目は口ほどにものをいう?

ASCIIコードで感情をあらわす記号をemoticonと呼ぶが、日本では(^_^)とか(;_;)のように目の表情であらわすのに対して、アメリカでは:-)とか:-(のように口の表情であらわす。LiveScienceによると、この違いは両国の感情表現の違いに起因するという。

北海道大学のMasaki Yukiの研究によると、日米の被験者にemoticonや写真を見せたところ、日本では目の表情に、アメリカでは口の表情に注目して感情を判断することがわかった。これはたぶん、日本では感情を口などの表情に出すことは無作法だと考えられているからだろう。目の表情は隠せないので、そっちのほうが本音を的確に判断できるが、これは良し悪しだ。恋人やボスが作り笑いしているとき、あなたはその本音を知りたいだろうか?

ヤフーを転落させた男

ヤフーとMSの合併話は不調に終わったようで、グーグルの独走態勢はしばらく続きそうだ。ヤフー失速の責任は、この6年間CEOとして同社をミスリードしてきたテリー・セメルにある、とEconomist誌はきびしく批判している。

ヤフーの創業者ジェリー・ヤンがタイム=ワーナーで名経営者として知られたセメルを引き抜いたのは、ITバブル崩壊後に経営を再建するには、ハリウッドのようなメディア企業になるべきだと考えたからだった。セメルは、その方向で映画会社などとの提携を進め、ハリウッド支社までつくったが、こうした路線は成果を上げなかった。彼が2002年にグーグルの買収を断ったのは、数十億ドルという価格が高すぎると考えたからだが、今のグーグルの時価総額は1450億ドルだ。

これに対してグーグルは、旧メディアとまったく違う情報流通のチャネルをつくった。そのコンテンツも、従来の映画や番組ではなく、「ユーザー生成コンテンツ」だった。これはウェブがメディア産業に発展するというセメルの見通しとは逆に、初期のインターネットのようにユーザー同士が直接に情報を交換するE2Eに戻るという発想だった。ヤフーに移籍するまでEメールを使ったことさえなかったセメルとは違って、グーグルの創業者やCEOは、インターネットの本質をよく知っていたのである。

「通信と放送を融合」させてメディア企業をつくろうとする試みは日本でも多いが、成功したことがない。そこで当てにしているコンテンツは在来メディアのものであり、彼らは「知的財産権」という名の既得権を手放さないからだ。USENのGyaOのようにテレビ局をまねるビジネスモデルでは、利益の大半を電通に持って行かれるだけで、決して既存メディアを超えることはできない。

新しいビジネスモデルは、既存モデルの模倣ではなく、中央に鎮座するメディアが大衆に複製をばらまく工業社会型のパラダイムを超えるところからしか出てこないだろう。今のところグーグルがその先陣を切っていることはたしかだが、まだ新しいパラダイムの全貌は見えない。だから日本にもチャンスはあるが、「知財立国」や「日の丸検索エンジン」などの政策は、そうした変革を阻害する効果しかない。

ICPFセミナー第18回「情報アクセシビリティをビジネスチャンスに」

情報社会から高齢者や障害者が排除されないように、情報通信機器・サービスのユーザインタフェースを改善する、情報アクセシビリティの実現に向けて世界は動いている。すでにアメリカは連邦政府調達について情報アクセシビリティを必須要件としている。ヨーロッパも公共調達の要件とするように動き出した。

情報アクセシビリティとは何か、世界はどう動いているのか、それをビジネスチャンスにするとはどういう意味なのか。今回の情報通信政策フォーラム(ICPF)セミナーでは、今月アメリカ連邦政府で開催される、情報アクセシビリティ要件改定のための諮問委員会の動向を含め、最新の情報を提供する。

スピーカー:山田 肇(東洋大学経済学部教授 ICPF事務局長)
モデレーター:池田信夫(ICPF代表)

日時:5月29日(火) 18:30~20:30
場所:東洋大学・白山校舎・5号館 5202教室
    東京都文京区白山5-28-20
    キャンパスマップ
入場料:2000円
    ICPF会員は無料(会場で入会できます)

申し込みはinfo@icpf.jpまで、電子メールで氏名・所属を明記して(先着順40名で締め切ります)

