2004年09月

プロスペクト理論

カーネマンの「プロスペクト理論」という名前には大した意味がなく、論文を投稿するときそれらしい名前があったほうがいいだろうということでつけた名前のようですが、つけるならレトロスペクト(回顧)理論のほうがよかったのではないでしょうか。今までの期待効用理論が前向きのプロスペクト(見通し)だけを考えるのに対して、現実の人間は過去を振り返って出発点との差分で考えるというのが彼らの理論だからです。

これは自明のように見えますが、そうでもありません。今でも経済学の主流はベルヌイ以来の期待効用最大化理論であり、プロスペクト理論は普通の教科書には出ていない。それは効用関数や需要関数などの経済学の基礎概念と矛盾し、それを認めると価格理論が成り立たなくなるからです。

たとえば「市場均衡がパレート効率性を実現する」という厚生経済学の基本定理は、人々の効用が消費の絶対水準だけに依存していると仮定していますが、これが否定されると市場の効率性という経済学の看板が失われます。現状からの変化で幸福が決まるとすると、市場のように現状を激しく動かすシステムより、なるべく現状を維持するシステムが望ましいのかもしれない。

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上の図は有名なプロスペクト理論の価値関数ですが、こういう構造は偶然できたものとは考えられません。人間の知覚は、100万年以上にわたって他の動物や人間どうしの闘いに適応してきたので、止まっているものを無視して動いているものに注目するようにできています。いわば感覚が微分的にできているのです。微分係数は絶対値と無関係です。たとえば次のような関数を考えましょう。

 f(x)=x2

ここでf'(x)=2xですが、これはxの値に依存しません。もちろんxの値が大きくなると絶対値は大きくなりますが、

 g(x)=x2+1000000

であってもg'(x)=f'(x)です。つまり微分係数の大きさは、変化の初期値(y軸の切片)には依存しないので、問題は変化率だけで絶対値ではありません。こういうバイアスは広く見られ、たとえばタバコで毎年13万人が死んでいるのに関心をもたず、原発事故で1人死ぬかどうかで大論争しています。

これは人間の知覚に深く根ざしたバイアスで、システム2で補正しないと全体が見えなくなります。中井久夫『分裂病と人類』によれば、分裂病(統合失調症)の特徴は、感覚が極度に微分的になって変化だけに注目することだそうです。

こういう微分性に最初に気づいたのは、19世紀の限界効用学派だったのですが、彼らは「限界効用=価格」という間違った理論を構築してしまいました。価格はゼロベースですが、限界効用は既定値がベースなので、この方程式は間違っているのです。この話は厳密にすると厄介で、プロスペクト理論をベースにした価格理論も構築されていますが、非常に難解で、市場均衡についてはほとんど何もいえなくなります。

情報家電

24日に電波有効利用政策研究会のWGが開かれ、免許不要局については無線LANなどの「帯域を占有しない無線機」からは取らないという方向になったそうだ。私のパブリック・コメントと似た考え方である。

しかし今度は、5GHz帯に「情報家電専用の帯域」を設けるという話が本格化してきた。「情報家電」の実態はよくわからないが、ブルートゥースに似た日本独自規格らしい。総務省は「情報家電に帯域を割り当てるのは世界初だ」と自慢しているらしいが、米国では5GHz帯で800MHz以上を完全自由に(免許不要で)開放するというのに、日本が本当にこんな割り当てをしたら、世界の笑いものである。

啓蒙専制君主

総務省は、1.7GHz帯で30MHzを第3世代携帯電話(3G)に割り当てる方針だという。ソフトバンクの行政訴訟を避けるために、「800MHz以外にも空きはありますよ」といいたいのだろう。

しかし、そのやり方は依然として書類審査による「美人投票」である。電波有効利用政策研究会が「オークションはやらない」という結論を出してしまったからだ。これまで日本で美人投票が機能してきたのは、申請してもどうせ電話会社しか認められないという暗黙の合意があったためだが、プロ野球をみていると、そういう合意は崩れはじめている。ソフトバンク以外に多くのベンチャー企業や外資が申請してきたら、どうするのか。

