年金不安は幻想か

年金不安の正体 (ちくま新書)
日本の年金制度が危機的状態にあるというのは常識だが、本書はその常識に挑戦し、年金危機は「日本人の心の中にある」幻想だという。

これは一見、驚くべきことを言っているようだが、実はそれほど意外な話ではない。厚労省の年金マンガと同じロジックである。終章に出てくる権丈善一氏の話がそれを要約しているので、基礎知識のある人は終章だけ読めばいい。

キャプチャ

経済学者の批判は「超高齢化社会では、賦課方式の年金だと将来世代の負担が重くなる」ということに尽きる。本書もこの事実は認める。積立方式のほうが将来世代の負担が少ないことも認めるが、賦課方式から積立方式に移行するのは巨額の「二重の負担」が発生するので不可能だから、賦課方式で問題はないという。

これは論点のすり替えである。積立方式が政治的に困難であることは、世代間格差が存在しないことを意味しない。世代会計でみると、今のゼロ歳児の生涯所得(受益−負担)が今の60代より約1億円少なくなることは算術的に明らかだ。それが「不公平ではない」というのは厚労省の弁解である。

なお本書は原田泰氏を一貫して「元日銀副総裁」と書いているが、彼は現役の日銀審議委員である。

続きは12月16日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

ローカル民放がインターネットを殺す



NHKは2020年3月からすべての番組をインターネットで同時配信する予定だが、これに高市総務相が噛みついた。ネット配信の経費を受信料収入の2.5%以内に収めろという総務省の要求に応じて、 NHKは深夜早朝のネット配信をやめる方向で検討しているという。

その原因は民放連がNHKのネット配信に強く反対しているからだが、これは奇妙な話である。NHKのネット配信で、民放が配信できなくなるわけではない。民放がやりたければ自由にやればいい。それは技術的には容易だが、今は法的にできない。地デジのネット配信は県域内に限定されているので、NHKが全国にネット配信しても、民放キー局は全国に配信できないのだ

こんな世界にも類をみない規制を続けているのは、番組がネット配信されると、日本のローカル民放を支えている県域免許という制度が崩壊するからだ。たとえばTBSの番組が全国にネット配信されると、全国のTBS系のローカル民放は「中抜き」されてビジネスが成り立たなくなる。これが日本でテレビ番組のネット配信が進まない最大の原因である。

世界ではテレビ番組のネット同時配信は常識であり、BBCなどはネット配信を主体にして電波を返上することも検討している。NHKにも県域免許の制約はないが、ローカル民放の利潤を守るためにネット配信に制限がかけられ、そのおかげで全国配信できないキー局がNHKの足を引っ張っているのだ。

続きは12月9日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

風評被害を再生産しているのは誰か

バズフィードとヤフーが、福島第一原発の処理水についてキャンペーンを始めたが、問題の記事は意味不明だ。ほとんどは既知の話のおさらいで、5ページにようやく経産省の小委員会のメンバーの話が出てくるが、海洋放出に反対する委員の話だけを紹介する。その根拠は科学ではなく、風評被害である。

最後は福島県漁連の野崎会長の「国民的議論を尽くし、国民の信頼を得た上で国が判断し、その責任を負うことを明確にすべきだ」という話で結ぶが、これはまやかしである。国民的議論はもう出尽くし、国(原子力規制委員会)は海洋放出しかないという方針を出した。決定権は県漁連にあるのだ

続きはアゴラで。

慰安婦問題は「軍の関与」をめぐる混乱から始まった

キャプチャ共同通信によると、戦時中の慰安婦に関する公文書に「陸軍側は兵員70名に対し1名位の酌婦を要する意向」などの記述があったという。これを共同は「1993年の河野洋平官房長官談話が認定した軍の関与を補強する資料と位置付けられそうだ」と書いているが、これは誤りである。

慰安所の設置や衛生管理などに政府の関与があったことは、河野談話より前に1992年7月の加藤談話で日本政府が認めた。河野談話は、強制連行をめぐるものだ。これを混同して、事実関係がはっきりしない段階で宮沢首相が韓国に謝罪したことが、取り返しのつかない失敗だった。

