NTTとNHKの止まった時計

通信・放送懇談会では、NTTの経営形態について「2010年には、通信関係法制の抜本的な見直しを行う」と提言したのに対し、自民党の通信・放送産業高度化小委員会(片山虎之助委員長)では「2010年から見直す」としていたNTT再々編問題は、竹中氏と片山氏との会談で、「2010年の時点で検討を行う」という表現で実質的に先送りされた。

こういう結果は、当ブログでも予想したとおりだ。あらためて痛感するのは、NTTを特殊会社として規制する法律の弊害である。現在の経営形態が、インターネット時代にそぐわないことは明らかだが、NTT法を変えようとすると、法律を改正する作業だけで3年ぐらいかかる。2010年に改正しようと思えば、今から審議会の議題にしないと間に合わない。2010年になってから検討したのでは、改正NTT法を施行するのは2015年ぐらいになるだろう。そのころには、今とはまったく違う通信技術が登場しているかもしれない。これでは永遠にいたちごっこだ。

他方NTTは、法律を改正すると、必ず「完全分割」論が出てきて不利な方向になると思っているから、今の経営形態がいかに窮屈でも、NTT法を変えてくれとはいわず、現在の法律のなかで換骨奪胎をはかっている。これは改革を迫る側も悪い。今回、規制改革会議や通信・放送懇談会で出てきた「NTT各社の資本分離」というのは、1982年に第2臨調が出した答申そのままだ。今の企業の境界に問題があるのに、その境界にそって資本分離せよという議論は理解できない。要するに、攻める側も守る側も、第2臨調以来の24年間、時計が止まったままなのだ。

NHKについては、「3波削減」のうちFMに反対論が出て、対象はBSの2波だけになったようだ。そのうち1波(BSハイビジョン)は、2011年に停波することが決まっているので、実質的には1波削減だが、それも「検討の対象とする」だけ(霞ヶ関語では何もしないということ)。受信料の支払い義務化は、08年度から導入されることが決まったようだが、義務化だけしても収納率は上がらない。罰則の導入は不可避だろう。

情報通信コストが下がり続けているなかで、受信料の値上げがもう不可能だということは、島桂次会長の時代からわかっていたことだ。島は「受信料に依存している限り、NHKの経営には限界がある」として、最終的にはMICOという孫会社を中心にしてNHKグループ全体を民営化する構想をもっていた。しかし1991年に彼が失脚して、こうした改革は白紙に戻されてしまった。その後の15年間(海老沢時代)は、たまたまBS受信料によって実質的に値上げできたため、改革は何も行われず、NHKの時計も止まったままだ。

インターネット時代の環境変化は、この古い時計を揺さぶっているが、今回もまた針を現在時刻に合わせる作業は失敗に終わった。もう時計を取り替えるしかない。3年で4倍という速度で技術革新が起こっている情報通信業界の中心的な企業を、改正の作業だけで3年以上かかる法律で規制するしくみが間違っているのである。NTT法の改正ではなく廃止を明示的な目標にし、そのために何が必要かを考えるべきだ。時計の針を戦前のような国営放送に戻そうとしているNHKに至っては、何をかいわんやである。

