原発の停止で数万人の生命が失われた

四国電力の伊方原発3号機の運転差し止めを求めた仮処分の抗告審で、広島高裁は運転の差し止めを認める決定をした。決定の理由の一つは、2017年の広島高裁決定と同じく「9万年前に阿蘇山の約160キロ先に火砕流が到達した」からだという。裁判官は原発に9万年のゼロリスクを求めているのだろう。

しかし原発を止めても、エネルギー需要は変わらない。原発の電力が減った分は、輸入した化石燃料を余計に燃やすだけだ。原発の代わりに化石燃料を燃やすと、四国の人々の生活は安全になるのだろうか。

続きはアゴラで。

MMTって何?

このごろ日本でMMT(現代貨幣理論)という理論が流行しています。これは50年ぐらい前からある話で、現代的でも貨幣理論でもないのですが、アベノミクスが手詰まりになった日本で今ごろ話題になっています。

MMTは基本的にはケインズ理論の焼き直しで、目新しい点はありませんが、おもしろいのは内生的貨幣供給説です。これはお金の流通量は資金需要で決まるので、預金の制約を受けないという説です。

たとえばA社がB銀行に口座をもっているとしましょう。B銀行がA社に1億円貸し出すとき、1億円の札束を持って行くわけではありません。B銀行のA社の口座に、万年筆で「1億円」と書いたら終わりです。

これを万年筆マネーといいます。現代では「キーボードマネー」といったほうがいいと思いますが、ここでは銀行貸し出しは、預金がなくてもできるフリーランチのように見えます。

続きはアゴラで。

「不自然なテクノロジー」が人類を救う

21世紀の啓蒙 上: 理性、科学、ヒューマニズム、進歩
啓蒙主義は退屈である。人類の直面している問題はテクノロジーで解決できるという進歩主義は軽蔑され、アドルノ=ホルクハイマーのように「啓蒙の生んだテクノロジーが人類のコントロールを超えた」と批判するのが知識人だと思われている。

しかし彼らの終末論的な予想に反して、1900年に約30歳だった世界の平均寿命は今は71歳になり、1800年に世界の人口の90%を超えていた極貧層(1日の所得2ドル以下)は10%以下になった。本書のアメリカ的な啓蒙主義に思想的な深みはないが、それによって人類は幸福になったのだ。

テクノロジーは平和と安全をもたらした。核兵器によって戦争は大きく減り、20世紀後半は歴史上もっとも平和な時代になった。原子力は、毎年100万人が大気汚染で死んでいる石炭よりはるかに安全なエネルギーである。それは地球温暖化の合理的な解決策でもある。

不安定な再生可能エネルギーは、化石燃料の代わりにはならない。それを「自然エネルギー」と呼ぶのは間違いだ。太陽光発電も風力発電も高度なテクノロジーであり、環境破壊の原因である。エコロジストの元祖スチュワート・ブランドも指摘したように、大昔から人類は農林業で自然を破壊して生き延びてきた。これからも人類の問題を解決するのは、不自然なテクノロジーしかないのだ。

続きは1月20日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

MMTで金利が上がったらどうなるか

MMTの流行も終わったと思ったら、日本では今ごろ本がいろいろ出てきた。この理論は日本ローカルの流行だが、その理由はよくわかる。MMTは金利のない理論なので、日本のようにゼロ金利がずっと続いている状態ではわかりやすいからだ。

レイは金利についてほとんど何も語っていないが「ゼロが望ましい」という。 MMTでは政府は絶対的に信頼できるので、国債にはリスクがない。したがって長期金利の均衡水準はゼロであり、政府債務はすべて中央銀行の発行する通貨でまかなえばいいのだ。

MMTには数式がないのでわかりにくいが、これはFTPLで説明できる。政府と日銀の統合バランスシートを考え、物価水準をP、マネタリーベースをM、市中で保有されている国債の評価額をB、財政黒字の現在価値をSとすると、物価=名目政府債務/財政黒字で、

