人生は運で決まる:『ダーウィン・エコノミー』

ダーウィン・エコノミー:自由、競争、公益
ロバート・H・フランク
日本経済新聞出版社
★★★★★


人生が運に左右されることは多い。あなたが就職の面接で失敗していたら、今の会社には入れなかったかもしれない。デートのときケンカ別れしたら、今の妻(夫)と結婚していなかったかもしれない。何よりあなたの生命は、受精のとき1億以上の精子の中から選ばれた幸運だ。こういう初期条件はやりなおし不可能なので、それを前提にして人生を最適化するしかない。

続きはアゴラで。

江戸時代の「公儀」と「国家」

維新史再考―公議・王政から集権・脱身分化へ (NHKブックス No.1248)
明治150年の今年は、近代の日本を考え直すチャンスである。きょうから始まるアゴラ読書塾(ネット受講はまだ受付中)では、今までとは違う角度から明治の歴史を考えてみたい。その一つのテーマは「江戸時代との連続性」である。

本書は「幕府」とか「藩」という言葉を使わないで江戸時代を語る。これは渡辺浩氏も指摘するように、当時はそういう言葉が使われていなかったからだ。当時、徳川家は公儀と呼ばれ、大名家は国家と呼ばれた。国家という概念は、伝統的な中国にはない。「国」という字は明や清などの王朝を示す言葉で、それを超える普遍的なstateの概念は中国にはなかったのだ。

明治政府が徳川家を「幕府」と呼ぶようになったのは公的な正統性をもたないという意味だったが、公儀は私的な支配ではなかった。国とは家だが、それは個人としての大名を超える連続性と正統性をもつ。それは国家法人説に近い。明治日本の「裏の国体」である官僚支配の原型は、江戸時代にできていたのだ。

続きは4月9日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

放送と著作権のわかりにくい関係

アゴラでも書いたように、放送法4条はどうでもいい話で、撤廃しても衛星に「自民党チャンネル」や「共産党チャンネル」ができる程度の影響しかない。放送と通信の最大の障壁は著作権だが、これはとてもややこしいので理解している人は少ない。規制改革推進会議も理解しているかどうかあやしいので、10年ぐらい前に書いた報告書の一部をブロマガに載せておく。

放送とは「公衆によって直接受信されることを目的とする電気通信の送信」(放送法2条1項)なので、もともと通信に含まれる。「公衆によって直接送受信」できるモバイル端末が1億台以上ある時代に、送信だけを別の法体系で規制する理由はない。別になっているのは、ラジオ時代からの歴史的な経緯である。

放送は電波の利用効率の悪い通信だが、高出力で広い地域に送信できるため、一種の公益事業として特別な扱いを受けている。その一つが、多くの権利者から著作権の許諾を一括して受ける包括ライセンスである。これは放送局以外の業種で禁じられているわけではなく、通信事業者と著作権者の双方が合意すれば、ネット配信でも包括ライセンスは可能だが、不特定多数の権利者を対象にする場合、きわめて困難だ。

続きは4月9日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

読売新聞ナベツネ主筆の誤解している放送改革

最近、放送法についてマスコミが何を騒いでいるのかよくわからなかったが、どうやらその裏には読売新聞の「主筆」がいるらしい。現代ビジネスの記事によると、3月30日に安倍首相は、渡辺恒雄氏と一緒に東京ドームで巨人=阪神の開幕戦を観戦したという。
読売新聞社関係者が明かす。「実は、渡邉主筆はこの試合の半月ほど前に、読売新聞東京本社で行われた会議の席上で『首相がその気なら全面対決だ』と発言したというのです。読売社内では『これまでの親安倍から反安倍に路線変更か』と大きな話題になっていました」

続きはアゴラで。

「危機の政治学」の限界

危機の政治学 カール・シュミット入門 (講談社選書メチエ)
カール・シュミットの思想は危機(例外状態)における決断の主体としての主権者を考える「危機の政治学」である。それはナチスのような危険な思想だが、今もシュミットが多くの人を魅惑するのは、国家の本質的な機能が危機管理、とりわけ戦争にあるからだろう。

戦争の続く近代ヨーロッパでできた主権国家は、戦争に勝つために最適化された暴力装置である。普通選挙のデモクラシーは多くの国民を主権者として戦争に動員するイデオロギー装置で、ナポレオンはそれによってドイツを支配した。この時代に目覚めたヘーゲルやフィヒテなどのナショナリズムが、シュミットの原点だった。

だが平時には、シュミットの思想は輝きを失う。国家のもう一つの機能は、生活の最低保障という退屈な仕事だ。それには危機も例外もなく、決断は必要ない。政府はルールにもとづいて課税し、それを再分配するだけだ。長く平和が続いて豊かになると、人々は政治に関心を失う。高度成長期以降の日本のように、人々は政治的決断を必要としなくなるのだ。

