市場・道徳・秩序

日本の官僚がアメリカに留学して「カルチャー・ショック」を受けた体験としてよく出てくるのは、パーティなどで"I'm a bureaucrat"と自己紹介すると、相手が「つまらない奴だな」という顔をしてよそに行ってしまう、といった話だ。これは英米の官僚と日本の官僚の位置づけの違いで、向こうでは官僚というのはclerk、日本でいう「ノンキャリア」のイメージなのだ。

日本のキャリアのような「知識人」が官僚になる国は珍しい。独仏がそれに近いといわれ、日本のシステムは明治時代にプロイセンの官制をまねたというのが通説だが、私の印象では、日本の官僚には儒教の影響が強いように思う。ちょっと前まで、霞ヶ関に立っていた案内板には「霞ヶ関官衙」と書かれていた。官衙というのは、律令制の官僚組織を示す言葉である。

『靖国史観』にも書かれているように、明治維新は儒教による革命であり、その指導者も儒教に圧倒的な影響を受けていた。丸山真男以来、明治維新が儒教を「克服」することによって近代化をなしとげたとする見方が政治思想史の主流だが、本書(文庫として再刊)のような最近の研究は、むしろ儒教的伝統との連続性を指摘している。

明治政府の思想的支柱が儒教であったことを何よりも明確に示すのは、いうまでもなく教育勅語であり、これを起草した元田永孚は、明治天皇のもっとも信頼する儒学者だった。他方、それに敵対する立場と考えられている中江兆民も、著者によればルソーの「主権者」を「君」と訳し、人民全体が「有徳君主」になる儒教的理想として民権論を考えていた。それどころか幸徳秋水でさえ、思想の根底にあったのは「武士道」(儒教の日本的変形)だったという。

日本の官僚機構でキャリアに求められるのは、テクノクラート的な専門知識ではなく、あらゆる部署を回って国政全体を掌握する「君」としての素養である。これも科挙以来の中国の官僚機構と同じだ。科挙の試験科目には、法律も経済もなく、求められたのは四書五経などの「文人」としての教養だった。官僚の権威を支えたのは専門知識ではなく、知識人としての「徳」だったのである。

それを象徴するのが、中国の官僚の心得とされた「君子は器ならず」という『論語』の言葉だ。君子は、決まった形の器であってはならない。必要なのは、個別の技術的な知識ではなく、どんな事態に対しても大局的な立場から臨機応変に判断できる能力である。だから科挙官僚は、現代の概念でいえば政治家であり、個別の行政知識については幕僚とよばれる専門家(日本でいうノンキャリ)を従えていた。

つまり「霞ヶ関官衙」と永田町には、2種類の政治家がいるのだ。そして法律の建て前では前者が後者に従うが、実際には情報の量でも質でも前者が圧倒的に優位であり、後者をコントロールしている。このダブル・スタンダードが、日本の政治を混乱させている最大の原因だ。その一つの原因は政権交代がないからだが、逆にいえば、政権はつねに「官衙」にあるから、政権交代があってもなくても大した違いはないともいえる。事実、細川政権に交代したときは、霞ヶ関主導はかえって強まった。

官僚の権威を支えているのは法律ではなく、こうした最高の知識人としての知的権威である。たとえば経産省がIT業界に対してもっている許認可権はほとんどないが、彼らが「情報大航海プロジェクト」を提唱すれば、業界がみんな集まってくる。それは、霞ヶ関が日本で最高のシンクタンクだと、まだ思われているからだ。しかし当ブログでも指摘してきたように、少なくともITに関しては、儒教的ジェネラリストは「情報弱者」でしかない。

だから最近の官僚たたきで、公務員になる学生の偏差値が顕著に下がっているのは、ある意味ではいいことだ。霞ヶ関は、もはや日本のthe best and the brightestが行くべきところではない。そして、官僚がただのclerkでしかなくなれば、民間がそれにミスリードされることもなくなるだろう。その意味で、キャリア官僚というシステムを解体することが究極の公務員改革である。

