岩波新書

新書の元祖でありながら、昨今の新書ブームに乗り遅れていた岩波新書がリニューアルした。しかし、そのラインナップをみればわかるように、発想は古色蒼然。昔ながらの教養主義とマルクス主義と東大法学部である。中途半端に変更した表紙のデザインに、それがよく現れている。

中でもひどいのは、トップバッター(No.1001)の柄谷行人『世界共和国へ』だ。全世界の歴史を新書版200ページで語る荒っぽさもさることながら、枠組がいまだにマルクスだ。最後は予想どおりネグリ=ハートが出てきて、カントの『永遠平和のために』で終わる。え?と思うと、あとがきで「これはいま書いている『トランスクリティーク』の続編のダイジェスト版なので、くわしいことはそれを読んでくれ」。

読者をバカにするのにも、ほどがある。そもそも、今どき柄谷行人なんてありがたがっているのは、岩波の編集者ぐらいのものだ。『国家の品格』が、通俗的ナショナリズムをそれなりに新しい装いで世の中にアピールしているのに、左翼は中身も装いも十年一日だ。新書の元祖が新書ブームの中で消えて行くのも、時代の流れだろう。

IPv6

総務省の委託でインテックネットコアなどが調べたIPv6の普及度調査の結果が、ウェブサイトに出ている。それによれば、のように、v6のトラフィックは2002年の2.5%をピークとして減少し、今年は0.1%にも満たない。

RFC2460(v6の基本仕様)が出てから8年たってもこういう状況では、もう「次世代のアドレス体系」ではありえない。WIDEでも最近は「v4をv6に置き換える」という表現をやめて「v6を普及させる」としているようだ。v6はローカル・アドレスと割り切れば、それなりの用途はある。v4サイトから見えないぶん、安全だというメリットもある。

Windows Vistaには、出荷時からv6のアドレスがつく予定だが、これは混乱のもとになる。NTTやIIJなどの一部のv6専用サービス(閉じたネットワーク)で、すでにv6のアドレスをもっているユーザーは、1つのホストに2つのグローバル・アドレスをもつことになるからだ。ローカルのサーバにアクセスしたらVistaのアドレスで同定されてはじかれる、といったトラブルが起こるおそれが強い。これはマイクロソフトがVistaの仕様で複数のv6アドレスの優先順位を決めるなどの対応をするしかないが、マイクロソフトはその気はないという。

こういう混乱が起こるのは、しょせんローカル・アドレスでしかないv6をWIDEが「次世代」のアドレスとして宣伝したり、それを真に受けた政府が「国策」としてv6を推進したりした結果だ。v4のアドレスが「涸渇」することはありえない、という事実は、山田肇氏と私が4年前の論文で指摘したことだ。この論文は1年で3万回もダウンロードされ、IETFのシンポジウムでもテーマになったが、事実関係は村井純氏も認めた。

ところが霞ヶ関では、まだこの程度の基本的な認識もない。あるとき某省の審議官にv6についてのレクチャーを求められ、「v6はv4と完全互換ではない。v4のサイトからv6のアドレスは見えない」と説明したら、審議官が「それは本当か」と驚いていた。こんな初歩的なことも知らないでv6に100億円以上の補助金をつける無謀さには、こっちが驚いた。v6をめぐる混乱は、要素技術に政府が介入するとろくなことにならないという好例である。

民主化するイノベーション

今週のEconomist誌の特集は、New Mediaである。タイトルはちょっとダサいが、『ウェブ進化論』『グーグル』とは違って、メディアで起こっている変化について多くの1次情報に取材して書かれた、バランスのとれたサーヴェイである。

この特集は、いま起こっている変化を「イノベーションの民主化」ととらえる。かつてグーテンベルクによる活版印刷の普及が知識を教会の独占から解放したように、インターネットが通信制御を電話会社から解放したことによって、blog、Wikipedia、SNS、podcastなど多くの「参加型メディア」が登場し、既存メディアを脅かしている。その革命的な変化は、かつてのドットコム・ブームのときは幻想にすぎなかったが、今度は現実である。

