政治改革の理念が「雑食動物」自民党に飲み込まれた

政党崩壊―永田町の失われた十年―(新潮新書)
1993年6月18日、宮沢内閣の不信任案が可決された歴史的瞬間を、テレビ局で国会中継を担当していた私は、現場の中継車で見ていた。三八年間続いた自民党政権が終わるという事件を、議決の瞬間までだれも信じられなかった。その後の解散・総選挙によって連合政権ができ、細川首相が誕生したとき、「これで日本が変わる」と多くの人が思ったことだろう。

ところが、その細川政権がわずか八ヶ月で倒れてから、日本の政治は混迷を重ね、現在に至るまで「永田町の失われた十年」が続いてきた。本書は、その十年間の多くの政党の離合集散を裏方で見てきた著者のメモをもとにしたドキュメントであり、複雑な経緯を手際よくまとめている。

この混乱の主役は、いうまでもなく小沢一郎氏である。宮沢内閣を倒し、細川護煕氏を首相にしたときまでは、小沢氏の決断はすべて図に当たったが、細川内閣が倒れてからの彼の判断はすべて裏目に出た。最大の失敗は、社会党を連立政権から追い出し、自社さ連立によって自民党の復権を許してしまったことだ。

著者によれば、細川政権ができた直後から、自民党の社会党に対する工作は始まっていたという。変化をきらうことで一致する自社両党の野中広務氏と野坂浩賢氏らが「国対」ルートで連携し、それを武村正義氏が政治的野心に利用して、「小沢つぶし」で手を組んだのである。

著者もいうように、非現実的な政策を掲げて自民党の長期政権を支えた社会党こそ戦後政治の諸悪の根源であり、この「万年野党」を解体することを標的にした小沢氏の戦略は正しかった。しかし彼の戦術は、側近で固めて裏取引で合従連衡を進める派閥的な手法で、その独善的な体質が反発を招いて、混乱の最大の原因となった。

自民党の打倒を唱えながら「自自連立」を行う小沢氏の矛盾した行動の背景には、自民党が分裂しない限り安定した二大政党はできないという「保守二党論」があったという。これに対して自民党には理念も戦略もなかったが、そのしたたかさは一枚上だった。政権につくためには社会党の委員長にも投票するという奇策は、小沢氏には想像もつかなかっただろう。

こういう「野合政権」はすぐ崩壊すると小沢氏はみたが、崩壊したのは新進党のほうだった。彼に、社会党を取り込んで食いつぶした自民党のような老獪さがあれば、度重なる分裂・抗争は避けられたはずだ。この十年は、小沢氏のよくも悪くも原則的な政界再編の戦略が、「雑食動物」のような自民党に飲み込まれてしま う過程だった。

この十年を総決算する選挙が近づいているが、著者も嘆くように、この間に政党は何も成長しなかった。政治改革は選挙制度に矮小化されてしまったが、日本の政治の最大の欠陥は、政策の立案・実行装置としての政党が機能していないことだ。

小泉政権のように、首相が改革を唱えても閣僚が反対するような状態で、公約を「マニフェスト」といい換えただけで実行できるはずもない。その原因は、これまで自民党が政策を官僚機構に「丸投げ」してきたことだ。野党に至っては、細川政権のように逆に官僚機構に操られるだけだ。いま必要なのは、著者のいう「ビジョン」を描くだけではなく、それを実行するための新しい政治の「インフラ」を作ることだろう。

電波有効利用政策研究会 電波利用料制部会 最終報告書(案)への意見書

電波利用料は、レガシー無線機の「追い出し税」とすべきである

今回の最終報告書(案)は、基本的にはこれまでの電波有効利用政策研究会の方針を踏襲したものであり、それに関するわれわれの意見は、これまで公表してきたとおりである。その詳細と関連するデータについては、次のURLを参照されたい。

http://www.rieti.go.jp/it/dempa/

今回の報告書の根本的な問題点は、何のために電波利用料を徴収するのかという理念が明確でないことである。「電波の有効利用」がうたわれているが、現実の料率は無線局単位で課金されるため、逆に有効利用するほど負担が重くなる。この欠陥は、われわれが従来から指摘してきたところであり、報告書でも「逆インセンティヴだという意見がある」ことには言及しているが、結局は「制度の定着を図る」という理由で、現行の制度の手直しにとどまっている。

