周波数オークションで経済活性化を

本書にも書かれているが、財政による「景気対策」が有害無益であることは、すべての経済学者のコンセンサスである。いま必要なのは、著者も強調するように日本経済の「成長力」を高めることだ。そのためには、バラマキではなく競争促進による経済の活性化が必要だ。

その具体策が本書にもいろいろあげられているが、ここでは周波数オークションだけを取り上げる。著者は「地デジ移行にともなって空く180MHzを周波数オークションにかければ、諸外国の例から5~6兆円の国庫収入が上がる」と書いているが、これはちょっと大ざっぱだ。もう少し細かく試算してみよう。

180MHzあくというのは、私もASCII.jpに書いたホワイトスペースのことだ。中継局が重複している部分など安全を見込んでも、関東で28チャンネル=168MHzあいている(地方では200MHz以上あいている)。すでに通信事業者などに開放することが決まっている710~770MHzに60MHz、民放連もあいていることを認めた800MHz帯に36MHzあるので、合計264MHzあいている(*)。1MHzあたりの単価は、鬼木甫氏の試算によれば131億円なので、131×264=約3兆4500億円。消費税1.4%に相当する。

これは国庫収入になるばかりでなく、地デジの移行費用にも使える。さらに本質的なメリットは、新規参入で新しいビジネスを創造し、競争によって無線通信サービスの料金を引き下げる効果だ。経済を活性化して財政再建にも役立つという一石二鳥の政策である。経産省が検討しているほか、民主党にも関心をもつ議員がいるので、来年の地デジ移行対策2000億円とワンセットで、周波数オークションを考えてはどうだろうか。ホワイトスペースは3年先だが、800MHz帯は今すぐ開放でき、これだけで4700億円になるので、地デジ移行費は十分まかなえる。

(*)通信事業者の指摘を受けて修正した。710~806MHzを連続して開放すれば96MHzあくので、工夫すれば20MHz×5スロット取れる。これを一挙にオークションにかけることが効率的だ。財務省も前向きらしいので、オークションを総務省の地デジ移行対策2000億円を認める条件としてはどうだろうか。

現代マクロ経済学講義

けさの短い記事が予想外に大きな反応を呼んで、新聞社から取材まであったので、誤解のないようにフォローしておくと、クルーグマン自身はちゃんとした経済学者で、地底人のようなトンデモではない。授賞理由となった戦略的貿易政策は、代表的な国際経済学の教科書にもまったく出てこない陳腐な理論だが、おそらくこれは表向きの理由で、本当の授賞理由は昨今の異常な経済状況だろう。

前の記事のコメント欄のLadbrokesのオッズにもあるように、本来の最有力候補はFamaだったと思うが、彼は不幸なことに効率的市場仮説の元祖として知られている。この状況で「市場はすべての情報を織り込んでいる」という理論に賞を与えたら、1997年に受賞したMerton-Scholesの創立したLTCMが翌年、破綻したときのような批判を浴びるだろう。このランキングの上位にいるBarroやSargentは新しい古典派と呼ばれるウルトラ合理主義者なので、受賞記者会見で「政府は何もするな」などと言いかねない。

したがって選考委員会は「市場メカニズムだけにまかせていてはだめだ」と主張する経済学者をさがしたと思われる。スティグリッツがまだもらっていなければ確実にもらっただろうが、彼はすでに受賞した・・・と消去法で考えると、このリストの中ではバグワティとクルーグマンが残る。これは共同受賞にしてもよかったと思うが、なぜクルーグマンの単独受賞になったのかは謎だ。国際資本市場の不安定性をかねてから警告していたのは、バグワティのほうだからである(こういう片手落ちはノーベル賞によくある)。

