経済学の元祖はダーウィンである

The Darwin Economy: Liberty, Competition, and the Common Good
いま経済学者に「経済学の元祖は誰か?」という質問をしたら、99%がアダム・スミスと答えるだろう。しかし著者は、100年後の経済学者が同じ質問を受けたら、過半数がチャールズ・ダーウィンと答えるだろうという。それはスミスの「見えざる手」が機能する状況は、ダーウィンの進化論の特殊な場合だからである。

これは生物学でも論争になっている問題だが、経済学の言葉で整理すると、スミスや新古典派の考えているのは均衡が一つしかない(答が一義的に決まる)凸空間で、ダーウィンや生物学の考えているのは、次の図のような非凸空間の最適化と考えることができる。明らかに前者は、後者の部分集合である。

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力学的ポテンシャルc(x)を最小化するxの値が複数あるとき、初期状態がx0だとすると、図の黒い玉のように部分最適で止まるが、x*だと赤い玉のように全体最適で安定する。どちらに到達するかは、古典力学的な(スミス的な)最適化モデルでは決まらないが、部分最適を全体最適に移行させるアルゴリズムは存在する。

続きは6月12日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

デフレ化されたヘーゲル

神話・狂気・哄笑――ドイツ観念論における主体性 (Ν´υξ叢書)
世界的にヘーゲルの再評価が起こっている。近代哲学の元祖とされるカントはニュートン力学を正当化する「科学哲学」にすぎず、「物自体はなぜ存在するのか」といった本質的な問いを回避したが、ヘーゲルはすべての存在を世界内的なものと考えたからだ。

ガブリエルなどのポストモダン後の哲学も、「実在論」というよりヘーゲルの「客観的観念論」に近い。彼の敵は、ヘーゲルの存在論を捨象して言語論に「デフレ化」したハーバーマスである。ジジェクも「アリストテレスからカントに至る自然哲学」を乗り超えた哲学者として、ヘーゲルを高く評価する。

戦後のドイツではナチスのトラウマで、ヘーゲルやニーチェのような「全体主義」は否定されてきた。丸山眞男も「戦後のドイツ哲学は退屈だ。フランスの哲学は新ニーチェ派といわれるほどニーチェの影響が強いが、ドイツ人はニーチェを否定しなければならないから、ハーバーマスのように優等生的な話しかできない」と辛辣な指摘をしている。ガブリエルは戦後70年たってようやくドイツにも出てきた、ヘーゲルの伝統の後継者ともいえよう。

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黒田総裁の教科書に抜けていた「国際分業」

「いつも強気の黒田日銀総裁が、このごろ弱気になってきた」という日経新聞の記事は、ちょっとおもしろい(「Jカーブ効果」という言葉は誤用だが)。黒田総裁の「教科書には為替が下がると輸出が増えると書いてある。しかし日本では、円安でも輸出は大幅に増えなかった」という話は重要である。

3年前の言論アリーナでもいったように、黒田総裁の目的はインフレ目標ではなく、円安誘導だったと思われる。それも複数均衡に陥っている場合、サプライズで悪い均衡を脱却しようというものだ。これは標準的なマクロ経済学の教科書には書いてないが、彼のよく引用する"New Keynesian Economics"には出てくる。

続きはアゴラで。

キャッシュは現実だが利益は意見である

東京都の市場問題PTの報告書は市場の採算性を「経常収支」という帳簿上の利益で考えているので、減価償却を加算するかどうかで大赤字になったり黒字になったりして大混乱だ。もちろんこれは間違いだが、採算はキャッシュフローで考える(減価償却は考えない)ということを知らない人は、官僚やビジネスマンにも多いと思う。役所はもちろん、大企業でも資金繰りが問題になることはまずないからだ。

しかしアゴラ研究所のような零細企業では、キャッシュフローは生命線である。来月になったら100万円入るが今月の給料が払えない、ということは起こりうる(当社では起こったことがないが)。そういうとき、帳簿上の利益がいくらあっても、資金繰りがつかなくなって手形が2回不渡りになると倒産する。

大企業だと、東芝のように大きな損失が出ているのに、それを5年近く隠して帳簿上は黒字を計上することもできる。これは粉飾決算と呼ばれて刑事事件になるが、利益を(合法的に)お化粧したことのない大企業はないだろう。中小企業の場合は逆に、黒字を小さく見せて節税することが日常茶飯事である。つまりキャッシュは客観的な現実だが、売り上げから経費を引いた利益は、考え方によって大きく変わるのだ。

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豊洲移転は大幅な黒字である

東京都の豊洲移転についての「市場問題プロジェクトチーム第一次報告書(案)」を読むのに1日かかった。153ページもあるだけでなく、論旨が混乱して意味不明だからだ。この原因は、小島敏郎座長が豊洲移転を否定する論拠を集めて「築地再整備」に誘導しようとしているためだと思われる。

当初の争点だった土壌汚染については豊洲の安全性に問題がないことを認め、話を「安心」にすりかえているが、メインの論点は経済性だ。東京都の従来の計算では、市場会計の収支は71ページの図のようにほぼ均衡の見通しだが、小島PTは減価償却込みで毎年140~150億円の赤字が出るという。



