ウィキペディアのガバナンス

ウィキペディアの"Comfort women"をめぐる議論は、混迷が続いている。その最大の原因は、ほとんどの参加者が問題を理解しないで、孫引きの資料だけで議論しているからだ。ウィキペディアのルールによれば、問題の真偽を明らかにすることは目的ではなく、記述が最終的に「信頼できる情報源」にリンクできるかどうかが信頼性の定義なのだという。この信頼できる情報源は別途定義されていて、たとえばNYTやBBCは信頼できるが、ウィキペディアは信頼できない。

こういう形式主義は、ウィキペディアが仲間うちのメディアだったときはうまく行ったのかもしれない。編集合戦などの紛争を解決するとき、それが本当かどうかを議論していると泥沼になるからだ。しかし今回のように「信頼できる情報源」が信頼できないことが事実によって証明されたら、この手続き論は崩れてしまう。NYTもBBCも、ウィキペディアの定義では信頼できるが、それが事実に反することがオリジナルな史料で証明できるからだ。こういう場合、「オリジナルな研究は使うな」というウィキペディアのローカルルールは、正しい情報を棄却する結果になる。

これは実定法主義の陥りやすい罠である。それは内容が正しいかどうかは括弧に入れて、実定法に合致しているかどうかだけで正義を判断する一種のニヒリズムなので、もしもナチが合法的に権力をとって合法的にユダヤ人を殺しても、実定法主義では彼らを裁くことができない。実定法主義の元祖であるケルゼンは、ナチを結果的に弁護したとして批判を浴びた(その非難は公正とはいえないが)。

こういう形式主義は、もとはといえば数学の公理系のように無矛盾な体系として法律を構成しようとしたものだが、ゲーデルの定理にみられるように、実際には数学でさえ完全に自己完結的ではないし、まして社会科学では意味から独立した純然たる形式というのはありえない。そういう見せかけの無矛盾性を追求した新古典派経済学や生成文法などの「疑似科学」は、実証的に反証されてしまう。

しかもウィキペディアの実定法主義の有効性は、通常の法律よりさらに弱い。「信頼できる情報源だけにリンクせよ」というルールには、公権力の執行機関(H.L.A.ハートのいう「第2次ルール」)が欠如しているからだ。法律では、最終的に法に従わない者を社会から追放することによってルールを執行するが、ウィキペディアの場合にはルールを無視して書き込むのは自由だし、書き込みを禁止されても別の匿名IPで書けばいいだけのことだ。

要するに、ウィキペディアのガバナンスもオープンソースと同じく、参加者の善意に依存しているのである。これは関係者の利得関数が基本的には同じ向きになっている(協調ゲームになっている)ことを前提にしているので、ソフトウェアのコーディングには有効だが、信念の対立する政治的・宗教的な問題(たとえばNeoconservatismScientology)には必ずしも有効ではない。

つまり形式的なルールの有効性は、その中身である利害関係から独立ではないのである(*)。これまでインターネット上のルールが自生的秩序(ナッシュ均衡)として機能しているのは、利害が対立しない場合に限られる。知的財産権のように深刻な利害対立があると、そういうお気楽なルールは通用しないので、公権力の執行が必要になる。インターネットが「大人」になるには、世の中のいい面だけをみるのではなく、こうした面倒な問題を処理する権力の問題を考えることが避けられないだろう。

こういう問題も、今週のシンポジウムで議論したい。報道機関は、事前に「取材したい」とinfo@icpf.jpに申し入れていただけば、無料で招待します。

(*)専門的にいうと、社会的選択ルールをナッシュ均衡として実現するNash implementationが可能になる条件として、マスキン単調性という基準が知られている。非常に荒っぽくいえば、これは「ある選択ルールがメンバー全員の利益をつねに改善するならば、そのルールに従うことがナッシュ均衡になりうる」ということだ。たとえば全員がTCP/IPを採用することで利益を得られるなら、そういうプロトコルを全員が採用する合意が形成できるが、SNAのように利害が対立すると、自発的な合意(ナッシュ均衡)を形成することはできない。

