問題は格差ではなく生産性だ

格差シリーズの続きとして、最近話題になったバーナンキFRB議長の所得分配についての論文を紹介しておこう。これは最近アメリカでも所得格差が拡大している原因を考え、政策的な対応を考えたものだ。要旨は次の通り:
先進国の平均所得は戦後一貫して上昇しており、最低所得も上昇している。しかし所得格差は、戦後は縮まっていたが、ここ30年は拡大している。この期間に、アメリカの下位10%の所得は4%しか上がらなかったが、上位10%の所得は34%上がり、その結果、上位1%の所得は全所得の8%から14%に拡大した。さらに大卒のホワイトカラーと高卒のブルーカラーの賃金格差は、38%から75%に拡大した。

格差拡大の最大の原因と考えられるのは、ITによる生産性の急速な上昇である。ITの物理的な性能は、「ムーアの法則」として知られるように指数関数的に上がっているが、その経済的生産性はユーザーの技能と補完性をもつため、ITを使える労働者と使えない労働者の技能の差が、ITを梃子にして拡大されるのである。

さらに市場がグローバル化によって拡大したため、メディアへの露出を高めるスーパースターの限界生産性が高まり、トップのスポーツ選手や芸能人の報酬が巨額になった。金融市場が広がったため、投資銀行家や経営者の能力の差も拡大された。CEOの巨額報酬がよく批判されるが、経営者も「資産」の一つと考えると、その報酬は彼らの能力による収益の差によって正当化されるとする実証研究が多い。

経済のグローバル化によって先進国の単純労働者の賃金が途上国に近づくという効果は、理論的にはあるが、実証研究では確かめられていない。もっとも重要なのは、労働者の高い技能を要求する情報技術革新である。

また労働組合の組織率が低下し、非正規労働者が増えたことも一因だ。これが賃金格差の10~20%を説明する。

したがって格差の拡大に歯止めをかけるには、労働者がITに対応できるように再教育を行うとともに、能力の高い労働者が生産性の高い職場に移動しやすくするため、年金などの制度をポータブルにすることが重要だ。問題は格差そのものではなく、新しい仕事に挑戦できるチャンスを最大化することである。
「格差是正」をテーマにして国会論戦や参議院選挙を行うことは、日本経済についてのアジェンダ設定として根本的に誤っている。政府は民主党の土俵には乗らず、このバーナンキの問題設定のように、生産性をいかに高めるかを考えるべきだ。その際もっとも重要なのは、ITの急速な進歩に対応するため、能力の高い労働者がその能力を発揮できる(情報生産性の高い)企業に移動できる柔軟性を高めることである。

国営化される民放

NHKの受信料支払い義務化は、序幕にすぎない。今度は予想どおり、地デジのチューナーを無料配布することが検討されている。このチューナーを1台5000円とし、2011年段階でアナログのまま残る受像機を(業界の予想どおり)5000万台としても、総額で2500億円になる。これは総務省の電波政策の失敗を税金で補填し、民放まで含めた全テレビ局に政府が現物出資して、放送事業を国営化するものだ。

しかし、こういう政策は諸刃の剣である。これは政府が、2011年までにデジタル化を完了することは不可能だと公式に認めることを意味するから、アナログ停波という脅しがincredible threatになる。チューナーが配布されることがわかっていれば、テレビを買い換えないで2011年を待つことが合理的になるから、デジタル化はさらに遅れるだろう。

もう一つの問題は、政府が千万台単位のチューナーを調達することによって、家電メーカーがゼネコン化することだ。どうしても配布したいのなら、(同じようにデジタル化に失敗した)アメリカのようにクーポンにし、そのコストは地デジを強要した総務省の職員と、電波利権でもうける(全業種中最高の賃金をもらっている)テレビ局が負担すべきだ。納税者が、彼らの尻ぬぐいをするいわれはない。

