2007年01月

メディアの合理的バイアス

高木さんの棒グラフの話をからかったら、意外にまじめな反論が来て驚いた。テレビが中立・公正な報道をしている(はずだ)と信じている人がまだ多いようだ。日本のメディアもまだ捨てたものではないが、これは民主主義の健全な発展のためにはよくない。メディアは本質的に物事を歪めて伝えるものだからである。棒グラフの話も、その一例としては意味がある。

まず認識しなければならないのは、これまで何度も書いたように、ニュース価値は絶対的な重要性ではなく限界的な珍しさで決まるという事実である。経済学の教科書の最初に出てくるように、ダイヤモンドの価格が水よりはるかに高いのは、それが水よりも重要だからではなく、限界的な価値(稀少性)が高いからだ。同じように、人が犬に噛まれる事件よりも犬が人に噛まれる事件のほうが、重要性は低いがニュース価値は高いのである。

時系列でも同じだ。普通の人が事故死する原因として圧倒的に重要なのは交通事故だが、これは減っているのであまりニュースにはならない。ニュースになるのは、飲酒運転による死亡事故が増えた、といった変化だけだ。要するに、問題の総量(積分値)ではなく変化率(微分係数)がニュース価値なのだ。

これはメディアとして合理的な基準である。交通死亡事故をすべて取り上げていたら、紙面はそれだけで埋まってしまう。メディアは読者に読んでもらわなければならないのだから、その興味を最大化するようにニュースを順位づけするのは合理的だ。行動経済学の言葉でいうと、メディアは必然的に代表性バイアス(特殊なサンプルを代表とみなす傾向)をもっているのである。

しかしメディアがニュースを読者に見せるときは、「この話は重要ではないが珍しいから取り上げた」というわけにはいかないので、あたかも客観的に重要な情報であるかのように見せる。飲酒運転による死亡事故が10年間で4割減ったのに、昨年1.9%だけ増えた部分だけを拡大した棒グラフ(折れ線グラフでも同じこと)を描いて、いかにも激増しているように見せる。子供の自殺も1970年代の半分に減っているのに、2000年以降の統計だけを見せる。

これは、前にも書いた「関心の効率的配分」を考える経済学の事例研究としておもしろい。通常のモノの経済では、稀少性で価格が決まっても問題はない。水道料金が低くても、水道水はつねに存在しているからだ。しかし情報の世界では、情報価値が低い(アクセスされない)情報は存在しないのと同じだ。地球温暖化よりはるかに重要な(しかし地味な)感染症には、温暖化の数分の一の予算しかつかない。大気汚染としてもっとも重要なタバコを放置したまま、リスクがゼロに等しいBSEに大騒ぎする(磯崎さんの記事参照)。

だから「あるある」の問題は特殊なスキャンダルではなく、メディアの本来もっている合理的バイアスが極端な形で出てきたにすぎない。存在しない実験データを捏造したというのは、わかりやすいのでたたかれるが、もっと微妙な自殺や交通事故をめぐる誇張された報道は気づかれず、それをもとにして教育再生会議が子供の自殺についての「緊急提言」をしたり、酒気帯び運転だけで公務員が懲戒免職になったりする。

人々がすべての情報を片寄りなく認識することが不可能である以上、なんらかのバイアスは避けられない。問題はメディアがバイアスをもっていることではなく、情報が少数の媒体に独占され、十分多様なバイアスがないことである。だから必要なのは、政府が介入して監督することではなく、情報のチャンネルを多様化し、相互にチェックすることによってバイアスを中立化することだ。

要するに、市場メカニズムでは情報を効率的に配分できないのである。だからマスメディアのように関心を最大化する必要のないブログなどの非営利のメディアが、バイアスを中立化する上で重要な役割を果たしうる。2ちゃんねるにも「毒をもって毒を制する」効果はあるかもしれない。読むほうが情報を信用してないという点では、2ちゃんねらーのほうが納豆を買いに走った主婦よりもはるかにリテラシーが高い。