日本では、もっぱら「インフレ目標」が話題になっているが、これは授賞対象ではなく、クルーグマンがまじめに提案したものでもない。官僚やメディアがこういうどマクロ経済学にだまされる原因は、学部レベルの教科書にIS-LMしかないためだと思う。大学院の教科書にはIS-LMはないのだが、その間をつなぐ中間レベルの教科書がない。本書は、そうした数少ない教科書で、Romerのように網羅的ではないが、DSGE(Dynamic Stochastic General Equibrium)と呼ばれる新しい理論の骨格を簡潔に解説している。

本書の中心はNew IS-LMモデルと呼ばれる期待を入れた動学マクロ理論である(この名称は学生が恐れないための工夫で、学部の教科書のIS-LMとは無関係)。実はクルーグマンのモデルもこの一種なので、著者はそれを定式化しなおして検討する。それによればクルーグマンの結論は
将来のGDPギャップが十分にプラスだという期待があれば、現在のインフレ率をプラスにすることができる。したがって流動性の罠にはまっており、現在の政策金利を動かす余地がない中央銀行でも、民間主体の期待の効果を利用することで金融緩和効果を引き出すことができる。(p.210)
と要約できるが、この命題は成り立たない。その理由は簡単にいうと、民間主体がこのようなforward-lookingな合理的期待を抱いているのであれば、中央銀行が何もしなくてもそういう長期均衡が達成される。逆にそういう期待を抱いていなければ、ゼロ金利のもとでは貨幣と債券は同等なので、中央銀行がいくら通貨を供給しても期待を変えることはできないからだ(これは彼自身が明言している)。つまりクルーグマンのモデルは、合理的期待を仮定することによって結論を先取りしているのである。

もう一つの問題点は、クルーグマンのモデルでは均衡実質利子率(自然利子率)がマイナスになると外生的に仮定していることだ。この理由はよくわからないが、彼の説明では日本の少子化が原因らしく、これ自体は動かせないものとされている。しかし著者は、このような仮定は日本経済の最大の問題を捨象するもので、金融政策の参考にはならないと批判する。マイナス金利は、金融機関の不良債権などによって内生的に生じた現象であり、これを変えないかぎり問題は解決しない。

著者は日銀の職員なのでBoJ Viewのバイアスがあると思うが、これが現在の金融の専門家の大方のコンセンサスである。デフレは結果であって原因ではないので、「リフレ」の効果はあるとしても一時的で、期待が(何かの理由で)変化するまでジャブジャブの金融緩和を続けなければならない。事実クルーグマンは、4%のインフレを15年間続けるという約束を日銀がするよう提案している。要するに、これは手の込んだ冗談なのだ。

本書は法学部卒の人にはしんどいと思うが、霞ヶ関の人々には眺めるだけでいいから読んでみてほしい。学部レベルのIS-LMとは違って、期待を入れた動学モデルでは、裁量的な政府の介入はきかないのである。

クルーグマンにスウェーデン銀行賞

今年も当ブログの予想ははずれ、受賞者はノーマークのポール・クルーグマン。ノーベル財団の授賞理由を読んでも、よくわからない。"International Trade and Economic Geography"というのは、アメリカが日米半導体協定を求めてきたとき、彼らの理論武装に使われた「戦略的貿易政策」というやつで、いわゆる収穫逓増があると大きいものが大きくなるので、日本の半導体を規制しろというものだ。今となってはナンセンスなことが明らかな理論で、その昔ロボトミーに授賞されたようなものだろう。

クルーグマンの政治とのかかわりは、1982年にレーガン政権のスタッフになったことから始まる。そのころは、いわゆるレーガノミックスにそって自由貿易を推進していたのだが、クリントン政権では大統領経済諮問委員会の委員長候補とされ、本人もあからさまに「ポストに興味がある」と語ったが、結局ポストにはつけなかった。この戦略的貿易政策は、そのとき猟官運動のために書いたもので、国際経済学の常識である自由貿易を否定する理論だ。

