環境危機をあおってはいけない 地球環境のホントの実態
地球温暖化に関する「京都議定書」が、2002年に国会で満場一致で批准された後、霞ヶ関の某所で関係各省庁の環境問題専門家による会議が開かれた。"OFF THE RECORD"という表示の掲げられた会場では、経産省の澤昭裕環境政策課長が「EUの罠にはまって過大な削減義務を課せられた」と反省した。

京都議定書は、基準が1990年になっていることがポイントだった。旧社会主義国がEUに加入し、その古い工場を改築するだけで楽にCO2が削減できるEUの削減義務が8%なのに、石油危機以降、省エネを続けてきた日本の削減義務が6%というのは無理だった。アメリカは7%だったが、これは無意味な数字だった。ゴア副大統領が日本に来る前に、上院は全会一致で京都議定書の拒否を決議していたからだ。

CO2を各省がどう分担して削減するかについての霞ヶ関の会議の結論は、驚いたことに「京都議定書の目標を達成することは不可能だ」。なぜ達成不可能な条約を批准したのかという質問に、環境省の課長は「京都で決めたというのが決定的だった。議長国の日本が抜けるわけにはいかなかった」という。

このエピソードが示すように、地球環境問題は現代の聖域であり、環境保護に異を唱えることはタブーである。本書はそれにあえて挑戦し、地球環境が危機に直面しているという俗説が誤りであることをを公式統計のデータによって実証したものである。その影響の大きさは、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』以来だといわれる。著者は今年、新たにできたデンマークの環境評価研究所の所長に任命された。
著者は環境問題の専門家ではなく、統計学の研究者である。もとは環境保護団体「グリーンピース」のメンバーだったが、あるとき経済学者ジュリアン・サイモンの「環境は改善されている」という記事を読んで、それに反論しようと統計を調べているうち、サイモンが正しいことに気づいたという。本書で指摘されている「人口増加は鈍化している」「資源の価格は下がっている」などの事実も、サイモンが初めて指摘したものだが、本書の分析はそれよりはるかに包括的・実証的で、原著では515ページに2930もの注がついている。

公害問題が騒がれ始めた1970年頃に比べれば、先進国の大気汚染や水質汚染は大幅に改善されており、たとえばロンドンの空気は16世紀よりもきれいだ。問題は途上国だが、それも所得の向上とともに改善されている。酸性雨や「環境ホルモン」問題には科学的根拠がないし、種の絶滅や森林の減少も誇張されている。オゾンホールが皮膚ガンを引き起こすという危険も、今は存在しない。

地球温暖化の長期的な傾向や原因についても、学問的な結論は出ていない。国連のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の予測どおり温暖化が起こるとしても、先進国にはほとんど影響はない。途上国で干ばつや水害の被害が増えているのは温暖化のせいではなく、都市基盤の整備が人口集中に追いつかないためである。

本書には多くの賛否両論の評価が出て、著者のホームページにも紹介されている。Economist誌は「この10年に書かれた公共政策に関するもっとも重要な本」と評したが、Scientific American誌は、本書を批判する科学者の意見ばかり集めた特集記事を組んだ。総じて一般紙や経済紙の評価は好意的、科学誌や環境問題の専門誌は否定的である。

これは当然である。植物学者にとっては森林保護が何より重要だろうし、食糧問題の研究者は食糧不足こそ緊急の課題だというだろう。科学者は、政策の費用対効果については専門家ではないのだ。この観点からみると、京都議定書の政策効率は最悪である。そのコストは最大1兆ドルと、全世界の開発援助の20年分にのぼるが、効果は100年後に温暖化を6年のばし、海面上昇を2.5cm下げるだけで、堤防の代わりにもならない。

日本が京都議定書の目標を額面どおり達成するには、今後10年で実質25%以上も排出量を減らす必要があり、冷暖房の規制や飲食店の夜間営業停止といった統制経済的な措置は避けられない。ガソリンの価格が「炭素税」で2倍になっても、消費者は納得するだろうか。しかし、そこまでして日本が京都議定書を完全実施しても、世界の炭素量が0.03%減るだけだ。

結局、現実に取りうる最善の政策は、問題を先送りしてうやむやに済ますことだ。 検証が行われるのは2014年だし、罰則も実質的にないから――というのが冒頭で紹介した会議の結論だった。できない約束をすることは、かえって約束を空文化してしまうのである。