冷戦の戦略拠点は日本と西ドイツだった

ジョージ・F・ケナン回顧録II (中公文庫)
アゴラの記事封じ込めという言葉は、今ではほとんど聞かないので、誤解があるようだ。これを提唱したのは、X論文として有名なジョージ・ケナンの論文である。

これは1947年に匿名でForeign Affairsに発表された論文だが、ケナンが国務省の政策企画本部長だったことから、アメリカの外交戦略を表明したものと受け取られた。これが冷戦の始まりとされているが、「封じ込め」はソ連を軍事的に包囲して侵略を防ぐという意味ではない。

これについて本書では、X論文に対する誤解を解く説明をしている。封じ込めの主要な目的は、軍事力のバランス維持だった。当時、近代的な兵器を量産できる工業力をもつ国は、5ヶ国しかなかった――アメリカ、イギリス、西ドイツ、ソ連、日本である。

このうち共産圏には1ヶ国しかないので、封じ込めの主要な仕事は、残りの4ヶ国が共産圏に入らないようにすることだ。したがって封じ込め戦略の戦略拠点は、日本と西ドイツだった。日本の占領統治は、冷戦の中でもっとも重要な位置を占めていたのだ。

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今こそ安倍晋三氏の「反共」の理念が必要だ

安倍晋三氏は、日本には珍しい「グランドデザイン」をもつ政治家だった。この暗殺事件のきっかけになった(と犯人が供述している)2021年9月12日のビデオメッセージを見ると、彼が単なるあいさつ以上の話をしていることがわかる。



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橋下徹氏が甦らせた「白旗・赤旗論」

長い江戸時代のおわり
朝日新聞の特集した豊永郁子氏の「白旗論」は目新しい話ではない。この元祖は、40年以上前に森嶋通夫の主張した「白旗・赤旗」論である。われわれの新著『長い江戸時代のおわり』の第6章から、これに関する議論を紹介しておこう。

池田  平和ボケの戦後第一世代からはずっと下なのに、ウクライナ戦争でトンチンカンなことを言って炎上したのは橋下徹さんです。大阪で政治家をやって日本維新の会を作ったころは、むしろ護憲派を批判するリアリストとして振る舞っていたのに、今回は「戦争で民間人が犠牲になるのはよくないから、ウクライナは降伏した方がいい」とか「戦争しないで『政治的妥結』すべきだ」などとTVやツイッターで繰り返しました。

ところが多くの人に批判されたら主張を180度急変させて、「ウクライナに『戦え』と言うなら、NATOは自ら参戦しろ」とか「政治家を民間人の人質と交換しろ」とか言い出す。支離滅裂で、何がいいたいのかわからない。

與那覇 私は今回の言動のおかげで、逆に橋下さんに一貫性を見出せるようになりました(笑)。最初は無抵抗主義の超ハト派で、途中から核戦争も辞さない超タカ派になったわけですが、これは「俺に後ろめたい思いをさせんなよ!」というメッセージでは一貫していると思うんですよ。

毎日ニュースで戦場となったウクライナの映像が飛び込んできても、なにもできない私たちとしてはただ後ろめたさを感じるしかない。そうした罪責感を消す方法の一つが、ウクライナが降伏して戦争が終わってくれること。もう一つが自分たちも直接参戦して当事者になり、「他の人に不条理を押しつけてはいませんよ」というポジションを獲得すること。その点ではハト・タカの垣根を超えて、彼が提示した二つの選択肢は一致しているわけです。

橋下さんはかつて、政策の面でも日本には珍しい「新自由主義」の政治家でしたが、多くの日本人が「新自由主義的」と見なして嫌っているのは、むしろそうしたエートスの方だと思うんですよね。とにかく自分が後ろめたく感じるのが嫌で、だからあらゆる詭弁や罵詈雑言を駆使して「俺は完璧に正しく、なにひとつ悪くない!」と強弁する。困窮している人を見たら「どうせ自己責任だ」、自分を批判する意見に対しては「利権で言ってるだけだろ」みたいな。