追記:吉田望氏も指摘するように、チューナーだけ配っても地デジは見えない。アンテナや共聴設備などを考えると、アナアナ変換のように1世帯数万円かかるだろう。

e-Taxの憂鬱

今年も、確定申告の受付が始まった。国税庁は、電子納税システムe-Taxの利用を呼びかけ、税務署ではベッキーがPCで体験して「簡単!」などといっていたが、本当だろうか。実は、わが家でも去年、e-Taxでやろうとしたが、挫折した。その手続きが、あまりにも複雑だからだ。国税庁のサイトによれば、事前準備だけで
  1. 開始届出書の提出
  2. パソコン等の準備
  3. 電子証明書の取得
  4. ICカードリーダライタ等の取得・設定
  5. 利用者識別番号の受領
が必要になる。なかでも問題なのは「電子証明書」だ。これは住基カードのことで、このために区役所へ行って申請しなければならない。しかもこれを使うには、3000円以上出してICカードリーダーを買わなければならない。領収書などの添付書類は、どっちみち郵送しなければならないので、紙で出すほうが簡単だ・・・というわけで、システム導入から3年たっても、e-Taxの利用率は個人で0.2%、法人でも1.4%である。

そもそも疑問なのは、なんでこんな厳重な本人確認が必要なのかということだ。他人になりすまして税金を払う人なんているのだろうか? 磯崎さんも指摘するように、アメリカでは5桁のパスワードで手続きできる。日本でこういう異常な「セキュリティ」が要求されるようになったのは、「行政が非効率でもかまわないからプライバシーを守れ」と主張する山形浩生氏のような連中の攻撃を、行政が恐れたからだ。

しかも、このシステムの構築にかかった経費は500億円。間違えないようにいうと、e-Tax自体で現金を送金するわけではなく、ただ納税申告書をウェブでファイル転送するだけである。それにこんなコストがかかるのは、「セキュリティ」を守るために専用サーバや専用線などの高価な設備を調達したからだ。国税庁のシステムでもっとひどいのは、KSKという税務署間の連絡ネットワークで、構築に12年かかり、4000億円の初期費用と毎年600億円もの維持費がかかっている。

同じような問題は、昨年パスポートの電子申請システムでも問題になり、システムが廃止された。しかし廃止してはいけなかったのだ。住基カードを使わないで、パスポートを取りに来たとき本人確認すればいいのである。利用率が0.7%しかない住基カードが、電子政府のボトルネックになっている。必要なのは行政の電子化をやめることではなく、住基カードをアンバンドルすることだ。

名前の英文表記

Gmailなどで名前を整理するとき、日本人の名前の表記は混乱していて不便だ。パターンとしては、だいたい次の5通りがある:
  1. Shinzo Abe
  2. Abe Shinzo
  3. ABE Shinzo
  4. Shinzo ABE
  5. Abe, Shinzo
一番多いのは1だが、これはソートすると名のほうで整列されるので、データベース化するとき不便だ。だいたい「姓―名」の順になっている中国文化圏のほうが合理的なのに、欧米の不合理な方式に合わせるのは卑屈だ。中国や韓国の人の名刺は、ほとんど「姓―名」の順になっている。欧米メディアの扱いは混乱しており、政治家は"Mao Zedong"のように中国式だが、それ以外は"Kyung Wha Chung"のように欧米式が多い。香港人や欧米在住の中国人は、"Jackie Chang"のようにファーストネームをつけてわかりやすくすることが多い。

2は国語審議会の答申で推奨された方式だが、欧米人には混乱をまねき、"Dear Dr. Nobuo"とかいうEメールが来たりする。3は、EU委員会(ハンガリーがあるから)や一部の理科系の学会などで採用している方式で、私もこれを使っている。この方式の難点は、合理的だが字面が美しくないこと。だから4は意味がない。5も悪くないが、csvデータなどではカンマが混乱のもとになる。

