「再エネ最優先」がもたらす大停電の危機

第6次エネルギー基本計画は9月末にも閣議決定される予定だ。それに対して多くの批判が出ているが、総合エネルギー調査会の基本政策分科会に提出された内閣府の再生可能エネルギー規制総点検タスクフォースの提言は「間違いだらけだ」と委員から集中砲火を浴びた。

これについて再エネTFの原英史氏が反論しているが、批判に「レッテル貼り」というレッテルを貼っているだけで反論になっていない。

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市場経済は「自生的秩序」ではない

致命的な思いあがり (ハイエク全集 第2期)
本書はハイエクの草稿を他人がまとめて出版した本だが、最晩年の到達点を示すものとして興味がある(訳本は非常に高価なので図書館で読むことをおすすめする)。新古典派経済学が物理学をモデルにしたのに対して、彼は進化論をモデルにして社会を語る。

ハイエクは計画経済の設計主義(constructivism)に対して市場の自生的秩序(spontaneous order)を擁護した思想家として知られているが、本書ではそれを否定し、生物としての人間に自然な感情は、集団を守る部族感情だという。
それはホモ・サピエンスの生物学的構造が形成されつつあった数百万年のあいだ、人類とその直接の祖先が進化を遂げた小さな流浪する集団や群れでの生活に適応させられたのである。この遺伝的に受け継がれてきた本能は、群れのメンバーのあいだの協同、すなわち必然的に相互になじみで信頼のおける仲間たちの狭く限定された相互作用たらざるをえない協同を制するのに役立ったのである。(p.19)

ハイエクは生物学の集団淘汰理論も知っており、獲得形質は遺伝しないが、社会的に獲得された習慣や規範は継承されるので文化の進化はラマルキズムを模倣するという。これは最近の文化的進化の理論とほとんど同じである。

人類が進化の大部分を過ごしてきた部族社会では、他人に同情し、協力して平等を求める部族感情がきわめて重要で、宗教はそれを維持する装置だが、こうしたローカルな感情は何百万人が暮らす「大きな社会」ではうまく機能しないので、非人格的ルールが必要になる。

その非人格的ルールの最たるものが市場だが、利潤や競争原理は部族感情に合わないため、いつも軋轢を起こしてきた。カトリックでは金利は禁止だったし、イスラムでは今も禁止されている。この意味で市場は、自生的秩序とはいえず、法の支配という西洋に固有のルールでつくられた、きわめて人工的な秩序なのだ。

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医師会中心の医療行政を転換せよ

東洋経済オンラインの記事が話題になってツイッターのトレンドに入っているが、中身はアゴラでこれまで指摘してきたことと同じだ。

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部分が全体を支配する「逆説の軍隊」

シリーズ日本の近代 - 逆説の軍隊 (中公文庫)
コロナをめぐる日本の意思決定をみていると、戦前、軍部に振り回された経験にまったく学んでいないと思う。当時の軍は単なる暴力装置ではなく、日本最高の専門家集団であり、陸軍大学は帝国大学と並ぶ知的権威だった。尾身会長が首相を超える権力をもつようなものだ。

日清・日露戦争までの日本は、明治維新から半世紀足らずで世界の強国ロシアを倒した驚異的な成功物語だった。それが昭和になって暴走し、日中戦争や日米戦争などの泥沼にはまっていった原因を考えることは、現代でも意味がある。

昔から皇帝が軍を指揮する国は多かったが、傭兵が多いため士気が低く、その規律を維持するのが大変だった。他方、都市国家は「自分の国を守る」という意識が強いため士気は高かったが、規模において劣る。両方の利点を生かし、国家的な規模で徴兵制を実現したのが近代国家の強みだった。

この点では日本の武家は、ローカルな都市国家に近かった。江戸時代までは「日本」という国家が意識されず、武士のエートスは各藩(家)のために戦う、主君への私的な忠誠だったからだ。それが一挙に「大日本帝国」への忠誠心に変わったのはなぜか?
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モラルハザードって何?

厚生労働省と東京都が「コロナ患者の病床確保料をもらって患者を受け入れない病院を調査する」と発表しました。これについて「補助金をもらって患者を拒否するのは詐欺だ」という批判が出ていますが、これは詐欺ではありません。モラルハザードという合理的な行動です。

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厚労省を自縄自縛する「役所の掟」

コロナ問題は医療行政を根本的に問い直している。人口あたり世界一の病床がある一方、被害は欧米の1/20なのに、なぜ「医療崩壊」などと騒がれるのか。なぜ保健所は病院に患者の受け入れを命令できないのか。厚労省は、なぜコロナを5類に落とさないのか。

その原因は簡単にいうと、役所が無能だからである。これは官僚の能力が低いという意味ではない。実は日本の役所には、民間を取り締まる法的強制力がほとんどないのだ。医療法30条では「都道府県知事は、医師の確保を特に図るべき区域の病院又は診療所における医師の確保に関し必要な協力を要請することができる」と定めているだけで、命令する権限がない。

それでもコロナのように新型インフル等感染症(1類相当)だと、感染症法38条で「特定感染症指定医療機関は、一類感染症、二類感染症及び新型インフルエンザ等感染症の患者に係る医療について、厚生労働大臣が行う指導に従わなければならない」という規定があるので、厚労省はそれに従わない病院の指定を取り消すことができる。

