2008年05月

中山信弘氏の情熱

知的財産権研究会のシンポジウムに行ってきた。1985年から2ヶ月に1回つづけられ、100回記念という息の長い研究会だ。テーマは「著作権法に未来はあるのか」。驚いたのは、会長の中山信弘氏が「今のままでは、著作権法に未来はない」と、現在の制度の抜本改革の必要を説いたことだ。特に検索エンジンが「非合法」になっている問題については、6月16日の知的財産戦略本部の会合で「合法化」の方向が出され、来年の通常国会で著作権法が改正されるという。メモから再現すると、こんな感じだ:
著作権法は、300年前にできて以来、最大の試練に直面している。特にPCやインターネットで膨大なデジタル情報が流通し、数億人のユーザーがクリエイターになる時代に、限られた出版業者を想定した昔の法律を適用するのは無理だ。私も最近、教科書を書くために初めて全文を読んだが、こんなわかりにくい法律は他にない。昔建てた温泉旅館に建て増しを重ねたようなもので、迷路のようになっていて、火事が起きたらみんな死ぬ。

資源のない日本では、人々の知恵を最大限に活用して生きるしかない。それなのに、検索エンジンも動画サイトも、中国や韓国にさえ抜かれている。日本人に技術力がないわけではないのに、法律がイノベーションを阻害している。私たちが子孫に残せるのは、せめてこういうひどい制度を手直しして、彼らが新しいビジネスに挑戦できる社会にすることだ。

海外にいる日本人が、日本の番組を録画して見るというささやかなサービスを、NHKと在京キー局がよってたかって裁判でつぶすのは異常だ。彼らは著作権法を口実に使っているだけで、実際には全国で番組が見られるようになったら、県域免許でキー局の番組を垂れ流している地方民放の利権がおかされるからだろう。そういう利権あさりを裁判所が手助けするのも不見識だ。

著作権の保護期間を死後70年に延長するという話も、根拠がない。権利者団体も「収入増にはつながらない」ことを認めながら、「リスペクトが大事だ」という。著作権法は経済的権利を守る法律であって、リスペクトなどというものは関係ない。パブリックドメインになっている夏目漱石は、リスペクトされていないのか。条文を一つ変えるだけで、映画会社に何十億円も転がり込むというのが本当の動機だろう。これは創作のインセンティブにもならないし、文化の発展にもつながらない。期間延長には断固反対。命がけでも阻止する。
という小倉秀夫氏も真っ青の激越な主張で、みんな茫然としていた。本来こうした微妙な問題に賛否を鮮明にはできない立場の中山氏が、このように力強い主張を公的に表明したことは、政治的にも重要な意味がある。今まで政治の場に出てくるのは権利者側の話ばかりで、文化庁は消費者を無視してきたが、まだあきらめるのは早い。中山氏は「ベルヌ条約を金科玉条にすべきではない」とも言っていたので、著作権法の抜本改正は不可能ではない。まだ日本は終わってない、と思う。

追記:中山氏は、シンポジウムの事前インタビューでも、同様の考えを語っている。

ネット規制問題は大詰め

自民党と民主党のネット規制をめぐる折衝は難航し、週明けに持ち越されたようだ。私の入手した自民党案と民主党案をみるかぎりでは、まだ大きな違いが残っているが、今国会で成立させるには来週がデッドラインなので、調整は最終段階だろう。

28日段階の自民党案をみると、罰金や懲役などの規制は削除されているものの、青少年有害情報対策会議が有害情報を判断し、政府が指定青少年有害情報フィルタリング推進機構登録青少年有害情報通報機関を創設して、有害情報を監視するしくみになっている。またPCなどすべての情報機器にフィルタリング・ソフトウェアをインストールする義務が課せられることになっている。

