」に入ったと理解されているが、成長率の減速は石油危機の前から始まっており、原油価格が下がっても元に戻らなかったからだ。

増田悦佐『高度経済成長は復活できる』(文春新書)は、田中角栄が「弱者保護」と称して都市の金を地方に再分配するシステムを作り出したことが成長率低下の原因だと主張する。たしかにそういう面はある(その典型が放送業界だ)が、これが田中個人による「社会主義革命」だというのは、短絡的にすぎよう。

日本の社会資本投資は、70年ごろまでは私的投資よりも収益率が高かったし、日本が急速な成長にともなう都市のスラム化を避けることができたのも、このためだ。公共事業は、高度成長にともなう過剰貯蓄を地方に再分配して票田を守る自民党の集票戦略だったが、こうした「弱者にやさしい政治」は与野党を問わないコンセンサスだった。

この「田中角栄型システム」は、バブル崩壊とともに破綻したが、1970年体制に代わる新しい「アーキテクチャ」ができていないことが、混乱の長期化する原因である。著者のいうように単なる都市化で「高度経済成長が復活できる」とは思えないし、それが望ましいわけでもない。