電波利用料の用途は、当初は電波障害対策などに限定されていたが、携帯電話の普及によってその収入が巨額になるにしたがって、テレビの「アナアナ変換」に使われるなど、用途がなし崩しに拡大されてきた。今回の報告書では、さらに研究開発や「デジタルデバイド対策」などに拡大されようとしているが、利用料は総務省の財源のために徴収するものではない。

電波は「稀少な資源」ではなく、効率的に利用すれば、ほとんど無制限に利用できる公共財である。特定の周波数を占有するレガシー無線機は、ほんらい公共財として共有できる電波を不当に独占しているので、電波利用料はその機会費用を負担させ、効率的な電波利用に移行するための「追い出し税」とすべきである。したがって料率は占有する帯域×出力に比例して決め、一般財源とすることが望ましい。

問題となっている免許不要局への課金については、そもそも「免許不要局」という概念が形容矛盾である。現在の「無線局」の概念は、無線機ごとに局舎や鉄塔を備え、政府が免許を与えることを前提にしているが、今後あらゆる家電製品に無線機能がつくようになれば、平均的なユーザーが何十もの「無線局」を持つようになるかもしれない。つまり無線デバイスは、情報機器の機能の一つにすぎないのである。

「免許不要局」に課金が行われると、あらゆる情報機器が規制の対象になるおそれがある。これは不要な規制を撤廃するという政府の方針に逆行するものである。むしろ特定の帯域を占有しない無線機については利用料を課さないで、大きな帯域を占有しているレガシー無線機に高い電波利用料をかければ、業務用無線などの無線LANによる代替が進み、周波数の開放が容易になろう。

欧州では周波数のsecondary marketの活用が検討され、米国ではFCCが免許不要帯への大幅な割り当て増を行うなど、「命令と統制」による電波割り当ては先進国では否定されている。この時期に、日本だけが命令と統制にもとづいた電波法改正を行うことは、こうした流れに逆行し、国際的に孤立する原因となる。他方、電波利用料はうまく活用すれば、公共の電波を「汚染」しているレガシー無線機を駆逐する武器ともなる。改正を急がず、電波利用の現状についての情報をわかりやすく公開した上で、あらためて国民的な議論をつくすべきである。

ホモ・サケル:主権権力と剥き出しの生

ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生
九・一一以降、セキュリティが大きな関心を呼ぶようになってきた。「米国民の安全を守るためには手段を選ばない」と公言するブッシュ米大統領のみならず、日本の「国民背番号」や「個人情報保護」をめぐる騒ぎも、そうした不安のあらわれだろう。しかし人間が生まれながらに人権やプライバシーを持っているというのは、近代国家の作り出した幻想にすぎない。人権も国籍も失った難民は、全世界で二千万人を超え、北朝鮮の金正日政権が崩壊すれば、数百万人の難民が出現するだろう。

主権者とは「例外状態について決定を下す者」だというのは、カール・シュミットの有名な定義だが、本書は国家をその例外状態の側から見る異色の政治哲学だ。近代の政治哲学や法哲学はヘーゲル以来、人権や財産権をもつ個人から出発するのが通例だが、著者が出発点とするのは、そうした権利を奪われた難民、収容所のユダヤ人などの「剥き出しの生」である。

古代ギリシャでは、こうした物質的な生存は「ゾーエー」と呼ばれてポリスの生活を意味する「ビオス」と区別され、私的な家計(オイコス)に閉じ込められていた。古代ローマでは、ある種の犯罪者は「ホモ・サケル」(聖なる人)と呼ばれ、殺害しても罪に問われなかったが、殺しても神への犠牲に供することはできなかった。秩序から排除された犯罪者は、政治的・宗教的な意味を失った物質的な存在だからである。

しかし近代に至って、物質的な生の拡大再生産が国家の目標となり、家計が拡大して経済(エコノミー)となった。国民の生命を守るために彼らの生活を全面的に管理する、ミシェル・フーコーのいう「生政治」が出現したのだ。ファシズムが民主主義によって生み出されたのも、生を政治化し、国民を「主権者」とする一方、外部の世界を例外として排除する近代国家の原理によるものだ。この意味で、ブッシュ政権を動かすネオコン(新保守主義)は、ファシズムと同じく近代国家の必然的な帰結である。

