ヒトラーは「左翼ポピュリスト」だった

新訳 ヒトラーとは何か
トランプ大統領の入国禁止令は世界に大混乱を引き起こしているが、彼は公約を実行しているだけだ。この一貫性は、不気味なほどヒトラーに似ている。ドイツ人の「生存圏」を東欧に拡大する計画も、ユダヤ人の「除去」計画も、1926年の『わが闘争』で予告されていた。

ヒトラーを「極右」とか「ファシスト」と分類するのは誤りだ、と本書はいう。右翼を「保守反動」とするなら、彼はその反対の革命家だった。ファシストは特権階級の既得権を守るが、ヒトラーは特権階級を攻撃した。ナチは「労働者の味方」と自称する社会主義的な左翼であり、その手法は大衆の支持を得てエリートを打倒するポピュリズムだった。

彼らの共通点は、敵が明確なことだ。それはヒトラーの場合はユダヤ人であり、トランプの場合はメキシコ人だが、味方は誰なのかはっきりしない。ヒトラーの場合には「アーリア人」という奇妙な概念があったが、トランプにはそれさえない(たぶん「白人」だが、さすがに口に出せない)。ヒトラーの「すべてに冠たるドイツ」はトランプの「アメリカ・ファースト」に似ているが、それは石原慎太郎氏を敵とする小池知事の「都民ファースト」とほとんど同じだ。

続きは2月6日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

物価水準の財政理論についてのまとめ

日経新聞にシムズのインタビューが載って、いろいろ反響を呼んでいるようだ。2月1日に来日すると日本のマスコミも物価水準の財政理論(FTPL)に興味をもつと思われるので、これまで書いた記事をまとめておこう。

続きはアゴラで。

敵をつくって「同質性」を生み出すポピュリズム

不審者のデモクラシー――ラクラウの政治思想
アメリカのポピュリストはトランプのように無知で攻撃的だが、ヨーロッパは一度ファシズムを経験したので、あからさまなファシストは警戒される。その代わり出てきたのは、スペインの「ポデモス」のようにポストモダンのファッションを身につけたラディカル・デモクラシーだ。

ポデモスの理論的指導者であるシャンタル・ムフは、エルネスト・ラクラウの妻だったが、彼のようなマルクス主義者ではなく、カール・シュミットの研究者として著名だ。もちろんシュミットはナチだが、その誤りを批判して本質的なメッセージを継承するというのがムフの思想である。

彼女はシュミットの「政治とは敵を作り出すことだ」という理論に同意するが、彼が「味方」としての国民の同質性を所与のものとし、それが「人種」としてヒトラーに利用されたことを批判する。ムフによれば、同質性は敵という記号(シニフィアン)によって作り出されるもので、それを意識的に行うのがポピュリズムである。

続きは1月30日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

トランプはヒトラーになるか

昨日の世界〈2〉 (みすずライブラリー)
トランプ大統領は就任から1週間で、TPP離脱、メキシコ国境の壁、イスラム難民の排除などの大統領令を矢継ぎ早に出し、世界を驚かせた。予備選ではエリートをたたく彼に拍手し、本選挙では「どうせできないだろうがおもしろい」と思って彼に投票した人々は、まさか彼が約束を本当に実行するとは思わなかっただろう。

ツヴァイクは「歴史は同時代人には、彼らの時代を規定している大きなさまざまの動きを、そのほんの始まりのうちに知らせることはしない」という。ヒトラーが1930年に勢いを取り戻したとき、新聞は彼を相手にしなかった。『わが闘争』に書かれたユダヤ人の「除去」などの約束は、実行できるはずがないと思っていた。

財界は左翼をたたくためにヒトラーを泳がせ、社会民主主義者も彼が共産党を片づけてくれると期待した。教養を重視するドイツでは、大学はおろか初等教育もろくに受けたことのない与太者が権力を取るとは、誰も予想しなかったのだ。

続きは1月30日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

憲法のコアは第9条ではなく第1条である

JBpressの記事では明治以降の「天皇制」が古来の伝統ではないという歴史学の常識を書いたが、かりに伝統だったとしても現在の天皇制を維持する理由にはならない。立憲主義によれば、憲法は主権者たる国民がその幸福を最大化する制度だから、1000年続いた伝統でも悪い制度はやめるべきだ。

続きはアゴラで。

男系天皇も「日本の伝統」ではない

天皇と日本人
本郷和人氏が指摘するように、実在が確認されている天皇のほとんどは生前退位したので、終身在位は日本古来の伝統ではないが、男系天皇も伝統ではない。その何よりの証拠は、天皇家の起源である天照大神が女神であることだ。もちろんそれは神話上の人物だが、皇統が男系なら、神話で男系の正統性を語るはずだ。

ところが天照大神には、性別の記述がない。そして本書によれば、雄略・欽明・皇極・天智・天武・持統天皇についても、『日本書紀』や『万葉集』には性別の記述がない。このうち皇極・持統天皇は女帝と推定されているが、天智天皇が女帝ではないという証拠はないのだ。

