2009年12月

「失われた20年」が終わる

1990年のバブル崩壊から始まった「失われた20年」が今日で終わるが、日本の衰退はまだ終わりそうにない。Economist誌が、その教訓を論じている。

今回の金融危機に際して、欧米諸国が日本の失敗からまず学んだのは、バブルが崩壊したら即座に思い切って流動性を供給するということだった。90年代の初め、資産価格が急落し始めてからも、バブル再発を懸念して日銀は思い切った金融緩和に踏み切らなかった。これに対して今回、欧米が一致して大幅な金融緩和や資本注入に踏み切った背景には、日本という偉大な教師の存在があった。この意味では、われわれのつらい経験も、世界経済に一定の貢献はしたようだ。

しかし金融危機の次には、財政危機がやってくる。早くもギリシャでは、国債の格付けが引き下げられ、債務不履行の危機が取り沙汰されている。もしもギリシャの財政が破綻すると、他の巨大な政府債務を抱える国の国債が売られ、ギリシャが「財政危機のリーマンブラザーズ」になる懸念もある。巨額の金融資産をもつ日本には対外債務の心配はないが、政府債務がGDP比110%しかないギリシャで起こったことが、200%に迫る日本で起こらない保証はない。

他方、教師より生徒のほうがすぐれている点もある。日本の危機の本質は不良債権ではなく、労働市場や資本市場が硬直的で、グローバル化やデジタル化などの新しい潮流に対応する産業構造の転換ができないことにある。この点で、政治と利益団体が一体化して規制改革に対する政治的抵抗がきわめて強い日本よりも、欧米諸国のほうが構造改革に取り組みやすい。

これが世界の常識的な考え方である(経済学者の大部分も同意するだろう)。日本の直面する最大の問題は所得格差でもデフレでもなく、生産要素を再配分する市場メカニズムが機能しないために生じた効率(生産性)の低下なのだ。潜在成長率は、最近の推計では0.5%に低下している。こんな状況で「名目3%成長」という非現実的な数値目標を掲げ、この20年の教訓に学ばないで「市場原理主義」を否定し、「人間のための経済」とかいう無内容な政策を掲げる鳩山首相が退場しないかぎり、日本の失われた歳月は終わらないだろう。

民主党政権では日本経済は立ち直れない

政府が「2020年に名目GDP1.4倍に、名目3%、実質2%成長」という目標を掲げた新成長戦略を発表した。目的を掲げただけで実現できるなら、誰も苦労はしない。問題はそれをどうやって実現するかだが、民主党政権では無理だろう。成長率を高める大局的な戦略が示されておらず、環境・健康・観光などの個別産業に補助金を投入する古めかしいターゲティング政策が並んでいるからだ。

記者会見で鳩山首相は、小泉政権が「市場原理主義」だったとして「供給サイドに偏っていた今までの活動を改め、需要を創出していく」との方針を示したそうだが、彼は需要と供給という概念を理解していないようだ。たとえば今度の成長戦略にある「食料自給率を50%、木材自給率を50%以上に引き上げ、農林水産物などの輸出額を現在の2.5倍の1兆円にする」という目標は、典型的な供給の都合による政策である。

いま市場で売られる木材のうち76%が外材だが、この比率を50%まで下げるには、コメのように関税を引き上げるしかない。これによって木材の価格は上がり、林業を営む供給側は潤うが、住宅価格などは上がって需要は減退するだろう。つまりターゲティング政策は政府が特定の産業を補助する保護主義であり、需要を考えないで供給を増やす政策なのだ。その結果が何をもたらすかは、「自給率」を旗印にして保護政策が続けられてきた農業に明白に示されている。

ターゲットが環境になろうと医療になろうと同じことだ。マイケル・ポーターも指摘するように、政府が特定の企業を保護する政策は、企業のインセンティブをゆがめ、競争を制限して国内市場を海外から隔離し、結局はその産業をだめにしてしまうのだ。その典型が、政府が手厚く保護した航空・宇宙産業である。世界の最先端といわれる環境技術も、政府の作り出す環境バブルで壊滅するおそれが強い。