Live at Massey Hall 1971

ニール・ヤングの「幻の最高傑作」としてとして知られる1971年のライブ盤。海賊盤でいろいろなバージョンが出回っているので内容はおなじみだが、やはりちゃんとした音で聞くと感銘を受ける(DVDつきの2枚組もあるが曲は同じ)。おそらくボブ・ディランの1966年のライブ、オールマン・ブラザーズのフィルモア・ライブと並ぶ、ロック史上最高のライブ盤だろう。

もともと、これはAfter the Gold Rushのあとにライブ録音で発売される予定だったが、あまりにもたくさん海賊盤が出回ったため中止され、それをスタジオで録音しなおしたのがHarvestである。しかし、これはライブのメインだった"Sugar Mountain"などの名曲が除かれてB級の曲に差し替えられ、"A Man Needs a Maid"などはオーケストラをつける過剰編曲で台なしになっている。

このアルバムでは、彼のベスト曲(残念ながら今聞いてもこのころがベスト)をギターとピアノだけでやっている。なかでも"A Man Needs a Maid/Heart of Gold Suite"は、この盤で初めて聞いたすばらしい組曲だ。"Ohio"もエレクトリック・バージョンより力強いし、"See the Sky about to Rain"も電気ピアノより美しい。"Dance Dance Dance"(リンダ・ロンシュタットが"Love Is a Rose"としてヒットさせた)が正式盤で聞けるのは、これが初めてだ。"Sugar Mountain"がないのが唯一の欠点だが、ロックの黄金時代を代表する古典である。しかし、あれからもう36年もたったのか・・・

追記:前から噂されていたアーカイブの第1巻も、今年出るようだ。

ライブドア事件とエンロン事件

ホリエモンの有罪判決は意外でもないし、多くのコメントが出ているようなので、今さら付け加えることはないが、事件についてのコメントを見て気になったのは、「エンロンやワールドコムでは20年以上のすごい懲役刑判決が出てるんだから、2年半ぐらいでは甘い」という「グローバルスタンダード」を振り回す向きが多いことだ。

これは逆で、こういう厳罰はアメリカだけの特殊な現象である。欧州では、ベアリング証券をつぶしたニック・リーソンでも4年で出所した。しかも最近どんどん重くなっており、Economist誌によれば、20年前ならエンロンの元CEOスキリングの刑は7年ぐらいだっただろうという。この原因は、80年代にドレクセル事件など超大型の金融犯罪が相次いだので、刑罰が引き上げられたためだ。これは2000年代初頭にエンロンなどの大型犯罪が続いたあとSOX法ができたのと同じで、政治家の人気取りのために企業犯罪の刑が殺人罪より重くなってしまったのだ。

こうしたエージェンシーコストの犯罪化は、企業統治の手段として合理的とはいいがたい。Tiroleも、刑事罰はエージェンシー問題の対策としてほとんど効果がないとしている。公開企業でプリンシパル(株主)とエージェント(経営者)の利害が相反するのは当たり前であって、その利害を完全に一致させることは可能でもないし望ましくもない。

そもそも粉飾決算のような民事事件に刑事罰が必要なのか、という疑問もある。たとえば中世のアイスランドでは、すべての犯罪が民事訴訟で処罰されたが、犯罪の発生率は低かった、とD.フリードマンは指摘している。こういう「私的警察」は、窃盗などの犯人が特定しにくい犯罪では効率的とはいえないが、経済犯罪のように当事者がはっきりしている場合には、株主訴訟などで重い罰金を課せば、抑止効果は十分期待できる。

もっと実質的な問題は、この種の事件では、ホリエモンのような最高経営者は――形式的な責任はまぬがれないとしても――犯罪の内容を知らないことが多いので、厳罰にしても抑止効果は小さいということだ。しかし捜査当局は、財務責任者よりも社長のクビを取りたいので、CFOと取引して協力させ、社長を厳罰にすることが多い。エンロン事件の場合も、3000もの膨大なSPEをつくって「飛ばし」をやったのはCFOのファストウなのに、彼の判決は懲役6年だった。ライブドアでも、宮内元副社長の求刑は2年半で、執行猶予になる可能性が高い。

