戦後政治の「1940年体制」

占領と改革―シリーズ日本近現代史〈7〉 (岩波新書)
戦後の日本経済の原型になったのが、国家総動員法による「1940年体制」だったという野口悠紀雄氏の説はよく知られているが、政治にも1940年体制があった。その中枢は国家社会主義の「革新官僚」だった。東條内閣では、経済を統制下に置こうとする革新官僚と、財閥系の「自由主義者」が闘っていた。

1942年の翼賛選挙でも、466議席のうち85議席は大政翼賛会非推薦で、その中には鳩山一郎や河野一郎もいたが、彼らが平和主義者だったわけではない。彼らは財閥の支援を受け、東條内閣の中枢だった革新官僚に反対したのだ。彼らも敗戦は時間の問題だと知っていたので、敗戦で革新官僚が政権を掌握することを恐れて東條内閣を倒そうとした。

鳩山や岸信介の「反東條」の運動によって東條内閣は1944年7月に倒れ、終戦は早まった。戦争の責任は東條がすべて負ったが、GHQはそれを倒した鳩山らも公職追放してしまった。このため権力の空白ができ、傍流の吉田茂が首相になったので戦後処理が混乱し、アメリカの占領統治を延長する日米同盟ができてしまった。

だが官僚機構は内務省を除いて、無傷で残った。戦後改革の中枢は大蔵省で、占領軍の経済政策は彼らが立案したものだった。財閥解体や農地改革は、戦時中に革新官僚が計画した。健康保険や厚生年金も、戦争に国民を動員する制度だった。本書はそれを「協同主義」として肯定するトンデモ本だが、戦後改革が総力戦体制から始まったことは間違いない。

続きは5月21日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

UHF帯を5Gに開放すれば日本はトップになれる

次世代の無線「5G」についての話題がいろいろ出ているが、今ひとつ盛り上がらない。その原因は、用途がIoTなどの業務用無線に限られ、携帯電話などの公衆無線とはあまり関係ないからだ。割り当てられる予定の3.7GHz帯や4.5GHz帯は、今はマイクロ波の固定無線に割り当てられている。直進性が高く減衰が大きいので、ビームを絞らないと届かないのだ。

それをカバーする技術も開発されているが、電波の物理特性は半導体技術でカバーできない。今の高い周波数では、基本的に固定無線やホットスポットのような用途と考えたほうがいい。それはそれでマーケットがあるが、公衆無線よりはるかに小さい。ビームを絞って正確に当てる必要があるので、自動運転のような移動端末に使うのは適していない。

だがアメリカやEUでは、今の携帯端末と同じUHF帯に5Gを導入する計画が始まっている。たとえばTモバイルは、来年にも600MHz帯で5Gを導入する。EUも700MHz帯の割り当てを行う予定だ。そして日本では、UHF帯は大幅に余っている。テレビ局の使っていないホワイトスペースの200MHzを区画整理すれば、5Gで日本は世界のトップランナーになれる可能性もある。

続きは5月14日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

ポピュリズムの生んだ「天皇シンボル」

戦前日本のポピュリズム - 日米戦争への道 (中公新書)
明治憲法は天皇大権だったが、民衆には天皇の権威はそれほど浸透しなかった。日露戦争後の日比谷焼き打ち事件は最初の民衆暴動だったが、天皇を崇拝する意識はあまりなかった。民衆の不満を集約するシンボルがなかったので、反政府運動は散発的な暴動に終わった。

天皇の権威が強まったのは、普通選挙の始まった昭和初期である。帝国議会はスキャンダルと政争に明け暮れ、腐敗した政党を超える権威として、民衆にもわかる天皇がシンボルとして利用されるようになった。教育勅語や御真影など、天皇を「現人神」として崇拝する教育が強化された。

軍部が「統帥権の干犯」を問題にしたのは、1930年のロンドン海軍軍縮条約のときだ。このときまで新聞は軍縮派だったが、1931年の満州事変で新聞は主戦派に「大旋回」した。右翼はそれまで通説だった天皇機関説を槍玉に上げ、天皇親政を掲げる青年将校のクーデタが頻発した。このような政党政治の自壊が生んだのが大政翼賛会だった。「政党政治が足りなくて大政翼賛会に行き着いたのではない。行き過ぎてそれを招来したのだ」。(本書p.285)

