フェアユースより「フェアコピーライト」を

けさの朝日新聞の1面トップに「著作物の利用緩和へ」という記事が出ているので、何のことかと思ったら、政府の知財制度専門調査会で3月から行なわれている議論の、「フェアユース」の部分だけを今ごろ取り上げたものだ。この調査会が現在の著作権制度を抜本的に見直そうとする方向は賛成だが、門外漢として感想をいえば、フェアユースの導入が望ましいかどうかは疑問だ。

よく知られているように、英米法では著作者の権利はフェアユースという漠然とした概念で制限されているが、日本の著作権法では、30条以下で適用除外の条件が具体的に限定列挙されている。このため、そこに列挙されていない用途、特に検索エンジンが著作権法違反だということになり、サーバを海外に置かなければならない。これを解決するため、著作権法を改正して検索エンジンを適用除外に加えるという改正案もあったが、「ダウンロード違法化」と一緒に流れてしまったようだ。

このように新しい技術を次々に適用除外に加えるのはいたちごっこなので、フェアユースとして司法的に柔軟に対応しよう、というのが今回の調査会の方向だ。しかし調査会長である中山信弘氏の教科書(p.308~)でも指摘されているように、フェアユースは判例の膨大な蓄積があって初めて可能なルールであって、そういう判例がないと、逆に片っ端から何でも訴えられることになりかねない。以前シンポジウムで、レッシグも「フェアユースの権利というのは、高価な弁護士を雇う権利だ」と言っていた。私は、むしろ著作権法の規定を逆にして30条以下の規定を廃止し、どういう場合は著作権が行使できるかという条件を、なるべく具体的かつ詳細に列挙すべきだと思う。たとえば
  • 著作物は事前に政府に有料で登録し、?というマークを必ず表示しなければならない
  • 電子的に配布されたコンテンツの場合は、それがオリジナルのデッドコピーであることをウォーターマークのような技術で証明しなければならない
  • 他の著作物に複製して利用された場合は、それによって著作者の名誉や利益が侵害されることを具体的に立証しなければならない
といった条件を設け、以上の条件を満たさない場合には著作者の権利は制限され、請求権も差し止め権も発生しないと規定するのである。こうすれば、何が違反であるかが予測可能になり、調査会のメンバーが懸念する萎縮効果も防げる。これは「著作者のコストを高め、権利を不当に制限するものだ」という批判があるかもしれないが、JASRACだけでも年間1000億円も得ている権利のコストがゼロだというのは、権利者団体への不正な所得移転である。少なくとも特許権と同様のコストと保護期間にすべきだ。

上の条件は例示であって、これ以外にあってもよいし、変えてもよい。要は情報利用(著作者の権利制限)のルールを「~を許可する」という積極的自由から「~は禁止する」という消極的自由に変え、その禁止条件を可能な限り厳密に、また最小限度にすることである。それが自由な社会を実現する条件だ、というのがハイエク(もとはバーリン)の主張である。

いいかえれば、フェアユースを認める(あとは禁じる)のではなく、法的に厳密に定義されたフェアコピーライトだけを認め、あとは複製自由とするのだ。もっとも、この提案は現在の著作権法を根幹からひっくり返すものなので、実現可能とは思われない。次善の策としては、現在の30条以下の限定列挙に加えてフェアユースを導入することが考えられるが、これも日本の著作権法の実定法主義とは相容れないので、実現はむずかしいだろう。

経産省は非関税障壁B-CASを撤廃せよ

ダビング10が「複雑骨折」したとかいう岸博幸氏のコラムが、また批判を浴びている。この記事は多くの事実誤認と歪曲を含んでいるので、少しコメントしておく。彼は
権利者団体にとって、補償金の対象拡大とダビング10はセットである。私的利用で複製できる回数が増えると、コンテンツを創る側の所得機会に影響が生じるからである。しかし、家電メーカーの反発で5月29日開催予定の同審議会で決定できない可能性が高くなっており、その延長でダビング10も6月2日から実施できなくなった、と言われている。(強調は引用者)
と、あたかも家電メーカーがごねてダビング10が「複雑骨折」したかのように書いているが、これは逆である。先々週のASCII.jpのコラムにも書いたように、もともと総務省のデジコン委員会では、コピーワンスが消費者に不便だから変えようということで、EPNなどの提案も出たが、権利者側がコピーワンスに固執して譲歩しないため、ダビング10という中途半端な妥協案に落ち着いた。ところが文化庁が、これを「ダビング10と補償金は一体だ」という話にすりかえて文化審議会に持ち出し、ダビング10を「人質」にして補償金を通そうとしたから、問題が混乱しているのだ。