事情を知らない社長をスケープゴートにするために、実質的な「犯人」と取引して刑を減じるのは、法の公正という観点から問題があるばかりでなく、リスク態度の歪みをもたらす。社長は、複雑な金融スキームのからむプロジェクトをよくわからないまま許可すると訴追されることを恐れて、自分の理解できないプロジェクトは許可しなくなるだろう。

また今回、多くの人が指摘しているように、ライブドアよりはるかに悪質で巨額の日興コーディアルが刑事罰どころか上場廃止もまぬがれたのは、既得権をもつアンシャンレジームが「身内」には甘いことを示している。こういうことが続くようだと、ただでさえ少ないアンシャンレジームへの挑戦者が、ますます少なくなるのではないか。

マイクロソフトとインテルとグーグルの提案する新通信技術

先週、700MHz帯でテレビに使われていない「ホワイトスペース」について、マイクロソフト、インテル、グーグル、デル、HP、フィリップスの6社が、免許不要で使える新しい無線通信技術の使用認可をFCCに求めた。

この技術は「2009年には実用化できる」としているが、出力100mW以下で、空いている帯域を検知して通信するcognitive radioだという以外はよくわからない。前からインテルがロビー活動をしてきた技術だと思われるが、どうも802.11系ではないようだ。もちろんテレビ局は「干渉が起こる」という理由で反対している。

他方、日本ではホワイトスペースを「美人投票」で通信業者に割り当てるための研究会が総務省で行なわれている。今のところMediaFLOが有力のようだが、それを割り当てるのは2011年の「アナログ停波」の後だ。しかし、これまでも当ブログで論じているように、2011年に停波はできないので、絵に描いた餅に終わるおそれが強い。

アメリカでマイクロソフトなどの提案が通れば、日本でも700MHz帯を免許不要で開放せよという動きが出てくる可能性がある。いつできるのかわからないアナログ停波をあてにしないで、今あいている帯域からコモンズに割り当てるほうが合理的だ。

マイクロソフトとインテルとグーグルが採用すれば、この新技術が国際標準になる可能性は高い。日本だけがこの帯域を美人投票でテレコム業者に独占させると、また携帯電話のような「パラダイス鎖国」になって、通信機器業界は今度こそ壊滅するかもしれない。これは総務省が業者行政から消費者中心の電波利用に転換できるかどうかの試金石である。注目したい。

河野談話の修正提案

慰安婦問題が、世界的な広がりを見せている。グーグルニュースの日本版で「慰安婦」を検索しても962件しか出てこないのに、英語版で"comfort women"を検索すると1331件も出てくるという逆転現象が起こっている。おまけにオランダ政府まで参入してきて、日本政府は欧・米・アジアから十字砲火を浴びている。

きのうは政府が「軍の強制連行の証拠はなかった」という閣議決定を出し、在米大使館はホームページに河野談話の英訳を掲載し、アメリカの駐日大使に説明した。NYTによれば、大使は「米議会で元慰安婦が証言した」と反論したというが、これは嘘つきのオオニシ記者が書いた記事なので信用できない。

この奇妙な盛り上がりの原因は、たぶん欧米人にとっては今度が初耳だからだと思う。河野談話のころは、日本も平身低頭していたので、南京事件や731部隊と同じような日本軍の戦争犯罪のひとつ(しかも大した犯罪じゃない)というぐらいにしか思われていなかったのが、今度は首相が「そんな事実はない」と言ったので、各国メディアが驚いたのだろう。

今回の騒ぎのきっかけは、自民党の有志が河野談話の見直しをはかったことだが、そっちはあまりのリアクションの大きさに当分見送りになってしまった。ところが、昨日の閣議決定は河野談話の否定部分だけを正式決定したもので、実質的には見直しである。しかも河野談話は閣議決定されていないので、政府としては慰安婦の強制連行を否定する見解だけを公式に表明したことになる。しかし、こんな姑息な「霞ヶ関文学」的手法は、海外には通用しない。やはり河野談話そのものを修正して閣議決定すべきだ。秦郁彦氏は、
  • 「軍の要請を受けた」を削除
  • 「強圧」を「威迫」に
  • 「直接これに加担した」を「直接間接に関与」か「取り締まる努力を怠った」に
修正し、米軍や韓国軍も類似の慰安所制度を利用していた事実を指摘してはどうかと提案している。私も、慰安婦が人権侵害だったことは事実だと思うが、それをいうなら公娼制度そのものが人権侵害の制度化であり、朝鮮戦争で米軍のつくったRAAも同じだし、ベトナム戦争でも「性奴隷」は存在した。アメリカ政府が"comfort girls"に謝罪するなら、日本政府も謝罪していいだろう。

