読売は「御用下ネタ新聞」か

アゴラはむずかしい話ばかりだと思われているので、たまには息抜きに加計学園の本筋とは関係ない話。この問題が特異なのは、朝日新聞が5月17日の朝刊1面トップで怪文書を取り上げ、その情報源が取り沙汰されている22日に、読売が朝刊で「前川前次官 出会い系バー通い」と書いたことだ。

この記事には加計学園のことは書いてないが、私でも「怪文書のネタ元だな」と気づいた。その後、前川氏が25日に記者会見して「文書は存在する」と証言し、出会い系バーの件も認めたが、ネットの話題はもっぱらこの歌舞伎町の「恋活バー」だ。

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なぜ世界は存在しないのか

Why the World Does Not Exist
世界が存在することは自明だが、カント以来の近代哲学はこれを証明できない。カントは「物自体」の存在を前提しただけでその証明を放棄し、ヘーゲル以降は存在を「括弧に入れて」そのありようを論じるのが哲学の仕事になった。それに対して「世界は存在する」と主張したのが唯物論だが、素朴実在論は認識論として成り立たない。

ヘーゲルの観念論を徹底するとニーチェのいうニヒリズムになり、超越的な存在を否定する「言語論的転回」が20世紀の哲学を支配した。ポストモダンはその極限形態だが、この種の「新ニーチェ派」にはみんな飽きた。そこで出てきたのが、ポストモダン的な「相関主義」を否定して、世界は主観に依存しないで存在すると主張する新実在論である。

――と書くとむずかしそうな話にみえるが、本書はそれをやさしく解説して、欧米でベストセラーになった。「世界は存在しない」というのは奇妙な表現だが、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の冒頭の「世界は事の総体であって物の総体ではない」という定義による。

ウィトゲンシュタインは「事の総体」としての世界が一義的に存在すると想定したが、そういう世界は存在しない。なぜなら自動車や自転車などの物が一義的に存在しても、「自動車は自転車より大きい」とか「自動車は自転車より速い」といった事(命題)は無限に多義的なので、そのすべてを含む絶対的な世界は存在しないからだ。

続きは5月29日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

全員が拒否権をもつ国

寺脇研氏のFacebook投稿が話題になっている。特に「内閣府という役所は歴史が浅く、他の省庁のように役人としてどうあるべきかという吏道が確立していない」という話がおもしろい。「吏道」とは具体的にどういうものか知らないが、政権の意思と各省の吏道が対立したときは、後者が優先するというのが彼の発想らしい。

これは霞ヶ関で、大きな問題がいつまでも決まらない原因をよく示している。役所の吏道はそれぞれ違うので、意思決定は図の地下茎(リゾーム)のように複雑な各省の根回しで行なわれ、合議(あいぎ)で関係省庁が一致して初めて事務次官会議に上げ、閣議決定する。つまり全官庁が拒否権をもっているのだ。


こういう方式では利害の対立する問題は決定できないので、官庁をまたがる問題を調整するのが自民党の政治家だが、ここでも政調会や総務会は全員一致で、派閥の利害が対立する問題は決定できない。そういうデッドロックを解決しようとしたのが、橋本内閣の設置した内閣府だった。その目的は、こういう個別利害を踏み超えて「政治主導」を実現することだった。

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日本の「リーマン・ショック」は大蔵省が起こした

長銀の頭取だった大野木克信氏が死去した。朝日新聞の原真人編集委員は「金融危機の批判を一身に受け、スケープゴートの役目を担わされた」と書いているが、私も同じような感慨を抱かざるをえない。

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山本義隆氏のアリストテレス的世界

世界の見方の転換 1 ―― 天文学の復興と天地学の提唱
著者の畢生の3部作の完結編。『磁力と重力の発見』と『十六世紀文化革命』と合計すると3000ページを超える大作で、率直にいって長すぎるが、前2作に比べて考察は深まっている。

おもしろいのは、コペルニクスの地動説は古代的な「アリストテレス的世界」を完全に脱却していなかったという話だ。それは地球中心から太陽中心に座標系を変えただけで、説明力は天動説と大して変わらなかった。それは惑星の軌道は円であると想定していたので、実際の観測データを説明するには複雑な補正が必要だった。

真の意味で古代的な世界像に訣別したのは、ケプラーだったという。彼は惑星の軌道を楕円と考え、天上と地上を一元的に支配する太陽の引力を「動力因」と考える力学的世界像を構築したからだ。アリストテレス以来の自然哲学は、世界のあるべき姿から出発して事実を説明するので、惑星の軌道は(完全な図形である)円でないといけなかったが、ケプラーは初めて、それが「卵形ではないか」と考えたのだ。これが「世界の見方の転換」である。

あとがきで著者は原発を激しく批判するが、原発事故が「人類最大の悲劇」である理由は何も書いてない。福島事故で放射能による健康被害は出ていないので、これは原発ゼロという「あるべき姿」を基準にした予断である。アリストテレスのような「規範的世界観」の呪縛は、かくも強いのだ。

