環境原理主義の「偽の黙示録」が貧困と格差を生む

Apocalypse Never: Why Environmental Alarmism Hurts Us All (English Edition)
新型コロナの騒ぎをみると、ゼロリスク神話の根強さを痛感する。これは地球環境問題ではもっと大きく、グレタ・トゥーンベリの「人類は絶滅の危機に瀕している」といった終末論が、政府や国際機関に大きな影響を与えるようになった。

著者は環境保護派だが、環境原理主義に反対し、原子力に賛成している。本書もその立場から年来の主張をまとめたもので、主なポイントは次のようなものだ。
  • 地球の平均気温は上がっているが、異常気象は増えていない
  • 先進国では炭素排出量が減少している
  • 2003年以降、火災は世界中で25%減少している
  • 世界の食糧生産は需要より25%多く、余剰は増え続ける
  • 生物の大量絶滅は起こっていない
いま敵視されているプラスチックは自然破壊を減らした。たとえば50年ぐらい前まで、ビリヤードの玉やピアノのキーは象牙でつくられ、日本では海亀の甲羅で櫛やボタンがつくられていたが、今はなくなった。象や海亀の絶滅が止まったのは、それがプラスチックで代替されたからだ。

「自然に帰れ」というのが環境団体のスローガンだが、自然の中で暮らすコストは高い。途上国では、電気も水もない自然の中で多くの人が暮らしている。その生活を改善したのは都市化によるインフラ整備である。かつて都市への人口集中で環境が悪化するといわれたが、現実には都市のエネルギー効率は高く、環境は改善した。

成長を否定する環境原理主義は豊かな国のお遊びであり、途上国をますます貧しくし、先進国との格差を固定する。途上国が求めているのは安いエネルギーで豊かになることであり、それが結果的には地球環境を守る。豊かな国ほどエネルギー効率が上がり、CO2を出さなくなるからだ。

続きは7月6日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)。

プラスチックごみはリサイクルしないで燃やせばいい



7月1日からスーパーやコンビニのレジ袋が有料化されたが、これは世界の流れに逆行している。プラスチックのレジ袋を禁止していたアメリカのカリフォルニア州は、4月からレジ袋を解禁した。「マイバッグ」を使い回すと、ウイルスに感染するおそれがあるからだ。レジ袋を禁止していた世界各国でも、解禁の動きが広がっている。

そんな時期に、わざわざレジ袋を有料化する目的は何だろうか。経済産業省のウェブサイトによると「廃棄物・資源制約、海洋プラスチックごみ問題、地球温暖化を防ぐためにプラスチックの過剰な使用を抑制」することが目的だと書いてある。

まずレジ袋をなくすと、どれぐらい資源が節約できるだろうか。日本で消費される原油のうち、プラスチックの生産に使われるのは2.7%で、レジ袋に使われるのはその2.2%、つまり原油の0.05%である。これをゼロにしても、資源の節約にはならない。

レジ袋の材料になるポリエチレンは、原油を精製する過程で出てくるナフサからつくられる。これは昔は捨てていたので、レジ袋をやめても石油の消費量は減らない。資源節約という意味では、レジ袋の有料化は無意味である。

続きはアゴラで。

黒人はなぜ隔離されるようになったのか

Viruses, Plagues, and History: Past, Present and Future (English Edition)
Black Lives Matterは日本人には無縁の騒ぎだが、アメリカ社会の恥部にふれる問題である。資本主義を生んだのは産業革命でもプロテスタントの倫理でもなく、植民地支配と奴隷貿易だった。それが英米人の原罪であり、彼らは永遠に許されない。

その黒歴史の中で、感染症は重要な役割を果たした。新大陸の侵略が容易だったのはスペイン人の持ち込んだ天然痘に免疫のなかった先住民が、病気でほとんど絶滅したからだが、これによって労働力がなくなり、スペイン人の植民地経営は失敗した。

これに対してイギリス人は、アフリカから1500万人の奴隷をカリブ海に連れてきて砂糖のプランテーションを行ない、それをヨーロッパに売る三角貿易で巨額の利潤を上げた。この利潤がイギリスの資本家の本源的蓄積になった。

