NHK問題

NHKと朝日新聞の問題は、訴訟に発展する可能性が強まってきた。オフレコで話した松尾氏が会見に出てきて、「録音テープがあるのか」などという公開質問状を出すのも変な話だ。今ごろそれを心配するなら、会見で「圧力は感じなかった」などとしらを切らなければよかったのに。

私の推測でいうと、朝日の記者は内緒で録音していたと思うが、それを法廷で出すかどうかは微妙だ*。出したら「モラルに反する」とたたかれるだろうが、NHKに対して「証拠はあるから、もう矛を収めろ」と取引する材料にはなる。たぶん実際には裁判にはならないで、「大人の決着」がはかられるだろう。

もう一つ、25日の経営委員会で海老沢会長が辞任を表明し、後任に技師長がなるというニュースが出ている。これは海老沢氏が「院政」を敷くということだ。こんなことを許したら、今回の騒動の意味はない。関根総局長以下、政治部出身の理事は総退陣しないと、けじめはつかない。

*かりに録音もメモもとっていなくても、取材後にデスクに必ず報告を出す。この報告は、法廷で証拠能力がある。少なくとも、それがなければ朝日はここまで強い態度に出ないだろう。

文明史のなかの明治憲法

文明史のなかの明治憲法 (講談社選書メチエ)
いつまでも続く不毛な「歴史認識」論争を決着させるには、明治憲法以前にさかのぼる必要があるのかもしれない。本書は明治初頭(1871~)の岩倉使節団までさかのぼり、明治憲法ができるまでに西洋の何を学んだかをたどっている。

岩倉のころは、不平等条約の改正のためにいろいろな国の制度を勉強するというものだったが、その10年後の伊藤博文の憲法調査になると、プロイセンの国制をまねるための調査という色彩が強まり、ここで明治憲法の骨格が固まった。「憲法は花、行政法は根」という青木ドイツ大使の言葉が、そこで構想された「国のかたち」を象徴している。

伊藤の最大の問題意識は、「行政の肝要な部分は法律では決められない」というシュタインの「進化的」国家観だったという。それは「日々転変」する現実に即応するには、君主の命令でも議会の立法でもなく、官僚の裁量がもっとも適しているのだ、というものだった。

昨年のRIETIをめぐる騒動にもみられるように、この「行政中心主義」の遺伝子は、120年後の今日にも受け継がれている。日本が「坂の上の雲」をめざして近代化を急ぐときには、それでもよかったのかもしれない。しかし、坂を登りきった今、この伊藤の国家観まで立ち戻って考え直してみる必要があるのではないか。特に印象的なのは、こうした調査で司法の役割がほとんど問題になっていないことである。

NHK対朝日新聞

NHKの松尾元放送総局長が記者会見して「朝日新聞の報道は捏造だ」と抗議したかと思えば、今度は朝日が朝刊よりも先にウェブで「元総局長、発言翻す」と反撃するなど、問題はNHKと朝日の対決になってきた。

この松尾という人は、教養番組出身だが、これという実績もないのに、するすると出世した。時の権力者に取り入るのがうまいらしいから、海老沢氏のためなら嘘ぐらいつくだろう。放送直前に政治家に注文をつけられて「圧力は感じなかった」とすれば、よほど鈍感だ。

海老沢体制になってから、仕事のできる(海老沢氏の地位を脅かす)人はみんな地方の局長などに出され、松尾氏のような人畜無害な「忠犬」ばかりが経営陣を占めるようになった。今回のお粗末な危機管理も、こういう経営能力の低下のあらわれである。

無線BB研究会

総務省の「ワイヤレスブロードバンド推進研究会」で、「第4世代携帯電話」と並んで、無線LAN、無線MAN(WiMAXなど)などの検討が始まったという。

まず注目されるのは、「第4世代」が他の無線技術と並ぶ選択肢の一つと位置づけられていることだ。これまで総務省は、第3世代の次は第4世代になるとして、4GHz帯を第4世代に割り当てる方針を出していた。それが少し客観的に技術の現状を見るようになったのだとすれば、いいことだ。