ところがポストが得られないことを知ると、クルーグマンは1994年に「競争力という危険な幻想」という論文を発表して、自由貿易主義者に変身する。その後は、エンロンの顧問をつとめて笑いものになったり、ブッシュ政権を罵倒するコラムを毎週書いて、Economist誌に「片手落ちの経済学者」と皮肉られたりした。

要するに、その時その時で理屈を変えて世の中に媚びてきたわけで、昨年のHurwiczとは逆の、経済学者の卑しい部分を代表する人物だ。経済学がいかに都合よく結論にあわせて「理論」を編み出せるかを示すには、いいサンプルだろう。彼は学問的に新しいことをやったわけではないが、ジャーナリストとしては一流だから、代表作はNYタイムズのコラムだろう。

なぜ株式と債券だけが存在するのか

今回の金融危機の原因を、契約理論で考えてみる。私の昔の論文の再利用だが、政策担当者には参考になるかもしれないので、簡単にまとめておく。かなりテクニカルなので、興味のない人は無視してください。

前に磯崎さんとの往復ブログ(?)でも書いたが、なぜ金融市場で株式と債券という特殊なcontingent claimが圧倒的に多いのかは、合理的に説明がつかない。理論的に考えれば、Arrow-Debreu証券(状態空間の単位ベクトル)で状態空間を連続にスパンすることで完備市場になるので、一般には株式も債券も最適な証券ではない(Allen-Gale)。派生証券で両者の線形結合をつくることによって効率は高まるので、こうした金融商品は市場ではゼロサムゲームだが、経済的な福祉は高まる(だから賭博とは違う)。

もし取引主体が無限に多く、彼らの選好が連続に分布していれば、すべての証券はArrow-Debreu証券の合成として実現可能なので、流動性危機は生じない。しかし実際には、証券が取引されるためにはかなり大きな「臨界取引量」が必要で、それを上回らないと金融商品として成立しない。したがって状態空間の中の少数のベクトル(証券)に取引が集中することで市場が成立する。株式と債券は古くからあるため、こうしたコーディネーションのfocal pointになっていると考えられる。

新しい金融商品を発行するときも、それが標準化されて市場に広がることが重要だ。一般に、金融商品のfirst mover's advantageは大きく、最初に開発した投資銀行の商品が市場の半分以上を占めるといわれる。このため、1990年代前半まで金融商品(ソフトウェア)で特許は取れなかったが、急速なイノベーションが起こった。これは「知的財産権」なるものがイノベーションの必要条件ではない例としてよくあげられる。

では特許がないのに、投資銀行はどうやって利益を上げたのだろうか? それはIT業界でいえば、SI業者と同じである。投資銀行は金融商品そのものは公開して市場に普及させるが、それを運用する知識はきわめて高度だ。しかも特定の顧客向けに最適化してリスク分散のために多くの債権を複雑に組み合わせた仕組債にするので、中身はほとんどブラックボックスになり、顧客は運用もその投資銀行に頼らざるをえない。IBMがオープンソースのLinuxを使ってシステム構築でもうけるのと同じだ。

個々のモジュールは業界標準の証券なので流動性が高いが、仕組債はカスタマイズしているので相対決済しかできず、流通性が低い。しかも投資銀行は高いレバレッジをかけて資本効率を上げるので、多くのモジュールの一つでも市場が崩壊すると、仕組債全体が売却できなくなり、急いで売ると額面の5%といったfire saleになる。こうした損失にもレバレッジがかかって何倍にもなるので債務不履行の連鎖が起こり、それがCDSをもつ投資銀行の資産を破壊する・・・

というように悪循環が起こる。個々の金融商品は独立性の高い疎結合(loose coupling)になっているのだが、それを複雑に組み合わせて特殊なポートフォリオを組むため、counterpartyが密結合(tight coupling)してしまい、コーディネーションの失敗が起きたわけだ。ブックステーバーもいうように、金融システム全体がスペースシャトルのようにデリケートで脆弱になっているため、Oリングが1本切れたただけで墜落してしまう。

