格差社会―何が問題なのか

橘木俊詔

岩波新書

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最近の「格差社会」ブーム(?)の火つけ役になった著者の、これまでの批判への反論を含むまとめ。日本の経済格差は、かつて著者が指摘したよりもさらに拡大し、今では先進国でトップクラスになった。特に若者に「非正規雇用」が拡大していることは、人的資源の質を劣化させ、日本の将来にとって深刻な問題である。

格差拡大の大部分は、高齢化と単身世帯の増加によるものだ。その原因として著者は「構造改革」の弊害を強調するが、それを裏づけるデータはない。実際には、格差の最大の原因は、バブル崩壊後の長期不況による雇用削減である。不況期に、日本の企業が中高年の既得権を温存して、新卒の採用を抑制したり、派遣社員に切り替えたりした結果、高給を取って社内失業している中高年の正社員と、不安定な雇用しかない若者の「二重構造」が生まれたのである。

著者も指摘するように、日本は財政規模でみても公務員の数でみても、先進国の中では「小さな政府」である。それでも高度成長期に貧富の格差があまり大きくならなかったのは、企業が長期的雇用によって福祉コストを負担する「日本的福祉システム」のおかげだった。しかし90年代の不況でこのシステムは壊れ、正社員とそれ以外の格差が拡大した。つまり日本の格差は、「日本的経営」の崩壊の副産物なのだ

だから「福祉国家」と「市場原理主義」を対立させ、小さな政府を批判する著者の図式は不毛である。日本の福祉水準が低いことは事実だが、格差の原因となっている企業システムのゆがみを是正せずに所得移転だけ増やしても、根本的な解決にはならないだろう。特に若者の問題は、バラマキ福祉ではどうにもならない。

これまで行政も、税制などで日本的経営を優遇して、福祉コストを企業に負担させてきた。しかし退職一時金や(ポータブルでない)企業年金などは、中高年が会社にしがみつく原因となり、雇用の流動性を低下させ、結果的に若者の雇用機会をせばめている。長期的な解決策は、このような日本的経営を補強している制度を廃止し、労働市場をオープンにすることではないか。

岸信介の影

安倍首相には、いつも祖父、岸信介の影がつきまとう。安倍氏のいう「戦後レジームからの脱却」も、占領軍に押しつけられた憲法を改正しようという岸の路線への回帰だと思われるが、ここにはパラドックスがある。戦後レジームをつくったのは、他ならぬ岸だからである。

岸のキャリアを決定的に決めたのは、満州国である。彼は1936年に、国務院実業部総務司長として満州国に赴任し、東条英機や松岡洋右などとともに、国家統制のもとに重化学工業を中心とするコンツェルンをつくって工業化を進めた。このときの計画経済的な手法の成功体験が、のちの国家総動員法にも生かされる。

岸が思想的にもっとも強い影響を受けたのは、北一輝の国家社会主義であり、「私有財産制には疑問を持っていた」とみずから語っている。彼の建設した満州国の「五族協和」の思想も、大川周明の大アジア主義の影響であり、これが大東亜共栄圏の思想的骨格となった。要するに、岸の本来の思想は、自由経済や親米路線という自民党の党是とは対極にあったのだ。

岸は東条内閣の閣僚として国家総動員体制を指導し、これによって戦後、A級戦犯容疑者となったが、不思議なことに起訴されなかった。この原因には諸説あるが、GHQの諜報部門(G2)がマッカーサー元帥に「岸釈放勧告」を提出したことが確認されており、釈放と引き換えに岸から情報提供を受けるという取引があったとも推定される。だとすれば、日本はアメリカへの「情報提供者」を首相にしたことになる。少なくとも岸がアメリカに屈服したことによって、日本は「自主憲法」を放棄して対米追従に転換したのである。

