成果主義

このごろ「成果主義」に対する風当たりが強まっているようだ。『虚妄の成果主義』がベストセラーになったと思ったら、今度は『内側から見た富士通』がベストセラーのトップになっている。

これは一時期の成果主義一辺倒に対する批判としては当たっているし、富士通の労働実態がひどいものであることは事実らしい(これは前からそうだった)。しかし、そこからいきなり「日本型年功制」がベストだという答に飛躍するのはまちがいである。年功序列がすばらしいのなら、役所や銀行がもっとも効率の高い組織だということになる。

経済学では、この種の問題についての研究は昔からあり、一般的にいうと、成果の「測定可能性」に応じて最適なインセンティヴの強さは変わる。タクシーの運転手のように仕事と成果が1対1に対応しているような場合には成果主義でよいが、経理や庶務のように成果が数値であらわしにくい業務については、成果主義で評価すると地道な仕事をだれもやらなくなってしまう。

だから今までの日本の会社のように「みんな一緒」に仕事をする場合には、インセンティヴは弱いほうがいいのだが、金融・コンピュータ・ソフトウェアなどの成長分野では、仕事は「モジュール化」され、測定可能性は高まっている。同じ仕事を日本でやるか中国に外注するか、という比較もできるようになっている。こういうとき、身内の「和」ばかり気にしていては、激しい技術革新に取り残されてしまう。

要するに、万能の評価システムなんてないのだ。仕事の種類に応じてインセンティヴは違うべきであって、一律に成果主義というのもおかしいが、一律に年功序列という日本の会社の人事システムもおかしいのである。

iPod

わが家にもiPodがやってきた。といっても、妻が買ったのだが。

「第4世代」で、実売3万円で20GB。私の使っている3年前のPCよりも大容量で、わずか150gだ。ハードディスクは、年2倍という「ムーアの法則」以上のスピードで性能が上がっている。帯域とストレージは代替財だから、今後はリアルタイムの「放送」がDVDレコーダーなどのハードディスクに取って代わられるだろう。

機能のほとんどは、iTunesというDRMソフトウェアで実現しているが、オンライン配信が日本では利用できないので中途半端だ。フォーマットとしてWMAをサポートしていないので、マイクロソフトの音楽配信が多数派になったとき、またMacのような悲哀を味わうかもしれない。リアル・ネットワークスがRealAudioをiPodで読めるように変換するHarmonyというソフトウェアを発表したとき、スティーヴン・ジョブズは「訴える」と怒ったが、これはお門違いだ。iPodにとっては、読めるフォーマットが増えることは有利なのである。

Creative MediaやiRiverなどの「iPodクローン」もたくさん出ているが、こっちは何でも読める。最悪なのは、ソニーの「ネットワーク・ウォークマン」で、ATRACというソニーのDRMしか使えない。かつて1980年代にIBMクローンが登場したとき、日本だけ各社が独自フォーマットで競争して自滅した教訓に、何も学んでいないのだろうか。

ソフトバンクのrent-seeking

ソフトバンクBBが、800MHz帯についてのパブリック・コメントで携帯電話への参入の意向を表明した。ただし実際には、電波が割り当てられないかぎり参入はできない。

孫正義氏が日本最後のタブー、電波利権に挑戦するのはけっこうなことだが、今回の意見書は、他の業者の電波をソフトバンクに分けろという筋の悪い話だ。こういうふうに規制の恩恵を業者間で争うことを、経済学でrent-seekingという。ソフトバンクがDSLでやってきたことも、世界一きびしい日本のアンバンドル規制を利用してNTTを攻撃しながらそのインフラにぶら下がる、典型的なrent-seekingである。こんなことをいくらやっても、規制の枠組は変わらないし、真の競争は生まれない。

米国では、FCCのパウエル委員長がblogで、デジタル放送に割り当てたまま使われていないUHF帯を無線LANに開放することを提案している。WiMaxという新しい無線LAN技術を使えば、携帯電話と同等のサービスが免許なしで可能だ。ソフトバンクが電波利権に本気で挑戦するなら、免許制度そのものの廃止を提案すべきだ。孫氏の要求は「おれにも電波利権の分け前をよこせ」というrent-seekingにすぎない。

