新聞の「水平分離」?

通信と放送の融合が議論されているとき、新聞の特殊指定の見直しが出てくるのは、偶然ではない。現在のテレビのビジネスモデルは50年前、新聞宅配に至っては100年前にできたものであり、どちらもインターネットによって崩壊の危機に瀕しているからだ。

新聞の宅配制度があるのは、世界中で日本と韓国だけだそうだ。朝鮮半島が日本の植民地だった時代に宅配制度ができたからだ。歌川令三氏によれば、この制度を支えてきたのは、1世帯あたり1.2部という高い購読率と、21000店という郵便局に匹敵する数の新聞販売店だ。特殊指定解除に対する新聞の異様な敵意が、郵政民営化に反対した議員たちと似ているのも偶然ではない。

しかし電子メールの普及で郵便局ネットワークの維持が困難になっているように、若年層は新聞よりもインターネットで情報を収集するから、今のままの宅配制度は維持できなくなるだろう。日本の新聞料金が世界一高いのは、コストの4割を販売経費が占める非効率なシステムを再販で守ってきたからだが、それも限界だ。現実には、1年とったら半年サービスといった拡販競争が行われており、バカを見ているのは長期購読者である。

長い目で見ると、新聞社の機能の中で残るのは、記事(コンテンツ)だけで、インフラは宅配からインターネットまで何でもありという形に変わってゆくのだろう。世帯あたりの購読率が欧米並み(0.7部)になれば、新聞社が系列の販売店を「垂直統合」するシステムが崩れ、販売店の集約が始まるだろう。牛乳の宅配がなくなったように、新聞はコンビニで買うようになるかもしれない。これは番組制作と電波を垂直統合しているテレビがIPで「水平分離」されるのとよく似ている。

受信料の支払い義務化

けさの各紙によれば、総務省が「NHK受信料の支払いを義務化する方向で検討に入った」そうだ。これは受信料を「放送税」にすることであり、NHKを「国営化」することである。

現在の放送法では、NHKの放送を受信できる受信設備を設置した者は、受信契約をしなければならない(第32条)。今後、IPによってテレビ番組が配信されるようになれば、インターネットにつながっているパソコンはすべてNHKの放送の「受信設備」になってしまう。インフラとコンテンツが分離されるインターネット時代に、受信設備(インフラ)を持っていることで番組(コンテンツ)を見ているものとみなす制度が時代遅れなのである。

受信料制度の存在根拠として「NHKを有料放送にすると、災害のとき放送が届かなくなる」という主張があるが、全国に少なくとも1局は民放がある。ラジオやBSを含めれば、100%のユニバーサルサービスが無料で実現している。放送業界の改革論議が出てくると、NHKも民放も「災害報道」を理由にして改革を拒絶するが、これは建て前にすぎない。NHKが受信料を維持したい真の理由は、有料放送にすると大幅な収入減になると考えているためである。

しかし、スクランブル化によって受信機ごとに課金できれば、世帯ベースの受信料よりも増収になる可能性もある。私は、先週の『週刊東洋経済』にも書いたように、むしろNHKを委託/受託放送事業者に分離したほうがよいと思う。NHKが委託放送事業者になれば、電波の免許も不要になり、新聞や雑誌と同じ純然たる民間企業になる。

追記:タイミングの悪いことに、同じ朝刊に「NHK職員、カラ出張で1762万円着服 懲戒免職」という記事が出ている。カラ出張は、私が勤務していたころから、そう珍しいことではなかったが、5年で242件(ほぼ毎週1回)というのは記録的だ。

地デジへの国費要求

先日の片山発言と呼応するように、地方から地上デジタル放送に「公的支援」を求める声が出てきた。朝日新聞によると、北海道庁の課長は「国の政策で進めているのだから、国が支援するべきだ」と要求している。

これは間違いである。地上デジタルは、国がテレビ局に強制したわけではない。免許を申請した局がやるのだから、費用負担がいやなら、免許を申請しなければよかったのだ。しかも、当初は郵政省がBSデジタルのように委託/受託放送事業者方式でやろうとしていたのを、民放連がつぶして自前で中継局を建てることを決めたため、設備投資の負担が大きくなったのである。