デジタル時代を拒否するNHK

NHKの不祥事を受けてつくられた「デジタル時代のNHK懇談会」の最終報告書が出た。いくつもの審議会を兼務する御用学者と御用文化人を集めた懇談会には、もともと何も期待していなかったが、この報告書は、その予想をさらに下回るものだ。公共放送がなぜ必要かという部分では、こう書かれている:
公共的性格を備える放送を産業振興策や政争の具に使ってはならない。近年の放送と通信の接近を、公共性を旨とする放送の本質や使命の変化と見誤ってはならない。誰もが安価に参加しうる番組の制作と送出は、情報と文化の質的低下を招きかねず、視聴者ニーズを個別に把握する双方向技術は、商業主義の過剰な浸透につながりかねない。NHKは、技術的物珍しさや短期的収益性に惑わされることなく、民主主義社会のインフラとしての役割を果たすとともに、より確かな放送技術や番組・放送サービスの開発と普及を使命とすべきである。
通信と放送の融合は「産業振興策」(?)であり、インターネットは「技術的に物珍しい」だけで「商業主義の過剰な浸透」をまねくという。このように市場経済を蔑視し、「公共放送」がいつまでもメディアの中心だというのが「デジタル時代」への認識なのだから、恐れ入る。ところが最後の提言には、こう書かれている:
NHKが保有する番組アーカイブスの公開等、インターネットの積極的活用を進めるため、経費負担や著作権処理のあり方やNHKの業務範囲についての再検討が求められる。視聴者の声を汲み上げるためのブログ等の活用やそれとの交流も押し進めるべきである。
インターネットは「短期的収益性」を求めるもので、ブログのような誰もが安価に参加しうるメディアは「情報と文化の質的低下」をまねくんじゃなかったっけ? ここには、インターネットに対応して業務を再編することは拒むが、もうけになる部分だけはつまみ食いしたいという卑しいダブル・スタンダードがある。1年も懇談会をやって、出てくる提言が「視聴者第一主義」とか「組織統治の明確化」といったお題目ばかりで、業務も組織も変えないという以外の具体策は何も書かれていない。

こんな無内容な諮問機関は、今どき霞ヶ関にもみられない。総務省の通信・放送懇談会の報告書にも、チャンネルの削減とか受信料の値下げとか、それなりに目玉をつくろうという努力がみられた。ところが、このNHK懇談会では、チャンネルの削減も拒否し、受信料の支払い義務化を条件つきで容認しているところまで、NHK経営陣の見解のカーボンコピーだ。これを起草したのは、座長代行の長谷部恭男氏(東大教授)だといわれるが、彼はNHKべったりの御用学者として業界では有名だ。この報告書は、NHKがジャーナリズムとしていかに衰退したかを示す点では有益だろう。

追記:古川享氏が、この報告書について怒りのコメントをしている。別に私は答える立場にはないが、調達については、I通信機などには多くのOBが天下りしているので、他のメーカーと競争する民生品市場では安く売り、随意契約の「NHK価格」で利益を確保するしくみになっている。同様のからくりは、美術センターなどNHKの子会社にもよくある。タクシー代については、松原聡氏も「NHKのタクシー・ハイヤー代は月4億円で、霞ヶ関の全官庁に匹敵する」と『朝生』で怒っていたが、これでも昔に比べたら激減したんですよ・・・

第4次竹中バッシング

竹中平蔵氏が、16日の朝日新聞のインタビューで、「今は第4次竹中バッシングだ」と語っている。第1次は最初の骨太の方針を作るとき、第2次は金融改革、第3次は郵政改革のときだったという。

しかし今までと違うのは、彼が経済財政諮問会議という武器をもっていないことだ。郵政民営化とともに総務相に横滑りし、その実施にあたろうという彼のねらいは裏目に出て、彼が担当相からはずれたとたんに諮問会議は自民党と財務省に乗っ取られてしまった。今度の通信・放送懇談会の結論も、自民党がOKしないと、骨太の方針に入れることができない。2002年に、不良債権処理の「竹中プラン」が、官僚と業界の大反対のなかで強引に実施されたのとは大違いだ。

竹中氏は、5年間の小泉政権でずっと閣僚だった唯一の人物である。小泉改革は「竹中改革」だったといってもいいぐらいだ。テレビでしゃべるのがうまいだけの「タレント学者」だと思われていた彼が、予想以上に力を発揮したのは、官邸の後ろ盾と諮問会議という「エンジン」があったからだが、彼がいなくなったとたんに、昔ながらの族議員と官僚の談合が復活した。彼も「諮問会議は、アリーナ(会議場)になってしまった」という。

