人類は「共同主観的」な文化で生き残った

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福
原著は全世界で200万部も売れたベストセラー。中身は通説のおさらいだが、従来の常識と違うのは、人類を猿から区別するのは言語ではないということだ。食物や危険を伝える記号は、猿ばかりでなくミツバチやアリも持っている。人間の特徴は、トマセロも指摘するように、意図を共有して協力することだ。

類人猿は他の個体の指示する記号に従うことはできるが、共同作業ができない。社会性昆虫は共同作業はできるが、遺伝的に固定された記号しか使えない。それに対して人類は大きな脳で複雑な文を構成し、共同主観的(intersubjective)な神話を共有する文化によって新しい環境に適応できたのだ。

人類のもう一つの特徴は、外界を物体と見ることだ。昆虫の外界に対する感覚は、光や熱やにおいが連続的に分布しているが、人類は解像度の高いレンズで周囲の環境を「不連続な物体の集まり」として知覚する。廣松渉の言葉でいうと、世界を物象化して見ることで共同作業が可能になったのだ。フッサール以降の哲学者が観念的に語ってきた問題を、人類学が実証しつつある。

続きは4月3日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

原子炉級プルトニウムでつくれる「自爆核兵器」



東芝の経営危機は核拡散の問題とつながっている可能性がある。これに対して「原子炉級プルトニウムで核兵器はできない」という意見があるが、核弾頭が発熱で崩壊するとしても、少なくとも3日は使えるようだ。それならこの映画のようにプルトニウムを盗んで、自分で組み立てて起爆する自爆核兵器として使うことはできる。

技術進歩は「戦力は経済力に比例する」という総力戦の常識を変えた。核兵器はローコストなので、北朝鮮のような最貧国でも保有できる。「イスラム国」のようなテロリストが保有する時代も遠くないだろう。このようなリスクが冷戦時代より大きくなったのは、彼らが従来の核保有国のように合理的に思考するとは限らないからだ。続きを読む

東芝危機と安全保障



きのうの言論アリーナで、諸葛さんと宇佐美さんが期せずして一致したのは、東芝問題の裏には安全保障の問題があるということだ。中国はウェスティングハウス(WH)のライセンス供与を受けてAP-1000を数十基建設する予定だが、これは2010年に東芝の佐々木則夫社長(当時)が中国に売り込んだものらしい。

続きはアゴラで。

「劇場型政治」が政党政治を終わらせた

Park_Yeol_and_Fumiko_Kaneko国会はまだまだ森友騒動が続く。違法行為の証拠もないのに国有地の払い下げに首相が関与しているかのような印象操作が続けられ、学校法人への寄付まで問題にされ、絵になる話題が先行する劇場型政治だ。

こういう傾向は、今に始まったことではない。1926年に起こった朴烈怪写真事件は、大逆罪(天皇暗殺未遂)で逮捕された朝鮮人のアナーキスト朴烈が、東京地裁の取調室で愛人とともに撮影した写真が流出した事件だが、政友会は若槻内閣の「監督責任」を追及した。

これは政権と無関係なので、若槻首相は最初は軽視していたが、扇情的な写真が新聞・雑誌に掲載されると、政治家も普通選挙を前にして政策より大衆受けするスキャンダルに関心をもち、おりからの金融恐慌とあいまって若槻内閣は総辞職した。これが政党政治が行き詰まるきっかけだった。

写真を裁判所から持ち出したのは、北一輝だといわれる。この事件で天皇というシンボルの大衆動員力を知った彼は「天皇による革命」をくわだて、その後もテロで政権をゆさぶった。そして最大の「劇場」は、1931年に始まった満州事変だった。

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民進党が遊んでいても政治は回るか



森友問題は「辻元清美が塚本幼稚園に侵入した」という話をめぐって混乱し、さらに訳のわからない展開になってきた。民進党はニコニコ超会議に、VR蓮舫というゲームを出品するらしいが、「一体、こんなところで遊んでいる暇がどこにあるというのか教えてください」というセリフはブラックユーモアだろうか。

続きはアゴラで。

忖度と「しらす」で動く国

森友学園の騒動で、忖度という古風な言葉がよく出てくるのはおもしろい。これは臣下が天皇の「御意」をおしはかることで、これに対して天皇は臣下をしらすという形で受動的に統治する。天皇は監査役のようなものだから、臣下は「上奏」する説明責任を負うが、天皇は事後承認するだけなので無答責である。天皇が判断すると、失敗した場合に責任を負って退位しなければならないからだ。
天皇

この「まつりごと」の構造は、形式的には1000年以上前から同じである。名目的な主権者(プリンシパル)はつねに天皇だが、実権は摂政・関白や将軍などの代理人(エージェント)にあった。幕府の中でも、老中が将軍の意思を忖度して決定を行うので、将軍は合議に参加しない。老中や大目付は1ヶ月交代の輪番制で、すべての役職は二重化して相互に監視させ、特定の家(藩)への権力の集中を防いだ。

このように名目(権威)と実質(権力)を厳格に区別する「日本型共和制」は、権威と権力をもつ独裁者を防いで権力分立を守る巧妙なシステムだが、実権をもつ将軍が建て前上は代理人だという弱点がある。その矛盾を突いて出てきたのが、「幕府を倒して本来の主権者たる天皇に国家権力を取り戻す」という儒教イデオロギーにもとづく尊王攘夷運動だった。