80年代の米国でも、「金のなる木」である電波を求めて多くの会社が殺到したため、くじ引きでやったら逆に何万社も申請して大混乱になり、結局オークションになった。欧州でもオークションが原則であり、北欧やフランスは美人投票で3Gの周波数を割り当てたが、結果的には新規参入が阻害され、参入した業者も免許を返上したりして、失敗というのが一般の評価だ。

今年2月、ジュネーブで行われたITUの専門家会合でも、「第2市場」を創設して財産権でやるか、免許不要の「コモンズ」でやるかの論争が繰り広げられているところに、日本の総務省だけが「市場活用型美人投票」を提案して、みんな唖然としていた。

誤解のないようにいうと、今の電波部のスタッフは、竹田部長をはじめとして良心的であり、新たな帯域の開放に努力している。しかし、これは絶対主義の時代に「啓蒙専制君主」が善意でお抱えの商人に貿易の免許状を与えたようなものだ。問題は、そもそも貿易に政府の免許が必要なのかということなのである。

シティバンク

わが家にも在日支店長からおわびの手紙が来た。

しかし、この手紙を読んでも、何が起こったのかさっぱりわからない。新聞などの報道も、みんな匿名で、刑事事件になったようにもみえない。リスクを十分開示しないで多額の仕組み債を売ったとか、仕手筋に資金を提供したとか、マネーロンダリングに協力したとか、断片的な話はいろいろあるが、これは問題の丸の内支店長の個人的な犯罪という印象も強い。世界最大のプライベート・バンクを日本から撤退させるようなことなのか。

私は、かつてこの種のプライベート・バンクの世界最大の集積地、ケイマン諸島で取材したことがある。小さな島に一流銀行の巨大な支店が林立する異様な風景は、なかなか絵になった。たしかに犯罪と結びついている部分もあるが、それが現地では合法的であることも事実なのだ。あるプライベート・バンカーは「税はコストのひとつにすぎない。それを法の許す限りで最小化することは企業や資産家の当然の行動だ」といっていた。インターネット時代は、主権国家と資本主義の闘いの時代になるのだろう。

Copenhagen consensus

「コペンハーゲン解釈」といえば、1927年にコペンハーゲンで開かれた国際会議で確立された量子力学についての標準的な解釈だが、今年の5月、世界でもっとも緊急性の高い問題を評価する国際会議がコペンハーゲンで開かれた。

これは500億ドルの予算があるとしたら、世界のどういう問題にいくら予算を配分するかをヴァーノン・スミスやロバート・フォーゲルなど8人の著名な経済学者に評価させたものだ。その結果、もっとも重要な問題だとされ、270億ドルが配分されたのはHIVで、最低ランクだったのは地球温暖化だった。京都議定書のコストは、その便益をはるかに上回ると評価された。

この評価は、ほぼ世界の経済学者のコンセンサスだといってよい。宇沢弘文氏などの「原理主義的エコロジスト」によれば、地球温暖化のリスクを低く評価する経済学者は、すべて米国政府に魂を売っていることになるようだが、環境問題というのは衣食足りると気になる贅沢品にすぎないのである。

ベキ分布

ブラック=ショールズ式は金融工学の基本定理として有名だが、これでノーベル賞を受賞したショールズとマートンの運営したLTCMというヘッジファンドは破産した。これは当時、経済学がだめな証拠といわれ、ノーベル賞を取り消すべきだなどという議論もあったが、実際の破綻の原因は、理論を無視してロシアの国債を大量に買うなどの単純な投機の失敗だった。

・・・というのが定説だが、高安秀樹『経済物理学の発見』(光文社新書)によれば、やはりブラック=ショールズ式はまちがっているのだという。それが非常にエレガントなのは、価格の変動が正規分布に従うと仮定しているからだが、外国為替市場などのデータは、横軸に変動の大きさ、縦軸にその頻度をとると、左端にピークがあり、右側の裾野が広い「ベキ分布」になる。つまり、極端に高い価格や低い価格のつく「不均衡状態」が起こりやすいのである。

価格が正規分布になるのは、それが完全にランダムなブラウン運動になる場合だが、為替ディーラーの行動は、ランダムどころか、互いに他のディーラーをみながら行動するので相関が強く、特定の方向にひっぱられる「カオス的」な動きを示すことが多い。その結果、極端に大きな変動が5%ぐらいあるが、ブラック=ショールズ式で近似できるのは残りの95%の小さな変動だけなのである。