彼のいうように、小泉政権というのは、自民党政権のなかで突如として新自由主義的な改革が出現した「奇跡」だったのかもしれないが、それも9月で終わりだ。「小泉改革の継承」を掲げる安倍晋三氏が首相になったとしても、昔に戻った意思決定メカニズムのもとでは、思い切った改革はできないだろう。竹中氏も、9月以降の情勢については「非常に悲観している」という。彼は、政権交代とともに政界を去るのではないか。実は、慶応大学(総合政策学部)には、彼の籍はまだあるのだ。

「複雑ネットワーク」とは何か

「複雑ネットワーク」とは何か―複雑な関係を読み解く新しいアプローチ

増田直紀・今野紀雄

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インターネットでおなじみの「ロングテール」は、数学的にいうと、ベキ法則、y=x-kに従うものである。この分布は一般の社会にも多く、たとえば英語に出てくる単語の数は、theを左上の頂点とし、ほとんど使われない単語を裾野とするロングテールになる。また所得の分布も、少数の金持ちと大多数の貧乏人(ロングテール)にわかれるという事実は、19世紀にパレートが発見し、ベキ分布は「パレート分布」とも呼ばれる。

バラバシは、これを「スケールフリー・ネットワーク」と名づけ、なぜこういう分布が出現するかをグラフ理論を使って明らかにした。それは簡単にいうと、ネットワークが成長するとき、リンクの多い「ハブ」ほど多くの新しいリンクが張られる「優先的選択」によって拡大するためだ。したがってウェブも、インターネット(ルータの接続)も、mixiもスケールフリー・ネットワークになる。また、当ブログでも前に紹介した「スモールワールド・ネットワーク」も、グラフ理論で説明できる。伝染病の感染経路や脳のニューロンの結合が、このタイプだといわれている。

こうしたモデルを使えば、「ネットワーク外部性」や「モジュール化」などの経済現象も説明できるかもしれない。ただ本書は入門書なので、実用的な教科書を求める読者には、同じ著者の『複雑ネットワークの科学』のほうがいいだろう。最近、原論文を集めたリーディングスも出たが、初心者向きではない。

ビル・ゲイツの第2の人生

ビル・ゲイツがマイクロソフトの経営から身を引くという発表は、世界を驚かせたが、業界では「時間の問題」とみられていたようだ。たしかに、総資産290億ドル、ロックフェラー財団の10倍という史上最大の基金を運用する仕事は、マイクロソフトの経営に劣らずむずかしいだろう(ちなみに、株式を含むゲイツの総資産は500億ドルといわれている)。

社会貢献の世界で、ゲイツ財団の評価は高い。特に感染症の研究への援助は、この分野で最大であるばかりでなく、世界の関心を感染症に向けたという意味でも、大きな役割を果たした(サックスも高く評価している)。また従来の社会貢献が、恣意的にいろいろな分野に金を配っていたのに対し、ゲイツ財団は、マイクロソフトのように寄付の成果を評価し、効果の高い分野に重点的に資金を配分した点で「企業家的」だという。

金も地位も手に入れたゲイツにとって、最後にほしいものは名誉だろう。それはTime誌の表紙を飾るだけではなく、おそらくノーベル平和賞が彼の究極の目的ではないか。

村上無罪説

「インサイダー板」では議論が続いているが、問題は日銀総裁など政財界に広がる様相を見せてきた。しかし、今週のAERAで大鹿記者が指摘するように、今回の捜査はライブドア関係者、特に宮内氏の供述に依存しており、証拠は意外に弱い。しかも村上氏が「聞いちゃった」という04年11月8日には、宮内氏は平社員だった(!)というのだから、「機関決定もしくは代表者の発言」というインサイダー取引の要件も満たさない。

