2009年01月

正社員vsハケン

来週発売の週刊ダイヤモンドの特集は「正社員vsハケン・対立か共存か」。私のインタビューもあるが、内容の冒頭が間違っている。私は「派遣労働者を自己責任と批判するのは筋違いだ」とのべたのだが、記事では意味不明の話になっている。

それはともかく、特集の焦点が「正社員の既得権」になっているのは一歩前進だ。菅直人氏もインタビューで登場しているが、製造業の派遣については「継続すべきか否か議論している」と後退した。当たり前だ。この不況のさなかに、製造業の派遣労働者46万人の雇用を禁止するなんて、世界にも類をみない愚劣な法案だ。「お涙ちょうだい」で集票効果をねらったのだろうが、朝日新聞でさえ世論調査で「かえって雇用が減るという意見もある」と付記して、製造業の派遣禁止に46%が反対した。

厚生族の川崎二郎氏が「雇用責任」を強調しているが、これはナンセンスだ。企業が労働者を正社員として雇用する責任なんてない。むしろ重要なのは、雇用可能性(employability)である。派遣労働者が「技能を蓄積できない」とよくいわれるが、実は日本のサラリーマンの技能の大部分もfirm-specific skillで、会社の外では通用しない。

特にひどいのは、いろいろな部署を回るキャリア官僚だ。先日ある経営者に「天下り規制がなくなったら、もっとキャリア官僚を採用するか?」ときいたら、「うちにも天下りはいるが、役所との顔つなぎ以外に使い道がない。民間の仕事を知らないくせに、プライドが高くて使いにくい」。採用するなら30代までで、50代になると「商品価値はゼロ」とのことだった。官僚もそれを知っているから、天下り禁止に激しく抵抗するのだ。

こういう文脈的技能は、高度成長期のように市場が拡大していて配置転換で需要の変動に対応できる時代には意味があったが、今のように製造業全体の規模が絶対的に縮小してゆく時代には、外部労働市場で通用する専門的技能をもっていないと、会社がつぶれたら食っていけなくなる。この意味では、正社員も派遣と同じリスクを抱えているのだ。雇用可能性を高めるには、今の若者を対象にした大学や大学院のしくみを改めて、労働者の再教育機関として位置づけ直す必要があろう。

銀行というビジネスモデルの消滅

巨大銀行の消滅
世界で銀行危機が進行している。今回の危機は従来のような取り付け騒ぎではなく、預金と融資の利鞘でもうける「金貸し」にすぎない商業銀行というビジネスモデルの終わりである。

欧米では、銀行が金貸しからリスク管理業務に重点を移す動きが80年代から始まった。日本でも1984年の日米円ドル委員会で自由化が始まったのは同じだったが、その後の展開は対照的だった。

英米の投資銀行が高度な金融技術を駆使して高い収益を上げ、企業買収などを仲介して産業の再構築を促進したのに対して、邦銀は金融制度調査会で証券業界と不毛な縄張り争いを延々と続けていた。

本書は、1985年に長銀が「第5次長期経営計画」で投資銀行への転進をはかっていた時期の行内の状況を描いている。経営計画はゴールドマン・サックスのような高収益企業になることを目標に掲げ、年功序列も廃止し、人事や給与を「経営貢献度」の点数によって決める能力主義を導入した。社内はパーティションで仕切られ、まるで外資系銀行のようだった。

「金貸し」から脱却する戦略の失敗

しかしこうした改革は行内で抵抗を受けたばかりでなく、金融制度調査会では証券会社に「メインバンクの力を利用して長信銀が証券業務に侵入するもの」と警戒され、「業態別子会社」という中途半端な形で認可されたため、投資銀行への転換は挫折した。

おりからの不動産バブルで、むずかしい金融技術より簡単ですぐもうかる不動産担保融資に傾斜し、長銀はEIEに巨額の融資を行なって、バブル崩壊とともに壊滅した。同じころ興銀も、尾上縫などへの巨額融資で実質的に破綻した。日債銀もノンバンクへの不動産融資で破綻した。

長銀が破綻したあと旧経営陣が逮捕され、国有化された長銀が著者など15人の元役員に対して総額63億円の損害賠償訴訟を起こしたが、この裁判は2008年7月、最高裁で刑事・民事ともに被告勝訴の判決が出て決着した。

著者もいうように、バブル崩壊を前もって予測した日本人は皆無に等しく、長銀の経営陣が特に無能だったわけではない。不良債権処理を「粉飾」とする検察のストーリーは、銀行に横並びで「計画的・段階的な処理」を指導した大蔵省を免罪して、指導に従った銀行の経営者個人の責任を追及するもので、公的資金投入への批判をかわすためのスケープゴートづくりだ、という著者の主張はその通りである。

