NHK民営化の道(1)

海老沢会長が辞意を表明した。NHKの会長というのは、畳の上で死ねない恐いポストだ。最近6代の会長のうち3人が、途中でクビになっている。こういうとき怪文書が飛び交って身内のスキャンダルが次々に暴露されるのも、NHKの特徴だ。いつも政治のおもちゃになっているので、社内政治が経営のすべてになってしまうのだ。

海老沢氏が旗を振ってきたデジタル放送も、これを機会に見直すべきだ。今年度の経営方針は「地域放送の強化」。デジタル化で首都圏や近畿圏などでも県域放送することになったためで、その先頭を切ったのが茨城県だ。世界の放送=通信がグローバル化している時代に、予算も増やさないでローカル枠を拡大しているため、現場は疲弊している。初めに電波利権ありきで、電波の配分にあわせて経営方針が決まる本末転倒の典型である。

問題は後任だが、こうなると内部昇進というわけにはいかないだろう。財界から起用して、民営化を検討してはどうか。80年代後半、磯田一郎氏が経営委員長をしていたとき、住友銀行がNHK民営化のシミュレーションをかなり詳細にやったことがあるが、結論は「NTTと違って局舎がほとんど借地で、資産価値がない」ということで興味を失ったらしい。バブル期らしい話である。

「エビジョンイル」体制を支えてきた政治部出身の理事もすべて追放し、代わりに民間から入れるべきだ。形骸化している経営委員会は廃止し、道路公団のように「NHK民営化委員会」を作ってはどうか。たしかに不動産としての価値はないかもしれないが、これからの日本にとってもっとも大事な「知的価値」の創造を国営放送にゆだねておくわけにはいかない。

Contract Theory

Bolton-Dewatripontの教科書が来た。裏表紙の推薦の言葉では、Tirole, Aghion, Hart, Varian, Maskin, Holmstromが「ここ30年のミクロ経済学の成果の集大成であり、契約や組織についての教科書の決定版だ」と太鼓判を押している。

Laffont-Martimortや伊藤秀史さんなどのいい教科書もあるが、ほとんど完備契約に終始している。本書は1/3が不完備契約にさかれており、これが決定版たる所以だろう。この部分だけならHartの(いまや古典となった)教科書もあるが、その後の膨大な研究を体系的にまとめたものがなかった。組織や制度を論じる場合に使うのは、もっぱら不完備のほうなので、あちこち論文を読む必要がなくなるのは、ユーザーとしてはありがたい。

マスコミ批判

川崎泰資・柴田鉄治『検証・日本の組織ジャーナリズム:NHKと朝日新聞』(岩波書店)を読んだ。岩波の単行本を買うのは久しぶりで、特にこの種の「マスコミ批判」には興味がなかったのだが、デジタル放送に1章をさいて、私の発言も引用されているので、つい買ってしまった。

ちょうどNHKで不祥事が起こるなど、タイミングもよいので、個々の事件の解説はおもしろいが、「これからどうすべきか」の部分は「ジャーナリストの志」といった精神論で終わっている。デジタル放送の問題も「独立行政委員会が免許を出せ」という話になってしまい、受信料制度や再販制度の問題にもふれていない。

この種のマスコミ批判がつまらないのは、メディアを産業として見る視点が抜けているからだ。零細で特殊な業界なので、経営学や経済学の観点からみた研究がほとんどなく、当事者も「文化」を扱う特別な仕事で、普通のビジネスとは違うと思い込んでいる。しかし今、インターネットが変えつつあるのは、このマスメディアの「特権性」なのだ。

自分たちが特別だという思い込みを捨て、メディアを「普通の産業」として検証することが、そのゆがみを是正する第一歩である。

信念と事実

「あなたは真だと信じているが証明できないことは何か?」

これがEgdeの2005年の年頭質問のテーマである(ダイジェストがNYタイムズにある)。神とか進化論とか不完全性定理とかいうのはまあ当然として、おもしろかったのはP.W. Andersonの「超弦理論は不毛だ」という話である。彼によれば、これは物理学が実験ではなく「世界はかくあるべきだ」という信念によって理論をつくるベーコン以前の段階に逆行する兆候だという。

