電子出版の経済学

ツイッターで「これからは『直接売文業』の時代だ」と書いたら、予想外に大きな反応があった。池尾さんからは(予想どおり)「市場型間接売文業」が正しいというコメントをもらったが、これはちょっと語呂が悪いので、以下そのように読み替えてください。

いま電子出版で起こっている現象は、技術的には新しくない。iPadは大きめの携帯端末(あるいは小さめのネットブック)にすぎず、その配信システムも伝統的な中央集権型で、P2Pのような破壊力はない。しかしこれが出版業界や流通業界に与える影響はかなり大きいだろう。それは従来の著者と出版社の関係を変えるからだ。

日本の書籍の印税は10%、原稿料は400字詰め原稿用紙1枚あたり5000円ぐらいが相場で、ここ30年ぐらい変わっていない。この30年間に物価は約2倍になっているので、原稿料は実質的に半分になった計算である。30年間まったく賃上げしない会社があったら、労働者はみんなやめているだろう。事実フリーライターの供給が細って、雑誌業界は困っているという。当たり前だ。この原稿料では、月100枚書いても50万円にしかならない。

このように出版社が著者を搾取できるのは、出版の最終的な決定権を出版社がもっているからだ。契約による報酬を払いきったあとの利潤(あるいは損失)をとる権利を残余コントロール権とよび、これを誰がもつかによってガバナンスの構造が決まる。現在の出版業界は、出版社と取次がコントロール権をもって在庫リスクも利潤もとる委託販売だから、小売店と著者にはリスクもないがリターンも少ない。

こういう構造はかなり特殊で、アメリカの場合には出版エージェントが著者の代理人として版元と交渉し、一番いい条件を出した社と契約する。報酬の形態も、前金でもらったり、ハードカバーとペーパーバックで著者の取り分が変わったりさまざまだ。しかし日本で印税の交渉なんかしたら「金に汚い」などと業界で噂になって、仕事が来なくなるだろう。

KindleやiPadが日本でも普及したら、この構造は変わる可能性がある。実質的に新規参入を禁止している取次のカルテルが崩れ、著者に最大70%還元する版元が出てくるからだ。出版業界の最大の重荷である返品のリスクもなくなるので、電子出版専業の会社は既存の出版社に比べてはるかに身軽で、リスクが小さい。

最大の変化は、こうした新しい業者は紙の本のような大きな固定費をもたないので、コントロール権をもつ必要がないということだ。不可欠な人的資本をもつ側がコントロール権をもつことが効率的だから、著者が利益の分配をコントロールする自費出版が増え、これを一定率の手数料でサポートする直接金融型の出版エージェントが出てくるだろう。もちろんリスクを取りたくない著者は、従来の間接金融型でやればよい。

このように仲介機関を「中抜き」してユーザーがネットワークをコントロールするend-to-endの構造は、インターネットの誕生以来のものだが、その構造変化が出版の世界にも及ぶわけだ。過渡的には、紙の本を電子化するビジネスがメインだろうが、最終的には「電子書籍」である必要もない。ワインバーガーのいうように、知識を系統的に整理する書籍という形式は崩壊し、すべての媒体はパンフレットになるかもしれない。

これは従来の出版社にとっては災難だが、読者と著者とベンチャー企業にとってはいいニュースである。ウェブではすべての情報がタダになってしまうが、「本」には金を払う習慣があるからだ。ウェブより(キャリアが課金代行する)携帯のほうがビジネスが成り立ちやすいのと同様に、これから携帯サイトのような新しいビジネスが一挙に出てくるだろう。「アゴラ」でも、電子出版をテーマにしたセミナーとシンポジウムを3月に開く予定である。

検察は「暴走」したのか

ネット上には、検察や記者クラブを批判して「反権力」を気取る手合いが多いようだが、ネット世論のいい加減さはマスコミ以上だ。たとえば上杉隆氏は「日本は推定無罪の原則を持つ法治国家であるはずだ。だが、いまやそれは有名無実化している。実際は、検察官僚と司法記者クラブが横暴を奮う恐怖国家と化している」と検察とマスコミを攻撃しているが、小沢氏を有罪と推定したメディアなんか存在しない。問われているのは刑事責任ではなく、政治責任である。胆沢ダムをめぐる談合の仕切りが収賄罪に問えなくても、政治的に責任がないわけではない。

