EVは「第二のPC革命」になるか



最近にわかにEV(電気自動車)が話題になってきた。EVの所有コストはまだガソリンの2倍以上だが、きょう山本隆三さんの話を聞いていて、状況が1980年代のPC革命と似ていることに気づいた。

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教育サービスから「兵営」へ

江戸の教育力 (ちくま新書)
大学無償化が再分配政策としてナンセンスであることは明らかだが、公的教育投資としても効果がない。大学は個人の「格付け機関」であり、教育サービスとしては無意味だからだ。江戸時代の寺子屋はそうではなかった。それは公的補助をまったく受けない民間の教育サービスであり、そのために最適化されていた。

寺子屋の数は数万で、どんな小さな農村にも複数あったという。江戸時代から私的な教育投資が盛んだったのは、家庭では複雑な漢字の読み書きを教えられなかったからだ。教育サービスに学校という入れ物は必要ないので、初期には文字通り寺を借りて僧侶が教え、全員一律に「授業」するのではなく、師匠が寺子(生徒)ひとりひとりのペースに合わせて字を教えた。

それが明治初期の「学制令」で変わり、ヨーロッパをまねた公立学校ができた。その目的は教育サービスではなく軍事教練だったので、フーコーの指摘したように、すべての子供を同じ兵営に集めて訓練したのだ。学校は子供にとっては苦痛だが、それに耐えて試験でいい点をとる優等生がエリートになった。

続きは9月4日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

枝野幸男氏の取り違えている「日本流保守」

民進党の代表選挙は、争点がよくわからないので盛り上がらない。特に憲法改正については、いずれ国会で党としての見解を出さなければならないのだから、態度を明確に打ち出したほうがいいと思うが、かねてから「第9条2項を見直すべき」と主張していた前原誠司氏はその主張を封印してしまった。

他方、枝野幸男氏は「私は保守だ」と言い始めた。産経新聞の報道によると彼は、トークイベントでこう言ったそうだ。
保守とリベラルって対立概念じゃないですから。リベラルという言葉は多義的だから。新自由主義的な色合いの強い古典的なリベラルから、多様性を認めて社会保障に力を注ぐソーシャルリベラリズムまで、リベラルだっていろいろあるし。

保守といったって、何を保守するんだ、と。僕は「和を以て貴しとなす」からの日本を保守するんだったら分かるけど、安倍晋三首相は明治維新以降の欧米化された日本を保守しようとしてるから、保守する対象が違う。

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フリードマンは永遠に新しい

資本主義と自由 (日経BPクラシックス)
けさの記事を書くために『資本主義と自由』を久しぶりに読み直したら、フリードマンは大学については、教育バウチャーではなく「教育投資ファンド」を提案していた。これは共同出資で学生に投資するファンドをつくり、学生は「出世払い」で返済するものだが、共同出資が無理なら連邦政府がやればよいと書いている。

本書は1960年代には、学界では批判と冷笑で迎えられた。そのころは政府が雇用と物価をコントロールできるというケインズ経済学が全盛だったからだ。しかし70年代にスタグフレーションが止められなくなると、経済学への不信が強まった。そういうとき出てきたフリードマンの論文「金融政策の役割」は、ケインズ以来の革命だった。それは長期的には政府は経済をコントロールできないと宣告したからだ。

これは大論争を呼んだが、80年代にはフリードマンが勝利した。本書で彼の提案した変動相場制も実現したが、教育バウチャーも、負の所得税も、公的年金の廃止も、職業免許の廃止も、いまだにほとんど実現していない。「景気対策」や「リフレ」で政府が経済をコントロールできると信じる人が後を絶たないからだ。不幸なことに、フリードマンは永遠に新しい。

続きは8月28日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

塾や専門学校にも使える「出世払いの奨学金」を



「大学無償化」が与野党で盛り上がってきたが、見ていて奇異に感じるのは教育バウチャーという言葉が出てこないことだ。例外は橋下徹氏ぐらいで、彼は5年前に大阪市で塾のバウチャーを導入したが、これは「無償化」とは似て非なるものだ。

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サンクコストから所有権が生まれた

所有権が法的に確立したのは近代ヨーロッパだが、既得権を守るしくみは昔からあった。それを身体の自由と結びつけて「自己労働の所有」として正当化したのはジョン・ロックだが、彼の論理は破綻している。特に、明らかに労働の成果ではない土地の所有権をどう正当化するのかが不明だ。