天下りは役所だけではない

年金騒動の陰に隠れて、公務員制度改革はすっかり忘れられた感があるが、本来は年金の名寄せなんて事務手続きの問題で、選挙で争うような政策ではない。公務員法のほうも「新人材バンク」ばかり話題になっているが、本質的な問題は公務員の昇進や転職のルールである。

これは公務員だけの問題ではない。民間でも、役員が子会社に「天下り」するのは当たり前だ。さらに厄介なのは、天下りもできない窓際族だ。NHKの私の同期は、だいたい地方局の副局長ぐらいだが、仕事はといえば、地元のライオンズクラブの会合に出るとか「ふれあいイベント」であいさつするぐらいで、年収1500万円ぐらいもらっているだろう。仕事が楽で生活が安定しているという点では極楽だが、「まぁ廃人みたいな生活だよ」と同期の一人が言っていた。こういう老人の飼い殺しが、日本の労働生産性を下げているのだ。

日本ではホワイトカラーが専門職として生きられないため、一定の年齢になったら一律に管理職になる。NHKの例でいえば、大卒社員は一斉に40前後で管理職になって取材現場から離れ、サラリーマン人生の半分以上を(非生産的な)管理職として過ごす。一般職より管理職のほうが多い職場も珍しくない。他方、欧米ではラインとスタッフがわかれており、定年まで記者やプロデューサーとして過ごす人も多い。たとえばアメリカの代表的なドキュメンタリー"60 Minutes"のプロデューサーDon Hewittは、35年間そのプロデューサーをつとめた。

今度の公務員法改正のように、50過ぎた官僚を「人材バンク」で斡旋しようというのは机上プランだ。そんな人的資本の償却が終わった老人をこれまで民間が引き受けてくれたのは、彼を通じて官製談合などの利益誘導ができたからであって、そういうレントがなくなれば、老人の転職市場は、ごく少数のexecutive marketに限られる。そういう「プロの経営者」としての見識や経験をもっている人は、霞ヶ関にはいない。

だから天下りを規制するとか人材バンクを作るとかいう問題ばかり議論するのではなく、公務員のキャリアパス全体を再設計し、専門職を育ててemployabilityを高め、40前に売れるようにしないと公務員の活性化や流動化は機能しないだろう。そうすると「逆淘汰」で行き場のない役人ばかり残る、という批判もあるが、前にも書いたように、私は日本のキャリア官僚の歴史的使命は終わったので、官僚はclerkだけでいいと思っている。これについては、記事をあらためて。

三田誠広氏との噛みあわない問答

きのうのICPFセミナーのスピーカーは、三田誠広氏だった。もう少し率直な意見交換を期待していたのだが、自分で信じていないことを長々としゃべるので、議論も噛みあわなかった。そのちぐはぐな質疑応答の一部を紹介しておこう:
問「これまで文芸家協会は、著作権の期限を死後50年から70年に延長する根拠として、著作権料が創作のインセンティブになると主張してきたが、今日のあなたの20年延ばしても大した金にはならないという発言は、それを撤回するものと解釈していいのか?」

三田「私は以前から、金銭的なインセンティブは本質的な問題ではないと言っている。作家にとって大事なのは、本として出版してもらえるというリスペクトだ。」

問「しかし出版してもらうことが重要なら、死後50年でパブリックドメインになったほうが出版のチャンスは増えるだろう。」

三田「しかしパブリックドメインになったら、版元がもうからない。」

問「そんなことはない。夏目漱石も福沢諭吉もパブリックドメインだが、全集も文庫も出て出版社はもうかっている。リスペクトもされているじゃないか。」

三田「・・・」
リスペクトなどというものは、著作権とは何の関係もない(*)。私たちは、立派な家を建てる大工やおいしい料理をつくる料理人にリスペクトを抱くが、彼らの作品は著作権で守られてはいない。彼らの作品が売れることで、リスペクトは表現されるからだ。要するに三田氏が守ろうとしているのは、著作者のインセンティブでもリスペクトでもなく、版元の独占利潤なのだ。

