「日本版FCC」は機能するか

アゴラにも書いたように、通信・放送行政を独立行政委員会に分離すべきだという議論は昔からある。民主党政権でもマニフェストで「日本版FCC」がうたわれ、オークションを可能にする電波法改正も行われたが、安倍政権で総務省が元に戻してしまった。

このように総務省が裁量行政にこだわるのは、それによってマスコミを支配できるからだ。今どき放送法4条で「政治的中立」を求めているのも、先進国では日本ぐらいだ。欧米では200~300局も衛星やケーブルでテレビが見られるので、すべてに政治的中立を求めることはできないし、その必要もない。多くのチャンネルの中から、視聴者が選べばいいのだ。

ところが日本では、読売新聞から朝日新聞まで放送法4条の撤廃反対で歩調を合わせる。規制改革推進会議もそんなことをいってないのに、御用文化人まで「第4条で言論の自由を守れ」というのには驚いた。第4条は放送局の言論を規制する(憲法違反の疑いの強い)規定なのに、彼らの話は支離滅裂だ。

政府がテレビ局と(その系列の)新聞社を支配下に置くためには、法的に介入する必要はない。今の裁量行政を守れば、政治部の記者を通じてマスコミを支配できるので、呼びつけなくてもいうことを聞くのだ。この構造には外部からチェックがきかないので、今回の接待事件ぐらいしか突破口がない。

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総務省を解体せよ

東北新社の外資規制をめぐる国会質疑は、常識では考えられないものだった。東北新社は2016年10月の衛星放送事業の申請で、外資比率が20%未満だと申請したが、実際には2017年の有価証券報告書に「外国法人等21.23%」と書かれている。


朝日新聞より

東北新社は翌年8月にこれに気づいて総務省に報告し、子会社にチャンネルを承継して違法状態を解消したというが、総務省は「担当者が東北新社から報告を受けた覚えはない」という。言い分が食い違っているが、東北新社が国会で虚偽の証言をするとは考えられない。

違法状態が解消されても、申請のとき放送法違反だった事実は変わらないので、総務省がそれを認可したのは違法である。今になって総務省は東北新社の放送認可を取り消す方針を決めたが、本来は2017年に取り消すべきだった。これは総務省が過失(違法行為)をとりつくろうため、東北新社の放送法違反をもみ消したのではないか。

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製造業の空洞化は日本の運命か

豊田社長の記者会見で印象的なのは、自動車メーカーの国内生産比率が34%しかないことだ。トヨタはまだ「国内300万台」で38%と踏ん張っているが、日産とホンダは16%しかない。

海外生産比率の推移をみると、輸送機械(自動車)の46.9%をトップに、情報通信機械、汎用機械、鉄鋼など、かつて日本の輸出産業だった部門の海外生産比率が20%を超えている。

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海外事業活動基本調査(2020)

つまり日本の生産性が下がった大きな原因は、生産性の高い製造業が海外に出て行ったことであり、こうした空洞化による国内投資の不足(貯蓄過剰)が、1990年代以降の長期停滞やデフレの最大の原因である。

そのきっかけは1990年代以降、中国がグローバル市場に参入して、安価な労働力が大量に供給されたことだ。次の図のように1994年にはGDPの10%程度だった海外直接投資が、2000年代前半に倍増し、リーマン後の円高で30%まで上昇した。

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日本の海外/国内投資比率(経産省)

生産拠点のグローバル化は、株主にとっては悪いことではない。むしろトヨタが「国内300万台」でがんばっているのは、収益最大化を求める株主にとっては不合理な経営である。日本の高い賃金と高い法人税で生産するより、低コストのアジアで現地生産することが経営合理的だ。

空洞化で国内の雇用は失われ、賃金はアジアに近づいて格差は拡大するが、それは海外から安い輸入品が入ってくるのと同じだ。理論的には要素価格均等化によって日本とアジアの単位労働コストが等しくなるまで雇用の喪失は続くが、それは運命ではない。空洞化を避ける政策はある。

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量子力学の奥深くに隠されているもの

量子力学の奥深くに隠されているもの: コペンハーゲン解釈から多世界理論へ
今週の「存在は意識によってつくられる」という記事には意外に大きな反響があったが、その中で多かったのは「シュレーディンガーの猫のこと?」という反応だった。これは間違いではないが、量子力学の観測問題はカント的な認識論とは違い、いまだに解決されていない物理学の難問である。

シュレーディンガー方程式では、電子は多くの状態の重ね合わせとして表現される(純粋状態)が、実験ではそのうちの一つだけが観測される(混合状態)。このミクロ的な状態とマクロ的な観測の矛盾を「電子のスピンで決定される猫の生死」として表現した思考実験が、シュレーディンガーの猫である。

これは認識論的な問題ではない。カントの立場では「物自体」は人間が認識するだけで決定できないので、観察しなくても猫が生きているか死んでいるかは決まっているが、純粋状態では電子のスピンはわからないので、猫が生きているか死んでいるかは観察するまで決まらない

実際に観察される混合状態はそのうちの一つだけで、両者には必然的な関係がない。純粋状態は「解の確率分布」だというのが標準的な解釈(コペンハーゲン解釈)だが、それだと観察という人間の主観で電子の状態が決まることになる。これは呪術的な遠隔作用のようにみえる。

続きは3月15日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)。

トヨタは日本から出て行くのか



3月11日に行われた日本自動車工業会の記者会見で、豊田章男会長(トヨタ自動車社長)は「今のまま2050年カーボンニュートラルが実施されると、国内で自動車は生産できなくなる」と指摘した。キーワードはライフサイクルアセスメント(LCA)である(27:00~)。