だとすれば、新古典派経済学は最初から最後までベーコン以前の段階にあるということになる。さらにマクロ経済学でも、実物的景気循環のような「かくあるべき」理論がノーベル賞をもらったりするのは、この業界の知的退廃がかなり重症であることを示している。私は、むしろ経済物理学のように実証データに徹底的にこだわる方向のほうが健全だと思う。

IPv6

中国で世界最大級のIPv6サイトができるという。もともとv6は、中国向けという側面が強いので、中国が力を入れるのは当然だろう。しかし欧米、特に米国がv6に冷淡である以上、海外には情報を発信できない国内向けサイトとしてしか使えない。

それでも用途はあるだろう。v6はモバイルなどのデバイスに信号を送るための「受動的な」アドレスと考えれば、v4のサイトから見えないぶん安全というメリットもある。逆に、米国防総省がテロ対策で注目しているように、NATに隠れずに危険物を同定できるというメリットもある。これまでのような「ホスト」につけるアドレスというイメージを脱却し、「デバイス」につけるものだと割り切れば、すきま商品として生き残ることは可能だ。

問題は、そういう技術的特性におかまいなしに、国立大学のルータの調達条件は一律に「v6対応」を条件とするような実態だ。WIDEの人々も、最近は「v4をv6に置き換える」という表現はやめて、「v6を普及させる」という現実路線に転換しているようだが、行政は勘違いしたままである。

破壊的技術

VoIPは、クリステンセンのいう「破壊的技術」(disruptive technology)である。この種の技術としては、PCやインターネットなどがあげられるが、いずれも普及のパターンがよく似ている。

1. 最初は「おもちゃ」「安物」「何に使うのかわからない」などとバカにされ、大手メーカーは参入しない。

2. 大して話題にもならないので、特定の規格が「事実上の標準」になり、静かに浸透する。

3. 突然「キラー・アプリケーション」が登場し、爆発的な流行になる。

この3の段階に移行するきっかけが、PCでは表計算、インターネットではブラウザだった。VoIPの場合には、まだ低価格以外の「キラー・アプ」が見えていない。それが出てくれば、ハードウェアも含めて電話を代替するだろう。

他方、こけるパターンは上の逆で、従来よりも高級な「持続的技術」で、市場があるかどうかわからないうちから大手メーカーが参入し、政府も補助金を投入して「実証実験」をやり、日経新聞が騒ぐが、船頭多くして標準化が難航し、いつの間にか忘れられる。この例は、ハイビジョン、TRON、VAN、電子マネー、WAP、Bluetoothなど数多い。IPv6もRFIDも、今のように政府主導だと、この仲間に入るおそれが強い。

Top 10 Trends 2005

Red Herring誌によれば、今年の主役は世界的にもVoIPになりそうだ。これまでのような「すきま商品」ではなく、従来の電話に取って代わることは確実だろう。

重要なのはVoIPが電話よりも安いということではなく、メインの端末が電話機からPC(のようなモニターつき端末)になることだ。これにOutlookのような住所録を統合すれば、電話番号を覚える必要はなくなるし、相手が電話に出られる状態かどうかもわかる。こういう機能やテレビ電話などを統合すれば、VoIPは単に電話をcannibalizeするのではなく、新しい市場を創造する可能性がある。

新しい産業が生まれるために重要なのは、「ユビキタス」の類のお題目ではなく、こういうメリットのはっきりしたアプリケーションが登場することだ。VoIPは、PCを超える「汎用デジタル家電」を生み出す突破口になるかもしれない。