「権利者団体にとって」の一方的な思い込みが、なぜそのまま公的な合意になるのか。そういう協定文書があるなら、見せてほしいものだ。さらに何度もいうが、こういう主張の根拠となる「私的利用で複製できる回数が増えると、コンテンツを創る側の所得機会に影響が生じる」という定量的な証拠を出してほしい。そういう「影響」はないというのが経済学の通説である。まして「丼勘定」の補償金は権利者団体の運営資金に回るだけで、権利者のインセンティブにはならない。

「デジタルの普及に対応するための社会的コストをすべて消費者に転嫁」しているのは、こういう身勝手な主張を繰り返してまったく譲歩しない権利者団体とテレビ局であることは、デジコン委員会の議事録を読めば一目瞭然だ。そもそも無料放送にコピープロテクトをかけている国なんかない。B-CASは違法であるばかりでなく、政府をあげて取り組む地デジへの移行を阻害し、外国製テレビを締め出すWTO違反の非関税障壁だ。経産省がやるべきなのは、自由貿易を守るためにB-CASとコピーワンスを撤廃することである。

追記:ASCII.jpにも、この問題について書いた。

崩壊する「日本ブランド」

福島中央テレビのアナウンサーが「ぐっちーさん」なる証券マン(?)のブログの記事を盗用した事件は、会社側が事実を認めて、アナウンサーを降板させる処分を決めた。ところが、当のぐっちー氏の植草一秀氏に関する記事が捏造だという記事が植草氏のブログに出て、話はややこしくなってきた。

まず問題のアナウンサーの記事は魚拓に残っているものを読むかぎり、原文の丸ごと盗用であることは明らかで、処分は当然だろう。植草氏の件は、まだ真偽のほどはよくわからないが、すでに支援グループの2年前の記事で指摘されていて、ぐっちー氏は捏造の事実を認めたという。だとすれば、彼のコラムを連載している『AERA』や、彼を匿名のままアルファブロガーと持ち上げた毎日新聞も、メディアとして失格だ。

この事件は、発端となった記事を読むと皮肉である。ぐっちー氏は、最近の食品偽造事件が日本人は正直だという「日本ブランド」が崩壊している兆候だとして、ワンさんという中国人と買い物に行ったエピソードを書く:
日本に来た当初、ビエラが欲しいと言うので秋葉原に連れて行きました。そして感激して「よし、買おう!!」となった。でもワンさんは今、そこの目の前で移っている奴(つまり見本で飾ってあってみんながべたべたさわった指紋だらけの商品)じゃなきゃ、だめだ、と言って聞かない訳です。

いやいや、ワンさん、あとで新品のきれいなものがきちんとクロネコで送られてくるからその方がいいよ、といっても聞いてくれない。いま目の前できちんと移っているという確証のある商品を自分で持って帰るのだ、といって聞かない訳です。なぜなら、中国ではまず電気店が粗悪品にすり替えて送ると言うリスク、そしてクロネコが粗悪品にすりかえるというリスクが存在する。それを避けずになぜ、こんな高額な商品が買えるのか、とおっしゃる訳です。
これも作り話だとすれば、よくできた嘘だ。中国では(というか日本以外のほとんどのアジアの国では)偽物をつかまされるのは当たり前で、それをチェックする社会的コストは非常に大きい。こういう信頼関係をsocial capitalとよび、労働生産性の低い日本がそれなりにやっていけるのは、こうした「社会関係資本」の蓄積が厚いからだともいわれている。しかしソーシャル・キャピタルと社会の多様性にはトレードオフがあって、イタリアのように南北で分断されている国や、アメリカのような多民族国家では、無条件の信頼は成立しないので、「ワンさん」のように事前にチェックしてがっちり契約を結ばないと危ない。

私の印象では、1990年代あたりを境にして、日本でもソーシャル・キャピタルが崩壊し始めたような気がする。これは「市場原理主義」が悪いのではなく、社会が成熟し、多様化するにつれて避けられない現象だ。「日本の古きよき伝統が破壊される」とかいって移民の受け入れに反対する向きも多いが、そんな「日本ブランド」はもう内部崩壊しているのだから、みんな嘘つきだという前提で制度設計をやり直さなければならない。それを図らずも示してくれた点で、今回の事件は教訓的だ。