まぁどれでもいいんだけど、混在しているのが一番よくない。影響力のある人が使うと、de facto standardになるから、ブロガーのみなさんも、ぜひ3を使ってください。

追記:日付の表記も日本式(2007/2/17)が合理的なのに、わざわざアメリカ式(2/17/2007)にする人がいる。これは最悪で、まだ欧州式(17/2/2007)のほうがましだ。前にもどこかのブログで話題になってたけど、数字のカンマも日本では4桁ごとのほうが合理的で、私の子供のころは学校ではそう教えていた。こういうところに不合理な「グローバル・スタンダード」が広がるのは困ったものだ。

限界生産性とPPPについての超簡単な解説

わかりきった「生産性」論争はもう終結したと思ったのだが、4日間で9万ページビューも集まり、200以上の(大部分は混乱した)コメントがついて、「限界原理ってわかりづらい」とか「限界生産性vs平均生産性って何?」とかいうTBもたくさんついた。私の説明がまずかったのかもしれないので、おまけとして超簡単に教科書的な解説をしておこう。

限界原理というのは、ちっともわかりづらいものではない。むしろ、わかりやすすぎることが怪しいぐらいの話だ。前の記事の説明を繰り返すと、喫茶店のウェイトレスをあらたに雇って時給800円を払えば、1時間に売り上げが800円以上増えるとき、店主はウェイトレスを雇うが、売り上げ増がそれ以下なら雇わない。それだけのことだ(もうちょっとちゃんとした解説はここ)。

しかし、世間の常識と違うことが一点だけある。それは、問題は平均値ではなく、個別の店の売り上げ増だということである。世間の賃金相場がいかに高くても、あるいは喫茶店の売り上げがいくら多くても、ウェイトレスを増やすことで彼女の賃金以上に売り上げが増えなければ損するから、限界生産性を上回る賃金を払い続けることはできないのである。これが成り立つのに必要な条件は、前にも書いたようにいろいろあるが、重要なのは完全競争だということ。

問題は、日本のウェイトレスの時給がなぜ中国より高いかということだが、これも答は同じだ。両方の限界生産性が違うのだ。ウェイトレスの限界生産性は、彼女を雇ったことによる売り上げ増であらわされる。それが中国より高いのは、日本人の所得が高いとか土地が高いなど、いろいろな理由があるが、それはすべてコーヒーの価格に(したがって限界生産性に)織り込まれているのである。その価格は需要と供給で決まり、「平均生産性」とは何の関係もない。ドトールのように、生産性が上がるとコーヒーの価格が下がる場合もある。

ここで、ちょっとむずかしい話が出てくる。これまでの記事では、為替レートはPPP(購買力平価の均等化)によって無視してもよいと考えてきたが、この点がちゃんと伝わっていないようだ。PPPとは、たとえば日本円で1台のPCを買える金額を人民元に交換すると、中国で同じPCが買えるように為替レートが決まるという原理だ。今日の人民元は15.6円。つまり日本で15万円のPCが中国で1万元で買えるということだが、これはほぼ実際の価格に近い。

PCのように競争が完全に機能し、為替レートが自由に変動すれば、所得水準などに依存する購買力の違いは、為替レートに反映される。かつて1ドル=360円だったころ、日本の自動車産業はアメリカの半分近い価格で車を輸出した。これが変動為替相場になると、円は日本車がアメリカ車と同じ価格になる(1ドル=180円)まで強くなる。このとき国内のウェイトレスの生産性は何も上がっていないが、彼女が海外旅行で使う円の価値は2倍になるわけだ。

しかし貿易財のPPPで均衡が成立しているのは一部の製造業だけで、あとの産業は円が強くなると相対的に(ドル建ての)コストが高くなるので、新規参入が起こり、価格が均等化するはずだ。サービス業でも、外食産業のように競争的な部門では、ビッグマック指数としてEconomist誌が表示しているように、PPPがかなり成立している。