岸を頂点とする満鉄人脈は、戦後の経済安定本部の中核となった。戦後復興でとられた「傾斜生産方式」は、戦前と同じ総動員体制によって工業化を行う統制経済の手法であり、これが戦後の経済体制の骨格となった。このとき経団連の会長として民間企業をまとめる役割を果たした植村甲午郎も、商工省で岸の腹心だった。戦後復興が終わった後も、この手法は通産省の産業政策に受け継がれ、「日の丸検索エンジン」にみられるように、今も再生産されている。

このように岸のつくった戦後レジームは、戦前の満州国から連続しており、それは日本の官僚機構の基本構造でもある。安倍氏が戦後レジームを否定するとき、念頭にあるのは、サッチャーやレーガンが英米の「福祉国家」を否定して「小さな政府」に舵を切った歴史だと思われるが、日本の戦後を支配してきたのは、ケインズ的な福祉国家ではなく、岸に代表されるマイルドな国家社会主義なのである。それが現在の日本で通用しないことは確かだが、これを脱却する課題は単純ではない。

「押しつけ憲法」を改正しようというのは、本質的な問題ではない。軍事・外交的な自主権をアメリカに奪われている状況は、占領時代と大して変わらないからだ。独自の「自衛軍」を持つという主張も、自衛隊が米軍に組み込まれようとしている現在では、あまり実質的な意味があるとも思われない。いま行き詰まりに逢着しているのは、戦後できた制度ではなく、岸に代表されるように戦前から続く官僚統制の思想なのだ。

だから問題の淵源は、戦後ではなく明治にあり、重要なのは、「憲法は花、行政法は根」という岩倉使節団の結論にもあるように、憲法よりも行政法だろう。この「明治レジーム」の遺伝子は、敗戦によっても断絶せず、「昭和の妖怪」とよばれた岸に象徴されるように、日本の政治経済システムを呪縛し続けてきた。それを変える立場におかれているのが、文字どおり岸の遺伝子を受け継いでいる安倍氏だというのは皮肉である。彼が戦後レジームに代わる新しいレジームを描けず、所信表明ではそれを引っ込めてしまったのも、そのせいではないか。

P2Pと「インフラただ乗り」

Winnyの作者、金子勇氏が、きのうICPFセミナーで講演した。主な内容は、Winnyを初めとするP2Pネットワークの紹介と、彼がいま開発しているSkeedcastの説明だった。ちょうどTVバンクがP2Pでマルチキャストを始めたというニュースも出た。日本でもようやくP2Pの冬の時代が終わり、ビジネスとして認知されるようになったのだろう。

映像をネット配信する場合、加入者線の帯域だけみると、DSLで数十Mbpsあれば、DVD画質の映像(1.5Mbps程度)は十分送れるように思える。しかし実際には、回線費用やサーバの負担を考えると、そうは行かない。TVバンクの中川氏によれば、「通常のユニキャスト方式では100kビット/秒で100万ユーザー,1.5Mビット/秒だと1000ユーザーに同時に配信するのもコスト的に厳しい」。P2Pによって、トラフィックは78%削減できたという。

しかしP2Pのトラフィックが増えると、「インフラただ乗り」論で指弾されるように、P2Pが日本のインターネット全体の半分以上を占めるといった状態が生じる。これを解決する方法は、従量料金(パケット課金)しかないが、そうするとP2Pを使うことはむずかしくなる。ユーザーが使っていなくても、他人が自分のマシンからP2Pでダウンロードしたら、知らないうちに莫大な料金がかかる可能性があるからだ。金子氏は「従量制にしたら、P2Pは死ぬだろう」といっていた。

P2Pをただ乗りと呼ぶのは正しくない。インターネット全体をみると、ほとんどの資源は遊んでいるので、それをP2Pで活用することは効率的だ。つまり、ただ乗りは全体最適という観点からは望ましいのである。パケットに課金すると、使っていない資源の囲い込みが生じて、効率は低下する。この問題を解決するには、従量料金に一定のプライス・キャップを設けるとか、ISP間のピアリングで行われているように、トラフィックを精算して下りから上りを差し引いた分に課金するなどの工夫が必要だろう。

