財務官僚はなぜ「三途の川」を渡ったのか

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今回の事件で小黒さんがNHKに「財務省はそんなに簡単に三途の川を渡るような役所ではない」とコメントしたのが印象的だ。文書改竄で刑法上の罪に問われたら、官僚としての人生は終わってしまう。それを現場の判断でやるとは考えにくい。少なくとも事後的には、首相官邸が知っていたはずだ。

内閣人事局の「恐怖政治」が批判され、官邸の意向を「忖度」することがよくないという話がよく出てくるが、忖度なしで政治は動かない。100万人以上いる国家公務員を安倍首相がすべて指揮することはできないので、官僚が「安倍さんだったらこう考えるだろう」と先回りして忖度して初めて政治は動くのだ。

忖度は今に始まったことではなく、日本だけの現象でもない。主権者たる国民の選んだ議会が行政を支配するのが議院内閣制の建て前だが、現実には行政の大部分は官僚の裁量的な法解釈で決まる。官僚が違法行為の「三途の川を渡る」ことはきわめて例外的で、大部分はグレーな領域で法解釈を決める。そのとき官僚が、誰の意向を忖度するかが問題である。

続きは3月19日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

読売新聞の奇妙な電波改革反対キャンペーン

読売新聞が「安倍「放送」改革に潜む落とし穴」という意味不明な記事を書いているが、その中に私の名前が出てくる。
池田氏「放送局の方の出されている資料を見ると、例えば男体山とか、山の奥の話をしているわけです。要するに、日本の国土全体から見ると0・何パーセントの人々のために、物すごく贅沢に電波資源を使っているわけです」(中略)。

競争入札で最高額を示した企業に周波数帯の利用権を与える「電波オークション」の論者として知られる両氏の発言は、筆者の耳には「極論」「暴論」と聞こえるのだが、実は安倍首相のブレーンとしても知られる原座長は、かなり肯定的に受け止めているようだ。
加藤理一郎という記者は、私がここで「電波オークション」を主張していると思っているようだが、これはオークションではなくSFNによる区画整理の話である。私は山の奥の中継局を廃止しろといったのではなく、親局と中継局は同じチャンネルで放送できる(現にしている)という技術的には自明の話をしただけだ。

読売が危機感をもったきっかけは、2月6日の衆議院予算委員会で安倍首相が放送法第4条(政治的中立)の撤廃に言及したことらしい。世界的には多チャンネル化を進めて放送内容の規制を撤廃するのが常識で、放送業界にとっても言論の自由が広がるのだから結構なことだろう。ところが読売は規制の撤廃に反対だという。

加藤記者はこれを「規制のないネットの世界に地上波放送を移行させ、空いた周波数をモバイルなどに有効利用する」と解釈しているのだが、首相も規制改革推進会議もそんなことをいっていない。いまだに民放連が電波改革をこう誤解していることが混乱の原因である。電波を有効利用しても、テレビ局は今まで通り放送を続けられるのだ。

続きは3月19日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

首相官邸は改竄をいつ知ったのか

森友学園の文書改竄問題は、常識では考えられない展開になってきた。私は一次情報をもっていないので以下は報道をもとにした推測だが、これが理財局の中の問題でないことは明らかだ。少なくとも財務省の大臣官房、あるいは首相官邸が、かなり早くから知っていた疑いがある。



続きはアゴラで。

【おしらせ】アゴラ読書塾 明治150年の「国のかたち」

「五箇条の誓文」で解く日本史―シリーズ・企業トップが学ぶリベラルアーツ (NHK出版新書)
今年は明治150年ですが、10月の記念式典まで安倍政権がもつかどうか、あやしくなってきました。森友学園の文書改竄は内閣をゆるがす大スキャンダルになり、久々の安定政権だった安倍政権にも終わりが近づいているようにみえます。日本はまた首相が毎年変わる国に戻るのでしょうか。

4月からのアゴラ読書塾では、明治以来変わらない「国のかたち」を最近の歴史研究でたどり、日本政治の構造を考えます。単なる昔話ではなく、現代の問題を解く手がかりを明治時代にさぐりたいと思います。3回目のゲストには、政治学者の片山杜秀さんをお迎えします。

続きはアゴラで。

原子力の「成功した挫折」

Energy and Civilization: A History (MIT Press)
世界初の商業用原子炉がイギリスで運転開始したのは1956年だった。核燃料のコストは化石燃料の1/100万以下なので、当時アメリカ原子力委員会(AEC)のストラウス委員長は「電気代は電力計で測るには安すぎる(too cheap to meter)料金になるだろう」と予想した。1971年にシーボーグAEC委員長は「20世紀中には全米の発電所が原発になるだろう」と予想した。

彼らの計算は今でも科学的には正しいが、原子力は1980年代に挫折した。チェルノブイリ原発事故で全世界に広がった反原発運動が、この安価でクリーンなエネルギーの未来を奪ってしまったのだ。大衆の放射能への不安が高まり、それに応えて安全基準が強化され、原発はますます高価になり、建設に10年以上かかるようになった。

