YouTube

ITmediaによると、動画サイトYouTubeの1人あたり利用時間や頻度は、日本人が世界でもっとも多いという。たぶんブロードバンドのインフラが整備されていること、多くのビデオクリップが見ればわかる単純なものであることなどが原因だろう。日本人の投稿もけっこう多い。

村上ファンド

村上ファンドの阪神電鉄に対する株主提案が話題を呼んでいる。阪神側が反発する最大の理由は、村上ファンドが経営権を握ったら不動産事業などを「切り売り」するのではないか、との懸念だという。しかし、これこそ投資ファンドの存在理由だ。

1980年代の米国でも多くの投資ファンドが登場し、「多角化」で水ぶくれした企業をLBOで買収し、不採算部門を売却するなどして効率化した。その理論的支柱となったのが、Michael Jensenの有名な論文である。Jensenは、成熟産業の経営者は余ったキャッシュフローを「帝国建設」的な規模拡大や多角化に使う傾向が強いので、それを阻止して利益を投資家に還元する手法としてLBOは重要だと指摘した。

LBOの効果には、賛否両論ある。米国でも社会的には「拝金主義」として批判を受けることが多く、Barbarians at the Gate(『野蛮な来訪者』)やDen of Thieves(『ウォール街・悪の巣窟』)など、企業買収を批判するノンフィクションがたくさん出た。しかし経済学的には、米国の資本主義が80年代までの閉塞状況を脱却するうえで、こうした「企業コントロールの市場」が大きな役割を果たしたという肯定的な評価が多い。

日本では、企業は「共同体」という意識が強いので、いまだに藤原正彦氏のように企業買収そのものに嫌悪を示す人が多く、特に事業売却はよほど追い込まれないとやらない。しかし今回のNHKをめぐる議論でもわかるように、企業に「規模を縮小せよ」と説得するのは無駄である。市場の力で適正規模に縮小させるしかない。資本市場が機能していなくても、効率の悪い企業は最終財市場から退場させられるから、市場が最強のガバナンス装置なのである。

破綻した受信料制度

先日の「朝まで生テレビ」の内容では、松原聡氏の話だけがニュースとして出ている。読売新聞によれば、「NHKのラジオとBSの電波が削減対象になる」という話と、「スクランブル化に否定的な見解を示した」という点がニュースになっている。

たしかに、後者には私も驚いた。彼が『Voice』2005年12月号に書いた記事では、「デジタル放送では、B-CASカードを介して個々の視聴者を特定して、放送を送ることが可能となっている」と書き、両論併記のような形になっていたのに、先週の話では、このB-CAS方式(スクランブル)を明確に否定したからだ。

その理由として、松原氏は「スクランブル化すると、公共放送としての根拠がなくなる」という点をあげているが、それが民営化というものだ。受信料制度が(彼も認めるように)公共料金として破綻しているのだから、公共放送をやめるしかないのである。これに対して「NHKの収入が減る」という心配を宮崎哲弥氏がしていたが、『週刊東洋経済』にも書いたように、視聴料にすれば捕捉率は100%になり、1台ごとに課金できるので、視聴者が半減したとしても採算は合う。そもそも有料放送にしたら視聴者が半減するとすれば、今は本来の視聴者の倍の人々に無理やり見せているということになる。

さらに問題なのは、前にも書いたように、不払いの視聴者は、個人・法人ふくめて最大2700万世帯もあると推定されるが、彼らからどうやって受信料を取り立てるのか、ということだ。これだけ膨大な数の催告状を裁判所から出してもらうには、印紙税だけで100億円ぐらいになるだろう。さらに毎月2000円程度の受信料の不払いでいちいち差し押さえに行ったら、そのコストが取り立てる料金を上回る。要するに、現在の受信料制度は、もうenforcementが不可能なのである。

もちろん民営化する最大の理由は、朝生でも出席者全員が認めていたように「NHKと政治の距離が近すぎる」ことである。これは番組の内容にかかわるだけでなく、経営陣がつねに政治家や役所のほうを向いて経営を行うため、放送ビジネスについて無知な「政治屋」が出世し、デジタル放送のようなナンセンスなプロジェクトが進められるという点でも弊害が大きい。少なくとも、NHK予算を国会で承認するしくみはやめるべきである。BBC予算はOfcomが承認しているが、日本にはそういう独立行政委員会もない・・・