追記:Trackbackで指摘されたように、WiMaxが「携帯電話と同等」というのはいいすぎだった。むしろ「ラストワンマイル」として携帯電話よりも低コストで有望、といったほうがいいだろう。無線=モバイルではないからだ。またパウエル委員長もいっているように、「オーバーレイ」で使うなら免許は必要ない。

デカップリング

通信政策では「アンバンドリング」が重要なテーマだが、農業では「デカップリング」という。これは、従来の農業補助金のように生産奨励と所得補償を一緒に行う政策から、両者を切り離して農民への直接支払いを行う政策に変えることだ。これによって、高価格や過剰生産などの歪みを引き起こさないで中核農家を育成できる。

これは1980年代にOECDで提案され、欧米では徐々に導入されているが、日本では研究が始まったばかりという段階だ。私の元同僚も、以前からこうした政策を提案しているが、実現する見通しはない。民主党はマニフェストに掲げているが、どこまで本気でやる気なのかはわからない。補助金を廃止して大規模農家だけに直接支払いをしようとしたら、圧倒的多数の兼業農家の反発をまねくことは必至だからである。

このように所得の再分配を価格支持によって行う「弱者救済」の規制は、大店法をはじめ非常に多い。いま問題になっている郵便の「ユニバーサルサービス」なども、その一例だ。しかし全国一律のサービスが必要だとしても、それを政府が行う必要はない。バウチャーのような形で「デカップル」すればよいのである。しかし、政治家や官僚は「平等」を旗印にして「効率至上主義」に反対する。

資源配分の効率と所得分配の公平は分離可能だ、というのは経済学の教科書の最初に書いてあるが、なかなか直感的には納得しにくいようだ。もっとも、既得権が弱者救済と「カップル」された政策は、それを食い物にする人々にとっては都合がいいので、彼らが改革に反対するのは合理的だが。

NTTバッシング

9日の海老沢会長の参考人招致を前に、週刊誌では「NHKバッシング」が花盛りだが、光ファイバーの開放義務をめぐって、「NTTバッシング」も始まったようだ。その代表格が、町田徹『巨大独占・NTTの宿罪』である。

著者は、日経の記者だったころにも「NTT完全分割論」をとなえて、竹中平蔵氏のナンセンスなIT政策の応援団だった。「ドミナント規制は世界の常識だ」などという嘘を書き散らすので、私が批判したらGLOCOMにやってきて「名誉毀損で訴える!」と叫んだ。

しかし、ちゃんと話すと事情はわかっていて、「ドコモの公式サイトが独占の原因だから、それをつぶすために総務省はドミナント規制を持ち出している。まあ別件逮捕みたいなもんですよ」という。「それは、あなたの記事の趣旨とまったく違うじゃないか」と私がいうと、「公式サイトなんてわかりにくくて、産業新聞ぐらいにしかならない。やっぱり料金のようなわかりやすい問題でたたかないと・・・」というのであきれた。

この本の大部分も、そういうセンセーショナルなNTTバッシングだが、さすがに新聞記者でなければ聞けない当事者の話があって、ルポとしてはよく書けている。2次情報の切り貼りで「孫正義バッシング」をやっている某ルポライターの本などより、はるかに読む価値がある。しかし結論に、また「東西会社の完全分離」が出てくるのにはうんざりだ。インターネット時代に、市内電話網を長距離から切り離すことに何の意味があるのか。

取材力のある記者だから、あとはもうちょっと通信政策の基本を勉強してほしいものだ。参考文献としては、私の論文をおすすめする(これは学会賞をもらうことになった)。

菊澤研宗『組織の不条理』

組織の不条理 - 日本軍の失敗に学ぶ (中公文庫)
本書はビジネスマンに評価されているらしく、こうして文庫本にもなった。前に読んだとき、著者が根本的な間違いに気づかないで1冊の本を書くということもあるのかとあきれたことがある。経営学界ではそういうことも珍しくないようだが、誤解が増殖するのもよくないので簡単に指摘しておこう。

