人間のモラルは遺伝か文化か

道徳の自然誌
ものを盗んではいけないとか、嘘をついてはいけないというモラルは、合理的に説明できない。ものを盗むことは合理的なので、それを抑止する心理的メカニズムが必要だ。ゲーム理論では、利己的な個人の戦略的行動の結果としてモラル(協力)を説明するが、それが成立する条件はきわめて限定的で、現実には成り立たない。

社会性昆虫の協力的行動は血縁淘汰でほぼ完璧に説明できるが、人間の複雑な道徳は説明できない。それを遺伝的な集団淘汰で説明する理論にも限界がある。狩猟採集社会では個人の流動が多く、遺伝子レベルの突然変異は定着しないからだ。

本書が提案するのは、第3の文化的淘汰ともいうべきものだ。ここでは血縁淘汰も集団淘汰も機能しているが、重要なのはDNAではなく、人間の感情である。それはゲーム理論の想定するような戦略的行動ではなく、集団間の競争で生まれた共同志向性(shared intentionality)だという。

これは哲学的な概念だが、それを生み出したのは思弁ではなく試行錯誤である。他人と同じ行動をとる人の多い集団が戦争に勝ち、負けた集団は消滅するか、勝った集団の奴隷になる。その中で共同志向性の強い集団が協力して戦争に勝ち、宗教や道徳を蓄積したのだ。

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学術会議は「ゆがんだ制度設計」を直さないと独立できない



学術会議が話題になっているが、「学問の自由」などと騒いでいるのは野党とマスコミだけで、当事者はみんな白けている。学術会議は特定の政治勢力に利用され、政府には相手にされなくなり、もう死に体になっているからだ。問題はなぜこんなひどいことになったのかということだ。

学術団体が内閣直属の政府機関になっているのは特異な制度設計で、先進国には類をみない。これはGHQが科学の振興とともに再軍備の監視という機能を学術会議にもたせたことが原因で、全研究者の直接投票という異例の組織形態も、民主的組織で政府を監視するためだったらしい。

それが党派的に利用されたため、民営化すべきだという議論が1950年代からたびたび出たが、学術会議が抵抗して実現しなかった。政府は2001年に諮問機関として総合科学技術会議をつくり、学術会議は予算も増やさないで放置した。それが2017年の「軍事研究の禁止決議」でまた党派的な性格を強めたため、人事に介入したのだろう。

私は研究機関に独立性が必要ないといっているのではない。逆である。2001年に省庁再編で独立行政法人ができたとき「政府から独立して助言する」という目標が掲げられ、私が所属した経済産業研究所は、本当に独立して自由に政府を批判した。このため北畑隆生官房長が、青木昌彦所長など多くの研究員(私を含む)を追い出した。

このときわかったのは、独立行政法人は実は独立していないということだった。設置法を読むと、予算も人事も本省がすべて握っており、独法に勝ち目はなかった。まして学術会議のような内閣直属機関が、そのゆがんだ制度設計を直さないで「自分たちだけ特別に人事を無条件で認めろ」といっても、法律論で一蹴されるだけだ。

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学術会議は共産党の活動拠点だった

学術会議の騒ぎを受けて自民党が「非政府組織化」を検討するプロジェクトチームを発足させた。読売新聞によると、河野行政改革担当相が学術会議の運営や組織の見直しに着手したという。

きのうの記事では学術会議の法的な問題点を整理したが、きょうはその政治的な問題点を考える。元会員の村上陽一郎氏が、初期の学術会議の実情をこう書いている。
日本学術会議はもともとは、戦後、総理府の管轄で発足しましたが、戦後という状況下で総理府の管轄力は弱く、七期も連続して務めたF氏を中心に、ある政党に完全に支配された状態が続きました。特に、1956年に日本学士院を分離して、文部省に鞍替えさせた後は、あたかも学者の自主団体であるかの如く、選挙運動などにおいても、完全に政党に牛耳られる事態が続きました。

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学術会議問題は「風見鶏」中曽根首相の遺産

学術会議問題は法的には自明だと思ったが、国会答弁が迷走しているので、最低限度の法的問題を整理しておこう。きょうの衆議院文教委員会で、共産党の田村智子議員の質問に対する政府の答弁は混乱していた。



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戦争は人類の宿命か

人類の起源、宗教の誕生: ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき (平凡社新書)
学術会議をめぐる騒ぎの隠れた主人公は、前会長の山極寿一氏である。彼は学術会議が2017年に軍事研究の禁止を提言したときの幹事であり、京大が2018年に軍事研究の禁止を決めたときの総長である。

こういう平和主義は彼の学問的信条でもあるらしく、本書でも(彼の専門である)ゴリラは暴力的ではないと説明している。哺乳類の死因のうち暴力は0.3%だが、霊長類では2%だという。人類も歴史を通じてみると2%程度だが、3000年前から上がって15~30%になったという。

人類と戦争の関係については長い論争があるが、最近多いのは、ピンカーのように近代以前の人類は平均15~20%が戦争で死んだという見方だ。彼は狩猟採集時代から一貫して殺人が多かったと考えており、E.O.ウィルソンも暴力の抑止が集団淘汰の最大の要因だと考えている。

これに対して山極氏のように戦争が始まったのは農耕社会になってからだと考えると、戦争は文明の生み出したものであり、それは文明で克服できるということになる。私もそうであることを祈りたいが、少なくとも現代の世界ではリアリティがない。

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学術会議の荒療治は「第2の小泉改革」の始まり?