これに対して民主党案は「民間による自主規制」で一貫しており、こうした政府の関与する機関の設置は盛り込まれていない。調整が難航しているのは、こうした部分の違いだと思われる。高市氏は「名誉毀損の書き込みで裁判に負けても削除に応じない大手事業者もあります」と主張しており、2ちゃんねるが「警察の関与する法規制が必要だ」というキャンペーンに利用されていることをうかがわせる。

しかし海外サイトを含めて考えれば、100%の規制は最初から不可能である。「3年後に見直す」というなら、まず民間の努力でどこまでできるかを見きわめてから、どうしても公権力の発動が必要だという場合に改正をしても遅くない。現状で「政府の監視が不可欠だ」と考える関係者は少ないし、そういう世論が強いわけでもない。2ちゃんねるが問題だというなら、警察が「泳がせる」のをやめて摘発すればいいのではないか。

民主党には「すべて民間で自主管理する」という原則を守ってほしい。自民党と話がつかなければ、今国会で成立させる必要もない。

市場リスク 暴落は必然か

本書の原著は昨年、サブプライムローン問題が表面化する直前に出版されたが、ある意味でそれを予告し、従来のリスク管理の手法が通用しないことを警告している点で、"Black Swan"に似ている。著者もMITからウォール街に転じた「ロケット・サイエンティスト」だ。

従来は証券化によってリスクは分散されると考えられていたが、逆にレバレッジを通じて金融機関の密結合(tight coupling)が生じ、複雑性が大きくなっている。普通の株式のリスクは株式市場を見ていればわかるが、オプションのリスクは原資産の価格を見てもわからない。地球の裏側で、何らかの事情で投資銀行が資金繰りに詰まってオプションを清算すると、そのオプション価格が暴落し、それがさらに他の銀行の清算をまねく・・・といった連鎖反応で、大きな損失がグローバルに生じることがある。

こうした問題は、経済学でもO-Ring理論として知られており、システムを疎結合=モジュール化する理論的な根拠になっている。しかしファイナンスの世界では、いかに大きなレバレッジをかけて投資収益率を上げるかが投資ファンドの腕だ。LTCMの致命傷になったのは、1998年はじめに(収益率の分母を小さくするため)資本の4割を投資家に返却した(!)ことだった。

本書の提案するリスク管理は、ゴキブリ式である。ゴキブリのセンサーは空気のわずかなゆらぎを検知する機能しかなく、それに反応して瞬時に逃げるのが彼らの唯一の防御システムだという。これはアバウトで無駄が多いが、結果的にはこれで彼らは数億年、生き延びてきた。高等動物のように特殊な環境に繊細に適応すると、環境が変わったとき全滅してしまうが、ゴキブリの単純な防御機構は環境の変化に強いのだ。

プロのトレーダーでさえ、新古典派の「効率的市場仮説」の想定するようにすべての利用可能な情報を使って合理的に最適化しているわけではないし、それは実際には最適でもない。もし多くの投資家が、サブプライムのような危機に対して、条件反射で国債や石油に殺到すると、市場が崩壊して非合理な価格が形成され、合理的な投資家が犠牲になってしまうからだ。

このように新古典派的なファイナンス理論は脆弱性を抱えているので、投資理論としては使い物にならない。必要なのは、こうした空想的な理論にもとづく過剰な最適化をやめ、金融商品を単純化し、レバレッジを低くして、疎結合にすることだ、と著者いう。これは収益率の低下をまねくかもしれないが、急速なイノベーションの続くファイナンスの世界では、リスクを単純化し、ゴキブリ的な防御機構で対応するのが安全だろう。

追記:訳本で「完全市場仮説」と訳しているのは、原文ではperfect market paradigmである。「効率的市場仮説」とは別の概念なので、訳語は適切ではない。

10年は泥のように働け

IPA主催による、IT業界の重鎮と学生の対話集会が、今年も開かれた。去年の集会では「3Kの“帰れない”は、帰りたくない人が帰れないだけ。スケジュール管理の問題だ」という重鎮の発言で、かえってIT業界のネガティブイメージが定着してしまったが、今年はIPAの西垣浩司理事長(元NEC社長)の「入社して最初の10年は泥のように働いてもらい、次の10年は徹底的に勉強してもらう」という発言に、学生はみんな唖然としたらしい。