本書は三部作の第一部であり、議論が体系的に展開されているとはいえないが、ネグリ=ハートが『帝国』で分析した主権の変容を、その対極の例外状態の側から論じ、近代国家の根底にある「排除の原理」を明らかにしたことが重要だ。ネグリもフーコーもデリダも、難民に深い関心を寄せてきた。それは、すべての権利を奪われた彼らの生が、近代国家の法=権利の原初的な姿を明らかにするからだ。たとえば自由に移動し居住する権利は、自明の人権だと思われているが、難民には認められない。近代国家の人権は、他国民を排除する権利なのだ。

しかし本書も指摘するとおり、現代では内部と外部の境界が曖昧になり、例外状態が拡大している。情報社会では、私的な電子メールもすべて監視され、コンピュータ・ウイルスは国境を超えて侵入する。セキュリティやプライバシーに過敏になる昨今の風潮は、このような状況への不安のあらわれだろう。今日では、だれもが難民なのである。

華氏911

話題のマイケル・ムーア(本人はモーアと発音している)の映画を見た。

事前に情報が出回りすぎていたせいで、あまり意外性はなかったが、よくも悪くもwell-madeなドキュメンタリーという印象である。少し手を加えれば、NHKスペシャルにでもなるぐらいだ。手法も普通で、カンヌでグランプリをとるような芸術性はない。あれはやっぱり反米感情のおかげだろう。

ストーリーは単純で、前半はブッシュ政権とサウジの王族の関係や石油利権が今度の戦争の背景にあるという観点から、過去のニュース映像をつなげたもの。いくつか新事実の発掘はあるが、驚くような話ではない。どちらかといえば、古典的な「帝国主義」批判の変種だ。最後にオーウェルの「支配」「被支配」という話が引用されるのも鼻白む。

後半は、兵士個人の悲劇が中心で、息子を戦場で失ったおばさんの話が劇的に演出されている。これは息子が死んでから取材したものだろうが、愛国者のおばさんが現実に目覚めるというストーリーに仕立てているところはうまい。

議員への突撃インタビューなどは余計で、もっとワシントンの深層に迫ってほしかった。個人的に興味あるのは、ブッシュよりもチェイニーやラムズフェルドなどの狂信的な攻撃性の背景には何があるのかということだ。それが単なる石油利権ではつまらない。でも、一見の価値はある。

イノベーションのジレンマ

イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business school press)
ビジネス書の寿命は短く、数年もたつと読むに耐えないということが多い。その走りとなったトム・ピーターズの『エクセレント・カンパニー』でほめられたIBM、DEC、ワングなどの「超優良企業」は、その数年後に没落してしまった。成功体験から多くを学ぶことはできないのである。
 
これに対して、本書は一九九七年に出版された後、むしろ年とともに評価が高まっている稀有なビジネス書だ。ジョージ・ギルダーやアンディ・グローブが絶賛し、『ビジネスウィーク』などが特集を組み、多くの賞を受賞して、出版から三年後の今もアマゾン・コムのビジネス書ベスト一〇に入っている。
 
本書の特色は、失敗を分析した点にある。特に印象的なのは、著者がくわしい実証研究を行ったハードディスク業界のケースだ。大型コンピュータ用の十四インチ・ディスクのトップ・メーカーは、ミニ・コンピュータ用の八インチ・ディスクの開発に遅れをとってすべて姿を消し、八インチの主要メーカーのうちパソコン用の五インチで生き残ったのは一社だけ、そして三・五インチでも・・・・というように、ディスクの世代が変わるごとに主要メーカーがすっかり入れ替わってしまった。
 
それは、決して経営者が怠慢だったからでもなければ、技術が劣っていたからでもない。むしろ、すぐれた経営と高い技術を持った企業ほど、こうした落とし穴に落ちやすい。その原因は、新たに登場する「破壊的技術」が単価が安く、技術的にも劣ったものだからである。
 
たとえば、五インチのハードディスクとパソコンが登場したとき、それは八インチのディスクを使うミニコンとは性能面で比較にならない「おもちゃ」であり、用途もはっきりせず、利益も少なかった。それを相手にせず、在来の「持続的技術」の付加価値をさらに高めるという経営判断は、それなりに正しかったのである。
 
また技術者も「登れるが、降りられない」。高品質・高価格の製品は開発意欲をかきたて、経営者にも通りやすいが、低品質・低価格の技術を提案する技術者は少ない。それを開発するのは、新しいベンチャー企業だ。
 