トルストイの法則

「物事を正しく理解している人は同じように正しいが、バカはそれぞれにバカである」

これは私が「トルストイの法則」と呼んでいる経験則である(いうまでもなく『アンナ・カレーニナ』の冒頭の言葉になぞらえたもの)。「戦略的行動」の落とし穴は、すべての人々が問題を正しく理解していると仮定しているところにある。ナッシュ均衡が成立するには、厳密には全員の利得関数についての共通知識を全員がもつことが必要で、これは「真理は一つ」だということを前提にしている。

真理は一つかもしれないが、誤解は無数にある。そしてだれか一人でもバカがいると、ナッシュ均衡は成立せず、システム全体が混乱におちいる。市場の本質的な機能は、こういうバカを「自己責任」で退場させることによって、システムの挙動がバカに依存しないようにして安定を保つことにある。

だから非市場的な組織では、経営者がバカでも組織全体が崩壊しないfool proofに設計することが重要だ。コーポレート・ガバナンスというのも、結局そういうことである。英米型とか日独型とかいうが、パフォーマンスに大した違いはなく、最後は業績の悪化によって経営者がクビになるという実証研究もある。この場合も、最後は市場がバカを淘汰するメカニズムになっているわけだ。

ところが、政府や大学のような非営利組織では、市場メカニズムがきかないので、たまたま執行側と監視側にバカがそろうと、暴走が止まらなくなってしまう。日本経済では、市場の機能している部分から徐々に改革が進んでいるが、残されているのはこうした「バカよけ」装置としての市場の及ばない組織だ。なかでも普通のNPOは組織が崩壊することでバカを駆除できるが、外部から牽制のきかない政府は最悪である。

年賀blog

数年前から、いただいた年賀状への返事以外は書かないことにしている。Eメール時代に、いちいち郵便であいさつするのも時代錯誤だし、出す出さないの人間関係を考えるのも面倒だからだ。そういうわけで、この記事をもって年賀状に代えさせていただく。

このblogも、平均すると毎日1000ページビュー以上という堂々たる「メディア」に成長した。IPアドレス数も毎日400前後で安定しているので、「固定読者」がいるようだ。ご愛読ありがとうございます。

今年の最大の仕事は、博士論文を本にすることだ。版元もほぼ決まったが、内容は全面的に書き換え、一般のビジネスマンにも読める「普通の本」にしたい。順調に行けば、今年の前半には出版できるだろう。

というわけで、新年おめでとうございます。今年もよろしく。

Annus Horribilis

今年は、私の人生で最悪の年(annus horribilis)だったが、時間に余裕ができたおかげで、博士論文も仕上げることができ、学問的には実りある年だった。それ以外にも、いくつか重要な教訓を学ぶことができた。

第一に、RIETIやGLOCOMの経営者の「自爆テロ」に等しい行為をみると、人間は戦略的に行動するという経済学(ゲーム理論)の前提が非現実的であることを痛感した。結果として、どっちの組織も崩壊してしまったが、彼らがそういう(当然の)結果を予測して行動したとは思えない。場当たり的に感情にまかせて行動した結果、「組織防衛」のつもりで「組織破壊」をしてしまったわけだ。

第二に、日本でも司法はちゃんと機能していることが確認できた。たしかに高コストで効率は悪いが、裁判官が公開の場で当事者の主張を聞いてルールにもとづいて判断する制度は、官僚が警察と裁判官を兼ねるような制度より、紛争解決システムとしてはずっとましだ。日本の行政には、第三者へのaccountabilityという概念が欠如している。

Shleiferたちが実証したように、発展途上国や旧社会主義国などの法秩序が未発達な状況では行政中心の集権的なシステムが適しているが、制度が安定してくれば、当事者が分権的に紛争を解決する司法中心のシステムのほうが効率的で柔軟だ。日本の「国のかたち」を変えるうえで最大の課題は、行政を縮小して司法を強化することだという私の仮説を、身をもって検証したという点では、有意義な年だった。







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