おわかりだろうか。変動相場制のもとでは、国内・国際競争さえあれば、為替レートで調整した(ドル建ての)コーヒーの価格は全世界で均等化し、所得とも「平均生産性」とも関係ないのだ。ウェイトレスの時給はコーヒーの価格と均等化するから、競争があれば、日本と中国で均等化するはずだ(*)。しかし現実には、非貿易財やサービスの価格は、どこの国でもPPPと乖離している。ここから先は、限界生産性からの乖離で説明するしかない。規制や労働移動の硬直性などによって不完全競争(独占的な効果)が生じ、限界生産性を上回るレント(超過利潤)が生まれるのである。

またウェイトレスの賃金をプログラマと横並びで上げるといった生産性を無視した賃金決定が行われると、PPPから乖離する。つまり現実の賃金は限界原理で決まっていないが、それは不完全競争によるものなのである。そして現代の日本では、グローバル化などの圧力で、こうした不完全性が少なくなっているので、部門ごとの格差が顕在化しているわけだ。

これ以上わかりやすく解説することは、私の能力を超えるので、あとは教科書を読んでください。たとえば『マンキュー経済学』のPPPの項には、散髪屋を例にとって、この記事とほとんど同じ解説がある。

(*)実際には、日本と中国の賃金の差は、見かけほど大きくない。中国の賃金は日本の1/30だが、労働生産性を勘案した単位労働コストでみると、80%程度に縮まる。この記事でいう競争の不完全性というのは、この20%の差だから、意外に競争原理は機能しているわけだ。

賃金格差の拡大が必要だ

山形浩生氏との訳のわからない「生産性論争」も、ようやく終結したようだ。前の記事には「学部生向けの経済学Iの内容がここまでも世間では理解されていないということに衝撃を受けています」という経済学者のコメントが来たが、私も同感だ。経済学ってつくづくマイナーな学問なんだな・・・

ただ、山形氏は自分でもいうようにそう頭が悪いわけではないから、これが世間の庶民の標準的なレベルなのだろう。「格差国会」で議論している国会議員(特に民主党)にも、限界原理どころか需要と供給もわかってない人が多い。当ブログは民主党の議員も読んでいるようだから、格差について議論する際のポイントを簡単にまとめておく。

山形氏が誤解しているように、賃金が限界生産性と関係なく「世間相場」(平均生産性?)で決まると思っている人は多い。現実にも、かつては「春闘相場」で横並びの賃金決定が行われてきた。これは、実質的には超効率的な輸出産業から非効率的なサービス業への「補助金」である。

しかし、このような限界生産性から乖離した賃金決定は、各部門の生産性の格差が拡大すると維持できない。生産性の上がらないサービス業で製造業並みの賃上げを続けていたら、経営は破綻するからだ(*)。他方、労働組合は既得権としての横並び賃金を守ろうとするから、経営者はパートなどの非組合員を増やすことによって実質的な賃下げを行う。民主党の支持基盤である労組が没落した最大の原因は、彼らの「談合」的な賃金決定が時代の変化に適応できなかったことなのだ。民主党が主張しているような規制を行えば、労組の組織率がさらに落ち、自分の首を絞める結果になるだろう。

こうした競争圧力は、今後さらに強まると予想される。その最大の原因は、中国である。前にもふれたように、中国からの輸入やアウトソーシングの増加によって要素価格が均等化し、付加価値の低いブルーカラーは中国の労働者と競争することになる。これまで生産性の低い部門に再分配されていた輸出産業の超過利潤は低下するから、多くの部門で「裸の生産性」が露出し、単純労働者の賃金は中国に引き寄せられて、格差はさらに拡大するだろう。

では日本政府はどうすべきだろうか。前に書いたように、賃金規制は失業率を高めるだけだ。保護貿易によって国内市場を競争から遮断することはできるが、成長率が低下するばかりでなく、保護された産業の競争力が衰えて、長期的にはかえって危険である。知識集約型の製造業や金融を含む広義の情報産業などの付加価値の高い産業に特化して、日本の比較優位を生かすしかない。