天皇から「天皇シンボル」へ

このようなシンボルの重要性に早くから気づいていたのが北一輝だった。彼は怪写真が流布された「朴烈事件」の首謀者として検挙され、「統帥権干犯」という言葉も彼が発案したといわれる。そして彼は二・二六事件で死刑になった。

北は共和主義者で、社会主義革命を起こして彼が独裁者になろうとしたのだが、天皇を「玉」として利用して青年将校の支持を得た。二・二六事件そのものは無謀なクーデタだったが、それが「皇道派」によって国民の広範な支持のもとに行われたことは重要だ。それは明治憲法の名目的な天皇とは違う「天皇シンボル」の利用価値が高まったことを示している。

大衆のエネルギーは、それを集中するシンボルがないと大きな運動にはならない。明治期には散発的な暴動に終わった大衆のエネルギーが、昭和期には天皇シンボルに集約され、軍部のクーデタや右翼のテロが起こった。それを治安維持法で弾圧する政府も「国体」を利用したので、天皇が政党を超えたシンボルになった。

昭和日本の大衆のエネルギーの爆発は、天皇大権の明治憲法によって生まれたのではなく、明治憲法を超える天皇シンボルによって可能になったのだ。その点では、天皇を「象徴」と規定した新憲法は、実質的には明治憲法とあまり変わらない。違うのは、それを利用する軍事的な主権がないことだ。この点では、戦後の天皇は、よくも悪くも戦前よりはるかに安全である。

研究成果をいかにマネタイズするか



科研費の問題はまだいろいろリアクションが来るが、私は科研費そのものは必要だと思う。たとえば素粒子論で巨大な実験設備が必要な研究を、大学の経費でやることはできない。その成果を収益化することもできないし、する必要もない。知識の外部性は大きいので、研究の価値を研究者に還元するのはむずかしい。ざっくりいうと、その方法は次の4つある。
  1. スポンサーに金を出してもらう
  2. 知識を独占して「知的財産」として販売する
  3. 学生に学歴を与えて「授業料」として料金をとる
  4. 政府が裁量的補助金を出す
続きはアゴラで。

「研究を通じた教育」というトリック

フンボルト理念の終焉?―現代大学の新次元
「文系に科研費はいらない」という私のツイートに大きな反響があるが、大学は教授の生活を学生が支える集金装置なので、文系の教授はサラリーで十分生活できるはずだ。科研費は実験器具などを使う「科学研究」に限るべきだが、研究支援のシステムは必要だ。むしろ研究費を「大学教育」という無意味なサービスの対価として徴収する大学制度に問題がある。

今のような大学ができたのはそれほど古い話ではなく、中世のユニバーシティとは無関係だ。19世紀ドイツでフンボルトやフィヒテなどがつくったベルリン大学は、研究者の養成機関だった。教授は「実験室」(ラボラトリ)単位で数十人の学生を集め、彼らを使って研究をおこなった。その経費は、授業料という形で学生の親から徴収した。

つまりドイツの大学は研究を通じた教育と称して、研究費を授業料でまかなうトリックだったのだ。専門的な教育は一般の労働者には役に立たなかったが、エリートを養成する制度としてはよくできていた。他の国のカレッジは教養科目だけだったので、優秀な研究者はドイツに集まり、特に物理学では20世紀初頭までの主要な業績をドイツが独占した。しかしそれは第1次大戦後に凋落し、大学の中心はアメリカに移った。それはなぜだろうか。

続きは5月14日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

文系に「科研費」は必要か

山口二郎氏のグループが4年間で4.5億円の科研費を取ったという話がネットで騒がれているが、「国賊に国が金を出すな」というのは筋が悪い。手続き的な違法性のない話を騒ぐのは、加計学園と同じだ。私は山口氏の研究に社会的な価値はないと思うが、そういう価値判断で科研費の可否を問うことはできない。

科研費は個人に出たわけではなく山口氏のグループに出たのであり、日本政治学会長だった彼の役得だろう。4.5億円というのも、グループとしては突出して多いわけではない。政治学なんて業績の客観的評価はできないから、学界のボスに科研費が集まるのはしょうがない。それより根本的な問題は、文系に「科学研究」の補助が必要かということだ。