しかし、こうした新しいメディアが社会をどう変えるかは明らかではない。活版印刷は個人を自立させたが、プロテスタントを生み出し、宗教戦争を引き起こした。いまメディアの世界でも、宗教戦争が起こりつつある。アンシャン・レジームの側では、革命を拒否するのか、それともそれを取り込もうとするのか、いろいろな試行錯誤が繰り返されている。LAタイムズやNYタイムズは、紙面をWikiのように読者に編集させようとしたが、多数の「荒らし」によってサイトを閉鎖した。

他方、革命派でも戦略はわかれる。ウェブ上の情報を徹底的に蓄積して選択はユーザーにゆだねるグーグルと、タイム=ワーナーからCEOをまねいて「メディア企業」になることをめざすヤフーの違いは、フランス革命のジャコバン派とジロンド派に似ている。革命は近代市民社会を生み出したという評価もあるが、エドマンド・バークのように混乱と流血をもたらしただけだという評価もある。すべての市民が「参加」する民主主義などというものは、幻想だからである。

おそらく、今後インターネットが成熟する過程で既存メディアとの「融合」が進み、「憲法」のようなルールができてゆくのだろう。しかし、それはかつての近代化の過程で行われた「建国」よりもはるかにむずかしい。新しい憲法は、グローバルでなければ効力をもたないからである。しかし、いま起こっている変化がグーテンベルク以来のスケールだということは、ほぼ明らかになったといえよう。

参考までに、エリック・フォン・ヒッペル『民主化するイノベーションの時代』(ファーストプレス)も同様の現象を分析している。

公共放送NHKに何を望むか

「デジタル時代のNHK懇談会」の中間報告が発表された。しかしその内容は、総務省の通信・放送懇談会とは比較にならない無内容なものだ。報告書は、「NHKの受信料は、個々の番組やサービスの単なる『対価』ではない」というが、何なのかといえば「NHKに質が高く楽しく、災害時などでも信頼できる放送」を望むのだという。これは「放送サービス」そのものではないか。こんな意味不明な話で、視聴者が納得すると思っているのだろうか。

受信料が放送サービスの対価ではないとすれば、それは「税金」である。その性格を曖昧にしているから、3割(約1350万世帯)もの不払いに対処できないのだ。現実には、この数字も粉飾されている疑いが強い。分母は4600万世帯ということになっているが、事業所の受信料は自己申告(病院などは何百台あっても数十台分)だし、「支払い免除」家庭は生活保護の10倍もある。電話と同じ6000万台を分母にすると、不払い率は45%ということになる。こうなると、国民年金よりひどい。もう制度そのものが破綻しているのである。

それなのに、制度設計にはいっさい手をふれないで「公共性を自覚せよ」とか「視聴者第一主義」とかいう精神論で、この危機が乗り越えられると思っているのだろうか。「組織統治」をいうなら、今どきこのように執行部の言い分を丸のみする社外取締役はいない。もっとも小林陽太郎氏のように、たくさんの会社の取締役を兼務して「お飾り」として便利に使われている人物は別だが。

受信料制度の改革については、「NHKの一部チャンネルへのCMやスクランブル化の導入は、民放事業を経営的に圧迫し、視聴者間に所得による情報格差を引き起こす」という。なぜスクランブル化が「情報格差」を引き起こすのだろうか。受信料制度なら、「情報弱者」はカネを払わなくても見ていいのだろうか。これは不払いの公認である。逆に、情報弱者も受信料を払っているのだとすれば、それが視聴料(有料放送)になっても払うだろう。こんな非論理的な言い訳を繰り返す経営陣と、それをそのまま引き写す懇談会が「ガバナンス」とは笑止千万である。

