ジャック・デリダが死んだ。

学生時代に『グラマトロジー』を読んだときは、意味不明の造語でレヴィ=ストロースにからんでいるだけの小物だと思っていた。「音声中心主義」などというのは、フランスのローカルな習慣の問題にすぎない。特に1970年代後半に、小説みたいなわけのわからない文章を書き始めてから、読まなくなった。

しかし、1993年の『マルクスの亡霊』には強い印象を受けた。文献学的にはナンセンスだが、マルクスを形而上学の現代的形態として読む「脱構築」は、きわめて重要だ。廣松渉が本質的な人格的関係の錯視として認識論的な意味を与えた「物神化」のメカニズムを転倒し、物神=亡霊こそ本質なのだという読解は新鮮だった。

『亡霊』の訳本(藤原書店)が10年以上たっても出ないのは、レヴィ=ストロースの『神話学』の訳本(みすず書房)が30年以上たっても出ないのと並ぶ、日本文化に対する犯罪である。