みこしは軽くてパーがいい



これは『失敗の法則』第8章のテーマだが、昨年9月の民進党代表選では、蓮舫代表が「軽いみこし」としてかつがれた。彼女とポストを取引して立候補を見送った幹部もいた。それは政局的には正しかったのだろう。当時の票読みでは、彼女が圧倒的に有利だったからだ。

だが、このように「表の代表」と「裏の幹事長」を分離し、実権を後者が握る二重権力こそ、民主党政権が改革しようとした構造だった。それは1990年代から「政治主導」を提唱してきた小沢一郎氏のコンセプトでもあった。鳩山政権は政策調査会を廃止して意思決定を政府に一本化したが、小沢氏が幹事長になると逆に陳情の窓口を幹事長に一本化した。「みこしは軽くてパーがいい」というのは、彼の言葉である。

こういう構造が失敗するのも日本型組織の法則だが、その原因は大きな意思決定ができないからだ。閣僚は内閣改造で交代する「軽いみこし」なので、官僚はその命令を聞かないで、役所のコンセンサスを代表する事務次官の命令を聞く。彼らは業界の既得権で動くので、獣医学部の新設さえできない。それは議院内閣制が想定している統治構造とはまったく違うのだ。

続きは7月17日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

蓮舫代表は台湾国籍を離脱したのか

いったん「戸籍謄本を出す」と表明した蓮舫代表は、きのう午後になって「台湾の籍を有していないことがわかる部分」だけ見せるといい、さらに「パスポートや台湾当局への国籍離脱申請書の写し」を提出すると話が変遷している。申請書を出すというのは、証明書が存在しないということだろう。台湾政府のウェブサイトで「謝蓮舫の国籍喪失」を検索すると、こういう結果が出る。

続きはアゴラで。

失敗の法則:日本人はなぜ同じ間違いを繰り返すのか

失敗の法則 日本人はなぜ同じ間違いを繰り返すのか
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という。これはプロ野球の野村克也元監督の言葉として知られているが、もとは江戸時代の大名、松浦静山の剣術書である。勝つときは偶然勝つこともあるが、負けるときは必ず理由があるという意味だ。
 
ビジネススクールの授業やビジネス本には「不思議の勝ち」を説明する結果論が多い。たとえばコイン投げのギャンブルで、あなたが表だけに賭けて30回続けて勝つ確率は10億分の1だが、そのとき「コイン投げで勝つ秘訣は何ですか?」ときかれたら、あなたは「表に賭けることです」と答えるだろう。
 
こういう錯覚を「生存バイアス」と呼ぶ。どんなゲームにも(偶然で)勝ち続ける人は少数いるので、その原因を結果論で説明しても、大して役には立たない。それに対して、負ける人は多いので、その原因を分析することは意味がある。一つ一つはつまらない失敗でも、集めると法則性が見えてくる。続きを読む

朝日新聞 勘違いしていませんか

朝日新聞は、けさの「民進党 勘違いしていませんか」と題する社説で、蓮舫代表の戸籍謄本公開を批判している。「本人の政治判断とはいえ、プライバシーである戸籍を迫られて公開すれば、例えば外国籍の親を持つ人々らにとって、あしき前例にならないか」というが、勘違いしているのは朝日新聞ではないか。

続きはアゴラで。

なぜ「お家」は命より大事だったのか

現代語訳 武士道 (ちくま新書)
『武士道』ほど誤解されてきた本も少ない。それはアメリカ人に「日本の道徳体系」を説明するために英文で書かれたので、日本人が読むと首をかしげる話が多い。武士道という言葉の出典をきかれて、新渡戸稲造は「わからない。私の造語かもしれない」と答えたという。

彼の執筆動機は「日本人は宗教なしで、どうやって道徳を教えるのか?」というアメリカ人の質問だったが、彼は『甲陽軍鑑』も『葉隠』も読んでいなかった。出典は歌舞伎や浄瑠璃などのフィクションなので、武士道が存在した証拠にはならないが、明治期の日本人の主観的な日本文化論としてはおもしろい。

新渡戸の美化したサムライの価値基準は「お家」だった。それは日本独特の宗教といってもいいが、儒教や仏教のような普遍性はなく、あるのは義理と人情と人間関係だけだ。武士が命より大事にしたのは「体面を守る」とか「恥をそそぐ」という美意識だったが、人はそんなことで切腹できるものだろうか。