生命とは何か

dde6343a.png科学を学ぶ学生が必ず読むべき本を1冊だけあげるとすれば、私なら本書を選ぶ。私が学生時代に読んだのは岩波新書の青版だったが、久しく絶版になっていた。本書が文庫に入ったことは朗報だ。

『生物と無生物のあいだ』に感動した読者が本書を読むと、そのアイディアが基本的にシュレーディンガーのものだということがわかるだろう。福岡氏もそれを認めていて、「原子はなぜそんなに小さいのか?」という問いを本書から引用している。そして生物が「負のエントロピーを食べて生きている」複雑系だという洞察も、本書のもっとも重要な結論である。

本書の初版は1944年で、DNAの構造はまだ発見されていなかったが、染色体を「暗号」と考えて生命の謎を物理学をもとにして解き明かす記述は、ほとんどワトソン=クリックの発見を予言しているかのようだ。今ではゴミのような本ばかり出している岩波書店も、半世紀前には本書のような名著を出していたわけだ。岩波はもう新刊を出すのはやめて、古典と復刊専門の出版社になってはどうか。

ITゼネコンはなぜ生まれたか

「人材鎖国」の記事をめぐって、コメント欄で激しいバトルが続いているが、前の記事では省いた歴史的な経緯を少しおさらいしておこう。これは拙著の第3章にもまとめたように、80年代の「日本的経営」論で周知の事実だが、最近はその流行が終わって久しいため、忘れられているようだ。

まずITゼネコンにみられるような系列下請け構造は、IT業界に限らず、日本の製造業に広くみられるが、その起源はそれほど古いものではない。1930年代から萌芽的にはあったが、基本的には戦後できたものだ。これは「戦時体制」とも関係なく、むしろトヨタなどの製造業が過小資本だったため、多くの企業が協力して生産する体制が50年代にできたのが発端と考えられている。

他方、終戦直後の激しい「生産管理闘争」が終息する過程で、長期雇用によって組織労働者だけを強く保護する「日本的雇用慣行」が成立した。したがって固定費となる正社員の雇用を増やさないため、下請け・孫請けで生産する系列構造は合理的だった。たとえば1983年にGMは46万人の従業員で500万台を生産したが、トヨタは6万人で340万台生産した(拙著p.68)。これは資本関係(所有権)によらない人的関係(会員権)による支配が機能していたためだ。

この違いがよくあらわれているのが、日米の調達構造である。アメリカの自動車メーカーは基本的に競争入札で部品サプライヤーを公募し、最安値の企業から調達するため、GMの取引先は2000社以上で、ほとんどが1年契約だ。これに対して日本のメーカーの取引相手は300社に満たず、最低4年(モデルチェンジまでの期間)は継続する(p.116)。これは自動車のように部品の補完性の強い業種では合理的であり、現在でもその優位性は変わらない。

自動車のように部品数が多いと、その一つでも不具合があると全体に影響が及ぶので、こうした長期的関係によって情報を共有することがきわめて重要だ。しかも部品には汎用性がないので、設計段階から「デザイン・イン」などで協力する必要がある。こういう構造は、どの業界にもみられるが、自動車で成功したのは、最終財にグローバルな競争があるためだ。競争による歯止めがないと、一時の日産のように下請けとの「なれ合い」が起こってしまう。

ITゼネコンが没落したのは、最終製品(ソフトウェア)が官庁や銀行などのカスタム製品になっているため、最終財市場の競争がないことが最大の原因と考えられる。あるとき高橋洋一氏が、私に「国交省は省内専用メールシステムをITゼネコンに発注しようとしている」と憤然と電話してきたことがある。さすがにそれは彼が反対して実現しなかったが、経産省には省内専用のメーリングリスト・ソフトウェアがあり、全員あて返信しかできないなど劣悪だったので、私が提案して廃止した。

もう一つは、ITの要素技術はモジュール化されているため、自動車部品のような補完性が低く、系列構造は有害無益だということだ。業務用ソフトウェアも、今はほとんど汎用パッケージで実現できるので、ITゼネコンがコテコテにカスタマイズしたレガシー・ソフトは捨てたほうがいい。しかし発注側にそういう知識がないものだから、地球シミュレータのように「既存のアプリケーションが使えること」といった条件を(仕様書を書くITゼネコンが)つけて、事実上の随意契約にしてしまう。