ハイエクの政治思想

5ad150e8.jpg本書は、日本語で書かれたハイエク論としては出色である。特に第3章のハイエクの自由論をゲーム理論で説明した部分がおもしろかった。本書では伝統的なゲーム理論で考えているが、これを進化ゲームで説明しなおしてみよう。

ハイエクの「自生的秩序」という概念は曖昧だ。市場が本当に自然発生的に出てくるものなら、西欧文明圏以外で大規模な市場が発展しなかったのはなぜなのか。また個人が欲望のままに行動したら予定調和が出現するという論理的根拠は何か――そういう問題をゲーム理論でうまく説明できる。

個人が利己的に行動した結果、調和が実現するのは、ゲーム理論でいう協調ゲームになっている場合である。この場合には、協力も一つのナッシュ均衡(進化的安定戦略)なので、いったん自生的秩序が実現したら、そこから逸脱するインセンティヴはない。しかし、このようにすべてのメンバーの利得関数が同じ向きになっていることはまれで、多くの場合には利害が相反する囚人のジレンマ型になる。このときは協力はナッシュ均衡にならないので、秩序は自生的に形成されない。

そこでハイエクが依拠したのが群淘汰である。利他的な個体が増えると集団の効率が上がり、集団間の競争に勝つという話だ。しかし集団内では利他的な個体は裏切り者に負けるので、こういう遺伝子が生き残るのは、集団のメンバーが固定され、裏切り者を共同体から追放するメカニズムが機能している場合に限られる。これがハイエクのいう部族感情であり、多くの動物と同じく、人間にもこうした感情が遺伝的に埋め込まれていると考えられる。

しかし都市化によって伝統的な共同体が崩壊し、長期的関係が希薄になると、集団内で裏切る遺伝子のほうが有利になるので、部族的感情によるガバナンスの有効性は低下する。こういう場合には、利己的な行動を公権力で処罰するホッブズ的なメカニズムが必要になる。つまり市場というミーム(文化的遺伝子)が、集団間の競争によって部族社会に勝った結果が資本主義社会なのである。

しかし人類は何万年も部族社会に生きてきたので、利他的な遺伝子が心理に埋め込まれており、利己主義がむき出しの社会はきらわれる。また市場によって地域社会が解体されるため、社会は不安定になる。福祉国家や社民的な平等主義が多くの人々に支持されるのも、こうした部族的感情が原因だ。つまり「市場原理主義」が引き起こしている問題の背景には、遺伝子レベルに埋め込まれている部族感情と、文化的レベルで競争に勝った自由主義のミームの葛藤があるのだ。

晩年のハイエクは、市場が自生的には存続できないという側面を強調するようになり、その基盤としてのコモンローや議会改革などの制度設計を論じるようになる。これがよく指摘されるハイエクの矛盾だが、これは矛盾というよりは発展と考えたほうがよい。自由は、初期の彼が考えていたように人々に好まれる自明の価値ではなく、むしろそれを維持する制度的なインフラがなければ壊れてしまう、不自然で脆弱なメカニズムなのである。

しかし後半のハイエクの現代的意義を論じる部分は、ありきたりの市場原理主義批判になってしまい、同じ本とは思えないほどつまらない。部族社会で生きてきた日本は、いま否応なくそれを捨てることを迫られている。資本主義は人々の精神的な紐帯を断ち切り、格差を拡大する。ハイエクは、「資本の文明化作用」を肯定したマルクスと同じく、こうした変化を不可避で望ましいものとしたが、本当にそれは人間を幸せにするのだろうか。それ以外の道はないのだろうか。