学術会議の問題は意外に大きい。予算10億円というのは国家予算160兆円の中では誤差の範囲だが、これは森友・加計のようなケチなスキャンダルではなく、内閣人事局による官僚機構のコントロールという安倍政権以来のテーマにかかわるからだ。

2013年に安倍首相が内閣法制局長官に慣例を破って外務省の小松一郎氏を起用したとき、マスコミは「法の番人」の独立性を侵害すると騒いだが、法制局は首相の指揮下にあり、独立性はない。同じく内閣直轄の学術会議も任命権は首相にある。これは単なる国家公務員の人事であり、「学問の自由」を侵害するという議論は成り立たない。

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文化はラマルク的に進化する

文化進化論:ダーウィン進化論は文化を説明できるか
学校では「ラマルクの用不用説は間違いだ」と教える。彼は「キリンの首が長いのは高い木の枝の実を食べるためだ」と主張したが、獲得形質は遺伝しないからだ。言葉も遺伝しないが、子供はまるで親から遺伝したように話せるようになる。それはなぜだろうか?

これはそれほど自明の問題ではない。チョムスキーは人間の脳内に備わる「普遍文法」が遺伝すると主張したが、これは今日では否定されている。主流派の答は、文化はラマルク的に進化するというものだ。文法は遺伝しないが、他人の行動を見てまねる能力は遺伝するからだ。

たとえば獲物を食い殺せる丈夫な歯が進化するには何万年もかかるが、歯の弱い個体が石器で獲物を殺せるようになると、この技術は数年あれば集団全体に広がる。つまり図のように遺伝では長期間かかる環境への適応が、文化によってそれよりはるかに速くできるようになったのだ。

culture

その代わり人間には、他人の行動をまねて集団で継承する能力が必要だ(言葉は不可欠ではない)。類人猿には多少そういう能力があるが、道具のような複雑な技術をまねることはできない。

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学術会議を民営化して「学問の自由」を取り戻そう



日本学術会議の会員任命をめぐる議論が、国会の焦点になりそうだ。大部分の国民には何の関係もない問題だが、「学問の自由」がどうとかいうのはお門違いである。彼らの研究にも発表にも、政府はまったく介入しない。

学術会議の会員は非常勤の国家公務員(特別職)であり、学術会議法7条では会員は「学術会議の推薦に基づいて内閣総理大臣が任命する」と定めているので、任命権は菅首相にある。210人の会員は任期6年で3年ごとに半数改選され、再任なし(Vlogで「再任」といったのは誤り)なので、これは新規採用である。

つまり今回の問題は、政府が非常勤公務員の1次試験を通った105人のうち99人を採用したということにすぎない。

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「明治デモクラシー」はなぜ自壊したのか

明治憲法史 (ちくま新書)
日本国憲法を美化する人は、明治憲法は「万世一系の天皇」の統治する専制的な憲法だと思っているかもしれないが、これは当時としては世界でもっとも民主的な憲法だった。日本が戦争に突入したのは、憲法の「明治デモクラシー」が機能しなくなったためだというのが著者の見方である。

美濃部達吉は「天皇機関説」で政治的に迫害された立憲主義者として知られているが、1933年に『中央公論』に掲載された論文で、政党政治を批判してこう書いている。
単純に立憲政治の常道に復するということだけでは吾々は到底満足し得ない。吾々の希望したいことは、此の際、各政党の首領、軍部の首脳者、実業界の代表者、勤労者階級の代表者を集めた円卓巨頭会議を開き[…]財政及び経済の確立に付き根本的の方針を議定し、此の大方針の遂行に関しては、恰も戦争に際した時の如く、暫く政争を断って、挙国一致内閣を支持することである(強調は引用者)。

ここで彼が提唱している「円卓巨頭会議」は議会とは別の職能別組織だが、それが「挙国一致内閣」を支持するというのは、のちの大政翼賛会に近い発想である。1930年代には美濃部だけではなく多くの進歩的知識人が、腐敗した政党政治では危機は乗り越えられないと考え、挙国一致体制を提案したのだ。続きを読む

ベーシックインカムはベストの社会政策

絶望を希望に変える経済学 社会の重大問題をどう解決するか (日本経済新聞出版)
本書の著者ははノーベル経済学賞を受賞した開発経済学の専門家だが、第9章をベーシックインカムにあて、こう書いている。
社会政策の設計としてこれ以上のものはない、というのがユニバーサル・ベーシックインカム(UBI)である。単純にしてエレガントかつ近代的な政策であり、シリコンバレーの起業家、メディア、一部の哲学者や経済学者、ちょっと変わり者の政治家の間では絶大な人気を誇る。

UBIは貧困国でも実験が行われ、インド政府は全国民に年430ドルを支給することを検討している。これはインドの基準でも低いが、財源はこれでもぎりぎりだ。ケニアでもUBIの実験が行われており、著者はそれに参加している。

先進国でも多くの実験が行われているが、労働意欲への悪影響は大きくない。UBIの最大の(そして唯一の)問題は財源である。アメリカ人全員に毎月1000ドル渡すには年間3.9兆ドル必要で、現行の社会保障予算を1.3兆ドル上回る。

この大きなギャップを埋めることは困難だが、不可能ではない。莫大な財源が必要になるのは必要のない人にも無条件に支給するからで、ユニバーサルではない条件つきベーシックインカムとしてはいろいろな方法が考えられる。

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