東芝の西田厚聡氏は「だめなワンマン社長」だったのか

東芝解体 電機メーカーが消える日 (講談社現代新書)
本書はよくある東芝バッシングで、その理由も簡単だ:経産省と原子力村の陰謀が3・11で破綻した。日本をダメにしているのは、電力会社とNTTにぶら下がる電機メーカーの「ゼネコン体質」だという。それでは本書が槍玉にあげているソニーとパナとシャープはどうなるのか。

私もITゼネコンを批判する点では人後に落ちないつもりだが、そんな勧善懲悪で説明できるほど、製造業の問題は単純ではない。東芝の問題をすべて西田厚聡氏の「でたらめなワンマン経営」の責任にするのは、誰でもいえる結果論だ。

西田氏のグローバル経営には、見るべきものがあった。もちろん結果的には3・11で大失敗に終わったが、それは東芝の原子力技術の欠陥ではなく、民主党政権を中心とする感情的な東電バッシングのおかげだ。福島事故がなければ、東芝は日本の製造業の成功モデルになった可能性もある。それが『失敗の法則』の一つのテーマである。

続きは6月26日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

安倍政権の終わりの始まり

各社の世論調査で内閣支持率が急落し、4割前後になった。この原因は明らかに加計学園で官房長官の説明が二転三転したことで、一過性の現象だと思うが、そろそろ安倍政権の寿命も見えてきたので、この4年を振り返ってみよう。



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「天賦人権」は迷信である

共謀罪は人権と安全のトレードオフだという評論家がいるが、彼らの疑わない人権とは何だろうか。「プライバシー」は人権なのだろうか。「すべての人間は生まれながらにして平等で あり、その創造主によって生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」というアメリカ独立宣言は、明らかに証拠のない迷信である。

人間が遺伝的に人権をもって生まれてこないことも明らかなので、それは価値判断だろうが、すべての人に同じ権利を政府が賦与すべきだという根拠はどこにあるのだろうか。天賦人権を宣言したアメリカの憲法は、奴隷の権利を3/5に制限してその売買を認めた。こうした矛盾を最初に指摘したのは、エドマンド・バークである。
私は、各個人が国家においてもつ権限、権威、指揮などを文明社会内の人間の本源的直接的な権利に数えることを拒否する。私の考察対象は文明社会の人間であって、これは慣習によって決定さるべき事柄である。

続きは6月19日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

警察の最大の武器は「共謀罪」ではない

「共謀罪」法の成立で「監視社会」になるという話が、また出ているようだ。これは「国民総背番号」や個人情報保護法のときも、一部の人々が騒いだ話だ。もう忘れた人も多いようなので、当時どれほどヒステリックな騒ぎが起こったかを思い出してみよう。
  • グリーンカードは"国民総背番号制"で、これを実施すれば国民のプライバシーが侵害される。――金丸信(1983)
  • 国民に対する権力の監視の目を厳しくする法案として民主党が問題としているものに、住民基本台帳法、いわゆる国民総背番号法があります。――枝野幸男(1999)
  • 個人の統一的管理システムの構築を認めない。――日弁連「自己情報コントロール権を情報主権として確立するための宣言」(2002)
  • 住基ネットは国民を裸で立たせるものだ。――櫻井よしこ(2002)
続きはアゴラで。

霞ヶ関の中の「武士道」



今年の流行語大賞は「面従腹背」だと思うが、この言葉は意外に重要なインプリケーションをもっている。サラリーマンなら誰でも面従腹背の経験があると思うが、それが大きなストレスになるのは、彼らが役所や会社をやめられないからだ。こういう状況は、江戸時代からあった。

「武士道」という言葉は新渡戸稲造が捏造したものだが、それを江戸時代に使った数少ない本が『葉隠』である。これは「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という言葉で有名だが、死を美化する本ではなく、むしろ日常的な武士の心がけを書いたものだ。特におもしろいのは、ここに面従腹背のエートスがみられることだ。

『葉隠』は主君への絶対服従を説いているようにみえるが、笠谷和比古氏も指摘するように、そこで山本常朝が忠誠の対象としているのは藩主ではない。主君の政治が間違っている場合には「主君の御心入を直し、御国家を固め申すが大忠節」という言葉で忠誠の対象になっているのは、個人としての藩主ではなく「国家」(鍋島藩)なのだ。