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バーナンキの提案する「ヘリマネ2.0」

バーナンキの日銀講演が話題を呼んでいる。原論文もざっと読んだので、ポイントと思われる点を紹介しておこう。彼の書いた要旨を率直に訳すと、
  1. 日銀は今のインフレ目標を今後も維持すべきだ。
  2. 2013年以降の日銀の「量的・質的緩和」は失敗した。
  3. 政府が財政支出を増やすか減税し、それを日銀が一時的に今より高いインフレ目標を設定してファイナンスすべきだ
要するに財政赤字を拡大して日銀が国債を買い、2%より高いインフレ(たとえば2.7%で3年間)にして名目政府債務の増加をキャンセルしようという大胆な提案だ。彼は「ヘリコプターマネーではない」というが、これは実質的には(彼が15年前に提案した)ヘリマネに近い。シムズの「インフレ税」とも似ているが、理論的背景は違う。

バーナンキが前から世界的な低金利の原因としているのは、貯蓄過剰である。世界経済も日本経済も貯蓄過剰で低金利になり、そのため物価が上がらないので賃金が上がらず、そのため消費が増えないので物価が上がらない…という「悪い均衡」に陥っているので、政府が貯蓄を使って「よい均衡」にジャンプすればいいという話だ。

これは彼も引用しているクルーグマンの「複数均衡」や、スヴェンソンのフールプルーフ理論と同じ発想で、理論的にはありうる。黒田総裁の政策も、こういう複数均衡を想定していたと思われるが、うまく行かなかった。そこには見落としがあったからだ。

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原子力規制委員会の「専門バカの壁」



世の中で専門家と思われている人でも、専門以外のことは驚くほど無知だ。特に原子力工学のような高度に専門分化した分野だと、ちょっと自分の分野からずれると「専門バカ」になってしまう。原子力規制委員会も、そういう罠にはまっている。

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ガラパゴス憲法学者は絶滅危惧種

朝日新聞が賞賛している「立憲デモクラシーの会」の「安倍晋三首相による改憲メッセージに関する見解」を読んでみたが、これほど論理が破綻した文章は珍しい。
自衛隊はすでに国民に広く受け入れられた存在で、それを憲法に明記すること自体に意味はない。不必要な改正である。自衛隊が違憲だと主張する憲法学者を黙らせることが目的だとすると、自分の腹の虫をおさめるための改憲であって、憲法の私物化に他ならない。
まずわからないのは「自衛隊はすでに国民に広く受け入れられた存在」だから憲法に明記するなという論理だ。国民に広く受け入れられたのなら、明記してもいいだろう。誰もが認めている自衛隊が、憲法違反であるかのような誤解を払拭する意味はある。「憲法学者を黙らせることが目的」なんて誰もいっていないので「腹の虫をおさめる」以下は誤りである。

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イギリスという例外

先生も知らない世界史 (日経プレミアシリーズ)
日本人の頭には、いまだにイギリスを世界史の標準と考える発想が残っている。「ピューリタン革命」で近代市民社会をつくり、「産業革命」で資本主義をつくり、「自由貿易」で世界に冠たる帝国を築いた――というのが教科書に載っている標準的な歴史観だが、これらはすべて現在の歴史学ではあやしいとされている。

まず1641年から始まった内乱は「ピューリタン革命」という宗教戦争ではなく、イングランド・スコットランド・アイルランドの三王国戦争と呼んだほうがよいという。このときイングランドは一時的に共和制になったが、1660年から王政復古で元に戻った。最大の変化は、そのあとのクーデタ(名誉革命と呼ばれる)で起こった。

産業革命と呼ぶべき実態がなかったことは、私も『資本主義の正体』で紹介した通りだ。資本主義は大地主(ジェントルマン)による新大陸の奴隷貿易から始まり、大英帝国は植民地からの搾取で成長した。アダム・スミスは、植民地支配を「自由貿易」というスローガンで飾るイデオローグだった。イギリスは世界史の標準ではなく、例外的な成功例だったのだ。

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政府は「大きすぎてつぶせない」か

モラル・ハザードという言葉は「倫理の欠如」などと誤訳されるが、このmoralは「心理的な」という意味で、保険用語で「火事になっても保険金が出るから大丈夫」という安心感から火の用心を怠ったりするなど、危険を回避するための手段や制度ができることによって人々の注意力が低下したり、自己への規律が失われたりして、危険の発生率が高まること(英辞郎)だ。

これは情報の非対称性によって起こることが多いが、非対称性がなくても起こる。たとえば銀行が破綻すると、事後的には救済することがパレート最適なので、誰もがそれを知っていても過剰なリスクを取るインセンティブがある。地方銀行はつぶしてもいいが、メガバンクは大きすぎてつぶせない(Too Big To Fail)というパラドックスが起こってしまう。

TBTFは普遍的な問題で、最大のパラドックスは政府債務だ。政府は明らかにつぶすには大きすぎるので、その信用を利用して安倍政権のように(プライマリーバランスを無視して)際限なく政府債務をふくらますモラル・ハザードが発生する。これを日銀が財政ファイナンスして債務を先送りする「ネズミ講」は、どこまで続けることができるだろうか。

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