Regulatory capture

日歯連のスキャンダルは、実は政策のゆがみの典型ではない。こういうふうに現金が渡る事件は摘発しやすいので目立つが、大部分の問題はこんなわかりやすい形では起きない。

もっとも多いのは、業者が規制当局に入り込んで影響を及ぼすケースだ。金融行政で問題になった「MOF担」がその典型だが、業者が官僚や政治家に情報を提供する代わりに政策を自分に有利な方向に誘導する現象は、世界共通にみられる。政治家もキャリア官僚も「ジェネラリスト」で、個別の業界事情はよく知らないから、具体的な法案を作る作業は、業界団体やロビイストの助けを借りないとできないのが実態なのだ。

金融やITなど、高度な専門知識を必要とする業界ほど、こうした"regulatory capture"は重症になる。かつては銀行行政に関する法案は、興銀の総合企画部が起草したといわれるほど「丸投げ」だった。興銀からは同期のトップが大蔵省(当時)に「天上がり」し、官民一体で政策が作られた。私の大学時代の同期で大蔵省に入省した女性キャリアは、天上がりした興銀マンと結婚した。

「ITゼネコン」が「ご当局」に影響を及ぼす方法も同じだ。あるITゼネコンの幹部は「キャリアのみなさんは2年ぐらいで部署が変わるので、われわれがご進講せざるをえない」といっていた。こういうバイアスのかかった情報提供(soft money)は、現金よりもはるかに有害で、駆除しにくい。抜本的な解決策は、政府が経済活動に関与する領域を減らすしかないのである。

日歯連

捜査は結局、会計担当者を起訴しただけで幕引きになるようだが、この事件の本質は、橋本龍太郎氏に渡った1億円よりも佐藤勉代議士のルートにある。国民政治協会を通じて迂回献金を行うしくみは、大規模かつ組織的に行われているといわれ、今回の事件はそれを摘発する絶好の機会だったのに、検察は結局、見送った。

この種の「特殊権益」の原因は、政治家のモラルの問題ではなく、民主制の構造的な欠陥にある。たとえば歯医者の初診料というのは、ほとんどの人には何の関心もない問題だが、歯医者にとってはきわめて重要であり、彼らは詳細な情報をもっている。したがって日歯連がこれを引き上げるために政治家を使うインセンティヴは強く、その利益も大きい。これに対して、引き上げを阻止することによる消費者の利益は、集計するとはるかに大きいが、個人にとっては小さい。その結果、消費者の無関心(情報の非対称性)を利用してロビイングを行うモラル・ハザードが生じるのである。

これはゲーム理論でよく知られる「囚人のジレンマ」の一種で、一般的な解決策はない。根本的な問題は、議会制民主制の基礎にある投票というシステムの欠陥にあるからだ。ひとつの対策は、インターネット投票などによって投票コストと利益の乖離を縮めることだが、その差は原理的にゼロにはならない。政治資金規正法などによって規制する方法には、処罰される側が立法するというもっと明らかな限界がある。

地方分権によって地方政府どうしの競争原理を導入するというのもひとつの方法だが、これは逆効果になる可能性もある。ひもつき補助金をやめて自主財源にすると、みんな「箱物」やバラマキ福祉に化けてしまうというのが、これまでの経験である。特殊権益の構造そのものは地方政府でも変わらないので、行政官の質が落ちると、モラル・ハザードは大きくなるかもしれない。

現実的な対策は、ロビイストたちの利益の源泉になっている情報の非対称性を減らすことだろう。たとえば、歯科診療報酬が政治によっていかに歪められているかという情報がメディアやインターネットで明らかにされれば、消費者がそれを基準にして投票行動を変え、特殊権益に奉仕することが割に合わなくなるかもしれない。

こうしたモラル・ハザードが最大になっているのは、電波である。数兆円の価値のある電波が浪費されているのに、消費者は気づかず、それを知っているメディアが問題を隠しているためだ。ここでも、対策はインターネットによって情報に競争原理を導入するしかない。

野中広務

私は2年前、野中広務氏から内容証明付の手紙をもらったことがある。デジタル放送についての私の論文(ウェブでは野中氏の名前は削除してある)が彼の「名誉を著しく毀損」したので、「法的手段に訴えることもありうる」というものだった。