成長率を引き上げる最大のエンジンは、雇用を流動化して労働生産性を引き上げる労働市場の改革だが、成長戦略の文書には労働市場という言葉さえなく、「若者・女性・高齢者・障害者の就業率向上のため就労環境整備に2年間集中的に取り組む」としか書かれていない。それは雇用対策であって成長戦略じゃないだろう。需要と供給の区別も、短期と長期の区別もつかないアマチュア政権が続くかぎり、来年も日本経済の停滞は続く。

700MHz帯の干渉について*

未確認情報だが、事実とすれば重要なので書いておく。技術的に誤りがあるかもしれないので、訂正があればコメントしてください。

通信業界の関係者によれば、2012年から710~730MHzを使う予定のITSは、利用不可能になるおそれが強い。その原因は、地デジの受信機にITSの電波が飛び込んで干渉を起こすためだ。現在は700MHz帯を使ってアナログと地デジの放送が行なわれているが、2012年までにはアナログを停波し、地デジの電波も710MHz以下に移行して、干渉の問題は起こらないはずだった。しかし710MHz以上の放送が行なわれていない地域でも干渉が起こるらしい。

その原因は、地デジの受信機が770MHzまで受信する仕様になっているためだ。こういうノイズも、地デジ同士なら問題は起こらない。隣接する中継局の電波は、少しでも弱ければフィルターでカットできるからだ。ところが、ある家がITSや携帯の基地局のそばにあってテレビ局から離れている場合は、地デジの電波よりノイズのほうが強くなる。フィルターは広帯域なので770MHzまで一括して処理するため、LNA(low noise amplifier)がノイズも一緒に増幅してしまう。(*)

この初段の増幅回路で信号が飽和してIMD(inter-modulation distortion)が発生すると、必要な電波だけを抽出したあともIBOC(in-band off-channel)干渉が残り、テレビの映像にノイズが出るなどの障害が起こる可能性がある。それがどの程度強いかは、フィールド実験をしてみないとわからないが、IBOC干渉はLNAの回路の中で起こる電気的なひずみなので、周波数がかなり離れていても起こると予想され、地デジに隣接するITSは確実にアウト、730~770MHzまでを使う予定の通信も、少なくともダウンリンクは無理だと関係者は話している。

これが事実だとすれば、総務省の「周波数再編アクションプラン」は、もっとも重要な700MHz帯で根本的な変更を迫られることになる。710~770MHzは2001年に地デジの計画が決まったとき、通信業者の払う電波利用料を「アナアナ変換」に1800億円流用する見返りに通信業者に割り当てるという取引が行なわれたものだ。ところが結果的に、この帯域が通信に使えないとなれば、この取引は空手形だったことになる。

もちろん2012年以降に出荷されるテレビは、710MHz以上の電波を受けない仕様になるはずなので問題は起きないが、これまでに製造された5000万台以上のデジタルテレビは770MHzまで受信する。これは平均10年ぐらいは使われるので、このままでは2020年ごろまで470~770MHzは地デジ以外には使えないかもしれない

こんな基本的な問題が今まで見落とされていたのは、いったん710~770MHzを地デジに割り当てた上で、2011年のアナログ停波後に地デジの帯域を「リパック」して周波数変更し、1年後に710MHz以上をあけるという変則的な割り当てが行なわれるためだ。このとき受信する電波そのものは710MHz以下になるが、機器はすべて770MHzまで受信するため、そのノイズが回路の中で障害を起こす。

