問題は感染者数ではなく「人口あたり死亡率」

東京都の感染者が293人に増えたとか188人に減ったとかマスコミは一喜一憂しているが、検査を増やしたら陽性が増えるのは当たり前だ。サンプルにも偏りがあるので、感染者数(正確には検査陽性者数)というデータは統計的には意味がない。

致死率(死者数/感染者数)も、分母が感染者数だから信頼できない。日本のコロナ致死率は4%でアメリカの3.7%より高いが、これは検査が少ないからだ。インフル(致死率0.1%程度)よりは重症化しやすいようだが、今のように感染者が増えて死者ゼロの日が続くともっと下がるだろう。

意味があるのは死者数である。これも100%信頼できるわけではないが、死んだときは死因を必ず検査する。死亡診断書を偽造することはむずかしいので、時系列でも国際比較でも死亡率を使うのが普通だが、日本ではあまり使わない。死者が少なすぎて、普通にプロットすると、毎日ゼロの続く無意味な図になってしまうからだ。

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毎日の人口100万人あたり死亡率(FT.com)

国際比較で使われるのは人口あたり死亡率である。これでみると図のようにアメリカは100万人あたり毎日2.2人で今も増えているが、日本は0.1人以下でほとんど見えない。これで「第二波が大変だ」などと騒ぐのは、嘘つきでなければ情報弱者である。

続きは7月20日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)。

プラスチックごみの「一括回収」に反対する

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政府はプラスチックごみの分別を強化するよう法改正する方針だ、と日本経済新聞が報じている。ごみの分別は自治体ごとに違い、多いところでは10種類以上に分別しているが、これを「プラスチック資源」として一括回収する方針だ。分別回収するのはペットボトルだけでなく、バケツや洗面器、キッチン用品などのあらゆるプラスチックを含む。

これは政府のプラスチック資源循環戦略で、2035年までにすべてのプラスチックを有効利用するという目標を掲げ、2030年までにプラごみを25%減らす計画の一環だが、何のためにプラごみを減らすのだろうか?

続きはアゴラで。

海洋プラスチック問題の超簡単な解決策

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本書は「国連のグテーレス事務総長は環境デーで『プラスチックごみで地球を汚すのはやめよう』と呼びかけた…」と格調高く始まり、海洋プラスチックごみがいかに困難な問題であるかを世界各地の例で明らかにする。ここまではよくある話だが、最後の第4章の2「プラスチックごみは大問題なのか」に至って、トーンがこう変わる。
日本で出るプラスチックごみの7割が焼却処分されている。[…]焼却処分は、埋め立てなどで処分することになる最終的なごみの容量を減らすには有効な手段だ。外国へのプラスチックごみの輸出を含め、ごみ処理の正規ルートに乗らないプラスチックを減らすことにつながる可能性もある。
こう書いてプラスチック循環利用協会の資料を紹介するが、そこにはこの問題の超簡単な解決策が書かれている。プラスチックは全部燃やせばいいのだ。ピリオド。

本書も「リサイクルには焼却にくらべて多くの費用がかかる」と認める。レジ袋をリサイクルするコストは69.8円/kgだが、焼却すれば30.5円ですむという。プラスチックは焼却で分解してCO2が出るのがいけないというなら、今回のレジ袋有料化で対象外になっている生分解性プラスチックも分解してCO2と水になる。

ごみの9割は発電などで熱利用しているが、生ごみだけでは高温が出ないので、重油を混ぜている。プラスチックを燃やさなかったら重油を燃やすだけで、CO2排出量は変わらない。そもそもプラスチックはもとは石油なのだから、石油を燃やすのと同じだ…と自問自答するうちに、最後は「焼却処分がもっとも合理的だ」と認めてしまう。そんな簡単な解決策が、なぜ実行できないのだろうか?

あとはアゴラサロンで。

新型コロナ対策は仕切り直して「インフル並み」に

政府は7月22日に始まる国内旅行の補助金「Go Toトラベル」の対象から、東京を発着地とする旅行を除外する方針を決めた。7月16日には東京で過去最多の286人の感染者が出て、感染の拡大を懸念する声が強まったためだ。

このGo Toトラベルは、何のためにやるのだろうか。これは4月7日に緊急事態宣言を出したとき、それと同時に決まった16兆円の補正予算の一部だが、緊急事態宣言で国民の移動を制限すると同時に、移動にインセンティブをつけて奨励するのは支離滅裂である。世界中に、そんな政策をとっている国はない。