それが今になって「道内民放局は、約60カ所分の40億円は各局が自力で負担するものの、残る2%地域の十数億円について国に負担を求めたい」とは虫のいい話である。コストは国に負担してもらって、それによって上がる利潤は民放のものにしようというのか。

こうして、何度も国費のおねだりをしているうちに、民放も含めてすべてのテレビ局が「国営放送」になる。それがジャーナリズムとして自殺行為だということもわからないのだろうか。

ハイエク

『国家の品格』は早くも170万部を突破し、『バカの壁』を抜く最速のペースだという。たしかに、とりとめなくて何がいいたいのかよくわからない『バカの壁』に比べれば、『国家の品格』の主張はよく悪くもはっきりしており、話題になりやすい。担当の編集者は、私の本の担当でもあるので、とりあえずはおめでとう。

しかし、専門家の評価は低い。阿部重夫編集長ブログによると、『国家の品格』の国粋主義と『ウェブ進化論』の米国礼賛は、「対極にいるように見えるが、前回書いたように『無知』をブラックボックス化してしまう点で双方ともハイエクの手のひらを一歩も出ていないのだ」という。

これには少し解説が必要だろう。ハイエクは、デカルト的合理主義を否定し、ヒューム的な経験主義から出発した。彼にとっては、市場は完全情報の合理的主体が無限の未来までの価格をもとに計算を行うものではなく、部分的な情報しかもっていない人間が価格を媒介にして外部の情報を取り入れ、無知を修正して進化するメカニズムである。

『ウェブ進化論』の絶賛するグーグルは、断片的なウェブの情報を系統的なデータベースに組織するという意味で、ハイエクの市場モデルに近い。しかし、それは価格という「こちら側」とのリンクをもたないため、SEOなどによって容易に欺かれてしまう。グーグルは「あちら側」だから、理解できないほうが悪いのだ、と思考停止してしまうのは、バブルによくみられる群衆行動だ。

『国家の品格』に至っては、非論理的な「情緒」を絶対化し、市場原理や民主主義を否定する。たしかに何が正しいかを先験的に知っている神のような視点からみれば、エリートが大衆を善導すればよいので、人間の行動を相互作用によって修正する市場メカニズムは不要だろう。しかしそんな特権的な立場は、存在しえないのである。

したがって、人間が無知であるということを前提にして、情報を集計して秩序を維持するルールを設計しようというのが、ハイエクのアプローチである。彼の理論は、新古典派のような数学モデルにはならないので主流にはならなかったが、最近の「経済物理学」「行動金融理論」などは、ハイエクの進化的モデルのほうが実際の市場データをうまく説明することを示している。

こうした新しいモデルの特徴は、人間を孤立した合理的個人と考えるのではなく、複雑に相互作用する「ネットワーク」的な存在と考えることである。だから、話題になった本は多くの人が買うことによってさらに話題になる・・・という正のフィードバックが働く。最近、新書で100万部以上のメガ・ベストセラーが相次いでいる原因も、ウェブなどの情報交換によってこのフィードバックが強まっていることにあるのではないか。

活字文化があぶない

きのう新聞協会は、新聞の「特殊指定」をめぐって「活字文化があぶない!~メディアの役割と責任」と題するシンポジウムを開いた。ところが、このシンポジウムには当の公取委はおろか、新聞協会の見解と違う意見の持ち主も出席していない。最初から特殊指定の見直し反対派だけを集めて、いったいどんな議論が行われたのだろうか。ライブドアの「パブリック・ジャーナリスト」小田記者によると、
「道路が裂かれても、体が凍えても、一軒一軒のポストに新聞を届ける人がいた」などと感情に訴えたり、中には、特殊指定撤廃があたかも新聞業界を殺すかのような報道もあった。こと「特殊指定」報道に関しては、新聞は理性を失っているとしか言いようがない。
このシンポジウムについて、中立的な立場から報じているメディアがライブドアしかないという事実が、日本の活字文化がいかに「あぶない」かを示している。