それがサンクコストから生まれた、というのがボウルズなどの説である。これは進化ゲーム理論の応用で、次のようなおなじみの「チキンゲーム」を考える。相手がタカだったら自分はハトになり、相手がハトだったらタカになる複数均衡が存在し、ある土地で複数の個体群が争うとき、タカになったほうが支配し、ハトはそれに従うので、土地の支配権をめぐって戦いが起こる(ペイオフは対称)。

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このとき自分が最初にいたらタカになり、あとから行ったらハトになる戦略(所有権)を加えると、図のようにこれが進化的に安定する。今まで巣をつくったり子供を育てたりしたサンクコストを守ることが(個体群としては)合理的なのだ。こういう例は動物でもたくさん見つかっており、サンクコストを守る人間の心理(賦存効果)の一部は、遺伝的なものとも考えられる。

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大学無償化は「所得の逆分配」である

このところマスコミで「奨学金が返せない」という報道が繰り返されている。これは「教育無償化」キャンペーンの一環だろうが、それに対する反論は簡単だ。大卒の生涯賃金は高卒より平均6000万円ぐらい高いので、大学の私的収益率はきわめて高い。借金も返せないような大学に行くのは間違っている

所得を再分配して「貧しくて大学に行けない優秀な子」を無償化で支援したいという気持ちはわかるが、これは錯覚だ。少なくとも再分配政策としては、大学無償化は逆効果である――と書いたら、橋下徹氏が意味不明の反論をしている。

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「保守」のポジションがあいている

民進党の代表選挙は盛り上がらないが、意外に大事である。今の情勢では前原氏が当選すると思われるが、民進党の94議席という勢力は中途半端で、選挙協力なしには生き残れない。民進党というのは過渡的な政党で、いずれ再編されるだろう。新しい代表は、その要になる可能性がある。



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「国民主権」という錯覚

憲法をめぐる不毛な論争は、丸山眞男などの「戦後民主主義」の残した負の遺産である。今では護憲といえば第9条に争点が限られているが、当初はそうではなかった。丸山は1946年3月に新憲法の政府案が発表されたときの衝撃をこう回顧している。
いちばん予想外だったのは、第九条の戦争放棄ではなく、第一条の人民主権でした。その前後に各政党が憲法改正案を発表していましたが、社会党でさえ国家に主権があるという国家法人説で、高野岩三郎さんの私案と共産党以外はどこも人民主権を謳っていなかった。(「戦後民主主義の『原点』」)
新憲法の手本とした合衆国憲法には「国民主権」という言葉はない。前文の「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」というのは、リンカーンの有名な"government of the people, by the people, for the people"を下敷きにしたものだが、これはおかしい。最初の"of the people"を「国民に由来する」と解釈すると、次の"by the people"と同じ意味になってしまうからだ。

これについては昔から多くの議論があるが、結論からいうと、peopleをgovernの目的語と解するのが通説である。つまり民主政治は人民を対象とし、人民によって行われる政治であり、そこには「主権者」というロマンティックな意味は含まれていなかったのだ。

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今そこにあるバブル

今そこにあるバブル (日経プレミアシリーズ)
日本国債がバブルといわれて久しい。それはシムズがハイパーリカーディアンと指摘したように、理論的には大幅な過大評価だが、バブルが崩壊する兆しは今のところない。しかし国債以外にも、資産価格の過大評価はあちこちに見られる。

今年3月に国土交通省の発表した公示地価の上昇率は、第1位が大阪の道頓堀「づぼらや」の41.3%増で、4000万円/m2。東京の第1位は銀座の山野楽器で、25.9%増の5050万円。いずれも1980年代を上回った。あの時期を「バブル」と呼ぶとすれば、少なくとも大都市では不動産バブルが発生しているといえよう。

他方、不動産融資の増加は地方銀行が目立ち、昨年は前年比10%も伸びている(信金中央金庫 地域・中小企業研究所調べ)。次の図でも明らかなように、不動産融資が大きく伸びたのは安倍政権になってからである。日銀のばらまいた金は、フローの物価上昇ではなく資産インフレをもたらしたのだ。これも80年代と同じで、物価指数だけを見ていると危ない。

shinkin

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