「徳川の平和」に回帰する日本

アゴラ読書塾「丸山眞男と戦後日本の国体」はきのうで終了したが、結論は残念ながら「戦後日本に意味のある政策論争はなかった」ということだ。1950年代に丸山を初めとする知識人が主張した「非同盟・非武装」という理念は、もともと政策として成り立たなかった。のちに彼も認めたように憲法第9条は「逆説」であり、これからもそうであるしかない。

では憲法改正が現実になるかというと、それも当面は無理だろう。岸信介の理想とした「自主防衛」で米軍基地を撤去しようという政治家は、今や自民党にもいない。かつて「改憲保守」のリーダーだった安倍首相は、今や「親米保守」になった。こういう状況で第9条を改正するかどうかは、もう政策論争として意味がない。

これは中国の圧倒的優位(冊封体制)のもとで平和を維持していた江戸時代の日本に似ている。清は形式的には日本を支配していたが、武力は行使しなかった。日本は250年の平和の中で兵農分離し、武器は鉄砲から刀に退化した。人々は各藩の中の「一国平和主義」を享受していたが、18世紀から人口も所得も増えなくなった。

同じ時期にヨーロッパでは、人口と所得が爆発的に増えた。その最大の原因は、新大陸の「発見」で領土が拡大し、軍事力が発達したことだった。日本が「徳川の平和」で局所最適化した時期に、ヨーロッパ人は世界征服という大域最適化を求めたのだ。こういう進化論的な差は、短期間に急速に拡大する。

続きは10月1日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

「マルチバース」に出会う新実在論

2018年10月臨時増刊号 総特集◎マルクス・ガブリエル ―新しい実在論―
マルクス・ガブリエルの『なぜ世界は存在しないのか』を「新実在論」と呼ぶのはミスリーディング(彼は自分ではそう呼んでいない)だが、かりにそう呼ぶとすると、それはマルチバース(多宇宙)理論に似ている。

これは私が何度か指摘したことだが、彼自身もそう思っているようだ。今年6月に来日したとき、彼が対談の相手に選んだのは、『マルチバース宇宙論入門』の著者、野村泰紀氏だった。最初に野村氏がマルチバース理論を説明し、ガブリエルはそれに「哲学的にとても共感します」という。

ただガブリエルが野村氏の話を理解していないので、話が噛み合わない。野村氏の話は、ガブリエルの批判する「自然主義」(物理的実在を絶対化する思想)である。宇宙は無数にあるが、シュレーディンガー方程式で記述できる「この宇宙」は一つしかない。マルチバースはガブリエルの考えているような主観的な「領域」ではなく、意識から独立に実在する宇宙である。

もしマルチバースの存在が証明されると、それはこの宇宙が多くの可能な宇宙の中から進化してきたことを示すが、なぜ人間がこの宇宙にいるのかはわからない。それは対談でも野村氏が「数学がなぜこんなにパワフルなのかわからない」といっている謎で、新実在論もそれを解くことはできない。

続きは10月1日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

泊原発の再稼動には「判断基準」が必要だ



北海道はこれから冬を迎えるが、地震で壊れた苫東厚真発電所の全面復旧は10月末になる見通しだ。この冬は老朽火力も総動員しなければならないが、大きな火力が落ちると、また大停電するおそれがある。根本的な問題は泊原発(207万kW)が使えないため、北電の電力供給計画が「片肺飛行」になっていることだ。

泊を再稼動すれば、この冬に大停電が起こるリスクはほぼなくなるが、マスコミはこの問題を避けている。それは安倍政権が「原子力規制委員会が安全と認めた原子炉を再稼動する」という方針をとっているため、安全審査でもめている泊をこの冬に再稼働することは問題外だと思っているのだろう。

これは間違いである。これまで何度も書いたように、安全審査は原発を運転しながら行うことが現行法のルールなのだ。審査と運転は別の概念であり、安全審査のとき運転を止めろとは、法律のどこにも書いてない。定期検査も、原子炉以外の部分は運転しながらできる。その原則を民主党政権が逸脱したことが、今の混乱の原因である。

続きはアゴラで。

「安倍一強」で劣化した右派論壇誌

『新潮45』の特集「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」をめぐる波紋が、意外に大きくなっている。私は問題の発端になった杉田水脈氏の原稿も、今回の特集も読んでいない(これから読む気もない)が、小川栄太郎氏の「痴漢の触る権利を保障しろ」という原稿は、普通の雑誌ならボツだ。これを掲載した編集長の責任は問われるべきだが、それだけのことである。

