政治化するグーグル

Google Public Policy Blogが公開された。ブログそのものは2ヶ月前から始まったようだ。

グーグルは、ネット中立性や電波政策についての提言を出したり、アル・ゴアをロビイストに雇うなど、政治色を強めている。これを「既存の巨大企業と同じように政治家と結びついた汚い企業になろうとしている」と批判する向きもあるが、私はネット企業が政治的発言力をもつのはいいことだと思う。

日本でもっとも需給ギャップが大きい産業は、政策シンクタンクだろう。アメリカでは「第5の権力」とよばれるぐらいシンクタンクが影響力をもっているが、日本では霞ヶ関が政策立案を独占し、政策を学問的に研究する機関がほとんどない。ICPFも、そういう組織をめざしているが、なかなかむずかしい。その原因は、政権交代がないこととともに、日本が「格差社会」ではないため、こういう公共的な目的に金を出す大富豪がいないからだ。

その結果、日本経団連などの大企業が強い政治的影響力をもち、新しい企業はライブドアのようにバッシングの対象になる。電波政策や知的財産権などについても、既得権を保護することが政策の大前提で、消費者の意見はほとんど反映されない。日本でも、政策がオープンに競争する「政策の市場」をつくる役割を、グーグルが果たしてほしいものだ。

慰安婦問題の意見広告

もう政治的には決着したような慰安婦問題だが、まだマイク・ホンダ議員の決議案が議会に提出されていない。6/14にワシントン・ポストに出された全面広告の全文と訳がブログに出ているので、紹介しておく(一部略・修正)。
  • 事実1:日本軍によって、女性が、その意思に反して、売春を強制されたことをはっきりと明示した歴史文書を発見した歴史家・歴史学者や研究機関はない。逆に、女性をその意思に反して強制して働かせることのないよう民間業者に対して警告している文書が多数発見されたのである。
  • 事実3:しかしながら、規律違反の例があったことも確かである。例えば、オランダ領東インド(現在のインドネシア)、スマラン島では一陸軍部隊がオランダ人の若い女性の一団を強制的に拉致し「慰安所」で働かせていた。しかし、この事件が明らかになった時点で、この慰安所は軍の命令により閉鎖され、責任のある将校は処罰された。これらの戦争犯罪に関与した者はその後オランダ法廷で裁判にかけられ、死刑を含む重い判決を受けた。
  • 事実4:慰安婦の初期の供述では、旧日本軍や他の日本政府機関によって強制され働かされたとの言及はない。しかしながら、反日キャンペーン後、慰安婦の証言は劇的に変化したのである。
  • 事実5:日本軍に配属された慰安婦は、現在頻繁に報道されているような「性の奴隷」ではなかった。慰安婦は公娼制度の下で働いており、当時、公娼制度は世界中で当たり前であった(例えば、1945年、占領軍当局は日本政府に対し米軍兵による強姦を防止する目的で衛生的で安全な「慰安所」を設置するよう要請していた)。
おおむね当ブログでも指摘してきた周知の事実だが、おそらく争点になりそうなのは3だろう。この「スマラン事件」は、河野談話で「官憲等が直接これに加担した」という表現を入れる根拠になったといわれ、欧米のメディアが「性奴隷」の唯一の根拠にしているのもこれだ。しかしこの事件は、軍事裁判(その公正性は疑問とされるが)によって軍司令部の命令による犯罪ではないと判断され、被告はBC級戦犯として処罰されたのだ。いずれにしても、このわずか25人の事件をもって「20万人の女性が性奴隷として強制連行された」証拠とするのは荒唐無稽である。

今回の広告で注目されるのは、自民党だけでなく民主党の議員13人も署名していることだ。『諸君!』7月号の座談会でも、左翼とみられている大沼保昭氏と荒井信一氏が、海外メディアや日本の支援団体による歴史の歪曲を批判している。これはイデオロギーとは無関係な、学問的な史実の問題なのだ。しかも国内ではほぼ決着のついた事実を、欧米のメディアでさえまだ誤解している。外務省は「河野談話を継承する」などという腰の引けた態度ではなく、歴史的事実を海外に伝える広報活動を行なうべきだ。