だからこの問題の長期的な解決策は、ブックステーバーの言葉でいえばゴキブリのように、細かく最適化しないで標準的なモジュールだけを使うことだ。これは収益という点では高度に最適化した仕組債に劣るが、今のような状況になっても売却できる。この点で流動性が最大なのは現金だから、ケインズのいう流動性選好が大恐慌で強まったのは合理的だ。ゴキブリ並みの金融技術しかない邦銀が助かったのも、このおかげだ。

ITでいうと、これはインターネットの思想である。自律分散型のパケット交換は冗長性が高いので、効率は悪いが、災害や戦争になってもとにかく動く。派生証券は、効率は高いが事故に弱いATM交換機のようなもので、情報産業ではもはやレガシー技術である。投資銀行は最先端のようでいて、実は一昔前のPSTNと同じ構造なのだ。今回の事件を教訓として、金融システムをloose couplingにし、インターネットのようなゴキブリ型ネットワークに変える必要があろう。AIGが事実上やっていたCDSなどの決済機関を、公的に創設してはどうだろうか。

経済学者の提言(その3)

CEPRのウェブサイトVOXで、金融危機への経済学者の提言集が発表された。Eichengreen、Tabellini、Douglas Diamond、Kashyap、Rajanなどが提言している。Zingalesは不良債権を公正価値で買い取るためのrenegotiation designを提案している。Bebchukは、政府資金を民間のファンドマネジャーに運用させて資本増強するしくみを提案している。

いずれも政府が強権発動するのではなく、市場を利用して問題を分権的に解決するメカニズムを提案している。契約理論やメカニズムデザインなどの抽象的な理論が、実際の政策に応用されているのが印象的だ。経済学は政策科学なのだから、学会誌に投稿するのは練習で、本番はこういう仕事である。日本も高い授業料を払ったのだから、その経験を踏まえて専門家が制度設計の提案をしてはどうだろうか。

「ケインズ革命」の幻想

Friedman-Schwartzの大著"Monetary History of the United States 1867-1960"の、大恐慌の章だけのダイジェスト版が再発売された。原著は、大恐慌の原因を「有効需要の不足」とする通説に挑戦し、その責任がFRBの誤った金融政策にあることを明らかにして、経済学や経済政策に大きな影響を与えた古典だが、膨大なデータの並ぶ900ページ近い本で、通読した人はまずいないだろう。本書も読みやすいとはいえないが、大恐慌の本質がマネタリーなものだったことを立証する点で、現在の危機を理解する役に立つ。

もう一つ重要なのは、当時と現在の違いである。シュワルツもいうように、1930年代のFRBの政策が通常の景気循環を大恐慌にしてしまったので、中央銀行がそんなバカな政策さえとらなければ、「大恐慌の再来」はありえない。90年代の日本も同じで、ゼロ金利や量的緩和を行なった日銀を昭和恐慌と同一視して「清算主義」などと罵倒するのはナンセンスである。日本の長期不況の本質も金融危機だったので、不良債権を清算しないかぎり危機は脱却できない。

シュワルツも本書の序文で書いているように、「ケインズ革命」といわれたものは今となっては幻想で、『一般理論』は厳密に定式化すれば、固定価格のもとでの一時的な不均衡状態を記述する「特殊理論」にすぎない。その弊害は、ある意味ではロシア革命より大きい。ロシア革命が間違いだったことは今日では誰でも知っているが、ケインズ革命の影響はまだ政治家ジャーナリストに残っているからである。

グローバル金融市場:自由放任の終焉

When Fortune smiles, I smile to think how quickly she will frown.
- Robert Southwell