最大の間違いは、著者がサンクコストを守ることが合理的だと考えていることだ。したがって日本軍の不合理な戦術も「過去から継承してきた武器や兵力を守る合理的な行動」が、結果として「局所最適」に陥った結果として描かれ、エイジェンシー理論や所有権理論などが援用される。

しかしビジネススクールで教わるように、サンクコストを守ることは不合理な錯覚である。所有権理論(たとえばHart)で事前と事後の不整合が起こるのは、サンクコストが発生する企業特殊的な投資において、ゲームの双方がサンクコストを無視してナッシュ交渉を行なうためだ。

本書のほとんどの分析が、この根本的な勘違いにもとづいて書かれており、少なくとも経済学的には意味不明だ。ときには「限定合理的」という言葉も使われているが、サンクコストをforward-lookingなコストと混同することは、限定合理的でさえないバイアスである。著者はバイアスと(サイモンの)限定合理性を混同しているのではないか。

すり合わせと組み合わせ

『モジュール化』がベストセラーになって以来、「アーキテクチャ」についての議論が盛んになっている。その代表は、藤本隆宏氏の「すり合わせ」と「組み合わせ」だ(『日本のもの造り哲学』日経新聞社)。

トヨタに代表される日本の自動車メーカーは日本人得意の「すり合わせ」型産業で、コンピュータは日本人の苦手な「組み合わせ」型だ、という彼の話はわかりやすいが、なぜアーキテクチャが二つにわかれるのか、また二つしかないのか、あるいは日本人がすり合わせに強く組み合わせに弱いのはなぜか、といった理論的な根拠がはっきりしない。

こういう図式は「つまみ食い」されやすい。経産省の「新産業創造戦略」でも、「日本はすり合わせの比較優位を生かして」という類の話がよく出てくるが、情報産業に関するかぎり、すり合わせ型は「すきま産業」でしかありえない。特に中国がモジュール型で日本を急追しているとき、みずから土俵をせばめるような「戦略」は有害である。チャンドラーの言葉をもじっていえば、アーキテクチャは戦略に従うのであって、その逆ではない。

私の博士論文(第3章)では、こうしたアーキテクチャの違いがなぜ生じるのかを理論的に説明することを試みた。うまく行っているとはいえないが、この問題を「国民性」や「文化」に解消せず内生的に説明することは、政策的にも重要なテーマだろう。

eエコノミーの衝撃

eエコノミーの衝撃
いま読み返すと、目次を見ただけで笑ってしまう。「サイバー・ビジネスの台頭」とか「tエコノミーからeエコノミーへ」などというのは、当時(といってもわずか1年半前の本だ)ありがちな勘違いのあまりにも典型的な見本だ。

これは、彼が無断でソニーの社外取締役になって一橋大学をクビになった事件のあと出たものだが、至る所に出井社長(当時)の言葉やソニーの宣伝が出てきて、とても読むに耐えない。話の大部分も週刊誌の受け売りで、特に技術的な記述は間違いだらけだ。数えてみたら、20ヶ所以上あった。ざっとこんな調子だ:
  • 普通の製造業は「収穫逓減」だが、情報産業では「収穫爆発」が起き、大きい者が「ひとり勝ち」する。
  • 自動車産業では「規模の経済」が大きいので「モジュール化」が行われる。
  • プレステ2はインターネットと接続し、家庭のすべての娯楽を実現する「エンタテインメント万能機」になる。
ある研究会でこの話をしたら、三和総研のスタッフが「そうなんですよ。われわれも困ってるんです」と心配して、三和総研の研究会に招かれた(さすがに理事長は欠席だったが)。こういう通俗的な誤解が起こるのは、インターネットを「eコマース」などの表面的なビジネスの面だけでとらえているからだ。インターネットはTCP/IPというプロトコルであり、サービスではないのだ。

こんな「社外取締役」を使うソニーも迷惑だが、まあ出井氏の勘違いぶりも似たようなものだから、いいコンビかもしれない。 見逃せないのは、こういう話が経済学用語を使って学問的な装いで行われていることである。これは経済学者の恥だ。

