「皇国史観」という近代的フィクション

皇国史観 (文春新書)
皇国史観というと日本の古い伝統のようだが、万世一系の天皇という概念ができたのは明治時代である。天皇が古代から日本の中心だったという歴史観は徳川光圀の『大日本史』から始まったもので、一般には知られていなかった。それを尊王攘夷思想にしたのが19世紀の藤田東湖や会沢正志斎などの後期水戸学である。

しかし尊王攘夷が明治維新の理念だったという話は、明治政府が後からつくった話で、当時の尊王攘夷は水戸のローカルな思想だった。それを信じていた水戸藩の武士は天狗党の乱で全滅し、長州にそれを輸入した吉田松陰も処刑されたので、戊辰戦争のころはコアな尊王攘夷派はほとんど残っていなかった。

水戸学の最大の影響は、水戸家出身の徳川慶喜が「大政奉還」という形で政権を投げ出したことかもしれない。これは代々「日本の国は天皇のものだ」という教育を受けてきた慶喜が天皇に名目的な権威を奉還するという形で幕府の延命をはかったものだが、薩長は幕府と徹底抗戦した。

戊辰戦争で幕府は圧倒的に不利だったわけではないが、慶喜が鳥羽伏見の戦いのあと大坂城を脱出したため、幕府軍は総崩れとなり、あっけなく決着した。このときも慶喜の頭には父の斉昭から教わった水戸家の教えがあったため、「朝敵」として戦うことができなかったのではないかと本書は推定している。

日本は天皇の統治する国だという歴史観は、反政府勢力だった薩長が掲げたものだが、幕府もそれを認めて江戸城を明け渡したため、皇国史観が国家をまとめるイデオロギーになった。明治維新は国民の大部分が知らないところで起こった「宮廷革命」であり、ばらばらの日本をまとめるのは天皇というフィクションしかなかったのだ。

続きは7月20日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)。

優生学は人種差別の思想ではない

優生学と人間社会 (講談社現代新書)
れいわ新選組の大西恒樹氏の「命の選別」発言が「優生思想だ」と批判を浴びた。自民党のツイッター騒動でも、マスコミはこれを「優生学だ」と槍玉にあげた。ここでは優生学が悪の代名詞になっているが、それは科学的には自明ではない。

日本には「優生保護法」という法律が1996年まであった。今は「母体保護法」と名前を変えているが、不妊手術や妊娠中絶手術を合法化する中身は同じだ。強制的な不妊手術については憲法違反だという訴訟が起こされているが、「経済的理由」による中絶は自由である。

優生学はナチスと結びつけられるが、人種差別や民族浄化とは無関係である。それは個人の能力がどこまで遺伝によるものかを検証する学問で、マックス・ウェーバーも支持していた。ケインズはイギリス優生学協会の会長だった。それは極右の思想ではなく、むしろフェビアン協会などの社会民主主義者が支持していた。

1907年に犯罪者や精神障害者の不妊手術を合法化する「断種法」が世界最初に制定されたのは、アメリカのインディアナ州だった。1930年代から優生学の中心になったのは北欧で、デンマークやスウェーデンでは強制的な不妊手術が行われた。社会保障の負担になる障害者を減らす産児制限は「福祉国家」の一環だったのだ。

これ以上の議論は危ないので、アゴラサロンで。

山中伸弥氏の「コロナ10万人死亡説」は大丈夫か



日本循環器学会で、政府の有識者会議の委員になった山中伸弥氏が、西浦博氏と対談した動画が公開されている。山中氏は西浦氏の「40万人以上死ぬ可能性がある」という話について「先生のおっしゃることはまったくその通りだ」と賛成してこう語る(8:00~)。

アメリカはロックダウンをあれだけやって、日本なんか比べものにならないぐらいの対策をやって、それでも今大変なことになっているわけです。アメリカは300万人近くが感染されて13万人近くが亡くなっているわけです。

それをみても、ウイルスの潜在的な恐ろしさは、それは対策をとらなければ日本でも何十万人が亡くなってしまうというのは間違いないことだと思うんです。何も対策をしなければ。実はそれは今も変わっていないんじゃないんかと。

結局日本というのは感染者がそれまで広がらなかったので、その数は一緒で、40万人なのか30万人なのか20万人なのかというのは別ですが、いまだに日本はもし何も対策をとらなければ、今からでも10万人以上の方がなくなる、それぐらいのウイルスがまだそのあたりにいっぱいいてるんだという事実は僕たちは絶対忘れてはいけないことだと僕は思ってるんですが、そのあたりは先生も同じでしょうか?

