ブログアドバンス

今週から、gooの「ブログアドバンス」を使っている。当ブログも、かなり分量が増え、バックアップを取っておかないと不安になってきたのだが、手作業で全記事をコピーするのは不可能だ。そこで、バックアップ機能のあるアドバンスを使ってみたのだが、それ以外にも便利な機能がある。月290円なら、お得だと思う(私はNTTレゾナントと利害関係はない)。

おもしろいのは、アクセス解析だ。ページビューや訪問者の数だけでなく、どこのリンクをたどって来たか、また何というキーワードで検索して来たかがわかる(訪問者のアドレスはわからない)。それによると、グーグルから「国家の品格」で検索してきたのがトップで、アクセスされたページでもキーワードでも「国家の品格」がトップだ(私の名前など自明なものを除く)。さすがに、ミリオンセラーの威力はすごい。

また、検索エンジンやブラウザの利用率もわかる。検索のトップはグーグルだが、ぶっちぎりというわけではなく、ヤフーもあまり変わらない。ただ、ICPFのサイトは訪問者がわかるので見てみると、グーグルのクローラーが断然トップだった。たぶんグーグルの強みは、こうして迅速に情報を更新するところにあるのだろう。だから、表示オプションに「日付順」がないのはもったいない。

量子コンピュータ

量子コンピュータについての会議が英国王立協会で開かれ、いくつかの異なった方向の成果が発表された。

コンピュータ素子の微細化は急速に進んでいるが、その極致が電子のスピンを使った量子コンピュータだ。普通のコンピュータが0か1かというbitの情報しか持たないのに対して、シュレーディンガーの波動関数であらわされる「純粋状態」の電子ではupとdownのスピンが一定の確率で重ねあわされている。この2値の状態ベクトルをqubit(quantum bit)とよび、これを利用して多くの計算過程を重ね合わせる超並列の高速コンピュータをつくろうというのである。このアイデアは1970年代からあったが、実際には電子を純粋状態におくことがむずかしく、実用化は不可能だと思われていた。今回の会議でも、いろいろな方法が提案されているが、実際に計算に使えるほど長時間、安定した純粋状態に電子をおくことはできていない。

こういう素子の開発は、物理学にとっても重要な実験である。純粋状態の電子が観測されると、波動の干渉が消えて「混合状態」の古典力学的な物質となるのはなぜか、という「観測問題」は100年近く物理学者を悩ましてきた。アインシュタインやシュレーディンガーは、確率的な波動に見えるのは電子の「真の状態」についての情報が不足しているだけだという実在論的解釈をとったが、ボーアやハイゼンベルクは確率的な不確実性は本質的なものだという立場をとり、この「コペンハーゲン解釈」がながく物理学の主流だった。

しかし確率的な波動が本質的な状態だとすると、観測によってそれが消えるのはなぜか。これについて現在の標準的な解釈では、電子が外界と相互作用することによってdecoherence(非干渉化)が生じ、混合状態以外の波(合成された密度行列の非対角成分)が極小化して見えなくなると考える。したがって非干渉化が起こらないように純粋状態を持続することができれば、チューリング・マシンを超える強力なコンピュータができるとともに、非干渉化理論が実証され、観測問題も解決するわけだ。

かつては実際の物理現象と関係のない神学論争だと思われていた観測問題についての理論が、最先端のコンピュータの原理になるというのが自然科学の不思議なところだ。最初は数学基礎論の奇妙なパラドックスにすぎなかったゲーデルの不完全性定理(の証明技法)が、チューリングによってプログラム内蔵型コンピュータの原理とされたように、本質的な理論は本質的な技術革新を生むということだろう。

ゲーデル

きのうは、ゲーデルの不完全性定理をめぐって、当ブログで大論争(?)が行われたが、これほど数学と無関係に乱用される定理はないだろう。たぶん、その最初はホフスタッターの『ゲーデル・エッシャー・バッハ』だと思う。この本は、人工知能の限界をゲーデルと結びつけて論じるもので、読み物としてはおもしろいが、現実の人工知能は、そんな高級な限界のはるか手前で挫折した。

日本では、柄谷行人氏などがホフスタッターを受け売りして、「ポストモダン」の世界で流行した。ちょうどデリダが流行したころで、ゲーデルを「脱構築」と結びつけ、クラインの壷などのアナロジーで「自己言及性」のパラドックスを語ることが一種のファッションになった。事情は欧米でも似たようなものらしく、こうした疑似科学的な議論をからかったパロディが学術誌に掲載されるという事件も起こった。

ゲーデルの定理は、一般的な「論理の限界」を示すものではない。完全で無矛盾な公理系は、いくらでもある。不完全性が問題になるのは、その体系のなかでみずからを証明するような包括的な公理系を考えるときである。しかも、これは数学的なアルゴリズムの問題であり、「テクストにおける意味の決定不可能性」などの意味論的な問題とは何の関係もない。