今週のEconomist誌の特集のタイトルは"When fortune frowned"。これは今月出たIMFの世界経済見通し(和訳)の解説だが、大騒ぎの最中にこれだけレベルの高い分析ができる実力は、日本の地底メディアとは桁違いだ。例によって、いい加減な訳に私見をまじえてメモしておく:
IMFによれば、今回の金融危機による世界経済の損失は1.4兆ドル。これは4月の予想の1.5倍に達し、これまでに償却されたのは7600億ドルなので、まだ半分残っている。これによって欧米の銀行は融資残高を少なくとも10兆ドル減らし、2009年までに世界の資産は14.5%減ると予想されている。

今回の大恐慌以来の金融危機は、アメリカ中心の資本主義を大きく変えるだろう。最大の変化は、これまで貿易自由化とのアナロジーで賞賛されてきた資本市場の自由化が、常に望ましいとは限らないと証明されたことだ。政府のファイナンスへの介入は強めざるをえないが、それには注意が必要だ。

現在の証券化を中心とするファイナンスのしくみは、アングロ=サクソンの発明だ。これによって市場の流動性は高まり、効率が上がると考えられてきたが、最近では資本主義は本質的に不安定性をはらむと考えるハイマン・ミンスキーの考え方が当局に影響を与え始めている。ただ問題は、派生証券の利益の源泉の多くが規制の歪みにあることだ。たとえば銀行は、BIS規制をくぐり抜けるためにオフショアのSPCを使って過大な資産を保有してきた。

実証研究によれば、資本市場の発達した経済ほど成長率は高い。特にアングロ=サクソン型の金融システムは、衰退産業から成長産業に資源を再配分することによって急速な成長を可能にしてきた。しかしIMFの報告書によれば、金融システムが高度に発達するほどそれが崩壊した場合の打撃も大きい。特に派生証券を通じた過剰債務は、好況のときは資本効率を上げる一方、失速すると危機を拡大するpro-cyclicalな効果をもつ。

しかし単純な規制強化は答にならないばかりか、かえって歪みを拡大する。特にアメリカのバラバラで整合性のない規制システムと議会の政治的な介入は、危機に対する迅速な対応をさまたげているので、まず規制当局を改革することが先決だ。今回の危機で特徴的なのは、何も規制のないヘッジファンドがもっとも安定していることだ。過剰規制は昔の非効率な金融システムに戻すリスクがあるので、新たな枠組を考える必要がある。

今回の危機の種をまいたのが、アメリカの過剰な金融緩和であることは疑問の余地がない。FRBは、日本のデフレの轍を踏むまいとして2002~3年に政策金利を1%まで下げ、その後も金利正常化をためらった(日本の異常な金融緩和も、キャリー取引を通じてバブルに貢献した)。この結果、行き場を失ったグローバルな過剰流動性が、暗黙の政府保証のついた住宅市場に集まった。この意味で、米政府も今回の危機の共犯者である。

要するに今回の危機は、長期にわたる異常な金融緩和、市場をゆがめる時代遅れの規制、投資銀行の不十分な監督など、政府によって作り出された側面が大きい。したがってあわてて規制を強化するよりも、まず規制当局を再編し、銀行・証券の規制を統合するとともに金融政策と監督政策を統合するなど、危機管理体制を整えるべきだ。エンロン事件のあと、SOX法でアメリカ経済が窒息した愚を繰り返してはならない。政治家やメディアの感情的な反応に流されることなく、政府と市場の適正なバランスを考え直す必要がある。
私のコメント:今回の騒動は、国際資本市場をめぐる長年の論争において、フリードマンなどの全面自由化を求める意見よりも「資本市場は違う」というバグワティの意見に軍配を上げたといえよう。IMFや世銀では最近、リバタリアンが主流だったが、今後はオバマ政権が成立すれば、リベラル派が復活してくるのではないか。資本市場への規制強化は避けられないが、G7のようなアドホックなしくみではなく、WTOとIMFを統合するなど国際的な危機管理体制を整えることも必要だろう。

