経済学の「ノーベル賞」

今年の受賞者は、KydlandとPrescottだった。一番びっくりしたのは、本人だろう。理論的にも実証的にも葬られ、政策的にもナンセンスな「実物的景気循環」が、今ごろ学問の墓場からよみがえるとは・・・

この賞は、正確には"The Bank of Sweden Prize in Economic Sciences in Memory of Alfred Nobel"であってノーベル賞ではない。ノーベル家の遺族からは「まぎらわしい名前は変えてほしい」という要望がかねてから出ており、最近の受賞者にも疑問が多い。

数学にノーベル賞がないのは、ノーベルが数学ぎらいだったからだというが、それなら応用数学にすぎない経済学が「ノーベル賞」を自称するのはおかしい。やめるのが一番いいと思うが、せめてメディアも通称を「スウェーデン銀行賞」に変えてはどうか。

NHK&NTTバッシング

きょう発売の『文芸春秋』のNHKについての記事は、なかなかおもしろい。新しい話はないが、文春がデジタル放送を批判し始めたのは注目に値する(批判している発言者は私だけだが)。

他方、「BOOK倶楽部」では、『巨大独占』を取り上げている。しかも、これを絶賛するのが書評しか業績のない松原隆一郎氏で、その相手がど素人の福田和也氏と鹿島茂氏なのだから、まるで出来の悪い3人漫才だ。

鹿島 我々はどの電話会社と契約しても、NTTに接続料を払わなきゃいけない。

松原 通話料の安いIP電話も結局はNTTに加入しないと使えない。

福田 もし[NTT東西とドコモが]統合したら、ドコモの料金を滞納すると家の電話まで止められるのかな?


福田氏と鹿島氏は、文芸業界の「オヤジ殺し」の代表だ。このツボがわかると、同じような「文春的言説」をあちこちのオヤジ系雑誌に書くだけで商売になり、この鼎談のような営業用の与太話を量産するようになる。このパターンにはまって自滅した典型が、西部邁氏である。

Jaques Derrida

ジャック・デリダが死んだ。

学生時代に『グラマトロジー』を読んだときは、意味不明の造語でレヴィ=ストロースにからんでいるだけの小物だと思っていた。「音声中心主義」などというのは、フランスのローカルな習慣の問題にすぎない。特に1970年代後半に、小説みたいなわけのわからない文章を書き始めてから、読まなくなった。

しかし、1993年の『マルクスの亡霊』には強い印象を受けた。文献学的にはナンセンスだが、マルクスを形而上学の現代的形態として読む「脱構築」は、きわめて重要だ。廣松渉が本質的な人格的関係の錯視として認識論的な意味を与えた「物神化」のメカニズムを転倒し、物神=亡霊こそ本質なのだという読解は新鮮だった。

『亡霊』の訳本(藤原書店)が10年以上たっても出ないのは、レヴィ=ストロースの『神話学』の訳本(みすず書房)が30年以上たっても出ないのと並ぶ、日本文化に対する犯罪である。

予報円

また台風が来た。台風情報では、暴風雨圏とまぎらわしい「予報円」というのが表示されるが、こんな曖昧な進路予測を出すのは日本だけである。

台風の進路は、最近はスーパーコンピュータでかなり正確に予測でき、海外の予報では進路は線で表示される。ところが日本では、かつて進路予測の精度が悪かったとき、長崎で漁船が沈没して、国会で気象庁長官がつるし上げられた。予報円ができたのは、それ以来である。要するに、これは気象庁の責任逃れのためのものなのだ。

気象庁の予報官会議を取材したことがあるが、その内容の大部分は、ピンポイントで出てくるスパコンの予測をどれぐらいぼかすかという議論である。こういう役所も悪いが、予測が外れたといって国会で追及する国民も悪い。役所の予測を無条件に信用しないという大人の常識を身につけることが最良の防災対策である。