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天然痘に続いて新大陸では、黄熱病が流行した。それは西アフリカの風土病だったが、ウイルスが奴隷船で新大陸に運ばれたのだ。黄熱病には白人も免疫がなかったが、黒人は免疫があった。このため新大陸で黒人は最強の労働力となったが、白人は黒人を隔離するようになった。これが人種隔離(segregation)の起源である。続きを読む

日経新聞があおる「第二波で入院患者9.5万人」の恐怖

東京で新規感染者が50人を超え、新型コロナの「第二波」が話題を呼んでいる。中でも突出して恐怖をあおっているのが日本経済新聞だ。きのうの記事では、「病床不足、最大6.5万床の恐れ 感染第2波への備えに不安」と書いている。

現状では3万138人分のベッドが確保できる予定だが、それでは「ピーク時には各都道府県の単純合計で最大9万5千人が入院する。現状のままでは6万5千人分が不足する計算だ」というが、これは一体どういう計算なのか。

続きはアゴラで。

進化論って何?



朝日新聞がまた自民党の広報マンガを批判しています。今度は人間行動進化学会が反対声明を出したというのですが、この記事ではこんな子供向けの一問一答がついています。
Q キリンは高い木の葉を食べられるように進化した、というのは正しい?

A 「○○のために進化した」という表現も誤りだ。生物の進化は、生物が何かを意図して行うものではない。世代を重ねる中で結果として起きる現象だ。アニメのキャラが変身して強くなることや、スポーツ選手のパワーアップ、製品の性能向上なども「進化」と表現されるけど、生物の進化とは関係ない

これはまちがいです。

続きはアゴラで。

イエスは「社会的隔離」を否定した

イエスとその時代 (岩波新書)
新型コロナの死者は累計で50万人を超えたが、これは毎年100万人以上が死んでいる結核やマラリアなどに比べれば、史上最大の疫病というわけではない。疫病は人類の最大の脅威であり、その正体は19世紀末までわからなかったので、病人を隔離する「社会的隔離」が共同体を守る唯一の手段だった。この点では現代も古代とあまり変わらない。

医療は病人を安静にして回復を祈ることぐらいしかできなかったので、医師と呪術師に本質的な区別はなかった。その意味でイエスは医師だった、と本書はいう。福音書に数多く描かれているイエスが病人を癒やしたという奇蹟物語は、キリスト教会では「ご利益宗教」として軽視されているが、むしろそこにイエスの特色がある。

それまでの預言者が「神の国」の到来を告げて権力を批判したのに対して、イエスは民衆の中に入って病人を救済した。もちろん現代的な意味で治療したわけではないが、家族から隔離された病人に「家族のもとに帰ってよい」という帰還命令を出すのがイエスの特徴だった。
そして彼のもとに一人の癩病人が来る。彼に頼んで、膝まづき、言う、「もしもお望みなら、あなたは私を清めることがおできになります」。彼は怒って、手をのばしてその男にさわり、言う、「望む。清められよ」。そしてすぐに、癩はその男を離れ、その男は清められた。そしてその男をきつく叱りとばし、すぐに追い出した。(マルコ1:40~43 田川建三訳)

ここで問題は、彼が癩病(ハンセン病)患者を治療したかどうかではなく、ユダヤ教の律法で罪人として隔離されていた患者を家族のもとに帰したことだ。それは公然たる律法の否定であり、差別されていた障害者や貧困層の共感を呼ぶ一方、ユダヤ教徒の反発を招いた。

今週の金曜から始まるアゴラ読書塾「疫病と文明」では、このような感染症という角度から宗教や差別の問題を考えたい(申し込みはまだ受け付け中)。

「8割おじさん」は本当は「1%おじさん」だった

アメリカの新型コロナ感染者は累計250万人を超え、毎日3万6000人以上増えている。東京では感染者が毎日50人になったと騒いでいるが、これは桁違いだ。陽性が増えた最大の原因はPCR検査を増やしたことで、検査を増やせば感染者はいくらでも増える。国際比較できる数字は死者である。


各国の累計死者数(FT.com)

累計でみると日本の死者は971人で、アメリカ(11万8000人)の1/120。線形目盛でみると、図のように日本は横軸に埋もれて見えない。日本のコロナ騒動で盲点になっていたのは、このように感染者の絶対数が圧倒的に少ないことだ。