しかし本書には、かつては護送船団行政に守られて楽してもうけていた邦銀が、経営が傾いたら大蔵省に泣きついて数十兆円の公的資金を引き出してドブに捨てたことへの反省もなければ、金融業界の変化についての時代認識もない。

特に最終章で、今回の金融危機をめぐって投資銀行を批判して「原点に戻れ」と金貸しへの回帰を唱え、「新護送船団」の再建を提唱するに至っては言語道断だ。この程度の頭取しか持てなかった長銀が破綻したのは当然だが、もっと無能な大蔵官僚が責任追及をまぬがれたのは不公正である。

ゼロ金利が長期化する中で改めて問われているのは、利鞘ゼロでは金貸しはもうからないという自明の事実である。それが結果的にはリスクゼロで利鞘のとれる国債の魅力を高め、民間投資をクラウディングアウトしている。金融資産の半分以上がゼロ金利の預金という日本人のリスク意識が変わらない限り、銀行というビジネスの改革はむずかしい。

上杉隆氏が理解していない簿記の基本

私の記事に対する上杉隆氏の反論がダイヤモンド・オンラインに出ている。当ブログは、実名の批判には基本的に答える方針なので、お答えしておこう。彼はこう書く:
給付金は、税の還付であるかどうかは議論の分かれるところだが、少なくともその財源について〈国債の増額〉〈必ず増税〉ということはない。今回の第二次補正予算でも明らかなように、その大部分には「埋蔵金」が当てられる。
定額給付金が減税であるか還付であるかはどうでもよい。問題は、それが国の資産を2兆円減らすということだ。国の財政を複式簿記であらわすと、資産には税収と国有財産があり、負債には国債がある。政府債務843兆円に見合う資産が843兆円あるとすると、税金(資産)を2兆円取り崩すと、何らかの方法で資産を2兆円増やさないと債務不履行が生じる(国有財産の売却は、もともと資産に計上されている項目を現金化するだけなので、バランスは変わらない)。現実には、現在の税率では税収は国債残高に見合わないので増税は不可避だから、2兆円は将来の増税に上乗せされる

「財源は埋蔵金を使うから国債は増えない」などという政府の説明を上杉氏が信じているのも驚きだ。埋蔵金は特別会計の剰余金だから、要するに税金である。つまり減税するぶん他の税金(国債の償還財源)を取り崩すだけなので、負債(国債)が減らないかぎり、今年の減税2兆円は将来の増税で必ず相殺される。それが2年後の消費税かどうかなんてナンセンスな問題だ。一般会計の税収は、特定の使途に特定の財源が結びついているわけではない。重要なのは政府のバランスシートの純債務であり、どの税収を何に使うかではない(そんなことは予算にも書いてない)。

定額給付金を埋蔵金でファイナンスするのは、資産の項目を変えて一つのポケットから別のポケットに税金を移すだけだ。卑近な例でいうと、上杉氏の収入が原稿料だけだとしよう。あるとき貯金が底をついて、タンスの中にあったへそくりを出して昼飯代に使ったとすると、上杉氏は得をしただろうか?タンスの中にあろうと銀行にあろうと、上杉氏の本源的な収入は原稿料しかないので、彼は得も損もしていない。政府支出は国民の税金を国民に還元するだけなので、長期的な経済効果はプラスマイナスゼロである。

これはリカードの中立命題として、200年前から周知の事実だ。バラマキ政策が一時的に効果をもつように見えるのは、国民の錯覚を利用しているだけで、それも何度も繰り返すと、国民も学習してだまされなくなる。定額給付金を信用しない日本人は、中立命題を学んだのである。それを理解していないのは、簿記も知らないジャーナリストだけだ。

追記:自民党は、関連法案の成立をまたず、政府短期証券を発行して定額給付金を支給する方針を打ち出した。これで上杉氏の「財源について〈国債の増額〉ということはない」という根拠も崩れたわけだ。要するに埋蔵金も国債も同じで、最後は税金なんだよ。

SBI大学院大学コースウェア

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SBI大学院大学の公式サイトがYouTubeにできた。私の「イノベーションの経済学」の講義は、すべて公開されている。願書の次の締め切りは2月2日なので、関心のある人は大学のウェブサイトへどうぞ。