生物と無生物のあいだ

20世紀は、ある意味では「物理学の世紀」だったといえよう。相対性理論や量子力学などの新理論、そしてそれを利用した原子爆弾や半導体などの新技術によって大きな富が創出されるとともに、その大規模な破壊も行なわれた。

こうした科学技術の驚異的な成功は、世界を操作可能にして人間を万物を創造する神のような位置に置き、人々は無意識のうちに物理学をモデルにして世界を見るようになった。自然科学は、本質的にはすべて応用物理学となり、物理学をまねて対象を要素に還元して数学的に記述する方法論が主流になった。社会科学でも、経済学は自然科学の厳密性を装うため、古典力学をそっくりまねた一般均衡理論をつくった。

物理的世界では、原因と結果の間には1対1の対応関係があるので、現象は本質的に単純だ。時間は可逆で決定論的であり、変化は静的な平衡(均衡)状態に至るまでの過渡的な撹乱にすぎないので、あらかじめ平衡状態を計算によって求めることができれば、工学的にそれを実現できる。

しかし生物は複雑な現象なので、時間は不可逆で、決定論的な予測は不可能だ。どういう過程で変化するかという経路が意味をもち、生物は動的平衡として記述される。本書で紹介されるシェーンハイマーの実験は印象的だ。ネズミが蛋白質を食べて排出するとき、その蛋白質の分子を追跡すると、わずか3日間で半分以上が細胞に取り込まれていることがわかった。ネズミの体重は変わらないので、取り込まれたのと同量の古い蛋白質が排出され、急速に代謝が行なわれていることがわかる。

人間の体の分子も1年間ですべて入れ替わるので、1年前の私と現在の私は、物理的には同一人物ではない。私のアイデンティティは「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と鴨長明の述べたような流れの同一性にあるのだ。Economist誌によれば、21世紀は「生物学の世紀」になるそうだが、それは単に素粒子をDNAで置き換えるのではなく、世界を物理的な同一性を基準にしてとらえる世界観そのものを変えることになろう。

はてなの逆淘汰

梅田望夫氏によれば、はてなの取締役会で「ネットイナゴ問題」が話し合われているそうだ。私の問題提起を受け止めていただいたようなので、参考までにこういう問題について経済学ではどう考えているかを説明しておく。

小飼弾氏のように、この種の問題を個人の「鈍感力」に帰するのはナンセンスである。それは不潔な食堂が「食中毒に免疫のある客だけが来ればよい」と開き直っているようなものだ。問題は個人の性格ではなく、平均的なユーザーにとってどういうことが起き、それがシステム全体にどういう影響を及ぼすのかということだ。

こういう現象は、ネットワークでは珍しくない。1970年代には、市民バンドが「誰でも参加できる無線コミュニケーション」として大流行したが、2ちゃんねるのような状態になって自壊した。TVゲーム業界で有名なのは、1980年代の「アタリ・ショック」と呼ばれる現象だ。質の悪いゲームが大量に出回ったため、消費者が不良品をつかまされるリスクを恐れて、ゲーム市場が崩壊してしまった。同様にインターネットでも、初期に主要なアプリケーションだったネットニュースは、今ではS/N比が悪すぎるため、ほとんど使う人がいない。

これは経済学で「逆淘汰」とよばれる、おなじみの問題だ。たとえば中古車の質に「情報の非対称性」があり、どれが不良品かわからないとき、消費者は不良品をつかまされるリスクを一定の確率で評価するから、不良品の確率が高いと中古車の価格は下がる。そうすると価値の高い(不良ではない)中古車は市場に出てこなくなって不良品だけが出回り、消費者も買わなくなって市場が崩壊してしまうのである。