むしろ小沢氏以外の政治家のスキャンダルが闇に葬られてきたことが問題なのだ。大物政治家の事件は、2004年の日歯連事件以来6年ぶりだが、これは一審では無罪判決が出て批判を浴びた(最高裁では有罪)。判決も指摘する通り、このときの「本筋」は自民党の元宿事務局長だったが、彼を逮捕すると「自民党の政治家の半分ぐらい逮捕しなければならない」という政治的配慮で、無関係な村岡兼造氏がスケープゴートにされた。

検察が政治家の疑惑を立件できなくなったのは、贈収賄が巧妙になり、裏金を「洗浄」して表の金にする操作が発達したためだ。こうしたテクニックを高度に駆使したのが小沢氏であり、本筋の収賄で立件することはもともと不可能だった。したがって政治資金規正法という「形式犯」でやらざるをえなかったのだ。堀田力氏はこう説明している:
贈収賄事件を立件できる可能性は、20件に1件程度だろう。贈収賄の立件ばかりに頼っていたのでは、いつまでたっても政治とカネの問題はきれいにならない。だから、ザル法と言われた政治資金規正法の改正を進め、カネの出所を明らかにし、贈収賄を未然に防ぐ堤防の役割を託したのだ。[・・・]隠したくなるような類の政治資金を授受するのはやめてくれ、というのが政治資金規正法の趣旨だ。政治資金の透明化を図る決め手の法律なのだ。それを形式犯に過ぎないと批判するのは、筋違いで詭弁だ。
日本の検察はこうしたハンディキャップを背負っているため、政治家との闘いは非常に困難でリスクが大きい。今回も「小沢一郎」と「小澤一郎」の署名がある偽装融資の文書というれっきとした証拠があるのに、最高検は政治的配慮で起訴を見送ってしまった。批判されるべきなのは、結果として不起訴になったことではなく、証拠があるのに裁判で争わない最高検の姿勢である。

公平に見て、今回の事件の捜査は日歯連に比べればまともだったと思う。メディアの報道も、新聞より「小沢逮捕」を毎週のように連発した週刊現代やワイドショーのほうが悪質な人権侵害だ。もちろん検察の暴走はよくないが、公共事業の「箇所づけ」で自民党のような利益誘導に回帰している民主党の暴走のほうが深刻な問題であり、その司令塔が小沢氏だ。何が「巨悪」かを見誤ってはならない。

アンチ・パテントへの転換?

Economistによれば、アメリカの連邦最高裁はビジネスプロセス特許に歯止めをかける決定を行なうそうだ。1998年にハブ&スポーク特許が成立して以来、続いてきた愚かな特許戦争が、ようやく終結するわけだ。

特許の数を増やすことがイノベーションだと思い込んでいる人がいるが、両者は無関係である。日本企業の取得した特許は人口比では世界一だが、ほとんどが死蔵されてイノベーションに結びついていない。経済学の実証研究でも、企業が競争優位を守るために使う手段としてもっとも重要なのは、速く開発することによるリードタイムや企業秘密で、特許はほとんど重視されていない。

理論的にも、Boldrin-Levineの示すように、特許や著作権は過去の技術を使った累積的な研究開発を阻害し、イノベーションには負の効果を及ぼす。かつて技術は大企業が巨額の投資を長期間おこなって開発するものだったが、現代の技術開発の大部分を占めるソフトウェアにおいては設備投資はほとんど無視でき、ネット上のコラボレーションが重要になる。「知的財産権」によって技術を囲い込むことは、独占価格で固定費を回収する効果よりコラボレーションを阻害する悪影響のほうが大きい。

特許は薬品のように固定費の大きい分野ではまだ有効だが、半導体ではもはやクロス・ライセンスの交渉材料として使われるだけで、むしろ既存企業のカルテルを促進して参入を阻害している。ビジネスプロセスに至っては、弁護士以外の誰の得にもならない。