私は日本人の情報リテラシー(比較優位)は高いと思うが、情報産業での日本企業の競争力は高くない。その大きな原因は、生産性のきわめて高いプログラマなどの賃金も、製造業的な横並びになっているためだ。ブログでよく出てくる、プログラマの過酷な労働条件と安い賃金は、彼らの生産性に見合った賃金が支払われないため、供給が慢性的に不足することから生じるのである。こうした部門では、労働時間で賃金を支払って年功賃金で会社にしばりつけるといった在来の賃金体系をやめ、優秀なプログラマには契約ベースで管理職より高い賃金を払う必要がある。

要するに、横並びの賃金決定が、一方では非正規労働者や失業者を増やし、他方ではプログラマの悲惨な生活をもたらしているのだ。日本経済が中国との競争で生き残るためには、むしろ各部門の限界生産性の差に対応して正社員の賃金格差がもっと拡大する必要がある。効率の高いIT部門の賃金を高めることによって人的資本の移行を促進し、TFPを引き上げることが「成長戦略」のポイントだ。その結果、所得が高くなる人は問題ではないので、生存最低限度より低くなる人にセーフティ・ネットを提供することが行政の仕事である。

「市場原理主義」を否定して、春闘時代の「古きよき日本」に戻そうとする民主党の主張は退嬰的であり、『国家の品格』に涙する老人の支持は得られても、若い世代の支持は得られないだろう。労働者を守ることと、労組の既得権を守ることは違う。いくら所得を再分配しようとしても、国際競争に敗れて収益が低下したら分配の原資がなくなる。よくも悪くも、昔に戻ることはもう不可能であり、市場原理を認めた上で前進するしかないのである。

(*)あるいは収益を維持するためには、賃上げにあわせてサービス価格を生産性の上昇以上に引き上げなければならない。この結果、インフレが生じるというのがBalassa-Samuelson効果である。しかし価格・賃金が限界生産性と乖離すると、新規参入によって利益を得られるから、最終的には限界生産性に近づく。

追記:小飼弾氏からのTBは正しい。限界生産性原理が成立するのは、生産関数が線形分離可能な場合に限られ、「チーム生産の外部性」がある場合には、限界生産性に等しい賃金を支払うことはできない(Alchian-Demsetz)。「この会社がカンボジアにあったとしたら・・・」というのは、前にもふれたTFPの問題である。こういう外部性があると賃金決定は複雑になり、一意的な最適解はない。ここで論じたのは、単純化した話である。

追記2:昨日の記事では、山形氏は反論もできず、「分裂勘違い君劇場」に助けを求めているが、この話は彼がデカ文字で強調した「賃金水準は、[労働者の]絶対的な生産性で決まるんじゃない。その社会の平均的な生産性で決まるんだ」という命題を証明していない。だいたい平均生産性だけで賃金が決まるのなら、プログラマとウェイトレスの賃金の差は何で決まるのかね。

ICPFセミナー「インターネットの有害情報と表現の自由」

ユーザー参加型の「Web2.0」といわれるサイトが増えるにつれて、有害情報や迷惑行為の被害も広がっています。2ちゃんねるだけでなく、ウィキペディアやミクシィでも名誉毀損やわいせつ画像が問題になり、先日は大量の児童ポルノ画像をホームページで公開していた小学校教師が逮捕されました。

こうした問題に対処する民間団体として、財団法人インターネット協会に「インターネット・ホットラインセンター」が昨年、設立されました。その集計によれば、6ヶ月間に通報された有害情報は24000件にのぼります。他方、こうしたサイトを取り締まることによる表現の自由の侵害を懸念する向きもあります。

情報通信政策フォーラム(ICPF)では、インターネット協会副理事長の国分明男さんをまねき、インターネットのセキュリティのあり方、表現の自由はどこまで守るべきなのか、匿名性はどこまで制限されるのか、といった問題を考えます。