では、在来企業は顧客の要求を無視したのだろうか?逆である。ミニコンの顧客は、容量の少ない五インチのディスクよりも、既存の八インチ・ディスクの大容量化を望み、メーカーはそれに忠実に従っただけだ。つまり破壊的技術は、企業と顧客からなる「バリュー・ネットワーク」のアーキテクチャ(構成)そのものを破壊するのだ。
 
現実に企業間で行われている競争は、経済学の教科書に出てくるような同じ市場の中での対等な競争ではなく、異なるアーキテクチャどうしの「制度間競争」である。ところが既存企業の経営者は、それを市場の中でしか見ることができないために没落するのである。
 
こうした事例は、ハイテクだけでなく、小売店、オートバイなど、あらゆる業界に見られる。そこで「法則」といってよいほど繰り返される失敗のパターンと、何度それを見ても歴史に学ぶことのできない企業の悲劇は、ほとんど物語のようである。
 
そして今、インターネットは、電話会社が軽蔑しているうちに低品質・低コストの通信によって電話を飲み込み、情報通信のあらゆるモデルを破壊しつつある。次の犠牲者は放送局だろう。HDTV(高精細度テレビ)は時代錯誤の持続的技術の典型であり、それを破壊するのはモバイルとインターネットだ。
 
著者も日本語版への序文でのべているように、かつての日本製品は肥大化した米国企業を倒す破壊的技術の役割を果たしたが、今では倒される側に回ってしまった。残念ながら、既存企業が自己改革によって危機を乗り越えた例はきわめて稀だ。日本経済が復活する道は、新しい世代の企業による「創造的破壊」しかないだろう。

まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか

まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか
経済学では、株式市場の情報はすべて株価に織り込まれているので、市場に勝つことはできないと教える。では年率80%以上の収益率を上げるファンドは、何か魔法でも使っているのだろうか? 

著者は、それはただの「まぐれ」だという。そういう天才投資家をつくるのは簡単だ。架空のファンドマネジャー1万人をコンピュータの中につくり、最初の年に半分が1万ドルもうけ、半分が1万ドル損をして退出する・・・というシミュレーションを繰り返すと、5年目には313人が5年連続で合計5万ドルもうける。 しかしメディアは彼らを賞賛し、その投資術を書いた本がベストセラーになるかもしれない。

こういう錯覚を「生存バイアス」とよぶ。負けた人々が目に入らないため、まぐれ当たりの成功者の結果論がもてはやされるのだ。10年ほど前、人々は「金融工学」を使えば確実にもうかると信じ、ノーベル賞受賞者を擁したファンド、LTCMは莫大な資金を集めたが、世界的な金融危機で破綻した。

普通の確率論では、この暴落の幅は「標準偏差の10倍」で、数百億年に1回しか起こらないはずだった。それは市場の出来事が正規分布に従うと仮定しているからだが、実際の相場の動きは正規分布とはほど遠い。  

著者は、このように人々の行動を確率という人工的な概念で理解することによる失敗例をあげ、市場をメカニカルにとらえる経済学を嘲笑する。経済学は、ニュートン力学の厳密性にあこがれてそれをまねたが、結果的には穴だらけの、ほとんど占いと変わらないものなってしまった。

彼は、経済学はこういうインチキな理論を忘れ、ハイエクから出直すべきだという。人間の行動を決めるのは物理ではなく心理であり、それは不完全な情報と不合理な感情に動かされるものだ、という当たり前の事実を認めることから出発するしか、経済学が役に立つ学問になる道はないだろう。  

「経済敗戦」からの復興に必要な「明るい焼け跡」

敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人
本書は、昨年のピュリッツァー賞や全米図書賞をはじめ多くの賞を受賞した名著であり、今さら私が推薦するのは蛇足かもしれない。しかし「経済敗戦」とか「第二の敗戦」といわれる現在の日本を考える上で、本書の描く「第一の敗戦」の教訓に学ぶことは重要だ。