SMiLE

ビーチボーイズの幻の名作が、34年ぶりによみがえった。

もとのアルバムは、コンセプトが(当時としては)あまりにも前衛的で破綻したといわれるが、今度のリメイクは、よくもわるくもwell-madeである。

しかし感動するのは、音楽が今も「若い」ことだ。海外の音楽批評で最高の賛辞は"classical"だが、これはまぎれもなく現代の古典である。

Re: PHS

先月末で、RIETIの研究室を引き払って引っ越した。私のアカウントikeda-nobuo@rieti.go.jpも切られたので、ご注意を。

ところが新しいオフィスが地下室みたいなところで、電波がまったく届かない。そこでDDIポケットに相談したところ、「レピーター」という中継器があるというので、借りてきた(保証金10000円だけ)。いろいろやってみると、光の届くところにレピーターを置けば、内部ではかなり離れていても、ちゃんと受信できることがわかった。

これはPHSのメリットだ。携帯でも同じようなものはあるらしいが、「基地局の増設」なので最低でも40万円するという。前にも書いたが、規制緩和さえすれば、PHSはまだまだ生き返る余地がある。

FMのAM化

去年、FCCのペッパー局長に「東京ではFMは何局ぐらい聞けるのか?」と聞かれたので、「4局ぐらい」と答えると、驚いて「なぜだ?米国にはFM局は12000あるんだよ」と逆に質問された。

米国の都市では、200局ぐらい聞けるのが当たり前で、カントリー専門とかバロック専門とか個性豊かだ。そこからインディなどの新しい文化も生まれてくるが、日本では、地方都市ではNHKと民放1~2局である。これは免許申請の前に地元の有力者が「事前調整」して、多くの会社の合弁にしてしまうからだ。

おかげでFMのAM化が進行し、このごろはどの局もトーク番組ばかりになって、私はほとんど聞かなくなった。DSL以上のコネクションがあれば、海外のインターネット・ラジオのほうがはるかにいい。

贋札

新千円札の贋物がヤフー・オークションに出て、大事件になっている。

しかし、これは奇妙な話である。99億円という値段が(たぶん冗談で)ついたものの、主催者が削除したため、取引は成立していない。競売に出たものは「みほん」と書いてあって、贋札でさえない。それがこんな大騒ぎになるのは、贋札が主権国家の「アキレス腱」だからである。

不換紙幣というのは、実体的な資産価値を持たない「情報」にすぎないし、技術的には複製は容易だ。それがこれほど重大な犯罪とされるのは、贋札を禁止する(貨幣発行権を独占する)ことが主権国家の権力(および財力)の源泉だからである。「知的財産権」を守ることが音楽産業の生命線であるのと同じだ。

ボードレールやジイドから赤瀬川原平にいたるまで、贋金は多くの芸術家のイマジネーションの源泉になってきた。それは、贋札が主権国家といういかがわしい概念のメタファーだからである。

スパムの終わり?

POPFile 0.22が正式にリリースされた。懸案だったAPOPにも(少なくとも日本語版は)対応した。

ベイジアン・フィルターの精度は、驚くほど高い。1000通ぐらい受信すれば、99%以上正確にフィルタリングできるようになる。注意しなければいけないのは、必要なメールが排除されるfalse positiveだが、これもフィルタリングの精度を1/10000以上に上げれば、まず問題ないし、心配なら1日に1回ぐらいログをチェックすればよい。

Mozilla Thunderbirdなどにもベイジアン・フィルターがつくようになり、これでスパムの問題は基本的に終わったと思う。

Carlos Kleiber

カルロス・クライバーが死去して3ヶ月近くたつが、「遺作」が続々と発売されている。

なかでも驚異的なのは、彼がたった1回、録音した(といっても息子のカセット)ベートーヴェンの第6番(Orfeo)である。音質は最悪だが、演奏は最初の数小節で彼とわかる。これ以上は文字で語ることはできないが、聞く価値はある。指揮者の創造性がほとんど作曲家のそれに達しているような、こんな指揮者は、もう出ないだろう。

彼が死んだときは、1週間ぐらい彼のCDばかり繰り返し聞いていて、妻に「もうやめて」といわれた。







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