三丁目の夕日

東京タワーといえば、「ALWAYS 三丁目の夕日」は、東京タワーが建設された1958年の日本を舞台にした映画だ(今週の金曜まで上映中)。当時の東京の町並みや建設中の東京タワーなどが、VFX(CGによる特殊効果)で精密に再現され、実写と区別がつかない。

ただ映画のストーリーは、VFXが売り物のSF的なつくりではなく、みんな貧しいけれど、明日は豊かになるという希望をもっていた高度成長初期の人間模様を描いたものだ。とくに子供の演技が達者だった。

第2東京タワー

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けさの読売新聞によると、地上デジタル放送のための「第2東京タワー」が、東京都の墨田・台東地区に建てられることが決まったという。予定通りいけば、この完成予想図のような「カナダ・トロントのCNタワー(553メートル)を抜いて600メートル級の世界一の電波塔」ができるそうだ。ところが奇妙なことに、このニュースは他のメディアではまったく取り上げていない。

そもそも、この記事におかしなところがある。読売によれば、NHKと在京民放キー局5社で構成する「新タワー推進プロジェクト」が決定したということになっているが、彼らはこのタワーの店子にすぎず、決定権はない。決定権をもつ墨田区は、「正式決定の報告を受けておりません」という報道発表を出した。本来、この計画を実施するには、東京都の都市計画審議会による都市計画決定が必要だが、デッドラインである3月末までに都市計画審議会は開催されず、次回(5月)の審議会の議題にもなっていない。

これで思い出したのは、1988年に三菱地所が「丸の内マンハッタン計画」なる都市計画を発表したときのことだ。三菱地所は、丸の内一帯の地主なので、「現在1000%の容積率が2000%になったら、こうなる」という計画を、立体模型までつくって宣伝した。ところが、都も国土庁も「そんな話は聞いていない。行政の認可もなく、容積率を勝手に上げることができるのか」と怒り、この計画は撤回されてしまった。

今回の計画についても、東京都の石原知事は、繰り返し「東京の上空には航空機がたくさん飛んでいるので、そういう危険な建物を建てることは許さない」と言明している。都の了解なしに、地権者でもない放送局が勝手に「決定」して対外的に発表すると、話はかえってこじれるのではないか。

追記:毎日新聞によると、上田埼玉県知事が14日、民放連の広瀬次期会長を訪問し、「さいたま新都心」への建設案を示した。広瀬氏は「建設地はまだ決まっていない」としている。読売の報道は、「決定」したはずの民放連にも否定されたわけだ。

インターネット後の世界

先日のシンポジウムで印象的だったのは、伝送路の(IPによる)融合については、出席者のだれからも異論が出なかったことだ。ながく抵抗していたNTTも、NGN(次世代ネットワーク)では物理層からIPをサポートする計画である。

こうなると、逆に心配になってくる。IPの寿命は、いつまであるのだろうか? 今後、「全光ネットワーク」時代になると、電子的スイッチによるIPが処理のボトルネックになるのではないか? それとも交流電源のように、いったん全世界に普及したら、IPに代わるプロトコルはもう出ないのだろうか?

Economist誌の記事によれば、David Clarkなどの「インターネットの父」世代だけでなく、若い世代も、IPそのものがなくなることは想定していないようだ。IPの上にセキュアなプロトコルによるネットワークを構築するとか、複数のプロトコルを同時に走らせるとかいう構想はあるようだが、現在の超単純なE2Eに「ダーウィン的競争」で勝てるプロトコルはないだろうという。

ついでにいうと、こうした「再設計」のなかにIPv6は含まれていない。村井純氏は「v6は中国で普及している」というが、これには危険なものを感じる。中国が独自の「漢字インターネット」をv6で構築するとき、それは国内で閉じ、当局に監視される「オーウェル型ネットワーク」となるのではないか。そして、これがIPv4を打ち負かしたとすれば・・・

