Winny

村井純氏がWinnyの訴訟で、被告側の証人として証言した。キャッシュなどのWinnyの機能について、検察側が「著作権法違反行為を助長させる目的を持って搭載されたものだ」と主張しているのに対して、村井氏は「これらの技術はネットワークの効率を上げるための洗練された技法であり、これを利用の目的と結び付けて考えるのは理解できない」と述べたという。

たしかに技術そのものは中立だが、それを「利用の目的と結び付けて考える」検察側の意図も理解できないことではない。立証の争点は、金子被告(Winnyの作者)が著作権法違反を助長する目的をもっていたかどうかだから、彼の2ちゃんねるでの発言が、そういう目的と結びつけられることは避けられない(誤解のないように付言するが、私はそれが正当だといっているわけではない)。

金子氏の書いた『Winnyの技術』(アスキー)を読むと、Winnyはソフトウェアとしても革新的であり、インターネットで映像などの重いファイルを共有するうえで重要な要素技術(階層化やクラスタリングなど)を含んでいることがわかる。もしも彼が2ちゃんねるではなく、学術論文でWinnyを紹介していれば、こういうことにはならなかったかもしれない。

チョムスキー

私は学生のころ一時、言語学を志したことがある。もともとは哲学に興味があったのだが、ソシュールやヴィトゲンシュタインなどを読むうちに、言語こそ哲学のコアであるという感じがしたからだ。当時は文科2類からはどの学部へも行けたので、文学部に進学することも真剣に考えた。しかし当時の言語学科は、チョムスキー全盛期で、その単純な「デカルト的」理論には疑問を感じたので、やめた。

初期のチョムスキーは、言語学を応用数学の一種と考え、ニュートン力学のようなアルゴリズムの体系を完成させることを目標としていた。しかし言語を数学的に表現することはできても、そこには意味解釈が介在するため、物理学のように客観的な法則を導き出すことはできなかった。結局、「標準理論」と自称した初期の理論も放棄せざるをえなくなり、その後の理論は複雑化し、例外だらけになる一方だった。

生成文法の黄金時代は、未来のコンピュータとして「人工知能」が期待されていた時期と重なる。日本の「第5世代コンピュータ」プロジェクトでも、日本語を理解するために生成文法の一種を組み込んだパーザ(文法解析機)をつくることが最大の目標だった。しかし、このプロジェクトは、10年で300億円あまりの国費を使って、失敗に終わった。

チョムスキー学派も70年代からは分裂し、当時の対抗文化の影響もあって「生成意味論」や「格文法」など、生成文法を根本から否定する理論が登場した。これらは学派としては消滅したが、「主流派」の側も、拡大標準理論、GB理論、ミニマリスト理論など変化・分裂を繰り返し、何が主流なのかわからなくなった。

結局、生成文法や人工知能が示したのは、「人間の知能は数学的なアルゴリズムには帰着できない」という否定的な証明だった(これはこれで学問的な意味がある)。町田健『チョムスキー入門』(光文社新書)は、こうしたチョムスキー学派の解体の歴史をたどり、「言語学に科学的な論証法をもたらすかのように見えた生成文法は、現在のままでは科学的合理性から遠ざかっていくばかりです」と結論する。

日本では9・11以後、「反ブッシュ」の論客としてチョムスキーが人気を博し、その影響で今ごろ彼の言語理論を賞賛する半可通も出てきたようだ。しかし「絶対自由のアナーキスト」を自称し、ポル・ポトを擁護したチョムスキーの政治的な発言は、欧米では相手にされていない。彼の言語理論も、同じ運命をたどるだろう。

史上最大の合併

NY Timesによると、タイム=ワーナーを分割しようという大株主カール・アイカーンの試みは、失敗に終わったようだ。しかし、AOLが身売り先をさがしている状況には変わりない。最近、訳本が出た『史上最大の合併』(ディスカヴァー)は、なぜこの巨大合併によって2000億ドル近い企業価値が失われたのかを描いている。

日本では、ライブドアのおかげで、企業買収や株式交換のイメージがすっかり胡散臭いものになってしまったが、企業買収の問題点はむしろその際に強調される「シナジー」が本当にあるのかどうかだ。AOLとタイム=ワーナーのように、成立当時は賞賛された合併でさえ、企業文化の違いによって内部崩壊してしまった。創業者の反対を押し切ってコンパックを買収したヒューレット=パッカードのディールも失敗に終わり、カーリー・フィオリナCEOは解任された。

企業買収には、(1)多角化(2)規模拡大(3)事業再構築の3種類がある。このうち、米国で企業買収が始まった1960年代から70年代に盛んになったのが(1)の「コングロマリット」で、これはほとんど例外なしに失敗している。ライブドアの場合も、企業買収のときの株価操作で利益を得ていただけで、事業上のシナジーはなかった。(2)は本業と「補完的」な同業者を買収するもので、AOLやHPがこれに相当するが、ここでも成功率は半分以下である。

成功しているのは(3)だけで、これは(2)とは逆に、LBOやMBOによって不採算部門を売却し、本業に集中するケースが多い。日本では、新生銀行など外資系ファンドが手がけている案件や、ダイエーやカネボウなどの産業再生機構案件がこのタイプだ。今の日本に必要とされているのは、こうした「企業コントロールの市場」で企業を解体・再生することである。

ライブドア事件の新展開?