同様にネットワークでも、イナゴが群がってS/N比が下がると、ブログの社会的評価が下がる。そうすると、価値の高い記事を書く人にとっては、ブログで得られる評価よりイナゴに食われるコストのほうが大きくなるので、質の高い記事は出てこなくなる。そうすると価値の低い記事ばかりが出回ってS/N比がさらに下がる・・・という悪循環によって誰もブログを読まなくなり、悪貨が良貨を駆逐するわけだ。私も、最近はヤフーの「ブログを含めない」という検索オプションを使っている。

こういう問題を避ける制度設計は、たくさん提案されているが、はてなの場合に適しているのは、eBayなどでも使われている「評判メカニズム」だろう。これは不良品を売りつけた業者をユーザーがeBayに報告し、そういう評判をeBayのサイトで公開し、トラブルが一定の限度を上回ると取引を禁止するものだ。はてなの場合には、ブックマークや日記で名誉を傷つけられた人からの苦情を受け付ける窓口を設け(*)、それを本人に通告するとともにサイトで公開し、トラブルが一定の限度を超える場合には除名すればよい。

現実には、多くのISPが非公式にこういうルールをつくっている。たとえばアダルトサイトは、大手ISPでは禁止だ。こういうガイドラインを名誉毀損に拡大すればいいのだ。そういう自主規制をきらうユーザーは、他の(影響力の小さい)サービスに行けばいい。こういう措置が「言論の多様性」を奪うという批判は、逆である。小倉秀夫氏も指摘するように、イナゴによる逆淘汰で、日本のブログは鈍感力の強い人しか書けない状態になっているのだ。

ウェブは、十分大きくなった。これからは量の拡大を求めるのではなく、質の高いコンテンツをフィルタリングするシステムが必要だ。それにはサービス業者が介入するより、ユーザー同士でチェックし、格づけするのがウェブらしい解決方法だろう。はてなブックマークは、もとはそうしたメカニズムの一つだったが、それ自体がイナゴの巣になっているのではしょうがない。

コムスンやNOVAの例をみてもわかるように、ベンチャーから成長した企業は、顧客を増やすことを最優先して、品質管理を後回しにする傾向が強い。そういう行動は今度のような事件を引き起こし、結果的には行政の介入をまねいてしまう。このままイナゴの増長を許していると、彼らとともにWeb2.0バブルが崩壊するおそれが強い。その前に、はてなが賢明な措置をとることを期待したい。

(*)今でも形式的にはそういう窓口があるが、私が問い合わせたときは回答までに5日もかかったあげく、「当事者間で解決せよ。削除してほしてければ、次のフォームに記入せよ」という返事が来た。このように被害者にコストを負担させる設計は間違っているし、システム側の効率も悪い。

拙著が発売

当ブログの記事を中心にまとめた本『ウェブは資本主義を超える』が、きょう発売になりました。アマゾンで先行発売、本屋には来週並びます。感想は、この記事のコメント欄にどうぞ。

インターネット社会主義の終焉

先日のIPv4の記事へのコメントで、おもしろい話を教えてもらったので補足しておく。

今年3月に開かれたAPNICの会議で、JPNICはIPv4の割当をやめてv6への移行を促進する"IPv4 countdown policy"を提案して、却下された。この提案についてARIN議長のRay Plzak氏は「IPv4は枯渇しない。その対策としてはv6だけではなく、市場化によってv4のアドレスを再利用することも考えるべきだ」と批判している。これに対して、JPNICの荒野氏も「市場化を検討することは必要だ」と同意している。アドレスの市場化は、5年前にも私が提案したが、JPNICに拒否された。それに比べると、やっと「検討」するところまで前進したのはめでたいことだ。

そもそも市場が機能していれば、枯渇は論理的にありえない。比喩で説明しよう。土地は有限な資源だが、土地が枯渇するという人はいない。国有地があと5年でなくなるとしても、民間の土地を市場で取引すればいいだけだ。いま土地に住んでいる人は、引っ越す(ネットワークを再構築する)コストがかかるので取引をいやがるかもしれないが、オークションをやれば、コストの低い(使っていない)人から土地が出てくる。地価が上がれば、多少のコストを負担しても土地を売る人が出てくるだろう。