1991年まで政府は、国会答弁で「慰安所に軍の関与を示す資料は見つかっていない」と全面的に否定していたが、朝日新聞が1992年1月11日の朝刊1面トップで「慰安所 軍関与示す資料」というスクープを出した。この記事そのものは正しく、軍の関与なしで慰安所が運営できないことは明らかだった。

これに驚いた宮沢内閣は対応を協議し、加藤紘一官房長官は「旧日本軍が何らかの形で関与していたことは否定できない」とコメントした。これを受けて宮沢首相は1月16日からの訪韓で盧泰愚大統領に13回も謝罪したが、何に謝罪したのかははっきりしなかった。

続きは12月9日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。





バラマキ財政の正しいばらまき方

政府は「アベノミクスのエンジンを再点火する」という経済対策の案を与党の会合で提示した。財政措置(財政投融資を含む)で13兆円、事業規模で25兆円。「真水」と呼ばれる財政支出(国・地方の歳出)は7~8兆円だが、大不況というわけでもない時期に、これほど大規模な補正予算を組むのは異例である。

ところが野党やマスコミから「バラマキ財政だ」とか「財政規律が失われる」という、いつもの批判がほとんど聞かれない。桜を見る会で手一杯なのかもしれないが、MMTなど最近の「反緊縮」の動きが影響を与えているのかもしれない。

マクロ経済学的には、長期金利がマイナスの状態で国債を増発するリスクは大きくない。日銀が財政ファイナンスで金利リスクを負担してくれる限り、国債増発はフリーランチである。問題はその中身だ。

提示された政府案では、堤防強化・遊水池整備・電線地中化など、災害対策と称する土木事業が多いが、こういう裁量的支出をどさくさまぎれに補正予算で支出することは好ましくない。マクロ経済対策としては、全国民に一律5%ポイント還元するような無差別のバラマキが望ましいのだ。

続きは12月9日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

原発停止で失われた命は原発事故より多い

福島第一原発事故の放射線による死者はゼロだが、避難などによる「原発関連死」は事故から2014年までの4年間で1232人だった(東京新聞調べ)。それに対して原発を停止したことで失われた命は4年間で1280人だった、とNeidell, Uchida and Veronesiは論じている。

その最大の原因は、電気代の値上げである。原発を突然止めたため化石燃料の輸入が急増し、次の図のように北海道では33%、関西では29%、東京では38%も電気代が上がった。



続きはアゴラで。

天皇家は「ウルトラマンファミリー」である

産経新聞が、また女系天皇を否定するコラムを載せている。「男系男子」の皇室典範を守れというのが社論なのだろうが、その根拠に「神武天皇から今上天皇まで126代にわたる天皇の系図」をあげるのはいただけない。これは聖書を根拠にして進化論を否定するようなものだ。

保守派が「男系天皇」に執着する理由がよくわからない。産経も認めるように、天皇家が男系で継承されるべきだという論理的な根拠はなく、女系なら女系で一貫していればいい。日本古来の伝統は天照大神でも明らかなように女系であり、男系は中国から輸入した儒教思想である。それもかつては王位継承をめぐる戦争を防ぐ意味があったが、今は「系図がごちゃごちゃする」という程度の問題でしかない。

そもそも天皇家が古代から「万世一系」だったという根拠がない(したがって「例外なく男系で継承した」という根拠もない)。「天皇」とか「日本」という称号ができたのは天武天皇の時代であり、それまでの「大王」は一つの家系ではなく、多くの氏族が戦争や離合集散を繰り返す状態だった。本郷和人氏はこれを「ウルトラマンファミリー」にたとえている。

1966年に「ウルトラマン」が放送され、翌年「ウルトラセブン」が放送されたが、これは当初まったく別のシリーズだった。その後「ウルトラマンエース」や「ウルトラマンタロウ」や「ウルトラの母」などが創作され、これが後にウルトラマンファミリーになった。「天皇ファミリー」もこのように多くの氏族を統合する物語なのだ。