追記:産経新聞によると、この懇談会は、カラ出張事件について「NHKで働くすべての人たちへ~私たちの憤りを伝えておきたい~」という付属文書をeメールで全職員に送ったという。その内容は、語気ばかり荒い精神論だ。その文書の表現をもじっていえば、こんな内容空疎な説教で乗り切れるほど、NHKの危機は浅くない。個人の不正事件と経営問題をごちゃごちゃにして論じるのはやめるべきだ。

追記2:この中間報告では、アーカイブのネット配信を拡大すべきだとしている。現在は、総務省の「ガイドライン」で過去1週間以内の番組とか事業規模10億円以内とか規制されているのを緩和してほしいという意味だ。身を切る改革はすべて拒否しておいて、「肥大化」だけは許してくれ、という虫のいい要求は、総務省でも物笑いの種になっている。

Institutions and the Path to the Modern Economy

Avner Greif, Institutions and the Path to the Modern Economy : Lessons from Medieval Trade は、中世の経済史をゲーム理論で分析した先駆的な業績である。この組み合わせだけみると、好事家的なトンデモ本みたいだが、著者はスタンフォード大学の教授である。経済史学会賞を受賞したばかりでなく、世界計量経済学会で経済史の専門家が招待講演を初めて行うという快挙もなしとげた。

基本的な考え方は単純で、要するに無限繰り返しゲームの「フォーク定理」を中世の地中海で活躍したマグレブ商人の共同体に適用し、1次史料で実証したものだ。彼らはユダヤ人で、その「身内」の長期的関係を維持して情報を濃密に共有し、借金を返さないような裏切り者は共同体から「村八分」にする強力なメカニズムによって取引の安全性を確保した。

しかしこの共同体は、近世になって商圏が拡大すると、司法的に取引の安全を担保するイタリア商人に敗れる。それは、身内とよそ者をきびしく区別するマグレブ商人の共同体がオープンな取引を阻害し、新しい相手との取引を困難にするためだった。この話は、「グローバリズム」を否定して身内の共同体ばかり大事にしていると、結局は経済そのものが没落するという点で、現代の日本への教訓ともなるかもしれない。

線路敷設権

通信・放送懇談会の議論も、ようやく収斂しはじめたようだ。松原座長は、きのうの記者会見でNTTの今後のあり方について、
  1. 現状のまま、持ち株会社の傘下に事業会社を置く形
  2. NTTの中でも特に独占性の強いアクセス部門を、英BTのように機能分離する形
  3. 公開ヒアリングなどでソフトバンクが主張した、NTTのアクセス部門を組織分離する形
  4. NTTの持ち株会社を廃止し,NTTの事業部門ごとに完全に資本分離する形
の4パターンを示した。このうち、1と4はダミーだから除外するとして、問題は2の「機能分離」か3の「資本分離」のどちらかだろう。これは世界的にも議論のあるところだが、通信業界では3の前例はない(*)。鉄道や電力では、完全分離したケースもあるが、あまり評価は高くない。3年前のニューヨーク大停電も、アンバンドルされた送電線を保守するインセンティヴがないため劣化したことが原因とされる。

会見の口ぶりからすると、2が松原氏の意見に近いと思われる。これは、2年前の池田=山田論文とほとんど同じだが、アクセス系をすべて(銅線も光ファイバーも)水平分離する点が違う。ここはむずかしいところで、ダークファイバーを「土管会社」に切り離すことには、NTTがかねてから強く反対している。「FTTHは、まだ300万世帯にやっと届くところで、これからいくらでも競争の余地はある。今の段階で、どこがドミナントかという議論には意味がない」という反論にも一理ある。

とはいえ、線路敷設権のボトルネック性は残る。電柱はNTTが所有していることが多く、そのほかの接続設備もNTTだけを収容するようにできているものが多い。この管理をすべて土管会社(LoopCo)に移し、NTTにも他の業者にも同じ条件で接続するように規制すれば、ファイバー自体を分離しなくても、かなり問題は改善されるのではないか。