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日本経済 最後の戦略

日本経済 最後の戦略 債務と成長のジレンマを超えて
アゴラで香川健介さんがほめているので読んでみたが、結論からいうと一般読者にはおすすめできない。マクロ経済学の研究者には最近の研究のサーベイとして役に立つかもしれないが、あれこれ紹介しているだけで、何をいいたいのかわからない。修士論文にはよくあるパターンだが、出版するレベルではない。

特に問題なのは、政府債務をテーマにしているのに、最大の問題である社会保障債務についてたった2ページ(pp.123~4)しか書いてないことで、その結論は「高齢化それ自体は大きな問題ではない」。全体に、政府に遠慮した表現が目立つ。著者は経済産業研究所のコンサルティング・フェロー(非常勤)だが、今はRIETIも自由にものをいえなくなったのだろう。これでは独立行政法人などという擬制はやめて「経済産業省経済調査部」としたほうがいい。

続きは6月19日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

菅官房長官「99勝1敗」の背後に見える警察の影

通常国会は後味の悪い幕切れだった。土壇場で文科省の怪文書の実物が出てきて、菅官房長官が謝罪に追い込まれたからだ。無敵だった彼の99勝1敗ぐらいで大勢に影響はないが、内閣支持率も落ちてきた。政権が加計学園をもみ消すために会期延長しなかったのは事実だろう。以下は憶測だが、この背後には警察の影がちらつく。

続きはアゴラで。

「面従腹背」はサラリーマンの職業倫理

Kihei_Maekawa_cropped_2_Kihei_Maekawa_20160607今週のアゴラジオは、私も飛び入りで参加して、文科省の騒動を霞ヶ関の中の人の立場で考えてみた。前川喜平氏の話で違和感があるのは「政権の暴走に現場が歯止めをかける」という話だ。彼は政権の決めたことを執行する立場のトップだったので、企業でいえば事業本部長のようなものだ。それが社長に「面従腹背」していたら、ビジネスは成り立たない。

前川氏は歌舞伎町の風俗店でも「女性の貧困問題を現場で調査」していたらしいが、こういう「現場主義」が政治や経営を混乱させる元凶だ。内閣が考えるのはどの均衡を選ぶかという大きな意思決定で、各省の役人が考えるのは、その中で最善をつくす小さな最適化である。

ところが霞ヶ関では、各省の中間管理職が大きな意思決定を行い、閣議はそれを持ち寄って事後承認するだけだ。これは大企業の役員会が各事業本部長の合議体になっているのと似ているが、指揮系統が不明瞭なので同じ問題を各段階で果てしなく議論し、全員一致できない問題は先送りする。

続きは6月19日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

【おしらせ】アゴラ経済塾「失敗の法則」



文部科学省の前川喜平元事務次官の発言が話題になっていますが、彼の「座右の銘は面従腹背」という発言には日本の役所や大企業の欠陥が集約されています。日本の組織は小集団の中で意思決定が完結し、トップの指示には面従腹背で「強いリーダー」をきらいます。それは漸進的な変化には強いのですが、不連続な変化には失敗することが多い。

ビジネススクールやビジネス本では「成功の法則」を教えますが、その元祖として有名な『エクセレント・カンパニー』で取り上げられた43社のうち、10社以上が消滅しました。偶然で勝つ企業は少数あるので、その原因を結果論で説明しても大して役には立ちません。それに対して負ける企業は多いので、彼らに共通の「失敗の法則」を分析することはビジネスにも役立つと思います。

7月からのアゴラ経済塾では、池田信夫が7月に出す新刊『失敗の法則』をテキストにして、企業や政治の失敗のパターンを紹介し、その原因を解明します。

続きはアゴラで。

前川喜平氏の「たった一人の満州事変」



加計学園の騒動は、菅官房長官が文書の存在を全面否定したため、かえって野党に攻撃材料を与えてしまったが、存在していても大した話ではない。霞ヶ関には山のようにある(公印も日付もない)メモだが、おもしろかったのは、前川喜平氏の座右の銘は面従腹背という発言である。6月1日の「報道ステーション」で、彼はこう語った。
私ね、座右の銘が「面従腹背」なんですよ。これは普通は悪い意味で使われるんだけど、役人の心得としてある程度の面従腹背はどうしても必要だし、面従腹背の技術というか資質はやっぱりもつ必要があるので、ですから表向き、とにかく政権中枢に言われたとおり「見つかりませんでした」という結論にもっていくけども、しかし巷では次々に見つかっているという状態ということを考えたかもしれない。

続きはアゴラで。






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