続きはアゴラで。

なぜ職業免許は非効率なのか

きのうのアゴラこども版の記事は「免許による業務独占は非効率だ」という当たり前の話だが、獣医のみなさんには当たり前ではなかったようだ。これが彼らにとってメリットがあるのは当然だが、問題は独占の社会的コストである。これを具体的な金額で計算するのはむずかしいが、経済学の初歩的なロジックで答が出る。

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この図はリクナビの記事から引用したものだが、経済学でおなじみの「余剰分析」だ。くわしいことはこの記事を読んでいただきたいが、簡単にいうと、業務独占で価格が上がって供給が減ると、消費者と生産者の余剰の合計は競争的な場合より小さくなる。図の三角形の「厚生の損失」が出るからだ。

つまり市場価格で評価すると、業務独占は社会的な浪費(死荷重)をもたらすが、例外的な場合にはこの死荷重より大きなメリットがあるかもしれない。それは(人間の)医師では考えられるが、そのメリットがこの社会的コストより大きいかどうかは疑問だ。

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成功する人は偶然を味方にする

成功する人は偶然を味方にする 運と成功の経済学
あなたが東証一部上場企業に勤務し、年収が1000万円だとしよう。労働人口の中で東証一部企業の比率は5%、そのうち年収1000万以上は10%しかいないので、あなたは日本のサラリーマンの0.5%しかいないエリートである。その地位は実力だろうか? それとも運だろうか?

それが実力だと思う人は保守派だから、所得はすべて自分のものだと考える。それが運だと思う人はリベラルだから、所得再分配が必要だと考える。著者はリベラルなので、運の要因が大きいと考える。あなた以外の99.5%の中には、あなたより能力のある人がいるはずだ。彼らがあなたに負けたのは、大学入試で失敗したからかもしれないし、就職のとき景気が悪かったからかもしれない。

アメリカの大企業のCEOの報酬は異常な高額になっているが、企業業績と経営手腕の相関は低い。大部分は運だが、巨額の報酬で他社のCEOを引き抜く市場ができると、彼を引き留めるために巨額の報酬を出さざるをえないという悪循環に陥る。アメリカ経済は1990年代からこういうひとり勝ち経済になり、バブル的な「悪い均衡」に陥っている。その原因はグローバル化とITだ、というのが著者の分析である。続きを読む

なぜ犬猫を殺してもいいのに人間はだめなのか

ジャック・デリダ 動物性の政治と倫理
アゴラこども版で「犬や猫に人権はない」と書いたら「けしからん」というコメントが来たが、定義によって犬猫に人権はない。問題は、なぜ「犬権」や「猫権」はないのかということだ。これはバカバカしい話みたいだが、最晩年のデリダのテーマだった。

彼は最後のセミナー『獣と主権者』でも、人間と動物の差別こそ本質的な問題だという。その境界は自明のようだが、そうではない。日本人にとっては犬猫もイルカも同じだが、自称エコロジストは両者を区別してイルカを人間の同類とし、日本人を「残虐だ」と批判する。

逆に人間の中にも「動物」がつくられる。江戸時代まで「非人」がいた。ヒトラーはユダヤ人を「人間以下の存在」と考えたから大量虐殺したが、その数より人類が殺した犬猫の数のほうがはるかに多い。ユダヤ人を殺すのが犯罪なら、なぜ犬猫を殺すのは犯罪ではないのか、とデリダは問いかける。

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気候変動枠組条約の「枠組」を見直すとき

アメリカのトランプ大統領が、COP(気候変動枠組条約締約国会議)のパリ協定から離脱すると発表した。これ自体は彼が選挙戦で言っていたことで、驚きはない。パリ協定には罰則もないので、わざわざ脱退する必要もなかったが、政治的スタンドプレーだろう。だがこの際、COPの枠組に意味があるのかどうか考え直してもいいのではないか。

地球全体で排出可能な温室効果ガスの総量を決めて各国に割り当てるという考え方は自由経済にはなじまないもので、実効性もあやしい。京都議定書は、気候変動対策としては役に立たなかった。世界の温室効果ガス排出量は次の図のように、1997年の京都議定書以降も増え続けている。



続きはアゴラで。

米軍「ただ乗り」ほど高いものはない

河野洋平氏が、講演で「憲法は現実に合わせて変えていくのではなく、現実を憲法に合わせる努力をまずしてみることが先ではないか」と、安倍首相の憲法改正案に反対したという。ここまでひどい平和ボケは珍しいが、戦後の日本が憲法9条のおかげで「軽武装」で成長したという高坂正堯のような歴史観は、自民党の中にも多い。

1951年にアメリカの再軍備要求を拒否して、在日米軍基地に「ただ乗り」した吉田茂の選択は、そのときは正しかったともいえるが、その後は憲法改正のチャンスを逃してしまった。軽武装が高度成長をもたらしたという根拠もない。その最大の原因は、若年労働者が倍増した「人口ボーナス」であり、軍事予算が2倍になっても成長率はそれほど変わらなかっただろう(航空機産業は発展したかも知れない)。

他方、ただ乗りのコストは大きい。世界最強の米軍を駐留させることで日本は70年以上も戦争をまぬがれたが、防衛は米軍なしでは不可能になってしまった。アメリカの核の傘があるうちは河野氏のような平和ボケでもいいが、米軍が撤退したら、その空白を埋めることはむずかしい。核武装は、いまだに最大のタブーだからである。

続きは6月5日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。






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