この指定取り消しが、行政が病院に対して行使できる唯一のペナルティである(今年初めの感染症法改正で都道府県知事が民間病院にも患者受け入れを「勧告」できるようになったが、罰則はない)。このため厚労省は1類相当の指定を残したまま、無症状や軽症の患者を入院対象からはずすなどの「弾力的運用」で実態に合わせてきた。

おかげで調整業務が保健所に集中し、それがボトルネックになって自宅療養で死者が出るようになった。厚労省は「役所の掟」に自縄自縛になっているのだが、1類相当を変えようとしない。それが政治力でまさる医師会と戦う唯一の武器だからである。

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橋下徹氏の「医療界に制裁」は正論だ


このツイートが反発を呼んでいるが、これは当たり前のことをいっているだけだ。

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専門家が政府の方針を決める愚

日本はなぜ開戦に踏み切ったか―「両論併記」と「非決定」 (新潮選書)
コロナをめぐって迷走する意思決定をみて、戦前を連想する人は多い。最近ロックダウンを求めるなど発言が過激になってきた尾身分科会長をみて、東條英機を連想するのは、私だけではないだろう。

共通するのは専門家の暴走である。軍部はいつの時代にも、戦争を求める。地震学者は地震対策に無限のコストを求め、気象学者は気候変動に無限の対策を求める。感染症学者が感染症対策に無限のコストを求めるのも当然であり、政治はそういう個別利害を超え、全体最適を考えて判断しなければならない。

それが文民統制の本来の意味だが、戦前の日本では軍部に知的エリートが集まり、その権威に政治家が勝てなくなった。軍部が「統帥権の独立」という論理で独立性を主張し、政府が決定して専門家が実行する階層構造が崩れてしまった。

その結果、指揮系統が混乱して両論併記と非決定で先送りが続く。それで何もしなければまだいいのだが、最後は状況に迫られ、ドタバタの中で誰も望まない結論が出てしまう。日米開戦は東條さえ望まななかった。

続きは8月23日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)

「幽霊患者」がベッドを占拠して重症患者を締め出す

東京都の新規陽性者は5000人を超え、全国に感染が広がってきた。政府は今まで新規陽性者数を中心に判断してきた「緊急事態」(ステージ4)の基準を、重症者数や病床使用率を中心に見直すという。そうしないと1年中、緊急事態を出すことになるからだ。

もともと緊急事態とは医療の逼迫が基準で、陽性者数はその先行指標にすぎない。それがマスコミの見出しになりやすいから、「新規感染者数」ばかり騒がれるようになったが、本質的な問題は病床使用率である。ところがこの実態があやしい。

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コロナ禍検証プロジェクト調べ

これはコロナ禍検証プロジェクトの調べだが、入院患者に占める(入院の不要な)軽症以下の比率はほとんどの県で30%以上で、新潟県では80%にのぼる。神奈川県が6%と突出して低いが、これは軽症患者の一部を行政の裁量で(入院の必要な)中等症に分類している疑いがある。軽症の定義は厚労省の基準では酸素飽和度96%以上だが、医師が入院が必要だと判断したら、症状がなくても中等症に分類できるからだ。

昨年コロナが指定感染症に指定されたときは、感染症法ですべての感染者を入院させて隔離することが原則だったので、当初は軽症患者どころか、無症状者まで入院させた。このため感染症指定病院が混雑したので、5類に落とすべきだという批判が出た。

ところが厚労省は逆に(指定感染症と同等の)新型インフル等感染症に指定してしまった。「行政の裁量で軽症患者を帰宅させればいい」というのが厚労省の説明だったが、そうは行かなかった。コロナの入院費は無料なので、症状のなくなった幽霊患者が居座り、新たな重症患者の入院を締め出す。病院も補助金がもらえるため、それを帰宅させない。それが大阪で4月に起こったことである。

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ビル・ゲイツ『地球の未来のため僕が決断したこと』

地球の未来のため僕が決断したこと
ビル・ゲイツの地球温暖化への関心は、1990年代にアル・ゴアのスポンサーになったときから一貫している。2011年にGEPRを創立したのは彼の寄付によるものだが、そのときも温暖化懐疑論への批判を語っていた。本書ではIPCCの予測をベースにビジネスとして合理的なCO2排出削減の方法をのべている。

CO2濃度が今後どうなるかは不確実性が大きいが、それが自然に減ることはありえない。CO2が海に吸収されるスピードはそれが排出されるスピードよりはるかに小さく、元に戻るには100年ぐらいかかるので、排出量を減らす必要がある。先進国は2050年までに実質ゼロにすべきだという。

そのためには化石燃料の消費を減らすと同時に、巨額の技術投資が必要だ。その障害となっているのは、CO2の外部性のコストが安すぎることだ。ガソリンの価格がミルクより安いことが過剰消費をまねき、非化石燃料への投資不足が生じているので、価格の補正が必要だ。これを彼は緑のプレミアムと呼ぶが、普通の言葉でいえば炭素税である。

彼の提案するプレミアムは、たとえばガソリンに対して106%という高率の課税だが、それでも現在の技術の延長では、2050年にゼロエミッションは不可能だ。それを実現するには大きなブレイクスルーが必要だというのが、彼がザッカーバーグやベゾスや孫正義氏などとともにBreakthrough Energy Coalitionを立ち上げた理由である。続きを読む
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