これは少なくとも『日本書紀』の時代の天皇家には、男系の伝統がなかったことを示す。というか、ジェンダーを意識していなかったと考えるのが妥当だろう。古代の天皇は一種の超越的な存在だったから、男性とか女性とかいう身体性はなかった、と著者は推定する。

これは天皇が象徴になった現在も同じである。象徴というのはシニフィアン(記号)だから、そのシニフィエ(意味)との関係は恣意的で、シニフィアンの物質的な属性には依存しない。たとえばこの記事を黒い文字で書いても赤い文字で書いても内容は変わらないのと同じく、天皇という記号が男か女かはその正統性とは無関係なのだ。

続きは1月30日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

政府は東芝を救済すべきか

GEPRの記事は結論だけ書いたが、巨額のサンクコストが発生した企業を政府が救済すべきかというのは重要な問題なので補足しておく。事実関係は経営陣が説明するまでわからないが、一般論としては救済することが合理的だ。
sbc

図で括弧の中の左は債権者(銀行)、右は債務者(東芝)の資産とする。原発1基あたりの投資が5000億円で、プロジェクトが成功した場合は銀行が1000億円、東芝が2000億円の利益が出るとする(これは問題ない)が、規制強化で1000億円コストが増えたとしよう。

清算して原発の建設を中止すると両者の資産はゼロになるが、銀行が救済すると資産が減損処理されて4000億円になるとする。この場合は銀行は1000億円損するが清算するよりましなので、融資を維持することが合理的だ。債務者にとってはもちろん融資の維持(1000億円の利益)が望ましいので、事後的には両者にとって救済が合理的(パレート効率的)である。

東芝の損失7000億円の最大の原因も、福島事故後の規制強化による固定費(追加投資や工事の遅れ)だといわれる。原発はほとんど完成しており、運転すればキャッシュフローは大きな黒字が見込まれるので、向こう20年ぐらいを考えれば銀行は融資を回収できるだろう。債務超過かどうかは、サンクコストの問題だから破綻処理とは無関係だ。

普通の銀行にはそういう長期的な融資は困難だが、政投銀なら融資できる。図のように1000億円損しても、「公益」1000億円を足せば合計5000億円でマイナスにはならない。国費を投入するには何らかの「けじめ」が必要だろうが、会社更生法がいいのか私的整理がいいのかはわからない。確実にいえるのは、完成した原発は運転すべきだということだ。

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豊洲問題を混乱させる「役所のトリック」

豊洲より築地のほうが汚いことはこどもでもわかるので、科学的には移転中止は誤りだ。法的には宇佐美さんも指摘するように、「豊洲市場の安全は既に証明。移転になんの問題もない」。森山高至のようなデマゴーグは別として、反対派も法的根拠がないことを認めた上で、石原知事時代の「議会答弁」まで退却している。

キャプチャ

続きはアゴラで。

ヘリコプターマネーは世界を救わない

債務、さもなくば悪魔 ヘリコプターマネーは世界を救うか?
アデア・ターナーが来日して、またヘリマネが話題になっているようだ。これは本書の解説で早川英男氏もいうように単なる与太話だが、橋下徹氏のように真に受ける人もいるので、ちょっとコメントしておく。

彼の提言は「国債を無利子の永久国債にして日銀が無限に買い入れればデフレを脱却できる」という話だが、これは無意味だ。まず日銀は金利を国庫納付金として政府に納めているので、もともと無利子であり、日銀が国債を売ることも当分ないので、永久国債と同じだ。国債を日銀が買うのは統合政府のバランスシートで考えると同じだというのは正しいが、それは何の効果もないことを意味する。

だから最初は今のように何も起こらないが、金利のついた国債を金利のない日銀券と交換して得したと錯覚するのは、マクロ経済学を知らないリフレ派だけだ。長期金利が上がると、日銀が国債を買い支えて通貨を無限に発行したら財政インフレが起こる。これは実質債務のデフォルトとして国民負担になるので、ヘリマネの本質は金融政策ではなく財政政策である。これをターナーのように錯覚すると大惨事になる。

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デモクラシーは民主主義ではない

トランプの就任演説は予想通り凡庸で無内容だったが、これがデモクラシーである。アメリカ国民の多くは後悔しているだろうが、これから4年間、彼らは自分たちの選んだ「平均的に愚かなアメリカ人の代表」とつきあっていかなくてはならない。

丸山眞男が直面したのも、同じパラドックスだった。「[新憲法で]いちばん予想外だったのは、第9条の戦争放棄ではなく、第1条の人民主権でした。[…]社会党でさえ国家に主権があるという国家法人説で、高野岩三郎さんの私案と共産党以外はどこも人民主権を謳っていなかった」(「戦後民主主義の『原点』」)。その人民主権が生んだのは、彼の憎んだ岸信介首相だった。

主権者たる国民の自由な選択が最悪の結果をもたらす――この矛盾を解決しようとして出てきたのが「民主主義は永久革命である」という丸山のスローガンだった。Democracyは「民衆による支配」という制度で「主義」という意味を含んでいないが、彼はあえて民主主義という言葉を使い続けた。そこには制度を超えた理念を掲げることで自民党という既成事実を超えようとする志があったが、それは思わぬ原因で挫折してしまう。

続きは1月23日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。






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