今週の週刊ダイヤモンドに、岸博幸氏の「ダビング10で市場縮小の恐れ」という「寄稿論文」が掲載されている。あまりにも間違いが多いので、ダイヤモンドに投稿しようかと思ったが、よく考えたら15万部の週刊ダイヤモンドより毎週35万PVの当ブログのほうが読者が多いので、こっちで反論することにした。少しテクニカルなので、興味のない読者は無視してください。
岸氏の主張は、上の図に要約される。彼によると、
ここで横軸は数量x、縦軸は価格pである。インターネットで音楽ファイルを複製する限界費用cはほぼゼロだから、市場が競争的だとすると、その価格はcに均等化して均衡価格p*に近づく。これが岸氏のいう「コンテンツの価値がゼロに近い水準」になる現象だが、「外部効果」とは無関係な当たり前の市場原理だ。現実に、ウェブではほとんどの情報は無料で入手でき、これが効率的だ。つまり岸氏の思い込みとは逆に、コンテンツの価格はゼロに近づくのが正しいのである。
しかし、これでは映画のように巨額の製作費(固定費用)を必要とする産業が困る。DVDの販売量をx、需要曲線をD(x)とし、生産コストC(x)を固定費用fと可変費用cxにわけると、C(x)=f+cxと書け、限界費用はC'(x)=cとなる。他方、製作費を含めた平均費用はC(x)/x=f/x+cだから、競争的な市場で均衡価格p*が限界費用cに等しくなると、図のように1単位あたりf/xの損失が発生する。
こうした費用逓減は、工業製品では当たり前の現象で、多くの企業はイノベーションや営業努力で解決している。たとえばあなたの使っているボールペンも時計も、原価(限界費用)で売ったのでは設備投資が回収できないので、利潤(固定費用)を乗せた価格で売っている。だからコンテンツ業者だけに独占利潤を公認する理由はないのだが、彼らの政治力が強いため、著作権という理由で合法的な独占価格の設定を認めたのだ。
コンテンツに著作権を設定して独占価格pmをつけると、限界収入D'(x)と限界費用cが均等化するxmの水準でコンテンツの販売量が決まるが、これは最適な生産量x*に比べると過少なので、図の斜線部分(三角形)の消費者余剰が失われる。岸氏が「社会的な価値」として想像しているのはこのpmらしいが、これは社会的には斜線部分の死荷重(社会的な損失)をもたらす。需要の価格弾力性が大きい(需要曲線D(x)が水平に近い)ほど、死荷重は大きくなる。最近のP2Pの普及は価格弾力性がきわめて高いことを示唆しており、Romerの概算によれば、音楽産業の独占による死荷重は全世界で約360億ドルで、これは音楽産業の全世界の売り上げ370億ドルに匹敵する。
競争や複製によって価格が限界費用に近づくのは、大学1年生でも習う均衡理論だ。それがデジタル情報の世界では急速に起こっているが、これはコンテンツも効率的市場になり、だれも鞘を取れなくなったということで、資源配分の効率性という観点からは望ましい。Romerも指摘するように、レコード業界が沈没しているのは、原価1ドル以下のCDをその10倍以上の価格で売る価格カルテルによって自分の首を絞めているためで、カルテルを禁止してCDの価格をレンタルCDぐらいに引き下げれば、増益になる可能性が高い。
このように経済学的には、著作権は有害無益だが、かりにそれを認めるとしても、インセンティブを価格規制によって守るのは、死荷重をもたらす農業補助金と同じ愚策である。効率性とインセンティブの問題はデカップリングし、包括ライセンスなど契約ベースで解決すべきだ。これ以上は専門的なので省略するが、ここで書いたことは経済学の常識である(cf.Menell-Scotchmer)。慶応の学生に、こういう混乱した経済学を教えるのはやめてほしいものだ。