しかし問題は、こういう技術を到達エリアで分類して、どの帯域にはどの技術を割り当てるか、という議論をするらしいことだ。これについては、真野浩氏もいうように、伝送をIPで統一してしまえば、どんな変調方式でも相互運用可能になる。そもそも周波数と無線技術を1対1に対応させることがおかしいのである。

どの技術がよいかは、ユーザーが決めればよい。行政の役割は、特定の用途や技術を帯域別に割り当てることではなく、なるべく広い帯域を免許不要で開放し、異なる方式の干渉が起こらないようにチャンネルの規定や基準認証などを行うことに限定すべきだ。

オリエンタリズム

それにしても、戦後60年たっても「靖国」や「慰安婦」をめぐって論争が続いているのは、どういうわけだろうか。欧州では、ナチに対する評価は完全に決着しているのに、日本では事実関係についてすら意見が一致しない。

このひとつの原因は、ナチの場合には強制収容所という明白な戦争犯罪があったのに対して、日本のやったのは「普通の」侵略戦争にすぎないということがあるだろう。私は韓国まで「慰安婦」の取材に行ったことがあるが、あれが天皇を主犯とする「戦時性暴力」だとするのは、歴史的事実として無理がある。

もう一つは、日本を断罪する基準が欧米諸国の作った「カルテル」としての不戦条約(1928年)であって、それまで大量虐殺を重ねてきた彼らの犯罪に目をつむって、第2次大戦だけを問題にするのはおかしい、という考え方だ。これは一理あって、たとえばアヘン戦争などは明白な戦争犯罪なのに、問題にもならない。

つまり「自虐史観」を指弾する人々の心理にあるのは、一種のオリエンタリズム(西欧の自民族中心主義)批判だともいえる。これは昨今の「反グローバリズム」とも通じるところがあって、気持ちとしてはわからなくもない。しかし、それが学問的に抽象化されずに「民族の誇り」といった裏返しの自民族中心主義として表明されるから、説得力がないのである。

噂の真相

『噂の真相』といえば、業界では「ネタ本」としてけっこう重宝されていた。そこに出ている話は眉唾でも、火のないところに煙は立たないので、何か関連するネタがあるかもしれないからだ。

ただ岡留安則『噂の真相 25年戦記』(集英社新書)を読むと、実際にはねらいをつけた相手には張り込みをするなど、ちゃんと裏を取っていたらしい。それでも毎号5、6通ぐらい内容証明の手紙が来たらしいが、事実関係に誤りがあったらすぐ謝罪記事を出したという。

この逆に、NHKは事実と違っているわけでもない番組について事前に政治家に「ご説明」に行き、それが暴かれると、政治家と示し合わせて嘘をつく。毎日新聞も書いているように、「歴史教科書議連」の先生方にはみんな説明に行き、その意向を反映して直前に改変したというのが「真相」だろう。中川氏の「3日後」という話も疑わしい

NHKよりも『噂の真相』のほうが、メディアとしてはずっとまともである。

Re: 番組改変問題

今回のNHKの番組をめぐる問題について、読売の社説は、問題の本質は昭和天皇を被告として「強姦罪で有罪」とするような模擬裁判を取り上げた番組にあり、そんな非常識な番組をつくる「制作現場の自由」は認めてはならないとしている。

これは問題のすりかえである。私も、当の番組については問題があると思う。この「女性国際戦犯法廷」というのは、法的拘束力のない政治的イベントにすぎない。被告がすでに死亡しており、弁護人もつかないなど、裁判としての体もなしていなかった。検察官の1人は北朝鮮の工作員だったと、安倍氏は主張している。そもそも、これを1本の番組として扱うという企画が「ボタンの掛け違え」の始まりだったのだ。

教育テレビは放任状態だから、こういうおかしな企画が通ってしまうことはよくある。それをバランスのとれた番組に編集するのは当然だが、自民党にお伺いを立てるのはおかしい。安部氏に「予算の説明」をするのに、国会担当だけでなく放送総局長が同行したのは、この番組について釈明するためとしか考えられない。こういうことが許されると、自民党が実質的に番組を検閲できることになる。