このようにITゼネコン構造の根本原因は、発注するクライアントが無知で、業者のほうが専門知識のレベルが高いため、業者にぼったくられることにある。ITゼネコン関係者によれば、「役所は2年で課長が交代するので、そのたびに当社の営業がレクチャーに行く。その時さりげなく当社にしかないシステムを売り込むのが営業の腕だ」。こういう現象は経済学でよく知られており、英語でもregulatory captureという言葉がある。

だからまず必要なのは、調達側の官庁や企業がITの専門家を雇用して合理的な仕様を自前で決め、標準的パッケージがある場合はそれを使い、ゼネコンに限らずベンチャーも入れた競争入札を行なうなどの調達システムの合理化だ。それができない原因は、5年前にRIETIシンポジウムでも議論したように、日本の官庁や銀行の「ジェネラリスト志向」「純血主義」の人事ローテーションにある。したがって正社員を過剰保護する雇用慣行を改め、外部の専門家を期限つきで雇用し、プロジェクトが終わったら解散するといった柔軟な労働市場が必要である。

Nine Lives

5462432a.jpgSteve Winwoodの新譜が、彼の公式サイトから8.91ドルでCD1枚ダウンロードできる(MP3、コピーフリー)。iTunesでは売っていない。このようにミュージシャンが自分のサイトからオンライン配信するのをホスティングするMissinginkというサイトもあるようだ。日本でも、音楽のセールスをJASRACなんかに独占させないで、こういうイノベーションが出てきてもいいのではないか。

アルバムはエリック・クラプトンの参加が話題になっているが、内容的には渋い大人のロックである。Trafficのころから聞いているが、15歳でデビューしてenfant terribleといわれた彼も、今年は60歳・・・

追記:懐メロばかり聞いてるみたいだけど、Jason Mrazの新譜もいい。

800MHz帯の「電波埋蔵金」4700億円

「平成19年度電波の利用状況調査」についての意見

池田信夫(上武大学大学院経営管理研究科)
山田肇(東洋大学経済学部)
  1. 770~806MHz帯(以下800MHz帯)は主としてテレビ中継のFPUに割り当てられているが、実際にはマラソン中継だけの臨時利用である。したがってマラソン中継の行なわれていない時間・場所ではただちに開放すべきである。
  2. 総務省は、放送局に800MHz帯を用いたFPU中継の放送実績と今後の放送計画を報告させ、その結果を公表すべきである。
  3. 移動しながら中継する技術はすでに実用化されており、移動体SNG中継車が各局に配備されている。これを使えばマラソン中継もSNGで可能なので、800MHz帯のFPUへの割り当てはやめるべきである。
  4. ラジオマイクなど他の用途も、他の帯域に移動可能である。
  5. このように時間的にも空間的にもきわめて限られた用途に36MHzも占有することは、電波の有効利用という観点から容認できない。800MHz帯は特定の業務用無線に割り当てるのではなく、汎用無線に開放すべきである。
800MHz帯の現在の主要な用途は、FPUと呼ばれるテレビ中継用の局間伝送(ARIB STD-B33)である。しかし今回の意見募集の資料「平成19年度電波の利用状況調査」(以下「利用状況調査」)の5ページにも見られるように、FPU局数は2007年に全国で141局しかなく、2004年の160局から減少している。2007年6月の情報通信審議会・電波有効利用方策委員会報告でも、次のように通信と併用できると指摘している:
放送FPU の利用形態は、マラソン中継等の臨時利用であり、利用場所も限定され、実際の使用周波数も限定されている。また、平成16 年度電波利用状況調査によれば無線局数は全国で160 局程度である。したがって、放送FPU と電気通信の干渉形態については、現在の放送FPU の利用形態と使用周波数を前提とすると、干渉が発生する確率が小さく、運用調整により混信を回避できる可能性があるため放送FPU とのガードバンドを不要とすることができる可能性がある。(pp.39-40 強調は引用者)
マラソン中継が行なわれる場所は限られているので、全国のほとんどの場所は今でも通信に利用できる。また中継の行なわれる時間も限られているので、その数時間だけ通信の利用を止めれば干渉は起こらない。したがって800MHz帯は、FPU中継の行なわれていない時間・場所ではただちに無線通信などに開放すべきである。このため総務省は放送局にFPU中継がいつ、どこで行われたのかという利用実績および今後の利用計画を報告させ、公表すべきである。

テレビ中継は、現在はSNGで行なうのが普通で、FPUも通常はGバンドなどの高い周波数が使われる。800MHz帯を使うのは、マラソンや駅伝のように移動しながら固定局に送信する場合だが、FPUは不可欠ではない。すでに移動体でSNGを行なうmobile news gathering あるいはsatellite truckなどと呼ばれる技術が確立しており、日本でも移動SNG中継車がNHK・民放各局に配備されている。このような機材を使えば、マラソン中継もSNGによって可能であり、800MHz帯を使う必要はない