みのもんたの古い脳

ご存じの著者による、政治家と官僚の関係の現状についての報告。彼は元政治学者だから、専門的な分析を期待したのだが、中身はよくも悪くも一般向けで、あまり深い議論はない。ただ少し考えさせられたのは、「最大の敵は『みのもんた』」という話だ。この「みのもんた」というのは、メディアのポピュリズムの比喩で、派閥が崩壊してしまった自民党では、「民意」が最大派閥になっているという。

著者が「みのもんた」の例としてあげるのが、貸金業法の改正だ。当ブログでも論じたように、上限金利を下げたら貸金業界が崩壊して消費者がかえって困ることはわかっていたのに、みのもんたは(規制強化を主導した)後藤田正純氏をゲストにまねいて、彼を正義の味方とたたえた。

当ブログで紹介してきた進化心理学の言葉を借りると、みのもんたが代表しているのは、感情をつかさどる「古い脳」である。同情は、人類の歴史の99%以上を占める小集団による狩猟社会においては、集団を維持する上できわめて重要なメカニズムだ。感情は小集団に適応しているので、「高金利をとられる人はかわいそうだ」といった少数の個人に対する同情は強いが、規制強化で市場から弾き出される数百万人の被害を感じることはできない。

これに対して「金利を無理に下げたら資金供給が減る」というのは、経済学ではきわめて初等的な理論だが、「新しい脳」に属す論理的推論を必要とし、多くの人にはそういう機能は発達していない。話し言葉がだれでも使えるようになるのに、書き言葉が教育を必要とするように、経済学の非直感的な理論は、人々の自然な感情にさからうのだ、とPaul Rubinは指摘している。

では規制緩和を唱えるメディアは、合理的に思考しているのだろうか。著者は、ふだん「官民癒着」を批判している某局の有名キャスターが、デジタル放送を税制で優遇してくれと陳情に来て驚いたと書いている。実は、彼らも自分たちの電波利権という身の回りの利益は感じても、国民経済の大きな利益は感じていないのだ。彼らの反政府的な言論も、強い者をたたいて古い脳に訴えるマーケティングにすぎないのである。

日本軍のインテリジェンス

日本軍のインテリジェンス なぜ情報が活かされないのか (講談社選書メチエ)
第二次大戦で、日本軍の暗号の大部分が米軍に解読されていたことをもって「日本軍は情報戦に完敗した」とするのが通例だが、日本軍の暗号解読能力については、あまり知られていない。

実際には、日本軍の情報部門の暗号解読能力も高く、米軍のもっとも高度な「ストリップ暗号」まで解読していた、と本書はいう。問題は、こうして収集された情報がほとんど戦略決定に生かされなかったことだ。
 
ここで重要なのは、インフォメーション(データ)とインテリジェンス(情報)の区別だ。前者は、敵がどこで何をしたという類の事実の集積で、それ自体には価値はない。軍事的に重要なのは、作戦上の要請に応じてインフォメーションを分析し、情勢を判断するインテリジェンスである。
 
インテリジェンスの地位は欧米では高く、エリートの職業とされているが、日本軍における情報部門の地位は低く、その収集した情報を分析するのは作戦部門だった。日本軍は、作戦部門がすべての意思決定を行い、他の部門はそれに従属する特異な構造になっていた。これは日清・日露のような局地的な戦闘で相手に一撃を与えて和平を結ぶという戦争に適応した組織で、第2次大戦のような総力戦では補給や後方支援の途絶によって、餓死者が戦死者を上回る結果になった。
 
情勢分析も作戦部門が行なったため、客観情勢を無視した独善的な戦略決定が行なわれた。その最大の悲劇が、1940年に締結された日独伊三国同盟だ。情報部門は「ドイツのイギリス上陸作戦は難航している」と報告していたが、松岡洋右外相はドイツがイギリスを占領し、ソ連が三国同盟に加わるという楽観的な見通しで同盟を結んだ。
 
翌年にも、独ソ戦が始まるという情報をベルリン駐在大使が東京に伝えたが、松岡も参謀本部もこれを無視した。客観情勢よりも組織内の駆け引きや既成事実が優先され、政治的に優勢な勢力が、その方針にあわせてデータを都合よく解釈する情報の政治化が起こるのである。
 
