レゾナント


ひところNTTが提唱していた「レゾナント・ネットワーク」(RENA)という言葉が、中期経営戦略からは消えてしまった(1度だけ引用として出てくるが)。

これは、もともとはGMPLSという光でIP伝送を行うプロトコルをイメージしていたらしいが、「わかりにくい」と評判が悪かった。その中核会社「NTTレゾナント」の社長になった資宗克行氏まで、雑誌のインタビューで「RENAサービスなど存在しない」といって社員を驚かせた。

全光ネットワークというのは、理論的には可能だが、アクセス系まで光を「3000万世帯」にする意味は疑わしい。むしろ光・DSL・無線LANなどの混在するIPネットワークになるのが現実的ではないか。この意味では、BTのように「2009年までにネットワークをすべてIPにする」というほうがわかりやすく、現実的だ。

レゾナントというのは「共鳴」という意味だが、つねに調和して共鳴しているのがいいとは限らない。モーツァルトの有名な四重奏曲のように「不協和音」(dissonance)も音楽的に重要なのである。

デジタル放送の土壇場


米国のデジタル放送は、2006年にアナログ放送を停波するデッドラインが近づいているが、「デジタル受像機の普及率85%」という停波の条件を満たすことは不可能だ。

BusinessWeekによると、期限を2009年に延期し、デジタル放送をアナログに変換してケーブルTVに"must carry"規制で配信させるという案が、FCCで出ているらしい。米国のケーブルの普及率は85%に達しているので、停波の条件を満たすわけだ。アナログをデジタルに移行し、アナログに変換して放送するという悪い冗談みたいな話で、テレビ局もケーブル局も反対している。

こんな無意味なデジタル放送はやめて、Tom Hazlettの主張しているように、放送はすべてケーブルに移行し、残りの15%は政府が補助する代わりにVHF・UHF帯を全部あける「ネグロポンテ・スイッチ」をやってはどうか――と去年、FCCのペッパー局長に提案したら、肩をすくめて"You can't be too cynical about broadcasters"という答が返ってきた。

24


レンタル・ビデオのベストセラー(というのだろうか)になっている"24"を、DVDで第3シーズンの前半まで見た(後半は12月にレンタル開始)。

24時間で起こるドラマを同時進行で追うというのが売り物だが、手法はハリウッド定番のノンストップ・アクションだ。警察官が単独行動をして事件が次々に起こるという設定は「ダイ・ハード」に似ているが、ちょっと台本が荒っぽい。大した必然性もなく旅客機が爆破されたり、ほとんど10分ごとに人が殺されるのには辟易した。

しかし家庭で見るには、劇場映画をビデオ化したものより、こういうお手軽なテレビ・シリーズのほうがいいのかもしれない。この番組などは、明らかにパッケージ化を前提に制作されている。映画は今や興行収入よりビデオ・DVDの売り上げのほうが多いが、テレビもそういう時代が来るだろう。「電波利権」にこだわるより、番組の質を高めるほうが大事だ。

スモールワールド


「世間って狭いものだ」という経験はよくあるが、実際にどの程度、狭いのだろうか。たとえば、あなたが旭川市に住む未知の歯科医師の名前(Aさんとしよう)を聞かされ、あなたの知人にeメールを出して「Aさんを知っていると思われる人にこのメールを転送してください」と頼んだとしたら、何回ぐらいでAさんに到達するだろうか?

1967年に行われたミルグラムの(手紙を使った)実験によれば、必要なステップの平均値は、5.5だった。つまり、あなたと任意の他人との間は、たった6人しか離れていないのだ。この結果は、一見するほど驚くべきものではない。普通の人が覚えている知人は100~200人とされるが、あなたの友人100人がそれぞれ100人を知っているとすると1万人、彼らがそれぞれ・・・と計算すると、たった4段階(1004)で1億人になってしまう。

しかし、よく考えるとこれはおかしい。あなたと友人は同じ社会的集団に属していることが多いので、最初の100人と次の100人はかなり重複しているはずだから、メールは同じグループの中をぐるぐる回って、旭川までたどりつかないかもしれない。不思議なのは、こういう重複した「友達の輪」をたどって、わずか6次で目標にたどりつくことなのだ。

このパラドックスは、実は経済物理学とも関係のある奥の深い問題だ。興味のある人は、ワッツ『スモールワールド・ネットワーク』を読んでください。

おとくライン


きょう日本テレコムの「おとくライン」の電話勧誘がきた。乗ってもいいと思ったのだが、よく聞くと、DSLはヤフーBB以外とは共存できないのだという。基本料金わずか250円の違いのためにアドレスを変えるのはばかばかしいので、やめた。

ただ「他のISPとも話し合っているので、来年1月のサービス開始までにはSo-netでもよくなるかもしれない」とのこと。つまり、これまではNTTの電話回線が「ハブ」のような役割を果たし、各社ともNTTと共存さえできればよかったのだが、ハブがなくなると「組み合わせの爆発」が起き、調整が飛躍的に複雑になるわけだ。

同じような問題は、IP電話でも起こっている(おとくラインはIPではない)。「NTT後の世界」では、標準化でNTTの果たしていた役割をどういう組織が継承するのかも重要な問題になりそうだ。