テレビに「期待」してはいけない

ところで問題の「女性国際戦犯法廷」だが、東京高裁も期待権を認める判決を出した。メディアでは、原告の要求を是認するような論調が多いが、この事件は最初からの経緯を知らないと本質を見誤る。

最大の間違いは、そもそもこの企画が通ったことである。NHKには「チャイナスクール」と呼ばれる中国べったりの一派があり、その代表である池田恵理子氏(私とは関係ない)が問題の番組の企画者だった。彼女はVAWW-NET JAPANの発起人で、「戦犯法廷」の運営委員だった(この事情は、形式的には彼女の部下が番組のプロデューサーになったことで隠蔽されている)。つまり主催者が実質的なプロデューサーなのだから、もともと中立な報道などできるはずがなかったのだ。

しかし教育テレビの提案会議は、ほとんど現場にまかせきりで、編成などがチェックするのはタイトルぐらいだから、この最初のボタンの掛け違えが気づかれなかった。教育テレビは「左翼の楽園」だし、だれも見ていないから、普通ならそのまま放送されて、あとで関係者が始末書を書かされるぐらいだったろう。ところが、この内容が事前に右翼にもれたことが第2の間違いだった。それがNHK予算審議の直前だったものだから、幹部があわてて政治家に「ご説明」に回ったことが問題をかえって大きくしてしまった。

そこで自民党の圧力を受け、番組を大幅に改竄して放送したことが第3の間違いだった。たしかに放送された番組はめちゃくちゃだが、「戦犯法廷」の中身は弁護人もつけずに昭和天皇を被告人として裁き、何の証拠もない「従軍慰安婦」を理由にして天皇に「有罪」を宣告するデマゴギーで、とてもNHKが番組を丸ごと費やして紹介するようなイベントではない。政治家に説明したりしないで、純然たる番組論として没にすべきだった。

もちろん取材された側としては、改竄しても没にしても「われわれが期待したものと違う」というだろう。しかし、それは編集権の問題だ。テレビの取材では、撮影したテープの90%以上は没にするのが普通である。没にされた相手がみんな「放送されることを期待していた」と訴訟を起こしたら、番組制作は成り立たない。

先日の「あるある」も今回のNHKの事件もそうだが、視聴者や取材相手にリテラシーがなく、テレビを信用しすぎていることが間違いのもとだ。誤解を恐れずにいえば、あるあるの実験なんて毎回ブログなどで笑いものになっていたネタである。健康にきくすごい食品が、毎週みつかって500回以上も続くわけがない。作る側も、被験者を「出演者」だと思って演技をつけていたのではないか(それがいいと言っているわけではありませんよ、念のため)。

テレビは(報道も含めて)本質的には娯楽であり、そこに出す情報を選ぶ基準は、おもしろいかどうかだ。NHKでも、番組の最大のほめ言葉は「おもしろかったね」であって、「勉強になったよ」というのは半分皮肉である。NHKを叩いた朝日新聞だって、「政治家が介入した」というストーリーにしたほうがおもしろいから、そういう話を捏造したのだろう。

今回の判決は、こういうリテラシーをもたない原告が過剰な「期待」の充足を裁判所に求め、それ以上にリテラシーのない裁判官が期待権などという変な権利を認めたもので、今後の報道への悪影響は大きい。もちろん捏造も改竄もよくないが、どこからが捏造(改竄)でどこまでが演出(修正)なのかという基準は必ずしも明らかではない。品質管理のハードルをあまりにも高く設定すると、今回のようにメディアが自分の首をしめる結果になる。少なくともメディアがメディアについて報道するときは、読者に過大な期待をもたせず、「自分だったらどうするだろうか」と胸に手を当ててみたほうがいいのではないか。


追記:小飼弾氏からTBがついている。テレビ番組はリテラシー最低の人を想定してつくらなければならないというのは、1/23にも書いたように私も同じ意見だが、それは法的責任ではない。放送法にも「業務停止命令」の規定はあるが、捏造ぐらいで発動するものではない。編集権はテレビ局にあるという原則は、理解してもらうしかない。たとえば政治家に取材したら、彼らの期待どおりの番組をつくらなければならないとしたら、報道は成り立たない。

NHKの捏造?