アメリカは共和党政権ではプロ・パテントに、民主党政権ではアンチ・パテントに振れるサイクルを繰り返してきた。現在のプロ・パテントの流れはレーガン政権以来のものだが、30年ぶりにアンチ・パテントの方向に振れ始めたようだ。何かにつけてアメリカのまねをする特許庁や文科省の官僚諸氏も、ぜひこれはまねてほしい。

法と経済学

法と経済学アメリカで「法と経済学」のスタンダードになっているShavellの教科書の邦訳が出た。880ページという分量と9765円という値段は、研究者以外にはきびしいと思うが、内容はそれほどテクニカルではない。いい加減な教科書を何冊も読むより本書をちゃんと読めば、法学と経済学のフロンティアが理解できる。

法学プロパーの部分はアメリカに固有の制度の解説が多くて退屈だが、本書の白眉は「情報の財産権」を論じた第7章だろう。著者は「知的財産権」という言葉を避け、そもそも情報に財産権を設定すべきかという問題から出発する。特に彼のオリジナルな業績である報奨制度など、特許や著作権に代わる制度設計を検討している部分は、「権利強化」ばかりやろうとしている文科省の官僚には読んでほしいものだ。

著者も論じているように、情報利用の効率性とインセンティブは分離可能なので、理論的には、包括ライセンスや「コンテンツ税」など、特許や著作権より効率的な制度は可能である。しかしそれを実施するには、政府の特許買い取りなどのenforcementがどうしても不可欠だ。このため本書と並ぶ教科書であるLandes-Posnerは、報奨などの「集権的制度」を否定している。

デジタル技術革新はほとんど飽和してきたが、「知財」の分野は300年前の制度が残っている。さらに著作権保護期間の延長など状況はさらに悪化しているが、ベルヌ条約など現実の制度の硬直性を考えると、抜本改正は向こう50年ぐらいは無理かもしれない。ただ日本ローカルな改正は可能なので、たとえば「著作権特区」のような特例法でコンテンツ流通を促進することはできる。しかし首相が「著作権の保護期間を死後70年に延長するために最大限努力する」などと約束する鳩山政権では、改革は絶望的である。

田中=小沢型政治の罪

小沢一郎氏が不起訴になったのは、最高検の政治的判断だったようだ。これは検察の組織防衛上はやむをえないのかもしれないが、以前の記事でも書いたように、捜査当局が容疑を裁判で争わないで事前に「さばく」ことで闇に葬ってしまうのは、司法の原則に照らすと疑問が残る。裁判で堂々と争うべきではなかったか。

ただ経済学的には、「政治とカネ」の問題はそれほど本質的ではない。民主主義の根本的な欠陥は、1人1票で決める制度がフリーライダーを生んでしまうことにある。1票によって選挙結果を変えることは不可能なので、当選した政治家を買収することが合理的な戦略になるのだ。この場合、贈賄のような危ない橋を渡る必要はなく、特定郵便局長会や連合のような組織票で政策を買うのが合理的である。今では水谷建設のような古典的な贈賄は珍しい。

小沢氏は、田中角栄から利益誘導の政治手法を受け継いだ。特に政府のカネを地方にばらまき、その受益者である土建業者の資金と票を選挙に利用するのが田中の開発した手法だ。これは1960年代までは一定の有効性があった。公共事業の配分には大きな利害がからむため、官僚機構でやると非常に時間がかかる。それを田中は、賄賂という「市場メカニズム」で効率的に処理したのだ。その典型が電波利権である。きょうの国会で自民党が問題にした「箇所づけ」も、田中的な政治手法の典型だ。

このように徹底的に業界の個別利益に迎合するのが、田中に学んだ小沢氏の政治手法であり、それが一時期までは有効だったことは確かだろう。しかしそういう小さな政治は、本当に今も有効なのだろうか。現代の有権者のほとんどは、そういう特殊権益とは無関係である。菅原琢氏は、郵政選挙で小泉首相を勝利させたのは、既得権に迎合する小さな政治を拒否する国民の意思だったと分析している。

田中型の土建政治の最大の欠陥は、こうした政治手法ではなく、その結果である。人口の流出する地方を救うため、田中は中央のカネを地方に再分配するシステムをつくったが、これによって人口の都市集中が止まり、成長も止まった。経済成長の重要なメカニズムである労働人口の増加(都市集中)を抑制したことで、結果的に田中は分配すべき所得も減らしてしまったのだ。