スピーカー:国分明男(インターネット協会副理事長)
モデレーター:原淳二郎(ICPF理事)

日時:3月5日(月)18:30~20:30
場所:「情報オアシス神田」
    東京都千代田区神田多町2-4 第2滝ビル5F(地図

入場料:2000円
    ICPF会員は無料(会場で入会できます)

申し込みはinfo@icpf.jpまで電子メールで氏名・所属を明記して
(先着順で締め切ります)

生産性と「格差社会」

山形浩生氏から反論(らしきもの)が来た。例によって冗漫でわかりにくいが、彼のいいたいのは要するにこういうことらしい:
さて国は国民経済統計を集計して、総生産を発表していますわな。労働者人口もそこそこの精度で発表しています。総生産を労働者の数で割ったら、全国でならした平均生産性は計算できるじゃありませんか。一人頭のGDPってやつですわな。そしてもちろん、国民総生産は国民総所得でもある、なんてことは言うまでもありませんよねえ。

つまりまさに平均的な生産性が平均的な所得を決めてるんじゃありませんか。そしてそれは池田説でも賃金の絶対水準を決めるんでしょ。どこに問題があるのかなあ。
ここで彼は「平均生産性」と「平均所得」が存在することを示している。それは当たり前だ。しかし両者が存在することが、どうして前者が後者を決めることになるのだろうか。たとえば同じように全国民の平均身長も存在するが、平均生産性は平均身長を決めるのだろうか?

経済の各部門の限界生産性は異なり、それによって賃金も異なる。その集計として平均は算出できるが、それは因果関係を意味しない。テストの平均点が山形君の成績を決めるわけではないのと同じだ。私は「日本の所得水準が高いぶんだけ、絶対価格は中国よりも高くなる」と(わざと曖昧に)書いたが、山形氏は見事にこれに引っかかって「じゃあ池田くんの言う『所得水準』はどうよ? 所得水準が絶対価格を決めるメカニズムはあるんだよねえ?」という。

残念でした。価格は、どんな教科書にも書いてあるように、需要と供給で決まるのだ。その需要を決める要因の一つが所得だが、所得水準が上がれば価格が自動的に上がるメカニズムがあるわけではない(PCのように競争的な製品の価格は所得と無関係に下がり続けている)。ましてウェイトレスの所得と「平均生産性」には、何の関係もない。製造業の生産性が上がっても、たとえばジャズ喫茶の限界生産性が下がれば、そのウェイトレスの時給は下がるのである。

話はこれでおしまいだが、彼が何を誤解しているのかを推測してみよう。どうもクルーグマンやソローが出てくるところをみると、彼のいう「平均生産性」とは、私が前に何度か書いたTFP(全要素生産性)のことをいおうとしているのではないか。中国の労働者が日本人の1割の賃金で働いたとしても、それは脅威ではない。なぜなら、労働生産性が違うからだ。彼らには、ラジカセはつくれてもPS3はつくれない。それは日本人がよく働くからではなく、過去の資本蓄積や共有知識などのインフラの効率(TFP)が違うからだ。これが日本のサービス業の価格が中国より高い一つの原因である。

しかしTFPは「平均生産性」ではないし、それが賃金を決めるわけでもない。TFP上昇の影響は部門ごとに大きく違い、たとえば半導体産業ではTFPの影響が大きいが、喫茶店では影響はほとんどない。したがって競争が激化してTFPが上昇する一方、賃金が各部門の限界生産性に近づくと、ウェイトレスのような単純労働者の時給は下がるかもしれない。いま問題なのは、このように国際競争やIT化によって平均賃金は上がっても賃金格差が開いていることだ。山形氏が長々と展開する「平均」談義は、格差社会について何も言うことができないのである。

追記:ここまで書いてから、前の記事に研究者からコメントがついた。「山形氏は池田氏の批判を骨子を理解していないのでは? 池田氏の批判は、要するに、『賃金水準はその職固有の限界生産性によって決まるのであり、すべての職の平均的な生産性によって決まるのではない』と言っているのであり、全然内容が違う気がしますが。山形氏の理論では、職業間の賃金格差の説明が付かないですね。」その通りなんですよ。今度はわかるかな?

