「黒い福沢諭吉」をどう理解するか

論集 福沢諭吉 (平凡社ライブラリー)
福沢諭吉の名前を知らない日本人はまずいないが、その思想の全容を知っている人も少ない。ほとんどの人は『学問のすすめ』や『文明論之概略』の啓蒙的で退屈なイメージしか知らないだろう。そういう「白い福沢」のイメージを世の中に植えつけたのが丸山眞男である。

しかし『学問のすすめ』で「一身独立して一国独立す」という個人主義を説いた彼が、『通俗国権論』では「百巻の万国公法は数門の大砲に若かず」と書き、『時事小言』では「内国にありて民権を主張するは、外国に対して国権を張らんが為なり」と明言した。ここでは民権の目的は国権の拡張であり、それを達成する最高の手段は軍備である。

丸山以来の通説では、これを「白い福沢」の挫折による「黒い福沢」への変節と理解するが、これは無理がある。『文明論之概略』でも「国の独立は目的なり、国民の文明は此の目的に達するの術なり」と書いている通り、国権を目的とする福沢の認識は一貫していたからだ。本書の解説者も指摘するように、そこには西洋中心の「単系発展論」があったのではないか。

続きは2月26日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。(まぐまぐに引っ越しました)

クニがあっても「国家」のない国

ネイションとエスニシティ―歴史社会学的考察―
ネット上で右派と左派がもめる最大の原因が国家である。右派は「国難」を強調し、安倍政権を「中韓に弱腰だ」と批判するが、左派は「強すぎる国」を批判して「国家はフィクションだ」という。確かに主権国家はウェストファリア条約以降の制度だが、それは国家に何の根拠もないことを意味するわけではない。

アンソニー・スミスのいうエトニ(ethnie)は、氏族社会より大きな文化的・言語的に同質の集団として古代からあった。日本語のクニは、このエトニに近い自然生長的な集団で、古代には「郷土」という意味だったが、次第に地方国家という意味になり、明治以降には国民国家になった。

このようにエトニが同心円状に拡大して「国家」になった文化圏は珍しい。漢語の「国」は人口の1%に満たない「皇帝と官僚機構」のことで、「中国」という名称は20世紀になって梁啓超のつくった言葉である。ヨーロッパでは、内戦で国(地方国家)が他の国を征服して統一国家になるのが普通で、イギリスもドイツもスペインも、いまだに地方対立を抱えている。

だからヨーロッパでは国家=国民(nation)としての意識が形成されたが、日本人は内戦をほとんど経験しなかったため、福沢諭吉が嘆いたようにネーションという主体がない。明治政府は長州藩というクニを拡大した藩閥政権で、国家という抽象的な概念を理解できない人民には天皇という記号が与えられたが、その意味は空白だった。

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【おしらせ】池田信夫ブログマガジンは「まぐまぐ」で続けます

coverBLOGOSメルマガのサービスは今日で終わりますが、池田信夫ブログマガジンは「まぐまぐ」で続けます。中身は今までと同じです。お手数ですが、まぐまぐに移行をお願いします。今週の目次は次の通りです。
  • 進化は万能である
  • デモクラシーの本質は差別である
  • 人間原理という「コペルニクス反革命」
  • 吉田茂はなぜ不平等条約を結んだのか
  • 麻美の手作り料理:タルト・タタン
  • 私の音楽ライブラリー:Keith Jarrett Trio "After the Fall"

吉田茂はなぜ不平等条約を結んだのか

安保条約の成立―吉田外交と天皇外交 (岩波新書)
1951年のサンフランシスコ条約は戦後史の最大の分かれ目であり、このときの吉田茂首相の判断が今なお政治に決定的な影響を及ぼしている。このとき講和条約は「単独講和」として批判を浴びたが、いま考えればそれ以外の選択はなかった。「全面講和」は不可能だった。

問題は米軍基地を日本のどこにでも置ける安保条約(および行政協定)で、これは明らかな不平等条約だった。当初は吉田は、日本側首席全権としてサンフランシスコに行くことを拒否した。最終的には講和条約には全権6人が署名したが、安保条約には吉田が1人だけで署名した。これは安保条約への不満を示したものと思われるが、日米交渉の最高責任者としては異常な行動である。

なぜ吉田はこんな不平等条約を急いで結んだのか。安保条約に不満なら、なぜ時間をかけて対等な条約にしなかったのか。これは今も謎だが、本書はそれを説明する「仮説」を提案する。それは安保条約の早期締結が昭和天皇の意思だったというのだ。この仮説を裏づける証拠はまったくないが、状況証拠はないわけではない。

続きは2月19日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。(まぐまぐに引っ越します)

人間原理という「コペルニクス反革命」

宇宙は無数にあるのか (集英社新書)
近代科学の元祖は、コペルニクスの地動説である。それは天動説という人間中心の宇宙を否定し、普遍的法則にもとづく宇宙を示したからだ。地動説では絶対的な存在は宇宙を支配する法則であり、それは神の摂理のメタファーだった。科学はキリスト教を否定して生まれたのではなく、キリスト教から生まれたのだ。