これまでの日本人の敗戦に対する態度は、それを軍国主義の帰結ととらえてアジアへの「謝罪」を求める側と、こうした立場を「自虐史観」として批判する側にわかれ、今なお対立が続いている。本書は、そうしたイデオロギー論争とは無縁な外国人歴史家の見た、明るい敗戦の風景だ。
 その特徴は、著者が日本語版の序文で強調するように、日本人の多様性を膨大な一次資料にもとづいて生き生きと描いている点にある。本書には「集団主義」で保守的なステレオタイプの日本人はほとんど登場しない。
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近代人の「底」が抜けた先に見えてくる野生の世界

僕の叔父さん 網野善彦 (集英社新書)
戦後の歴史学界では、マルクス主義が圧倒的な影響力をもっていた。これは戦前の歴史学が皇国史観によって国家に迎合したことへの反省もあったのだろうが、唯物史観が「経済決定論」や「発展段階論」として公式化されると、弊害も目立ってきた。
 
そのなかで昨年死去した歴史家・網野善彦は、マルクス主義の影響を受けながらも、それと闘い続けた。その甥である著者も、山梨県の「コミュニストの子供」として生まれ、幼いころから中ソ論争の闘わされる家で育ち、その場にはしばしば網野がいたという。
 
網野は、公式的な唯物史観よりも、マルクスがロシアの革命家、ヴェラ・ザスーリッチに出した手紙に書かれているような原初的な共同体の世界にひかれていた。そこにあるのは、近代人に理解可能な「民衆」ではなく、その「底」が抜けた先にみえてくる原初の人間存在ではないか、と網野は考えていた。それは著者の専門である文化人類学の対象とする「野生の思考」にも通じる歴史以前の世界である。
 
網野は、日本の歴史を農民の側からのみ見る通説を批判し、『無縁・公界・楽』では非農業民の自由な世界を描き、『異形の王権』では「悪党」を駆使して室町幕府と闘った後醍醐天皇を描いた。こうした研究は、日本の学界では長く異端だったが、最近になって日本の「社会史」研究の先駆として評価されるようになった。
 
こうした新しい歴史観は、日本という国家の成り立ちも疑問を投げかけ、天皇制を新たな角度から見ることも可能にする。悪党たちの行っていた密教の儀式には、チベット仏教にも通じる象徴が見られるという。
 
著者は、マルクス主義や天皇制という古くて重いテーマを、叔父の回想という軽いタッチで描いているが、網野の提起した問題は著者に受け継がれている。そこには著者もいうように、現代において、ドゥルーズやネグリたちが研究した、制度化され組織化される以前の「マルチチュード」としての民衆のエネルギーがあるのかもしれない。

拝啓 テレビ朝日社長様

2002年2月1日

広瀬道貞様

突然のお手紙で、失礼します。広瀬さんは、かつて朝日新聞の政治記者として活躍しておられましたね。あなたが20年前に書かれた『補助金と政権党』という本は、公的な補助金が政治家の私的な集票装置として利用され、民主主義を腐らせてゆく過程を、詳細なデータと冷静な分析によって明らかにし、政治学の研究書でも引用される名著です。

そうした大ジャーナリストが社長になれば、日本の民放のレベルも少しは上がるかと思ったのですが、あなたの今年の「年頭あいさつ」を見ると、どうやら逆のことが起こっているようですね。テレビ朝日のホームページには、こう書かれています:
・・・第一は、通信と放送をめぐる安易な制度改革には断固反対していくということです。コンテンツとインフラの分離、テレビ局に対する電波の割り当てを止める案―こんな改革は断固阻止すべきだと信じています。第二は、地上波のデジタル化の件です。いわゆるアナアナ変換計画には大きな支障がでています。しかし、デジタル化は技術の進歩からいって避けることのできないものであり、放送事業者のサービス・仕事の領域を拡張していく事ができます。計画の円滑な推進を政府に求めていきたいと思います。
ここで「断固反対」しておられるのは、昨年末に政府のIT戦略本部に提出されたIT関連規制改革専門調査会の提言、「IT分野の規制改革の方向性」のことだと思われますが、これが「安易な制度改革」だというのはどういう意味でしょうか。今回の提言では、通信と放送の融合を進める一方、コンテンツとインフラを分離する政策が提言されています。すべての情報がインターネットに乗る時代には、情報の中身を通信とか放送とか区別する意味はないので、インフラを開放してサービスの規制を撤廃しようというものです。これは既存の通信・放送業界の秩序を根底から変える抜本改革で、とても「安易」に実現するものではありません。