追記2:念のためいうと、賃金が限界生産性と均等化するというのは、完全競争を前提にした話で、サービス業は参入障壁や規制などに守られているため、限界生産性を上回る「レント」が生じることが多い。TBでも指摘するように、生産性の高い(競争的な)製造業よりも生産性最低の(規制に守られた)銀行の賃金のほうが高いのである。

追記3:他人の誤解を理解するのはむずかしいが、やっとわかった(ような気がする)。山形氏はこう書く:「はやい話が、日本経済に一人しかいなかったら、その人の限界生産性=平均生産性=稼ぎ=消費で、何のちがいもないでしょう。」要するに、彼は日本経済に一人しかいない「パテ・モデル」で考えているわけだ。

しかし、プログラマとウェイトレスはどこへ行ったんだろう? 最初は、ウェイトレスの時給が製造業のハイテク労働者の生産性で決まるという(通念と違う)話をしたはずが、辻褄をあわせているうちに、「生産性の高い人は賃金も高い」という常識的な話にすりかわってしまった。パテ・モデルでは、職種間の賃金の差を説明することはできない。少なくとも2部門を考えた場合、「平均生産性」は各部門で賃金決定が行われた結果の集計として決まるのであって、その逆ではない。

ブログを書く理由

一昨日の記事のコメント欄で「分裂勘違い君劇場」を皮肉ったら、劇場主の逆鱗にふれたらしく、その記事が批判(?)されている。長いのでちゃんと読んでないけど、「コンテンツを、無料で気前よく放出してくれるのは、いったいなぜなのか?」というのはもっともな疑問なので、お答えしておこう。

第1の理由(もともとの動機)は、発想のメモだということだ。論文は一つのテーマで書けるが、1冊の本が一つのストーリーで書き下ろせることはまずないので、忘れないうちにいろんなネタを記録しておくのだ。コラムや書評なら、これを加工すればすぐ書けるし、いま書いている本も、このブログの記事を素材にしたものだ。その意味では、私にとっては無料ではない。これってもしかすると、書き手のインセンティヴと情報流通の効率性を両立させる賢いしくみかもしれない。

第2の理由は、政策担当者やビジネスマンに影響を与えることができるということだ。当ブログのアクセスは、月曜の朝にピークがある。これは霞ヶ関や企業の人々が、業務として読んでいるということだろう。某省では、当ブログを参照する省内メールがよく回ってくるそうだ。文体があまり一般向けでないのも、こうしたプロフェッショナルな読者を想定しているからだ。

7年前、HotWiredに連載したころは、HotWired(当時としてはメジャーなウェブマガジン)全体の月間ページビューが30万PVだった。それが今では、当ブログだけで月間50万PV近い。ここまで読者が増えると、メモというわけには行かないので、ある程度「読み物」としての完成度を意識しなければならない。原稿を書くそばから素材が増えていくので、本がなかなか完成しない。正直いって最近はちょっと重荷だ・・・というわけで、こういう手抜きの記事も書いてみた。

生産性をめぐる誤解と真の問題

知らない人から「これは本当の話なんでしょうか。 もしよろしければ論評をお願いします」というコメントが来た。そのリンク先にあった「生産性の話の基礎」という記事は、私には(おそらくほとんどの経済学者にも)理解不能である。筆者の山形浩生氏によれば、これは「経済学のほんの基礎の基礎」だそうだが、それは少なくとも大学で教えられている普通の経済学ではない。

