新聞休刊日

今日は「新聞休刊日」である。

休日でもない日に新聞だけが休みになるというのは、世界にも例をみない奇習だ。しかも、なぜ全紙いっせいに休まなければならないのか。読者の不便を考えるなら、せめて各社ごとに休む日を変えるのが当たり前だろう。休みの日に他紙を読まれると、自社のお粗末な報道がわかって困るのだろうか。

労働の軽減という観点からいうと、少なくとも土曜の夕刊をやめたほうが合理的だろう。本来は、大阪の産経のように夕刊なんか全部やめ、販売店も各社で共有すればいいのだ。こんな簡単な合理化もできない新聞社に、郵便局を合理化しろなどと説教する資格はない。

Skype

スカイプが、日本でも営業を始めるという。

しかし、この親元のKaZaAには要注意だ。3年ぐらい前、使ったときはスパイウェアがいっぱい入っていて、ブラウザを開くたびにセックスサイトのポップアップ広告が出てきて困った。しかも、そのスパイウェアにバグがあり、アンインストールできない。最後はウインドウズのレジストリを手で書き換えなければならず、冷や汗をかいた。

このスカイプも、性能は問題ないようだが、盗聴されていないという保証はない。万が一、そういう問題が起きても、損害賠償を要求することはできない。この会社の本社はオランダにあり、その親会社はバヌアツなどのタックス・ヘイヴンにあって、刑事・民事の訴追を受けないしくみになっているからだ。使うなら、あくまでも自己責任で。

アフターダーク

村上春樹の「デビュー25年記念作」を読んだ。

私は、その25年前の『群像』1979年6月号から、彼の小説はリアルタイムですべて読んできたが、その中でいうと、本作は5段階評価の「3」というところだ。ちなみに、「5」は「1973年のピンボール」だけ。

『海辺のカフカ』の延長上で、中途半端にストーリーがあって読みやすいが、イメージに力がなく、リアリティに乏しい。コアになる「眠る女」のイメージが、他の連れ込みホテルなどの話と噛み合わず、浮いてしまっている。彼はもともと長編作家ではなく、細部の造形力で勝負する作家だが、『ノルウェーの森』の成功で「大家」になって、初期のようなシャープさがなくなってしまった。

しかし、彼が世界に通用する唯一の日本人作家であることには変わりない。初期の作品を超えるのはもう無理だと思うが、変に老成せず、これからも新しいフロンティアを開拓してほしいものだ。

日本的blog

ブログを始めて、1ヶ月がたった。当初は1日に1万ページビューを越すこともあったが、最近はだいたい1000pv強で落ち着いているようだ。これはRIETIのトップページよりも多い。今や情報の価値は、組織ではなく個人によって決まる時代なのだろう。こういう情報のフラット化は、WWWの初期から予想されていたことだが、ブログはそれを促進したのかもしれない。

しかしgooのブログを見ると、圧倒的多数が匿名だ。これは米国のブログとまったく違う特徴である。もともとブログの生まれた理由は、大手メディアとは違う自分の意見を伝えたいということなので、匿名では意味がない。その内容も、日本では身辺雑記や噂話がほとんどで、米国のブログのような政治的な主張は見られない。

ここには世界最大の匿名掲示板「2ちゃんねる」と共通の特徴がある。要するに「自我」が希薄で、「他人」への関心が強く、「世界」には関心がないのだ。ブログの作者の大部分は若者だと思われるが、これは彼らの親の世代の特徴を忠実に受け継いでいる。私は「日本人の国民性」という類の議論はきらいだが、これを見ると、よくも悪くも容易に変わらない共通部分があるということは認めざるをえない。

成果主義

このごろ「成果主義」に対する風当たりが強まっているようだ。『虚妄の成果主義』がベストセラーになったと思ったら、今度は『内側から見た富士通』がベストセラーのトップになっている。

