「明治維新」という奇妙な革命

「維新革命」への道: 「文明」を求めた十九世紀日本 (新潮選書)
来年は明治150年である。私の子供のころは「明治100年」を祝賀するのは保守的な人で、明治維新を「不十分な上からの革命」として否定するのが進歩的な人だった。今はそれほどわかりやすい対立はないが、安倍政権の「明治150年記念事業」に反対することが進歩的だという対立は残っているようだ。

しかしこういう対立に、今も意味があるのだろうか。そもそも「明治維新」という区切りがあったのかという問題について、最近の歴史学はどちらかといえば否定的だ。もちろん制度上の区切りはあったが、17世紀から続く「長い江戸時代」の中で、1868年がそれほど特権的な節目とは考えられていない。今の社会の基本的な枠組は、江戸時代にできたという見方が多い。

明治維新は革命としては低コストだったが、政権の自称した「王政復古」(Restoration)だったわけではない。「文明開化」で見かけはがらっと変わったが、文明の中身は江戸時代と連続していた。江戸時代は中世というより近代に近く、それを「近世」と呼んでも問題は解決しない。本書は江戸時代を日本の「文明」が生まれた時期だと考えるが、それは実に独特な文明だった。

続きは9月11日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

EVで「オール電化」の時代は来るか

エネルギー基本計画の改定に向けた論議が始まったが、先週の言論アリーナで山本隆三さんも指摘したように、今の計画はEV(電気自動車)の普及をまったく計算に入れていないので、大幅に狂うおそれが強い。

新しい計画では2050年までにCO2排出量を80%削減するというパリ協定の長期目標の実行計画を出すらしいが、これは今の計画の延長上では不可能だ。日本の場合、図のようにCO2排出量を1960年ごろのレベルに削減する必要があるので、マイナス成長にするしかない。


日本のCO2排出量と目標値(出所:日本エネルギー経済研究所)

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米軍の「先制攻撃」はあるのか



北朝鮮がICBM発射に続いて「水爆実験」をやり、さすがにガラパゴス平和主義の界隈も静かになったようだ。客観的にみて、東アジアでこれほど戦争のリスクが高まったのは、朝鮮戦争の終わった1953年以来だ。具体的なシナリオはいろいろあるが、1994年にクリントン政権が実際に検討したのは、寧辺にある核施設の爆撃だ(写真はGlobal Security)。

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日銀の出口で「ハイパーインフレ」は起こるか

異次元緩和に「出口」なし! 日銀危機に備えよ (PHPビジネス新書)
日銀が財政ファイナンスで国債を買い支えたため、財政危機は「日銀危機」になった。マネタリーベースを毎年80兆円増やすというペースも60兆円程度に落ち、長期金利もゼロ%ちょうどをつけたので、このあとは上がるしかない。

これについて著者が今年6月に参議院の財政金融委員会で「金利上昇で日銀の評価損はどれぐらい出るのか」と質問したところ、岩田副総裁は次のように答弁した。
  • 1%上昇:24.6兆円
  • 2%上昇:44.6兆円
  • 5%上昇:88.3兆円
日銀は今は14兆円の評価益を計上しており、自己資本も6兆円ある。長期的には金利収入が増加するので、1%上昇ぐらいまでは耐えられる可能性があるが、問題は民間銀行だ。本書にはその話が抜けているが、IMFは地方銀行の過剰な不動産融資に警告している。

著者は昔から「財政破綻でハイパーインフレになる」といい続け、オオカミ少年ならぬ「オオカミ老人」といわれているらしいが、そういう「ハードランディング」は本当に起こるのだろうか?

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日本の知識人を育てた「会読」

江戸の読書会 (平凡社選書)
大学で教師も学生もうんざりするのは、大教室でやる「講義」だ。教師は義務としていやいや教えているし、学生は単位をとるためにいやいや出席している。こんな中身のない大学教育を丸ごと「無償化」するなんて、悪い冗談だろう。

このように非生産的なのは、日本の大学が教育の場ではなく、立身出世の手段だからである。これは日本だけではなく、中国では儒学は科挙で立身出世する手段だったので、学校はすべて科挙の予備校だった。解釈は宋代の朱子学で固定され、あとはひたすら四書五経とその既存の解釈を丸暗記する能力が求められたので、儒学は「御用学問」になって硬直化し、学問としては衰退した。