利用状況調査は「HDTV対応の高画質化を図る」との評価結果を提示しているが、ほとんど利用されていない周波数帯で新技術を開発するのは不適切である。パーソナル無線について「無線局数が著しく減少している」ことから廃止を決めているのであれば、同様にFPUも廃止すべきである。どうしても必要な場合は、放送局が通信業者から借りればよい。このほかラジオマイクの使うのは周波数も面積もごくわずかで、他にも利用できる帯域があるので、他の帯域に移動すべきである。

貴重なUHF帯を36MHz(時価4716億円)*も、マラソン中継バンドとしてほとんど未利用のまま放置することは、電波の有効利用という観点から容認できない。この帯域は、情報通信法(仮称)の精神にそって、通信・放送などの用途や特定の物理的インフラに依存しない汎用無線とすべきである。将来、IEEE802.16eや802.20のような広帯域の移動無線が800MHz帯で利用可能になれば、それを使ってHDTV中継を行なうことも可能になろう。

*鬼木甫氏の計算では、日本の周波数の価値は131億円/MHzである。

追記:27日には、元総務省情報通信政策局長の竹田義行氏をまねいて、業務用無線のあり方についてのICPFセミナーを開く。

人材鎖国

資本鎖国のリスクを指摘したのは野口悠紀雄氏だが、人材鎖国の問題もかなり深刻だ。コメントで教えてもらったが、NYタイムズまで、日本のIT産業からエンジニアが逃げていく問題を指摘している。

この10年で、日本のエンジニアの数は1割へった。特にITゼネコン3K職場というイメージが定着してしまったため、優秀な学生は外資系を志望する。グーグルへの求職者は年間100万人を超えたが、富士通は2000人の求人でも1割の欠員が出た。それでも79%の日本企業が「外人エンジニアを雇う気はない」という。厚労省は「15万7000人の外人エンジニア受け入れた」というが、アメリカでは780万人だ。日本の受け入れ人数はシンガポールや韓国にも劣る。

結果的に、日本のハイテク産業はアジアに拠点を移さざるをえない。日本よりインドやマレーシアやタイのほうが優秀なエンジニアを低賃金で雇えるからだ。資本鎖国を求める日本経団連でさえ人材鎖国には危機感をもち、外国人材の受け入れを提言しているが、厚労省は動かない。それは彼らの天下り先である労働団体(組織労働者)の既得権を侵害するからだ。

根本的な問題は、ここまで若者に嫌われても直らない、ゼネコン型の多重下請け構造にある。これは厚労省(およびその御用学者)がいうように「日本の伝統」でもなければ「信頼を重んじる文化」によってできた美風でもない。くわしい経緯は拙著に書いたが、この閉鎖的な産業構造は、長期雇用や企業別組合など戦後にできた制度によってつくられたもので、ある種の製造業には適していたが、オープン・プラットフォームのもとでモジュール化された技術を組み合わせるには適していない。

楠君も指摘するように、正社員だけを過剰保護する雇用慣行のおかげでSI業者が人材派遣業になってしまったため、企業のコア部門にITのわかる人材が育たず、情報システムでイノベーションが生まれないから若者のIT離れが進む・・・という悪循環が急速に進行している。資本市場では、鎖国に挑戦するファンドが数少ないながらも出てきたが、労働市場では逆に企業がアジアに逃げ出している。社会保険庁より厚労省を解体しないと、この問題は解決しないだろう。

電波利用料も一般財源にせよ

道路特定財源がでたらめに使われていたことは周知の事実だが、同じく特定財源である電波利用料が、総務省職員の映画鑑賞やボウリングなどに(少なくとも4000万円)使われていた、と民主党が指摘した。これは携帯電話利用者が年間420円払っている事実上の「税金」であり、総額650億円にものぼる。

テレビ局は、電波利用料を1%以下しか負担していないのに、これを2001年に地デジのアナアナ変換に流用した。このときは通信事業者が強く反対したが、総務省が「10年後にはVHF帯の電波を止める」という電波法改正を行なって強行した。しかも、これは有効利用すればするほど料金が上がる逆インセンティブになっており、総務省が勝手に使える特定財源になっていることも大きな問題だ。