これだけ徹頭徹尾ナンセンスだと、どこがおかしいかを指摘するのはむずかしいが、山形氏が赤いデカ文字で強調しているのは、「賃金水準は、絶対的な生産性で決まるんじゃない。その社会の平均的な生産性で決まるんだ」ということである。この平均的な生産性というのは、どうも日本全国のすべての部門の労働生産性の平均ということらしいが、そんなもので賃金が決まるメカニズムは存在しない。

普通の経済学では、賃金は労働の限界生産性と均等化すると教えている。たとえば喫茶店のウェイトレスをあらたに雇って時給800円を払えば、1時間に400円のコーヒーが2杯以上よけいに売れるとき、店主はウェイトレスを雇うが、ウェイトレスが増えて限界生産性が低下し、1人増やしてもコーヒーが1杯しか売れなくなったら雇わない。

山形氏は、日本のウェイトレスが途上国のウェイトレスより高い賃金をもらっていることを説明しようとしているようだが、これは彼のような訳のわからない話を持ち出さなくても、上の教科書的な論理で説明できる。日本では、ウェイトレスを1人雇うことによって増える売り上げは800円だが、中国では80円しか増えないかもしれない。この場合には、時給も限界生産性に均等化されるので、80円になる。では、なぜ1杯のコーヒーが日本では400円なのに、中国では40円なのだろうか? それはサービス業では国際競争が不完全だからである(ここでは簡単のためにサービスの価格だけを考え、豆の価格は無視する)。

コーヒーの価格は他の財・サービス(たとえばパン)との相対価格で決まるから、たとえ日中でコーヒーとパンの相対価格が同じでも、日本の所得水準が高いぶんだけ、絶対価格は中国よりも高くなる。この日中の絶対価格の差は、国際競争があれば均等化し、賃金も中国に近づく。もしウェイトレスに(半導体のように)グローバルな市場があれば、中国から安いウェイトレスを無限に輸入できるからだ。もちろん、そんなことはできないので、労働供給の制約によってウェイトレスの時給は中国の水準までは下がらないのである。

しかし、この国際競争の不完全性も克服されつつある。まず製造業では、「要素価格均等化定理」として知られているように、低賃金労働でつくられた製品を輸入することによって賃金が均等化する。ウェイトレスは輸入できないが、ラジカセは輸入できるので、ラジカセをつくるブルーカラーの賃金は中国の水準に近づき、結果としてそういう労働者は日本からいなくなる。こうした可能性はあくまでも理論的なものだったが、中国からの輸入の急増によって現実のものになろうとしている。

さらにITの進歩によって、サービスそのものも輸入可能になった。コールセンターやデータ入力などの単純作業を中国にアウトソースする企業が増えているから、そういう労働者の国内賃金も低下するだろう。特に技術のモジュール化によって業務がアンバンドルされると、要素価格均等化がサービス業でも実現し、競争力(限界生産性)の高い知的労働者と「コモディタイズ」するブルーカラーの格差が開く可能性がある(Grossman & Rossi-Hansberg)。

いま日本で生じている「格差拡大」の背景には、こういう国際分業の深化がある。それはまだ端緒的なものであり、「グローバリズムが格差をばらまく」などというのは誇張だが、その理論的可能性はある。これに対応するには、前にものべたように(資本・労働の)生産性を高めるしかない。この場合、労働生産性を高める上で重要なのは、人的資本を生産性の高い部門に移動し、労働の限界生産性と賃金が各部門で均等化するように効率的に再配分することである。平均的な生産性などというものには、何の意味もない。

補足:この記事にコメントした小飼弾氏の記事は、山形氏に輪をかけてナンセンスだ。ここで彼が「消費性」と名づけているのは「需要」のことだから、別に斬新なことを言っているわけではなく、教科書に書いてあることを間違った言葉で表現しているだけである。労働需要が供給と均衡する結果、賃金は限界生産性と均等化するのである。しかも「貯蓄も消費に含め」たら、所得はすべて自動的に「消費」されるのだから、消費は制約にならない。






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