続きは12月2日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

「イスラム2.0」という宗教改革

イスラム2.0: SNSが変えた1400年の宗教観 (河出新書)
イスラム原理主義は狂信的なテロリストとしか見えないが、コーランには「神も終末も信じない者と戦え」と書かれている。日本では、この点を曖昧にして「本来のイスラムは平和的だ」という人が多いが、むしろ本来のイスラムの教義にもとづくジハード(聖戦)を各国政府が抑圧してきたのだ。

その抑圧がはずれたのが、2010年代の「アラブの春」だった。独裁政権が崩壊して民主化するという期待とは逆に、政府の権力が弱まって国内が混乱すると「イスラム国」のような原理主義の活動が強まった。これを著者は「イスラム2.0」と呼ぶ。

従来のイスラム1.0は、コーランやハディース(ムハンマドの言行録)の解釈の体系だった。そのテキストは膨大で、ほとんどのイスラム教徒は文盲だったので、その解釈は法学者が独占していた。ところが識字率が上がり、インターネットの普及でコーランなどを直接読むことができるようになり、一般の信徒が「真の神の教え」に目ざめたのだ。

これはキリスト教の宗教改革に似ている。カトリック教会でもラテン語訳の聖書は教会にしかなく、説教もラテン語で行われたので、一般の信徒にはお経を聞くようなものだった。しかし聖書のドイツ語訳が印刷されると、多くの信徒がそれを読んで教会の教えに疑問を持ち始めた。イスラム原理主義は、キリスト教の歴史を500年遅れで繰り返しているのだ。

続きは12月2日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

【再掲】中曽根康弘で終わった「新自由主義」

中曽根康弘 - 「大統領的首相」の軌跡 (中公新書)
中曽根元首相が死去した。世間的にはロッキード事件やリクルート事件で逃げ切った「汚い政治家」というイメージが強いが、政治的な実績は大きい。特に国鉄と電電公社の民営化は、他の政権にはできない大事業だった。これはレーガン政権の「小さな政府」の日本版だが、「新自由主義」という言葉は中曽根が1977年に使ったのが最初だといわれている。

弱小派閥の出身で「田中曽根内閣」といわれたほど政権基盤の弱体だった彼が5年の長期政権になった背景には、日米関係の変化があった。70年代までアメリカの忠実な部下だった日本の位置づけは、レーガン政権で大きく変わった。日本はアメリカの最大のライバルとなり、経済的な「自立」を求められたのだ。

中曽根首相は「戦後政治の総決算」を掲げたが、憲法改正は提案しなかった。彼が総決算しようとしたのは、戦後の「福祉国家」路線だった。その第1弾が民営化で、第2弾が間接税による財政再建だった。そのため中曽根は「売上税」を導入しようとしたが失敗し、「増税できる首相」として竹下登を後継者に選んだ。続きを読む

フリードマンはどこで間違えたのか

ミルトン・フリードマンの日本経済論 (PHP新書)
20世紀前半を代表する経済学者がケインズだとすれば、20世紀後半を代表するのはミルトン・フリードマンだろう。しかし彼の金融理論には、致命的な弱点があった。古典的な貨幣数量説は、

 MV=PY

という式であらわされる(Mは貨幣量、Vは流通速度、Pは物価水準、YはGDP)。フリードマンはこれに依拠して「Mの増加率を一定に保てば物価は安定する」と主張した。これが有名な「k%ルール」だが、政策としては失敗した。

その原因は単純である。中央銀行は「貨幣量」をコントロールできないからだ。Mを中銀の供給するマネタリーベースと考えると、Vが大きく変動するので貨幣数量説は成立しない。Mを市中に流通するマネーストックと考えると、これは民間の信用創造で決まるので中銀が直接コントロールできない。

しかしフリードマンは「マネーサプライ」という曖昧な言葉を使い、その意味を状況によって使いわけた。これがマネタリスト論争の混乱した原因だが、日本のリフレ論争はその戯画である。本書は晩年のフリードマンがリフレ派を応援していたというが、その結果は明らかだ。Mを増やしてもV(信用乗数)が大きく下がったので、量的緩和はきかなかったのだ。

money
信用乗数の変化(三井住友アセットマネジメント調べ)


続きは12月2日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。






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