続きは7月17日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか

人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか
内閣支持率は危険水位に近づいてきた。秋の臨時国会では、補正予算や消費税増税の再々延期が出てくるかもしれない。もう安倍首相も「デフレ脱却」といわなくなり、最近はもっぱら「雇用の改善」が1枚看板だ。

たしかに完全失業率は2%台と完全雇用に近く、有効求人倍率は1.5倍とバブル期以上の人手不足なのに、実質賃金が上がらないのはなぜか、というパラドックスが本書の問いで、これに22人が答えている。バラバラの論文を寄せ集めただけだが、意外性があるのは第9章「家計調査等から探る賃金低迷の理由――企業負担の増大」(大島敬士・佐藤朋彦)である。

続きはアゴラで。

自由民権運動は「武士の破れた袋」

自由民権運動――〈デモクラシー〉の夢と挫折 (岩波新書)
安倍内閣の支持率が急落し、政権の先行きは不透明になってきたが、民進党の支持率も上がらない。本書はこういう政党政治の未成熟の起源を、自由民権運動の挫折に求める。

江戸時代を「封建制度」とか「身分社会」と呼ぶと、ピラミッド的な階層秩序だったような印象を受けるが、実際には下級武士は町人より貧しくて尊敬もされず、「幾千万の人類は各幾千万個の箱の中に閉ざされた」(福沢諭吉)状態だった。こうした村や藩などのさまざまなレベルの箱(中間集団)を著者は「袋」と総称する。

身分社会では、人々は「袋」の中で、支配者から与えられた「役」を親から受け継いで一生を終わる。出世のチャンスは軍役だが、戦争は250年以上なかった。貧困のどん底だった武士が「袋」を破ろうとしたのが戊辰戦争だったが、そこで戦果を上げた武士は、廃藩置県で失業してしまう。そういう政府に対する不平士族の反乱が自由民権運動だった。

幕藩体制の「古い袋」が破れ、民権運動で自由党という自発的結社ができ、国家が統一されて政党政治が導入される――ここまではヨーロッパの市民革命と似ていたが、デモクラシーの「新しい袋」は藩閥政府に敗れ、自由党は立憲政友会という「御用政党」になってしまう。そこには何が欠けていたのだろうか?

続きは7月17日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

東大法学部と「武士道」の凋落

篠田英朗さんの記事で気づいたが、東大法学部出身の首相は宮沢喜一以来、出ていない。官僚出身も彼が最後だ。今の首相官邸でも東大法学部卒(官僚出身)は、今井尚哉秘書官ぐらいだろう。「東大支配」が終わりに近づいているのは、歴史的な出来事だと思う。

続きはアゴラで。

憲法学者は真理を政治的に決める「聖職者」



きのうは篠田英朗さんに戦後の憲法学の奇妙な歴史についてきいたが、途中で突飛な連想が浮かんだ。宮沢俊義の「8月革命」説がキリスト教の三位一体説に似ており、それを守る東大法学部の憲法学者が聖職者に似ているということだ。

近代の常識では、規範で事実を決めることはできない。たとえば憲法で「地球は太陽のまわりを回るべきではない」と決めても、地球が公転するという事実は変わらない。しかし歴史の大部分では、信仰で真理が決まった。三位一体説は「父と子と聖霊は三つだが一つである」という(8月革命と同じく)支離滅裂な話だが、4世紀以来ずっとキリスト教の正統である。それを信じない者は「異端」として政治的に排除されたからだ。

今でもイスラムでは、法学者は聖職者である。スンニ派とシーア派が戦争するのは、法解釈で真理が決まるからだ。歴史的には、規範と無関係に実験や観察で真理を決める実証主義は特殊な思想だが、カトリック教会も1992年に地動説を認めた。東大の法学者=聖職者が学問的真理を政治的に決める憲法学は、イスラムと同じである。

続きは7月10日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

消費税増税の「再々延期」はあるか

竹中平蔵氏が、Voice8月号で「2%のインフレ目標が実現するまで消費税の増税を延期する」というシムズの提言を評価している。今年6月の骨太の方針では「債務残高のGDP比の安定的な引き下げ」を目標にしてプライマリーバランス黒字化を放棄したので、2019年10月に予定されている10%への増税が再々延期される可能性も出てきた。

続きはアゴラで。






title




連絡先(取材・講演など)

記事検索
月別アーカイブ
QRコード
QRコード
Creative Commons