対策としては、これまで出荷されたテレビや関連機材すべてにアダプターをつけて710MHz以上の電波を受信しないようにすることが考えられるが、これには莫大な工事費がかかり、視聴者がコストを負担するとは思えない。もう一つは470~770MHz全体をホワイトスペースとし、地デジと干渉を起こさない技術を開発することだ。その候補は、地デジと同じOFDMによるワンセグのような方式だ。これは国際標準とは異なるが、このような非常事態ではやむをえないかもしれない。

(*)コメントに従って記述を修正した。

Too Big to Fail

Too Big to Fail: The Inside Story of How Wall Street and Washington Fought to Save the FinancialSystem---and ThemselvesNYタイムズの記者が克明に記録した、昨年の金融危機のドキュメント。バブル崩壊のような非線形の出来事は、あとから分析しても本質はわからない。当事者が事前にどう考えていたかをリアルタイムで再現し、彼らがシステマティックに誤った原因をみる必要がある。この点で、本書が考えさせられるのは2点だ。

第一に、ポールソン財務長官やバーナンキ議長を初めとする政策当局は、2007年初めから問題の大きさを認識していたが、政治家がまったくそれを理解せず、もうけすぎたウォール街に同情する声はなかった。リーマンのファルドCEOも、2008年春のベア・スターンズ破綻の後から経営危機を自覚して出資を得るために奔走していたが、それが金融業界全体の危機だと思っている金融機関はなく、「ざま見ろ」といった冷たい反応が多かった。

第二に、リーマンブラザーズを政府が救済すべきだという意見が、業界にもメディアにもほとんどなかった。ベア・スターンズとGSEの救済で、ポールソンを"Mr. Bailout"と非難する声が高まり、モラルハザードへの懸念が強まった。FRBが投資銀行に緊急融資する制度も整備されたので、ルールに従って破綻処理すべきだという「正論」で、WSJからNYタイムズまで一致していた。政府出資が政治的に不可能なので、ポールソンはLTCMのような「奉加帳方式」による救済の道を最後までさぐったが、業界の危機感が薄いため、そういう枠組もできなかった。

200人の関係者にインタビューしたそうで、リーマンブラザーズ破産までの1週間だけで200ページ近くある。分刻みで関係者の会話や電話の内容を記録しており、あまりの細密さにいささか辟易するが、これ以上くわしいドキュメントは不可能なので、リーマン事件を語る貴重な資料となろう。まるで「24」のようにいろいろなシーンがカットバックで出てくるので、このまま長編TVドラマになると思う。最後に世界経済を救うジャック・バウアーが出てこないのが残念だが。