だから本筋はインサイダー取引ではなく、村上氏がニッポン放送株の「はめこみ」をねらってライブドアに買収を持ちかけた一連の行動を罪に問えるかどうかだろう。しかし、これは彼がライブドアをインサイダーに引っ張り込んだ「逆インサイダー取引」ともいうべきもので、証取法には該当する条文が見当たらない。検察は、証取法157条1項の「不正の手段、計画又は技巧」を適用するしかないと考えているようだが、落合洋司氏によれば、この規定は、あまりにも包括的であるため、ほとんど適用例のない「伝家の宝刀」だという。

たしかに条文には、有価証券の取引について「不正の手段、計画又は技巧をすること」をしてはならない、としか書いてない。現代の複雑な金融取引の世界では、意図せずに違法行為を犯してしまうリスクが大きいので、何が違法かについての予測可能性が必要である。法律が急速な技術革新に追いつかないからといって「悪いものは悪い」みたいな規定で一網打尽にするのは、罪刑法定主義の原則からいっても問題が多い。

逆にいうと検察も、今回の村上氏の一連の行動で、インサイダー取引以外に具体的な容疑は固めていないわけだ。しかも大鹿記者によれば、実際にも村上氏が04年の11~12月に大量にニッポン放送株を取得したのは、フジテレビのTOBを期待していたからであって、ライブドアはそのころ彼が「N社について」という企画書を持ち込んだ先の一つにすぎない。ライブドアが本格的にニッポン放送株を買い始めるのは、05年1月28日以降である。

検察は「村上主犯・ライブドア共犯」の筋書きを書いているようだが、公判で村上氏があくまでも「過失」を主張した場合、それを証拠で崩せるかどうかは心許ない。もしも彼が供述をひるがえして「宮内氏の発言はインサイダー情報ではなかった」と主張したら、無罪という結果もありうる。その意味では彼の記者会見は、巧妙な落とし穴を仕掛けた闘争宣言だったのかもしれない。

追記:「無罪説」が、いろいろなブログで話題になっている。阿部重夫氏は、証取法166条2項の4の「バスケット条項」を根拠にして、村上氏は有罪になると推定している。しかし第1に、166条は「会社関係者」を対象とする規定で、村上氏には適用できない。第2に、彼が「聞いちゃった」ことが証取法167条に抵触するという彼自身の解釈は、47th氏も指摘した(またこの記事でも書いた)ように、事実認定に無理がある。したがって適用するとすれば、157条の包括規定しかないだろう。この記事へのTBによれば、金融庁も157条を「積極活用し、機動的に摘発を進める」という方針だというから、これは不可能ではないようだが、そういう判例ができると、「不正の手段」の基準が曖昧で、しかも広範囲にわたるので、市場への萎縮効果は大きい。

ICPFセミナー 「Googleの考え方」

セミナー第11回 「Googleの考え方」

世界最大の検索エンジン、Googleについて、日本でも関心が高まっています。最近は、動画検索や地域検索など、新しいサービスを増やし、書籍をデータベース化するプロジェクトも始まっています。他方では、Googleを含めた米国産の検索エンジンに対抗して日本政府が「国産検索エンジン」をつくろうという話も出ています。

このように大きな注目を集めるGoogleですが、その実態はあまり知られていません。6月のICPF(情報通信政策フォーラム)セミナーでは、Google日本法人の村上社長をお招きして、Googleが何を考えているのか、どんな風に考えているのか、などGoogleの本当の姿について、お話をうかがいます。

スピーカー:村上憲郎(Google日本法人社長)
モデレーター:西和彦(ICPF代表)

日時:6月29日(木)18:30~20:30
場所:「情報オアシス神田」
    東京都千代田区神田多町2-4 第2滝ビル5F(地図

入場料:2000円
    ICPF会員は無料(会場で入会できます)

申し込みはinfo@icpf.jpまで電子メールで(先着順で締め切ります)

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情報通信政策フォーラム
http://www.icpf.jp