続きは4月9日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

イノベーションは戦争から生まれた

京都大学が打ち出した「軍事研究の禁止」の方針が話題を呼んでいる。
本学における研究活動は、社会の安寧と人類の幸福、平和へ貢献することを目的とするものであり、それらを脅かすことに繋がる軍事研究は、これを行わないこととします。
「軍事研究」の定義が不明だが、「軍事的に利用できる研究」と理解すると、コンピュータもインターネットも京大では研究できない。前者は弾道計算のために、後者は核戦争に生き残る分散ネットワークとして開発されたものだからである。さらに原爆は相対性理論から生まれたので、京大では理論物理学の研究も禁止だ。

戦争はイノベーションの源泉である。生命を守るという至上命令のために、政府はコストを考えないで新技術を開発するからだ。21世紀の戦争は、ロボットやドローンなどの無人兵器が主力で、それを制御するのは人工知能である。これから京大では、ロボットもドローンも人工知能も研究できない。

続きは4月9日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

民主主義のコストを電力会社に負わせるな

四国電力の伊方原発2号機の廃炉が決まった。これは民主党政権の決めた「運転開始40年で廃炉にする」という(科学的根拠のない)ルールによるもので、新規制基準の施行後すでに6基の廃炉が決まった。残る原発は42基だが、今後10年以内に10基が運転開始後40年を迎える。

このまま40年ルールを適用すると、10年後に残るのは32基だが、再稼動を申請していない原子炉が17基ある。「2030年に原子力比率20~22%」というエネルギー基本計画の目標を達成するには25~30基の原発が稼働する必要があるが、新規制基準では1基1000~2000億円の追加的なコストが必要なので、達成できるかどうかは疑問だ。

続きはアゴラで。

日本に生まれなかった「自発的結社」

政治の世界 他十篇 (岩波文庫)
丸山眞男が戦後民主主義の担い手として期待したのは「自発的結社」だった。それは大衆社会のバラバラの「原子論的個人」ではなく、地域や企業を超えて連帯する自覚的な個人の集まりとして、デモクラシーを支える「主権者」となるはずだった。彼は1952年の論文「政治の世界」をこう結んだ。
長時間労働で身心を使い果たし、しかも失業の恐怖に不断に襲われている勤労者にとっては、組合への関心すらも日常的になりがちでしょう。そうなると結局民主主義が現実に民衆の積極的な自発性と活発な関与によって担われるためには、どうしても国民の生活条件自体が社会的に保証され、手から口への生活にもっとゆとりが出来るということが根本だということにならざるをえません(強調は原文)。
労働者が政治に無関心なのは「手から口へ」の貧しい暮らしを続けているからであり、彼らが豊かになれば労働組合を支持するようになるだろう。革新政党が弱いのは労働者が貧しいからで、その生活にゆとりができれば彼らの政治意識は高まり、労働組合が近代的個人を結集する「自発的結社」になるだろう――と丸山は予想したが、そこには致命的な見落としがあった。

続きは4月2日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

福島第一でなぜECCSは動かなかったのか

推論 トリプルメルトダウン-原子炉主任技術者が福島第一原発の事故原因を探る-
3・11の当時から、私が疑問に思っていることがある。それまでの常識では、冷却水が抜けるような大事故が起こった場合は、まずECCS(緊急炉心冷却装置)が起動するはずだった。ところが福島第一では最初に補助的なIC(非常用復水器)やRCIC(原子炉隔離時冷却系装置)が動き、それがうまく動作しないうちに津波で全電源が水没した。

この原因は当初「津波による電源喪失でECCSが動かなかったため」と説明されたが、これは誤りだ。ECCSは直流電源で起動して蒸気圧で冷却水を循環させるので、津波の来る前に起動しておけば、電源がなくなってからもしばらく動いたはずだ。主力の安全装置であるECCSを津波が来る前に起動しなかったことが、結果的には苛酷事故の原因になった。

ECCSの起動が遅れた原因は、マニュアル(事故時操作手順書)で「まずICやRCCIを起動する」となっていることだが、1992年に福島第一の2号機でECCSが誤作動するまでは、まずECCSが起動する設計になっていた。この誤作動のあとECCSを後回しにするよう原子力安全委員会がマニュアルを変更したことが失敗の原因ではないか、というのが本書の推測だ。

続きは4月2日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

城南信金の知らない「リスク」の意味



けさの「朝まで生テレビ!」は、3・11から7年だったが、議論がまるで進歩していない、というより事故直後に比べてレベルが落ちて、話が堂々めぐりになっている。特に最近「原発ゼロ」業界に参入してきた城南信金の吉原毅氏は、エネルギー問題の基礎知識なしにトンチンカンな話を繰り返して辟易した。

続きはアゴラで。






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