続きはアゴラで。

「聖なる汚物」としてのコロナウイルス

汚穢と禁忌 (ちくま学芸文庫)
きょうも東京では新型コロナの感染者が243人出たと騒いでいるが、コロナウイルスを見た人はいない。圧倒的多数の人々にとってはそれは想像上の危険でしかないが、それをこれほど多くの人が恐れるのは興味深い。

感染症が病原体によって起こるとわかったのは150年ぐらい前である。それまでは疫病の正体は見えないので、死体や排泄物は汚物として日常生活から排除された。汚物は両義的な意味をもち、聖なるシンボルとして儀礼で重要な役割を果たす。本書は1966年に書かれた文化人類学の古典である。

たとえば葬儀に糞尿を使う慣習は未開社会に広く見られる。葬式の前後には、性的なタブーも解除される。こういう慣習は現代にも残っており、ニューオーリンズでジャズが生まれたのは、墓地に隣接する売春街だった。日本でも、吉原の遊郭は鶯谷の墓地に隣接していた。死や性などのタブーにふれることで人は日常の抑圧から解放され、秩序をリセットするのだ。

こうした儀式は近代社会では力を失ったが、社会を脅かすリスクがなくなったわけではない。かつては神罰を恐れた人々が今日ではコロナウイルスを恐れるが、目に見えないのは同じだ。このため人々は、ウイルスを排除するためにはいくらコストをかけてもかまわないと思うのだ。ゼロリスク信仰は「聖なる汚物」を排除する儀式である。

続きは7月13日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)。

新型コロナは「武漢ウイルス」ではなく「イタリアウイルス」だった

東京で7月9日に、新規感染者が224人確認された。まだPCR検査は増えているので、しばらくこれぐらいのペースが続くだろうが、この程度の感染者数の増減は大した問題ではない。100人が200人になっても、次の図のようにアメリカの新規感染者5万人に比べれば誤差の範囲だ。大事なのは医療資源と関連する重症患者で、わずか6人のままである。



では第二波は来るのだろうか。これは専門家にもわからないが、コロナウイルスの感染という意味では、おそらく今年の秋以降、また流行するだろう。コロナは毎年はやっている風邪だが、ウイルスの種類によっては注意が必要だ。

今回はラッキーだったが、次も今回のような行き当たりばったりの感染症対策でうまく行くとは限らない。大事なのは、日本の被害が圧倒的に少なかった原因を解明することだ。

続きはアゴラで。

疫病が近代社会の「生権力」をつくった

ミシェル・フーコー講義集成〈7〉安全・領土・人口 (コレージュ・ド・フランス講義1977-78)
コロナで全世界に起こったロックダウンや自粛にからんで、フーコーがよく引き合いに出される。近代社会は「一望監視」システムによる監視社会だというのは1975年の『監獄の誕生』で出てくる概念だが、本書(1977年の講義)では撤回している。
一望監視は最も古い主権者の見る最も古い夢だともいえます。私の臣民は誰も逃れてはならない、私のいかなる臣民のいかなる身振りも私の知らぬところであってはならないという夢です。[…]それに対して今や登場するのは、正確には個人的現象ではないような特有の現象を統治(および統治者たち)にとって適切なものとするメカニズムの総体です。(本書81ページ)
一望監視装置は君主の見る夢で、現実には存在しなかった。現実に古代の君主権力が行ったのは、疫病患者の排除だった。それが適用されたのが癩病(ハンセン病)で、ここでは患者は家族からも国家からも完全に隔離される。

中世末期のペストのとき、イタリアで生まれたのが検疫だった。これはペストに感染した患者を隔離し、都市を格子で区切って外出を禁じるもので、都市は見張りを行う総代の監督下に置かれ、違反者は処刑された。このような都市封鎖はコストが高く、現代でもロックダウンは長期にわたって続けることができない。

それに対して1720年ごろから出てきた新しい技術が、種痘だった。これはメカニズムが不明だったので初期には危険な医療技術とされ、それを接種すべきかどうか論争が起こった。だがその効果は経験的に明らかだったので、ジェンナーが実用化してから予防接種が広く行われるようになった。

予防接種が成功すれば都市を封鎖する必要がなく、市民は自分の命を守るために接種に協力するようになった。これが人々が権力に自発的に服従する生権力の始まりだった、とフーコーはいう。この点でロックダウンは、ペストの時代の検疫への先祖返りともいえよう。

続きは7月13日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)。

環境原理主義の「偽の黙示録」が貧困と格差を生む

Apocalypse Never: Why Environmental Alarmism Hurts Us All (English Edition)
新型コロナの騒ぎをみると、ゼロリスク神話の根強さを痛感する。これは地球環境問題ではもっと大きく、グレタ・トゥーンベリの「人類は絶滅の危機に瀕している」といった終末論が、政府や国際機関に大きな影響を与えるようになった。