論説委員の知能程度

あらたにすというウェブサイトは何のためにあるのかよくわからないが、新聞社の論説委員の知能程度を比較するには便利だ。きょうの朝日新聞に「派遣法改正―労働者保護への方向転換」という社説が出ていたので、22日の日経新聞の「派遣労働者の保護に逆行する法改正だ」という社説と比較してみた。朝日はこう書く:
登録型派遣や日雇い派遣を禁止すると、企業が使いづらくなり、かえって失業が増えるという主張がある。製造業派遣を規制すると、海外に生産拠点を移す企業が増え、雇用が失われるという議論もある。しかし、だからといって、景気変動の一番のしわ寄せが非正社員にいく構造を放置したままでいいだろうか。
もちろんよくないが、その「構造」は派遣労働を禁止すればなくなるのだろうか。日経はこう書く:
このまま法改正が進めば派遣で働いている多くの人たちが、かえって困るだろう。原案は経営側の要望を受け禁止の例外扱いを増やしたが、昨年6月1日時点の派遣労働者202万人のうち、実際に派遣で働けなくなる人は44万人にのぼる計算だ。派遣を原則禁止にする一方で、派遣で働いていた人が職を失わずにすむ手立てを原案が示していない点は大きな問題だ。
朝日は、職を失う44万人をどうするのかという対策を示さないで、今回の規制だけでは不足だから、もっと徹底的に規制しろと主張する:
経営側の言い分も含め、通常国会でさらに議論を深めてもらいたい。[・・・]同じ仕事をすれば雇用形態にかかわらず同じ賃金を支払う「同一労働同一賃金」が、欧州では当たり前だ。すぐには導入できないにしても、実現に向けて努力していくべきだろう。非正社員の契約更新の回数や期間にも上限を設け、雇用の「調整弁」頼みの経営が必ずしも得にならないようにしていく。
問題を「経営側の言い分」などという階級闘争にすりかえるのは社会主義の抜けない老人の特徴だが、派遣労働の規制強化に反対しているのは当の派遣労働者である。「同一労働同一賃金」を、規制強化によって実現するよう求めているのも危険な方向だ。日経はこう書く:
企業に非正規社員から正社員への転換を強制はできない。「働きたいときに働く」ことを選ぶ人たちは多く、派遣という形態は働き方の多様化を支えている。この働き方そのものを否定すべきではない。雇用の伸びない産業から医療、情報分野など成長産業へ労働力を移すうえでも、労働市場の機能を生かした労働者派遣は有効な手段だ。
日経が特に「経営寄り」というわけではなく、これは八代尚宏氏なども説く、経済学のごく常識的な考え方だ。朝日の社説を学生が答案として出したら、どこの大学でも「不可」がつくだろう。朝日の経済部の記者は民主党の「官製派遣切り」を懸念しているが、そういう記事を出稿しても没になるようだ。整理部デスクや論説委員(労働問題は社会部出身者の担当だろう)にとっては、中高年の既得権をおかす雇用規制の緩和が恐いのだ。そうこうしているうちに朝日新聞が沈没して、彼らの年金もJALのようにパーになるだろう。

ヒトラーの経済政策

ヒトラーの経済政策-世界恐慌からの奇跡的な復興 (祥伝社新書151)鳩山首相の政治生命も、秒読みになってきたようだ。1年もしないうちに首相がコロコロ変わる「ワイマール症候群」が続くと、国民の中にヒトラーのような「強い指導者」を望む群衆心理が出てくるのは、古今東西を問わない。日本ではそういう心配はないと思っていたが、「100兆円の国債の日銀引き受け」を主張する亀井静香氏が鳩山氏の次の首相候補に擬せられるのを見ると、万が一のリスクも考えたほうがいいのかもしれない。

ナチは一般に思われているように大資本の利益を代弁したわけではなく、その正式名称「国家社会主義ドイツ労働者党」が示すように、労働者の党だった。ヒトラーはユダヤ人に代表される大資本を攻撃して弱者のルサンチマンに訴え、短期間に権力を掌握したのだ。彼はメーデーを国民の祝日として労働組合を統合・強化し、「生活に困っている者をまず助ける」という経済政策の原則を掲げた。これは「生活が第一」という民主党と似ているが、類似はそれだけではない。ヒトラーが実施した政策は、次のような徹底したポピュリズムだった:
  • 公共事業で失業問題を解消
  • 中小企業のモラトリアム
  • ユダヤ人(大資本)に増税して労働者には減税
  • 生活保護の拡大と(派遣村のような)救貧活動
  • 老人福祉の大幅な強化
  • 有給休暇や健康診断などの労働者福祉政策
  • 自動車税の減税
  • 高等教育の無償化
  • 母子手当による少子化対策
  • 大規模店舗の規制
  • 高利貸しの追放
  • 価格統制
ヒトラーはアウトバーンを初めとする大規模な公共事業によって600万人の失業問題を解決し、これは世界で初めての財政出動による雇用創出政策といわれる。経済政策を立案したシャハト経済相は銀行家で、これはニューディールより早いケインズ政策といわれた。これによってドイツの工業生産は、ヒトラーが政権を掌握した1933年から5年間で倍増した。そして何よりも大きな失業対策は、軍需産業への莫大な投資と兵士の動員だった。