新聞記事には、そもそも特殊指定とはどういう規定で、公取委がなぜその見直しを検討しているのかという基本的な事実関係も書かれていない。特殊指定とは、「新聞社や販売店が地域・相手方により異なる定価を設定して販売すること等を禁止」しているだけで、それを廃止しても、定価販売がなくなるわけではない。公取委も指摘するように
新聞業界においては,新聞発行本社は販売地域内では一律の価格で再販制度を運用するとしており,また,今回の新聞特殊指定見直しの議論においても価格差を設けるべきでないとしていることから,少なくとも不当な価格を当該新聞発行本社自身が設けるということはそもそも存在し得ないはずである。
したがって特殊指定を廃止しても価格競争が始まるわけではないが、かりに競争が始まるとしても、
その結果,戸別配達網が崩壊するとする根拠は全く不明であり,当委員会として新聞業界に対し,新聞特殊指定により極めて強い規制を行う根拠とはし難い。[・・・]新聞特殊指定が制定される前から戸別配達は定着していたものであり,新聞特殊指定がなければ戸別配達が成り立たないという主張は極めて説得力に欠ける。
新聞各社が世論調査などで示しているように、新聞の宅配制度が圧倒的多数の国民に支持されているなら、それを法的に補強する必要もないだろう。まして特殊指定の廃止が「活字文化の危機」をもたらすというのは問題のすりかえであり、この両者にはいかなる因果関係もない。このようなバランスを欠いた報道をすべての新聞で繰り返し、地方議会まで動員して「見直し反対決議」を出させる新聞社の異常な行動こそ、冷静で客観的な活字文化の危機である。

追記:12日の朝日新聞で、2面ぶち抜きでこのシンポジウムが紹介されている。あきれたことに、出席者全員が「特殊指定の廃止→宅配制度の崩壊」という前提で「市場原理主義」を非難している。

ICPFセミナー「NTTをどうする」

第9回 情報通信政策フォーラム(ICPF)セミナー「NTTをどうする」

1996年に郵政省(当時)とNTTが持株会社方式による組織再編で合意してから、10年がたちました。ドッグイヤーでいえば、70年。この間に情報通信業界の状況は、大きく変わりました。それを受けてNTTは昨年、事実上の「再々編」計画ともいえる中期経営戦略を出しました。

これに対して、競合他社からは「独占時代への逆行だ」との批判が強く、ソフトバンクはインフラを「水平分離」して通信各社が共同出資する「ユニバーサル回線会社」構想を提案しています。

今回のICPFセミナーでは、このソフトバンク案を提案した島聡さん(元民主党「次の内閣」総務相)と、NTTのOBである林紘一郎さんの討論によって、次世代ネットワーク時代のNTTのあり方を考えます。

スピーカー:島聡(ソフトバンク社長室長)
        林紘一郎(情報セキュリティ大学院大学副学長)
モデレーター:池田信夫(ICPF事務局長)

日時:4月27日(木)18:30~20:30
場所:「情報オアシス神田」
    東京都千代田区神田多町2-4 第2滝ビル5F (地図

入場料:2000円
    ICPF会員は無料(会場で入会できます)

申し込みはinfo@icpf.jpまで電子メールで(先着順で締め切ります)

地方民放に「公的支援」

自民党の通信・放送産業高度化小委員会の片山委員長(参院幹事長)は、「地方民放のデジタル化に公的資金を投入することも検討する」とのべた。やっぱり出てきたか、という感じだ。アナアナ変換の1800億円は、アナログ放送の手直しにかかるコストだけだから、肝心のデジタル化投資に補助金の「お代わり」が出てくることは十分予想できた。

しかし、タイミングがずれている。本当なら、今年から始まる地方のデジタル化に備えて2006年度の当初予算に組み込むべきだったはずだが、「小さな政府」を訴えて選挙に大勝したあとでは、さすがに言い出しにくかったのか。ようやく小泉内閣も「死に体」になったとみて、古い自民党が首をもたげてきたようだ。

アナアナ変換のときは「政府が決めた周波数の移行だから政府がカネを出せ」という屁理屈も成り立ったが、今度はどういう大義名分があるのだろうか。ここでまた「情報格差」とか「デジタル・デバイド」とかいう話が出てきそうな気がする・・・

ハリウッドのネット配信

今週から、ハリウッドのスタジオ大手6社がMovielink(ソニーはCinemaNow)というウェブサイトで、映画のダウンロード・サービスを始めた。ウェブで公開されるのはDVD発売と同時だが、ダウンロードできるのはPCだけで、DVDへのコピーもPCでしかできない。おまけに値段は20~30ドルと、DVDの2倍近い。

