大学無償化は「所得の逆分配」である

このところマスコミで「奨学金が返せない」という報道が繰り返されている。これは「教育無償化」キャンペーンの一環だろうが、それに対する反論は簡単だ。大卒の生涯賃金は高卒より平均6000万円ぐらい高いので、大学の私的収益率はきわめて高い。借金も返せないような大学に行くのは間違っている

所得を再分配して「貧しくて大学に行けない優秀な子」を無償化で支援したいという気持ちはわかるが、これは錯覚だ。少なくとも再分配政策としては、大学無償化は逆効果である――と書いたら、橋下徹氏が意味不明の反論をしている。

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「保守」のポジションがあいている

民進党の代表選挙は盛り上がらないが、意外に大事である。今の情勢では前原氏が当選すると思われるが、民進党の94議席という勢力は中途半端で、選挙協力なしには生き残れない。民進党というのは過渡的な政党で、いずれ再編されるだろう。新しい代表は、その要になる可能性がある。



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「国民主権」という錯覚

憲法をめぐる不毛な論争は、丸山眞男などの「戦後民主主義」の残した負の遺産である。今では護憲といえば第9条に争点が限られているが、当初はそうではなかった。丸山は1946年3月に新憲法の政府案が発表されたときの衝撃をこう回顧している。
いちばん予想外だったのは、第九条の戦争放棄ではなく、第一条の人民主権でした。その前後に各政党が憲法改正案を発表していましたが、社会党でさえ国家に主権があるという国家法人説で、高野岩三郎さんの私案と共産党以外はどこも人民主権を謳っていなかった。(「戦後民主主義の『原点』」)
新憲法の手本とした合衆国憲法には「国民主権」という言葉はない。前文の「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」というのは、リンカーンの有名な"government of the people, by the people, for the people"を下敷きにしたものだが、これはおかしい。最初の"of the people"を「国民に由来する」と解釈すると、次の"by the people"と同じ意味になってしまうからだ。

これについては昔から多くの議論があるが、結論からいうと、peopleをgovernの目的語と解するのが通説である。つまり民主政治は人民を対象とし、人民によって行われる政治であり、そこには「主権者」というロマンティックな意味は含まれていなかったのだ。

続きは8月28日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

今そこにあるバブル

今そこにあるバブル (日経プレミアシリーズ)
日本国債がバブルといわれて久しい。それはシムズがハイパーリカーディアンと指摘したように、理論的には大幅な過大評価だが、バブルが崩壊する兆しは今のところない。しかし国債以外にも、資産価格の過大評価はあちこちに見られる。

今年3月に国土交通省の発表した公示地価の上昇率は、第1位が大阪の道頓堀「づぼらや」の41.3%増で、4000万円/m2。東京の第1位は銀座の山野楽器で、25.9%増の5050万円。いずれも1980年代を上回った。あの時期を「バブル」と呼ぶとすれば、少なくとも大都市では不動産バブルが発生しているといえよう。

他方、不動産融資の増加は地方銀行が目立ち、昨年は前年比10%も伸びている(信金中央金庫 地域・中小企業研究所調べ)。次の図でも明らかなように、不動産融資が大きく伸びたのは安倍政権になってからである。日銀のばらまいた金は、フローの物価上昇ではなく資産インフレをもたらしたのだ。これも80年代と同じで、物価指数だけを見ていると危ない。

shinkin

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「官製バブル」のゆるやかな崩壊は可能か

あすから民進党の代表選挙が始まる。今のところ前原・枝野の一騎打ちとなる見通しだが、マスコミの票読みでは前原氏が優勢のようだ。彼の安全保障についての考え方は安倍政権と基本的に同じなので、対外政策で大きな争点はないだろう。問題は経済政策である。

アベノミクスは金融政策としては失敗したが、財政ファイナンス(意図せざる財政政策)としては成功した。日経新聞によると、今の日本経済は国債市場の4割以上を日銀が保有し、株式はGPIFと合わせると53兆円。東証一部上場企業の時価総額550兆円の1割近い官製バブルになったのだ。