なぜ世界は不況に陥ったのか

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池尾和人・池田信夫『なぜ世界は不況に陥ったのか 集中講義・金融危機と経済学』(日経BP社、2/26刊)の第1講「アメリカ金融危機の深化と拡大」の一部をPodcastで紹介する(各10分):
  1. サブプライムローン問題
  2. 全面的な信用危機への拡大
  3. リーマン・ブラザーズの破綻以降
世の中にはパニックをあおる「大恐慌本」がたくさん出ているが、本書はそういう類書とは一線を画し、1960年代から歴史をさかのぼり、経済学の理論を使って現在の危機が発生したメカニズムを分析するものだ。基本的には、池尾さんの講義を私が聞く形で進められているが、現在の経済危機の本質は世界経済のマクロ的不均衡や産業構造なので、実体経済については私もコメントしている。

アゴラ

ライブドアの協力で、オピニオンサイト「アゴラ」を立ち上げた。これは複数アカウントで投稿することによって、Huffington Postのような「言論プラットフォーム」をつくる試みだ。日本では匿名掲示板の悪影響でウェブ上の言論が壊滅状態なので、専門家が実名で発言することによって、政策担当者やジャーナリスト、あるいは一般市民との交流をはかりたい。創立メンバーは次の5名である:
  • 池田信夫
  • 高橋洋一
  • 西和彦
  • 松本徹三
  • 渡部薫
まだベータ版なので、4月の本格サービス開始までに、いろいろなご意見を取り入れて改善してゆく予定である。livedoor IDをとって管理人の承認を得れば投稿できるので、専門家の参加を歓迎する。

もしケインズが生きていれば・・・

Marginal Revolutionより:
Organized public works, at home and abroad, may be the right cure for a chronic tendency to a deficiency of effective demand. But they are not capable of sufficiently rapid organisation (and above all cannot be reversed or undone at a later date), to be the most serviceable instrument for the prevention of the trade cycle.
これはケインズの1942年の言葉である。彼は戦後の状況に対応して『一般理論』を書き直そうとしていたといわれるが、惜しくも1946年に死去した。彼は自説を撤回することをいとわなかったので、もう少し長く生きていれば、バラマキ公共事業ではなく永続的な(cannot be reversed or undone)改革によって潜在成長力を高める『一般理論パート2』を書いたかもしれない。

現代帝国論―人類史の中のグローバリゼーション

現在が「歴史的転換期」だという話は、いつも語られてきた。そういうときよく引用されるのがウォーラーステインだ。彼の歴史理論は、ここ500年ぐらいの世界史を包括的に展望する荒っぽいものなので、なんとでも解釈できるのが取り柄だが、逆にいうとほとんど実証的に検証可能な命題が導けない。本書はウォーラーステインとネグリ=ハートを中心として、いろいろな世界史理論を雑然と並べたものだが、一種のサーベイとしては役に立つ。

ウォーラーステインの理論の元祖は、1970年代にフランスで、エマニュエル、アミン、フランクなどによって提唱された従属理論である。エマニュエルの理論は、グローバル資本主義を不等価交換を作り出すシステムとして数学的に定式化し、国際経済学に影響を与えた。そしてフランクがウォーラーステインの「ヨーロッパ中心主義」を批判したのが『リオリエント』で、本書の議論も両者の比較が軸になっている。

ウォーラーステインは、近世の世界=帝国システムが、ヨーロッパを中心とする世界=経済システムに取って代わられる過程として近代世界システムを描いた。これに対してフランクは、歴史上の大部分において世界の富のほとんどは(中国を中心とする)アジアによって生み出されてきたのであり、ヨーロッパはそれに寄生して、ここ100年ほど世界の中心になったにすぎないという。そして21世紀には、ふたたびアジアが歴史の中心になるだろう。

こうした歴史観を検討する上で本書がコアにするのが、ポランニー的不安の概念である。これは『大転換』でのべられた、本源的な自然や人間が市場メカニズムに飲み込まれて「商品化」されることがもたらす不安だ。近世帝国では市場の力は世界=帝国の中に封じ込められていたが、世界=経済システムは市場を中心にすえて効率を上げる一方、ポランニー的不安を全世界に拡大した。日本の非正規労働者をめぐる問題も、その一環である。

しかし世界=経済システムの中核にある市場の等価交換システムは、その上に構築された不等価交換システムとしての資本主義をつねに脅かす。国内で競争が激化して利潤機会が消滅すると、資本は海外に拡大し、軍事的・経済的な植民地化によってアジアを搾取してきたが、新興国が自立すると不等価交換は不可能になる。そこで新たにレントの源泉となったのが情報技術と金融技術だが、金融技術による鞘取りで市場が効率的になると、鞘は失われる。その実態を投資銀行は複雑な「エキゾチック金融商品」によって隠してきたが、今回の金融危機はそれを一挙に明らかにしてしまった。

投資銀行のPonzi schemeが破綻したこと自体は望ましいのだが、それによって新興国の過剰貯蓄をアメリカの過剰消費が吸収する「グローバルなケインズ主義」の構造が崩壊すると、世界経済が縮小することは避けられない。そしてインターネットは、「知的財産権」によってレントを独占してきた既存メディアを破壊しようとしている。