「テレビ局に対する電波の割り当てを止める」とありますが、IT戦略本部が提唱しているのは、電波の「有効利用」です。地上波デジタル放送に使うことになっているUHF帯では、現在の携帯電話に割り当てられている2倍もの周波数が、20年以上あいたままほったらかしです。これをブロードバンドに有効利用すべきだという議論が出るのは当然でしょう。これに「断固反対」するのは、あなたがかつて指弾した「公の資産を利用した私的利益の追求」ではないのでしょうか。

地上波デジタル放送は、周波数を変更する「アナアナ変換」に総務省の補助金600億円を引き出したものの、いざやり始めると2000億円もかかることが判明して、計画は完全に破綻してしまいました。「計画の円滑な推進を政府に求めていきたい」というのは「補助金をもっとよこせ」ということでしょうか。まさか補助金の弊害をあれだけ克明に分析されたあなたが、民間企業の中継局に国費を投入する(違法の疑いが強い)補助金をこれ以上要求するおつもりではないでしょうね。

BSデジタル5社の赤字は、今度の3月期で合計300億円を超えると予想されています。資本金数百億円の会社がこんな赤字を毎年垂れ流していたら、数年で消滅するでしょう。設備投資がNHK・民放あわせて1兆円を超える地上波デジタルの赤字は、これより一桁大きくなると予想されます。日本テレビの氏家社長(民放連会長)も認めるように「地上波デジタルは事業としては成り立たない」のです。このまま突入したら、あなたはテレビ朝日の経営破綻の引き金を引いた経営者として歴史に残るでしょう。

最後に残った大義名分は「電波の有効利用」ですが、そのために10年もかけて引越しする必要なんてありません。今すぐUHF帯を無線インターネットに開放すればよいのです。その際、必要であれば既得権としてテレビ1チャンネル分(毎秒4メガビット)ぐらいは枠を認めてもよいでしょう。なにしろ今のUHF帯を開放すれば、数百社が無線インターネットを使って毎秒50メガビット級のブロードバンド放送を行うことも可能ですから、4メガビットぐらいはお安い御用です(もちろんVHF帯は返却するのが条件です)。

これは「電波の割り当てを止める」のではありません。インターネット時代には、そもそも「電波の割り当て」なんていらないのです。くわしいことは私の本に書いてありますが、簡単にいうと、広い帯域を全ユーザーが共有してデータを流す「スペクトラム拡散」という技術によって、特定の周波数を占有する意味はなくなったのです。

あなたは、民放連の放送計画委員長として「NHKのインターネット放送規制」を主張しておられますが、NHKの「肥大化」がけしからんというのなら、民営化せよというべきではありませんか。規制の撤廃や特殊法人の民営化を唱えるテレビ朝日も、自分の業界だけは規制を強化してほしいというのでは、あなたの批判する土建業界と大して変わりませんね。既得権益を擁護している印象を避けるため、ことさらに新聞の社説的な論調で政府を批判しておられるところに、かえって胡散臭さを感じます。正直に救済を求める土建業者のほうが「正義」を装わないだけましです。

ブロードバンドがテレビの敵だと思っておられるのかもしれませんが、これは逆です。ブロードバンドは、むしろ放送局にとってはテレビの放送開始以来の大ビジネス・チャンスなのです。テレビの映像を全国に放送するコストは、無線インターネットを使ったIPマルチキャストなら数百億円ですから、アナアナ変換のコストを転用するだけで電波が「デジタル化」できます。そして、コンテンツの競争で優位に立つのは、多くの番組資産を持つテレビ局です。ブロードバンドで最大の資産となるのは、電波ではなく制作・編成能力なのです。

もっと深刻な問題は、今回の補助金によって民放が事実上「国営放送」になることです。一昨年の秋、森内閣の中川官房長官の録音テープが一部の民放で放送されたとき、自民党郵政族のドンは「こんなテレビ局に補助金を出す必要があるのか」と発言しました。その直後にアナアナ変換の補助金850億円からキー局の分だけが減額され、日本テレビは民主党の選挙コマーシャルの放送を「自粛」しました。あなたが『補助金と政権党』で書かれたように、「補助金は、財政を悪化させ、国民の税負担を重くするばかりでなく、民主政治の根っ子を侵食しつつある」のです。