こうしてゲーデルを安直なアナロジーに使う議論は絶滅したと思ったら、当の数学者がそういう議論を持ち出したのには驚いた。しかも「数学の世界でさえも、論理では説明できないことがある」のだから、世の中は理屈では割り切れないのだ、という八つぁん熊さんレベルの話の枕にゲーデルを持ってくるのだから恐れ入る。

現代数学というのは、ほとんど神秘的な世界である。小川洋子『博士の愛した数式』は、そうした神秘性をうまく物語に仕立てており、ノンフィクションではサイモン・シン『フェルマーの最終定理』もおもしろい(一時はこの定理も、ゲーデルの示した「真だが証明できない命題」かもしれないと思われていた)。しかし、フェルマーの定理のワイルズによる証明の中身は、一般人には理解不能だ。ゲーデルの定理は、アナロジーとして使える最後の数学理論かもしれない。

コメントスクラム

Gooのオフィシャル・ブログだった小倉秀夫氏の「IT法のTop Front」が閉鎖された。原因は、大量の「コメントスクラム」だという。たしかに、最後の4/27の記事などは632件ものコメントがついており、そのほとんどは同じ絵文字のコピペだ。

また感情的なコメントで「炎上」した例としては、吉田望氏がみずから雑誌に発表した事件もある。社会的な話題になったのは、経産省の部長のブログがPSE問題についての大量の怒りのコメントで炎上した事件だ。切込隊長のブログには、毎日「山本一郎履歴詐称疑惑問題」というコピペが何百もついている。まぁ経歴詐称は事実だから、これは自業自得か。

しかし、こういう事件はブログ一般の問題ではなく、コメントやトラックバックのアクセス制限で、ある程度は回避できる。ただgooのブログは、Movable Typeのようにコメントの表示を保留するなどの細かいオプションがないため、アクセスを制限すると、gooIDのない人はコメントできなくなる。

YouTube

ITmediaによると、動画サイトYouTubeの1人あたり利用時間や頻度は、日本人が世界でもっとも多いという。たぶんブロードバンドのインフラが整備されていること、多くのビデオクリップが見ればわかる単純なものであることなどが原因だろう。日本人の投稿もけっこう多い。

村上ファンド

村上ファンドの阪神電鉄に対する株主提案が話題を呼んでいる。阪神側が反発する最大の理由は、村上ファンドが経営権を握ったら不動産事業などを「切り売り」するのではないか、との懸念だという。しかし、これこそ投資ファンドの存在理由だ。

1980年代の米国でも多くの投資ファンドが登場し、「多角化」で水ぶくれした企業をLBOで買収し、不採算部門を売却するなどして効率化した。その理論的支柱となったのが、Michael Jensenの有名な論文である。Jensenは、成熟産業の経営者は余ったキャッシュフローを「帝国建設」的な規模拡大や多角化に使う傾向が強いので、それを阻止して利益を投資家に還元する手法としてLBOは重要だと指摘した。

LBOの効果には、賛否両論ある。米国でも社会的には「拝金主義」として批判を受けることが多く、Barbarians at the Gate(『野蛮な来訪者』)やDen of Thieves(『ウォール街・悪の巣窟』)など、企業買収を批判するノンフィクションがたくさん出た。しかし経済学的には、米国の資本主義が80年代までの閉塞状況を脱却するうえで、こうした「企業コントロールの市場」が大きな役割を果たしたという肯定的な評価が多い。

日本では、企業は「共同体」という意識が強いので、いまだに藤原正彦氏のように企業買収そのものに嫌悪を示す人が多く、特に事業売却はよほど追い込まれないとやらない。しかし今回のNHKをめぐる議論でもわかるように、企業に「規模を縮小せよ」と説得するのは無駄である。市場の力で適正規模に縮小させるしかない。資本市場が機能していなくても、効率の悪い企業は最終財市場から退場させられるから、市場が最強のガバナンス装置なのである。

破綻した受信料制度

先日の「朝まで生テレビ」の内容では、松原聡氏の話だけがニュースとして出ている。読売新聞によれば、「NHKのラジオとBSの電波が削減対象になる」という話と、「スクランブル化に否定的な見解を示した」という点がニュースになっている。

たしかに、後者には私も驚いた。彼が『Voice』2005年12月号に書いた記事では、「デジタル放送では、B-CASカードを介して個々の視聴者を特定して、放送を送ることが可能となっている」と書き、両論併記のような形になっていたのに、先週の話では、このB-CAS方式(スクランブル)を明確に否定したからだ。

その理由として、松原氏は「スクランブル化すると、公共放送としての根拠がなくなる」という点をあげているが、それが民営化というものだ。受信料制度が(彼も認めるように)公共料金として破綻しているのだから、公共放送をやめるしかないのである。これに対して「NHKの収入が減る」という心配を宮崎哲弥氏がしていたが、『週刊東洋経済』にも書いたように、視聴料にすれば捕捉率は100%になり、1台ごとに課金できるので、視聴者が半減したとしても採算は合う。そもそも有料放送にしたら視聴者が半減するとすれば、今は本来の視聴者の倍の人々に無理やり見せているということになる。