現代が近代世界システムの崩壊過程だという点では、ウォーラーステインもフランクも著者も意見が一致しているが、それがどこに行くのかは誰にもわからない。おそらく世界は相互依存をさらに深め、市場メカニズムが世界をおおい、ポランニー的不安が新興国にも広がるだろう。著者はそれを「新しい帝国の再構築」の過程だというが、旧秩序の解体は明らかでも、新秩序が再構築される兆しは見えない。

周波数オークションとサンクコスト

J-CASTニュースによれば、周波数オークションについて「総務省の課長補佐」が次のようにコメントしたそうだ:
電波は公共財なので、普通の商品とは違います。どんな事業者でもいいわけではありません。オークションには、デメリットがあり、コストが当然料金に転嫁されることになります。事業者が投資分を回収できず倒産すれば、その電波が無駄になってしまう恐れもあります。
このコメントは論理的に矛盾している。免許のコストを通話料金に転嫁できるのなら、事業者が「投資分を回収できない」ということはありえない。欧州で携帯事業者の経営が破綻したことは事実だが、それは免許料を料金に転嫁できなかったからなのだ。当ブログで何度も説明したように、免許費用はサンクコストなので、それを転嫁することは合理的ではなく、不可能だ。同じことを何度も書くのは面倒なので、前の記事を再掲しよう:
オークションで払う免許料は、賃貸マンション業者の買う土地のようなものだ。土地が値上がりしても、その地価が家賃に転嫁されることはありえない。相場より高い家賃をつけても、借り手がつかないだけだ。逆に、その土地を(相続などで)無料で仕入れたら、不動産業者は家賃を安くするだろうか。業者は相場と同じ家賃を取り、地価はまるまる彼の利益になるだろう。つまり料金は市場で決まるので、免許料は業者の利益に影響を与えるだけなのだ。
これは経済学を知らない高校生でもわかるはずだ。「課長補佐」氏は一応、公務員試験を通ったはずだから、この程度のロジックを理解できないことはあるまい。「事業者が投資分を回収できず倒産」するかどうかなんて、余計なお世話だ。業者はもうけようと思って応札するのだから、その思わくがはずれて倒産するのは自己責任である。免許料が高すぎるなら、落札しなければよい。問題は免許が使われないことだが、これは第二市場で転売すればよい。厳密な議論については、私の論文を参照されたい。

総務省は1.5GHz帯を、美人投票で既存4社に割り当てる方針だそうだが、いつまで電波社会主義を続ける気なのだろうか。オバマ政権でWerbachがFCCの委員になれば、ホワイトスペースの開放や周波数オークションを進めることは確実だ。日本の対応が遅れると、次世代の無線技術はまたアメリカにやられっぱなしになるだろう。どの技術がすぐれているかを決めるのは、役所ではなく市場である。

追記:英文ブログにも書いた。

新聞・テレビの没落

あす発売の週刊東洋経済の特集は「テレビ・新聞 陥落!」。私も「新聞・テレビ没落で始まるローコスト・メディアの時代」という4ページの原稿を書いた。似たような話を、先週のASCII.jpにも書いた。

私が1993年にNHKをやめたのは、まもなく地上波テレビは没落するだろうと思ったからだが、テレビ局は意外にしぶとく、政治家を使って電波利権を守り、数千億円の補助金を政府から引き出して延命してきた。しかし、ようやく悪運もつきたようだ。在京キー局(日テレ・テレ東)が昨年の中間決算で初めて赤字になり、3月決算では全キー局が赤字になる可能性もある。

東洋経済の特集で氏家斉一郎氏(日テレ議長)もいうように、これは不況による一時的な落ち込みではなく、マス媒体による広告という手法の効果が落ちたためなので、回復は見込めない。2011年をピークとしてテレビ(アナログ・デジタル計)の台数は減少に転じ、テレビ・新聞は2~3社に統合されるだろう。いまや輪転機や中継局などのインフラは、資産ではなく負債なのだ。

インターネットは電波利権のような独占を破壊して競争をもたらし、価格を下げる。これに対応するには、売り上げを増やすのではなく、インフラを捨ててコストを下げるしかない。Economistも指摘するように、コンピュータの性能が上がり続ける時代は終わり、これからはほどほどの性能でローコストを追求する“good enough” computingの時代だ。Amazon EC2などのクラウド・コンピューティングを使えば、月数万円でIP放送も可能だが、既存メディアがそこまでコストを削減することは不可能だ。今こそインフラをもたないネット企業にチャンスがある。
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