ウィキペディアとの闘い

ウィキペディアの"Comfort women"の項目が、韓国人(と思われる匿名の人物)に荒らされてめちゃくちゃになっている。こういう政治的にセンシティヴな問題が大幅に改竄されているのは、重大な問題だ。私も修正を試みたが、10日足らずで500回も書き換えられるすさまじい編集合戦で、あきらめた。管理者にも通報したが、対応してくれない。だれか闘ってください。これに対抗できるエネルギー(と暇)があるのは、2ちゃんねらーぐらいかな。だれかスレを立てて「祭り」にしてよ。

「強制連行20万人」という過大評価を修正するとすぐ元に戻され、吉田清治や金子安次などの嘘つきの「証言」の信憑性に疑問があると注記をつけると、それさえ削除される。朝日新聞が宣伝した嘘を河野談話が裏書きしたため、「慰安婦の強制連行」という歴史学界では否定された(吉見氏のような日共系の学者でさえ否定している)妄説が「世界の常識」になってしまったのだ。これが後世まで歴史に残るとなると、外交の問題である以上に日本人全体にとって屈辱である。

しかも履歴をみればわかるように、同一人物が複数の匿名IPを使ってrevertを繰り返している。これは他人の修正をまるごと元に戻すもので、1つのIDで3回以上やると「除名する」という警告が出るが、匿名ならIPを変えて何度でもrevertできる。こういう抜け穴は前からわかっているのに、匿名IPが禁止にならないのは理解できない。来週のシンポジウムでは、Jimmy Wales氏にこの点も聞きたい。

追記:とうとう半保護されてしまった。しかし登録ユーザーは書き込めるので、やってみてください。

追記2:改竄されたまま、保護されてしまった。これは日本政府と日本人を侮辱する由々しき問題だ。来週のシンポジウムでは、Wales氏と徹底的に議論したい。しかも驚いたことに、この記事がコメント欄まで含めてWikipediaのdiscussion欄に訳されて個人攻撃が続いている。

朝日新聞という亡霊

専門とは関係のない慰安婦問題に首を突っ込むのは気が進まなかったが、膨大なコメント(しかも驚いたことにノイズがほとんどない)をいただいて感じたのは、「慰安婦問題」なんて最初からなくて、これは無から有を作り出した朝日新聞問題なのだということだ。これは私の専門(メディア)とも関係があるので、簡単に事実経過を書いておく。

前にも書いたように、私も朝日と同時に強制連行問題を取材していたから、朝日が吉田証言を派手に取り上げて1面トップでキャンペーンを張ったときは、「やられた」という感じだった(*)。しかしよく調べてみると、吉田の本は1983年に出ていて、当時はだれも相手にしなかった。しかも、それを追跡取材した韓国の済州新聞の記者が、そんな事実はなかったという記事を、すでに1989年に書いていた。しかし朝日が騒ぎ始めた1991年が「慰安婦元年」になったのである。

金学順が最初に慰安婦として名乗り出たとき、それは強制連行とは関係なく、戦後補償の問題だった。軍のために働いたのに、賃金(軍票)が紙くずになってしまったので、それを賠償しろという訴訟だったのだ。国家賠償訴訟でも「身売りされて慰安婦になった」と明記されている。ところが、この提訴を朝日が女子挺身隊として強制連行された慰安婦の問題として取り上げたのが脱線の始まりだった。女子挺身隊というのは工場などに動員された女性のことで、慰安婦とは関係ない。

もう一つの問題は、吉見義明氏の発見した通達だ。これを1992年の1月、宮沢訪韓の直前に朝日は1面トップで「政府の関与」の証拠として報じ、女子挺身隊にも戦後補償せよというキャンペーンを張った。おかげで宮沢首相は、韓国で8回も謝罪しなければならなかった。これが彼のトラウマになって、河野談話を生み出したのである。この通達はもちろん女子挺身隊とは関係なく、軍が民間業者を取り締まる文書にすぎない。

この虚報の原因も吉田清治にある。彼が「慰安婦は女子挺身隊だった」と証言したからだ。要するに、吉田のインチキな「告白」にもとづいて朝日が筋書きをつくり、それに乗って福島瑞穂氏などの社会主義者が慰安婦を政治的に利用し、韓国政府をけしかけて騒ぎを拡大し、それに狼狽した宮沢政権がわけもわからず謝罪したのだ。これは「あるある」をはるかに上回るスケールの、戦後最大級の歴史の捏造である。