池田  彼に一貫性があるかどうかは疑問だけど、伝統的な左翼の護憲派とは違うという一方で、自民党の右派とも違うという差別化を考えてるんじゃないですか。かつて仲のよかった百田尚樹さんとか有本香さんのようなネトウヨとも決別してしまった。今度の選挙で野党第一党になるかもしれない維新がどういう立ち位置で戦うかを、彼なりに考えていたと思うんです。

ところが悲しいかな、外交・防衛についてはまるで予備知識がないものだから、テレビで行き当たりばったりに「そこは違う」などとコメントしているうちに、右でも左でも真ん中でもない、訳のわからない話になってしまった。日本維新の会の党としての見解は常識的なものですが、多くの人が橋下さんの意見を維新の方針だと思って、コアなファンが離れてしまった。これは維新としては大きな損失だと思います。


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テロに「意味」を与えるマスコミはテロリストの共犯者

安倍元首相の殺害事件は、本筋と無関係な統一教会(世界平和統一家庭連合)の霊感商法の話になり、自民党の政治家が統一教会に支援されていることが問題になっている。ここでは次の三つの問題が混同されている。
  1. 安倍元首相の暗殺
  2. 統一教会の違法行為
  3. 政治家と宗教の関係
今回の問題は1であり、2は無関係である。安倍氏を殺害した山上徹也が「統一教会が母親に多額の献金をさせて家庭が崩壊した」と供述したことは事実らしいが、それは彼の家庭の私的な問題であり、殺人の理由にはならない。安倍氏と統一教会を関連づけること自体が、犯人の思う壺なのだ。

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官僚組織のアーキテクチャ:英米型と日仏型

Cages of Reason: The Rise of the Rational State in France, Japan, the United States, and Great Britain
尾身会長の記者会見で驚いたのは、政府の感染症対策を決める最高責任者が「有志の緊急提言」として会見する異様さである。日本のコロナ対策は感染症法上の特別扱い(1類相当)に依存し、それを元に膨大な省令や通達が出されているため、尾身会長がおかしいと言っても変えられないのだ。

よくも悪くもアメリカのように各州がバラバラにコロナ対策を決める国では、一種の社会実験ができるので、修正がききやすいが、日本のように国が一元的に決めると、いろいろな法律や補助金が相互補完的になり、一部だけを変えることができない。

これは大陸法より英米法の国のほうが成長率が高いというShleiferなどの実証研究とよく似ている。英米の官僚機構は分権的・専門家志向・法律家中心という点で似ており、日仏の官僚制度は中央集権・終身雇用・「組織特殊的」な技能形成などの特徴でよく似ている。

この原因は、実はアメリカの官僚機構が最古で、英国の制度はそれに追随したからだ。各州ごとに政治システムがばらばらにできたのをつなぎあわせたのが英米型で、それに追いつくために国家に権力を集中して工業化を行うシステムが日仏型だった。

この二つの均衡のどちらが最適になるかは環境に依存し、資源の少ない後発国が短期間に資源を総動員するには日仏型が向いていたが、経済が成熟してくると、英米型のモジュール的な官僚制のほうが、柔軟にシステムを組み替えられるので有利になる。

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コロナ対策のコストの99%は浪費だった

コロナ分科会の尾身会長など有志7人の専門家が「コロナの全数把握をやめるべきだ」と提言し、感染症学会など4学会が「コロナは普通の風邪だ」という見解を発表して、日本のコロナ対策はそろそろ平常に戻りそうだ。



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黒田総裁の「致命的な思いあがり」

致命的な思いあがり (ハイエク全集 第2期)
日銀の黒田総裁がポパー主義者であることはよく知られているが、ポパーの理論は「理論は事実で反証することによって客観的真理に近づく」という素朴な客観主義であり、科学史の世界では骨董品である。

彼の親友ハイエクも、ポパーを批判した。晩年の本書で中心になっているのが、部族感情の問題である。人類が進化の大部分を過ごしてきた小集団では、目的を共有して他人と協力することが重要で、感情はそうした共感のための装置だがスケーラブルではなく、何百万人が暮らす「大きな社会」ではうまく機能しない。