日本経済を建て直すために必要なのは、田中以来つづいてきた「国土の均衡ある発展」を求める政策をやめ、労働人口を都市に集中することだ。小沢氏の継承した田中型政治の最大の弊害は、都市化の流れを止めたことにある。こうした土建政治と決別し、大きな政治を取り戻すことが日本の課題だろう。

アゴラ起業塾 小谷まなぶ「中国ビジネスのむずかしさとおもしろさ」

中国は今年、日本を抜いて世界第2の経済大国になります。自動車の販売台数では世界一になり、世界の消費増の半分を占めるなど、市場としても世界最大規模になりつつあります。他方で外貨制限がきびしく、言論統制が強いなど、先進国では考えられない障壁も多く、何も知らない人がビジネスを行うにはリスクの大きい国です。

2月のアゴラ起業塾では、上海で14年間、貿易会社を経営して多くの日本企業のビジネスをサポートしてこられた小谷まなぶさんに、中国経済の勢い、その特殊性、そして中国で起業したりビジネスを行ったりする際の注意点を話していただき、日本のベンチャーにも中国の元気をもらいたいと思います。

講師:日時:2月23日(火)18:00 開場18:30 開演
会場:情報オアシス神田
主催:アゴラ起業塾実行委員会
定員:100名(先着順で締め切ります)
入場料:7000円(懇親会費込み)学生は4000円(当日学生証をお持ちください)

講演 18:30~20:00 小谷まなぶ(SFE貿易 代表)
   司会:池田信夫(アゴラ編集長)
懇親会20:10~21:00(食事・飲み物を用意しています)

申し込みは申し込みフォームからどうぞ。

マスコミの「立件バイアス」

きょうは「検察が週刊朝日に出頭要請した」とかいうガセネタがツイッターをにぎわした。今のところ、この話で当事者に取材した報道はJ-CASTニュースだけだが、それによれば特捜部が週刊朝日の編集部に抗議のFAXを送ってきただけだ。朝日新聞東京本社も同様の事実を確認している。

こういう噂があとを絶たないのは、検察取材をしたことのない上杉隆氏が「検察がマスコミを自由自在に操っている」と思っているからだろうが、事実は逆だ。マスコミにとっても事件報道はベンチャー投資のようなもので、100のうち1も報道できない。NHKにはグリコ=森永事件について部屋いっぱいの資料があり、NHKスペシャルまで編集したが放送しなかった。犯人と目された人物の逮捕を警察が見送ったからだ。

もちろんこれは人権を考えれば当然だが、政治家や公人に疑惑がある場合には「疑わしきは報道する」のが原則だ。しかし政治家は人権を楯にとってすぐ訴訟を起こすので、調査報道はきわめて困難になり、「検察によると」というクレジットがなければ報道できない。いま新聞が報道している胆沢ダムの疑惑は、ずっと前から鹿島にからんで怪文書の出ていた話だが、上杉氏と違って新聞は怪文書や伝聞で書くわけにはいかない。訴えられた場合の「逃げ」として検察を使っている場合も多い。

政治家にも人権はあるので、それを尊重する必要はある。しかしこのようにマスコミが極端にrisk-averseになると、調査報道は不可能になる。ロッキード事件は明らかに中曽根=児玉ルートが本筋だったが、民間航空機の田中=丸紅ルートだけがスケープゴートにされた。このとき新聞は中曽根についてかなり思い切った報道をしたが、今ならすべて圧殺されるだろう。立件されていない政治家の疑惑を報道することは、今は許されないからだ。

私の経験からいうと、問題はマスコミが事件を過剰に報道することではなく、「お上」のクレジットなしに報道しなくなったことだ。新聞が独自に疑獄事件を発掘したのは、20年以上前のリクルート事件が最後である。自分だけ責任を負いたくないから、どんなにあやしくても強制捜査が行われるまでは報道せず、逮捕された途端に報道が集中し、あることないこと書き立てる立件バイアスがあるのだ。これは記者クラブだけでなく、週刊誌やワイドショーも同じである。マスコミが衰退していることは事実だが、問題は彼らの報道することより報道しないことの中にある。