続きはアゴラで。

理論は事実で変えられない

コロナ騒動は、政府がマスコミにあおられてゼロリスクを求めた点では福島第一原発事故と似ているが、違う点も多い。最大の違いは、専門家会議を初めとする専門家が当てにならなかったことだ。

福島のときは原子力の専門家の意見は一致しており、あの程度の事故で死傷者は出ないとみていたが、専門知識のない活動家が民主党政権を乗っ取って大混乱になった。それに対して今回は感染症の専門家の中でも、大したことないという意見と感染爆発が起こるという意見が対立した。

福島で騒いだ「放射脳」はトンデモの類で原子力の専門家はほとんどいなかったが、今回騒いだ「コロナ脳」には専門家もいた。特に医療クラスタ(医クラ)が、こんな感じで私にもからんできた。

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この予想に従えば、5月28日に日本のコロナ死者は3万5000人になっていたはずだが、6月24日現在でも967人。このようにわかりやすい無知蒙昧は大した問題ではない。よくあるのは「何もしなかったら42万人死ぬ」という予測は何かした場合のデータで否定できないという話だ。

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これは論理的には正しい。「何も介入しなかったら42万人死ぬ」という命題は仮定が偽なので、どんな結論も真になる。たとえば「何も介入しなかったら1億人死ぬ」という命題も真である。この対偶は「1億人死ななかった場合は何か介入したはずだ」という無意味な命題である。

このように素人だけでなく専門家にとっても、理論は事実で変えられない。実証主義というのは、人々が思っているほど自明の原理ではないのだ。

続きは6月29日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)。

人間は文化的遺伝子で進化する

most_adaptable_to_change_poster-p228339548256655541tdcp_400自民党のマンガをめぐって専門家もまじえた論争が続いているので、このブログでも書いたことをおさらいしておく。引用された言葉はダーウィンの著書にはないが、これは誤用ではない。『種の起源』には次のような言葉がある。
すべての生物は自然界の経済秩序の中での居場所を求めて闘争しているという言い方ができるわけだが、競争相手との関係でそれ相応の変化や向上ができない種は、たちまち滅んでしまうだろう。(第4章)
ここでダーウィンが述べているのは「種」の変化だが、これは厳密にいうとおかしい。自然淘汰の単位は個体であって種ではないからだ。しかし種を「集団」と解釈すると、これは最近の新しい集団淘汰の理論と共通点がある。

こういう理論を人間の社会に適用することも誤用ではない。これを「獲得形質が遺伝する」というルイセンコ説と混同して批判するのは誤解だ。獲得形質が遺伝しなくても、人間は文化的遺伝子で進化するというのが最近の生物学の結論である。

生物の突然変異はランダムで目的がないが、人間の集団には目的がある。これは蟻のような社会性昆虫のコロニーと同じだ。蟻はその目的を知らないが、人間はそれを言葉で共有し、文化的遺伝子(ミーム)として蓄積して急速に進化できる。それが人類が数百年で地球の生態系を大きく変えた原因である。

こういう社会ダーウィニズムを「人種差別だ」と排除するのも誤りである。すべての集団はダーウィン的な競争で生き残ってきた。その最たるものが戦争である。いま先進国の多くがデモクラシーを採用しているのは、それが国民を動員する総力戦にもっとも強い政治体制だからである。この点でダーウィニズムを国家に適用する自民党のマンガは間違っていない。

続きは6月29日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)。

変化できる集団だけが生き残る

自民党のツイッターが炎上している。憲法改正をダーウィンにからめたマンガに朝日新聞が「進化論の誤用だ」とケチをつけ、 その後も毎日新聞などが取り上げ、文春オンラインまで取り上げた。

「唯一生き残れる者は変化できる者である」というのは、有名なダーウィンのフェイク引用である。これは私も去年12月のツイートで指摘したが、茂木外相の好きな言葉らしい。

マスコミはこれを「進化論の誤用」だと批判しているが、これは間違いだ。たとえば佐倉統氏は「進化論は優生学などに悪用された歴史があり、社会的な問題を進化で論じることには慎重な上にも慎重であるべきだ」というが、これこそ進化論の誤用である。

続きはアゴラで。








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