総論反対 各論賛成

けさの朝日新聞が「NHK論議 変容」と題して、通信・放送懇談会の議論が「公共放送は必要だ」という小泉首相の発言で水をさされ、「国際放送の強化」などの部分改革論にはまり込んで、NHK民営化は骨抜きになりそうだ、と解説している。他の社の記者からも「竹中さんは官邸にハシゴをはずされた」という話を聞いたので、これは首相が意図的に議論を誘導しているのだろう。

しかし、その意図がよくわからない。他方で首相は「NHKのチャンネルは多すぎる」などと発言しているところをみると、NHK側のロビイングによるものでもなさそうだ(海老沢政権の崩壊後、そんな政治力はない)。某小国の首脳が首相官邸を訪れたとき「わが国にもNHKの国際放送を」といったとか、そのとき通訳が国際放送の意義を強調して、首相が感銘を受けたとかいう説もある。

首相は「2001年の閣議決定で、NHKは民営化しないことが決まっている」というが、郵政公社の「民営化等の見直しはしない」と法律に書かれているのを無視して、民営化を強行したのはだれだっけ? まあ、あまり論理的にものを考える人ではないし、とくにITは彼の苦手な分野だから、思いつきで言っているだけなのかもしれない。ただ、靖国神社問題にもみられるように、いったん言い出したら変えないtime consistencyは人一倍あるので、厄介だ。

だいたい国際放送なんて、予算は70億円余りで、NHK予算の1%。時間の限られている懇談会で議論する話題ではない。「世界に情報を発信すべきだ」とかいう首相の話は、各論としてはだれでも賛成するだろう。しかし本質的な問題は、その財源である受信料制度をどうするのかという総論なのだ。

村上春樹と安原顕

きのう発売の『文芸春秋』で、村上春樹氏の自筆原稿が古本屋やヤフー・オークションなどに出回っている問題を、村上氏が明らかにしている。しかも、その「犯人」が故安原顕だというので驚いた。彼には、『リテレール』という雑誌の編集長だったとき、取材したことがある。

日本の出版業界は、基本的に新規参入は禁止で、休眠会社を買収しないと出版社は起こせない。また原価率が大手と中小では違い、講談社や小学館は定価の80%なのに、新しい出版社は50%しか取れない。しかも雑誌は、創刊から5ヶ月間は取次から代金を払ってもらえない・・・といった問題点を、安原は『リテレール』の誌上でも訴えていた。しかし、こういう内容だと、よけいに取次には扱ってもらえなくなり、経営は苦しくなり、とうとう彼は『リテレール』を投げ出してしまった。

私は、安原の編集者としての手腕をあまり買っていない。『マリークレール』で文芸路線を打ち出したのが当たって、一時は大編集長気取りだったが、『GQ』で失敗し、中央公論社を追い出された。しょせん文芸誌の編集者で、吉本隆明とか中沢新一などもお気に入りだったようだが、内容は理解していなかった。『リテレール』も「ベスト50」みたいな特集ばかり出し、しかも執筆者や内容が片寄っているので、読者にも飽きられた。

今回の事件では、安原の遺品を古書店が整理したとき流出したというだけでなく、彼が生前から村上氏の原稿を売っていたようだ。事業が失敗し、資金ぐりに困っていたのかもしれないが、こんなことが露見したら編集者として自殺行為だということぐらい、わからなかったのだろうか。また自分では「村上を世に出したのはおれだ」などと吹聴していたが、村上氏が渡米したころから、何かのきっかけで急に村上氏の作品を酷評するようになった。そのトラブルの真相はよくわからないが、その腹いせで原稿を売ったとなると、もっと問題だ。

いずれにしても、著者との人間関係がすべて、という古い文芸業界の体質を受け継ぐ、最後の世代の編集者だろう。

コア・コモンズ

通信・放送懇談会の第5回会合では、NTTの再々編がまた話題になったようだが、意見の集約はできなかったらしい。先月のICPFシンポジウムでは、松原座長が「NTT各社を今のまま完全に資本分離するつもりはない」と断定したのだが、今回は完全分離せよという意見も出たようだ。