そもそも政府から免許をもらっているなんて言論機関としては半人前だ、と新聞記者はテレビを軽蔑してきたのではありませんか。その免許行政のくびきからテレビ局を解放し、NHKも民放も外資も同じ土俵で競争することによって多様なコンテンツの自由な流通を実現しようという改革に、あなたが反対される理由がわかりません。かつての大ジャーナリストも、言論の自由より独占利潤のほうが大事なのでしょうか。

私も元同業者ですから率直にいいますが、テレビ局はインターネットについて最も無知な業界の一つです。あなたも「裸の王様」になっておられるのではないでしょうか。しかし客観状況を取材すれば、あなたが今回の改革の意味と放送業界にとってのメリットを理解できないはずはありません。テレビ局が先頭に立って電波を国民に(あるいは世界に)開放すれば、IT産業ばかりでなく日本経済の活性化にも大きな力となるでしょう。

失礼な言葉をお許しください。敬具。

NHK海老沢会長からの手紙

かつて勤務した会社から、顧問弁護士の署名捺印つきの「内容証明」の手紙をもらうというのは、奇妙な気分である。2003年2月、NHKの海老沢会長と顧問弁護士から私に届いた「訂正と謝罪の要請」には、こう書かれている:
貴殿が1月31日、メーリングリスト"digitalcore"上に掲載した 「地上波デジタルの断末魔」と題するメッセージの中に、事実と全く異なる記述がありました。[…]協会が「理事会で地上波デジタル放送の開始を 2005年に延期」したという事実はありません。従って「この決定をなかったことにした」事実もありません。[…]そこで貴殿に対し、(1)この根 拠となる具体的な事実を示すこと、もし(1)について明確な回答を示せない場合には、貴殿は社会に対して自らの発言を訂正するとともに、協会に対して謝罪 することを求めます。
その回答が満足のいかないものなら「法的措置を検討する」そうだが、まず驚くのは、ここで「訂正と謝罪」を求めている対象が電子メールだということである*。これは公の場所に「掲載」されたわけではなく、特定のメンバーに宛てた「私信」である。どうやら「2ちゃんねる」のような電子掲示板と取り違えたらしいが、これは「信書の秘密」の公然たる侵害である。

3600万世帯の視聴者を持つNHKが、メンバーがわずか150人のメーリングリストを相手に「法的措置」を取るというのは、笑い話にもならない。これを 読んでいるメンバーは特定されているので、「社会に対して訂正」する必要なんかない。文句があるなら、NHKの会長も同じメーリングリストに参加して反論 すればよいのである。「電子メールを対象にした名誉毀損訴訟というのは聞いたことがない。もしも実際にやったら、NHKは物笑いの種になるだろう」という のが弁護士の意見である。

それにしても、他人の私信の内容をなぜNHKが知っているのだろうか?このメーリングリストは非公開だから、問題の電子メールは規約に違反して持ち出され たか、盗聴などの違法な手段で入手された疑いもある。違法な手段で得た文書を法廷で証拠とすることはできないから、入手した経路を明かさない限り、文書 (この場合は電子メール)には証拠能力はない、というのが確立した判例である。私は、この種の内容証明の手紙をもらったのは初めてではないが、これは普通 は(言論で対抗できない)政治家や悪徳業者などが使う手口である。言論機関がみずから脅す側に回るというのは、あきれた話だ。「エビジョンイル」と呼ばれ る独裁者には、批判も許されないらしい。NHKは、いつの間にこんな情けないメディアになってしまったのだろうか。

デジタルコアでこの事件を公表したところ、100通以上のメールが寄せられたが、内容は「NHKはこれでも言論機関か」「日経新聞は抗議すべきだ」といっ たものばかりで、NHKに同情的な意見は1通もなかった。デジタルコア事務局は「非公開のメーリングリストの内容が外部に持ち出され、圧力がかけられたこ とはきわめて遺憾である。規約に違反したメンバーは謝罪し、脱会せよ」という公式見解を出した。もしも裁判を起こすなら、NHKは日経新聞から「編集権の 侵害」を逆に訴えられることも覚悟したほうがよい。