「情報家電」で産業復活を

黒沢明氏の死は全世界の人々から惜しまれ、海外のニュースでも大きく取 り上げられた。これは日本の映像産業が、かつては世界をリードしていたこと を改めて思い起こさせたが、ひるがえって衰退しきった現在の日本映画や、画 一的なワイドショーやバラエティで埋まったテレビを見ると、その落差に暗然 とせざるをえない。

一般には、映画はテレビの登場によって衰退したと思われているが、米国では 映画は今や最大の輸出産業の一つであり、こうした映像コンテンツ(内容)の 分野は、今後の多メディア化における中核産業と見なされている。

ところが日 本の映画業界は閉鎖的な系列興業システムによって自滅し、NHKはサラリー マンによる自社制作を続け、民放は劣悪な制作条件でプロダクションを搾取し てきたため、日本にはまともな映像作家がほとんど育っていない。

この人材の 貧困がボトルネックとなり、通信衛星では番組の不足のために中継器が埋まら ない状態である。しかしテレビゲームやアニメーションを見ればわかるように、 条件さえ整えば日本人の映像センスは世界に通用する。この才能を生かし、次 世代の産業を育てるには、これまでの通信・放送業界の構造を抜本的に変える 必要がある。

映像コンテンツがマルチメディアの本命と考えられるようになったのは、 それほど最近のことではない。九〇年代前半には、ビデオ・オン・デマンド (VOD)と呼ばれる双方向テレビが競って開発され、中でもタイム・ワーナー が米国フロリダ州で行った実験は、数十億ドルを投じて五〇〇チャンネルのサー ビスを提供する世界最大の計画として注目を浴びた。

他方、この計画が発表さ れた九三年、イリノイ大学の全米スーパーコンピュータ・センター(NCSA) でアルバイトをしていた学生、マーク・アンドリーセンは、インターネットの ホームページを読むための小さなプログラム「モザイク」を書いてNCSAの ホームページに載せた。

マルチメディアの主役になったのは、巨額の資本の投入されたVODではなく、 時給六ドルのアルバイトで書かれたモザイクだった。これによってインターネッ トは爆発的な拡大をとげ、他方タイム・ワーナーのVODは大幅な赤字を残して昨年、中止された。

VODが失敗した最大の原因は、電話と同じ中央集権型の構造をとったことにある。中央のホスト機ですべてのコントロールを行うた めに巨大な設備が必要になり、端末の価格は一万二千ドルにもなってしまった。

これに対してインターネットは、データをコントロールしないでIP(インター ネット・プロトコル)に乗せて指定された宛て先に送るだけの「ステューピッ ド・ネットワーク」となることによって、負荷を全世界に分散した。

またHT ML(ハイパーテキスト・マークアップ言語)は、情報を記述するためのオープン・スタンダードを提供し、全世界のユーザーが情報の供給者になることを 可能にした。これによって、従来は想像もできなかった多様なコンテンツが生 み出されたのである。

このネットワークの電話会社中心からユーザー中心へのコペルニクス的転換は、 メディア全体の構造を変えつつある。米国ではインターネットを使って一分数 セントで長距離電話サービスを提供する業者が次々に登場し、電話そのものが インターネットに吸収されるのも時間の問題だろう。

さらに光ファイバーを二〇〇 五年までに全世帯で利用可能にするNTTの計画が実現すると、電話回線でテ レビ番組を見ることができるようになるから、放送も電波で行う必要はない。

現在のように大きな帯域を固定的に放送局に割り当てる方式は電波の利用効率 が悪く、携帯電話の帯域は極端に不足している。この問題を解決するには、電 話も映像もデータも区別せずにIPに乗せ、有線・無線を問わず必要なだけ使 うことが合理的である。

最終的には、映像=電波、音声=電話、データ=インターネットという現在の媒体ごとの縦割りの構造は崩れて、図のようにすべて の情報が有線・無線を問わずIPによって国境を超えて流通するようになろう。

tv-asahi
次世代ネットワークのイメージ


この次世代ネットワークの中心は、現在のようなデスクトップ・コンピュー ターではなく、キーボードなしで簡単に使える「情報家電」である。テレビ・ 冷蔵庫・エアコンなどに組みこまれるマイクロコンピューターの数は数年のう ちにパソコンを越え、互いにネットワークで結ばれてIPを交信して動くようになる。