(*)アンバンドル規制の経済学的分析については、私のディスカッション・ペーパー参照)。

Seinfeld

"Seinfeld"というテレビ番組をご存じだろうか。日本では、数年前までWOWOWで「となりのサインフェルド」という邦題で放送していたが、今は全国放送はしていない。それでも、地方局では放送しているようだ。

この番組、実は米国NBCでは1998年に放送が終了しているのだが、こうして今でも世界中で再放送が行われ、その1本(30分)あたりの放送権料は最高120万ドルにのぼる(これは放送権料の世界記録)。作・主演のJerry Seinfeldが、この番組を終了したいと言い出したとき、Jack Welch(NBCの親会社GEのCEO)みずから説得に乗り出し、1本あたり500万ドル(これも世界記録)のギャラを提示して続行を求めたが、Jerryは「ぼくは燃え尽きたよ」とこれを拒んだ。終了が決まったとき、NYタイムズは1面で報じた。

内容は、ニューヨークのアパートを舞台にして4人の登場人物がしゃべる単純な家庭喜劇(sit-com)だが、そのセリフが実によくできている。かなりきわどい差別ネタやセックスネタもあるが、いやらしくなく、何度見てもあきない(ただ、ギャグがあまりにもアメリカ的で、日本ではそれほど受けなかったようだ)。TV Guide誌は、"Seinfeld"を「歴史上のテレビ番組のベスト1」に選んだ。

この番組に1本500万ドルものギャラが出せるのは、このように世界中に売って何度も見られるからだ。米国では、こうした「シンディケーション」の市場が発達しており、数百のエージェントがハリウッドや放送局を仲介して、いろいろな番組のパッケージを売買している。CNNは全世界で15億世帯、「ディスカバリー・チャンネル」は4億5000万世帯が見ている。

NHKの民営化を議論すると、すぐ「民放みたいになるのは困る」という反対論が出るが、それは日本のだめな民放を見ているからだ。本当にすぐれた作品は、グローバルに売れば十分ペイするのである。現状では、NHKの番組でさえ、先進国に売れるのは皆無に等しい。途上国に、開発援助の一環としてテープ代にもならないような値段で売っているだけだ。幸か不幸か、日本には世界第2位の大きな国内市場があるため、ローカルで満足してしまい、グローバルに通用する作品が生まれないのである。

しかし、黒沢・溝口・小津の作品を見ればわかるように、日本人の映像的な感覚は世界でも最高水準である。最近やっとアニメ・ゲームなど一部の市場でその価値が認められはじめたが、NHKを民営化してインターネットなど多メディアで国際展開し、放送業界に競争を導入すれば、「コンテンツ産業」が――米国でそうであるように――自動車産業を超える基幹産業に育つことも不可能ではない。

追記:この問題は、『週刊エコノミスト』にくわしく書いた。

グーグルという神話

佐々木俊尚『グーグル』(文春新書)が出た。またか、と思いつつも、著者とはつきあいもあるので読んでみたが、時間(といっても正味30分もあれば読める)とカネの無駄だった。ここに書いてあるようなことは、グーグルのユーザーなら、たいてい知っているだろう。弱いのは、取材先がほとんど国内で、グーグルそのものに迫れていないことだ。最後は、「監視社会」がどうとかいう陳腐な文明論になってしまう。

『ウェブ進化論』にしても本書にしても、グーグルが日本でこうも崇拝されるのはなぜだろうか。先日も、田原総一朗氏に「グーグルのどこがすごいの?」と聞かれて、答に困った。検索エンジンとしての性能は、今ではヤフーやMSNなどもそう変わらない。広告というのは卸し売りのビジネスなので、市場規模は限られている。日本ではGDPの1%、米国では3%(*)でほぼ一定している成熟産業である。グーグルの時価総額がインテルを抜いたというのは、かつてのライブドアと同じような「局所的バブル」である疑いが強い。

グーグルが図書館の本をまるごとデータベース化したり、サンフランシスコで無料の無線LANネットワークを建設している話なども、市場で過大評価された企業にありがちな「帝国建設」行動であり、新しいビジネスモデルを創造しているわけではない。かつてドットコム企業が、「札束を燃やす」行動によって「ひとり勝ち」だとか「収穫逓増」だとかもてはやされたのを思い出す。