ただ、従量課金そのものがインターネットの発展を阻害するという意見も強い。今後のインターネットの進化の方向として、世界中のコンピュータを並列に結んで、すべてのユーザーが膨大な計算能力とデータベースをもつグリッド・コンピューティングが想定されているが、従量制になると、そういう進化は不可能になるだろう。従量課金はユーザーが資源の消費者だという前提にもとづいているが、実はインターネット・ユーザーはCPUやメモリなどの資源や消費者生成コンテンツの供給者でもあるのだ。

この種の問題のもっとも簡単な解決法は――可能であれば――消費される量を絶対的に上回る資源を用意して、自由に使うことだ。現実にLANではこういう資源管理が行われ、グリッドもローカルには実現しているし、テキストベースのウェブでは、資源に余裕がある。しかしストリーム情報になると、消費される帯域が桁違いに増えるため、このような解決法は困難だろう。あと10年もムーアの法則が続けば、こういう「桃源郷」によって問題が解決するかもしれないが・・・

追記:金子氏の講演資料をICPFのサイトで公開した。

密約―外務省機密漏洩事件

澤地久枝

岩波現代文庫

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1972年に起こった外務省機密漏洩事件についてのルポルタージュ。初版は1978年で、絶版になっていたが、今年、文庫として復刊された。そのきっかけはおそらく、外務省の元アメリカ局長が密約の存在を認めたことだろう。この事件で有罪判決を受け、毎日新聞を辞職した西山太吉氏は「外務省高官などの偽証によって名誉を傷つけられた」として、国家賠償訴訟を起こした。

事件は、最初は沖縄返還にからむ密約を社会党が国会で追及したことに始まる。ところが、そのうち情報源が外務審議官の秘書であることが判明し、西山記者が、それを入手しようとして、秘書と「情を通じて」国家機密の漏洩をそそのかしたとして国家公務員法違反で逮捕され、事件は男女問題のからんだ奇怪な展開になる。結局、最高裁まで争われた結果、被告側が全面的に敗訴した。

この事件は、過去の話ではない。当時追及された土地の原状回復補償費400万ドルだけではなく、核兵器の撤去費用7000万ドルが10倍に水増しされた額で、完全には撤去されていない(今も存在する)ことなど、もっと広範な密約が存在したことがうかがわれる。しかも、このとき沖縄返還を「金で買った」ケースがモデルとなって、「思いやり予算」が今も続いているのである。

これは安倍政権にも重い問題を突きつけている。安倍首相の路線は、基本的には彼の祖父である岸信介を継承し、自民党の結党当時の方針に回帰するものだが、この方針は最初から大きな矛盾を抱え込んでいた。それは一方で占領軍による「押しつけ憲法」の改正を掲げながら、他方では日米安保体制によって全面的にアメリカに依存する軍事同盟を築いてきたからである。これは実質的には、占領体制を延長するものだった。そして、いま進行している米軍の再編によって、自衛隊は米軍の一部として組み込まれる。

つまり日本のナショナリズムは、それと対極にあるはずの「対米従属」と一体になっているのだ。外務省密約事件は、そのねじれの生み出したものだ。沖縄を「無償で返還」させて日本がアメリカと対等な国家として自立するというフィクションをつくるため、国民に対して「金で買った」事実を隠さざるをえなかったのである。この密約は、アメリカには知られていたのだから、外交機密ではなく、国民を欺くための偽装である。西山記者は、まさに日本外交の恥部を暴いたのだ。

これに対する国家の反撃は、すさまじいものだった。法廷で、検察はポルノ顔負けの言葉で下半身問題を追及し、裁判所も「情を通じた」ことが通常の取材手段を逸脱するので、報道の自由は認められないという論理で、西山氏を断罪した。さらに情けないのは、他のメディアも男女関係がからむと腰が引け、肝心の密約の追及が尻すぼみに終わってしまったことだ。政府は、当時の責任者の証言やアメリカの公文書などの明白な証拠が揃った現在も、密約の存在を否定しているが、これは国民を愚弄するものだ。野党もメディアも、安倍政権を追及し、この恥部を洗い出してほしい。