ニューケインジアン・フィリップス曲線

アメリカ人の66%が天地創造を信じていると聞いて日本人は笑うだろうが、日本にも似たような人々は多い。たとえばけさの日経新聞に「量的緩和でもマネー回らず」という記事が出ている。本紙では「実体経済への効果はみえず、大量のマネーは短期金融市場にとどまったままだ。昨年12月の全国銀行の貸出残高(月中平均)は4年ぶりに減少に転じた」と書いている。しかし、これを読んでもリフレ派はこう答えるだろう:
さて、この処方箋は簡単だ。インフレ期待を起こせばいい。これほど簡単なことはない。日本銀行がお金をいっぱい刷り、これからも当分そうしますよ、といえばいい。いままでの日銀による金融緩和は、お金はとりあえず刷るけれどすぐやめますからね、と言い続けていたのでインフレ期待はまったく上がらなかったのだ。
「お金を刷る」のは日銀ではなく国立印刷局なのだが、まぁそれはいいとしよう。山形浩生氏は、量的緩和がきかないのは日銀の気合いが足りないからで、白川総裁が「絶対インフレにするぞ!」と宣言して緩和すればきくと主張するわけだ。

これを厳密に考えてみよう。Galiの標準的な定式化では、t期の物価上昇率πtは次のようになる:

 πt=απet+1+βyt

ここでα、βは定数、πet+1はt+1期の物価上昇率についての予想、ytはt期のGDPギャップである。この式をニューケインジアン・フィリップス曲線と呼ぶ。これは景気(GDPギャップ)とインフレの関係を動学的に示したものだが、初等マクロのフィリップス曲線とは別の理論である。

ここで重要な条件は、πeが将来の経済についてのforward-lookingな予想で、長期的な均衡状態では現実と一致することだ。合理的な代表的個人が永遠の将来にわたるインフレを予想すれば、一時的にytがマイナスになっても右辺はプラスになる。

だからすべての個人が永遠の将来についての合理的予想をもち、日銀が永遠に金融緩和にコミットすれば、人為的にインフレを起こすことができる。これが日銀の実験した「時間軸政策」だが、インフレは起こらなかった。

これについては植田和男氏が実証研究で示しているが、実際の経済主体はbackward-lookingに予想を形成しており、日銀の金融政策についてもほとんどの人は知らない。つまりforward-lookingな予想を形成する基礎データさえ持っていないのだ・・・と説明しても、リフレ教の信者は「日銀理論だ」と否定するだろう。「神の存在を否定する人々のやった実験など信用できない」という原理主義者と同じだ。

このような問題は、科学哲学でデュエム=クワイン・テーゼとして知られている。すべての仮説は補助仮説を付け加えれば反証できない。たとえば天動説も、惑星の数だけ「補助仮説」をつければ成り立つ。リフレ説も「日銀に根性がない場合にはインフレは起こらない」という補助仮説を付け加えれば、反証できない。天地創造やリフレのような「バカの壁」は論理によって崩せないので、相手にしないのが最善の策である。

グローバルなデフレ圧力*

デフレとインフレの経済学―グローバル化時代の物価変動と日本経済先日紹介した生産性格差デフレは、国際マクロではBalassa-Samuelson効果として知られている。本書の中心部分はこの効果を実証的に検証したもので、ディスカッションペーパーとして公開されている。B-S仮説は、次のような方程式であらわされる:

P=(αntt-θn

ここでtは貿易財を示す添字、nは非貿易財を示す添字、 Pは非貿易財の貿易財に対する相対価格の変化率、αは労働分配率、θは生産性上昇率である。一般に貿易財部門の労働分配率(αt)は、非貿易財部門の労働分配率(αn)より小さいため、グローバル化によって貿易財の価格が一物一価に収斂すると、貿易財の生産性上昇率が非貿易財より高い国では非貿易財の相対価格が上昇するというのが、この仮説の含意である。これを各国の統計で検証した結果、次の図1のように日本(JPN)は生産性格差も相対価格変化率も高く、トレンドにほぼ沿っている。