しかも朝日のでっち上げを河野談話が追認したため、これが世界のメディアの「常識」になってしまい、NYTもワシントンポストも「慰安婦=強制連行=20万人」というのが「歴史家の定説だ」と書いている。韓国では、吉田証言や慰安婦=女子挺身隊という話が今でも教科書に載っている。朝日の捏造した歴史が、アジア諸国との関係を悪化させる原因になっているのだ。

私の友人には、朝日の記者もたくさんいるが、彼らは今の50代以上の幹部についてはあきらめている。「あの人たちの世代の生き甲斐は、反戦・平和の正義を世に広めることだったから」という。この意味で朝日は、社会主義をいまだに信じる冷戦の亡霊なのである。ただ、今のデスク級はもう世代交代しているので、現場はこの種のキャンペーンには冷淡だ。今回の慰安婦騒ぎでも、不気味なぐらい朝日は沈黙を守っている。そりゃそうだろう。口を開けば、吉田証言や女子挺身隊などの捏造問題を検証せざるをえないからだ。

だから慰安婦問題を徹底的に解明し、宮沢氏や河野氏を国会に呼んで経緯を明らかにするとともに、騒ぎを作り出した朝日新聞の責任も追及すべきだ。それが過去の戦争や冷戦の亡霊と決別し、日本がアジアとの成熟した友好関係を築く第一歩である。海外に事実を伝えたい人は、英文ブログに投稿してください。

(*)実は、NHKも朝日の記事の後追いで、吉田の話をドキュメンタリーにしようとしたが、裏が取れなかったのでやめた。テレビは新聞と違って、ないものは描けないからだ。

追記:TarO氏のコメントによれば、朝日新聞は吉田証言が嘘であることを認める記事を1997年に出したそうだ。挺身隊については「韓国側の主張として紹介しただけ」、「軍関与の資料」の件については「強制連行とは書いていない」とのこと。要するに、この記事の指摘をすべて認めているわけだ。

慰安婦問題の再調査が必要だ

慰安婦をめぐって、なぜか海外メディアの報道が過熱している。驚くのは、その事実認識の杜撰さだ。特にひどいのはNYタイムズの1面に出た記事で、3人の元慰安婦の証言を引用して「過去の否定は元性奴隷を傷つける」と題しているが、彼らは強制連行とは関係ない。台湾人と韓国人は軍に連行されたとは証言していないし、オランダ人のケースは軍規に違反した捕虜虐待事件で、軍は抗議を受けて慰安所を閉鎖した。

LAタイムズワシントンポスト(AP)Economistも、具体的な根拠をあげずに「性奴隷が存在したことは歴史的事実だ」と断定している。そろって慰安婦の数を「20万人」としているところをみると、出所は吉見義明氏の本の英訳(およびその孫引き)だと思われるが、この数字は当時の国内の公娼の総数が17万人だったことから考えてもありえない。秦郁彦氏の推定では、2万人弱である。しかも吉見氏でさえ、軍が強制連行した証拠は見つからなかったことを認めている。

さらに問題なのは、米下院の慰安婦非難決議案だ。この決議案は委員会では可決される可能性が強まっているようだが、その内容たるや
「慰安婦」システムは政府によって強制された軍用売春であり、強姦、妊娠中絶の強要、性的虐待で死に至らしめるなど、残虐さと規模において20世紀最大の人身売買である
と宣告して国会決議と首相による謝罪を求める、恐るべきものだ。当事者でもないアメリカが、こんな事実無根の喧嘩を売るような決議案を出すこと自体、日本の外交がいかになめられているかを示している。

これに対して「強制連行の証拠があるのか」と追及されて、提案者のマイケル・ホンダ議員は「日本政府が1993年に謝ったじゃないか」と答えた。つまり事実関係を徹底的に究明しないで政治決着によって謝罪したことが、かえって強制連行が行なわれたという嘘を裏書きしてしまったのだ。日本では、さすがに朝日新聞でさえそういう主張はしなくなったが、英文の資料は吉見本などの古い情報ばかりなので、欧米のメディアがミスリードされているのである。いまだにウィキペディアでさえ吉田清治証言を引用している。