こういう中途半端なサービスになったのは、もちろん映像ファイルの海賊版が出回ることを恐れたためだが、LAタイムズも指摘するように、これはNapsterで音楽ファイルが出回り始めたとき、大手レーベルが及び腰で始めた音楽ダウンロード・サービスに似ている。この手のサービスをレコード会社が始めると、既存の販売網への打撃を恐れて、高価格で強いコピー・プロテクトがかけられ、結局ビジネスとして成り立たない。

アップル、アマゾン、ウォルマートなども映像ダウンロード・サービスを始める準備をしているといわれる。こうした第三者がやらないと、消費者にとって魅力のあるサービスにはならないだろう。

『国家の品格』と『ウェブ進化論』

このところなぜか、この2冊のベストセラーについてのTBが多い。グーグルで書名を検索してみると、私の『国家の品格』についての記事は21位、『ウェブ進化論』の記事は6位に出てくるので、TBを飛ばして「おまえのコメントは見当違いだ」といいたいのだろうか。そこで、私の書評をアマゾン風に書いてみた。

国家の品格 新潮新書

おすすめ度:★☆☆☆☆ 冗談としてはおもしろいが・・・ 2006/4/3

社会科学の専門家でもない著者が、「民主主義」や「市場原理」を罵倒して「武士道」を賞賛する本。しかも、その論法たるや、民主主義の元祖がジョン・ロックだという話から、ロックの思想は「カルヴァンと同じである」と断じ、ゆえに民主主義は「キリスト教原理主義」のイデオロギーだから、「自由も平等もフィクションだ」という結論に飛躍する。最初は、おもしろい冗談だと思って読んだが、その後も新聞やテレビで著者が同じ話を繰り返しているのをみると、どうやら本気でそう信じているらしい。

民主主義が欠陥の多い制度だということは、だれでも知っている。しかしチャーチルの有名な言葉のように、民主主義は最悪の制度だが、それよりもましな制度は歴史上なかったのである。著者のいう「エリート」による政治というものがかりに可能だとして、そのエリートはだれが選ぶのか。民主主義によらないで、「武士道」で決めるのか。

著者は、「大事なのは、論理ではなく情緒だ」という。たしかに数学の世界では、論理(無矛盾性)だけでは命題の真偽は判定できない。どんな非現実的な仮説からでも、無矛盾な論理は構築できるからだ。しかし実証科学では、仮説から演繹された結論は、実験や観測などのテストを受け、それにあわない仮説は棄却される。民主主義も市場原理も、歴史のテストを受けて成熟してきた制度であり、「情緒」で決めたものではないのである。

著者は「数学のような役に立たない学問の盛んな国は繁栄する」というが、これは逆である。日本は経済的に繁栄したから、著者のような役に立たない数学者でも、公務員として身分が保証されているのだ。彼の給料を稼いでいるのは、「市場原理」のなかで働いている納税者である。彼の本が100万部も売れて、7000万円以上の印税が入るのも、市場原理のおかげだ。そんなに市場原理がきらいなら、印税を捨てて北朝鮮に移住してはどうか。

ウェブ進化論 ちくま新書

おすすめ度:★★☆☆☆ 入門書としては読みやすいが・・・ 2006/4/3

入門書としては読みやすいし、「ブログ」とか「ウィキペディア」って何だろうという、おじさんが知りたい(でも今さら聞くのは恥ずかしい)疑問にとりあえず答えてくれる。しかも四半期の利益が8億ドルのグーグルの時価総額が1000億ドルを超えるのは、それが「あちら側」にいるからで、日本のおじさんたちはみんな「こちら側」だから、アメリカのまねをしてがんばろう、と目標まで決めてくれる。

しかし、こういう話って、どこかで聞いたことがないだろうか。10年前にも、赤字企業のネットスケープ社の時価総額が数十億ドルになったことがあったっけ。そのときも「ビジョナリー」とよばれる人々が、「ドットコムの世界は別なのだ」とかいって、日本でもオン・ザ・エッヂというホームページ制作会社がIPOで数十億円を集めた。