空いている土地を細切れに取引すると、鉛筆ビルがたくさん建って効率が悪くなる(ルーティングテーブルが大きくなる)が、こうした問題は取引の最低単位を大きくするなどのルールで回避できる。それどころか、市場を利用して細切れの土地を「地上げ」して大きなブロックにまとめることもできる。「市場にまかせると、金持ちが土地を買い占める」と心配する人もいるかもしれないが、金のない人は賃貸(プライベートアドレス)で十分だ。IPv6は解決策にはならない。それは「国有地がなくなったので、これからは海上に住んでください。こっちなら無限の空間があります」というようなものだ。

おわかりだろうか。IPアドレスは、ちっとも特殊なものではないのである。少なくとも経済学の観点からは、それを取引してはいけない理由は何もない。公共的なインフラが市場で取引されている例は、電力、ガス、通信など、いくらでもある。電波についても「市場メカニズムはなじまない」という反対論があったが、周波数オークションは成功した。このまま配給制度を続けていると、Plzak氏も指摘するとおりブラックマーケットが大きくなり、NICのアドレス管理が空洞化し、インターネットは大混乱になるだろう。NICがコントロールできる公式の市場をつくるべきだ。

この場合、重要なのは、市場を競争的にすることだから、今のようにきびしい審査をして少しずつ割り当てるのではなく、残りのアドレスを一挙に市場に出し、既存のアドレスと同時に取引することが望ましい。使われていない30億個以上のアドレスが市場に出てくれば、供給過剰になって価格はゼロに近づき、「金持ち」云々の心配もなくなる。大きなブロックには高い単価がつくので、アドレスの効率的な再編が進むだろう。同様の制度設計としては、FCCが2002年に提案した周波数の"Big Bang auction"が参考になろう。

IPv4の「枯渇」が示しているのは、インターネットの草創期から続いてきた社会主義的な割当ポリシーがもう維持できないという歴史的必然である。幸いARINにはそういう認識があるようだが、JPNICはまだv6のユートピア的社会主義に固執しているようにみえる。改革を拒否してぎりぎりまで粘ると、崩壊したとき破局的な事態になる、というのが社会主義国の教訓である。「移行プラン」を立てるなら、社会主義から市場経済への移行の準備をすべきだ。

正義の罠

副題は「リクルート事件と自民党――20年目の真実」。当時、取材する側だったひとりとして、リクルート事件こそ「国策捜査」の原型だ、という著者の指摘には、うなずける部分がある。

リクルートが83人もの人に未公開株をばらまいたのが「賄賂」だというのはかなり無理な解釈で、これは兜町ではごく普通の慣行だった。だから警察も立件を断念したし、検察も動かなかったが、朝日新聞が独自の調査報道で問題を発掘した。1988年9月に、リクルートコスモスの松原社長室長が楢崎弥之助代議士に現金500万円を渡して口封じをしようとした一部始終を日本テレビが隠し撮りするという事件が起きて、一挙に事件化した。

その後は、譲渡先リストにある政治家や官僚などの行動を検察が洗い出し、職務権限で引っかかる者を片っ端から立件するという方式だった。しかし、このように普通のプレゼントを「後出しジャンケン」で賄賂にしたてるのは、かなり無理があった。たとえばNTTルートでは、リクルートがNTT経由で買ったクレイのスーパーコンピュータが問題とされた(私の撮った映像が今でも資料映像として使われる)が、本書も指摘するように、客が売り手に賄賂を出すというのはおかしい。

だが自戒をこめていうと、当時のメディアは、検察をまったく批判しなかった。それは、この種の事件を立件することがいかにむずかしいかを知っているからだ。政治家のスキャンダルは、永田町には山ほど流れているが、事件になるのはそのうち100件に1件ぐらいしかない。特にリクルートのように「ブツ」の出てくる事件は非常に珍しいので、やれるときは徹底的にやって「一罰百戒」をねらうことになりがちだ。