進化するネットワーキング

林紘一郎 湯川抗 田川義博

NTT出版

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林氏の『ネットワーキングの経済学』(1989)の第3版。第1部が旧著の改訂版、第2部がWeb2.0など最近の現象を扱っている。第1部の主要なテーマが「ネットワークの外部性」による「ひとり勝ち」であるのに対して、第2部は「ロングテール」などのニッチな世界をテーマにしているが、両者は実はベキ分布という同じものの表と裏である。そのへんのネットワーク理論のおさらいも、まとめられている。

動きの激しいこの世界で、初版から17年もたって第3版が出るというのは、きわめてまれなことだ。それだけ、著者の着眼に先見性があったということだろう。通信規制の水平分離の考え方も、日本では林氏が初めて提唱したものだ。しかし、日本ではなぜか放送業界が、IT戦略本部の使ったこの言葉に激しく抵抗し、民放連の会長が首相官邸にどなり込むという騒ぎまで演じた。おかげで総務省は、通信設備を利用した放送を規制する法律を「電気通信役務利用放送法」と名づけ、水平分離の代わりに「水平的市場統合」という間違った言葉を使っている。

飲酒運転事故は増えているのか

このところ、飲酒運転事故についてのニュースがやたらに多い。事故ばかりでなく、飲酒運転で検挙されただけで新聞記者や公務員が懲戒免職になるケースが続発している。その発端は、明らかに8月25日の福岡の幼児3人死亡事故である。グーグル・ニュースで「飲酒運転 死亡事故」を検索すると、もっとも古い日付の記事としてこの事故が出てきて、その後1ヶ月で463件もの記事があるが、この前は1件もない。しかも「死亡事故」で検索すると、772件。死亡事故の記事の実に60%が飲酒運転のものだ。

では、飲酒運転による事故はそんなに増えているのか。これについて警察庁の交通事故統計(2005年)は、「飲酒運転による交通事故が大幅に減少した」としている。
原付以上運転者の飲酒運転による交通事故は13,875件(構成率1.6%)で、前年と比較すると、大幅に減少(前年比-1,303件、-8.6%)している。飲酒運転による交通事故は、10年間で約4割の減少(平成7年の0.62倍)となったが、改正道路交通法により飲酒運転に対する罰則等が強化された14年以降の減少が顕著であり、特に酒酔い運転は10年間で約3分の1(同0.35倍)にまで減少するに至っている。




ところが8月末の交通事故統計では、昨年同期に比べて飲酒運転による死亡事故が、たった9件(1.9%)増えたことをもって「飲酒運転による死亡事故は増加」したと発表し、各社はこれを根拠に「飲酒運転死亡事故が増えている」と報じた。要するに、警察庁の取り締まりキャンペーンに都合のいいように操作された数字をそのまま出しているのである。

交通事故は、日常生活で直面する最大のリスクだが、あまりにも日常的であるため、ふだんはニュースにならない。それがちゃんと報じられるのはいいことだが、飲酒運転だけを針小棒大に騒ぎたて、事故も起こしていないのに飲酒運転だけで懲戒免職にするのは異常だ。飲酒運転は、交通事故の最大の原因ではないし、トレンドとしては増えてもいない。交通事故を減らすには、もっと客観的に全体状況を検証する必要がある。サツ回りの記者が警察のキャンペーンに乗らざるをえない事情はわかるが、編集責任者がそういうバイアスを修正し、もっとバランスのとれた報道をしてほしいものだ。

追記:予想どおり「懲戒免職は当然だ」という反発の声が多いが、果たして厳罰化で事故は減らせるのか。この記事でも書いたように、飲酒運転は交通事故の1.6%でしかない。大部分の事故は、意図的な危険運転が原因ではなく、偶然が重なって確率的に起こるのである。事故件数は車の総走行距離に比例するので、根本的な交通事故対策は、大量輸送手段を整備して車を減らすことなのだ。