balassa

さらに所得が高い国では貿易財の生産性上昇率は高いと考えられるので、非貿易財の物価も上がり、全体として物価が高くなると推定される。これを検証した結果が、図7である。これを見ると、一人あたりGDPと物価水準に強い相関(決定係数0.7前後)がみられるが、日本の物価はトレンドより飛び抜けて高い。これは生産性の低い非製造業の価格調整が遅れていることが原因と考えられる。よく「新興国との価格競争がデフレの原因なら、日本以外の国もデフレになるはずだ」という話があるが、日本だけデフレになる原因は構造調整の遅れにあるのだ。

balassa2

物価が高い原因は非貿易財の相対価格が高いことだから、これは貿易財の価格が世界的に上がっているときは世界的なインフレをまねくが、90年代以降のdisinflationによって貿易財の価格が新興国との競争で下がってゆく場合は、世界的なデフレが生じ、その結果、労働市場での賃金の均等化を通じて国内物価にも下降圧力がかかることになる。

浜矩子氏のいう「ユニクロ型デフレ」は、このようなグローバルな相対価格の変化が原因だから、問題はユニクロが安いことではなく、それ以外の店が高すぎることなのだ。非貿易財が世界のトレンドより割高であるかぎり、その鞘をとって価格競争を挑む企業は出てくる。その結果、サービス業の価格は下がり、消費者の実質所得は増える。

いま日本経済の直面している最大の構造変化は、このような新興国の世界市場への登場による「価格革命」である。この傾向は、先日も紹介した実質金利の均等化とも関連しており、グローバルな一物一価に収斂する傾向が実物面でも金融面でも強まっている。その結果、価格も賃金も国際水準に鞘寄せされて下降するが、これは重力の法則と同じで避けられない(避ける方法は保護主義しかない)。

この巨大なデフレ圧力の中では、「デフレを止めよ」というのは「重力による落下を止めよ」というに等しく、金融政策は役に立たない。このトレンドを緩和する対策は、生産性格差を縮めることしかない。非貿易財やサービス業の生産性が上がれば需要は増え、多くの労働人口を吸収できよう。鳩山内閣も「いのち」がどうとかという内容空疎な作文ではなく、このむずかしい問題に取り組んでほしいものだ。

愚劣な議論の3等級

このごろ当ブログもツイッターのまとめ記事みたいになってきたが、きょうの渡辺安虎氏からのRTには驚いた。
民主党の国体はこんな勉強会してるんですね。日本の危機は深刻ですね。RT @shuheikishimoto 今から、慶應大学の金子勝教授の講演会。国対委員会の勉強会。最近、民主党批判をされていますが、知的に一貫性のある方ですね。
岸本周平氏は、私の経済産業研究所のときの同僚である。「ITゼネコン」という言葉をつくったのは彼で、そのあと民主党から選挙に出て、昨年の総選挙で当選した。元官僚としてはまともなほうだと思っていたのだが、マル経を勉強会に呼んで「知的に一貫性のある方」と賞賛するとはあきれた話だ。経済政策にくだらない議論は多いが、それにも等級がある。
  1. リフレ派
  2. バラマキ財政派
  3. マルクス派
このうちリフレ派はまだ論理的な議論の対象になるが、今回の危機で元祖のバーナンキを初めとする世界の中央銀行がまったく人為的インフレ政策を取らなかったことで、論争には決着がついた。「財政赤字はフィクションだ」と主張するバラマキ財政派は、普通の経済学者には皆無だが、2ちゃんねるなどにはまだ棲息しているらしい。自民党は参院比例区の候補にバラマキ派の三橋某を公認したが、これで彼らの自滅が早まるなら慶賀すべきことだろう。

最低のマルクス派はとっくに死滅したと思っていたが、民主党には菅直人氏を初めとして社会主義者がまだ生き残っているようだ。岸本氏にはまだ将来があるのだから知っておいたほうがいいと思うが、「ゲーム理論の前提となる契約理論」とか「プレーヤー同士がお互い情報を完全に知りえないという情報の非対称」などと書く人物に話を聞いて「勉強」しても、まともな政策は絶対に立案できない。こういう社会主義の亡霊を清算することが民主党の課題だ。たしかに日本の危機は深刻である。


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