これは伊藤忠の丹羽宇一郎会長の言葉で、このあと「最後の10年はマネジメントを大いにやってもらう」と続くそうだが、これじゃ霞ヶ関の役人と同じだ。若いときは「雑巾がけ」で会社にご奉公し、年をとってから楽なマネジメントで取り返すという徒弟修業型のキャリアパスは、組織が永遠に不変で、自分がそこに定年まで終身雇用で勤務するという前提でのみ成り立つインセンティブ・システムである。

日本の年功序列型の賃金プロファイルは、若いとき会社に「貯金」し、年をとってからその貯金を回収するようになっている。これは、実はグラミン銀行などと同じ村落共同体型のガバナンスだ。新入社員は会社というムラに「贈与」するので、それを取り返すまではやめられない。ところが、取り返せる40代になると、もうつぶしがきかないので、しかたなく会社に一生ぶら下がる・・・というタコ部屋になっているわけだ。

こういう組織は、メインフレームのように工程が複雑で、多くのエンジニアの集団作業が必要な場合には、それなりに機能した。しかし当ブログでも書いてきたように、そういう製造業型の構造は、PCやインターネットのモジュール型の工程には適していない。労働者の技能がポータブルになるため、長期的関係にロックインできないからだ。ところが経営者の頭が、いつまでもムラ的発想を抜け出せないから、日本のコンピュータ産業は中国やインドにも抜かれ始めているのだ。

それなのに、経営者がそれも自覚していないばかりか、若者に丁稚奉公を説教する現状は、きのうの記事のアップルと比較すると、絶望的というしかない。日本のIT産業を救う道は、マックス・プランクの次の言葉しかないのだろう ― Science advances funeral by funeral.

ジョブズの頭の中

一時は「グーグル本」が流行したが、最近は「アップル本」があふれている。しかし私の読んだ限りでは、"iCon"が読み物としておもしろかったぐらいだ。特に日本人の書いたものは、ウェブの2次情報の切り貼りとジョブズ礼賛ばかりで、何の参考にもならない。

その中では、Wiredの編集者が書いた本書は、ジョブズ自身へのインタビューを含めて、新しい情報がある。"iCon"など、これまでのアップル本は内部抗争のゴタゴタ(確かにおもしろいのだが)ばかり書かれていて、肝心の経営戦略について書かれたものがほとんどないが、本書は「スティーブの頭の中」をさぐることによって、その戦略を分析している。

・・・といっても、常識的な意味での企業戦略とかマーケティングが解説されているわけではない。「アップルには戦略チームというものがないんだ。マーケティングリサーチの予算もない」と同社のエヴァンジェリストだったガイ・カワサキはいう。「アップルの企業戦略は、ジョブズの右脳で発想されて、左脳で処理されるんだよ」。

アップルは、多くの雑誌で「世界一イノベーティブな企業」とされている。イノベーションこそ「成長力」の源泉だと考える日本政府や企業にとっては、その秘訣が知りたいところだろうが、「どうやってイノベーションを生み出すのか?」という質問に対するジョブズの答は次のようなものだ:
No. We consciously think about making great products. We don't think, "Let's be innovative!" [...] Trying to systematize innovation is like somebody who's not cool trying to be cool. It's painful to watch Michael Dell trying to dance. (p.177)
石井淳蔵氏もいうように、「科学的マーケティング」なんて神話にすぎない。ヒットをマーケティングの成果として説明するのは、ただの結果論だ。ポラニーが、科学の理論が帰納から生まれるのではなく科学者の直観から生まれるとのべたように、イノベーションを生むのも統計や分析ではなくcoolな才能だから、それを作り出すハウツー的な方法はない。しかしイノベーションは、単なる思いつきではない。それをgreat productとして実現するデザインへのジョブズの執念も尋常ではない。