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・・・といっても「女性国際戦犯法廷」の話ではない。高木浩光さんが「日常化するNHKの捏造棒グラフ」という記事で怒っているのだ。NHKの棒グラフが、数値の下の部分を省略していることが「捏造」だという。

コメントしようと思ったが、彼のブログにはコメント欄がないので、「はてな」でブックマークに「Excelもグラフを描くときは最小値をx軸にするんですけど、MSも『捏造』してるの?」とコメントしたら、「↓ikedanobuo < そんな事実はない >」というお答えをいただいたので、実験してみた。

ちょっと見にくいが、クリックして拡大すればわかるように、ExcelでもPowerPointでも、1020~1050の値のグラフのx軸は1005になる。こんなことはグラフを描くときの常識で、NHKだけじゃなく、民放だってだれだってやっている。

そもそも「捏造」というのは、『大辞林』によれば「実際にはありもしない事柄を、事実であるかのようにつくり上げること」である。グラフをわかりやすく見せることを捏造と呼ぶのは捏造、いや誇張だ。

「格差是正法案」は格差を拡大する

通常国会が始まり、民主党の小沢代表は代表質問で、この国会を「格差是正国会」と位置づけた。自民党の「成長路線」に対抗して「格差是正緊急措置法案」を提出し、最低賃金の引き上げや正社員と非正規社員の同一労働・同一賃金を求めるのだという。まぁ民主党の提出する法案なんてどうせ通るはずもないので、どうでもいいといえばいいのだが、小沢氏が社民党みたいな温情主義を唱えるのは似合わないし、嘘っぽい。この対立が参院選まで続き、最大の政治的争点になりそうなのは憂鬱だ。

たしかに景気が回復しても生活が改善された実感がないことは事実だが、それは格差のせいではない。相対的な指標でみると、日本人は貧しくなっているのだ。日本の1人あたりGDPは、1993年には35,008ドルで世界第1位だったのが、2005年には35,650ドルで、OECD諸国30ヶ国中14位に転落した(国民経済計算確報)。この12年間で、所得はわずか600ドルあまりしか増えなかったことになる。

これは円が弱くなり、ユーロが強くなって欧州諸国に抜かれたことも一因だが、通貨価値も経済力の指標の一つだ。最近の1ドル=120円前後という為替レートは、購買力平価とほぼ見合う水準であり、円は過小評価されているわけではない。国内の数字で比較しても、1990年を基点として日本経済が年率2%(先進国の平均成長率)で成長を続けたと想定した場合のGDPと比べると、現実のGDPはその90%以下だ。格差以前に、所得が文字どおり50兆円以上も失われたのである。

民主党の主張するように、最低賃金の引き上げや同一労働・同一賃金の規制を行ったら、何が起こるだろうか。日本の最低賃金が国際的にみて低いことは事実だが、これを引き上げたら、非正規労働者の市場はきわめて競争的なので、企業はパートを減らして正社員に残業させるだろう。またパートの賃金を正社員と同一に規制したら(欧州で問題になっているように)非正規労働者の賃金は上がるが、彼らの失業率も上がるだろう。こういう「1段階論理の正義」は、かえって格差を拡大してしまうのである。

ただ問題なのは、最低賃金が生活保護よりも低いという状態だ。これはむしろ生活保護を改革し、勤労所得税額控除(EITC)のような労働のインセンティブをそがない制度を導入したほうがよい。いずれにせよ、労働問題を決まったパイをいかに平等にわけるかという問題ととらえるのは誤りだ。景気回復によって新卒がバブル期以来の人手不足になっているように、経済成長によってパイが大きくなれば、だれもが利益を得ることができるのである。