奇妙なことに、当の内容証明が私に届く前に、経済産業省の官房長あてにNHKの理事の名前でこの文書を同封した手紙が届いた。この手紙では、電子 メールの中の「NHKでは、国会答弁の失敗が原因で会長が2代続けてやめている」という記述が「品位がない」と非難されていて、彼らが何を恐れているのか よくわかる。毎年、国会でNHK予算案が審議される3月ごろになると、NHKの経営陣や国会担当者はピリピリし、ちょっとした問題にも過剰反応する。今回 も、国会で追及されたとき「その話は嘘だ。抗議した」と言い逃れができるようにアリバイ作りをしたのだろう**。

「いったん地上波デジタル放送を2005年に延期すると決めたが引っ込めた」という些細な話に、NHKがこんなに大騒ぎするのは、この計 画が完全に破綻し、国会で追及されたら助からないからだ。たとえ形の上で2003年に「試験電波」を出したところで、既存のUHF局と混信が起こるため、 実際の放送は開始できない。本放送を行うには、全国のUHF局の周波数を変えて400万世帯以上のテレビの設定を変える「アナアナ変換」が必要だが、予算 は当初の予定の850億円から2000億円以上にふくれ上がってしまった。残りの1000億円以上をどうやって調達するのか、目途も立たない。

しかし実は、アナアナ変換なんて必要ないのである。東京に住んでいる人なら「なぜ2チャンネルは映らないのか」と子供のころ疑問に思ったことはない だろうか?実は2チャンネルには、1チャンネルと同じ6メガヘルツの帯域があり、そこで放送することも可能である。これは電波が混信しないために周波数の 間隔をあける「ガードバンド」だが、6メガヘルツもあけるのは50年前のテレビを基準にしたもので、現在では片側1メガヘルツも余裕があれば十分だ。実際 には、放送で使っている帯域は4.2メガヘルツだから、すきまの2チャンネルはほぼ丸々使えるのである。

同様に、日本テレビは5チャンネル、TBSは7チャンネル・・・と空いているチャンネルを使えば、今すぐにでもデジタル放送ができる。最初は普通の テレビとデータ放送だが、夜間にファイル転送してハードディスクに蓄積する「蓄積型放送」ならHDTV(いわゆるデジタルハイビジョン)も見られる。これ なら今のアンテナでチューナーを取り替えるだけで見られるから、デジタル放送の普及の障害とされているUHFのアンテナを新たに立てる必要もない。

こんな簡単な「コロンブスの卵」が見逃されていたのは、「放送はUHF帯に集約し、VHF帯は業務用無線に明け渡して有効利用する」という30年以 上前の方針をいまだに総務省が守り続けているためだ。この方針に従って1970年代以降、地方の新設局はUHFしか認められなかったため、地方ではVHF 帯は丸々あいている。ところが結局、VHF局が1局も郵政省(当時)の指導に従わなかったため、有効利用どころかUHF・VHF両方ふさいで370メガヘ ルツも浪費する最悪の結果となった。こういうアナログ時代の電波政策を白紙に戻し、逆にUHF局をVHFに集約すればよいのである。これなら放送業界のき らう「水平分離」も必要ないし、通信と放送の「垣根」も今のままだ。その代わり、UHFの300メガヘルツはすべて無線インターネットに開放することが条 件である。

電子メールと掲示板の区別もつかないテレビ局がブロードバンド時代に生き残るのは絶望的だが、心配することはない。インターネットが社会全体のイン フラとなるには、少なくともあと5年はかかるだろうし、1億台もあるアナログテレビがなくなる日は向こう10年は来ないだろう。ブロードバンドはUHF帯 に新規参入する企業にゆだね、テレビは高齢者向けの「伝統産業」としてVHF帯で棲みわければよいのである。

*このときの理事会決定は、正確にいうと「2005年に 延期することを総務省に陳情しよう」というものだった。しかし何者か(おそ らくメーリングリストに入っていた総務省の官僚)からこの電子メールを転送されると、あわてて否定して私を脅迫したものだから、引っ込みがつかなくなってしまっ た。結果的には、この私のスクープ(?)を否定したことが、2003年に無理やり放送開始する原因となったらしい。

**この手紙は、実際に2002年のNHK予算審議で 問題になった。民主党の永田議員の「批判に対して訴訟で脅すのは言論機関にあるまじき行為だ」との追及に、NHK側はうろたえるばかりで何も答えられな かった。永田氏の「池田氏の投稿が嘘だというなら証拠を出せ」という要求に対して、NHKは「理事会の議事録を出す」と答えたが、のちに「議事録 はない」と回答してきた。






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