私もその恩恵にあずかった経験があるが、はっきりいって文系に科研費なんか必要ない。しいていえば国際会議と海外出張には経費がかかるが、あとは大学の経費でできる。最近は科研費がポスドクの雇用対策になっているようだが、いずれにしても人件費なので、理系のようにハードウェアに実費がかかる「科学研究」とは性格が違う。

続きは5月14日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

劣化した国会を正常化する二つの方法

野党は「18連休」を終えて、やっと衆議院本会議に出てきた。麻生財務相の辞任を条件にして審議拒否を続けていたが、世論の批判を浴びて復帰せざるをえなくなった。1年半近くスキャンダルばかり追及して政策論争のない国会は、55年体制より劣化している。

こうなった原因は(よくも悪くも)国対政治が機能しなくなったことだ。昔から審議拒否はあったが、与党が野党に「国会対策費」を渡して3日目には出てくるといった取引ができた。しかし今のように与野党の勢力に差がつくと「妥協するな」という自民党内の声が強くなる。今回のように単独で審議再開すればいいのだ。

続きはアゴラで。

炭素税で「脱炭素交付金」を

政府のエネルギー基本計画はこの夏にも決まるが、その骨子案が出た。基本的には現在の基本計画を踏襲しているが、その中身はエネルギー情勢懇談会の提言にそったものだ。ここでは脱炭素社会が目標として打ち出され、再生可能エネルギーが主力電源と位置づけられている。

だが全国で環境問題が多発していることで明らかなように、再エネの立地に適した場所はすでに設置が終わり、今後は投資が逓減してゆくだろう。パリ協定で約束した「2030年にCO2排出量の26%削減」という目標は、原発が動かない限り不可能だ。

続きはアゴラで。

総力戦なき総力戦体制

近代日本一五〇年――科学技術総力戦体制の破綻 (岩波新書)
明治150年を何と総括するかについてはいろんな考え方があるが、著者は「総力戦体制」と呼ぶ。これは私も賛成だ。明治政府の目的は帝国主義戦争に生き残ることであり、そのために経済を成長させる「富国強兵」だった。それは経済力が勝敗をわけた第一次世界大戦で決定的になり、戦後も「1940年体制」として続いた。高度成長を支えたのは、通産省を中心とする「総力戦なき総力戦体制」だった。

賛成できるのは、そこまでだ。あとは岩波でお約束の絶対平和主義と反資本主義の宣伝が繰り返され、国家権力に協力した科学者を告発し、最後は反原発のアジテーションで終わる。では原子力がなかったら、著者も警告する地球温暖化の脅威はどうするのか。その答は彼もいうように「成長をあきらめる」ことしかない。先の長くない後期高齢者はそれでもいいだろうが、子孫は今より貧しくなってもいいというのか。それこそ老人のエゴイズムだろう。

続きは5月7日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

「半主権国家」で何が困るのか

かつての西ドイツを半主権国家(semisovereign state)と呼ぶことがある。これはKatzensteinの使った言葉らしいが、政治学では普通名詞として使われるので「軍事的主権を欠いた国家」と理解すると、日本も半主権国家である。終戦直後に米軍が駐留し、占領が終わってもなし崩しに米軍基地が残り、その指揮権もアメリカ政府にあるという歴史も日独で共通だ。

ただドイツの違いは、正式に再軍備したことだ。西ドイツは1955年にNATOに加盟するときドイツ連邦軍を創設し、1956年に基本法を改正して軍備を認めた。社民党(SPD)も当初は日本の社会党左派と似た絶対平和主義だったが、ベルリン封鎖などの危機が迫る中で、与野党が一致して基本法を改正した。

これに対して日本では、吉田茂がアメリカの再軍備要求を拒否した。これには保守勢力だけでなく社会党右派からも批判があったが、知識人のとなえた「全面講和」の絶対平和主義が論壇の主流となり、憲法改正はできなかった。このとき知識人が(ほんらい無関係な)非同盟と非武装を誤ってバンドルしたことが、今に至る不毛な憲法論争の始まりだ。

1950年代には不平等な安保条約や行政協定を改正する必要があったが、安保条約はその後改正され、今は解釈改憲で再軍備した。明文で禁止されているのは核武装ぐらいだ。「自主憲法」がほしいという人々の気持ちはわかるが、フルスペックの国家主権がないと具体的に何が困るのだろうか。

続きは5月7日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。




title


連絡先(取材・講演など)

記事検索
月別アーカイブ
QRコード
QRコード
Creative Commons