だからリクルート事件の大部分が検察の描いた「絵」にあわせたでっち上げだという本書の指摘は当たっているが、根本的な問題は贈収賄の摘発が極度にむずかしい現在の法律なのだ。特に「職務権限」の要件がきびしいため、かつての松岡利勝のように陣笠はどんな露骨な利益誘導をやっても罪に問われない。検察の暴走を防ぐためにも、立法的な改革が必要だと思う。

はてなに集まるネットイナゴ

2ちゃんねるなどで、韓国や中国を差別する連中を「ネット右翼」と呼ぶが、前にも書いたように、これは正確ではない。当ブログの記事についての反応を見ると、「慰安婦」のような話題については、たしかに賛同する意見が圧倒的だが、デジタル放送や著作権法などの話題では、むしろ反政府的な意見が共感を集める。彼らが朝日新聞を攻撃する理由は、政治的な保守主義ではなく、知的エスタブリッシュメントへの反発なのだ。

その意味で、政治的に中立な「ネットイナゴ」という言葉のほうがいい。ウィキペディアによれば、この言葉を定着させたのは産経新聞の記事だそうだ。たしかにこれはうまいネーミングで、1匹ずつは取るに足りない虫けらが、付和雷同して巨大な群れをなし、作物を食い散らかす様子によく似ている。

ネット右翼のメッカが2ちゃんねるだったとすれば、ネットイナゴが集まるのは「はてなブックマーク」だ。たとえば今日の当ブログの記事には、現在39のブックマークが集まっているが、そのコメントには記事の内容を論理的に批判したものは一つもなく、「バカ」「うんこ」「アホ」などの言葉が並んでいる。「しればいいのに」という奇妙な言葉もあるが、これは「死ねばいいのに」というタグが禁じられたため、その隠語として使っているのだろう。

この下劣さは、今や2ちゃんねる並みだ。私は、以前も「バカ」とか「死ね」といったコメントを許すのかどうかについて、はてなの事務局に質問したが、回答は得られなかった(しかしこういうタグは禁止されたようだ)。はてなの近藤淳也社長や取締役である梅田望夫氏は、こういう幼児的なメッセージをばらまくことが「総表現社会」だと思っているのだろうか。

小倉秀夫氏も当ブログへのコメントで指摘しているように、こういうイナゴの及ぼす社会的コストは大きい。彼らに食いつかれるのを恐れて、専門家はブログで意見を表明しないし、普通のユーザー(特に女性)はSNSに逃げ込んでいる。はてなは、自分で自分の首を絞めているのだ。このままでは、小倉氏もいうように、悪貨が良貨を駆逐するだろう。成熟したWeb2.0のプラットフォームをめざすのなら、はてなはユーザーに一定の品位を求めるべきである。

IPアドレスは枯渇していない

コメントで教えてもらったが、総務省はIPアドレスの「枯渇対策会議」を今月中に立ち上げるそうだ。アドレスの配分を検討するのはいいが、それが枯渇するという事実認識は間違いである。IPv4のアドレスは約43億個、全世界のユーザー(約11億人)ひとり当たり4個もある。これに対して、現在のホスト数は約4億3000万なので、アドレスはまだ1割しか使われていないのだ

また、IPv6は「枯渇」の対策にはならない。v6サイトはv4サイトからは見えないので、v6は実際には携帯電話などの(v4サイトから直接アクセスする必要のない)ローカルなアドレスとしてしか使えない。総務省の委託調査でも、v6のトラフィックはインターネット全体の0.1%以下で、最近は減少している。またIPv6普及・高度化推進協議会の調べでも、v6を商用サービスで提供するISPは、200社中わずか1社という状態だ。

本質的な問題は、なぜ全アドレスの1割しか使われていないのに「枯渇」が問題になるのかということだ。これは山田肇氏と私が5年前に書いたように、初期にアドレスを大きなブロックで配ったため、そのの配分がきわめて歪んでいることが原因だ。特にアメリカでは、たとえばMITがクラスAを1ブロック(1670万個)まるごと持っている(これは中国全体とほぼ同じ)ように、大学や企業が莫大なアドレスを割り当てられたまま使っていない。

だから問題を解決する方法は、簡単である。未使用のアドレスを、オークションで再配分すればいいのだ。こう提案すると「公共的なアドレスを私有財産として売買するのはけしからん」という類の反論があるが、経済学の通常の定義でいえば、競合的排除可能なアドレスは私的財であり、市場でもっとも効率的に配分できる。ICANNが制度設計をしてはどうか――と前から提案しているのだが、聞いてくれない。だれかオークションの専門家がやってみませんか?