The Theory of Corporate Finance

The Theory of Corporate Finance

Jean Tirole

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著者のもとで博士課程にいた研究者の話によると、著者は「普通の人の10倍のスピードで仕事をする」そうだ。もちろん質も高く、彼の書いた産業組織論の教科書やFudenbergと共著のゲーム理論の教科書は、いずれも古典である。本書も、企業金融や企業統治の教科書の世界標準となるだろう。まだ第1章「企業統治」しか読んでないが、最近の出来事と少し関連がありそうなので、紹介しておく(一部は版元のホームページからダウンロードできる)。

著者の立場は、いかにして企業価値を最大化し、それを株主に還元させるかという「狭い意味での企業統治」を論じるものである。「ステークホルダー」とか「社会的責任」などの問題は、契約や法で解決すべきで、企業経営にそういう色々な利害関係者を入れると、利益相反が生じやすい。

経営者のモラル・ハザードを防ぐには、ストック・オプションのような形で株主と経営者の利害を共通にする方法と、モニタリングを強化する方法がある。メディアは、企業買収や企業犯罪の摘発を大きく扱うが、こうしたカラフルな出来事が企業統治に果たす役割は、限られたものである。むしろ最終財市場がガバナンスに果たす役割が大きく、業績の悪化した企業の経営者が追放される率は、日米独の3ヶ国でほとんど変わらない。

Shleiferなどの行った企業統治についての一連の大規模な実証研究によれば、「直接金融」か「間接金融」かといった違いは企業統治の効率に無関係で、もっとも重要なのは投資家の保護である。しかし、SOX法のようにモニタリングを極端に厳格化し、しかも広い範囲に重い刑事罰を課す政策は、バランスを欠いた過剰規制になるおそれが強い。投資家保護が重要だというのは事実だが、それは特定の企業をスケープゴートにすることによって実現するものではない。

インサイダー取引はなぜ犯罪なのか

株取引のサイトでは、村上ファンド事件について「なんでこれが大犯罪なのか?」という疑問が多い。兜町でも、ちょっと前までは、インサイダーがその情報でもうけるのは当たり前だった。日本でインサイダー取引が禁じられたのは、1988年である。世界的にみても、米国が1960年代からインサイダー取引を刑事訴追しているのは突出して早く、英国でも1986年、EUでは2002年に取り締まりを強化しようというEU指令が出た程度だ。

そもそも市場で利益を得るのは、定義によって他人よりすぐれた情報をもっているからである。それを得たら取引してはいけないとなると、投資家が多くの情報を得ようとするインセンティヴが失われてしまう。インサイダーが好材料にもとづいて株式を買えば、株価が上昇することによって、その情報は価格に織り込まれる。逆に悪い情報も、インサイダー情報にもとづいて株式を空売りできれば、内部告発者が真実を語るインセンティヴが生じる――とミルトン・フリードマンは論じている。

法の公平性という点からみても、不動産や商品市場にはインサイダー規制はない。たとえば大手ゼネコンがビルの建設用地を買収するときは、建設計画を隠して複数の地上げ屋に「底地買い」させるのが常識であり、罪には問われない。またインサイダー情報が正しいとも限らない。ライブドアがニッポン放送株を買収すると聞いて、村上氏が秘かに株を買ったあとで、ライブドアが株を売ってしまったら、村上氏は損するリスクがある。新薬の発表のような情報でも、正式発表までに(兜町の噂で)市場が織り込んでいるため、逆に株価が下がったりすることは珍しくない。証券取引の、しかも情報の出所が経営陣やTOBなどの場合に限って刑事罰が課されるのは、不公平ではないか。

インサイダー取引を規制するのは、多くの個人投資家の参加によって市場を活性化するためとされているが、そういう因果関係は証明されていない(*)。米国で規制がきびしいのは、市場規模が大きくなった原因ではなく、その結果である。60年代にインサイダー取引をめぐる訴訟が頻発したため、SECが取り締まりを強化したのである。逆に、行政が市場に強く介入することによって市場が萎縮する社会的コストも大きい。特に今回の事件のように、非公式の情報を聞いた後に当該株式の取引をしただけで刑事訴追されるとなれば、機関投資家の情報収集は大きく制約される。規制のコストと効果のどちらが大きいかはわからない。