民主党はもう日銀人事を政治のおもちゃにするな

きのう政府の提示した8機関23人の人事案のうち、日銀審議委員の池尾和人氏と預金保険機構理事長の永田俊一氏(再任)の提示が見送られた。この2人の人選は見直す方向だという。その理由が「国会内示前に人事案が報道された場合、内示を受け付けない」という与野党合意だというからあきれる。人事案をメディアが報じるのは、閣僚人事などでもよくあることで、そんな理由で不同意になるのなら、つぶしたい人事は片っ端からメディアにリークすればいいことになる。

前に伊藤隆敏氏を不同意にしたときも、民主党は「経済財政諮問会議で格差政策を推進してきた」とか「インフレ論者だ」とかいうわけのわからない理屈で、政局にからめて蹴飛ばした。特に仙谷由人氏が「低金利政策で年金生活者をいじめてきた」と日銀を批判したのには唖然とした。学部レベルの経済学も知らないド素人が日銀人事を決めるとは恐ろしい。

池尾氏は私の古い友人で、年齢も出身地も同じ(京都の隣の高校)という縁で、90年代の金融危機のころNHKの番組によく出てもらった。彼は「不良債権処理を先送りするな」と一貫して主張し続けてきた(そのころの銀行局審議官が永田氏)。別につきあいが長いからいうわけではないが、池尾氏は日本のファイナンス学界のエースである。彼を拒否して、もっといい人選があるというのなら、民主党は代案を出せ。これでは「なんでも反対」の社会党と同じだ。

フェアユースより「フェアコピーライト」を

けさの朝日新聞の1面トップに「著作物の利用緩和へ」という記事が出ているので、何のことかと思ったら、政府の知財制度専門調査会で3月から行なわれている議論の、「フェアユース」の部分だけを今ごろ取り上げたものだ。この調査会が現在の著作権制度を抜本的に見直そうとする方向は賛成だが、門外漢として感想をいえば、フェアユースの導入が望ましいかどうかは疑問だ。

よく知られているように、英米法では著作者の権利はフェアユースという漠然とした概念で制限されているが、日本の著作権法では、30条以下で適用除外の条件が具体的に限定列挙されている。このため、そこに列挙されていない用途、特に検索エンジンが著作権法違反だということになり、サーバを海外に置かなければならない。これを解決するため、著作権法を改正して検索エンジンを適用除外に加えるという改正案もあったが、「ダウンロード違法化」と一緒に流れてしまったようだ。

このように新しい技術を次々に適用除外に加えるのはいたちごっこなので、フェアユースとして司法的に柔軟に対応しよう、というのが今回の調査会の方向だ。しかし調査会長である中山信弘氏の教科書(p.308~)でも指摘されているように、フェアユースは判例の膨大な蓄積があって初めて可能なルールであって、そういう判例がないと、逆に片っ端から何でも訴えられることになりかねない。以前シンポジウムで、レッシグも「フェアユースの権利というのは、高価な弁護士を雇う権利だ」と言っていた。私は、むしろ著作権法の規定を逆にして30条以下の規定を廃止し、どういう場合は著作権が行使できるかという条件を、なるべく具体的かつ詳細に列挙すべきだと思う。たとえば
  • 著作物は事前に政府に有料で登録し、?というマークを必ず表示しなければならない
  • 電子的に配布されたコンテンツの場合は、それがオリジナルのデッドコピーであることをウォーターマークのような技術で証明しなければならない
  • 他の著作物に複製して利用された場合は、それによって著作者の名誉や利益が侵害されることを具体的に立証しなければならない
といった条件を設け、以上の条件を満たさない場合には著作者の権利は制限され、請求権も差し止め権も発生しないと規定するのである。こうすれば、何が違反であるかが予測可能になり、調査会のメンバーが懸念する萎縮効果も防げる。これは「著作者のコストを高め、権利を不当に制限するものだ」という批判があるかもしれないが、JASRACだけでも年間1000億円も得ている権利のコストがゼロだというのは、権利者団体への不正な所得移転である。少なくとも特許権と同様のコストと保護期間にすべきだ。