だから問題の本質は番組の内容ではなく、それを編集する過程で自民党の意向を聞き、それに過剰反応して番組を改変した手続きにある。NHKが説明責任を負うのは、政治家ではなく視聴者である。この改変問題についても「検証番組」をつくるべきだ。

番組改変問題

慰安婦の番組をめぐる報道について、NHKが朝日新聞に抗議した。

私の経験から推測すると、朝日の記事は大筋で正しいと思う。中川氏については、両者の主張は明らかに食い違っており、どちらかが誤っていることになるが、安倍氏が事前に面会してコメントしたことは本人も認めている。彼が「公正にやってください」といっただけでも、NHK側は大きな「圧力」と受け止めるだろう。

「局長試写がしばしば行われる」とか「改変ではなく通常の編集だ」というのは、嘘である。NHKスペシャルでも、局長室で試写することなんかない。また、放送の3時間前になって放送時間を短縮するのは「通常の編集」ではありえない。民事訴訟でも証人申請が行われ、国会でも参考人として呼ばれるようだから、このさい事実関係を徹底的に究明してほしいものだ。

もしも、こういうことが「しばしば行われる」のだとすれば、NHKの現状は、私がいたころよりもはるかに悪くなっていることになる。

追記:中川氏は、朝日の記事について「4年前のことを聞かれ、記憶があいまいなまま答えた」とコメントした。これはそう答えたほうが悪いのであって、朝日新聞に「抗議する」というのは筋違いである。

NHK民営化の道(5)

慰安婦問題の番組の「改変」をめぐって、当時の担当デスクが記者会見をした。これは着服事件よりもずっと本質的な問題である。

この事件は、私の知人も裁判に巻き込まれたが、率直な印象は「ボタンの掛け違え」という感じだ。こんな問題になるなら、企画を通さなければよかったのに、最初は「教育テレビだから」と軽く考えて通したものの、あとになって右翼が騒ぎ始め、放送がNHK予算審議の直前だからということで、自民党に過剰に「配慮」したということだろう。最終判断をしたのは、明らかに会長である。

この事件のようにこじれたケースは珍しいが、こういう問題はよくある。一般にも知られているのは、1981年2月の「NC9カット事件」だろう。これは「ロッキード事件5周年」というニュースの一部(三木元首相インタビュー)を島報道局長(当時)が没にし、これに反対した職員が次の異動で大量に左遷されたという事件だ。

2002年に起こった私に対する脅迫状の事件も、2月だった。結果的には、この脅迫状がかえって国会で追及される材料になったのだが、NHK予算が審議される時期に、こういう事件が起こることが多い。つまり「税金ではなく受信料で運営することで政治的圧力からの独立性を担保している」という建て前は、絵空事にすぎないのである。

受信料という「税金もどき」の制度で運営するかぎり、こういう事件は後を絶たないだろう。これがNHK民営化の必要な、もっとも重要な理由である。

博士号

きょう慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科から博士号(学術博士)をいただくことが決まった。

博士論文というのは個人の仕事ではなく、共同作業であることがよくわかった。主査をつとめていただいた岡部光明教授、副査の青木昌彦教授、曽根泰教教授、國領二郎教授ほか、ご協力いただいた多くの方々に、この場を借りてあらためて感謝の意を表したい。

これは私の学問の結果ではなく、新しい出発点だと思っている。今の日本にもっとも欠けているのは、問題を長期的・大局的な視野からとらえる「戦略」である。不幸なことに、企業も行政も「戦術」的な細かい問題には金を出すが、大きな問題には出さない。しかし、戦略の失敗を戦術で補うことはできないのだ。その典型がデジタル放送である。

ただ、私には今まで戦術的な配慮が欠けていたかもしれない。去年起きたいくつもの騒動は、その意味では私自身にも少し責任がある。今後は、正しい戦略がどうすれば日本社会に受け入れられるのかという戦術的な問題も学問的に考えたい。





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