追記:朝日新聞(3日)のインタビューで、NHKの橋本会長は、地上デジタルで「料金を払え」という横断幕を画面に出す方針を示唆している。通信・放送懇談会のいう「取り立て強化」という対策に効果がないことがわかっているからだ。改革の対象よりも後退した提言しか出せない懇談会って何なのか。

ライブドア事件への疑問

昨夜の「朝まで生テレビ」でも話題になったが、今週のテレビはホリエモン出所で大騒ぎだった。しかし、これまでの容疑事実がすべてなら、証取法違反ぐらいであれほど大量に逮捕して死者まで出し、3ヶ月も拘留するというのは、人権侵害だ。

ライブドアのウェブサイトに書いたときは、あとから大きな犯罪が出てくるかもしれないと思って、歯切れの悪い書き方になったが、結果的には「見込み捜査」が失敗したといわざるをえない。検察も100人体制で、政治家や組織暴力にからむ筋を海外まで追ったようだが、結局何も出なかった。検察のねらいは、村上ファンドだという説もあるが、こっちは財界の大物もバックにいるので、検察も慎重になっているのだろう。

新聞もテレビも、検察の機嫌をそこねたくないので、捜査に対する疑問を出さないが、最初に筋書きを書いて、そこに事件を当てはめてゆく「国策捜査」には問題がある。ホリエモンが犯意を徹底的に否認したら、公判の維持もあやういのではないか。

TVに明日はあるか?

今夜(正確にいうと明日の未明)の「朝まで生テレビ!」に出演することになった。テーマは「激論!TVに明日はあるか?!」。民放連の広瀬会長や、通信・放送懇談会の松原座長も出演する。

討論の焦点は、デジタル放送とNHK問題になるようだ。これまで私は、地上波テレビ局には出入り禁止だったが、ようやくテレビ局も、現実を直視せざるをえなくなったということだろうか。

会社は誰のものか

当ブログの「国家の品格」板では延々と議論が続いているが、きのうのTBでおもしろい問題提起があった。藤原氏のいう「会社は従業員のもの」というのは間違いで、商法では「会社は株主(法律用語では「社員」)のもの」だという批判である。実は私も、これとほとんど同じ論旨のコラムを『PC Japan』の今月号に書いた。

藤原氏は「会社が従業員のものではない、というルールは、私の理解を絶する」という。普通は、理解を絶するルールが法律になっていれば、どうしてそうなっているのか理解しようとするが、藤原氏はこれが諸悪の根源だと断じる。彼の主張が正しければ、大変だ。商法が間違っているのなら、至急改正しなければならない・・・

もちろん、そんなことは起こらない。なぜなら、間違っているのは藤原氏のほうだからである。会社とは、株主の投資によって得た非人的資産の集合体なのだから、その所有権が株主にあるのは当然だ。従業員は、会社と契約した「使用人」にすぎない。経済学的にも、「会社は従業員のものであるべきだ」というのは間違いである。現実に、チトー時代のユーゴスラヴィアでは、「労働者自主管理」によって企業が経営されたが、従業員は果てしなく賃上げを求め、設備投資は行われず、企業経営は破綻してしまったのである。

ただ従業員も人的資本に投資しているので、これを資本家が搾取すると、「企業特殊的な人的資本」への投資が行われない。したがって従業員にも一定の配慮が必要だが、彼らが意思決定をすべきではない。従業員が拒否権をもつと、企業の効率化を拒否し、資本の浪費が行われるからである。日本的経営の失敗も、これに近い。

この問題については、何千本もの論文があるが、Jean Tiroleのサーヴェイ(新著の第1章)によれば、多くの利害関係者(stakeholder)の合議によって意思決定を行う「ステークホルダー資本主義」は、理論的にも現実的にも、うまく行かない。したがって制度設計としては、株主が企業をコントロールし、労働者は流動的な労働市場で他に動けるようにすることが望ましい、というのが経済学の標準的な結論である。

ソフトバンクは1兆円ドブに捨てた?