続きはアゴラで。

「皇国史観」という近代的フィクション

皇国史観 (文春新書)
皇国史観というと日本の古い伝統のようだが、万世一系の天皇という概念ができたのは明治時代である。天皇が古代から日本の中心だったという歴史観は徳川光圀の『大日本史』から始まったもので、一般には知られていなかった。それを尊王攘夷思想にしたのが19世紀の藤田東湖や会沢正志斎などの後期水戸学である。

しかし尊王攘夷が明治維新の理念だったという話は、明治政府が後からつくった話で、当時の尊王攘夷は水戸のローカルな思想だった。それを信じていた水戸藩の武士は天狗党の乱で全滅し、長州にそれを輸入した吉田松陰も処刑されたので、戊辰戦争のころはコアな尊王攘夷派はほとんど残っていなかった。

水戸学の最大の影響は、水戸家出身の徳川慶喜が「大政奉還」という形で政権を投げ出したことかもしれない。これは代々「日本の国は天皇のものだ」という教育を受けてきた慶喜が天皇に名目的な権威を奉還するという形で幕府の延命をはかったものだが、薩長は幕府と徹底抗戦した。

戊辰戦争で幕府は圧倒的に不利だったわけではないが、慶喜が鳥羽伏見の戦いのあと大坂城を脱出したため、幕府軍は総崩れとなり、あっけなく決着した。このときも慶喜の頭には父の斉昭から教わった水戸家の教えがあったため、「朝敵」として戦うことができなかったのではないかと本書は推定している。

日本は天皇の統治する国だという歴史観は、反政府勢力だった薩長が掲げたものだが、幕府もそれを認めて江戸城を明け渡したため、皇国史観が国家をまとめるイデオロギーになった。明治維新は国民の大部分が知らないところで起こった「宮廷革命」であり、ばらばらの日本をまとめるのは天皇というフィクションしかなかったのだ。

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優生学は人種差別の思想ではない

優生学と人間社会 (講談社現代新書)
れいわ新選組の大西恒樹氏の「命の選別」発言が「優生思想だ」と批判を浴びた。自民党のツイッター騒動でも、マスコミはこれを「優生学だ」と槍玉にあげた。ここでは優生学が悪の代名詞になっているが、それは科学的には自明ではない。

日本には「優生保護法」という法律が1996年まであった。今は「母体保護法」と名前を変えているが、不妊手術や妊娠中絶手術を合法化する中身は同じだ。強制的な不妊手術については憲法違反だという訴訟が起こされているが、「経済的理由」による中絶は自由である。

優生学はナチスと結びつけられるが、人種差別や民族浄化とは無関係である。それは個人の能力がどこまで遺伝によるものかを検証する学問で、マックス・ウェーバーも支持していた。ケインズはイギリス優生学協会の会長だった。それは極右の思想ではなく、むしろフェビアン協会などの社会民主主義者が支持していた。

1907年に犯罪者や精神障害者の不妊手術を合法化する「断種法」が世界最初に制定されたのは、アメリカのインディアナ州だった。1930年代から優生学の中心になったのは北欧で、デンマークやスウェーデンでは強制的な不妊手術が行われた。社会保障の負担になる障害者を減らす産児制限は「福祉国家」の一環だったのだ。続きを読む

山中伸弥氏の「コロナ10万人死亡説」は大丈夫か



日本循環器学会で、政府の有識者会議の委員になった山中伸弥氏が、西浦博氏と対談した動画が公開されている。山中氏は西浦氏の「40万人以上死ぬ可能性がある」という話について「先生のおっしゃることはまったくその通りだ」と賛成してこう語る(8:00~)。

アメリカはロックダウンをあれだけやって、日本なんか比べものにならないぐらいの対策をやって、それでも今大変なことになっているわけです。アメリカは300万人近くが感染されて13万人近くが亡くなっているわけです。

それをみても、ウイルスの潜在的な恐ろしさは、それは対策をとらなければ日本でも何十万人が亡くなってしまうというのは間違いないことだと思うんです。何も対策をしなければ。実はそれは今も変わっていないんじゃないんかと。

結局日本というのは感染者がそれまで広がらなかったので、その数は一緒で、40万人なのか30万人なのか20万人なのかというのは別ですが、いまだに日本はもし何も対策をとらなければ、今からでも10万人以上の方がなくなる、それぐらいのウイルスがまだそのあたりにいっぱいいてるんだという事実は僕たちは絶対忘れてはいけないことだと僕は思ってるんですが、そのあたりは先生も同じでしょうか?