こうしたバラマキ財政の財源は国債で調達されたが、シャハトが帝国銀行(中央銀行)の総裁を兼務していたときは、国債の発行にも歯止めがかけられていた。しかし戦費の調達に迫られたヒトラーはシャハトを解任し、帝国銀行を国有化して大量の国債を引き受けさせ、財政が破綻して戦争にも敗れた。ハイパーインフレが起こらなかったのは価格統制をしていたためだが、敗戦によってヒトラー政権の発行したライヒスマルクは紙切れになった。

ナチの赤字財政がうまく行った(ように見えた)のは、ヒトラーの絶対的な権力があったからだ。国債とは課税の延期に過ぎないので、徴税能力がその担保なのである。ヒトラーなら消費税を80%にすることもできるだろうが、普通の政権には不可能だ。そういう政策をとれるのは、亀井氏ぐらいのものだろう。日本郵政の社長人事のような暴挙を簡単に許す民主党政権では、あっというまに全権委任法が成立する可能性もゼロではない。いやな世の中になってきたものだ。

追記:リフレ派が亀井氏を賞賛しているのも不気味だ。複雑な経済問題を「簡単に解決できる」というカルト的な教義は恐い。

経済危機は資本主義の強さを証明した

Newsweekの国際版編集長Zakariaが、今年を回顧している。
1年前、世界は崩壊に向かっているように見えた。資本主義と貿易の拡大を推進してきた国際金融システムが崩壊し、アメリカ型モデルの信用が失墜した。新興国の経済も沈み、貿易は1930年代以来の大幅な下落を記録した。経済危機が政治危機に発展し、暴力や戦争のリスクが大きくなると予想する向きもあった。誰もが確信していたのは、世界は変わってしまったということだ。

あれから1年。アメリカの投資銀行の数がいくつか減り、数社の地方銀行がつぶれたことを除いては、世界はほとんど変わっていないように見える。世界全体が長期にわたる大不況に襲われた30年代とは、まるで違う。財政赤字の拡大やインフレなど、問題がないわけではないが、システムそのものは驚くほど安定している。経済が最悪の状態にあるパキスタンの国債価格でさえ、ここ1年で2倍以上になった。世界経済は、最悪の状況を脱したのである。
1年前には、今回の危機を「大恐慌」などと呼んで、世界経済が崩壊して30年代のような長期にわたる激しい不況が続くかのように騒いだ人もいた。「100年に1度」というグリーンスパンの言葉が異常な財政金融政策を正当化するのに使われ、「グローバリズム」や「新自由主義」の時代が終わって、またケインズの時代がやってきたなどと称する向きもあった。しかし天は落ちてこなかったのだ。

客観的にみれば、今回の危機の原因はアメリカの債券市場の機能停止という一時的な問題であり、狼狽売りが終わって価格がつけば、むしろ高度に発達した金融市場が問題の修復を助けた。もちろん各国の政府と中央銀行が、30年代の教訓に学んで流動性を大量に供給し、銀行の連鎖倒産を防いだことも大きい。危機に対して各国が協調する国際的な枠組が機能したことも重要だ。各国が金融引き締めや保護貿易によって「不況の輸出」を競った30年代とは大違いだ。

もう一つの要因は、Zakariaも指摘するように、70年代以降の金融政策の変化によって、経済を崩壊させる最大の元凶であるインフレを押さえ込んだことだ。それが新興国の世界市場への参入とあいまって世界的な物価の安定がもたらされ、ハイパーインフレによって国家が転覆するような事態は中南米でも中東でも起こらなかった。「ドバイショック」を大げさに叫んで補正予算を組んだ日本政府は、マーケットの笑いものだ。

民主党政権は、いまだに「二番底」を防ぐと称してバラマキ福祉を拡大し、デフレ宣言を出すなど「危機モード」だが、他の国は通常モードに戻りつつある。金融システムの打撃が最小だった日本経済がもっとも出遅れている原因は、成長率を引き上げる長期的な戦略なしに場当たり的な財政・金融政策や所得再分配を続けた「政府の失敗」だ。