堀江元社長が、自民党の武部幹事長の次男に「3000万円入金するように」と指示したとされる電子メールを民主党が公表した。武部氏はこれを全面的に否定しており、真偽のほどは定かではないが、事実である可能性は高い。前にもこのブログで書いたように、証取法違反程度の事件に特捜部が「100人体制」でのぞむはずがないからだ。

少なくとも検察のねらいは、政治家と暴力団だろう。後者についても、ホリエモンとヤミ金との関係は以前から噂されており、野口元副社長の事件も、ほんとうに自殺なのかどうか疑問がある。海外のペーパー・カンパニーを使った会計操作にも「その筋」のプロがからんでいたことは十分考えられる。

ライブドア事件の本筋がこの種の話だとすると、これは偽計取引とか風説流布などの逮捕容疑よりもはるかに重大な犯罪である。問題が逮捕容疑の範囲であれば、法廷で闘う余地もあるし、「ルールの不備が問題だ」と主張することもできようが、贈賄や暴力団となると、弁解の余地はない。

それにしても不可解なのは、自民党の対応のお粗末さだ。証券監視委員会は「1年近く前から内偵していた」というのだから、去年の総選挙の段階では、その上部組織である金融庁の竹中大臣に情報が上がるのが当然だろう。少なくとも、あれほど自民党がホリエモンにコミットする前に、監督機関に問い合わせることは考えなかったのか。

今回のように官邸も自民党も知らないうちに検察が政治がらみの強制捜査に入るというのは、異例である。検察の独立性が強まったことを喜ぶべきなのか、政府の情報収集能力の低下を嘆くべきなのか...

ウェブ進化論

梅田望夫『ウェブ進化論』(ちくま新書)が、ベストセラーになっている。アマゾンでは、あの『国家の品格』を抜いて、総合で5位だ。私もきょう買って読んだが、はっきりいって電車のなかで気楽に読めるのが唯一のとりえである。

「本当の大変化はこれから始まる」と銘打っているが、その中身はといえば「インターネット」「チープ革命(ムーアの法則)」「オープンソース」の三大法則だという。こんな話を今ごろ聞いて、感心する読者がいるのだろうか。グーグルがすごい、としきりに書いてあるが、出てくるのは「アドセンス」などのよく知られた話ばかり。その根拠として持ち出してくる"Web2.0"の意味もよくわからない。

要するに、ここ1,2年のIT業界の流行をおさらいして、キーワードを並べただけだ。たとえばロングテールの話などは、ウェブの数学的モデルとして重要な意味があるのだが、それもアマゾンやグーグルなどの事例を並べるだけ。話が横へ横へと滑っていって、ちっとも深まらない。

著者はシリコンバレーに住んでいて、こういう情報が現地でないと入手できないと思っているのかもしれないが、IT業界では、もう日米の距離なんてほとんどないのだ。まあブログもウィキペディアも知らないおじさんが入門書として読むにはいいかもしれないが、当ブログの読者には退屈だろう。

市場原理主義

このごろ、ほとんど毎日のように「市場原理主義」という言葉を目にする。しかも、それが肯定的な意味で使われることはまずない。たとえば今月の『文芸春秋』でも、例の藤原正彦氏が、ライブドア事件の元凶は小泉構造改革であり、日本社会に格差が広がっている原因も、市場原理主義だという。それに対する彼の処方箋は、「武士道」に回帰し「日本型資本主義」を広めることだ。

所得格差は、日本でも多くの経済学者が論じてきたテーマであり、そのほぼ一致した結論は「見かけ上の所得格差は拡大しているが、その主な原因は高齢化だ」ということである。高齢者はもともと所得格差が大きいから、人口の高齢化にともなって所得格差が開くのは当然であって、これは市場原理とも規制改革とも関係ない。

若者にフリーターのような非正規労働者が増えていることは事実だが、その原因は企業が退職者の不補充(新卒の採用抑制)によって雇用調整をしているためである。つまり中高年労働者の既得権を守る「日本型資本主義」が雇用調整を遅らせ、若年労働者の失業率を高めているのである。

市場原理主義が猛威をふるっているはずの日本で、「まちづくり三法」の見直しで郊外への大型店の出店が事実上禁止され、高速道路整備計画では今後9300km以上の「全線建設」が決まった。市場原理をきらい、「弱者保護」を理由にして既得権を守るのは、自民党の古いレトリックだが、藤原氏のような無知な「有識者」がそれを(結果的には)応援しているのである。

産業政策の亡霊

経産省が民間企業を集めて「国産Google」を開発するための研究会をつくったそうだ。こういう「日の丸プロジェクト」は1980年代以降、ひとつも成功したことがなく、もう産業政策はやめようというのが最近までの経産省の立場だった。ところが、そういう「小さな政府」路線でやっていると、予算が削られるばかりだということがわかって、最近また「大きなお世話」路線が復活しているらしい。