続きはアゴラで。

「聖なる汚物」としてのコロナウイルス

汚穢と禁忌 (ちくま学芸文庫)
きょうも東京では新型コロナの感染者が243人出たと騒いでいるが、コロナウイルスを見た人はいない。圧倒的多数の人々にとってはそれは想像上の危険でしかないが、それをこれほど多くの人が恐れるのは興味深い。

感染症が病原体によって起こるとわかったのは150年ぐらい前である。それまでは疫病の正体は見えないので、死体や排泄物は汚物として日常生活から排除された。汚物は両義的な意味をもち、聖なるシンボルとして儀礼で重要な役割を果たす。本書は1966年に書かれた文化人類学の古典である。

たとえば葬儀に糞尿を使う慣習は未開社会に広く見られる。葬式の前後には、性的なタブーも解除される。こういう慣習は現代にも残っており、ニューオーリンズでジャズが生まれたのは、墓地に隣接する売春街だった。日本でも、吉原の遊郭は鶯谷の墓地に隣接していた。死や性などのタブーにふれることで人は日常の抑圧から解放され、秩序をリセットするのだ。

こうした儀式は近代社会では力を失ったが、社会を脅かすリスクがなくなったわけではない。かつては神罰を恐れた人々が今日ではコロナウイルスを恐れるが、目に見えないのは同じだ。このため人々は、ウイルスを排除するためにはいくらコストをかけてもかまわないと思うのだ。ゼロリスク信仰は「聖なる汚物」を排除する儀式である。

続きは7月13日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)。

新型コロナは「武漢ウイルス」ではなく「イタリアウイルス」だった

東京で7月9日に、新規感染者が224人確認された。まだPCR検査は増えているので、しばらくこれぐらいのペースが続くだろうが、この程度の感染者数の増減は大した問題ではない。100人が200人になっても、次の図のようにアメリカの新規感染者5万人に比べれば誤差の範囲だ。大事なのは医療資源と関連する重症患者で、わずか6人のままである。



では第二波は来るのだろうか。これは専門家にもわからないが、コロナウイルスの感染という意味では、おそらく今年の秋以降、また流行するだろう。コロナは毎年はやっている風邪だが、ウイルスの種類によっては注意が必要だ。

今回はラッキーだったが、次も今回のような行き当たりばったりの感染症対策でうまく行くとは限らない。大事なのは、日本の被害が圧倒的に少なかった原因を解明することだ。

続きはアゴラで。

疫病が近代社会の「生権力」をつくった

ミシェル・フーコー講義集成〈7〉安全・領土・人口 (コレージュ・ド・フランス講義1977-78)
コロナで全世界に起こったロックダウンや自粛にからんで、フーコーがよく引き合いに出される。近代社会は「一望監視」システムによる監視社会だというのは1975年の『監獄の誕生』で出てくる概念だが、本書(1977年の講義)では撤回している。
一望監視は最も古い主権者の見る最も古い夢だともいえます。私の臣民は誰も逃れてはならない、私のいかなる臣民のいかなる身振りも私の知らぬところであってはならないという夢です。[…]それに対して今や登場するのは、正確には個人的現象ではないような特有の現象を統治(および統治者たち)にとって適切なものとするメカニズムの総体です。(本書81ページ)
一望監視装置は君主の見る夢で、現実には存在しなかった。現実に古代の君主権力が行ったのは、疫病患者の排除だった。それが適用されたのが癩病(ハンセン病)で、ここでは患者は家族からも国家からも完全に隔離される。

中世末期のペストのとき、イタリアで生まれたのが検疫だった。これはペストに感染した患者を隔離し、都市を格子で区切って外出を禁じるもので、都市は見張りを行う総代の監督下に置かれ、違反者は処刑された。このような都市封鎖はコストが高く、現代でもロックダウンは長期にわたって続けることができない。

それに対して1720年ごろから出てきた新しい技術が、種痘だった。これはメカニズムが不明だったので初期には危険な医療技術とされ、それを接種すべきかどうか論争が起こった。だがその効果は経験的に明らかだったので、ジェンナーが実用化してから予防接種が広く行われるようになった。

予防接種が成功すれば都市を封鎖する必要がなく、市民は自分の命を守るために接種に協力するようになった。これが人々が権力に自発的に服従する生権力の始まりだった、とフーコーはいう。この点でロックダウンは、ペストの時代の検疫への先祖返りともいえよう。

続きは7月13日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)。








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