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米中戦争のシミュレーション

War with China: Thinking Through the Unthinkable
日本では漫才師や憲法学者が「憲法を改正したら戦争に巻き込まれる」とのんきな話をしているが、米中戦争のリスクは(憲法とは無関係に)高まっている。本書は米軍の委託によるランド研究所のシミュレーションで、PDFファイルでも読める。主要な結論は次の通り:
  • 米中両国が交戦すると、双方に莫大な軍事的損害が発生するが、2015年の段階では米軍の損害は中国(GDPの25~35%)に比べると小さい。
  • 米中の損害のギャップは、中国のA2AD(接近阻止・領域拒否)戦略が改善されるにつれて縮まり、2025年にはかなり接近する。
  • 米中戦争が起こると中国の貿易は大幅に縮小し、特にエネルギー供給が大きな打撃を受ける。
  • 日本の軍事力の増加が、日米共同作戦に大きな影響を及ぼす。
米中が開戦する可能性として5つのシナリオを例示しているが、日本に関係が深いのは尖閣諸島から(偶発的に)戦争が始まるシナリオと、北朝鮮の政権が崩壊するシナリオである。現代戦の主役はミサイルであり、早ければ数日で決着する。「巻き込まれるか否か」などという選択の余地はないのだ。

続きは8月21日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

革命的な変化は「ガソリン車からEVへ」ではない

JBpressの記事は、今のところ入手可能な資料でざっとEV(電気自動車)の見通しを整理したものだが、バランスの取れているのはEconomistの予想だと思う。タイトルは「内燃機関の死」だが、中身はそれほど断定的ではない。特に重要なのは、次の部分である。
Electric propulsion, along with ride-hailing and self-driving technology, could mean that ownership is largely replaced by “transport as a service”, in which fleets of cars offer rides on demand. On the most extreme estimates, that could shrink the industry by as much as 90%.

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文系の真理は「学問政治」で決まる



いまだに2014年の閣議決定が「クーデター」だと言い張る石川健治氏は、東大法学部の学問政治の代表である。法学部の講座は、師匠に忠実な(師匠ほど頭のよくない)弟子が継承し、学説も継承する。そういう「通説」と違うことをいうと司法試験にも公務員試験にも受からないので、彼らが学界の「本流」になり、真理を独占する。

これは珍しいことではなく、真理はすべて政治的に決定されるのだ。実証主義も、学問政治の一種である。あなたが中世の天文学者だとすると、学会で地動説を唱えても他の全員が天動説を支持すると、天動説が「通説」なので、あなたはどこの大学にも職を得られない。それによって真理が決まると、それに反する説を唱える人はいなくなり、すべての人が天動説を信じる。

このように真理は学問政治(パラダイム)で決まるので、素朴なポパー理論のように事実で反証できない。経済学でも、マル経は同じだった。私の世代までは、東大経済学部の大学院入試で宇野理論と少しでも違う答案を書くと落ちたので、宇野派だけが教授になって真理を独占した。この学問政治のループを壊したのは「反証」ではなかった。

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石川健治東大教授は「憲法の漫才師」

8月15日に、このツイートがちょっと話題になった。ネット上では「なぜ左派の人たちは『戦場へ行く』の発想になるのか。なぜ今住んでいる街、今いる場所が戦場になると思わないのか」という批判が出ているが、村本の話は東大法学部の憲法学講座を担当する石川健治教授と同じである。

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「8月革命」という欺瞞の終焉

8月15日に起こった革命で日本国民が主権者になったという「8月革命」を丸山眞男の説という人が多いが、彼の著作にも座談にも(生涯を通じて)この言葉は一度も出てこない。その典拠とされるのは「超国家主義の論理と心理」(『世界』1946年4月)の結びの言葉だが、ここでも8月革命という言葉は使っていない。
日本軍国主義に終止符が打たれた八・一五の日はまた同時に、超国家主義の全体系の基盤たる国体がその絶対性を喪失し今や始めて自由なる主体となった日本国民にその運命を委ねた日でもあったのである。
宮沢俊義が「八月革命と国民主権主義」(『世界文化』1946年5月)でこの言葉を使ったのは丸山の後で、これはマッカーサー草案についてのコメントだった。宮沢は東京帝大の憲法研究調査委員会の委員長で、その書記だった丸山がこの言葉を使い、それを彼の了承を得て論文に使ったと述べたが、議事録には残っていない。

「8月革命」は、自分の書いた明治憲法修正案(いわゆる松本案)をGHQに否定された宮沢が、それを正当化する欺瞞だったが、彼に丸山がヒントを与えたことは考えられる。国民が「自由なる主体」として新たな憲法を制定したというのはフィクションだが、そう考えない限り天皇主権の国家が主権者を否定することはできないからだ。ここでは第9条は付随的な問題だったが、次第に丸山の問題意識は見失われ、憲法はもっぱら「平和憲法」として理解されるようになった。

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