豊田氏は「車をEVにすればゼロエミッションになる」という考え方は誤りだと指摘し、発電から廃棄までのライフサイクルで考えるべきだと強調した。電池の生産や充電に使われる電力の発電で排出されるCO2を考えると、電源構成で環境負荷が変わるからだ。

日本の電力は(原発が止まっているため)火力が75%だが、フランスは電源の77%が原子力で火力は11%なので、日本で生産したヤリスよりフランスで生産したヤリスのほうがCO2排出が少ないという計算になる。

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アゴラ経済塾「資本主義は脱炭素化できるか」

大好評でアゴラセミナー史上最高の受講者を集めた「デジタル資本主義の未来」の続編として、4月2日から「資本主義は脱炭素化できるか」を開講します。

菅首相は昨年10月に「2050年CO2排出ゼロ」を打ち出し、年末には政府が「グリーン成長戦略」を発表しました。今年の初めから日経新聞が「カーボンゼロ」キャンペーンを始めるなど、世の中では「脱炭素」がブームになっています。

地球環境を守ることに反対する人はいないでしょうが、地球上のCO2を減らすには莫大な投資が必要です。カーボンニュートラルにするには、日本だけで毎年100兆円以上の投資が必要になるといわれていますが、日本が2050年にCO2排出をゼロにしても、2100年に地球の平均気温が下がる効果は0.01℃未満です。

他方で日本製鉄は今後の設備投資を海外に集中し、トヨタ自動車の豊田社長は「このままでは自動車産業は国内で生産できなくなる」と危機感を表明しました。カーボンニュートラルを本当にやったら、製造業の「空洞化」が加速するでしょう。

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小泉進次郎環境相は日本経済の疫病神



このところ小泉環境相が、あちこちのメディアに出て存在をアピールしている。プラスチック製のスプーンやストローを有料化する方針を表明したかと思えば、日経ビジネスでは「菅首相のカーボンニュートラル宣言は私の手柄だ」と語っている。
私は安倍前政権下で環境大臣に就いて以降、さまざまな外交の現場で日本の気候変動政策がなかなか前に動いていないという批判を一身に受けてきました。環境大臣として、2050年までのカーボンニュートラル宣言を早くすべきだと政府に働きかけ続けていましたが、残念ながら安倍政権のうちに実ることはありませんでした。それが菅総理の宣言で大きく変わりました。

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存在は意識によってつくられる


この冗談がバカ受けし、350以上も引用RTがついている。その謎解きは今週のブログマガジンでやったが、おもしろいので補足しておこう。

電子顕微鏡に映った映像がSARS-CoV-2のウイルスか従来の風邪(コロナウイルス)どうかを判断できる専門家は、世界にほとんどいない。大橋眞氏は「新型コロナのRNAは従来型と分離できていない」と主張した。

もしこの主張が正しいとすると、従来型コロナとは違う新型コロナウイルスは存在しないが、国立感染症研究所は新型コロナウイルスが分離されたと発表し、大橋氏の動画はYouTubeから削除された。この場合の存在は「何かがある」という意味ではなく、従来型コロナと新型コロナの差異が認められるという意味である。

マッハとニーチェ 世紀転換期思想史 (講談社学術文庫)
これはむずかしくいうと存在論と認識論の問題である。「存在は意識によってつくられる」というのはカントではなくヒュームの議論で、彼は自己を「感覚の束」と考えた。この感覚一元論はマッハに継承され、20世紀の認識論の主流になった。それはポストモダンにも継承された常識だが、世の中ではほとんど知られていないようだ。

これはややこしい問題なので、くわしくはアゴラサロンで(初月無料)。

「新型コロナ」は幻想である

アゴラにも書いたように、新型コロナウイルスを見た人はいないのだから、コロナはあなたの脳内にしかない幻想である――というと「電子顕微鏡の写真があるじゃないか」という人がいるが、それがSARS-CoV-2の病原体であることを実物で確認したのか。

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日本でこれまで8000人以上の死亡診断書で、死因に「新型コロナウイルス感染症」と書かれたことは事実だが、それが本当かどうかはわからない。一部のネトウヨがいうように、それは「新型」ではなく、在来型コロナウイルスの変異株かもしれない。

この「幻想」は、純粋に主観的な夢のようなものではない。もしあなたが感染すると、コロナの存在を否定しても死ぬかもしれない。しかしその病原体がコロナかどうかは、あなたには確認できない。それは医師が「新型コロナで死亡」と死亡診断書に書き、保健所が認めたという医学的コンセンサスにすぎない。

理系の人は、意外にこういうカント以来の認識論の常識を知らない。彼らの世界では素朴実在論で、ほとんどの事実は説明できるからだ。しかし廣松渉が指摘したように、世界に客観的実在は存在しない。すべての現象は共同主観的な幻想なのだ。

続きは3月8日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)。

コロナが終わるのはコロナ脳の終わるとき



政府のコロナ分科会の尾身茂会長が国会で「今年の12月ごろまでに全人口の6割から7割がワクチンを接種したとしても、時々はクラスター感染が起こりえるし、時には重症者も出る」と答弁したことが話題になっているが、私はこの状況認識は正しいと思う。

緊急事態宣言の「再延長は適切だ」と述べたことが批判されているが、これは政府の緊急事態宣言再延長を受けての話なので、彼の立場としてはやむをえない。それより大事なのは「コロナを抑え込んで根絶する」というゼロコロナ路線を否定し、一定の感染を容認するウィズコロナ路線を明確にしたことだ。

続きはアゴラ








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