ところが日本の武士は科挙を輸入しなかったので、儒学は立身出世とは無関係の「遊び」になった。おかげで儒学は自由な発展を遂げ、最後は水戸学になって徳川幕府を倒す尊王攘夷思想を生んだ。その母体となった松下村塾などの私塾の教育は一方的な講義ではなく、テキストを各人が読んで順番に説明する「会読」という読書会だった。

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日本は「核武装のオプション」を維持できるのか

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日本は核武装の技術的オプションをもっており、核兵器は合憲だというのが政府見解だが、JBpressでも書いたように、日本が今後も核武装のオプションを維持できるかどうかは疑問だ。これは原子力産業の「密教」で、関係者にも理解されていないので書いておこう。

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日米安保は「日本を守る条約」ではない

朝日新聞やガラパゴス憲法学者をバカにするのはもう飽きたが、「国際政治学者」にも「イスラム法学者」にも常識が欠落しているので、わかりきったことだが補足しておく。日米安保条約が存続する限り、アメリカが日本の核武装を認めることはありえない。日米同盟の目的は、旧敵国たる日本の軍事的自立を阻止することだったからだ。

日米安保は「日本を守る条約」ではなく、来たるべき第3次大戦で日本を前進基地として犠牲にして「自由主義陣営」を守る条約だった。これは1950年代には、「全面講和」派も「片面講和」派も認識していたことだ。丸山眞男はこう書いている。
仮に自由主義と共産主義とが原理的に全く反撥すると仮定しても、そのことから、その一を奉ずる国家ないし国家群と他を奉ずる国家ないし国家群とが、必ず対立し反撥するという結果は出て来ない。[…]逆に相似たイデオロギーを持った国家が干戈を交えた例は、史上殆ど枚挙に暇がない。(「三たび平和について」)
そして彼はクインシー・ライトの「民主政治の国々が専制政治の国々より戦争に介入する度合がヨリ少なかったという証拠は殆ど出て来ない」という言葉を引用して、暗にアメリカがまた日本を攻撃する可能性はゼロではないと示唆している。安保条約はアメリカの攻撃に対して日本を武装解除したが、アメリカは日本を防衛する義務を負わなかった。

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日本は核武装できるのか



北朝鮮が、今度は日本の上空を通過するミサイルを発射した。これと前後して掲載された三浦瑠麗氏のコラムが話題を呼んでいる。特に問題なのは、日本が「核攻撃能力」をもつことを推奨した部分だ。
強硬な動きと穏健な動きの両方が必要だ。強硬面では、北朝鮮周辺でアメリカが持つ軍事力の増強が必要だろう。北朝鮮の核施設やミサイル基地を狙った攻撃能力や、情報機関の格上げ、さらに日本と韓国が独自の核抑止力を持つことすら必要になるかもしれない。[…]

核攻撃能力は、日本と韓国が独自に抑止力を持つために必要だろう。さらに重要なことに、それによってアメリカから有意義な行動を引き出せる可能性もある。

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EVは「第二のPC革命」になるか



最近にわかにEV(電気自動車)が話題になってきた。EVの所有コストはまだガソリンの2倍以上だが、きょう山本隆三さんの話を聞いていて、状況が1980年代のPC革命と似ていることに気づいた。

続きはアゴラで。

教育サービスから「兵営」へ

江戸の教育力 (ちくま新書)
大学無償化が再分配政策としてナンセンスであることは明らかだが、公的教育投資としても効果がない。大学は個人の「格付け機関」であり、教育サービスとしては無意味だからだ。江戸時代の寺子屋はそうではなかった。それは公的補助をまったく受けない民間の教育サービスであり、そのために最適化されていた。

寺子屋の数は数万で、どんな小さな農村にも複数あったという。江戸時代から私的な教育投資が盛んだったのは、家庭では複雑な漢字の読み書きを教えられなかったからだ。教育サービスに学校という入れ物は必要ないので、初期には文字通り寺を借りて僧侶が教え、全員一律に「授業」するのではなく、師匠が寺子(生徒)ひとりひとりのペースに合わせて字を教えた。

それが明治初期の「学制令」で変わり、ヨーロッパをまねた公立学校ができた。その目的は教育サービスではなく軍事教練だったので、フーコーの指摘したように、すべての子供を同じ兵営に集めて訓練したのだ。学校は子供にとっては苦痛だが、それに耐えて試験でいい点をとる優等生がエリートになった。

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