開戦の判断に際しても、陸海軍などの官僚による「総力戦研究所」が、図上演習で「補給能力は2年程度しかもたない」と東条陸相以下に示したにもかかわらず、東条は「日露戦争は、勝てると思わなかったが勝った。机上の空論では戦争はわからない」として、これを無視した。
 
日本政府がインテリジェンスを軽視する傾向は、今も変わらない。特に戦後は、日米安保体制のもとで安全保障をほとんど全面的にアメリカに依存してきたため、自前の情報網さえほとんどなく、東京は「スパイ天国」といわれるありさまだ。
 
昨今の「慰安婦」問題でも、政府が情報を客観的に分析しないで「謝れば片づくだろう」という主観的な判断で政治決着をはかった結果、騒ぎがかえって大きくなってしまった。これもインテリジェンスを無視した「情報の政治化」の結果である。日本が政治的に自立し、戦略的な外交を行なうためにも、その基礎となるインテリジェンスの構築は緊急の課題である。

靖国史観

安倍首相が靖国神社に供物を奉納したという話が、また騒ぎを呼んでいる。しかし、そもそも靖国神社とは一般に信じられているように、国家のために戦死した人々をまつる神社ではないのだ、と本書はいう。

靖国神社の始まりは、1862年に行なわれた「招魂祭」で、これは安政の大獄などで徳川幕府に殺された勤王の志士を慰霊したものだ。それが明治維新によって、彼らが「官軍」となってから制度化されたのが招魂社であり、西南戦争の後これが靖国神社となった。したがって明治政府と戦った西郷隆盛は、靖国にはまつられていない。

要するに靖国神社は、天皇家のために戦死したテロリストを鎮魂する神社だったのである。それが国家の神社になったのは、たまたま天皇家が徳川家との内戦に勝ったからにすぎない。まさに「勝てば官軍」であり、歴史はつねに勝者によって書かれるものだ。「東京裁判史観」を批判する人々は「靖国史観」も批判すべきだ、と著者は論じる。

新撰組が保守反動で、坂本龍馬がヒーローになるのは、勝者のご都合主義である。実際には、当時の法を守ったのは新撰組であり、東条英機は坂本より近藤勇に近い。両者をごちゃごちゃにまつる靖国は奇妙な神社であり、しかもそれが第2次大戦では「賊軍」になったことで、靖国史観は決定的に混乱した。そのため、いまだに遊就館では「軍事的には負けたが、あの戦争は正しかったのだ」と主張するパンフレットが配られている。

靖国神社は「国家神道」によってできたものではない。吉田松陰の提唱した討幕運動は、祭政一致の「国体」を復興させる儒教的な革命だった。このように既成秩序を批判するために「本来の姿への復古」というスローガンを掲げ、宗教と政治を「垂直統合」して戦意を高揚させる教義は、革命運動によくあるが、それが政権をとった後も続くと、現在のイスラムのようにきわめて硬直的な国家を生み出す。

靖国神社の背景にこうした特異な歴史観があるとすれば、著者もいうように、首相が参拝するかどうかとか、A級戦犯を分祀すべきかどうかといったことは大した問題ではない。それは本来、天皇家の私兵の神社であり、国家の機関ではないからだ。しかし「テロリスト神社」に首相が贈り物をするというのは、かなり奇妙な話ではある。

Gmailの「擬陽性」

きのう大学の事務室から、「4月27日にメールで連絡したのだが・・・」という連絡があった。Gmailの「受信トレイ」にはないので、まさかとは思いつつ「迷惑メール」の中をさがしてみると、あった!

こういう1対1のメールがはじかれたのは、初めて見た。文面もごく普通なので、上武大学のドメイン(jobu.ac.jp)がGmailのデータベースに「迷惑ドメイン」として登録されているとしか考えられない。グーグルがどういう基準でスパムを分類しているのか知らないが、一定の人数が「迷惑メールを報告」したら自動的にスパムに分類されるとしたら、いたずらで複数のアカウントを使って大学や企業のドメインをスパムにすることもできる。

Gmailは、false negative(正常なメールと判定されたスパム)が1日に2、3通ぐらいしか来ないので、普通のベイジアン・フィルターに比べると、かなり広い基準でスパムを排除していると考えられる。これは、今回のようなfalse positiveが出る率も高いということだ。擬陰性はうっとうしいだけだが、擬陽性は仕事に差し支えるので非常に困る。