  M+B
P=―――
   S

ここで日銀が量的緩和で国債を銀行から買い入れても、Mが増えた分だけBが減るので何も起こらないが、政府が国債を大量発行すると、Bが増えるのでPが上がる。つまりリフレはきかないが、財政赤字はきくのだ。

これがMMTの想定するゼロ金利の世界であり、今の日本には近似的に当てはまるが、金利がプラスになったらどうなるのかについてはMMTは何もいえない。金利の概念がないからだ。

続きは1月13日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

「人質司法」はなぜ起こるのか



ゴーンの「日本の有罪率は99%だ」というコメントを私が誤解だと批判し、それに対して郷原信郎さんが「特捜事件では99%だ」と反論したが、これは論理的には矛盾しない。

ゴーンのいう有罪/起訴の比率は99%以上だが、起訴率が51.5%なので、有罪/検挙の比率は約50%で、世界的にみても低い。それに対して特捜事件では逮捕と起訴が一体化しているので逮捕=起訴だから、有罪率が99%になってしまうのだ。

続きはアゴラで。

ゴーンはなぜ「クーデタ」で追放されたのか

日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年 (文春新書)
きのうのゴーン記者会見は、新しい事実が何もなかった。特に彼の主張する「クーデタ」がどう仕組まれたかについての具体的な話がなかった。経産省出身の豊田正和取締役の名前は出たが、「これ以上はレバノン政府に迷惑がかかる」という理由で、政治とのかかわりにはまったくふれなかった。

つまり政治とのかかわりは、なかったということだろう。西川社長が社内政治に検察の介入を求めたのは異例であり、それをクーデタと呼ぶのは間違いではないが、政治がらみの陰謀ではなかった。そういう事態をもたらしたのは、ゴーンが17年にわたって続けた独裁体制だった。

本書はゴーンと日産の歴史を振り返ったものだが、彼が来たとき日産は倒産の一歩手前だった。経営陣は派閥抗争にうつつを抜かし、下請けに天下りするため、だめな下請けを切れない。労働組合をつぶして第二組合をつくったため、その幹部が経営を支配するようになった。

特に自動車労連の会長になった塩路一郎は「日産の天皇」と呼ばれた。このような独裁者を倒す方法は、スキャンダルしかない。塩路は、経営陣がマスコミに売り込んだ女性スキャンダルで失脚した。この手法は、検察を使ったゴーン事件と似ている。

続きは1月13日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

中東危機の最大の被害者は日本である

米軍のソレイマニ司令官殺害への報復として、イランがイラク領内の米軍基地を爆撃した。今のところ米軍兵士に死者はなく、アメリカにもイランにもこれ以上のエスカレーションの動きはみられないが、原油価格や株価には大きな影響が出ている。



この動画はきのう収録したものだが、山本隆三さんは「イラク戦争のような全面戦争にはならないだろう」と見ている。中東をめぐる地政学的な情勢が、この10年余りで一変したからだ。

続きはアゴラで。

原子力時代における哲学

原子力時代における哲学 (犀の教室)
福島第一原発事故の直後には、原発で人類が滅びるという類の「現代思想」がにわかに出てきた。 内田樹氏大澤真幸氏は「原子力は人間のコントロールを超えた」と脅し、恐ろしい破局を予言したが、彼らにとっては残念なことに、福島では1人の死者も出なかった。

本書は大島堅一氏の誤った計算にもとづいて「原発は高い」と考えるが、これだけが論拠だと、原発が安かったら使っていいということになる。そこで反原発派の著者は、原発をやめるべき倫理的な根拠をハイデガーに求める。