ところがこれをきっかけとして「『新潮45』は廃刊しろ」というだけでなく、朝日新聞は「新潮社の本を棚から撤去」という記事で不買運動をあおり、新潮社の社長が謝罪した。これは著者の一部に執筆拒否の動きが出たためだろう。文芸出版社は、著者には弱い。『週刊新潮』にも『週刊文春』にも、作家のスキャンダルは出ない。それにつけ込んで新潮社に圧力をかけるのは言論弾圧である。

考えさせられるのは、こんな駄文が月刊誌に掲載されるようになった「論壇」の劣化だ。まだ『諸君!』が健在だったころは、右派論壇誌で外交や安全保障をめぐって「親米」か「反米」かといった論争もあった。そういう論争がなくなり、同じ顔ぶれで同じテーマばかり繰り返すようになったのは、安倍政権の「一強」が強まってきた最近の現象である。

続きは10月1日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

「支那」は差別語ではなく地名である

最近Facebookの検閲がきびしくなって、「支那」という言葉を使うとアカウントが停止されるようだ。グーグル日本語でも候補に出てこない。これはマスコミでは昔から禁止だが、根拠のないタブーである。その語源は5世紀ごろインドで中国を「シナ」と呼んだもので、このもとは「秦」だといわれる。中国には「漢」や「唐」などの王朝を超える地名がなかったため、シナやチャイナという呼称がヨーロッパでも使われた(今も使われている)。

支那という漢字も中国で当てたものだが、これは他称なので、中国人は使わなかった。日本に輸入されたのは平安時代で、江戸時代に広く使われるようになった。どちらの国でも「中国」という言葉は、ほとんど使われなかった。まれに中国人がそう呼ぶときは「南蛮北狄」などに対する世界の中心という意味で、「わが国」の尊称だった。

その事情が複雑になったのは、明治以降である。「支那人」を差別する日本人がいたことは事実だが、それは「支那」が蔑称だったからではなく、他にあの大陸を表現する言葉がなかったからだ。しかし中国から日本に来た留学生は、彼らの知らない「支那」という言葉を差別語だと感じたようだ。1930年に中華民国政府は、「支那」という言葉を使った外交文書を受け取らないと日本政府に通告した。これがタブーの始まりだった。

続きは9月24日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

福沢諭吉が変えた「実学」の意味

福沢諭吉の哲学―他六篇 (岩波文庫)
Physicsを「物理学」と訳したのは福沢諭吉だといわれるが、この場合の物理学はニュートン力学であり、彼がこの言葉に対比したのは「倫理学」すなわち儒学だった。彼が「物ありて然る後に倫あるなり、倫ありて然る後に物を生ずるに非ず」(『文明論之概略』)と書いたのは「事実にもとづいて価値判断すべきであって、その逆ではない」という意味だが、その区別は自明ではない。

たとえば「太陽が地球のまわりを回る」という命題は、現代ではナンセンスだが、歴史の大部分においては事実だった。歴史上ほとんどの学問は既存の価値体系にもとづいて新しい事実を解釈する技術であり、大事なのは体系の整合性だけなので、それを脅かす異端を排除すれば、学問の権威は守れる。儒学の場合は、学問的権威が科挙で国家権力と結びついていたので、既存の体系に疑問をもつ知識人はいなかった。

「東洋が停滞したのは実用的な技術に関心をもたなかったからだ」というのは誤りで、朱子学は実用の学としての「実学」を重視し、森羅万象を説明する壮大な理論体系だった。そこでは倫理(身分秩序)が物理(自然)と一体で、事実を古典でどう説明するかが学問のすべてだった。福沢はそれを強く批判し、実験で理論を検証する実証主義としての「実学」を主張した。それが可能だったのは、彼が知識人としてはドロップアウトだったからだ。

続きは9月24日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

北方四島は日本の「固有の領土」なのか

hoppo

先週ロシアのプーチン大統領が「年末までに平和条約を前提条件なしで結ぼう」と提案したことに、安倍首相も外務省も当惑しているようだ。領土問題を棚上げして平和条約を結ぶという話は「固有の領土である北方四島をロシアが返還しない限り平和条約を結ばない」という日本政府の方針とは相容れないからだ。しかし北方四島が日本の固有の領土だという根拠は何だろうか。外務省ホームページによれば、
1855年、日本とロシアとの間で全く平和的、友好的な形で調印された日魯通好条約(下田条約)は、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の国境をそのまま確認するものでした。それ以降も、北方四島が外国の領土となったことはありません。(強調は原文)
ソ連が千島列島の領有権を主張した根拠は、1945年2月の「ヤルタ協定」だが、これは米英ソの密約であり、法的効力はない。7月のポツダム宣言にはソ連は署名していないので、これも根拠にならない。サンフランシスコ平和条約には、日本は「千島列島に対するすべての権利を放棄した」と書かれているが、これはソ連との平和条約ではない。