今週の『週刊文春』に「孫正義は1兆円をドブに捨てた」という記事が出ている。要するに、ボーダフォン日本法人の買収価格2兆円(債務肩代わり2500億円を含む)は高すぎるというのである。

ボーダフォンの現在の経常利益は800億円だが、LBOで新たに発生する負債(1兆7000億円)の金利を3%とすると、このうち500億円が飛んでしまう。買収後も、基地局の建設などに数千億円の追加投資が必要であることを勘案すると、相場は1兆2000億円ぐらいだという。ボーダフォン側も株主の突き上げで売り先をさがしていたのだから、じっくり交渉していれば、もう少し値切れたはずだ。

ところが、その買収交渉の最中に、Financial Timesに「投資ファンドのKKRとサーベラスがボーダフォン買収に乗り出す」というニュースが出た。とくにKKRというのは、世界最強の投資ファンドで、資金調達力はソフトバンクとは比較にならない。さらにロイターが「サーベラスの提案は150億ドル(1兆7500億円)」と報じた。ソフトバンクは、このニュースにあせって言い値で買ったが、実際にはサーベラスが買収を行う可能性はなかったという。これはボーダフォン側の投資銀行UBSによる情報操作だった疑いが強い。

私も、このKKRの話は続報も出ないし、おかしいなと思っていた。こういう情報操作は、大規模な企業買収では当たり前で、「だまされるほうが未熟」というのが投資ファンドの見方だ。

ケインズの亡霊

小泉政権が、今日で満5年になる。その「光と影」について各紙が書いているが、最大の功績は「不況のときは財政出動」という「常識」をくつがえし、緊縮財政のもとで景気回復をなしとげたことだという。しかし、これは霞ヶ関や自民党の常識だったかもしれないが、経済学ではとっくの昔に常識ではなくなっている。

欧米でも、戦後しばらくは「ケインズ政策」が常識だったが、1960年代後半から始まったスタグフレーション(不況とインフレの共存)がケインズ理論では説明できなかった。それを見事に説明したのが、ミルトン・フリードマンの「自然失業率」(のちにNAIRU)仮説だった。これは簡単にいうと「財政支出を増やしても、人々の期待がそれを織り込むと効果はなくなる」というもので、合理的期待学派によって数学的に定式化された。さらに「財政支出を国債でファイナンスしても、人々はそれが増税で償還されることを予想するので、財政政策は無効だ」という中立命題によって財政政策の役割は理論的に否定され、1990年ごろまでに先進国では財政政策はとられなくなった。

ところが日本では逆に、80年代までは、不況のときは増税し、好況のときは減税する「逆ケインズ政策」がとられていた。これは大蔵省の財政均衡主義によるものだが、景気循環を増幅することになる。その最大の失敗が、バブルの発生である。1985年以降の「円高不況」に対して、緊縮財政を続けて金融政策だけで「内需拡大」しようとしたため、異常な金余りが発生したのである。これによって大蔵省の権威は失墜し、90年代になって「遅れてきたケインズ政策」がとられるようになり、100兆円以上の財政出動が行われたが、効果はほとんどなかった。

実証的には、合理的期待も中立命題も「ハードコア」のモデルは支持されていない。欧米で財政政策がとられなくなったのは、その政治的弊害や無駄な公的投資が大きいためだ。しかし、マクロ経済を動かす期待の役割を重視した点で、これらの「新しい古典派」は正しい。日本の景気回復の最大の原因も、期待の変化である。財政支出がジャブジャブだと、企業はそれを織り込んで不良債権処理などを先送りするが、財政を引き締めると、企業は政府を当てにしないで「自己責任」でリストラを行い、資本や労働が非効率な部門から効率的な部門に移転されるので、自律的な景気回復が起こるのである。

この意味で、小泉政権の緊縮財政によって景気が回復したのは不思議な現象ではなく、むしろ(新しい)マクロ経済学の教科書どおりの現象である。ところが日本では、いまだに不況になると「よい公共事業」が必要だという経済学者や自称エコノミストが徘徊している。日本経済を健全化するには、経済学界もリストラし、こういう「ケインズの亡霊」には成仏してもらわなければならない。

小沢ブーム

千葉7区の補選で民主党が勝って、にわかに「小沢一郎ブーム」が再来したようだ。しかし、これまでの彼の軌跡をみると、新党を結成した当初は期待されながら分裂し、彼に近い人ほど彼のもとを去ってゆくということを繰り返してきた。私の友人に小沢氏の元秘書がいたが、彼も、小沢氏が大事なことをまわりに相談しないで、ひとりで「奇策」によって解決しようとすることが不信感を生んできたといっていた。

細川内閣が崩壊したあと、小沢氏は渡辺美智雄を首相に擁立しようとしたが、羽田氏はその話を聞かされておらず、小沢氏に連絡がとれないので、自宅までやってきた。私の友人は留守番をしていたが、羽田氏は「小沢はいるんだろ?帰ってくるまで待たしてもらう」と座り込んだ。ところがそこへ、渡辺氏から電話がかかってきた。羽田氏が出て「あなたがこっち(新生党)に来るという話は聞いていない」と答えたところ、渡辺氏は驚き、これをきっかけに彼が自民党を(派閥をひきいて)出るという話は、立ち消えになってしまった。