部族感情を大きな社会全体に拡張したものが社会主義だが、その失敗は本書の執筆時点(1980年代後半)ですでに明らかだった。「開かれた社会」を理想化し、それを実現しようとするポパーの「ピースミール社会工学」を、ハイエクは設計主義(constructivism)として批判した。それはエリートだけが客観的真理を知っていると信じる「致命的な思いあがり」であり、社会主義と根は同じだ。

黒田総裁もインフレ期待という客観的真理を日銀が知っているという信念にもとづき、それを実現する社会工学として量的緩和をしたのだが、インフレは起こらなかった。いま起こっている資源インフレは、彼の期待したデマンドプルではないと彼も認めている。この10年の経済政策を混乱させたのは、黒田氏の致命的な思いあがりだった。

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地球温暖化で人類は絶滅しない

地球温暖化で人類は絶滅しない 環境危機を警告する人たちが見過ごしていること
地球環境問題では、グレタ・トゥーンベリの「人類は絶滅の危機に瀕している」といった終末論が、政府や国際機関に大きな影響を与えるようになったが、著者はそういう終末論を科学的データで反証する。

著者は環境保護派だが、環境原理主義に反対し、原子力に賛成している。本書もその立場から年来の主張をまとめたもので、主なポイントは次のようなものだ。
  • 地球の平均気温は上がっているが、異常気象は増えていない
  • 先進国では炭素排出量が減少している
  • 2003年以降、火災は世界中で25%減少している
  • 世界の食糧生産は需要より25%多く、余剰は増え続ける
  • 生物の大量絶滅は起こっていない
いま敵視されているプラスチックは自然破壊を減らした。たとえば50年ぐらい前まで、ビリヤードの玉やピアノのキーは象牙でつくられ、日本では海亀の甲羅で櫛やボタンがつくられていたが、今はなくなった。象や海亀の絶滅が止まったのは、それがプラスチックで代替されたからだ。続きを読む

「統帥権の独立」がもたらした軍の政治介入

昭和陸軍と政治: 「統帥権」というジレンマ (513) (歴史文化ライブラリー)
戦前の歴史をゆがめた元凶は「統帥権の独立」だとよくいわれるが、その意味ははっきりしない。そもそも統帥権の独立という規定は明治憲法にはなく、それを定めた法律もない。その起源は明治初期の自由民権運動が盛り上がった時期に、軍を民権派の介入から守る慣例だった。

しかし昭和期には、軍が政府から独立していると解釈されるようになり、1930年に浜口内閣がロンドン軍縮条約に調印したことが「統帥権の干犯」として攻撃された。これは予算編成(政府の所管事項)が軍の統帥権を犯しているという奇妙な論理だったが、宇垣陸相は「予算編成権は政府と統帥機関の共同輔弼事項」という見解を公表した。

これによって軍は独立しているのではなく、政府と一体だということになった。陸軍の同意なしで予算編成ができなくなって軍事予算の膨張が始まり、陸軍が公然と政治に介入するようになった。その顕著な例が1937年の宇垣内閣の流産である。参謀本部の課長にすぎなかった石原莞爾が陸相の任命を拒否し、大命の降下した宇垣の組閣を阻止したのだ。

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長い江戸時代のおわり

與那覇潤さんと対談した本が、きょう発売された。私の書いたあとがきを掲載する。

長い江戸時代のおわり
日本人は、世界にもまれな「平和を愛する国民」です。それは縄文時代から1万年以上にわたって積み重ねられた伝統であり、長い平和を維持して洗練した文化をつくった歴史を誇ってもいいと思いますが、それは世界史的にも稀有な幸運によるものでした。

島国だったことで大陸から攻撃されず、山の尾根に隔てられて内戦も起こりにくい地理的な条件があり、水田稲作の共同作業で「閉じた社会」が維持されました。その「家」を守る武士は、ユーラシアで戦争の最大の原因となった遊牧民に比べると弱体でしたが、さいわい海で守られ、江戸時代には「家」を守ることで250年も平和を維持しました。続きを読む



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