これは一時期の成果主義一辺倒に対する批判としては当たっているし、富士通の労働実態がひどいものであることは事実らしい(これは前からそうだった)。しかし、そこからいきなり「日本型年功制」がベストだという答に飛躍するのはまちがいである。年功序列がすばらしいのなら、役所や銀行がもっとも効率の高い組織だということになる。

経済学では、この種の問題についての研究は昔からあり、一般的にいうと、成果の「測定可能性」に応じて最適なインセンティヴの強さは変わる。タクシーの運転手のように仕事と成果が1対1に対応しているような場合には成果主義でよいが、経理や庶務のように成果が数値であらわしにくい業務については、成果主義で評価すると地道な仕事をだれもやらなくなってしまう。

だから今までの日本の会社のように「みんな一緒」に仕事をする場合には、インセンティヴは弱いほうがいいのだが、金融・コンピュータ・ソフトウェアなどの成長分野では、仕事は「モジュール化」され、測定可能性は高まっている。同じ仕事を日本でやるか中国に外注するか、という比較もできるようになっている。こういうとき、身内の「和」ばかり気にしていては、激しい技術革新に取り残されてしまう。

要するに、万能の評価システムなんてないのだ。仕事の種類に応じてインセンティヴは違うべきであって、一律に成果主義というのもおかしいが、一律に年功序列という日本の会社の人事システムもおかしいのである。

iPod

わが家にもiPodがやってきた。といっても、妻が買ったのだが。

「第4世代」で、実売3万円で20GB。私の使っている3年前のPCよりも大容量で、わずか150gだ。ハードディスクは、年2倍という「ムーアの法則」以上のスピードで性能が上がっている。帯域とストレージは代替財だから、今後はリアルタイムの「放送」がDVDレコーダーなどのハードディスクに取って代わられるだろう。

機能のほとんどは、iTunesというDRMソフトウェアで実現しているが、オンライン配信が日本では利用できないので中途半端だ。フォーマットとしてWMAをサポートしていないので、マイクロソフトの音楽配信が多数派になったとき、またMacのような悲哀を味わうかもしれない。リアル・ネットワークスがRealAudioをiPodで読めるように変換するHarmonyというソフトウェアを発表したとき、スティーヴン・ジョブズは「訴える」と怒ったが、これはお門違いだ。iPodにとっては、読めるフォーマットが増えることは有利なのである。

Creative MediaやiRiverなどの「iPodクローン」もたくさん出ているが、こっちは何でも読める。最悪なのは、ソニーの「ネットワーク・ウォークマン」で、ATRACというソニーのDRMしか使えない。かつて1980年代にIBMクローンが登場したとき、日本だけ各社が独自フォーマットで競争して自滅した教訓に、何も学んでいないのだろうか。

ソフトバンクのrent-seeking

ソフトバンクBBが、800MHz帯についてのパブリック・コメントで携帯電話への参入の意向を表明した。ただし実際には、電波が割り当てられないかぎり参入はできない。

孫正義氏が日本最後のタブー、電波利権に挑戦するのはけっこうなことだが、今回の意見書は、他の業者の電波をソフトバンクに分けろという筋の悪い話だ。こういうふうに規制の恩恵を業者間で争うことを、経済学でrent-seekingという。ソフトバンクがDSLでやってきたことも、世界一きびしい日本のアンバンドル規制を利用してNTTを攻撃しながらそのインフラにぶら下がる、典型的なrent-seekingである。こんなことをいくらやっても、規制の枠組は変わらないし、真の競争は生まれない。

米国では、FCCのパウエル委員長がblogで、デジタル放送に割り当てたまま使われていないUHF帯を無線LANに開放することを提案している。WiMaxという新しい無線LAN技術を使えば、携帯電話と同等のサービスが免許なしで可能だ。ソフトバンクが電波利権に本気で挑戦するなら、免許制度そのものの廃止を提案すべきだ。孫氏の要求は「おれにも電波利権の分け前をよこせ」というrent-seekingにすぎない。

追記:Trackbackで指摘されたように、WiMaxが「携帯電話と同等」というのはいいすぎだった。むしろ「ラストワンマイル」として携帯電話よりも低コストで有望、といったほうがいいだろう。無線=モバイルではないからだ。またパウエル委員長もいっているように、「オーバーレイ」で使うなら免許は必要ない。