版元の利潤は、著作権で守る必要はない。たとえば岩波書店は、夏目漱石の本で今でも利潤を上げている。もしも著作権が死後200年ぐらいに延長されたら、岩波書店は文庫を出さないで高価な全集だけを出してもうけることができるだろう。しかしこうした独占は有害で、独禁法でも原則として禁止されているものだ。

三田氏は、宮沢賢治の例をあげて、彼が生前には1円の印税ももらえなかったが、その遺族は、松本零士氏の「銀河鉄道999」などのおかげで大きな収入があるという。しかし、これは賢治のインセンティブにならない不労所得である。
問「松本氏は模倣を非難するが、『銀河鉄道』は宮沢賢治の模倣じゃないか。」

三田「松本氏のように原作の価値を高める模倣はいいが、悪趣味なパロディはよくない。」

問「いい模倣か悪い模倣かは、だれが決めるのか?」

三田「遺族だ。」

問「遺族が死んだら、誰が決めるのか?」

三田「・・・」

問「このように著作権というのは、他人の創作活動を制限する。ブログには数千万人の著作者がいて、YouTubeには数千万本のビデオクリップがあるが、それを著作権訴訟が脅かしている。わずか数千人の小説家の業界エゴで、著作権法の強化を求めるのは無責任ではないか。」

三田「小説とブログは違う。われわれには芸術家として、文化を後代に伝える義務がある。」
全体としてわかったのは、三田氏は出版社やJASRACに利用されているロボットではないということだ。彼は、自分が作家としてはもう終わったことを自覚し、著作権ロビイストとして政治的に生き延びようとしているのだ。彼のスピーチの大半は、きわめて瑣末な著作権処理の事務的な手続き論に費やされた。たしかに、これをJASRACがいうより「作家」の肩書きをもった三田氏がいうほうが、文化庁の官僚が使いやすいだろう。

さらに悪いことに、彼はそれを100%嘘だとは思っていない。小説家という職業が特権的な存在だった時代の錯覚をまだ持ち、青空文庫や国会図書館に協力することで「芸術家の尊い使命」を果たしているつもりなのだ。しかし幸か不幸か、彼の小説は彼の死ぬ前にカタログから消えるだろう。

(*)著作権とリスペクトに強いて関係を求めるとすれば、著作者人格権だが、これは著者の死によって消滅するので、死後50年の問題とは無関係。

地デジFAQ

けさの朝日新聞に、アナログ放送が止まる「2011年7月24日まで、あと4年」という記事が出ている。例によって私が、否定的なコメントをする役だ。いつもこういう所に出てくるので、テレビ局に憎まれるのだが、他にいないのだろうか。ただ、いつも同じことばかりコメントするのもいかがなものかと思うので、よく質問される「地デジのFAQ」をまとめておこう。

Q. なぜ需要予測もはっきりしないまま、あわてて地デジを始めたのか?

A. アメリカが1998年にデジタル放送を始めたことから、「家電王国の日本がデジタルで遅れをとるわけには行かない」という郵政省の面子で始めた。家電産業の優位を守るという産業政策の側面が強く、消費者はカラー化のときのようにHDTVに飛びつくと考えていた。

Q. 業界は反対しなかったのか?

A. NHKはHDTV化を進めたかったので反対しなかったが、広告収入が増えないのに巨額の設備投資がかかる民放連は反対した。しかし郵政省が「国の助成金を、郵政省で何とかとるように考えます」と損失補填を約束したのでOKした、と氏家元民放連会長が証言している。

Q. 本当に4年後、停波できるのか?

A. どんなに楽観的に予測しても、2011年の段階で最低3000万台のアナログテレビが残る。しかも、この段階で残っている視聴者は年金生活者や独居老人などの「社会的弱者」で、テレビが災害情報などの唯一のライフラインになっている人が多いだろう。そういう人のテレビの電波を政府が無理やり止めるという決定が下せるだろうか。

Q. 停波の延長は避けられないということか?

A. 総務省も、すでにNHKや民放連と話し合っている。来年、次の免許更新があるので、そのとき一定の見通しが出るだろう。さしあたり1回(3年)延期して様子をみるといった政策がとられるのではないか。ただ延長するには、電波法の改正が必要なので、容易ではない。