著者は環境保護派だが、環境原理主義に反対し、原子力に賛成している。本書もその立場から年来の主張をまとめたもので、主なポイントは次のようなものだ。
  • 地球の平均気温は上がっているが、異常気象は増えていない
  • 先進国では炭素排出量が減少している
  • 2003年以降、火災は世界中で25%減少している
  • 世界の食糧生産は需要より25%多く、余剰は増え続ける
  • 生物の大量絶滅は起こっていない
いま敵視されているプラスチックは自然破壊を減らした。たとえば50年ぐらい前まで、ビリヤードの玉やピアノのキーは象牙でつくられ、日本では海亀の甲羅で櫛やボタンがつくられていたが、今はなくなった。象や海亀の絶滅が止まったのは、それがプラスチックで代替されたからだ。

「自然に帰れ」というのが環境団体のスローガンだが、自然の中で暮らすコストは高い。途上国では、電気も水もない自然の中で多くの人が暮らしている。その生活を改善したのは都市化によるインフラ整備である。かつて都市への人口集中で環境が悪化するといわれたが、現実には都市のエネルギー効率は高く、環境は改善した。

成長を否定する環境原理主義は豊かな国のお遊びであり、途上国をますます貧しくし、先進国との格差を固定する。途上国が求めているのは安いエネルギーで豊かになることであり、それが結果的には地球環境を守る。豊かな国ほどエネルギー効率が上がり、CO2を出さなくなるからだ。

続きは7月6日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)。

プラスチックごみはリサイクルしないで燃やせばいい



7月1日からスーパーやコンビニのレジ袋が有料化されたが、これは世界の流れに逆行している。プラスチックのレジ袋を禁止していたアメリカのカリフォルニア州は、4月からレジ袋を解禁した。「マイバッグ」を使い回すと、ウイルスに感染するおそれがあるからだ。レジ袋を禁止していた世界各国でも、解禁の動きが広がっている。

そんな時期に、わざわざレジ袋を有料化する目的は何だろうか。経済産業省のウェブサイトによると「廃棄物・資源制約、海洋プラスチックごみ問題、地球温暖化を防ぐためにプラスチックの過剰な使用を抑制」することが目的だと書いてある。

まずレジ袋をなくすと、どれぐらい資源が節約できるだろうか。日本で消費される原油のうち、プラスチックの生産に使われるのは2.7%で、レジ袋に使われるのはその2.2%、つまり原油の0.05%である。これをゼロにしても、資源の節約にはならない。

レジ袋の材料になるポリエチレンは、原油を精製する過程で出てくるナフサからつくられる。これは昔は捨てていたので、レジ袋をやめても石油の消費量は減らない。資源節約という意味では、レジ袋の有料化は無意味である。

続きはアゴラで。

黒人はなぜ隔離されるようになったのか

Viruses, Plagues, and History: Past, Present and Future (English Edition)
Black Lives Matterは日本人には無縁の騒ぎだが、アメリカ社会の恥部にふれる問題である。資本主義を生んだのは産業革命でもプロテスタントの倫理でもなく、植民地支配と奴隷貿易だった。それが英米人の原罪であり、彼らは永遠に許されない。

その黒歴史の中で、感染症は重要な役割を果たした。新大陸の侵略が容易だったのはスペイン人の持ち込んだ天然痘に免疫のなかった先住民が、病気でほとんど絶滅したからだが、これによって労働力がなくなり、スペイン人の植民地経営は失敗した。

これに対してイギリス人は、アフリカから1500万人の奴隷をカリブ海に連れてきて砂糖のプランテーションを行ない、それをヨーロッパに売る三角貿易で巨額の利潤を上げた。この利潤がイギリスの資本家の本源的蓄積になった。

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天然痘に続いて新大陸では、黄熱病が流行した。それは西アフリカの風土病だったが、ウイルスが奴隷船で新大陸に運ばれたのだ。黄熱病には白人も免疫がなかったが、黒人は免疫があった。このため新大陸で黒人は最強の労働力となったが、白人は黒人を隔離するようになった。これが人種隔離(segregation)の起源である。

今週の金曜から始まるアゴラ読書塾「疫病と文明」では、このような差別やタブーを感染症という観点から考える(教室受講の申し込みはきょう〆切)。

日経新聞があおる「第二波で入院患者9.5万人」の恐怖

東京で新規感染者が50人を超え、新型コロナの「第二波」が話題を呼んでいる。中でも突出して恐怖をあおっているのが日本経済新聞だ。きのうの記事では、「病床不足、最大6.5万床の恐れ 感染第2波への備えに不安」と書いている。

現状では3万138人分のベッドが確保できる予定だが、それでは「ピーク時には各都道府県の単純合計で最大9万5千人が入院する。現状のままでは6万5千人分が不足する計算だ」というが、これは一体どういう計算なのか。

続きはアゴラで。








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