50Mbps


遅まきながら、DSLのモデムを8Mbpsから50Mbpsに変更した。

ダウンロードは、驚異的に速くなった。数MB程度のファイルなら、ほとんど瞬間である。しかしウェブサイトへのアクセスは、体感上ほとんど変わらない。サーバ側の問題が大きいのだろう。これでは、わざわざ面倒な工事をしてFTTHに変える気は、まったく起こらない。たぶんFTTHの市場は、新築のマンションなどで一括して新規に引くときに限られるだろう。

NTTは、中期経営戦略で「2010年までに光ファイバー3000万世帯」という経営目標を掲げたが、これでは絶望的だ。賢い官僚は、実現できそうにない数値目標を掲げるときは時期を明記せず、時期を明記するときは数値目標は曖昧にするものだ。この目標は、ちょっと知恵が足りなかったのではないか。

電子投票


フロリダ州の電子投票で、ブッシュの得票が過大だったのではないかという疑惑が浮上している。

「投票する者は何も決めることはできない。決めるのは票を数える者だ」というスターリンの言葉があるが、これは別の意味でも真理を指摘している。1票の差で選挙結果が変わる確率は事実上ゼロなのだから、ひとりの有権者は何も決めることはできないのである。

むしろ説明を必要とするのは、なぜ人々は罰則も報酬もないのに、何の意味もない投票に行くのかということだ。これは意外にむずかしい問題で、Grossman-Helpman, Special Interest Politics (MIT Press)はさまざまな説明を試みたあげく、「経済的なインセンティヴで説明することは不可能だ」という結論を出している。

これは経済学で人間の行動を説明する限界を示すと同時に、政治が「特殊利益」に誘導されやすい根本原因を示している。政治に影響を与えたければ、投票するより選ばれた議員を買収するほうがはるかに「効果的」なのである。あるいは電子投票機をハッキングするほうが・・・

ザスーリチへの手紙


中沢新一氏とは、かつて1年以上いっしょに仕事をしたことがある。私がサラリーマンをやめるとき、彼に相談したら「リスクは大きいと思うけど、君はサラリーマンに向いてないから止めないよ」といってくれた。

そのころ、私が「文化人類学に興味をもったのは、マルクスのヴェラ・ザスーリチへの手紙がきっかけだった」といったら、中沢氏は「網野さんみたいなこというね」と笑っていた。彼の新しい本『僕の叔父さん 網野善彦』(集英社新書)には、網野氏がザスーリチ書簡について語る話が出てくる。

この手紙は、マルクスの手紙のなかでもっとも重要なものの一つとして知られている。それは、彼が『資本論』の分析の射程は「西欧諸国に明示的に限定されている」とのべているからだ。これは彼の歴史観を「単線的な進歩史観」だとする通俗的な批判への反証であるばかりか、近代西欧の「自民族中心主義」への批判として、レヴィ=ストロースよりも100年近く先行するものだ。

晩年のマルクスは、西欧文化圏の特殊性を自覚し、ロシアの共同体などを研究していた。パリ・コミューンがわずか72日間で終わったのに対して、こうした「原コミューン」は何百年も存続してきた。その知恵は未来社会にも生かせるはずだ、というところで彼の研究は途絶えた。しかし、このマルクスの問題提起は「マルチチュード」の概念として現在にも受け継がれているのである。

基本的人権


自民党の憲法改正案が出た。世の中の注目は「自衛軍」などの第9条に関連する部分ばかりに集まっているが、私はむしろ基本的人権の「追加」が問題だと思う。

報道によれば、名誉権、プライバシー権、肖像権、知る権利、犯罪被害者の権利を新たに基本的人権として創設するそうだが、最初の3つは表現の自由を侵害するおそれが強い。特にプライバシー権を認めると、個人情報保護法をめぐって起こっている混乱は、さらに拡大するだろう。名誉権や肖像権も、表現の自由を侵害する理由になりやすい。

そもそも、こうした「人権」を憲法に明記する意味は疑わしい。ハイエクもいうように、正義の概念は、ポジティヴな人権としてではなく、最小限度の財産権などを保護するネガティヴな自由権として規定すべきなのだ。

集中排除原則


読売新聞社に続いて、中日新聞社日経新聞社TBSも「マスメディア集中排除原則」に違反していることがわかった。

こういう形骸化した原則は、もうやめるべきだ。デジタル放送にともなって地方民放を再編するうえでも、この原則が障害になっているが、なかなか改正できない。県域の地方民放を地元での「宣伝塔」として使っている政治家が、統廃合を許さないからだ。

「報道ステーション」に朝日新聞の記者が堂々と出てくるような状態で、持株比率だけ制限しても、事実上の集中は排除できない。それよりも番組と電波をアンバンドルして、周波数オークションなどで新規参入を認めたほうがよほど競争的になるだろう。特定の企業の支配力が強まったら、公取委が取り締まればよい。


追記:朝日新聞社、産経新聞社、日本テレビ、フジテレビもやっていたようだ。新聞社とキー局で、やっていない会社はないのではないか。






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