Q. さらに国費投入はあるか?

A. すでに「難視聴対策」と称して100億円が支出されている。生活保護世帯には国費でチューナーを支給するといった案もあるようだが、放送を見るにはアンテナなど1世帯あたり3万円ぐらいかかる。生活保護を受けているのは100万世帯程度なので、これだけでも300億円かかるが、残りはどうするのか。また、そういう案が表に出ると買い控えが起こるので、今のところ政府は「無条件に止める」という公式見解を変えていない。

Q. なぜ無条件に2011年に止めると法律で決めたのか?

A. 郵政省は、もとは「85%がデジタルに移行した段階で止める」といった案を考えていた。しかしアナアナ変換に国費投入が必要になったため、2001年度予算で要求したところ、大蔵省に「民放の私有財産である中継局に税金を投入することは認められない。国民にとっての利益がない」と拒否された。そこで郵政省は「デジタル(UHF帯)に完全移行したら、VHF帯のアナログ放送を止めて移動体通信などに使えるので、電波の有効利用という国民的な利益がある」という理屈をひねり出した。これに対して大蔵省が「そんな口約束では、いつ止めるかわからない。何日までに必ず止めるという担保を出せ」と求めたため、そのときの電波法改正から10年後という日付を法律に書き込む異例の措置をとったのである。

要するに、最初から最後まで役所とテレビ局と電機メーカーの都合だけで計画を進めてきて、土壇場になって消費者がついてこないことに気づいてあたふたしている、という日本の産業政策の失敗の典型だ。くわしいことは、拙著『電波利権』をどうぞ。

グーグルが電波に参入

グーグルが、700MHz帯の周波数オークションに参加する意思を正式に表明した。その条件として、従来のように電波を得た業者が特定の端末をユーザーに強制せず、MVNOに再販することなどをあげている。

グーグルは「自前で基地局を建設する気はない」とも表明しているので、いわば「地主」になって帯域を卸し売りするわけだ。これは、私が5年前のWPで提案したのとほぼ同じだ。日本の700MHz帯は、相変わらず密室で取引が続いているが、日本でもグーグルがパンチを出してはどうだろうか。

「日帝36年」の神話

大澤真幸氏のような観念論でナショナリズムを語っても意味がないのは、その実態が個々のケースでまったく違うからだ。その一例が、韓国の反日運動だ。植民地が独立したとき、ナショナリズムが高まることはよくあるが、英連邦をみてもわかるように、普通は旧宗主国と友好的な関係が維持されるもので、60年以上たっても反日運動が続いている韓国は異常である。続きを読む

ナショナリズムの由来

ナショナリズムは、現代の謎である。それは自由主義や共産主義のように一定の政治的な主張をもつ「主義」ではなく、ひとつのネーション(民族・国民)に所属しているという感情にすぎない。ところがアメリカのように「国民国家」ともいえない国が極端なナショナリズムを掲げて戦争に突入したり、民族とは関係のない「慰安婦」問題が日韓のナショナリズムを刺激したりする現状は、なかなか合理的には理解しにくい。

ただナショナリズムについては、教科書ともいうべき何冊かの本がある。ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』やエルネスト・ゲルナー『民族とナショナリズム』あたりがナショナリズムをフィクションとする主流の立場で、それをある程度自然な民族感情とする立場としては、アンソニー・スミス『ネイションとエスニシティ』といったところだろうか。

アンダーソン流の理解は、印刷資本主義によって各地の言語や文化が統合された「国語」を母体として「国民」という想像上の共同体が形成され、それを主権国家が「公定ナショナリズム」として利用して国民を戦争に動員した、というものだ。こうした古典的な理解では、国民国家は資本主義の上部構造なので、グローバル資本主義や地域紛争で主権国家の求心力が弱まると、ナショナリズムは衰退するはずだった。