市場における財の価値は、価格という指標を通じて伝達される。ところが、デジタル技術の向上とインターネットの普及という環境変化によって、経済学でいうところの「外部経済効果」が働き、コンテンツの価値をゼロに近い水準に引き下げてしまった。この「外部経済効果」(そんな経済学用語はないが)を阻止するためにダビング10などのコピー制御が必要だといいたいらしいが、この文章はナンセンスである。岸氏によれば、青い曲線で決まるのが「社会的な(正しい)価値」であって、それが「外部効果」でゆがめられて赤の曲線にシフトするらしいが、青の曲線が正しい価値だという根拠はどこにあるのか。経済学では、普通この問題を次の図のように理解する:
ここで横軸は数量x、縦軸は価格pである。インターネットで音楽ファイルを複製する限界費用cはほぼゼロだから、市場が競争的だとすると、その価格はcに均等化して均衡価格p*に近づく。これが岸氏のいう「コンテンツの価値がゼロに近い水準」になる現象だが、「外部効果」とは無関係な当たり前の市場原理だ。現実に、ウェブではほとんどの情報は無料で入手でき、これが効率的だ。つまり岸氏の思い込みとは逆に、コンテンツの価格はゼロに近づくのが正しいのである。
しかし、これでは映画のように巨額の製作費(固定費用)を必要とする産業が困る。DVDの販売量をx、需要曲線をD(x)とし、生産コストC(x)を固定費用fと可変費用cxにわけると、C(x)=f+cxと書け、限界費用はC'(x)=cとなる。他方、製作費を含めた平均費用はC(x)/x=f/x+cだから、競争的な市場で均衡価格p*が限界費用cに等しくなると、図のように1単位あたりf/xの損失が発生する。
こうした費用逓減は、工業製品では当たり前の現象で、多くの企業はイノベーションや営業努力で解決している。たとえばあなたの使っているボールペンも時計も、原価(限界費用)で売ったのでは設備投資が回収できないので、利潤(固定費用)を乗せた価格で売っている。だからコンテンツ業者だけに独占利潤を公認する理由はないのだが、彼らの政治力が強いため、著作権という理由で合法的な独占価格の設定を認めたのだ。
コンテンツに著作権を設定して独占価格pmをつけると、限界収入D'(x)と限界費用cが均等化するxmの水準でコンテンツの販売量が決まるが、これは最適な生産量x*に比べると過少なので、図の斜線部分(三角形)の消費者余剰が失われる。岸氏が「社会的な価値」として想像しているのはこのpmらしいが、これは社会的には斜線部分の死荷重(社会的な損失)をもたらす。需要の価格弾力性が大きい(需要曲線D(x)が水平に近い)ほど、死荷重は大きくなる。最近のP2Pの普及は価格弾力性がきわめて高いことを示唆しており、Romerの概算によれば、音楽産業の独占による死荷重は全世界で約360億ドルで、これは音楽産業の全世界の売り上げ370億ドルに匹敵する。
競争や複製によって価格が限界費用に近づくのは、大学1年生でも習う均衡理論だ。それがデジタル情報の世界では急速に起こっているが、これはコンテンツも効率的市場になり、だれも鞘を取れなくなったということで、資源配分の効率性という観点からは望ましい。Romerも指摘するように、レコード業界が沈没しているのは、原価1ドル以下のCDをその10倍以上の価格で売る価格カルテルによって自分の首を絞めているためで、カルテルを禁止してCDの価格をレンタルCDぐらいに引き下げれば、増益になる可能性が高い。
このように経済学的には、著作権は有害無益だが、かりにそれを認めるとしても、インセンティブを価格規制によって守るのは、死荷重をもたらす農業補助金と同じ愚策である。効率性とインセンティブの問題はデカップリングし、包括ライセンスなど契約ベースで解決すべきだ。これ以上は専門的なので省略するが、ここで書いたことは経済学の常識である(cf.Menell-Scotchmer)。慶応の学生に、こういう混乱した経済学を教えるのはやめてほしいものだ。