さらに問題なのは、前にも書いたように、不払いの視聴者は、個人・法人ふくめて最大2700万世帯もあると推定されるが、彼らからどうやって受信料を取り立てるのか、ということだ。これだけ膨大な数の催告状を裁判所から出してもらうには、印紙税だけで100億円ぐらいになるだろう。さらに毎月2000円程度の受信料の不払いでいちいち差し押さえに行ったら、そのコストが取り立てる料金を上回る。要するに、現在の受信料制度は、もうenforcementが不可能なのである。

もちろん民営化する最大の理由は、朝生でも出席者全員が認めていたように「NHKと政治の距離が近すぎる」ことである。これは番組の内容にかかわるだけでなく、経営陣がつねに政治家や役所のほうを向いて経営を行うため、放送ビジネスについて無知な「政治屋」が出世し、デジタル放送のようなナンセンスなプロジェクトが進められるという点でも弊害が大きい。少なくとも、NHK予算を国会で承認するしくみはやめるべきである。BBC予算はOfcomが承認しているが、日本にはそういう独立行政委員会もない・・・

追記:朝日新聞(3日)のインタビューで、NHKの橋本会長は、地上デジタルで「料金を払え」という横断幕を画面に出す方針を示唆している。通信・放送懇談会のいう「取り立て強化」という対策に効果がないことがわかっているからだ。改革の対象よりも後退した提言しか出せない懇談会って何なのか。

ライブドア事件への疑問

昨夜の「朝まで生テレビ」でも話題になったが、今週のテレビはホリエモン出所で大騒ぎだった。しかし、これまでの容疑事実がすべてなら、証取法違反ぐらいであれほど大量に逮捕して死者まで出し、3ヶ月も拘留するというのは、人権侵害だ。

ライブドアのウェブサイトに書いたときは、あとから大きな犯罪が出てくるかもしれないと思って、歯切れの悪い書き方になったが、結果的には「見込み捜査」が失敗したといわざるをえない。検察も100人体制で、政治家や組織暴力にからむ筋を海外まで追ったようだが、結局何も出なかった。検察のねらいは、村上ファンドだという説もあるが、こっちは財界の大物もバックにいるので、検察も慎重になっているのだろう。

新聞もテレビも、検察の機嫌をそこねたくないので、捜査に対する疑問を出さないが、最初に筋書きを書いて、そこに事件を当てはめてゆく「国策捜査」には問題がある。ホリエモンが犯意を徹底的に否認したら、公判の維持もあやういのではないか。

TVに明日はあるか?

今夜(正確にいうと明日の未明)の「朝まで生テレビ!」に出演することになった。テーマは「激論!TVに明日はあるか?!」。民放連の広瀬会長や、通信・放送懇談会の松原座長も出演する。

討論の焦点は、デジタル放送とNHK問題になるようだ。これまで私は、地上波テレビ局には出入り禁止だったが、ようやくテレビ局も、現実を直視せざるをえなくなったということだろうか。

会社は誰のものか

当ブログの「国家の品格」板では延々と議論が続いているが、きのうのTBでおもしろい問題提起があった。藤原氏のいう「会社は従業員のもの」というのは間違いで、商法では「会社は株主(法律用語では「社員」)のもの」だという批判である。実は私も、これとほとんど同じ論旨のコラムを『PC Japan』の今月号に書いた。

藤原氏は「会社が従業員のものではない、というルールは、私の理解を絶する」という。普通は、理解を絶するルールが法律になっていれば、どうしてそうなっているのか理解しようとするが、藤原氏はこれが諸悪の根源だと断じる。彼の主張が正しければ、大変だ。商法が間違っているのなら、至急改正しなければならない・・・

もちろん、そんなことは起こらない。なぜなら、間違っているのは藤原氏のほうだからである。会社とは、株主の投資によって得た非人的資産の集合体なのだから、その所有権が株主にあるのは当然だ。従業員は、会社と契約した「使用人」にすぎない。経済学的にも、「会社は従業員のものであるべきだ」というのは間違いである。現実に、チトー時代のユーゴスラヴィアでは、「労働者自主管理」によって企業が経営されたが、従業員は果てしなく賃上げを求め、設備投資は行われず、企業経営は破綻してしまったのである。

ただ従業員も人的資本に投資しているので、これを資本家が搾取すると、「企業特殊的な人的資本」への投資が行われない。したがって従業員にも一定の配慮が必要だが、彼らが意思決定をすべきではない。従業員が拒否権をもつと、企業の効率化を拒否し、資本の浪費が行われるからである。日本的経営の失敗も、これに近い。

この問題については、何千本もの論文があるが、Jean Tiroleのサーヴェイ(新著の第1章)によれば、多くの利害関係者(stakeholder)の合議によって意思決定を行う「ステークホルダー資本主義」は、理論的にも現実的にも、うまく行かない。したがって制度設計としては、株主が企業をコントロールし、労働者は流動的な労働市場で他に動けるようにすることが望ましい、というのが経済学の標準的な結論である。






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