ところが今おこっているのは、最初にのべたように変形したナショナリズムの高揚である。かつて宗教が占めていた座を20世紀にはイデオロギーが占め、それが崩壊した21世紀にはナショナリズムが占めることになるのだろうか。イスラム原理主義も、ある意味ではアラブ民族主義という意味でのウルトラ・ナショナリズムなのかもしれない。

・・・という程度のことは、ナショナリズムについて少し考えた人なら、だれでも思いつくだろうが、この877ページもある大冊に書かれているのは、この程度の既存の学説のおさらいにすぎない。ナショナリズムの入門書としても冗漫で繰り返しが多く、読みにくい。世界各地で大きく異なる問題を無理やり「ナショナリズム」一般の問題として観念的に論じているので、アンダーソンやゲルナーなどの引用が何度も出てくるばかりで、論旨が展開しない。しいていえば文献サーベイとしては意味があるかもしれないが、索引がないので事典としても使えない。

浜岡原発は大丈夫なのか

中越沖地震で衝撃的だったのは、柏崎原発で50件もの故障・破損が起きたことだ。しかも設計で想定されていたM6.5を超えるM6.8がほぼ直下で起きたとされている。テレビでは変圧器の火災が注目されていたが、危ないのは配管類だ。さらに恐いのは、制御系に問題が起きて原子炉が制御不能になることである。

今回は、さいわい地震と同時に運転が停止されたが、関係者がもっとも心配するのは浜岡原発だろう。なにしろ、こっちはM8以上の大地震が30年以内に80%以上の確率で起こるとされる東海地震の震源の真上に建っているのだから。現地のブログによれば、柏崎で観測された680ガルという加速度は、浜岡の設計値も上回るという。

本当かどうか知らないが、2年前には浜岡2号機の設計を担当した東芝の子会社の技術者から、東海地震が起きると「浜岡原発は制御不能になる」というという内部告発が行なわれた。彼によれば、
  1. 浜岡2号炉の耐震計算結果は地震に耐えられなかった
  2. 直下型地震が起こると核燃料の制御ができなくなる可能性がある
とのことだ。当初の耐震計算では、2号機は想定される地震に耐えられないので、彼は設計の変更を提案したが、地理的な制約などで不可能だという理由で当初の設計どおり建設することが決まり、彼は退社したという。

これに対して、中部電力は「安全性に問題はない」と反論したが、告発者が匿名であるため、これ以上くわしい議論は行なわれなかったようだ。炉心溶融が起こって首都圏のほうに風が吹いた場合は、数百万人の死者が出るとも予想されている浜岡原発が「姉歯状態」だとすれば大変なことだが・・・

追記(2011/5/8):この2号機は廃炉になることが決まった。「数百万人の死者」というのは大げさだが、「数百万人が避難」する事故になる可能性はある。

国際競争力という危険な妄想

先週、ある企業の幹部から「こういう会議に当社もおつきあいすることになったんですけど・・・」といって「ICT国際競争力会議」と題した冊子を見せられた。そこに並んでいるメンバーは、松下電器、KDDI、シャープ、富士通、ソフトバンク、ソニー、東芝、NHK、テレビ朝日、日立製作所、NEC、NTTなどの社長や会長で、議長は総務相だ。「こんな財界のコンセンサスで何かできると、役所はまだ思ってるんですかねぇ」と彼は溜息をついた。

こういうターゲティング政策は、特定の産業の業績が悪くなるとよく出てくるものだ。1990年代前半、米クリントン政権でも、商務省が半導体や自動車などの「国際競争力強化」のための産業政策を打ち出した。これに対して、ポール・クルーグマンは「競争力という危険な妄想」(Foreign Affairs, 1994)という有名な論文を書いて、こうした政策を批判した。そもそも国家に「競争力」などというものはない。競争しているのは個々の企業であって、政府が介入するのは有害無益である。特に彼のあげた問題点は、次の3つだ:
  1. 補助金の無駄づかいだ
  2. 無用な貿易摩擦を引き起こす
  3. 産業をミスリードする
中でも最悪なのは3の効果で、政府や大企業の老人が集まって、急速に変化しているグローバル経済の方向を正しく予見できるはずがない。事実、アメリカ経済の回復は、商務省の報告書が言及もしていなかったシリコンバレーから起こった。日本でも、内閣府が2000年に「IT戦略会議」を設立し、「高度情報通信ネットワーク社会」にふさわしい産業の育成をめざしたが、そのe-Japan戦略をみても、「検索エンジン」という言葉は一度も出てこない。このころ政府が熱心だったのは「IPv6」や「ICタグ」や「ITS」だった。