1955年の「放下」(Gelassenheit)と題した講演で、ハイデガーは「近い将来、地球上のどの箇所にも原子力発電所が建設されうるに至るでしょう」といって、こう警告する。
我々は、この考えることができないほど大きな原子力を、いったいいかなる仕方で制御し、操縦できるのか。そしてまたいかなる仕方で、この途方もないエネルギーがーー戦争行為によらずともーー突如としてどこかある箇所で檻を破って脱出し、いわば「出奔」し、一切を壊滅に陥れるという危険から人類を守ることができるのか。(強調は引用者)
この「出奔」を著者は原発事故と解釈し、ハイデガーが原発事故を予想していたというのだが、1955年には軽水炉の炉心溶融という概念はなかった。おそらくハイデガーは、広島と長崎の原爆の威力を見て漠然と「これだけのエネルギーが発電所でコントロールできなくなったら大爆発が起こる」ぐらいに考えたのだろう。

しかしこれは間違いだった。福島第一原発事故は原子炉の爆発ではないのだ。核反応は制御棒でコントロールできたが、電源が壊れて冷却水が循環しなくなっために燃料棒が過熱し、水蒸気を外気に逃がしたために放射性物質が外気に出ただけだ。その被害は原爆よりはるかに小さい。

この区別は重要である。誤解している人が多いが、核兵器で何万人も死ぬ原因は、放射能ではなく熱核反応である。広島でも長崎でも、放射能だけで死んだ人はほとんどいない。核兵器と原発事故はまったく違うタイプの危険なのだ。

続きは1月13日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

環境・エネルギー問題はトレードオフである

米軍のイラク爆撃で、中東情勢が不安定になってきた。ホルムズ海峡が封鎖されると原油供給の80%が止まるが、日本のエネルギー供給はいまだにほとんどの原発が動かない「片肺」状態で大丈夫なのだろうか。

エネルギーは「正義」の問題ではない

今週からアゴラ経済塾「環境・エネルギー問題を経済的に考える」が始まる。わざわざ「経済的に」と断ったのは、この種の問題は「生命」や「正義」で論じられることが多いからだ。

かつて水俣病の時代には環境問題は生命の問題であり、チェルノブイリ事故のころ原子力は生命の問題だったが、今はそうではない。地球温暖化は海面が何cm上がるかという問題であり、福島第一原発事故では放射能で1人の生命も失われなかった。

グレタ・トゥーンベリのように「温室効果ガスを減らすことが至上命令で、どんな貧乏になってもいい」という子供もいるが、普通の大人はそうではない。それは環境影響と経済性のトレードオフという経済問題なのだ。

続きはアゴラで。

社会はどう進化するのか

社会はどう進化するのか——進化生物学が拓く新しい世界観
「社会的ダーウィニズム」という言葉は、現代ではタブーに近い。それはダーウィンの進化論を社会に適用し、弱者や障害者は「淘汰」されるべきだという優生学の思想で、それを実行に移したのがヒトラーだった。しかしこれはダーウィン自身の思想ではない。彼は個体だけではなく集団が淘汰の単位になると考えていた。

このような集団淘汰の理論は一時は否定されたが、21世紀によみがえった。本書はその理論を社会に適用する。遺伝子レベルで集団淘汰が起こるかどうかは論争中の問題だが、社会的に起こることは明らかだ。集団で戦う利他的な集団はバラバラに戦う利己的な集団に勝つので、利他的な感情(ミーム)が継承される。

近代社会が機能しているのも、集団を守る法秩序が確立しているからだ。殺人や泥棒を禁止することは個人の自由に優先するので、近代社会は自由放任主義ではない。このシステムは遺伝的な集団淘汰と本質的には同じだ。人体は37兆個の細胞からなる「社会」であり、たとえば癌細胞が利己的に増殖すると人間は死に至る。

しかし人体は、脳や中枢神経だけがコントロールする中央集権システムではない。癌細胞を殺すのは脳とは無関係な免疫機構であり、それもつねに癌細胞との戦いで組み替えられている。人体でも集団淘汰が起こっているのだ。このような多レベルの集団淘汰という考え方が政治や経済にも応用できるのではないか、というのが本書の提案する「ダーウィン革命の完成」である。続きを読む





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