JASRAC

通信と放送の融合をさまたげる究極の壁は、権利者である。IPマルチキャストの問題にしても、いくら法律を改正したところで、権利者がノーといったらおしまいだ。しかも著作権をもっているアーティストというのは、この種の雑用が苦手なので、その代理人と称する業者が暗躍することになる。

その悪質な見本が、JASRACである。カラオケ店などに根拠の不明な高額の「著作権使用料」を請求し、店がそれを拒否すると、JASRACの職員が乗り込んで店内で「ドロボー」と叫ぶなど、暴力団まがいの取り立ての実態は、業界ではよく知られている。おまけに、そうして取り立てた使用料を著作権者に支払っているという証拠がない。年間1000億円を超える使用料の使途は不透明で、過去には不正融資事件も起こしている。

この背景には、日本ではこうした権利者の団体が「仲介業法」によって許認可の対象とされ、JASRACがながく独占状態だったという事情がある。2001年にその規制が緩和されて仲介業者は登録制になったが、JASRACの独占は変わらず、かえってその「競争意識」をあおって取り立てが以前よりも強引になったともいわれる。権利処理をめぐる問題のほとんどは、本源的な権利者ではなく、それに寄生するこういう「仲介者」や「隣接権者」が起こしているのである。

昨年9月、『週刊ダイヤモンド』の記事で、こうした実態が明らかにされると、JASRACは「名誉毀損」だとしてダイヤモンド社を相手どって訴訟を起こした。まったく**たけだけしいとは、このことである(訴えられないよう伏字にした)。

自動公衆送信

IPマルチキャストについては、「有線放送」扱いとすることで文化庁も動き出したようだ。その最大の理由は、2011年にアナログ放送を停止するというデッドラインがもう水平線上に見えてきたからである。こういう点では、地上デジタル放送も役に立つ。

しかし実は、もっと根本的な問題が残っている。そもそも通信と放送で著作権処理が異なるのはなぜか、という問題である。この原因は、1997年の著作権法改正で文部省(当時)が「自動公衆送信」という概念を創設し、インターネットをその対象としたことにある。当時の著作権課長だった岡本薫氏(現・政策研究大学院大学教授)は、「インターネットに対応する世界に誇るべき制度」だと自画自賛しているが、WIPOではこの概念を承認したものの、日本以外でこの概念を法制化した国はない。

おかげで日本では、ファイルを送信しなくても、ウェブサイトに置くだけで「送信可能化」する行為として処罰できるようになった。Winny事件を含めて、日本のインターネットをめぐる刑事事件のほとんどの根拠は、この送信可能化権侵害である。合法的に音楽ファイルをインターネットで利用するには、著作者だけではなく、実演者やレコード会社などの著作隣接権者の許諾が必要で、現実には不可能に近い。このため、米国では何万局もあるインターネット・ラジオも、日本では営業が成り立たない。

これに対して、放送(CATVを含む)の場合には、隣接権者の許諾は必要なく、JASRACと包括契約を結ぶだけでよい。なぜこのように放送だけが特別扱いされるのかという理由は明らかではないが、放送局には一定の公共性があるとか、事業者の数が限られていて利用状態が把握しやすいといった理由があるものと考えられる。

しかし著作権の及ぶ範囲と、通信か放送かというのは、本来は別問題であり、メディアの違いによって権利処理が違うのはおかしい。こういう規定はベルヌ条約にもあるが、もともとは通信を1対1の電話のようなものと想定して区別したのであり、インターネットのような両者を包括するメディアが普及した今日では、通信と放送で著作権の扱いが違うということが時代錯誤である。

・・・というような話をすると国際的な問題になって、是正はほとんど不可能になってしまうが、現実的には、小倉秀夫さんの提案するように、音楽についてはメディアを問わず強制許諾(compulsory license)とする著作権法の改正を行えば十分だろう。同様の提案は、EFFもしている。

ユニバーサル回線会社

今月のICPFセミナーでテーマになるのは、ソフトバンクの「ユニバーサル回線会社」構想である。孫社長は、今週も自民党に説明したりしているから、これは単なるNTTに対する牽制球ではなく、本気で実現するつもりらしい。

ただ、この資料ではユニバ会社の資本構成などがわからない。民間企業の共同出資ということになっているが、政府保証債で資金調達するということは、経営責任を政府が負う特殊会社になるのではないか。しかも、光ファイバーのインフラは一社独占になる。要するに、「光ファイバーの電電公社」を作れ、という話に近い。