日本は「失われた15年」にゾンビを延命したことで、金融システムを改革するチャンスをつぶすとともに、労働市場を流動化するチャンスもつぶしてしまった。退職一時金や企業年金などでサラリーマンを囲い込む「日本的経営」が、企業収益を圧迫するとともに労働移動をさまたげ、正社員と非正規労働者の格差を拡大しているのだ。だからこういう制度の税制優遇をやめ、日本的経営を解体して労働生産性を高めることが究極の格差是正策である。「壊し屋」の小沢氏には、こっちのイメージのほうが似合っていると思うが、どうだろうか。

フィッシングにご注意

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間抜けなことに、フィッシングに引っかかってパスワードを盗まれてしまった。amazon@teamservice.comというアドレスから
This is your final warning about the safety of your Amazon account. If you do not update your billing informations your access on Amazon features will be restricted and the user deleted. This might be due to either following reasons:
というメールが来て、ちょっと変だなと思いつつ、そのURLをクリックすると、図のようにAmazon.comそっくりの画面が出てくる。ここでアドレスとパスワードを入れると、クレジットカードの番号を入力する画面が出てくる。さすがにここで不審に思ってURLを見ると、"http://www.cebessemans.be/..."となっている。これは危ないと思って入力するのをやめたら、すぐ本物のAmazonから
As a precaution, we've reset your Amazon.com password because you may
have been subject to a "phishing" scam.
というメールが届いた。幸いカード番号は盗まれなかったので、パスワードを変更するだけですんだが、メールもウェブサイトも、デザインは本物そっくりで、URLを見なかったらだまされるだろう。このメールはAmazonのユーザーに広く出されていると思われるので、ご注意を。

ケインズ反革命の終わり

ポール・クルーグマンのミルトン・フリードマンについてのエッセイがおもしろい。
フリードマンは、自由な市場の重要性を世に知らしめた点では、アダム・スミス以来の偉大な経済学者だ。しかし彼の学問的な著作はバランスがとれているのに、一般大衆や政治家に対しては「市場はすべて善で政府はすべて悪」という単純化された話をするようになり、それが電力自由化の失敗や中南米の極端な民営化政策による経済破綻などの不幸な結果をまねいた。

特に重要なのは、ケインズとの関係だ。ケインズは、市場にすべてゆだね、安定化政策は金融政策で行えという古典派の教義を否定し、金利がゼロに近づいた場合には金融政策はきかないと主張した。金利がゼロになると、それ以上金利を引き下げることもできないし、貨幣も債券も同じになるから、中央銀行が債券を買って通貨を供給しても効果がないのである。

フリードマンとシュワルツは、"A Monetary History of the United States"でこれを否定し、FRBが十分な通貨を供給しなかったことが結果的に大恐慌を深刻にしたことを実証した。ところがフリードマンは、一般向けの話では、FRBがデフレ政策をとったとか、さらには大恐慌を引き起こしたのはFRBだと主張するようになった。

しかし、このような極端な主張は誤りである。1990年代の日本では、日銀は民間需要をはるかに上回る通貨を供給したが、デフレを止めることはできなかった。金融政策の有効性という点では、フリードマンよりケインズのほうが正しかったのである。
なるほどおっしゃる通りだが、クルーグマン自身の過去の議論との整合性はどうなるのだろうか。彼は1998年の日本経済についてのエッセイで、日銀がインフレ目標を設定して通貨をジャブジャブに供給すればデフレを脱却できると主張した。実はこのエッセイでも、彼はゼロ金利のもとではマネタリーベースを増やしても何の効果もないことを認めているのだが、
もし中央銀行が、可能な限りの手を使ってインフレを実現すると信用できる形で約束できて、さらにインフレが起きてもそれを歓迎すると信用できる形で約束すれば、それは現在の金融政策を通じた直接的な手綱をまったく使わなくても、インフレ期待を増大させることができる。
と主張するのだ。う~ん、マネタリーベースを増やしてもインフレは起きないのに、日銀がインフレ目標を設定すればインフレが起きる? デフレ下では金融政策は無効であり、それを民間人が知っているのに、なぜ彼らは日銀の「約束」を信用するのだろうか。日銀が「金融政策を通じた直接的な手綱」以外のどういう政策手段をもっているのか。Mr.マリックでも雇って超能力を使うのだろうか。