大きな試練をくぐり抜けて、グローバル資本主義の変化は一段と鮮明になった。先進国が危機の後遺症に苦しむ中で、新興国の経済は危機以前の水準にいち早く復帰し、世界経済の中心が移ったことを示している。こうした変化を「ユニクロ型デフレ」などという愚劣なとらえ方しかできない日本は、無意味な「デフレ退治」で財政危機を拡大し、それが先行き不安を増して投資を冷え込ませる悪循環に陥っている。

「今は非常事態だから、需要不足を埋めることが第一だ」などという話にだまされてはいけない。今回の危機で明らかになったのは、在来型のケインズ政策は(30年代にも実はそうであったように)きかないということだ。オバマ政権の超大型バラマキ予算がほとんど執行されないうちに、経済は自律的に回復した。今後の世界経済の最大の課題は、Zakariaもいうように、財政危機と成長率の低下であり、それを解決するのにマクロ政策は何の役にも立たない。民主党政権がこの変化に気づくのは、いつのことだろうか。

IPアドレスにオークションを

JPNICが、ようやく来年からIPアドレスの売買を認める方針だという。この問題について私は7年前の論文で書き、IETFの会議でも発表し、村井純氏も「NATを使えばv4は永久に延命できる」と認めたのに、JPNICはv4アドレスが「枯渇」するとかいうデマゴギーを流し続けてきた。

読売の記事でも「すでに9割が使用されている」と書いているが、これは嘘である。今年7月の統計でも、ホスト数は6億8000万。43億個あるアドレスの15%しか使われていない。それが枯渇するようにみえる理由は、電波と同じだ。アドレスに適正な価格をつけないで、社会主義的に割り当ててきた資源配分のゆがみである。足りないのはアドレスではなく、それを効率的に配分する知恵なのだ。

v4アドレスは有限だが、有限なものが枯渇するとは限らない。土地は有限だが、それが枯渇すると騒ぐ人はいない。石油や稀少金属でさえ、何度も枯渇が騒がれたが、技術革新によって新しい鉱山が開発され、むしろ価格は下がってきた。市場が機能していれば、絶対的に枯渇する資源なんてありえないのだ。

もちろんアドレスを再編成するにはコストがかかるが、それは土地を引っ越すのにコストがかかるのと同じだ。アドレスを2n単位でまとめないと配分できないというのも、土地が一坪単位で取引できないのと変わらない。アドレスだけを特別に市場から除外する理由は何もない。

私はこの点を何度もJPNICに説明したが、「公共的なアドレスを売買するのはなじまない」とか「金のある企業が買い占める」など、電波社会主義を擁護する総務省の官僚と同じような理由で聞いてもらえなかった。欧米で市場メカニズムの採用が決まってからも、JPNICは市場を拒否してきた。彼らがユーザーを無理やりv6に移行させるために流してきた「v6に移行しないとインターネットが破綻する」という宣伝が、嘘であることがばれるからだ。

しかし社会主義が崩壊したように、どんな組織的なデマゴギーも現実には勝てない。私はv6を否定しているわけではないが、ユーザーをあざむいて無意味なv6アドレスを強制するのはおかしい。JPNICは、オークションによってv4アドレスを全面的に再配分すべきだ。その制度設計については、オークション理論の成果が応用できよう。

財政赤字はフィクションか

亀井金融担当相が、「来年度予算は92兆円では足りない。95兆円に増やせ」と吠えている。彼は記者会見で「財政赤字はフィクションだ」とのべ、「日本のように外国からの借入金がほとんどない国は世界にない」とその優位性を強調したそうだ。