この種の「計画経済」的な案は、机上ではいいことずくめに見えるが、実際に事業に着手すると、道路公団のような非効率・高コストになることが多い。しかも月690円という料金は、ユーザーが求めているかどうかにおかまいなしに光ファイバーを6000万回線引くことを前提にしているが、現実には今の電話線でいいユーザーもいるだろうし、FTTHよりもWiMAXのほうが安くなるかもしれない。全回線を強制的に光ファイバーにするというのは、市場経済ではありえない。

ソフトバンクとしては、ボーダフォン買収で資金を使い果たしたので、FTTHは他人のフンドシで、ということかもしれないが、リスクを取らないでリターンだけ取ることはできないというのは、孫氏が示したことではないか。国のインフラにぶら下がって各社が争っても、真の競争にはならない。せっかくソフトバンクがヤフーBBで破壊したNTTの独占状態を、また元に戻そうというのは、いかがなものか。

神話論理

レヴィ=ストロースの『神話論理』の訳本が、ようやく刊行される。1971年に原著が完結してから、実に35年を経ての歴史的な出来事である。もとは大橋保夫氏が訳していたのだが、彼の死去によって中断したままになっていた。「ポスト構造主義」が流行しながら、構造主義の原典ともいうべきこの本の日本語訳が出ていなかったのは、日本文化にとっての損失だった。

内容は今さら紹介するまでもないが、特筆すべきなのは、その散文の美しさである。とくに「人々が神話の中で考えるのではなく、神話が人々の心の中でそれ自体を考えるのである」という有名な一節を含む第1巻の「序曲」は、20世紀最高の名文の一つだろう。肝心の神話分析のほうは、今日では学問的に疑問があるとされているが、全体を一つの交響曲のような芸術作品として読めばよい。

新聞の「水平分離」?

通信と放送の融合が議論されているとき、新聞の特殊指定の見直しが出てくるのは、偶然ではない。現在のテレビのビジネスモデルは50年前、新聞宅配に至っては100年前にできたものであり、どちらもインターネットによって崩壊の危機に瀕しているからだ。

新聞の宅配制度があるのは、世界中で日本と韓国だけだそうだ。朝鮮半島が日本の植民地だった時代に宅配制度ができたからだ。歌川令三氏によれば、この制度を支えてきたのは、1世帯あたり1.2部という高い購読率と、21000店という郵便局に匹敵する数の新聞販売店だ。特殊指定解除に対する新聞の異様な敵意が、郵政民営化に反対した議員たちと似ているのも偶然ではない。

しかし電子メールの普及で郵便局ネットワークの維持が困難になっているように、若年層は新聞よりもインターネットで情報を収集するから、今のままの宅配制度は維持できなくなるだろう。日本の新聞料金が世界一高いのは、コストの4割を販売経費が占める非効率なシステムを再販で守ってきたからだが、それも限界だ。現実には、1年とったら半年サービスといった拡販競争が行われており、バカを見ているのは長期購読者である。

長い目で見ると、新聞社の機能の中で残るのは、記事(コンテンツ)だけで、インフラは宅配からインターネットまで何でもありという形に変わってゆくのだろう。世帯あたりの購読率が欧米並み(0.7部)になれば、新聞社が系列の販売店を「垂直統合」するシステムが崩れ、販売店の集約が始まるだろう。牛乳の宅配がなくなったように、新聞はコンビニで買うようになるかもしれない。これは番組制作と電波を垂直統合しているテレビがIPで「水平分離」されるのとよく似ている。

受信料の支払い義務化

けさの各紙によれば、総務省が「NHK受信料の支払いを義務化する方向で検討に入った」そうだ。これは受信料を「放送税」にすることであり、NHKを「国営化」することである。

現在の放送法では、NHKの放送を受信できる受信設備を設置した者は、受信契約をしなければならない(第32条)。今後、IPによってテレビ番組が配信されるようになれば、インターネットにつながっているパソコンはすべてNHKの放送の「受信設備」になってしまう。インフラとコンテンツが分離されるインターネット時代に、受信設備(インフラ)を持っていることで番組(コンテンツ)を見ているものとみなす制度が時代遅れなのである。

