情報社会の倫理?


「情報社会の倫理と設計についての学際的研究」なるものが、GLOCOMで始まるそうだ。

「社会を設計する」というのがファシズムの思想であることは、ハイエクの指摘したとおりだが、このGLOCOMというのは、ネット上の言論を理由にして研究員を解雇する組織だから、こういうスローガンもお似合いなのだろう。

それよりお笑いなのは「倫理」だ。言論に対してひとことも反論しないで、その発言者を解雇する行為は、彼らにとって「倫理的」なのだろうか。まあ「ファシストによるファシズム研究会」というのも、それなりにおもしろいかもしれないが。

WiMAX

WiMAXをめぐる動きが活発になってきた。

AT&Tワイヤレスは2006年までにWiMAXを配備する方針だという。SBCにも同様の計画があるようだが、WiMAXは過大評価されているという懐疑的な見方も強い。特に大電力を要することから、携帯電話のようなバッテリー駆動の機器には無理で、主な用途は放送のような大容量・大電力のインフラだという。

他方Wi-Fiも、IP携帯電話が発表されるなど、しぶとく生き延びている。これまでの経験則でいうと、こういう「中途半端だがいったん普及した技術」が、改良を重ねて「互換性のない高級技術」をしのぐことが多いが、今回はどうなることやら・・・

ITS

ITS世界会議というのが始まったそうだ。第11回の世界会議というと、いかにも国際的な話のようだが、欧米人(それも無線の専門家)に「ITS」といっても通じない。

私も何度かITSについての発表を聞いたことがあるが、彼らの話の特徴は、すべて行政主導で、道路インフラと垂直統合され、IPがまったく出てこないことだ。要するに、ITという新しい名目で税金を無駄づかいする「第2公共事業」なのである。それが使い物にならないことは、ETCを見ても明らかだろう。

特に5.8GHz帯を「ITS専用帯」にするのは、日本だけだ。世界的には、5GHz帯は米国のU-NIIのように無線LANに開放するのが主流になっているなかで、日本だけがITSや「情報家電」などに細切れで割り当てるという。5.8GHzなんて直線性が強すぎで、高速移動するものには使えないので、自動車の専門家も困っている。

CCCDとコピーワンス

エイベックスがCCCDから撤退する。「みんながやめたいと思っていた」そうだ。レコード輸入権のとき、消費者にきらわれたことも遠因らしい。

次に問題になるのは、この対談でも議論されているように、デジタル放送の「コピーワンス」だろう。これはDVDレコーダーの天敵である。ハードディスクに録画した時点で「ワンス」だから、DVDにコピーすることはできない。もとのファイルを消す「ムーブ」はできることになっているが、各社の仕様がバラバラで、買ってきてやってみないとわからない。しかも2011年に本当にアナログ放送を止めたら、世の中のDVDレコーダーは粗大ゴミになってしまう。

他方、アナログ放送は「非圧縮」なので、これをハードディスクに録画したMPEG2ファイルは、デジタル放送の映像と同じである。つまり、ハードディスクの留守番録画を再生するとき、すでに視聴者は「デジタル放送」を見ているのだ。こっちはコピーも編集も自由だから、わざわざ受像機を買い換える必要はない。アナログ放送は「デジタル映像加工の素材伝送」として残し、本当のデジタル放送はブロードバンドでやってはどうか。

先日、インテル本社の役員が「コピーワンスは、事実上copy neverだ。しかも外資を排除した国内独自規格で、非関税障壁だ」と怒っていたので、こういう状況を話して「デジタル放送はCCCDみたいに自滅するから、参入しないほうがいい」と説明したら「勉強になった」と喜んでいた。

1970年体制


日本の経済システムを戦時体制の延長上にある「1940年体制」とよんだのは野口悠紀雄氏だが、原田泰氏などは「1970年体制」という考え方を提唱している。一般には、石油危機をきっかけに日本は「成熟経済」に入ったと理解されているが、成長率の減速は石油危機の前から始まっており、原油価格が下がっても元に戻らなかったからだ。

増田悦佐『高度経済成長は復活できる』(文春新書)は、田中角栄が「弱者保護」と称して都市の金を地方に再分配するシステムを作り出したことが成長率低下の原因だと主張する。たしかにそういう面はある(その典型が放送業界だ)が、これが田中個人による「社会主義革命」だというのは、短絡的にすぎよう。

日本の社会資本投資は、70年ごろまでは私的投資よりも収益率が高かったし、日本が急速な成長にともなう都市のスラム化を避けることができたのも、このためだ。公共事業は、高度成長にともなう過剰貯蓄を地方に再分配して票田を守る自民党の集票戦略だったが、こうした「弱者にやさしい政治」は与野党を問わないコンセンサスだった。

この「田中角栄型システム」は、バブル崩壊とともに破綻したが、1970年体制に代わる新しい「アーキテクチャ」ができていないことが、混乱の長期化する原因である。著者のいうように単なる都市化で「高度経済成長が復活できる」とは思えないし、それが望ましいわけでもない。

環境税

環境税の導入が見送りになった。京都議定書の発効が確実になったというのに、反対する財界は「自発的努力」だけで実質25%ものCO2削減が可能だというのだろうか。

他方で、ロシアからCO2排出枠を買うビジネスが始まり、国内でも各社に排出枠を割り当てる検討が始まっている。こうした「財産ルール」による市場メカニズムを使った解決策は、有名な「コースの定理」にもとづくもので、経済学者には支持されているが、実際には問題が多い。