原子力は成功した挫折(successful failure)だったと著者はいう。それは世界の電力の20%を発電するようになったという点では成功だが、その圧倒的なコスト優位性から考えると、自動車が馬車を駆逐したように全米の発電所が原発にならなかったのは挫折だった。そして2011年の福島事故が、この不運な技術にとどめを刺した。

続きは3月19日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

文書改竄の原因は「理財局長の答弁」ではない



国会では佐川元理財局長の参考人招致が争点になっているが、どうも辻褄が合わない。あの程度のことで公文書を改竄するリスクは、その利益に見合わない。本当の原因は理財局長の答弁ではなく、首相答弁ではないか。2017年2月19日の衆議院予算委員会で、安倍首相は森友学園の設置認可について、次のように答弁した。
私や妻がこの認可あるいは国有地払い下げに、もちろん事務所も含めて、一切かかわっていないということは明確にさせていただきたいと思います。もしかかわっていたのであれば、これはもう私は総理大臣をやめるということでありますから、それははっきりと申し上げたい、このように思います。

繰り返しになりますが、私や妻が関係していたということになれば、まさにこれはもう私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい。全く関係ないということは申し上げておきたいと思います。

続きはアゴラで。

「五箇条の誓文」で解く日本史

「五箇条の誓文」で解く日本史―シリーズ・企業トップが学ぶリベラルアーツ (NHK出版新書)
先月まで盤石に見えていた安倍政権は、にわかに雲行きがあやしくなってきた。森友文書の改竄問題が麻生財務相に波及することは必至で、焦点は安倍首相の政治責任だ。「安倍一強」の時代は終わり、また「決められない政治」が戻ってくるのだろうか。

本書が語る日本の近代史も、決められない政治の歴史である。その原因はもともと日本に国民国家が存在しなかったことだが、明治維新では「万機公論に決すべし」というデモクラシーを謳い上げた。現実にはその主体になるべき国民はいなかったので、天皇を主権者として、その意思をシラスことが明治憲法の思想だった。

シラスの主語は天皇なのか臣下なのか、はっきりしない。天皇の意思を臣下が忖度し、彼らの意思を天皇が鏡のように映すことで、明治期の政治は成り立った。各官庁と陸海軍がバラバラの統治機構を辛うじて束ねていたのは薩長の藩閥政府だったが、その中心は法律のどこにも書かれていない「元老」だった。その「一強」体制は、大正デモクラシーから崩れてゆく。続きを読む

決裁文書の「書き換え」は日常的だったのか

きのう発表された森友文書の書き換えは14の文書、310ヶ所にもわたり、特に貸付契約の経緯は大きく削除されている。佐川理財局長(当時)が国会で政治的配慮を否定し、価格交渉もなかったと答弁したことに合わせて書き換えたのだろう。

とはいえ書き換え前の文書に、重大な問題があるわけではない。焦点の安倍昭恵さんの関与については「普通財産の貸付けに係る承認申請について」(平成27年2月4日)の平成26年4月28日の記述として
なお、打ち合わせの際、「本年4月26日、安倍昭恵総理夫人を現地に案内し、夫人からは『いい土地ですから前に進めてください』とのお言葉をいただいた」との発言あり(森友学園籠池理事長と夫人が現地の前で並んで写っている写真を提示)
と書かれているが、これは籠池理事長の発言である。他にも政治家の名前があがっており、佐川局長の国会答弁とは矛盾するが、それは答弁を訂正すればよい。ところが逆に、答弁にあわせて資料を改竄したのが今回の事件である。

続きはアゴラで。

「取材源の秘匿」は法的な権利ではない

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「財務省が書き換えたと主張する朝日新聞は証拠を出せ」という人は(私を含めて)たくさんいる。財務省が新しい証拠を出さなければ、それしか国会を打開する手段がないからだ。幸い週明けには財務省が「書き換え」を認めるようだが、それでも国会が動かなければ、挙証責任は「書き換え」を報じた朝日新聞にある。

朝日に証拠の開示を要求することは間違っていない。取材源の秘匿は「職務上の秘密を守る」という業界ルールにすぎず、法的に保護された権利ではないからだ。なぜジャーナリストだけが、他人の違法行為をいうとき証拠を出さなくていいのか。「書き換え」を報じたのが一般人のブログだったら、朝日新聞と違って文書を出す義務があるのか。「ジャーナリスト」の定義は何か。それは「ブロガー」とどう違うのか。

――と考えればわかるように、取材源を秘匿する「ジャーナリストの権利」なんて法的には存在しない。これこそジャーナリズムの「いろはのい」であり、大学でもそう教えることが正しい。江川紹子さんが、ネット時代に「ジャーナリストだけに取材源を秘匿する特別の権利がある」と思い込んでいるとすれば、それは単なるマスコミの特権意識である。

続きは3月12日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

森友文書「書き換え」疑惑についての訂正

おとといのアゴラの記事の私の推測は外れたようだ。昨夜からの報道によると、財務省は12日にも「書き換え」の事実を認めるという。まだ全容は明らかになっていないが、私が間違えた部分を取り急ぎ訂正しておく。

続きはアゴラで。






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