構造分離というのは、競争政策としては「伝家の宝刀」であり、成功例も少ない。米国で構造分離をやったのは、スタンダード石油とAT&Tぐらいだが、後者は20年後の今、元の形に戻りつつある。日本ではNTTの「準構造分離」が唯一のケースだが、これも失敗例だ。その原因は、第2臨調で議論を始めてから実際に分離が完了するまでに15年もかかり、その間に技術革新が進んでしまったためである。とくにNTTの場合は、インターネットが急速に普及する時期に電話時代の区分で分割するという最悪のタイミングだった。

今からやるなら、NTT法や放送法をいじるのではなく、懇談会でも出ているように、通信と放送を区別しない「融合法」にすべきだ。この場合の原則は、「水平分離」と「規制の最小化」である。前者はしばしば議論になるので、よく知られていると思うが、後者は構造分離のような「外科手術」ではなく、規制を物理層に限定することによって、企業が自発的に分離することをうながすものである。

たとえばNTTの場合には、山田肇氏と私の共同論文でも主張したように、規制の対象をローカルループ(銅線)と線路敷設権に限定し、それ以外の光ファイバーや通信サービスの規制を撤廃すれば、NTTがインフラを「0種会社」として分離するインセンティヴが生じる。この場合の分離は、子会社であっても法人格が別であればよい。

NHKも同じである。規制を電波(物理層)だけに限定すれば、NHKはインフラを(BBCのように)民間に売却してリースバックし、制作部門だけをもつ「委託放送事業者」になることができる。これによってNHKは免許も不要になり、コンテンツをインターネットやCSなど自由に多メディア展開でき、首相の求める「海外発信」も可能になるかもしれない。今でもBSは事実上の委託/受託になっているので、これは見かけほど大きな変化ではない。

このようにボトルネックとなっている共有資源を、Benklerにならって「コア・コモンズ」とよぶとすれば、通信・放送ともに規制をコア・コモンズに最小化して開放することによって、自由なサービスや新規参入が可能になる。問題は、NTTもNHKも実は自由を求めていないことだが、これは新しいプレイヤーとの競争に期待するしかないだろう。

追記:NHKの橋本会長が、衆議院総務委員会に参考人として出席し、国際放送について発言した。首相が個別の問題に思いつきで口を出すと、こういうふうに枝葉の問題ばかり話題になる。よく知らない分野については「丸投げ」したほうがよい。

インターネット中立性

AT&T(旧SBC)がBellSouthを買収することが決まり、これで米国の通信業界はVerizonとの「2強」時代に入る。まるで1984年のAT&T分割以来のフィルムを逆に回して見ているようだ。FCCはマーティン委員長が「歓迎」の声明を出したりして、チェックする気はないし、司法省も静観の構えだ。これで米国のインターネットは、通信会社とケーブルテレビ局の競争になる。

そこで出てきているのが「インターネットただ乗り論」である。GoogleやYahooは通信トラフィックの大きな部分を占めているし、VonageやSkypeは通信回線を使って割安のサービスをしているのだから、応分の負担をしてもらおう、という議論だ。ケーブルテレビは、自前のコンテンツを優遇して他のISPを差別しているのだから、通信業者にも同じ権利を与えろ、というわけである。

日本でも、同じような議論が出てきているが、これは話が逆だ。ケーブルのように「身内のインターネット」と外部からのアクセスを区別することが、インターネットの精神にもとる行為なのだ。インターネットは、サービスとインフラを切り離す中立なプラットフォームだったからこそ、ここまで発展してきたのであり、それを昔の電話時代のように「垂直統合」しようとするのは時代錯誤である。

米国では、FCCが今回のBellSouth買収を承認する条件として「インターネット中立性」を約束させたというが、法的拘束力はない。Vint Cerfなどが提唱して、米上院には「インターネット中立法案」が提出されたが、共和党が多数を占めている議会では、どうなるかわからない。