グーグルについて、ウェブで入手できる情報以上のことを知りたい人には、ジョン・バッテル『ザ・サーチ』(日経BP)をおすすめする。こっちは、ちゃんとグーグルの創立者や経営者に取材している。

(*)訂正:広告費のGDP比は、日本では1%だが、米国も1%強でした。ただ、その比率がほぼ一定の成熟産業だという点は変わらない。

AM化するFM

私は、自宅では音楽をつけっぱなしにしていることが多い。昔はJ-WAVEをよく聞いていたのだが、最近はインターネット・ラジオやRealPlayerのほうが多い。J-WAVEでかかるのが(他のFM局と同様)"J-POP"ばかりになり、DJのしゃべりや交通情報など、ほとんどAMと同じになっているからだ。

烏賀陽弘道『Jポップとは何か』(岩波新書)によれば、J-POPという言葉を最初に使ったのはJ-WAVEだという。1988年に開局したころのJ-WAVEは、ノンストップで洋楽だけをかけ、DJも英語しか使わないアメリカン・スタイルだったが、日本では「和製ポップス」にも人気があるので、それもかけたほうがいいという営業判断で、J-POPという名前で紹介したそうだ。

それでも最近までは、他のFM局に比べてJ-WAVEは、まだ音楽番組が中心だったが、2001年の番組改編で、明確にAM化をめざすようになった。夜の8時台にニュース番組を流し、そのあともJ-POPの歌手がDJで延々としゃべる。これは営業的にはやむをえない。米国では、大都市では100以上のFM局が聞けるため、局ごとに60年代ロック専門とかカントリー専門とか、細かくセグメント化されているが、東京では4局ぐらいしか聞けないため、幅広いリスナーをねらうには、こういう「総合編成」にせざるをえないからだ。

問題は、FMラジオに割り当てられた帯域のほとんどが空いたままになっているところにある。3年ほど前、FCCの高官と食事したとき、「東京ではFMは何局ぐらい聞けるのか?」と質問されて「4局ぐらい」と答えたら、彼が驚いて「なぜだ?米国では、FMは12000局以上あるんだよ」と聞くので、「競争を恐れるAM局が政府に圧力をかけて新規免許を出させないからだ」と答えたら、あきれていた。

JASRAC

通信と放送の融合をさまたげる究極の壁は、権利者である。IPマルチキャストの問題にしても、いくら法律を改正したところで、権利者がノーといったらおしまいだ。しかも著作権をもっているアーティストというのは、この種の雑用が苦手なので、その代理人と称する業者が暗躍することになる。

その悪質な見本が、JASRACである。カラオケ店などに根拠の不明な高額の「著作権使用料」を請求し、店がそれを拒否すると、JASRACの職員が乗り込んで店内で「ドロボー」と叫ぶなど、暴力団まがいの取り立ての実態は、業界ではよく知られている。おまけに、そうして取り立てた使用料を著作権者に支払っているという証拠がない。年間1000億円を超える使用料の使途は不透明で、過去には不正融資事件も起こしている。

この背景には、日本ではこうした権利者の団体が「仲介業法」によって許認可の対象とされ、JASRACがながく独占状態だったという事情がある。2001年にその規制が緩和されて仲介業者は登録制になったが、JASRACの独占は変わらず、かえってその「競争意識」をあおって取り立てが以前よりも強引になったともいわれる。権利処理をめぐる問題のほとんどは、本源的な権利者ではなく、それに寄生するこういう「仲介者」や「隣接権者」が起こしているのである。

昨年9月、『週刊ダイヤモンド』の記事で、こうした実態が明らかにされると、JASRACは「名誉毀損」だとしてダイヤモンド社を相手どって訴訟を起こした。まったく**たけだけしいとは、このことである(訴えられないよう伏字にした)。







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