こういう「産業政策の亡霊」が一定期間ごとに霞ヶ関を徘徊するのは、過去の失敗を失敗として総括していないからだ。以前、いわゆる「大プロ」(大型工業技術開発制度)の成果についての事後評価を調べたところ、ほとんど記録さえ残っていないことに驚いた。予算を獲得するまでの企画段階では詳細な調査・研究が行われるのだが、その結果(ほとんど失敗)については何も総括が行われていないのである。

こうして過去の失敗は、その責任も問われないまま忘れ去られ、20年もたつと同じような日の丸プロジェクトが登場する。このように歴史に学ぶことのできない「ご都合主義的健忘症」は、霞ヶ関だけの病気ではない。かつての戦争をいまだに総括できないような国民には、この程度の官僚しか持てないのだろう。

ムハンマドの漫画

デンマークの新聞がムハンマドの漫画を載せた事件は、シリアのデンマーク大使館が放火される騒ぎに発展した。欧州では、漫画を転載した他の国の新聞もイスラム教徒の攻撃にあっている。これを報じる日本の新聞は、さすがに漫画そのものは転載していないが、ウェブにはたくさん流通している。解説つきでわかりやすいのは、Wikipediaのものだ。それを見ればわかるが、こんな騒ぎになるほどおもしろい漫画ではない。

Japan after livedoor

今週のEconomist誌で、ライブドア事件を論評している。論旨は、このブログの先週の記事とほとんど同じで、ライブドアのやったことは欧米なら明らかに犯罪だが、日本の規制には抜け穴が多すぎるので、検察のリークする情報は信用できない、というものだ。そして結論は、「市場原理主義」を批判するよりも規制を強化し、証券監視委の権限を強化してスタッフも増やすべきだ、ということである。

日ごろ「小さな政府」を一貫して主張しているEconomistが、「日本では、行政改革の問題は公務員の数を減らすことではない」と論じている。日本の公務員は、人口比でみると、OECD諸国の中でもっとも少ない(*)。それは、ある意味で日本の政府が「効率的」だったことを示している。金融業界のように新規参入を禁止しておけば、政府は業界団体を通じて「卸し売り」で企業を監視できるからである。これに対して、オープンな市場では、新規参入してくる企業を行政が「小売り」で監視しなければならないので、効率は悪くなる。

これは銀行と企業の関係にもいえる。邦銀の資産あたりの社員数は、外銀に比べてはるかに少ない。かつては、企業との長期的関係によってメインバンクは企業の「本当の数字」を知っていたので、他の銀行はメインバンクのモニタリングに「ただ乗り」できたからだ。しかし、金融自由化以後は資金調達が多様化したため、銀行のモニタリング機能も低下した。欧米では1980年代に問題になった、情報の非対称性による「エイジェンシー問題」が、日本では20年おくれで顕在化してきたのである。

こうしたモラル・ハザードを防ぐ手段として80年代に流行したのが企業買収である。とくにLBOは、買収対象の企業を「借金漬け」にすることによって、細かいモニタリングをしなくても一定の収益を上げることを経営者に強制できる。だから今回の事件を機に企業買収を制限しようというのは、逆である。企業買収が真の企業価値にもとづいて行われるように企業会計を監視するサービスは、一種の公共財なので、政府が供給したほうがよい。

(*)追記:総務省によれば、日本の公的部門職員数(独立行政法人を含む)は1000人あたり35人と、OECD諸国で最低である。ただし、ここには特殊法人や公益法人は含まれていない。

東横イン

東横インの「違法改造」事件は各地で次々と明らかになっているが、これは人命のかかっている姉歯事件に比べると、罪は軽い。社長も「制限時速60キロの道を67、8キロで走っても、まあいいか」などと発言してバッシングにあっているが、現実にはすべてのホテルに車椅子用の駐車場と客室を義務づけるほど障害者が宿泊するとは考えられない。障害者には他のホテルを選ぶ自由もあるのだから、実害はほとんどないのではないか・・・などと書くと、私もバッシングされそうだが、こういう問題には合理的な解決法がある。

東横イン(のような障害者対策をしないホテル)は、「罰金」を政府に支払う代わりに対策の義務を免除してもらい、政府はその罰金をプールしてバリアフリーのホテルに補助金として支給すればいいのだ。これは地球温暖化対策として提案されている「排出権取引」と同じメカニズムで、いわば「バリアフリー拒否権取引」である。

この拒否権の単価は、市場で決めればよい。政府が障害者用設備の地域あたりの総枠を決め、その基準以上の設備を作ったホテルは東横インに拒否権を売るのである。これによって拒否権の価格は設備の限界費用と均等化するので、バリアフリー化しやすい(敷地の広い)ホテルが多くの設備をつくるようになり、効率的にバリアフリー化するインセンティヴも生まれる。

障害者対策にコストがかかる、などというのは公然と口にしにくいpolitically incorrectな話題だが、彼らを「弱者」として特別扱いするのではなく、普通の人と同じようにビジネスライクに考えてはどうだろうか。






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