このエッセイの訳者などの外野から「インフレ目標を設定しろ!」という大合唱が起きたにもかかわらず、日銀がそれを設定しなかった理由は、クルーグマンの理論がこういう「大きな弱点」を抱えていたからだ(植田和男『ゼロ金利との闘い』)。根本的な原因は自然利子率が負になっている(投資需要が極度に減退している)という異常な状態であり、デフレはその結果にすぎない。デフレを直すことによって不況を脱出しようというのは、体温計の目盛を変更して熱をさまそうというようなものだ。

要するに、短期の異常現象は短期的な変数だけでは必ずしも説明できないのである。なぜ投資需要が減退し、企業が貯蓄主体になってしまったのかは(定義によって)ケインズの枠組では説明できない。ケインズは投資需要の源泉をアニマル・スピリッツという冗談ですませてしまったが、いま日本で深刻なのは、まさにアニマル・スピリッツの低下である。

だからクルーグマンのいうように、フリードマン以降の「ケインズ反革命」を再検討する時期に来ていることは確かだが、それはケインズに戻ることを意味しない。両者がともに捨象した経済システムの生産性(TFP)を内生変数として分析し、それをいかに上げるかという問題を考えなければならないのである。

リンクの混乱

本来のHTTPでは、リンクをクリックすると同じウィンドウでリンク先のページを表示するが、このごろtarget属性を使って他のウィンドウを開くサイトが増えてきた。しかしサイトによって動作が違い、混乱している。たとえばライブドアは、すべてのリンクで別ウィンドウを開く。Googleはすべて同ウィンドウで開くが、Google Readerは別ウィンドウを開く。最悪なのはこのgooブログのように無原則なサイトで、本文のリンクは同ウィンドウに表示するのに、なぜかコメントのリンクは別ウィンドウを開く。

別ウィンドウを開くのは、普通のブラウザではわずらわしいが、タブブラウザではそのほうが見やすい(前のページに戻るのは面倒)。IEもタブをサポートするようになったので、別ウィンドウを基本にしたほうがいいと思うが、すべて別ウィンドウが開くのも見にくいから、「別のサイトに飛ぶときは別ウィンドウ」「同じサイトでは同ウィンドウ」と統一してはどうだろうか。

追記:TBで指摘されたが、W3CはXHTML1.1ではtarget属性を仕様から抹消したようだ。しかし、これはタブブラウザを想定していないだろう。

アル・ゴアにとって不都合な真実

"Skeptical Environmentalist"の著者であるBjorn Lomborgによる「不都合な真実」の映画評。はてな匿名ダイアリーに日本語訳がある(一部改訳)。
彼は南極の2%が劇的に温暖化している図を持ち出しますが、残りの98%がこの35年間で大幅に寒冷化していることは無視しています。国連気候パネルは、今世紀中に南極の雪の量が実際のところは増大していくだろうと予測しています。そしてゴアは北半球で海氷が減っていることを示しますが、一方で南半球で増えていることには言及しません。

同様に、2003年にヨーロッパで起きた破壊的な熱波から、地球温暖化により今後より多くの死者が生まれるだろうとゴアは結論づけます。しかし地球温暖化のおかげで、寒さで死ぬ人は減るでしょう。多くの発展途上国において、寒さで死ぬ人は暑さで死ぬ人よりもずっと多いのです。イギリスだけでも、気温が上がれば暑さによる死者は2050年までで2000人増えるでしょうが、寒さによる死者は20000人減るはずです。

実際のところ、本当に問題とすべきなのはお金を賢く使うことなのです。[・・・]発展途上国にとって切迫した問題には、私達に容易に解決できるものがあります。国連の見積りによると年間に750億ドル、京都議定書を実行する半分の費用で、清潔な飲料水、下水設備、基本的な医療、そして教育を、地球上の全ての人に供給することができるのです。最優先すべきなのは、こっちではないでしょうか?
Easterlyが正しいとすれば、750億ドルで途上国の問題が解決すると考えるのは楽観的すぎると思うが、京都議定書がバカげているのは間違いない。