受信料制度の存在根拠として「NHKを有料放送にすると、災害のとき放送が届かなくなる」という主張があるが、全国に少なくとも1局は民放がある。ラジオやBSを含めれば、100%のユニバーサルサービスが無料で実現している。放送業界の改革論議が出てくると、NHKも民放も「災害報道」を理由にして改革を拒絶するが、これは建て前にすぎない。NHKが受信料を維持したい真の理由は、有料放送にすると大幅な収入減になると考えているためである。

しかし、スクランブル化によって受信機ごとに課金できれば、世帯ベースの受信料よりも増収になる可能性もある。私は、先週の『週刊東洋経済』にも書いたように、むしろNHKを委託/受託放送事業者に分離したほうがよいと思う。NHKが委託放送事業者になれば、電波の免許も不要になり、新聞や雑誌と同じ純然たる民間企業になる。

追記:タイミングの悪いことに、同じ朝刊に「NHK職員、カラ出張で1762万円着服 懲戒免職」という記事が出ている。カラ出張は、私が勤務していたころから、そう珍しいことではなかったが、5年で242件(ほぼ毎週1回)というのは記録的だ。

地デジへの国費要求

先日の片山発言と呼応するように、地方から地上デジタル放送に「公的支援」を求める声が出てきた。朝日新聞によると、北海道庁の課長は「国の政策で進めているのだから、国が支援するべきだ」と要求している。

これは間違いである。地上デジタルは、国がテレビ局に強制したわけではない。免許を申請した局がやるのだから、費用負担がいやなら、免許を申請しなければよかったのだ。しかも、当初は郵政省がBSデジタルのように委託/受託放送事業者方式でやろうとしていたのを、民放連がつぶして自前で中継局を建てることを決めたため、設備投資の負担が大きくなったのである。

それが今になって「道内民放局は、約60カ所分の40億円は各局が自力で負担するものの、残る2%地域の十数億円について国に負担を求めたい」とは虫のいい話である。コストは国に負担してもらって、それによって上がる利潤は民放のものにしようというのか。

こうして、何度も国費のおねだりをしているうちに、民放も含めてすべてのテレビ局が「国営放送」になる。それがジャーナリズムとして自殺行為だということもわからないのだろうか。

ハイエク

『国家の品格』は早くも170万部を突破し、『バカの壁』を抜く最速のペースだという。たしかに、とりとめなくて何がいいたいのかよくわからない『バカの壁』に比べれば、『国家の品格』の主張はよく悪くもはっきりしており、話題になりやすい。担当の編集者は、私の本の担当でもあるので、とりあえずはおめでとう。

しかし、専門家の評価は低い。阿部重夫編集長ブログによると、『国家の品格』の国粋主義と『ウェブ進化論』の米国礼賛は、「対極にいるように見えるが、前回書いたように『無知』をブラックボックス化してしまう点で双方ともハイエクの手のひらを一歩も出ていないのだ」という。

これには少し解説が必要だろう。ハイエクは、デカルト的合理主義を否定し、ヒューム的な経験主義から出発した。彼にとっては、市場は完全情報の合理的主体が無限の未来までの価格をもとに計算を行うものではなく、部分的な情報しかもっていない人間が価格を媒介にして外部の情報を取り入れ、無知を修正して進化するメカニズムである。

『ウェブ進化論』の絶賛するグーグルは、断片的なウェブの情報を系統的なデータベースに組織するという意味で、ハイエクの市場モデルに近い。しかし、それは価格という「こちら側」とのリンクをもたないため、SEOなどによって容易に欺かれてしまう。グーグルは「あちら側」だから、理解できないほうが悪いのだ、と思考停止してしまうのは、バブルによくみられる群衆行動だ。

『国家の品格』に至っては、非論理的な「情緒」を絶対化し、市場原理や民主主義を否定する。たしかに何が正しいかを先験的に知っている神のような視点からみれば、エリートが大衆を善導すればよいので、人間の行動を相互作用によって修正する市場メカニズムは不要だろう。しかしそんな特権的な立場は、存在しえないのである。

したがって、人間が無知であるということを前提にして、情報を集計して秩序を維持するルールを設計しようというのが、ハイエクのアプローチである。彼の理論は、新古典派のような数学モデルにはならないので主流にはならなかったが、最近の「経済物理学」「行動金融理論」などは、ハイエクの進化的モデルのほうが実際の市場データをうまく説明することを示している。