クラウド化する世界

The Big Switchの訳本が出た。元記事で書いたように、cloud computingを実装しているエンジニアが読んで参考になるような新しいことは、何も書いてない。しかし私の経験でいうと、現場のエンジニアが「3年古い」と思うような話が、経営者の常識になるにはあと3年ぐらいかかり、役所はそのさらに3年ぐらい前の技術に予算をつけることが多い。

この分野で役所が力を入れているのは、レガシー技術と化したスパコンの戦艦大和日の丸検索エンジンだ。両方とも、現場のエンジニアは「もう勘弁してほしい」とか「こんなのに何年もつきあったら私のキャリアが台なしになる」といっているが、彼らを派遣しているITゼネコンは「補助金あさり」と割り切っている。グローバル市場で勝てないのだから、税金を食い物にするしかないのだ。

この現場と経営トップの認知ギャップの大きさが、日本のIT産業をだめにしている原因なので、cloud computingが日本語の単行本になったことに意味がある。IT企業の経営者は、この訳本ぐらい読んでほしい。そうすれば、グーグルがなぜChromeを出したのかがわかるだろう。それは単なるブラウザではなく、インターネットを並列計算環境にするためのプラットフォームなのだ。また霞ヶ関で情報通信産業を担当する官僚も読んだほうがいい。今からでも遅くないので、戦艦大和の建造はやめるべきだ。

ガラパゴス経済学と最底メディア

きのう海外に住んでいる官僚OBと話したら、「アジアから見ても、日本のメディアのレベルは中国以下だ」と嘆いていた。たしかに今どき金子勝氏や内橋克人氏のようなマルクス主義者が堂々とテレビに出てくるのは、北朝鮮ぐらいのものだろう。先月、岩波書店から出た『現代経済学』という本はマル経の教科書で、著者の一人は元革マルの活動家だ。

経済誌になるとさすがにマルクス主義者は出てこないが、こっちでは地底人が大活躍だ。さらに困ったことに、経済誌の編集者になるとIS-LMぐらいは知っているので、そういう学部レベルの知識で「構造改革は清算主義だ」とか主張する「リフレ派」を「学問知」と取り違える傾向が強い。要するに日本は、地底人=ケインズ派と最底人=マルクス派の闘う、経済学のガラパゴス島なのである。

同じように日本のメディアを格付けすると、地底メディアは内橋氏に「ワーキングプア」を語らせるNHKや、金子氏をレギュラーにして会長が「地デジに補助金よこせ」と主張し続けているテレ朝だろう。フジサンケイグループも、先日の「サキヨミ」のように、私をブラックリストに入れている。日経は著作権や電波の原稿に社内検閲体制を敷き、私に取材した記者の原稿はすべて没になる。

相対的にましなのは、朝日新聞と文藝春秋である。朝日は地デジについても、かなり早い時期から客観的な報道をしているし、著作権についても中立的な立場で書いている。文春も地デジについて早くから批判してきたし、「格差社会」論はバカにしている。メディアの質はイデオロギーではなく、記者がどれだけ組織の論理から自立しているかで決まるのだ。

他方もっとも報道管制が徹底しているのは、私のところに一度も取材に来ない読売新聞だ。彼らは都合の悪い原稿をつぶすだけでなく、積極的に嘘をつく。「ダビング10 メーカーの頑固さ、なぜ?」(リンクは切れている)という5月10日の社説はこう書く:
たった1回しかできなかったDVDへのコピー回数を10回まで増やす「ダビング10」の実施が、6月2日の開始予定日を目前に、暗礁に乗り上げそうな情勢だ。番組にかかわる著作権料の徴収制度に機器メーカーが反対しているためだ。[・・・]消費者団体の委員も理解を示す中、メーカー側の委員だけは「10回に増えても制限があるなら補償は不要」「補償金の対象が際限なく広がる」などと反対した。
事実はこの逆で、「消費者団体の委員も理解を示す」どころか、ダビング10を人質にしてiPod課金を強行しようとする文化庁に消費者の批判が集中し、読売の捏造キャンペーンを押し切って補償金はつぶされた。