「あちら側」というのは、要するにサイバースペースという意味で、新しい概念ではない。ウェブをOSにしようというのはネットスケープも試みたし、サンのStar Suiteも最初はサンのウェブサイトで使うサービスだった。マイクロソフトでさえ.NETで「ウェブサービス」を試みたが、みんな失敗した。ブログやオープンソースも、ビジネスとして「こちら側」よりも大きくなるとは思えない。

検索エンジンとしては、今やグーグルは断然トップというわけではない。他の検索サイトも、グーグルと同じようなアルゴリズムを採用して精度を上げているし、日本ではヤフーのページビューがグーグルのほぼ2倍だ。グーグルの検索結果は、ノイズが多く日付順ソートもできないので、最近は私はRSSリーダーテクノラティなどを使うことが多い。グーグルのビジネスモデルも、しょせん(GDPの)1%産業といわれる広告業にすぎないから、限界が見えてくるのは意外に早いだろう。

偽メール事件のお粗末

偽メール騒動は、結局、民主党の執行部が総辞職するという最悪の結果になった。わからないのは、この程度の問題の処理に、なぜこんなに手間どり、ここまでダメージを拡大してしまったのかということだ。民主党のウェブサイトで民主党 「メール」問題検証チーム報告書が公開されているが、それを読むと、問題は永田氏個人にはとどまらず、執行部全体の情報管理の甘さにあるという印象が強い。

まず2月16日の質問の前に、問題のメールの真偽について永田氏は、西澤孝なる「情報仲介者」の話を鵜呑みにし、まったく裏を取っていない。ライブドアをやめて「大手企業の系列会社」に勤務しているという「情報提供者」の存在さえ、いまだに確認できていない。メールの真偽にかかわる情報を要求すると、西澤は「情報提供者がおびえている」「成田から高飛びしようとしている」などと漫画のようなストーリーで逃げるのに、それ以上追及しない。

西澤が業界で札つきの詐欺師だということは、少し調べればわかったはずだ(週刊誌は質問の翌週すぐ報じている)。彼は、民主党に持ち込む前に、このメールをいくつかのメディアに持ち込んだともいっているが、三文週刊誌でも、こんな紙切れ1枚で自民党幹事長の贈収賄を断定する記事を書いたりしない。名誉毀損で訴えられたら、抗弁できる証拠能力がないからだ。

永田氏や野田氏がメールを本物だと信じたのは、それがライブドア社内で使われているEudoraで書かれているというのが、ほとんど唯一の根拠だったらしい。ところが、それが社内で使われていたVer.6.2ではないことが(ブログなどで)判明してからは、バージョン番号だけが塗りつぶされたメールが出てきた。しかも、社員なら一度は受け取ったはずの堀江氏の普段のメールの特徴(署名など)さえまねていない。おそらく「情報提供者」なるものは存在せず、これは西澤の自作自演だろう。

さらに問題なのは、疑惑が生じてからの対応だ。永田氏の質問後、いろいろなバージョンの偽メールが出回り、21日には
原口予算委員は、国会内で、居合わせた「対策チーム」メンバーに、送信元(from)と送信先(to)が同一の「メール」のプリントアウトを見せた。「対策チーム」メンバーは、この「メール」について協議したが、真偽の判断には至らなかった。(報告書 p.24)
という。この「対策チーム」は、いったい何を協議したのだろうか。ToとFromが同一だということは、偽造したという明白な証拠である。それなのに、翌22日には、党首討論で前原代表が「確証がある」などといって、問題を党全体に広げてしまった。しかも永田氏を「入院」させたり、中途半端な処分(6ヶ月の党員資格停止)でお茶を濁したりして、決着を遅らせた。

私は、きのうニュースを聞いて「永田氏の議員辞職はともかく、前原代表まで辞任することはないのでは」と思ったが、この報告書を読むと、第一義的な責任は執行部にある。これはメディアでいえば、駆け出し記者の入手した怪文書を、デスクも部長も見た上で、裏もとらずに報道したようなもので、朝日新聞の「田中知事架空インタビュー事件」のように経営者が責任をとるべき事件である。

民主党の問題は、今回の事件がはしなくも明らかにしたように、個々の議員の「個人営業」になっていることだ。自民党が霞ヶ関という大シンクタンクをもっているのに対して、民主党にはこの程度の問題を処理するスタッフもいない。「対案路線」などと大言壮語する前に、政策立案や情報管理を担当する専門家を雇ってはどうか。







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