こういう問題を解決するには、GmailにもPOPFileのようにスパム排除の強さをユーザーが選択できるオプションを作るしかないのではないか。私も最初は毎日スパムをチェックしていたが、最近は1日200通ぐらい来るので、とてもチェックできない。あなたも「あの返事がまだ来ないな」というときは、「迷惑メール」の中を検索してみたほうがいいですよ(検索オプションを変更すれば可能)。

Prophet of Innovation

経済学部の学生でケインズを知らない者はいないだろうが、シュンペーターの本を読んだ学生は少ないだろう。しかしグーグルで検索してみると、Keynesが1580万件なのに対して、Schumpeterは1730万件ある。財政政策がすっかり信用を失う一方、イノベーションや企業家精神の重要性が注目される今、シュンペーターが注目されるのは当然かもしれない。

本書は、シュンペーターの波乱万丈の人生と、その学問を丹念にあとづけたものだ。特に大恐慌の中で、主著『資本主義・社会主義・民主主義』を書く前後の状況が興味深い。当時、資本主義には自動調整力がなく、政府が経済を管理しなければだめだという意見が支配的だった。それに対してシュンペーターは、資本主義の本質は企業家精神にあり、政府はイノベーションを作り出せないと論じた。

いま読むと当たり前のことを言っているようだが、当時アメリカのインテリの間ではマルクスの影響が圧倒的だった。大恐慌はマルクスの予言を裏づけたように見え、ソ連は驚異的な経済成長と技術進歩を実現していた。シュンペーターもマルクスの強い影響を受け、それに対する反論としてこの本を書いたのである。

シュンペーターの理論も、かなりの部分はマルクスから借用したものだ。特に資本主義が既存の秩序を破壊して生産性を高めるという「創造的破壊」の概念は、ほとんど『共産党宣言』の焼き直しである。生産が独占企業によって「社会化」されるという傾向についても、シュンペーターの見通しはマルクスと似ていた。シュンペーターは「資本主義は生き残れるか」と自問して「否」と答えている。

両者の最大の違いは、マルクスが資本蓄積とともに利潤率が低下し、労働者は窮乏化すると予想したのに対して、シュンペーターはイノベーションによって資本主義は成長し続けると考えたことだ。経済が成熟すると投資が不足して成長が止まるという「長期停滞論」は、ケインズにも新古典派にも共通した考え方で、シュンペーターは少数派だった。彼の思想は、弟子であるサミュエルソンやトービンなどには継承されず、経済学の主流では、シュンペーターのような「哲学的」な議論は軽蔑されるようになった。

いまシュンペーターが注目されているのは、こうした主流の経済学が行き詰まったためだろうが、彼の著作で企業家精神やイノベーションについて具体的な分析が展開されているわけではない。彼自身は晩年、進化論に興味をもっていたようだが、資本主義のダイナミズムを理論化することはできなかった。しかし彼の限界は、そのまま現在の経済学の限界なのである。

iPodは何を変えたのか?

産経新聞に私の書評が出た。

週刊ダイヤモンドやアスキードットPCの書評は、本を自分で選ぶのだが、こういう単発の書評は編集部が本を決めて依頼してくるので、引き受けておいて読んでから「これは他人にはすすめられないな」と思ったときの書き方がむずかしい。

「iPodだけで1冊の本になるの?」と疑問をもったあなたは正しい。iPodの話は全体の1/3ぐらいで、あとはポップ・カルチャーをめぐる雑談と、著者の「おれはジョブズとダチなんだぜ」という類の自慢話。

株主価値と編集権

ルパート・マードックによるWSJの買収提案は、市場価格を65%も上回る破格のものだが、いつもは株主価値を最優先するWSJが連日、何ページも費やして「マードックは個別の記事やレイアウトにまで介入して、メディアを商業化する。編集権の独立性が侵害される」と反対キャンペーンを張っている。

これに対してEconomistは、「新聞が大衆化するのは、インターネット時代に生き残るには、いずれにしても避けられない。マードックの編集判断は、そんなに悪くないよ」と、いつものように皮肉っぽい。

教訓:他社の株主価値が最大化されるのはいいことだが、自分の会社には「市場原理主義」で測れない価値がある。






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