追記:お約束どおり、小飼弾氏からTBがついた。「IPでは、ネットワークの指定を2のベキ乗でまとめないと出来ないのだ」というのはおっしゃる通りだが、今はその必要な量(を超えて最小の2n)よりはるかに大きなブロックを取っているから「枯渇」が起こるのだ。たとえばBBNが取っている3ブロックのクラスAを再配分するだけで、アジア全域の需要は当分まかなえる。

私はIPv6の理想に反対するものではないが、それが代替策にならないという事実を認めないと、現実的な対策はとれない。デュアルスタックではv4のアドレスもとるので、「枯渇」の対策にはならない。

アドレスを再編するとネットワークの再構築が必要になるというのもその通りだが、市場で取引すればそういうコストも織り込んで価格がつく。小飼氏もいうように、ドメイン名は堂々と売買されているのに、アドレスの売買に抵抗が強いのは不可解だ。

「全世界の人口の方がIPv4アドレスよりも少ない」というのは誤記だろう。全世界の人口のほうがアドレスより多いが、世界の人がすべてグローバルアドレスでインターネットに接続する必要はないし、幸か不幸かそういう日は来ない。

IT業界のマーフィーの法則

今週のEconomist誌に、RFIDiPodの記事が出ている。そこからIT業界で新しいビジネスが成功する条件を考えてみよう。RFIDの特徴は、次のようなものだ:
  1. 最先端の技術を使い、これまで不可能だった新しい機能を実現する
  2. NTTや日立など、多くの大企業が参入し、大規模な実証実験が行なわれる
  3. 数百の企業の参加するコンソーシャムによって標準化が進められる
  4. 政府が「研究会」や「推進協議会」をつくり、補助金を出す
  5. 日経新聞が特集を組み、野村総研が「2010年には市場が**兆円になる」と予測する
これは、ITビジネスが失敗するマーフィーの法則である。最初から多くの利害関係者がからむと、コンセンサスの形成にほとんどの時間が費やされ、何も商品が出てこないのだ。同様のケースは、ハイビジョン、INS、VAN、TRON、デジタル放送、電子マネー、WAPなど、枚挙にいとまがない。その逆がiPodだ:
  1. 要素技術はありふれたもので、サービスもすでにあるが、うまく行っていない
  2. 独立系の企業がオーナーの思い込みで開発し、いきなり商用化する
  3. 企業が一つだけなので、標準化は必要なく、すぐ実装できる
  4. 一企業の事業なので、政府は関心をもたない
  5. 最初はほとんど話題にならないので市場を独占し、事実上の標準となる
こっちの例は少ない。最近では、iモード、スカイプ、グーグルぐらいか。マーフィーの法則は十分条件で、5条件をすべて満たしていれば確実に失敗するが、この「逆マーフィーの法則」は必要条件にすぎない。ジョブズのビジネスも、すべて成功したわけではない(というか失敗のほうが多い)。今月末に出るiPhoneも、まわりの期待があまりにも大きいのは危険な兆候だ。

イノベーションは一種の芸術なので、平均値には意味がない。1000人の凡庸な作曲家より、1人のモーツァルトのほうがはるかに価値がある。しかし官民のコンセンサスで1人の作曲家を育てても、彼がモーツァルトになる可能性はまずない。モーツァルトが出てくるためには、1000人の作曲家が試行錯誤し、失敗する自由が必要なのだ。この意味で、いったん失敗したら「敗者」の烙印を押されて立ち直れない日本や欧州のファイナンスには問題がある。






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