国際的に問題なのは、排出枠が「検証可能」かということだ。とくにロシアが「売った」枠を正確に実施して排出を削減するかどうかは疑わしい。単にロシアに金を出して日本が現状維持するだけに終わるおそれが強い。コースも認めるように「取引費用」が大きすぎる場合には、財産権の設定は効率的ではない。

国内では、まじめに排出枠の取引をやろうとすると、膨大な枠の割り当てが必要になり、エネルギー関連産業全体が「統制経済」になるばかりでなく、この「環境利権」をめぐる政治的な交渉が起こる。これもコースの定理の弱点で、財産権の初期分配を決めるルールはないのだ。

もっとも本質的な問題は、たとえ排出権取引が厳密に実施されたとしても、それは排出量を削減するコストの高い企業から低い企業に負担を移転するだけで、全体の排出量は変わらないということだ。したがって財産ルールが望ましいのは、削減目標に科学的な根拠があり、それを達成することが確実である場合に限られる。

しかし、これが京都議定書の最大の欠陥である。各国ごとの削減率は、科学ではなく政治によって決まったもので、議長国になってしまった日本は、もっとも不利な条件を負わされた。議定書が完全実施されたとしても、地球温暖化は100年後に6年のびるだけだ

温暖化を防ぐことは必要だが、政府が絶対的な「削減目標」を設定する意味はないし、日本が京都議定書の目標を完全実施することは不可能である。相対的に削減する努力を促進するため、環境税のような「責任ルール」で分権的に実施したほうがよい(厳密な議論はKaplow-Shavell参照)。

理解と納得


私は1992年に「追跡・不良債権12兆円」というNHKスペシャル(「不良債権」というタイトルをつけた日本初の番組)を作ったが、そのとき取材した住専の問題と今度のダイエー騒ぎが、ほとんど同じパターンなのにはあきれる。

日住金の場合には、債務超過が1兆円を超えるという絶対に助からない状況だったにもかかわらず、1992年にメインバンク(三和銀行)が「実態倒産企業」と断定する秘密報告書を出してから、最終的に清算されるまで4年かかった。第1次の債権放棄から3年9ヶ月かかったダイエー問題は、何も進歩していない。問題が発覚してから、わかりきった答に至るまでが長いのだ。

問題を「理解」するのは、そうむずかしいことではない。しかし、自分が犠牲になることを「納得」するのは、それ以外のすべての選択肢を試してからでないと、できないものだ。第三者には不合理に見えるダイエーの高木社長の迷走も、「最大限努力したが、これしかない」と社員に納得させるための演技だったのかもしれない。

最後に監査法人という「葵の御紋」が出てくるパターンも、昔から同じだ。住専のときは、中坊公平氏という「黄門様」が登場して乱暴に幕を引くと、みんな納得してしまった。「水戸黄門は、なぜ最初から葵の御紋を出さないのか」という笑い話があるが、あれは最初から出してはだめなのだ。日本の社会では、事態がとことん紛糾して、だれかが御用になるしかないことを納得するコンセンサスが大事なのである。

録画ネット

海外在住の日本人向けにテレビ番組を録画して配信するサービスを差し止めるようテレビ局が求めていた訴訟で、差し止めの仮処分決定が出た。

このサービスが違法なら、ケーブルテレビもDVDレコーダーも違法だ。グローバルな戦略のない日本のテレビ局も、ブロードバンドで地上波の番組の配信を許さないとかJASRACとの包括契約を許さないとか、著作権を名目にして既得権を守る戦術だけは、米国の業者に学んでいるようだ。

産業政策の終焉

今回のダイエー騒動には、不可解なことが多い。最初からメインバンクが「自主再建」では債権放棄に応じないといっているのだから、こういう結論しかないことは日本の常識だろう。死に体のダイエーがここまでねばったのは、経産省が「応援」したためだが、土壇場でハシゴを外されて立ち往生。これが「民間主導」とは笑わせる。

この迷走の最大の責任者が、北畑隆生・経産政策局長だ。省内でも「再生機構には経産省からも幹部を出しているのに、いい加減にしろ」「何か成算があるのか」と批判が強かったが、結局、何も策はなかった。「官邸が北畑の暴走を押さえ込んだ」という説もあるが、むしろ官邸の調整機能がなくなったから、ここまで泥沼になったのではないか。

北畑氏は、かつて通産省が繊維や造船を整理したときのような「産業政策」的な手法が、まだ通用すると思い込んでいたのだろう。今回のドタバタは、不良債権問題の最終局面の始まりとともに、彼に代表される「古い霞ヶ関」の終わりを告げているのだ。

ソフトバンクの訴訟

ソフトバンクが、800MHz帯の割当をめぐって行政訴訟を起こした。

原告が勝てる可能性は(仮処分以外は)なく、時間稼ぎという印象も強いが、法廷でオープンに議論するのはいいことだ。米国では、民間が行政と闘う最大の武器は、裁判である。司法の力も強く、AT&Tの分割を実質的に決めたのはMCIの起こした訴訟だった。逆に1996年電気通信法をめぐっては、ILECが訴訟でFCCに連勝し、結局UNE規制は空文化してしまった。

結果の是非は別だ。法律がおかしいなら、議会が改正すればよい。問題は、政策決定の過程を変えることである。今のように行政がすべて密室で決めて、警察と裁判官をかねるような状況より、「100年裁判」のほうがましだ。今週の週刊エコノミストにも書いたことだが、日本の通信をだめにしているのは、社会主義行政と「通信ゼネコン」の談合だからである。







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