こうした新しいモデルの特徴は、人間を孤立した合理的個人と考えるのではなく、複雑に相互作用する「ネットワーク」的な存在と考えることである。だから、話題になった本は多くの人が買うことによってさらに話題になる・・・という正のフィードバックが働く。最近、新書で100万部以上のメガ・ベストセラーが相次いでいる原因も、ウェブなどの情報交換によってこのフィードバックが強まっていることにあるのではないか。

活字文化があぶない

きのう新聞協会は、新聞の「特殊指定」をめぐって「活字文化があぶない!~メディアの役割と責任」と題するシンポジウムを開いた。ところが、このシンポジウムには当の公取委はおろか、新聞協会の見解と違う意見の持ち主も出席していない。最初から特殊指定の見直し反対派だけを集めて、いったいどんな議論が行われたのだろうか。ライブドアの「パブリック・ジャーナリスト」小田記者によると、
「道路が裂かれても、体が凍えても、一軒一軒のポストに新聞を届ける人がいた」などと感情に訴えたり、中には、特殊指定撤廃があたかも新聞業界を殺すかのような報道もあった。こと「特殊指定」報道に関しては、新聞は理性を失っているとしか言いようがない。
このシンポジウムについて、中立的な立場から報じているメディアがライブドアしかないという事実が、日本の活字文化がいかに「あぶない」かを示している。

新聞記事には、そもそも特殊指定とはどういう規定で、公取委がなぜその見直しを検討しているのかという基本的な事実関係も書かれていない。特殊指定とは、「新聞社や販売店が地域・相手方により異なる定価を設定して販売すること等を禁止」しているだけで、それを廃止しても、定価販売がなくなるわけではない。公取委も指摘するように
新聞業界においては,新聞発行本社は販売地域内では一律の価格で再販制度を運用するとしており,また,今回の新聞特殊指定見直しの議論においても価格差を設けるべきでないとしていることから,少なくとも不当な価格を当該新聞発行本社自身が設けるということはそもそも存在し得ないはずである。
したがって特殊指定を廃止しても価格競争が始まるわけではないが、かりに競争が始まるとしても、
その結果,戸別配達網が崩壊するとする根拠は全く不明であり,当委員会として新聞業界に対し,新聞特殊指定により極めて強い規制を行う根拠とはし難い。[・・・]新聞特殊指定が制定される前から戸別配達は定着していたものであり,新聞特殊指定がなければ戸別配達が成り立たないという主張は極めて説得力に欠ける。
新聞各社が世論調査などで示しているように、新聞の宅配制度が圧倒的多数の国民に支持されているなら、それを法的に補強する必要もないだろう。まして特殊指定の廃止が「活字文化の危機」をもたらすというのは問題のすりかえであり、この両者にはいかなる因果関係もない。このようなバランスを欠いた報道をすべての新聞で繰り返し、地方議会まで動員して「見直し反対決議」を出させる新聞社の異常な行動こそ、冷静で客観的な活字文化の危機である。

追記:12日の朝日新聞で、2面ぶち抜きでこのシンポジウムが紹介されている。あきれたことに、出席者全員が「特殊指定の廃止→宅配制度の崩壊」という前提で「市場原理主義」を非難している。

ICPFセミナー「NTTをどうする」

第9回 情報通信政策フォーラム(ICPF)セミナー「NTTをどうする」

1996年に郵政省(当時)とNTTが持株会社方式による組織再編で合意してから、10年がたちました。ドッグイヤーでいえば、70年。この間に情報通信業界の状況は、大きく変わりました。それを受けてNTTは昨年、事実上の「再々編」計画ともいえる中期経営戦略を出しました。

これに対して、競合他社からは「独占時代への逆行だ」との批判が強く、ソフトバンクはインフラを「水平分離」して通信各社が共同出資する「ユニバーサル回線会社」構想を提案しています。

今回のICPFセミナーでは、このソフトバンク案を提案した島聡さん(元民主党「次の内閣」総務相)と、NTTのOBである林紘一郎さんの討論によって、次世代ネットワーク時代のNTTのあり方を考えます。

スピーカー:島聡(ソフトバンク社長室長)
        林紘一郎(情報セキュリティ大学院大学副学長)
モデレーター:池田信夫(ICPF事務局長)

日時:4月27日(木)18:30~20:30
場所:「情報オアシス神田」
    東京都千代田区神田多町2-4 第2滝ビル5F (地図

入場料:2000円
    ICPF会員は無料(会場で入会できます)

申し込みはinfo@icpf.jpまで電子メールで(先着順で締め切ります)






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