かといって、今のままでは設備投資の負担に耐えられないという通信会社の立場もわからないではない。日本でも「インターネットがパンクする」という議論が出たこともあった。インターネットに差別を持ち込むよりは、ISPの料金を従量制にするとか、一定以上の通信量のユーザーからは追加料金をとるなどの措置のほうがましだ。

サンクコスト

経済学の初歩の練習問題に、サンクコスト(埋没費用)というのがある。たとえば、青森から函館まで総工費7000億円かけてトンネルを掘っているとする。工費を6000億円まで使ったところで、札幌までジェット機が就航し、航空運賃のほうが安くなった場合、トンネルは掘り進むべきだろうか?

正解は、開通させることによって上がる利益が、残りの工費1000億円に達しないならば、工事をやめることである。これまでにかかった工費は、回収できないサンクコストだから、今後のプロジェクト費用を計算するときは考えてはいけないのだ。まして青函トンネルや本四連絡橋のように大赤字になることがわかっているプロジェクトは、いつやめても遅くない。

ところが公共事業の類には、「ここまで作ったのだから」というだけの理由で続けられるプロジェクトが多い。さらに長良川の河口堰や諫早湾の干拓のように、完成しても運用しないほうがよいという、二重に迷惑なプロジェクトも少なくない。地上デジタル放送も、今からでも遅くないから、計画を見直したほうがよい。特に、これから工事の始まるローカル民放の中継局は、青函トンネルのような無用の長物になるおそれが強い。おまけに放送の中継局は、使われなくても電波を占有するから、これも二重の迷惑である。

電波の市場

ソフトバンクがボーダフォンの日本法人を買収することで、合意に達したという。ボーダフォンの撤退は当ブログでも予想していたとおりだが、ソフトバンクがそれを丸ごと買うというのは驚きだ。買収価格が2兆円だとすれば、そのうち1兆円ぐらいは免許の価値だろう。つまり日本の制度では、最初に免許を取得するときは無償なのに、それを会社ごと転売するときには免許に巨額の価格がつくという非対称性があるわけだ。

しかも、この買収が成立すれば、ソフトバンクは携帯電話の「既存事業者」ということになる。「新規参入」の枠として予備免許の下りている1.7GHz帯はどうなるのだろうか(*)。周波数がオークションで割り当てられていれば、こういうややこしいことにはならない。ソフトバンクは、1.7GHzが不要なら、免許を第三者に売却するだろう。ところが日本では、会社を売ることはできても、電波を売ることはできない。

ドコモなども、ポケットベルの会社を買収するなどして帯域を広げており、日本でも事実上「電波の第二市場」が成立している。第二市場があるのに、第一市場(周波数オークション)がないのはおかしい。オークションにも問題はあるが、すでに携帯電話に使われている帯域は、無料で配給するのではなく市場原理で売却すべきだ。その売却代金は、既存業者を追い出す「逆オークション」にあてればよい。

(*)追記:やはりeアクセスが「ソフトバンクはボーダフォンを買収するなら、新規参入事業者に割り当てられた携帯電話用周波数帯を返上すべき」と総務省に申し入れるという(6日)。

追記2:総務省の林事務次官は、記者会見で「ソフトバンクに与えた免許の取り消しもありうる」と表明した(6日)。

原著なき訳書

ビル・エモットの『日はまた昇る』(草思社)がベストセラーだそうである。中身は、去年10月のEconomist誌の特集をほぼそのまま訳したもので、活字をスカスカに組んで160ページだ。原著は出ていないのに、日本語訳だけが出ている。

著者が「どうせ日本人は英語が読めないからわかるまい」と高をくくっているのか、あるいは版元が「中身は薄くても株価が上がっているうちに出したい」と出版を急いだのか、いずれにしても日本の読者はバカにされたものだ。こんな駄本が売れるようでは、本当に日が昇るのかどうか疑わしい。






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