これに比べれば、同じ総務省でもモバイルビジネス研究会の出した報告書のほうが、具体的で説得力がある。国家に競争力というものはないが、企業活動のインフラにゆがみがある場合、それを是正する制度改革によって生産性を高めることはできるからだ。携帯の場合には、私が以前から指摘しているように、政府が「日の丸規格」を押しつけ、さらにキャリアが販売奨励金やSIMロックなどの垂直統合モデルで端末メーカーを下請け化してしまったことが、端末メーカーの競争力低下の原因だ。

こうした「パラダイス鎖国」が起こっているのは、携帯端末だけではない。いま話題になっている社保庁のシステムも、COBOLで書かれているため、修正できる要員がいないという。NTTが交換機を捨てる決め手になったのも「もうNTT規格の部品をつくるのは勘弁してください」とベンダーが泣きを入れたためだという。役所や銀行やキャリアが独自仕様で発注し、ベンダーはそれをコテコテにカスタマイズして囲い込む下請け構造を続けてきたため、サービス業と製造業の水平分業が成立していないのだ。だからサービス業の生産性もOECD諸国で最低水準であり、製造業からの転換が遅れている。

これを打開するために重要なのは、「国際競争力会議」の掲げているようなターゲティング政策ではなく、システムのオープン化や国際分業によってこの下請け構造を破壊し、新しい企業を参入させる新陳代謝である。そのためには野口悠紀雄氏もいうように資本市場を「開国」し、行政の介入ではなく資本の論理でだめな企業や経営者を追放する必要がある。海外の投資ファンドを根拠もなく「グリーンメーラー」呼ばわりする経産省の事務次官も、追放したほうがいいだろう。

ミス・ユニバース売ります?

新品はタダでもらえるが、それを中古品市場で数百億円で売れるものをご存じだろうか。電波の免許である。周波数は、最初に割り当てるときは美人投票とよばれる書類審査によって、政府が事実上タダで割り当てるが、その割当を受けた会社は、企業買収という形で免許を高く売れるのだ。きょう報道されたNextWave(*)によるアイピーモバイルの買収は、そういう話だ。

実は、こういう闇市場(上品に表現すればsecondary market)は、電波の世界には昔から存在する。かつて全国にたくさんあったポケットベルの会社がどうなったか、ご存じだろうか。ほとんどは携帯電話会社に買収され、その周波数はドコモやKDDIに使われているのだ。ソフトバンクのボーダフォン買収も、形式的には企業買収だが、実質的には免許の買収だ。

闇市場は、相撲の親方株や個人タクシーの免許など、他の業界にも昔からあるが、こんな方法が通るのなら、美人投票は意味がない。アイピーモバイルが免許を取ったときは、他の事業者との比較審査で選ばれたわけだが、新たに経営者になるといわれるNextWaveは審査を受けていないからだ。これは森理世さんが受けたミス・ユニバースの称号を他の人が買収するようなものだ。

こういう奇妙な現象が起こるのは、日本の電波政策がいまだに行政の裁量で電波利権を配給する電波社会主義を続けているからだ。官僚がいくら入念に審査しても、情報の非対称性があるかぎり、アイピーモバイルのようなモラル・ハザードは防げない。(公式の)第一市場がないのに第二市場があるというのは、ロシアやイタリアなどのマフィア経済の特徴だ。これ以上、電波資源の配分をゆがめないためにも、周波数オークションを含めた電波政策の抜本改正が必要である。

(*)このNextWaveも、周波数オークションで免許は取ったものの資金繰りが行き詰まって、いったん破産した企業だ。くわしい解説は、そのうち海部美知さんから出るだろう。






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