これについて元NSCアジア部長のマイケル・グリーン氏は「強制性の有無を解明しても、日本の国際的な評判がよくなるという話ではない」としているが、安倍首相が「非生産的だ」として議論を打ち切った後も報道がエスカレートしているところをみると、話は逆だろう。日本政府があやふやな態度をとってきたことが、かえって「事実はあるのに隠している」という印象を与えているのだ。特に4月の安倍訪米を控えて、3月中に下院で決議案が可決されれば、これが最大の日米問題になるおそれもある。

メディアの責任も重い。私も当時、取材したひとりとして自戒もこめていうと、1990年ごろには終戦記念日ネタも枯渇して、本物の戦争犯罪はやりつくしたので、各社とも一部の在日の人々が主張していた「強制連行」をネタにしようとした。しかし「軍が強制連行した」という裏は取れなかったので、NHKは抑えたトーンにしたのだが、朝日新聞は慰安婦が強制連行されたという「スクープ」を飛ばし、激しくキャンペーンを展開した。それが捏造だったことが判明しても、最近は「強制連行があったかどうかは枝葉の問題だ」などと開き直っている。

自民党の「有志」にまかせないで、もう一度政府が調査を行い、公文書をさがすだけでなく、元慰安婦を国会の参考人に呼ぶなど、徹底的に事実関係を確認し、その結果を英文でも公開すべきだ。米下院が元慰安婦を証人として呼んでいるのに、日本の国会がやらないのは怠慢である。この問題の処理では、安倍首相だけでなく麻生外相も鼎の軽重を問われる。

追記:こういう情報のバイアスを少しでも是正しようと、慰安婦についての英語の情報源を提供するブログを立ち上げた。英語の記事やコメントを自由に投稿してください。

ウィキペディアの方針転換

先日このブログで第一報を出したEssjay騒ぎは、予想以上の広がりを見せている。NYタイムズなど主要メディアがこの問題を大きく取り上げ、Jimmy WalesはEssjayをWikipediaの編集責任者から外し、関連会社Wikiaを解雇した。さらに匿名を認める方針は維持するものの、専門的な経歴を自称するメンバーには、それを証明するよう求めることにするという(AP)。

Economistも指摘するように、Wikipediaの質は項目によって差が激しい。科学に関する項目の質は高いが、政治や宗教のからむ論争的なテーマは、編集合戦でぐちゃぐちゃになっているものが多い。特に"Comfort women"のような戦争に関する項目には、日本人を犯罪者扱いするアジア(と思われる)からの書き込みが多いが、日本人はほとんど書き込まないので、放置されたままだ。

こうした欠陥を是正しようと、Wikipediaの創設者のひとりであるLarry Sangerが昨年、Citizendiumというサイトを立ち上げたが、中身はほとんどない。保守派のつくったConservapediaというサイトもあるが、"Theory of evolution"の項目などを見ると、とても客観的に信用できる事典とはいえない。Wikipediaが150万項目、トラフィックで第8位という堂々たる大手サイトになった今では、これを改良するしかないだろう。

それにしてもわからないのは、なぜいまだに匿名IPによる編集を認めているのかということだ。Wikipediaが弱小だったころならともかく、今ではここまで制限をゆるめなくても編集する人はいくらでもいるだろう。まぁログイン名を要求しても多重に登録できるから、大した意味がないともいえるが、同じ論理でログイン名を要求しても匿名性が下がるわけではない。ノートを見ても、vandalismを引き起こしているのはたいてい匿名IPだ。

かつて匿名性はインターネットの自由の源泉だったが、今では言論を圧殺する脅威になりつつある。特に日本では、ブログで発言すると2ちゃんねるなどで攻撃されるのが恐い、という人が多い。最近では「はてなブックマーク」が、本来の機能を離れて悪口の場になっている。韓国のように政府が身分証明を義務づけるのは行き過ぎだが、サービス提供者が悪質なユーザーには警告するなど、自主規制すべきではないか。シンポジウムでは、こうした問題もWalesと議論したい。






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