上の条件は例示であって、これ以外にあってもよいし、変えてもよい。要は情報利用(著作者の権利制限)のルールを「~を許可する」という積極的自由から「~は禁止する」という消極的自由に変え、その禁止条件を可能な限り厳密に、また最小限度にすることである。それが自由な社会を実現する条件だ、というのがハイエク(もとはバーリン)の主張である。

いいかえれば、フェアユースを認める(あとは禁じる)のではなく、法的に厳密に定義されたフェアコピーライトだけを認め、あとは複製自由とするのだ。もっとも、この提案は現在の著作権法を根幹からひっくり返すものなので、実現可能とは思われない。次善の策としては、現在の30条以下の限定列挙に加えてフェアユースを導入することが考えられるが、これも日本の著作権法の実定法主義とは相容れないので、実現はむずかしいだろう。

経産省は非関税障壁B-CASを撤廃せよ

ダビング10が「複雑骨折」したとかいう岸博幸氏のコラムが、また批判を浴びている。この記事は多くの事実誤認と歪曲を含んでいるので、少しコメントしておく。彼は
権利者団体にとって、補償金の対象拡大とダビング10はセットである。私的利用で複製できる回数が増えると、コンテンツを創る側の所得機会に影響が生じるからである。しかし、家電メーカーの反発で5月29日開催予定の同審議会で決定できない可能性が高くなっており、その延長でダビング10も6月2日から実施できなくなった、と言われている。(強調は引用者)
と、あたかも家電メーカーがごねてダビング10が「複雑骨折」したかのように書いているが、これは逆である。先々週のASCII.jpのコラムにも書いたように、もともと総務省のデジコン委員会では、コピーワンスが消費者に不便だから変えようということで、EPNなどの提案も出たが、権利者側がコピーワンスに固執して譲歩しないため、ダビング10という中途半端な妥協案に落ち着いた。ところが文化庁が、これを「ダビング10と補償金は一体だ」という話にすりかえて文化審議会に持ち出し、ダビング10を「人質」にして補償金を通そうとしたから、問題が混乱しているのだ。

「権利者団体にとって」の一方的な思い込みが、なぜそのまま公的な合意になるのか。そういう協定文書があるなら、見せてほしいものだ。さらに何度もいうが、こういう主張の根拠となる「私的利用で複製できる回数が増えると、コンテンツを創る側の所得機会に影響が生じる」という定量的な証拠を出してほしい。そういう「影響」はないというのが経済学の通説である。まして「丼勘定」の補償金は権利者団体の運営資金に回るだけで、権利者のインセンティブにはならない。

「デジタルの普及に対応するための社会的コストをすべて消費者に転嫁」しているのは、こういう身勝手な主張を繰り返してまったく譲歩しない権利者団体とテレビ局であることは、デジコン委員会の議事録を読めば一目瞭然だ。そもそも無料放送にコピープロテクトをかけている国なんかない。B-CASは違法であるばかりでなく、政府をあげて取り組む地デジへの移行を阻害し、外国製テレビを締め出すWTO違反の非関税障壁だ。経産省がやるべきなのは、自由貿易を守るためにB-CASとコピーワンスを撤廃することである。

追記:ASCII.jpにも、この問題について書いた。

崩壊する「日本ブランド」

福島中央テレビのアナウンサーが「ぐっちーさん」なる証券マン(?)のブログの記事を盗用した事件は、会社側が事実を認めて、アナウンサーを降板させる処分を決めた。ところが、当のぐっちー氏の植草一秀氏に関する記事が捏造だという記事が植草氏のブログに出て、話はややこしくなってきた。