悲しい嘘

「嘘つき」というのは、社会人としては失格だが、嘘をつくことが許されている職業がある。それは小説家だ。その嘘が許されるのは、事実よりも効果的に人の心を動かすからだ。しかし自分の利益のために他人をだますのは、小説家を自称していても単なる嘘つきである。

日本文芸家協会などのつくる「著作権問題を考える創作者団体協議会」は22日、著作権の保護期間を著作者の死後50年から70年間に延長するよう求める要望書を文化庁に出した。その理由を議長の三田誠広氏はこう語る:
70年が国際的なレベルであり、日本だけ50年なのは、創作者の権利のはく奪だ。延長により作家の創作意欲が高まる。生前作品が売れなくても没後に評価され配偶者や子どもに財産権を残すことが励みになる
三田氏は、本当に自分の死後の保護期間が20年延長されることが「励みになる」のか。彼は1948年生まれだから、日本人男性の平均寿命まで生きるとして、死ぬのは2026年。その50年後は2076年である。彼の風俗小説がその時点で出版されている可能性は低いが、かりに出版されているとして、その著作権が2096年まで延長されても、彼の曾孫(存在するとして)の小遣いが増えるぐらいだろう。それによって三田氏は、本当に「創作意欲が高まる」のだろうか。

この種の主張は、レッシグの闘った「ミッキーマウス訴訟」で、ArrowからFriedmanに至る17人の経済学者の意見書によって完全に論破されたものだ。保護期間を20年延長することによる著作権料の現在価値の増加は1.5%にすぎない。死後の保護期間を延長することで利益を得るのは著作者ではなく、出版社だけだ。著作者は、業者の独占維持の口実に利用されているのである。自分がだまされていることにも気づかず、読者をだまそうとするような嘘つきが、業界団体の代表をつとめる日本の小説業界の精神的な貧しさは悲しい。

迷走するソニー

先週、SCEの久多良木社長は、PS3を発売前に2割値下げすると発表した。これは、もちろん消費者にとってはよいニュースだが、ソニーの株主である私にとっては、また一つ不吉なニュースを聞かされた感じだ。最大の戦略商品の価格決定というのは、こんないい加減なものだったのか。これで初年度1000億円の予定だったPS3の赤字幅がさらにふくらむというが、この「博打」に失敗したら、ソニーの屋台骨が大きく傾くのではないか。株価は5000円を大きく割り込み、年初来安値に近づいている。

そうでなくとも、このところソニーをめぐるニュースは、ろくなものがない。リチウムイオン電池のリコールは600万個を超え、コンポーネント部門の年間の営業利益300億円を吹っ飛ばすと予想されている。PS3も、青色レーザーの不良で、欧州の出荷を来年に延ばすことが決まったばかりだ。このときの「ソニーのものづくりの力が落ちているのではないかと問われれば、今日の時点ではその通りというしかない」という久多良木氏の発言は、NYタイムズの1面を飾った。

関係者の話を聞くと、出井氏が社長になってからの経営戦略の迷走が、士気の低下をまねいているようだ。出井氏は「デジタル・ドリーム・キッズ」なるキャッチフレーズを掲げたが、社内の本流はアナログで、彼は社内で浮いていた。出井氏はネットバブルに乗り、情報家電でマイクロソフトと提携すると発表して世界を驚かせたが、社内の反対でこの提携はつぶれてしまった。特にバブル崩壊後は、すっかり社内の信用を失った。

ここで駄目になってしまえば、出直しのチャンスもあったのだが、そこにPS2という「救世主」が出現したため、連結ではなんとか利益が計上でき、抜本的なリストラのチャンスを逃がした。おかげで、ソニーグループの連結子会社は942社。非効率な多角化の代名詞とされる日立グループと並んで日本最多だ。

iPodやiTunesのような事業は、本来ソニーが先に始めてもおかしくなかった。ところがソニーは「ネットワーク・ウォークマン」でも当初、音楽部門の既得権を守るために、MP3をサポートしなかったばかりか、「価格決定権」に固執して、いまだにiTunesに音楽を配信していない。かつて「シナジー」を求めて買収した映画・音楽部門が、かえって足枷になっているのだ。