デカップリング

通信政策では「アンバンドリング」が重要なテーマだが、農業では「デカップリング」という。これは、従来の農業補助金のように生産奨励と所得補償を一緒に行う政策から、両者を切り離して農民への直接支払いを行う政策に変えることだ。これによって、高価格や過剰生産などの歪みを引き起こさないで中核農家を育成できる。

これは1980年代にOECDで提案され、欧米では徐々に導入されているが、日本では研究が始まったばかりという段階だ。私の元同僚も、以前からこうした政策を提案しているが、実現する見通しはない。民主党はマニフェストに掲げているが、どこまで本気でやる気なのかはわからない。補助金を廃止して大規模農家だけに直接支払いをしようとしたら、圧倒的多数の兼業農家の反発をまねくことは必至だからである。

このように所得の再分配を価格支持によって行う「弱者救済」の規制は、大店法をはじめ非常に多い。いま問題になっている郵便の「ユニバーサルサービス」なども、その一例だ。しかし全国一律のサービスが必要だとしても、それを政府が行う必要はない。バウチャーのような形で「デカップル」すればよいのである。しかし、政治家や官僚は「平等」を旗印にして「効率至上主義」に反対する。

資源配分の効率と所得分配の公平は分離可能だ、というのは経済学の教科書の最初に書いてあるが、なかなか直感的には納得しにくいようだ。もっとも、既得権が弱者救済と「カップル」された政策は、それを食い物にする人々にとっては都合がいいので、彼らが改革に反対するのは合理的だが。

NTTバッシング

9日の海老沢会長の参考人招致を前に、週刊誌では「NHKバッシング」が花盛りだが、光ファイバーの開放義務をめぐって、「NTTバッシング」も始まったようだ。その代表格が、町田徹『巨大独占・NTTの宿罪』である。

著者は、日経の記者だったころにも「NTT完全分割論」をとなえて、竹中平蔵氏のナンセンスなIT政策の応援団だった。「ドミナント規制は世界の常識だ」などという嘘を書き散らすので、私が批判したらGLOCOMにやってきて「名誉毀損で訴える!」と叫んだ。

しかし、ちゃんと話すと事情はわかっていて、「ドコモの公式サイトが独占の原因だから、それをつぶすために総務省はドミナント規制を持ち出している。まあ別件逮捕みたいなもんですよ」という。「それは、あなたの記事の趣旨とまったく違うじゃないか」と私がいうと、「公式サイトなんてわかりにくくて、産業新聞ぐらいにしかならない。やっぱり料金のようなわかりやすい問題でたたかないと・・・」というのであきれた。

この本の大部分も、そういうセンセーショナルなNTTバッシングだが、さすがに新聞記者でなければ聞けない当事者の話があって、ルポとしてはよく書けている。2次情報の切り貼りで「孫正義バッシング」をやっている某ルポライターの本などより、はるかに読む価値がある。しかし結論に、また「東西会社の完全分離」が出てくるのにはうんざりだ。インターネット時代に、市内電話網を長距離から切り離すことに何の意味があるのか。

取材力のある記者だから、あとはもうちょっと通信政策の基本を勉強してほしいものだ。参考文献としては、私の論文をおすすめする(これは学会賞をもらうことになった)。

PHS

私は、月産わずか4万台という超少数派になったPHSのユーザーである。ふだんはちゃんとつながるのだが、私の自宅(自由が丘)ではどういうわけかよく切れる。どうやら隣にコンクリートの建物があるせいらしい。

PHSユーザーは、中国では5000万人を超え、携帯電話をおびやかしているというのに、日本で不振なのは、10mWという低出力に制限したためだ。こういう規制を緩和して、携帯なみのエリアで使えるようにすれば、復活するはずだ。最近、DDIポケットをカーライル・グループが買収したから、外圧を利用して規制緩和を実現してほしいものだ。







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