まず問題のアナウンサーの記事は魚拓に残っているものを読むかぎり、原文の丸ごと盗用であることは明らかで、処分は当然だろう。植草氏の件は、まだ真偽のほどはよくわからないが、すでに支援グループの2年前の記事で指摘されていて、ぐっちー氏は捏造の事実を認めたという。だとすれば、彼のコラムを連載している『AERA』や、彼を匿名のままアルファブロガーと持ち上げた毎日新聞も、メディアとして失格だ。

この事件は、発端となった記事を読むと皮肉である。ぐっちー氏は、最近の食品偽造事件が日本人は正直だという「日本ブランド」が崩壊している兆候だとして、ワンさんという中国人と買い物に行ったエピソードを書く:
日本に来た当初、ビエラが欲しいと言うので秋葉原に連れて行きました。そして感激して「よし、買おう!!」となった。でもワンさんは今、そこの目の前で移っている奴(つまり見本で飾ってあってみんながべたべたさわった指紋だらけの商品)じゃなきゃ、だめだ、と言って聞かない訳です。

いやいや、ワンさん、あとで新品のきれいなものがきちんとクロネコで送られてくるからその方がいいよ、といっても聞いてくれない。いま目の前できちんと移っているという確証のある商品を自分で持って帰るのだ、といって聞かない訳です。なぜなら、中国ではまず電気店が粗悪品にすり替えて送ると言うリスク、そしてクロネコが粗悪品にすりかえるというリスクが存在する。それを避けずになぜ、こんな高額な商品が買えるのか、とおっしゃる訳です。
これも作り話だとすれば、よくできた嘘だ。中国では(というか日本以外のほとんどのアジアの国では)偽物をつかまされるのは当たり前で、それをチェックする社会的コストは非常に大きい。こういう信頼関係をsocial capitalとよび、労働生産性の低い日本がそれなりにやっていけるのは、こうした「社会関係資本」の蓄積が厚いからだともいわれている。しかしソーシャル・キャピタルと社会の多様性にはトレードオフがあって、イタリアのように南北で分断されている国や、アメリカのような多民族国家では、無条件の信頼は成立しないので、「ワンさん」のように事前にチェックしてがっちり契約を結ばないと危ない。

私の印象では、1990年代あたりを境にして、日本でもソーシャル・キャピタルが崩壊し始めたような気がする。これは「市場原理主義」が悪いのではなく、社会が成熟し、多様化するにつれて避けられない現象だ。「日本の古きよき伝統が破壊される」とかいって移民の受け入れに反対する向きも多いが、そんな「日本ブランド」はもう内部崩壊しているのだから、みんな嘘つきだという前提で制度設計をやり直さなければならない。それを図らずも示してくれた点で、今回の事件は教訓的だ。

生命とは何か

dde6343a.png科学を学ぶ学生が必ず読むべき本を1冊だけあげるとすれば、私なら本書を選ぶ。私が学生時代に読んだのは岩波新書の青版だったが、久しく絶版になっていた。本書が文庫に入ったことは朗報だ。

『生物と無生物のあいだ』に感動した読者が本書を読むと、そのアイディアが基本的にシュレーディンガーのものだということがわかるだろう。福岡氏もそれを認めていて、「原子はなぜそんなに小さいのか?」という問いを本書から引用している。そして生物が「負のエントロピーを食べて生きている」複雑系だという洞察も、本書のもっとも重要な結論である。

本書の初版は1944年で、DNAの構造はまだ発見されていなかったが、染色体を「暗号」と考えて生命の謎を物理学をもとにして解き明かす記述は、ほとんどワトソン=クリックの発見を予言しているかのようだ。今ではゴミのような本ばかり出している岩波書店も、半世紀前には本書のような名著を出していたわけだ。岩波はもう新刊を出すのはやめて、古典と復刊専門の出版社になってはどうか。
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