これは財政学の初歩的な練習問題だが、宮崎哲弥氏のような半可通にありがちな間違いで、対外債務と政府債務を混同している。たしかに日本国債の債権者の93%は日本人なので、外国に対して債務不履行を起こす心配はない。個人金融資産は1400兆円あるから、900兆円の政府債務が国内でファイナンスできることも事実だ。

しかし国債を償還するには増税が必要だ。IMFの試算によれば、プライマリーバランスの赤字を半減させるだけでGDPの14%以上の増税が必要になる。これを消費税だけでまかなうと、40%以上の税率になる。それは論理的には可能だが、消費税率を5%から引き上げるだけで大騒ぎする国で、そんな税制改正が国会で通る可能性はゼロだ。つまり日本の政府債務は、すでに政治的には返済できない状態なのである。それを歳出削減で解決することも不可能であることは、今回の予算編成で明らかになった。

バラマキ財政派の人がよくいうのは、「財政危機なら、誰も国債を買わなくなって金利が上がっているはずだが、日本の金利は低いじゃないか」という話だ。これも一見もっともにみえるが、国債のほとんどを買っているのは個人ではなく邦銀だ。彼らの調達金利はゼロに近いので、長期金利が1.2%でも1%以上の鞘がとれる。「まずデフレを止めよ」とか騒いで過剰な金融緩和を求める人々が、国債バブルを膨張させているのだ。

しかし今のような金余りがいつまでも続く保証はない。高齢化によって家計貯蓄率は急速に低下して2.7%になり、低金利で資本流出も急増している。資金需給が逼迫すると金利が上がり、邦銀はキャピタルロスを抱えるので、彼らが国債を売却するとさらに金利が暴騰(国債価格は暴落)する・・・という悪循環が起こる。井堀利宏氏もいうように「市場が将来のデフォルトを予想して金利が上昇し始めたら、そのときにはもう手遅れ」なのだ。

今週のニューズウィークにも書いたことだが、このように長期的な財政危機を考えないでバラマキ福祉を続ける「短期決戦」志向は、日本軍以来の伝統だ。兵站などの計画的な準備をしないで場当たり的に戦力を逐次投入する作戦は、補給の途絶によって餓死が戦死を上回る悲惨な結果をもたらした。バラマキを戦闘、財政を補給と考えれば、同じ構造であることがわかるだろう。

外国の侵略や植民地支配を受けたことがなく、内戦も少なかった日本では、長期的な戦略を立てて戦争に備える必要がないので、強い指導者はきらわれ、ボトムアップの決定を尊重する調整型リーダーが好まれる。中には石原莞爾のような戦略家もいたが本流にはなれず、中枢を握ったのは東條英機のようなその場の「空気」を読んで大勢に迎合する人物だった。意思決定を各閣僚にゆだね、自分では何も決めない鳩山首相は典型的な東條型リーダーだ。

財政赤字は、先送りしていると確実に大きくなる。かつての不良債権問題が、1998年に信用不安という形で爆発したように、国債バブルも遠からず崩壊するだろう。大増税も歳出削減も不可能な以上、残された道はインフレ(による実質的な債務不履行)しかない。Reinhart-Rogoffも示すように、経済の破綻した国で財政が破綻するのはありふれた現象で、そのときハイパーインフレが起こることも珍しくない。

考えてみれば、ハイパーインフレで戦争のように人命が失われるわけでもない。老人の資産が消滅して世代間の不公平がなくなり、実質賃金の切り下げによって新興国との賃金格差もなくなる。チェ・ゲバラを尊敬して「革命的政策」を求める亀井氏が、そういう日本経済の「自爆」を求めているとすれば、意外に正しいかもしれないし、それしか道は残されていないような気もする。

日銀はインフレ予想をコントロールできるか*

今回の日銀の政策について、市場の反応は好意的なものが多い。一時はリフレ的な主張をしていたエコノミストも、最近は実務を理解していわなくなった。日経新聞や経済誌からリフレ派は追放され、残っているのは夕刊紙ぐらいのものだが、ウェブではいまだに素人談義が続いているので、テクニカルな面も含めてまとめておこう。