電波利用料は、「貴重な電波をタダで割り当てるのはおかしい。先進国では常識になっている周波数オークションを行なうべきだ」という経済学者グループなどの提言に対応して、オークションの代わりに「電波妨害対策」などの理由で集めることにしたものだ。それが携帯の普及で予想以上にふくらんだため、地デジに流用したり、役所のリクリエーションに使われるようになったわけだ。

これは「2011年問題」ともからんで重要だ。ASCII.jpにも書いたように、2011年の段階で5000万台以上残るテレビを地デジ対応にするためには、3000~4000億円の財源が必要だからである。しかし今度は、これを電波利用料から流用することは、通信業者が許さないだろう。本来は周波数オークションを行なうことが望ましいが、それができなくても、新規参入業者に「ホワイトスペース」を開放して補償金や電波利用料を徴収すれば、コストをまかなうことは可能だ。

この場合も電波収入は(欧米のオークション収入と同様)一般財源にすべきだ。道路財源でもわかったように、特定財源は役所が勝手に使う「埋蔵金」になりがちだからである。2011年問題は、電波政策を抜本的に転換するチャンスだ。民主党は、道路財源なみのエネルギーで、徹底的に追及してほしい。

「ベンチャービジネス」の幻想

今学期から「ベンチャービジネス」という授業をもつことになったので、「ベンチャーの何ちゃら」という本をいろいろ読んだが、日本人の書いたもので参考になるのは1冊もない。そもそもベンチャービジネスというのは和製英語で、正しくはstartup、起業家という意味ならentrepreneurである。この言葉だけでなく、起業家について一般にひろく信じられている迷信は多い。本書は、それを具体的なデータで反証する。たとえば
  1. アメリカは他の国より起業家が多く、その数は増えている
  2. 起業家の多くはハイテク産業で企業を立ち上げ、その収益率は高い
  3. 起業家は若く、新しい技術をもち、夢を実現するために独立する
  4. 資金はベンチャー・キャピタルから潤沢に供給される
  5. ベンチャーが経済成長の最大の原動力だから、政府が起業を支援すれば成長率が高まる
以上は、すべて誤りである。米政府などのデータによれば、
  1. OECD諸国で自営業の比率が最高なのは、トルコ(30%)。アメリカは7.2%と下から2番目で、日本(10.8%)より低く、その率は90年代より低下している。
  2. 起業する分野でもっとも多いのは小売業、次いで外食産業、建設業などローテク分野が多く、収益率は低い。その生存率も5年で45%と低く、平均所得は勤労者より低い。
  3. 起業家の平均年齢は40代で、企業をやめて独立するケースが多い。その原因は、レイオフなどによる失業や、会社づとめがいやになったという消極的な動機が多い(こういう起業はほとんど失敗する)。
  4. 起業資金は平均2万5000ドルで、個人の貯金がほとんど。VCが資金を提供するのは、創業する企業の0.1%以下である。多くの新企業(在来型のサービス業)は、商業銀行から融資を受けている。
  5. 起業率と成長率には相関があるが、これは時系列でみると、成長率が上がったために起業が増えたと考えられる。政府の補助金や低利融資などは、非効率な中小企業を増やすだけだ。
では、起業家精神に意味はないのだろうか。そうではない。VCが資金を提供して株式公開に至った企業は、1972年から2000年までに2180社だが、これは公開企業の20%に達し、その時価総額は2.7兆ドルと公開企業全体の1/3にのぼる。つまりVCが投資するような新企業は、たしかに経済成長に大きく寄与しているのである。

重要なのは大企業か自営業かという違いではなく、技術力があり収益モデルがしっかりしていることだ。いいかえれば、必要なのは企業としてのstartupではなく、イノベーションを生み出すentrepreneurshipなのである。したがって必要なのは、政府系金融機関などの甘い査定による「ベンチャー支援」ではなく、企業を見る目をもったVCなどの評価システムと、リスクを市場で分散する株式ベースのファイナンスである。

本書は、私の読んだ限りでは、有名なThe Origin and Evolution of New Businessesと並んで数少ない、起業家についての具体的データをもとにした経済学的な分析である。特に「1円起業」や無担保融資で「ベンチャー育成」ができると思っている官僚諸氏には、ぜひ読んでほしい。

追記:イノベーションが経済成長のエンジンだということは、内生的成長理論でよく知られているが、そのミクロ経済学的な分析は、私の知るかぎりBaumolぐらいしかない。Baumolも本書を推薦している。


スクリーンショット 2021-06-09 172303
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