デスクトップの世界は米国の「一人勝ち」状態だが、情報家電ではソ フトウェアを家電に組み込む日本メーカーの製造技術が不可欠だから、これは 日本の家電産業が活性化するきっかけとなりうる。またインターネットで映像 が全世界に流通するようになれば、コンテンツ産業は新たな成長部門となる可能性もある。

しかし、今のままでは日本の情報産業の将来は明るくない。それは、官庁 も放送局もメーカーも、いまだに従来の縦割り構造の中で既得権益を守ろうと しているからである。その典型が、先ごろ出された地上波放送のデジタル化に ついての方針である。それによれば、既存の放送局に優先的に電波が与えられ 、電波を有料でまた貸しすることまで認めらている。

この方針は、電波を持つことが放送の不可欠の条件であり、それを独占するこ とが利権だという前提にもとづいているが、インターネットで放送が可能にな れば、電波を持つ必要はない。放送局にとっても、一兆円以上かけて山の中ま で中継局を立てるよりNTTの光ファイバーを借りた方がはるかに低コストで すむ。

多チャンネル時代には、電波はもはや利権ではなく、むしろ制作能力が稀少と なる。したがって放送局は電波を切り離して制作部門に特化し、有線・無線の 中から最適の媒体を選んで番組を有効に活用した方がよい。このようなアンバンドリング(業務分離)は情報通信の世界的な潮流だ。

この点で郵政省が通信 衛星と放送衛星で中継器を持つ「受託放送事業者」とそれを利用する「委託放 送事業者」を分離したことは一歩前進である。地上波でも両者をアンバンドル して電波は入札によって一般に開放し、使途を限定しない「帯域免許」として 効率的な利用をはかる必要がある。委託放送業者の認可制は廃止し、全面的に 自由化すべきである。

日本メーカーは「高品位テレビ」などの在来型の技術にこだわったため、イン ターネットの世界では大きく出遅れ、映像伝送(ストリーミング)技術の国際 標準は米国製のソフトウェアになっている。

しかしインターネットで放送する ためには、現在のHTMLベースの技術では不十分であり、映像コンテンツを 表現する機能を備えた新しいオープン・スタンダードを作る必要がある。情報 家電の世界では日本メーカー抜きの標準化は考えられないから、これは日本発 の国際標準を作るチャンスである。われわれは今、大学と企業の共同研究でそ の基礎となる新しい言語の開発を進めている。

金融技術の発達によって銀行と証券の垣根が消滅したように、インターネット も通信と放送の境界をなくし、ネットワークの構造を根本的に変えつつある。 次世代のメディアの中心となるのは、電話会社でも放送局でもなく、みずから 映像を世界に発信するユーザーである。日本の情報産業が活性化し、新たな黒 沢が現れるためには、情報通信の分野でも既存の集権的な供給モデルに決別し て新規参入を促進する「ビッグバン」が求められているのである。

(1998年9月1日 日本経済新聞「経済教室」)

金子勝『反グローバリズム』

反グローバリズム―市場改革の戦略的思考
著者は、経済理論学会(マルクス経済学の学会)に所属する経済学者では随一のマスコミの人気者である。「ブッシュはバカだ」とか「小泉改革はニセモノだ」 というような床屋政談が受けるらしい。この本も、最初から最後まで学問とは無縁の「ぼやき漫才」のようなもので、まあそういう読み物としてはいいが、まじめに受け取るべきではない。

マル経は、 今でも一部の大学には講座の枠が残っているので、無能な学者でも職にありつける「穴場」である。しかし、よりどころとする理論が崩壊してしまったので、 「きわもの」的なテーマを探すしかない。こういう「マル経難民」が好んで選ぶテーマが「国際」「情報」である。このフレーズさえつければ文部省から科研費が引っ張れるし、状況の変化が激しくて「近経」の理論がついていけないので、「床屋理論」でも何かいえそうだからである。続きを読む






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