まず勝間和代氏のような「国債と引き替えに貨幣を発行し、その国債を日銀が引き受けて、市場に供給する」ことによってデフレから脱却できるという素朴リフレ論は誤りである。彼女は日銀の供給するマネタリーベースと市中に流通するマネーストックの区別がついていない。以前の記事でも説明したように、ゼロ金利では資金需要が飽和しているので、日銀が銀行の準備預金を増やしても、それが企業への貸し出しにまわらず、マネーストックは増えない。

そこで磯崎さんのいうように「こういう取引主体間の取引から考えてマネーストックは増えないという当たり前の説明に対して、リフレ派の人はどう反論してるんだろう?」という疑問が出てくるわけだが、これに対するリフレ派の答は、飯田泰之氏の次のようなものだ:
景気がよくなってもそうそう金利は引き上げない,インフレが発生していてもそれが加速するまでは金利は0のままにすることが「好況の早期引き締めは行わない」,「インフレをしばらく放置する」にあたります.
これは日銀がかつて実施した時間軸政策とほぼ同じだ。植田和男氏もいうようにその効果はあったが、それはインフレ予想というより長期金利の低下効果だった(*)。そのマクロ政策としての効果は限定的で、むしろ金融危機に陥っていた銀行の資金繰りを支援することで不良債権の最終処理を支援した効果が大きい、というのが白川総裁などの評価である。

植田氏もいうように、時間軸政策は将来のコミットメントに曖昧さを残していたので、目標とするインフレ率を明確に打ち出すなどの工夫の余地はあろうが、その効果は大きなものではない。現在でも10年物国債の金利は1.2%で、それをゼロにしたところで、インフレ予想が起こるとは考えられない。

飯田氏は、こうした金融政策のコストはゼロだと思っているようだが、これも誤りである。グローバル化した経済では、一国だけが超低金利を続けることはできず、国際的な金利裁定が働いてキャリー取引が起こる。つまりリフレ派の期待しているような物価のインフレではなく、資産価格のバブルが(世界のどこかで)起こるのである。日銀の量的緩和はアメリカの住宅バブルの一因となり、今回の欧米の超緩和は新興国のバブルを引き起こしつつある。

要するに、日銀がインフレ予想をコントロールできるという理論的根拠はなく、実際にも量的緩和の効果は限定的だった。インフレ目標を今より強く「2%」などと明示するぐらいはやってもいいだろうが、それを実現できる根拠がなく副作用も大きいので、「アコード」を法的に決めるべきではない。飯田氏のいうように「インフレ目標を実現できなければ日銀総裁をクビにする」という罰則を設けたら、なり手はいなくなるだろう。

本質的な問題は、自然利子率がマイナスになっている異常事態を是正することだ。その最大の原因は投資需要が減退していることなので、長期的な実体経済の見通しを改善しなければ、デフレは脱却できない。リフレ派は「構造改革を否定するものではない」というが、かつて彼らが「小泉改革は清算主義だ」などと攻撃したのを忘れたのだろうか。彼らが有害なのは、長期の問題を無視して目の前の短期的な金融政策ばかり騒ぐバイアスがあるからだ。

経済問題を論じる場合にまず重要なのは、Mankiwも指摘するように、その原因が短期の需要不足か長期の自然水準の低下かを見定めることだ。もし後者であるならマクロ政策には意味がなく、前者であってもその原因がリアルな需要ショックであれば金融政策の効果はない。残念ながら、ここまで劣化した実体経済を改革しないで、金融政策だけで日本が救われる「フリーランチ」はないのである。

(*)経済学ではexpectationを「期待」と訳す習慣がある。この日本語には望ましいことを待つという意味があるが、英語にはそういうニュアンスはないので、ここでは中立的な「予想」と訳す。
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