ソ連との領土交渉では合意できなかったので、1956年の日ソ共同宣言でソ連は「平和条約の締結後に歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡す」と約束したが、国後・択捉の返還は約束していない。これを日本政府は「不法占拠」と批判しているが、ロシアにしてみると、日本は「千島列島に対するすべての権利」を放棄したじゃないか、ということになる。

問題は「千島列島」に北方四島が含まれるかどうかだ。四島は千島列島に含まれないというのが日本政府の見解だが、ロシアの呼び方「クリル諸島」には四島すべて含まれる。戦前まで四島に日本人が住んでいた(ロシア人はいなかった)ことは事実だが、どこまでを「固有の領土」と考えるかは自明ではないのだ。

続きは9月24日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

原爆 私たちは何も知らなかった

原爆 私たちは何も知らなかった (新潮新書)
原爆投下については、今も多くの疑問が残っている。原爆を「人類」の問題にすりかえ、アメリカの戦争犯罪を追及しない方針を日本政府がとり、マスコミもタブーにしているからだ。原爆を投下するには、次の三つの選択肢があった。

 1.無人島などに落として威力を見せる
 2.軍の施設に落として破壊する
 3.市街地に落として多数の市民を殺す

原爆を開発した科学者は、それを抑止力として使うことを目的にしていたので、実際に原爆を投下することには反対した。アメリカ政府でも(軍部を含めて)、2で十分だという意見が多かった。3は国際法違反の無差別爆撃だが、事前に警告して日本政府に降伏を迫ることもできた。最終的に選ばれたのは「警告なしの無差別爆撃」という最悪の手段だったが、誰がそれを決めたのだろうか。

本書はそれを当時の議事録などから、トルーマン大統領だったと推定する。1945年5月に開かれた原爆についての「暫定委員会」では、多くのメンバーが警告なしの原爆投下に反対したが、それを押し切ったのは、トルーマンの代理として会議に出席したバーンズ元戦時動員局長だった。スティムソン陸軍長官は警告すべきだと主張したが、トルーマンはなるべく日本に打撃の大きい手段をとろうとしたのだ。

続きは9月24日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

「ポスト歴史」の時代に必要な暇つぶしの技術

歴史の終わり〈上〉歴史の「終点」に立つ最後の人間
安倍首相は3期目の課題として「生涯現役」をめざすという。定年を65歳に延長しても、平均寿命まで20年ぐらいあるので、年金をもらわないで働いてほしいということだろうが、それができるのは政治家と自営業ぐらいだ。この長い余暇をどう過ごすかは、長期停滞時代の最大の課題だと思う。

この点で日本は先進国である。フランシス・フクヤマは冷戦の終了後、自由と民主主義を超える価値観は出てこないという「歴史の終わり」を提唱して話題を呼んだが、この元祖アレクサンドル・コジェーヴが1970年代に来日したとき、日本は「ポスト歴史」の社会だと賞賛したという。そこでは政治的な価値観の対立はなくなり、人々は自民党の長期政権のもとで消費文化を楽しんでいた。

そういう文化ができたのは、江戸時代である。武士は戦国時代までは社会の中心だったが、平和になると失業してしまう。ヨーロッパでは軍人の仕事をつくるために戦争が繰り返されたが、徳川幕府は「天下泰平」を維持して、武士の仕事をなくしてしまった。このため暇をどうやってつぶすかが深刻な問題になったが、その技術を開発したのが町人だった。

続きは9月17日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

いびつな「電力自由化」が大停電を生んだ

JBpressの記事はやや荒っぽいので、補足しておく。今回の大停電の原因は、短期的には泊原発を止めたままにしていることだが、本質的な問題は、いびつな電力自由化にある。今まで電力会社は地域独占で供給責任を負ってきたため、日本の電力品質は高いが、電気料金は世界最高水準だ。これが2020年4月から発送電分離されると、送電部門は別会社になり、発電は禁止される。系統運用は送電会社の責任になるので、発電会社は送電責任を負わない

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火力発電所は太陽光や風力などデコボコの多い発電所の負荷(超過需要)を調整しているが、発送電分離されると調整は送電会社の役割になる。その調整は今の電力会社の設備を使うが、分離されることがわかっている電力会社には、競合他社の負荷を調整する投資のインセンティブがない。だから設備投資は「効率化」されてぎりぎりになり、今回のような事故が起こりやすくなるのだ。

私は原則として電力自由化には賛成だが、日本の自由化は経産省が3・11のあと、東電の政治力が弱った時期に、民主党政権を利用して火事場泥棒的に決めたものだ。おまけに原子力が動かない状態のまま発送電分離するので「片肺飛行」になり、今回のような事故が再発するリスクもある。このまま分離して大丈夫なのか。

続きは9月17日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。






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