追記:意外に大きな反響があったので、コメントで少し情報を補足した。この問題についてのバランスのとれた論評としては、Economist誌のサーベイが最近の新しい数字(いわゆるスターン報告)を踏まえて政策を検討している。その結論は「温暖化のリスクは存在するが、それを防ぐためのコストも大きいので、数値目標を立ててCO2削減を急ぐよりも漸進的に対策を進めたほうがよい」ということで、私も同感である。

経済停滞の原因と制度

6e008b37.jpg世の中では構造改革派とリフレ派の論争は決着がついた(後者が勝った)と思われているらしいが、それはマスコミの中だけの話。構造改革を否定して騒いでいたのは、マクロ経済学が専門でもない経済学評論家翻訳家だけで、彼らの使っていたのは「流動性の罠」などの半世紀以上前の分析用具だ。

90年代の日本経済について、企業データまで調べた厳密な実証分析が出てきたのは、ここ1、2年のことである。去年秋の日本経済学会のシンポジウムでは、そうした研究を踏まえて「失われた10年」をめぐる議論が行われたが、「長期不況の主要な原因はデフレギャップではなくTFP(全要素生産性)成長率の低下であり、それをもたらしたのは追い貸しによる非効率な資金供給だ」ということでおおむね意見が一致した。

本書は、こうした実証研究の先駆となった編者が、専門家の研究を集めた3巻シリーズの論文集の第1巻である。どの論文も非常に専門的なので一般向けではないが、長期不況についての研究のフロンティアを示している。編者は序文で、長期不況の原因は次の3つにあるとする:
  • 生産性(TFP)の成長率の低下
  • 金融仲介機能の低下による投資の不振
  • 公共投資の非効率性
15年もの長期にわたる不況は、短期のケインズモデルでは分析できない。中年世代は、マクロ経済学というとIS-LMを思い出すかもしれないが、今の大学院の教科書にはIS-LMは出てこない。学部の教科書でも、まず長期の成長理論を教え、その均衡状態からの短期的な乖離として景気循環を教えるのが今は普通だ。

政策の優先順位も、本来はこの順序だ。長期的な成長率を最大化することが最優先の問題で、短期的な安定化政策はそれと整合的な範囲で行わなければならない。財政のバラマキや金融の超緩和で今年のGDPが1%上がっても、それによって生産性が低下して向こう10年のGDPが10%下がるようでは、こうした安定化政策の効果はマイナスになる。90年代に起こったのは、まさにそういう近視眼的マクロ政策の失敗だった。現在のGDPは、1990年を基点として2%成長が続いた場合に比べて10%も低いのである。

経済財政諮問会議がまとめた「日本経済の進路と戦略」が「生産性倍増計画」を掲げ、「イノベーション」を強調しているのは、こうした問題意識によるものだろう。しかしマクロ政策と違って、生産性の向上について政府ができることは少ない。資本主義の本質は、非効率な企業を淘汰することによって生産性を高めるダーウィン的メカニズムである。それをマクロ政策で歪めた結果、企業の新陳代謝が阻害され、TFP成長率が低下したのだ。

だから今後の政策で重要なのは、資本主義のメカニズムを機能させることだが、それはマクロ政策のようにだれもが喜ぶとは限らない。生産性を高めるには、効率の低い部門から高い部門へ資本と労働を移動するしかなく、そのためには財界のいやがる資本自由化と労組のいやがる労働市場の規制撤廃を徹底的に進めることが不可欠である。腰砕けの目立つ安倍政権に、それができるだろうか。

アルファブロガーを探せ

当ブログが、「アルファブロガーを探せ 2006」で第29位になった。

今年は投票というより、ブックマーク数や被リンク数などを総合した指数のランキングである。ニュースサイトなどは省かれているので、これは純然たる個人ブログのランキングだが、上位にも雑報や身辺雑記が多く、プロフェッショナルな情報を提供するものが少ない。このリストの中で私がGoogle Readerで毎回読んでいるのは、第4位第36位だけだ。






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