かつてPS2の発表のとき、久多良木氏は「インターネットには興味がない。オマケで勝負する気はない」と公言した。その思い切りのよさが、PS2の成功の原因だったが、PS3は汎用半導体「セル」を頭脳とし、ブルーレイ・ディスク(BD)などのオマケが満載されている。しかも開発に5000億円を投じたセルには、いまだにPS3以外の用途が見えないし、BDはコストと納期の足を引っ張っている。

要するにソニーも、過去の遺産に呪縛される「イノベーションのジレンマ」に陥っているのである。PS2の成功体験に全面的に依存したPS3は、クリステンセンのいう持続的技術(sustaining technology)の典型だ。久多良木氏は「ゲーム機ではなくスーパーコンピュータだ」というが、家庭でスーパーコンピュータを何に使うのか。

今のソニーで、久多良木氏に反対できる経営者はいないという。たしかに彼は天才かもしれないが、ゲームの専門家にすぎない。かつて久多良木氏がPSで成功したのは、出井氏も含めてほとんどの経営陣が反対する中で、大賀会長(当時)がOKを出し、SCEで好きなようにやらせたからだが、今のソニーにはそういうリスクをとって新しい市場を立ち上げる「暴れ者」がいない。

これから通信と放送の融合が進む中で、コアになるのは家庭の端末だから、ソニーがiPodを超える大ヒットを放てる可能性は十分ある。出井氏のネットバブル路線が失敗したからといって、インターネットを軽視するのは大きな間違いだ。いま必要なのは、水ぶくれした組織を思い切って整理し、インターネットを踏まえた新しい戦略を立案することだが、それができるのは、久多良木氏の世代ではないだろう。

「みんなの意見」は正しいか

平野啓一郎氏のブログの記事が、話題になっている。事の発端は、Wikipediaの彼についての項目に「盗作疑惑」が掲載されたという話だ。その部分はすでに削除されたが、きょう現在ではまだグーグルのキャッシュに残っている(*)
1998年に新潮社から刊行された平野のデビュー作『日蝕』が、1993年に同じ新潮社から刊行された佐藤亜紀の『鏡の影』と「内容が似ている」ことが問題となった。平野が『日蝕』で芥川賞を受賞すると、新潮社側は佐藤亜紀が執筆していたウィーン会議を題材にした作品の雑誌掲載を拒否し、同社から刊行されていた『鏡の影』、さらには佐藤の小説『戦争の法』を絶版とした。[以下略]
この根拠として、佐藤氏のウェブサイトにリンクが張られているが、平野氏も指摘するように、その記事には肝心の盗作(佐藤氏の表現では「ぱくり」)の事実が何も具体的に示されておらず、Wikipediaのような公的な媒体で紹介する質のものとは思われない。

実は、私にも似たような経験がある。3年前に、「はてなキーワード」の私についての項目に、事実無根の中傷が掲載されたので、はてなに抗議したところ、近藤淳也社長から謝罪のメールが来た。私は、中傷の責任を追及するため、「犯人」を明らかにせよと申し入れたが、近藤氏はそれを拒否した。結局「キーワード」の項目だけは残し、内容は全面的に削除された。

このときの近藤氏の対応は誠意あるものだったが、中傷の責任は結局、誰も負わないままだ。さらに問題なのは、平野氏もいうように、こういう「消費者生成メディア」で名誉を傷つけられないためには、つねにそれをウォッチしなければならず、参加を強制されることだ。こういうメディアに疎い人の名誉が傷つけられても放置されるし、死者の名誉は誰も守らない。

同様の問題は、本家のWikipediaでも起こっている。有名なのは、去年のJohn Seigenthalerをめぐる問題だ。これは、彼についての項目で「ケネディ暗殺に関与した」という虚偽の経歴が記されたもので、その経緯もWikipediaの項目としてまとめられている。この問題は大きな論議をよび、これを機にWikipediaは新しいガイドラインや監視システムをつくった。