また羽田内閣が総辞職したあと海部氏を擁立するときも、まわりに協力を求めなかったため、社会党が「村山首班」支持にまわり、非自民連立政権は9ヶ月で終わってしまった。伊藤惇夫氏によると、村山内閣というのは、かなり前から自社両党が「国対ルート」で画策していたという。小沢氏の裏工作は、その裏をかかれたのである。同じような失敗は、その後の新進党や自由党でも繰り返され、「自自連立」で結果的に「自公連立」のきっかけをつくり、与党の絶対多数を固定化してしまった。

それから、あまり知られていないことだが、彼の霞ヶ関に対する力もなくなった。かつては大蔵省の斉藤次郎事務次官と小沢氏だけで「国民福祉税」を決めるぐらい力があり、そのころ小沢氏についた官僚は、斉藤氏だけでなく各省庁にたくさんいた。ところが小沢氏が野党に転落すると、こういう「小沢派」官僚は、斉藤氏のように各省で徹底的にいじめられ、組織(天下り先を含む)から追放された。このため、今度民主党が政権をとったとしても、官僚はついてこないだろう。

私の友人は、こういう彼の性格を「田中角栄に甘やかされて育った『政界おぼっちゃま』だ」といっていた。田中は、たとえば地元の陳情を電話で受けるとき、小沢氏をそばに呼んで、「一郎、陳情処理はこういうふうにするもんだ」と教えたという。47歳で幹事長になり、49歳で総裁に推されて断ったという輝かしい経歴が、「その気になれば首相になれた」というおごりを生んだ(最近もインタビューでそういう発言をしている)。しかし、その「小沢神話」の貯金も、野党になってからの失敗で使い果たした。いま彼にもっとも重要なのは、自分の政治力を過信しないことだろう。

グーグルの価値

まず訂正。先日のこのブログの記事には間違いがあり、米国の広告費(検索広告を除く)のGDP比は、3%ではなく1%強でした。この数字をもとに記事を書いた磯崎さんには、ご迷惑をかけました。

広告産業は成熟産業だが、ネット広告は成長産業である。しかしグーグルのCEO、Eric Schmidtの「ネット広告はまだ広告全体の3%しかない」という話はおかしい。前にリンクを張ったTNS-MIの統計でも、ネット広告(83億ドル)の広告全体に占める比率は5.8%だが、これは検索広告を除いた数字なので、これにグーグルの61億ドルを足しただけでも、10%を超えている。

問題は、この先ネット広告がどれぐらい増える余地があるかということだ。ここで重要なのは、広告が卸売りのビジネスだという点である。企業の予算のなかで広告費の比率はほぼ一定であり、宣伝担当者も各メディアにバランスをとって出稿するから、おのずとメディア別のシェアはどこの国でも同じぐらいになる。今はネット広告のほうが効率がいいので成長率も高いが、経済学でよくやるように、成長とともに各メディアの広告の限界効率が均等化すると想定すると、新聞・雑誌・テレビ・ネットに各20~25%というのが妥当なところではないか。

しかもスポンサーは、ネット広告のなかでも各社にバランスをとって出稿するから、ネット広告の全部をグーグルが取るということはありえない。かなり大胆にネット広告費の半分をグーグルが取ると仮定しても、広告業界全体の12.5%、180億ドルである。これは現在の61億ドルの3倍だが、このへんが上限だろう。要するに、今までの倍々ゲームがあと2年以上続くことは考えられないのである。

ただグーグルは「装置産業」なので、今の調子で売り上げが伸びても、コストはそれほど増えないから、利益率は高いと予想される。今の24%という高い利益率が変わらないとすると、売り上げが180億ドルに達した場合の純利益は43億ドル。これは現在のトヨタの利益の1/3、ホンダと同じぐらいだ。これぐらい行くことは十分考えられる。それにしても、グーグルの時価総額がホンダとニッサンの合計より大きいというのは理解できない。

追記:この記事にはたくさんTBがついている。その多くは「グーグルは広告産業以上のものになる」という意見だが、今のところグーグルの収入の99%は広告であり、それ以上の収入源は見つかっていない。しかも検索エンジンはOSのようにユーザーを囲い込むことができないので、たとえばマイクロソフトがIEに検索機能を内蔵したら、ネットスケープのような運命をたどる可能性もある。







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