私は、インサイダー情報がすみやかに開示されることは「効率的市場」が実現するために必要なので、それを開示する義務は負わせるべきだと思うが、それを利用した取引に刑事罰まで課す必要があるのかどうかは疑問だ。特に、市場の問題に検察が出てきて派手に摘発し、ライブドアのように生きている会社を殺してしまうのは、いかがなものか。証券取引等監視委員会の行政処分ぐらいでよいのではないか。それなのに、7日に成立した金融商品取引法では、違反行為は今より厳罰になってしまった。

追記:経済学者の標準的な意見では、「ナイーブな報道や映画や小説が描くのとは違って、インサイダー取引の功罪は、理論的にも実証的にも、よくわからない。現在の攻撃や規制の激しさは、その理解をはるかに超えている」。

追記2:10日の朝日新聞(朝刊15面)で、元東京地検検事の郷原信郎氏が、今回の事件の核心はインサイダー取引ではないと述べている。村上氏が最初からニッポン放送株の売り抜けをねらってライブドアに買収を持ちかけたとすれば、証取法157条1号の「不正の手段、計画又は技巧」にあたり、証取法のなかで最も罰則が重いそうだ。

(*)これはちょっとい言い過ぎだった。最近の実証研究のサーヴェイによれば、インサイダー取引を禁止している国では、投資家の集中度が低い(個人投資家が多い)。しかし、その効果は民事訴訟を容易にすることによるもので、SECのような公的機関による刑事罰の効果は有意ではない。

村上氏はなぜ嫌われるのか

逮捕される前の記者会見で、村上世彰氏は「なぜみんなが私を嫌うのか、それはむちゃくちゃ儲けたからですよ」といっていた。たしかに、合法的な投資であっても、彼のような貪欲な行動は嫌われる。それは先日も書いたように、日本だけではなく、米国でも同じだ。行動経済学の実験でも、人々の行動は、標準的な経済学の想定しているほど利己的ではない。他方、オープンソースのような「非営利」の行動は、道徳的に美しく感じられる。利己的な行動は醜く、利他的な行動は美しく見えるのは、なぜだろうか?

この種の問題の経済学的な説明としては、フランクの『オデッセウスの鎖:適応プログラムとしての感情』という本がある。その論理は、単純である:もしも人類が利己的な行動を美しいと思う遺伝子をもっていたら、人々は互いに殺しあって、とっくに滅亡していただろう。利他的な行動を美しいと思う感情が遺伝子に組み込まれている個体からなる群だけが生存競争に勝ち残ったのだ、というわけだ。

しかし進化論にくわしい人なら、この論理はおかしいと思うだろう。これは生物学では否定された「群淘汰」である。利他的な個体群のなかでは、利己的な個体は利他的な個体を食い物にして繁殖できるから、お人好しの共同体は進化的に安定ではない。進化は「利己的な遺伝子」(血縁淘汰)によって起こるのだ――というのが定説だが、これではやはり利他的な行動は説明できない。

最近では、これをさらにくつがえし、群淘汰を部分的に肯定する理論が登場した(Sober & Wilson, Unto Others)。その論理は簡単にいうと、群と群の間に闘争が起こると、団結の強い群が勝つ、ということだ。淘汰圧は、個体レベルだけではなく、群レベルでも、また細胞レベルでも働く。「利己的な細胞」を含む個体が生存できないのは自明だろう。人間の社会でも、たとえば戦友を助けて犠牲になる行為が美しく見えるのは、そういう利他的な感情で結ばれた軍隊が強いからだ。村上氏が嫌われるのは、人間の本能的な感情に逆らっているからなのである。






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