ところが、日本では「2ちゃんねる」でもっとひどい名誉毀損が大量に行われているのに、主宰者は損害賠償も支払わず、逃亡している。被害者もあきらめたのか、破産申し立てをしていないし、メディアはおもしろがっている。日経新聞に至っては、そういう人物を「デジタルコア」なる会議のメンバーにして市民権を与えている。このように言論についての規律が不在の状態で、ビジネスとしてのWeb2.0だけがもてはやされても、またバブルに終わるだろう。

こうした問題について、スロウィッキーの『「みんなの意見」は案外正しい』がよく引用されるが、これは「集団の知恵」で成功した例を列挙しているにすぎない。現実には、WikipediaやLinuxの成功の陰には、何百という失敗したオープンソース・プロジェクトがある。集団的選択理論が教えるように、ほとんどの民主的な意思決定は間違っているのである(**)。むしろ重要なのは、こうした間違いを事後的に修正するフィードバック装置だ。

しかし日本では、ブログの「炎上」にもみられるように、ウェブ上の議論には他人を説得するという目的がなく、匿名で悪口をいうことでストレスを解消する傾向が強い。こういう言論は、いくら大量に生成されても、情報の質を高める役には立たない。事実、日本のWikipediaには、単純な事実誤認が本家よりもはるかに多く、確認には使えない。いま必要なのは、みんなの意見は必ずしも正しくないという懐疑主義にもとづいて、事実をチェックするしくみを整備することだろう。

(*)コメントで、Wikipediaのサイトに「保存版」が残っていることを指摘された。gooにも残っている。

(**)オープンソースと集団的選択の部分に引っかかった人が多いようだが、書き方がミスリーディングだった。これは似たような話を並べただけで、両者は別の話である。オープンソース・プロジェクトの大部分は、できたものがユーザーの支持を得られないから失敗するので、民主的意思決定の間違いとは関係ない。

民主的な意思決定が「間違っている」というのも、いろいろな意味があるが、ここで想定しているのは、Gibbard-Satterthwaite定理のように、投票によって各人の選好を整合的に集計できないという問題である。さらに代議制民主主義には、投票の個人的便益(1票の差で選挙結果が変わる確率)がゼロに等しいという致命的な欠陥があるので、政治が特定の利益団体に支配されることは必然的な結果である。

もう一つは、コンドルセ定理のように集団によって「真理」に到達できるかという問題だが、これも一般的な条件では成り立たない。「みんなの意見」が正しいのは、各人の意見が(一定の確率以上で)正しく、それが整合的に集計可能な場合に限られるが、そういう理想的な状況は現実には存在しないのである。ウェブでみんなの意見が正しいようにみえる原因は、こういう論理整合性ではなく、間違いがあったら多くの人が参加して事後的に訂正できる柔軟性だろう。

ロングテール

26a6ef62.jpgクリス・アンダーソン

早川書房

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先日、紹介した本の訳本が間もなく出る(アマゾンでは予約受付中)。内容の紹介はそこで書いたが、学問的には疑問も多い。最大の問題は(一般書だからしょうがないが)、原データがなくてアバウトなグラフしか描いてないので、どこまで厳密にベキ分布に従っているのかよくわからないこと、もう一つは、なぜベキ分布になるのかについて、ほとんど説明がないことだ。

後者については、スケールフリー・ネットワークなどで「複雑性」の概念を使った説明が行われているが、実はこれはもっと簡単に導ける。たとえばランダムにキーボードをたたいて、その単語長をとればよいのである。アルファベット26字とスペースの合計27字をランダムに打つとすると、アルファベットがn字続く(スペースがn+1字目に初めて出現する)確率は、(26/27)n×1/27(*)という指数分布になる。一般に指数分布は、ベキ分布に変換できる(cf. Li)。つまりベキ分布は「複雑性の法則」ではなく、単なる「変換の法則」なのである。

(*)コメントで指摘を受けて修正した。

追記:変数の「変換」というのはちょっとわかりにくいが、この場合は単語長を頻度のランクに変換すること(Mitzenmacher: pp.238-9)。







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