ある意味で読売は一貫している。渡辺=氏家ラインの「国策としての地デジにおつきあいする代わりに行政に恩を売り、最大限の補助金を引き出す」という経営戦略にもとづいて、社説も記事も統制されているからだ。読売には「編集権の独立」という建て前さえなく、読売=日テレグループ及び政府=自民党に反対する者を攻撃する道具に新聞を使っているのだ。読売新聞には「偉大なる三流紙」とともに、最底メディアの称号を進呈しよう。

コーディネーションの失敗

主要国の中央銀行(日銀を除く)が協調利下げを発表した直後に、世界の株式市場は「9月危機」以来最大の下げ幅を記録した。これはマーケットの「当局はわかってない」というメッセージだろう。私は、マーケットのほうが正しいと思う。現在の状況は、ある種の取り付け騒ぎである。ふつう証券市場で取り付けは起きないが、今回はそういうBlack Swanが発生した。その原因を、バーナンキも依拠しているDiamond-Dybvigの有名な論文で考えてみよう。彼らによれば、通常の状態と取り付けは図のような複数均衡になっている。

ここで横軸は預金者の行動(預金をどれだけ銀行に残すか)、縦軸はそれによって返ってくる預金額である。預金者の最適反応曲線は図のようになり、彼らの利得関数が同一だとすると、対称ナッシュ均衡は45度線との交点で、図のように複数ある。ふだんは預金を全額引き出すことはめったにないので、右上の「よい均衡」に全員がいるが、何かのきっかけで全員が預金を全額おろそうとすると、銀行は信用創造しているため全額払い戻すことはできないので、健全な銀行でも破綻する。これが左下の「悪い均衡」である。

すべての金融機関には悪い均衡に落ち込むリスクがあるが、ふつう証券市場で取り付けが起こらないのは、個々の証券とリスクが1対1に対応するstate-contingent contractになっているからだ。たとえばリーマン・ブラザーズが破産しても、それで損するのはリーマンの株主だけなのでリスクは遮断されており、すべての株式が売りに出されることはない。しかし預金はcontingent claimではなく銀行に対する無条件の債権なので、そのリスクは銀行しか知らない情報の非対称性がある。このため大恐慌のようにシステミック・リスクが大きくなると、安全な預金と危険な預金の区別がつかなくなって、盲目的に預金を引き出すパニックが生じる。

今回のように証券市場で取り付けが起こる原因は、本来contingent claimだったはずの派生証券があまりにも複雑になり、実質的に投資銀行に丸投げのブラックボックスになっていることだ。このため証券市場に預金と同じような情報の非対称性が発生し、パニックが起こる。そういう人が増えて、返ってくる預金の期待値が図の臨界点Xを下回ると、全員が預金を引き出すことが合理的になり、取り付けが安定したナッシュ均衡になってしまうのである。

Diamond-Dybvigモデルには、利子率は入っていない。取り付けは金利と無関係だからである。したがって、いま起きている世界的なパニックに利下げで対応するのはナンセンスだ。必要なのは、健全な証券と悪い証券を選別してリスクを分離するため、発行体の財務状況を徹底的に開示する透明性である。このためには、政府の資金供給を受ける条件として財務状況の開示を義務づけ、資本不足の銀行には強制的に資本注入する必要がある。市場にまかせていては、悪い均衡から脱却できない。

大恐慌と今回の事態の共通点は、本質的に金融危機であって実体経済の問題ではないということだ。実体経済が悪くなるのは、図のような金融市場のコーディネーションの失敗の結果であって原因ではない。これを主客転倒したことが、ケインズの最大の間違いだった。それから70年たっても、政治家の頭はちっとも進歩していないらしい。麻生首相の言い出した「追加景気対策」なるものは、日本政府は無知だというシグナルを出してマーケットの売り材料になるだろう。


スクリーンショット 2021-06-09 172303
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