手紙にハンコをもらいに来た秘書は「これって、あの有名な野中さんですか?すご~い。がんばってくださいね」と励ましてくれたが、研究所と経産省はパニックになった。理事長に呼び出され、顧問弁護士と打ち合わせをし、東洋経済とも協議して丁重に返事を出し、結果的にはそれで終わったが、このときは野中氏(当時は橋本派の事務総長)の力の大きさを痛感した。

しかし私は、ある意味で野中氏を尊敬している。私も彼と同じ京都の出身だから、被差別部落に生まれるというハンディキャップがいかに大きなものであるかはよく知っている。それを乗り越えて自民党の最高権力者になるには、単なる権謀術数だけではなく、人並みはずれた能力と努力があったはずだ。魚住昭『野中広務 差別と権力』は、そうした彼の実像を当事者への取材によって克明に描いている。

私が野中氏の政治手腕に敬服したのは、2000年の接続料交渉のときだ。USTRのわけのわからない値下げ要求に対して、郵政省もNTTも値下げ幅を数%値切る交渉に全力を費やしていたが、3月末のデッドラインを超して沖縄サミットが近づいても、交渉は決着しなかった。ところが野中氏は、サミットの直前になってホワイトハウスと話をつけ、米国の要求をほぼ丸呑みする代わりにNTTへの規制を緩和する「政治決着」を実現したのである(これがのちの宮津社長のドタバタの遠因となる)。

このように日本の政治家にはまれにみる大局観をもつ野中氏も、小泉内閣への対応は誤った。小泉氏の緊縮財政の背後には、財政破綻を恐れる財務省の力があり、「弱者」を守ろうとする野中氏は、それに真正面から「抵抗」して敗れたのである。しかし自民党の集票基盤だった農協や特定郵便局は、現在では弱者を守るシステムではなく、弱者を食い物にする連中の既得権にすぎない。それを丸ごと守ることは、弱者にとって意味がないばかりでなく、自民党にとっても大した役には立たないのである。

ネオコンの死?

Economist誌によれば、ネオコンは死んだようにみえるが、その共和党右派への影響力は残っているという。

ネオコンの源流は、トロツキストや民主党左派にあり、彼らのめざすのは「大きな政府」である点で、共和党の本流とは違う。そのイデオロギーの特徴は、「保守主義」というよりは「価値絶対主義」である。自由主義や民主主義といった米国憲法の原則は絶対的な真理であり、米軍がイラクを征服すれば、彼らは日本人のようにそれを歓喜して迎えるだろう――という彼らの自民族中心主義は、ポストモダン的な懐疑主義へのアンチテーゼなのだ。

ネオコンの教科書ともいえるケーガンの本の原題は"On Paradise and Power"で、欧州のポストモダンが冷戦後の世界を「平和の楽園」とみるのに対して、現実は逆に民族対立やテロリズムなど「力」(権力・武力)の重要性の増す時代だという。こうした混沌とした世界では、ポストモダンのようなニヒリズムは有害であり、絶対的な「自然権」にもとづく倫理が必要だ、というのが彼らの教祖レオ・シュトラウスの主張である。

疑いえない「自然な」規範が存在するのかどうかは、法哲学の永遠の争点だが、従来は「分配の正義」を主張するのが民主党で、そういう規範の存在を否定するのが共和党という色分けだった。この意味でもネオコンは突然変異であり、ブッシュ政権の主流であるキリスト教右派と似ている。現代の米国でこうした「反動思想」が勢いを得ている原因は、ブッシュ政権だけの問題ではないし、マイケル・ムーアのような下部構造決定論でも説明がつかない。

米国憲法は、ハンナ・アーレントもいうように、独立した市民が自由や平等などの抽象的な原理によって公共空間を構築できるかどうかという実験だった。しかし、その実験は200年余りをへた今、失敗したようにみえる。人々が豊かになり、飢えや生活苦から解放されるにつれて、逆に精神的な不安は強まる。米国民の9割が神を信じている(その比率は上がっている)という事実は、人間は絶対的な自由=孤独には耐えられないという平凡な真理をあらためて示している。ネオコンの背後にあるのは、こうした価値の崩壊への不安なのである。
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