続きは3月27日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

明治憲法は「民主制」だった

共和制

今週のVlogで使った表の出典は、丸山眞男の「昭和天皇をめぐるきれぎれの回想」である。彼は広島の宇品で終戦を迎えたが、1945年8月16日に上官(谷口参謀)に呼び出され、戦後の日本の行く末について1週間の講義を命じられた。
T参謀の発するさまざまの質問のうち、つきつめたような表情で私に語ったのは、「連合国は民主主義と言っているが、そうなると陛下はどうなるのか? 君主制は廃止されるのではないか?」という問いであった。私はすぐさまつぎのような意味の返答をした。

「御心配には及ばないと思います。民主主義がわが国体と相容れないというような考え方は、それこそ昭和の初めごろから軍部や右翼勢力を中心にまかれて来たプロパガンダです。国法学の定義としても、君主制と対立するのは共和制であって、民主制ではありません。民主制に対立する概念は独裁制です。イギリスは君主制ですが、極めて民主的な国家であり、逆にドイツは第一次大戦以後、共和国になりましたが、その中からヒットラー独裁が生まれました。」
この分類でいうと、丸山は明治憲法を立憲君主制、すなわち民主制の一種と理解していたことになる。天皇が絶対君主と区別されるのは、その権限が憲法に制約されている点である。憲法第4条には「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」と書かれていた。戦争も、憲法にもとづいて天皇の書いた「宣戦の詔書」に帝国議会が「協賛」して始まったのだ。

丸山は昭和天皇を敬愛し、その意に反して戦争が起こされたことを知っていた数少ない日本人だった。しかしリベラルな天皇と民主的な憲法が、どうして戦争を止めることができなかったのか――それを彼は「半年も思い悩んだ揚句」、上とは違う答に到達し、それを有名な「超国家主義の論理と心理」に書いた。

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ルターの復古主義は「中世の終わり」

プロテスタンティズム - 宗教改革から現代政治まで (中公新書)
今年は「宗教改革」500周年である。1517年10月31日、マルティン・ルターがヴィッテンベルク教会の扉に、カトリック教会の贖宥状(いわゆる免罪符)を批判する「95ヶ条の提題」を釘で打ち付けたことから近代が始まった…と教科書には書かれているが、彼がこの提題を貼り出した形跡はない。ルターがカトリック教会を否定したこともない。

彼らの運動は改良(Reformation)と呼ばれたが、カトリック教会は彼らを「教会に反抗する者」としてプロテスタントと呼んだ。トレルチも指摘したように、ルターの教義は初期教団に回帰する復古主義であり、近代の始まりというより「中世の終わり」と考えたほうがよい。彼のビラが印刷されてこれほど大きな反響を呼んだのは、終わりかけていたローマ教会のヨーロッパ支配に最後の一撃を与えたためだった。

それは日本でいうと、幕末に似ている。「神聖ローマ帝国」の実態はドイツのバラバラな領邦で、その全体を統括する精神的権威はローマ教皇にあった。贖宥状はルターの前から多くの聖職者が批判していたが、その背景にはドイツの俗権とイタリアの教権の対立があった。ルターがローマ教皇を批判するとき、神の代理にすぎない教皇を超える神の権威を利用したのは、長州藩士が徳川家を倒す復古主義に「天皇」を利用したのと似ている。

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ワイドショー芸人の刺激する「古い脳」


人間はなぜ合理的に考えるのかはむずかしい問題で、いまだに明快な答がないが、人々が反射的な速い思考で考える原因は明白だ。何者かが近寄ってきたとき、「これは敵か味方か」を合理的な「遅い思考」で推論していると間に合わないので、見たことのない顔からは瞬時に逃げる必要がある。

そういう能力は進化で生き残る上で重要だから、脳の情報処理の80%以上は大脳辺緑系の古い脳の「速い思考」で行われている。「石原氏の責任追及が移転問題とどういう関係があるのか」などという「遅い思考」は面倒でコストがかかるので、「石原が悪い」という印象を作り出して「悪いやつのやったことは悪い」と近道するのだ。

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「鎌倉仏教」というオリエンタリズム

戦国と宗教 (岩波新書)
日本人の宗教についての理解は、いまだにキリスト教をモデルにしている。浄土真宗や日蓮宗などの「鎌倉仏教」は宗教改革に似ており、それは一向一揆という「市民革命」を生んだが、織田信長につぶされた――というのが従来の理解だが、これは宣教師の報告にもとづく「オリエンタリズム」である。

当時の仏教の主流は、まだ天台宗や真言宗だった。親鸞の「信仰のみによって救われる」という教義がルターに似ていると宣教師は報告したが、実際の真宗は各地の神仏と混合した雑多な信仰だった。それが広まったのは『歎異抄』(16世紀まで知られていなかった)のような高度な教義のおかげではなく、ひたすら「南無阿弥陀仏」を唱えていれば極楽にいけるという単純な信仰が民衆に受け入れられたからだ。

「一向一揆」という言葉は中世の史料にはなく、本願寺を設立した蓮如も「一向宗」という言葉は使わなかった。本願寺は武士と戦う「反権力」の教団ではなく、いろいろな戦国大名と連携して戦う軍団だった。信長と一向宗の「石山合戦」も後世につくられた物語で、石山という地名は同時代の史料にはない。そもそも宗教と世俗権力の対立という図式がオリエンタリズムであり、信仰の中心は戦国大名だった。

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