だが最近の物理学は、この「コペルニクス革命」を逆転しているようにみえる。1973年に人間原理(anthropic principle)が主張されたとき、それは「コペルニクス原理の逆転」だったと本書はいう。この宇宙のあらゆる定数が人間の生存に都合よくできているのは人間が生存しているからだ、というトートロジーは、当時は反証不可能な茶飲み話として一笑に付された。

いま人間原理を冷笑する物理学者はいない。無数の可能な宇宙の中でこの宇宙だけが存在している原因は、人間原理以外では説明できないからだ。ニュートンが万有引力の法則によって神の摂理を証明したとすれば、人間原理は科学の法則を疑い、あらゆる普遍的原理を否定する知的アナーキズムである。

続きは2月19日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。(まぐまぐに引っ越します)

デモクラシーの本質は差別である

三浦瑠麗氏の騒ぎをみて、カール・シュミットの「デモクラシーの本質は異質な者の排除ないし絶滅である」という言葉を思い出した。北朝鮮のテロリストを排除しない「寛容な国家」が、国民の安全を守ることはできない。主権者たる国民のアイデンティティは、自動的に保証されるものではないのだ。デモクラシーの根底には、主権者の同質性を守る差別がある。

近代国家は、いつもケルゼンかシュミットかの対立に引き裂かれてきた。ケルゼンは「有権者の多数を得た者が議員になる」といった手続き的整合性だけで国家が成り立つと考えたが、これはシュミットが批判したように誤りである。この法は「誰が有権者か」という定義なしでは意味をなさない。

身分制議会の有権者は貴族と納税者だったが、20世紀には税金を払わない大衆も有権者になった。男性は兵役の義務を負ったので戦争に必要だったが、婦人参政権は納税にも戦争にも役に立たない。シュミットが指摘したように、普通選挙には主権者の同質性が欠けているのだ。このような大衆政治の不安定性が顕在化したのがワイマール体制だった。

続きは2月19日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。(まぐまぐに引っ越します)

北朝鮮の「スリーパーセル」より恐いもの


(フジテレビ「ワイドナショー」より)

三浦瑠麗氏のワイドショーでの発言が話題になっている。「北朝鮮の政権が倒れたら、大阪のスリーパーセル(工作員)が破壊工作をする」というのだが、政権が倒れたら戦争になり、工作員なんて大した脅威ではない。それよりワイドショーがこういう話題をもてはやすようになったことに危惧を感じる。

続きはアゴラで。

進化は万能である

進化は万能である:人類・テクノロジー・宇宙の未来
宗教を信じる現代人は少ないが、ほとんどの人が科学を信じている。その法則が神の決めた必然のようにみえるからだが、これは錯覚である。物理学者は重力の加速度が与えられると微分方程式を解けるが、重力の加速度がなぜその値なのかは説明できない。本書もいうように、それは人間原理というトートロジーで説明するしかない。

つまり宇宙は本源的には無限に多様なマルチバースであり、このユニバースが存在するのは偶然なのだ。宇宙はニュートン的な法則だけで決まるのではなく、偶然の初期値と必然の法則という二つの次元で決まる進化だが、この宇宙しか見えないので、それが唯一の法則に見えるだけだ。

だから21世紀の科学のモデルは物理学ではなく、進化論だろう。ダーウィン以来おなじみのように、進化は偶然の突然変異と必然の自然淘汰で決まる。カタツムリの殻が右巻きか左巻きかは偶然に決まるが、右巻きの世界で左巻きの個体が生存できないことは必然である。

そして人間の社会では、偶然の初期値が歴史を大きく変える。あなたが妻(あるいは夫)と出会うのは偶然だが、それが人生に大きく影響する。新卒でどこの会社に就職するかは偶然だが、それが人生を決定する。大事な問題はほとんど初期値で決まってしまうので、現状を理解するには歴史を理解することが不可欠なのだ。

続きは2月19日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。(まぐまぐに引っ越します)

「日韓併合」以外の道はあったのか

アゴラの記事の補足。「日本は植民地支配でいいこともした」とか「白人がアジアでやったことを日本もやっただけだ」という話は、1910年の「日韓併合」までは正しい。植民地支配は19世紀まで悪ではなく、強い国が弱い国を支配するのは当たり前だった。「民族自決」などという原則もなかったので、日本の朝鮮支配は世界に認められた。

しかし第一次大戦で、植民地戦争が莫大な損害をもたらすことを認識したヨーロッパ諸国は、1928年の不戦条約で戦争を違法化した。その時点の植民地を「権益」として認め、それを軍事的に変更する行動は「侵略」とされた。これは列強の既得権を合法化するご都合主義だが、日本も不戦条約を批准したのだから、1931年の満州事変以降の戦争は明らかに国際法違反の侵略だった。

だが日本の朝鮮・満州支配には、戦略的な必然性があった。1905年のポーツマス条約で日本の得た満州の権益は、国際連盟も認めた。日清・日露戦争で日本が負けていたら、独立国として統治能力のなかった朝鮮は、ロシアの植民地になったおそれが強い。そして第一次大戦後はソ連の植民地になり、今の北朝鮮のような社会主義国が朝鮮半島を支配したら、第二次大戦は朝鮮から起こったかもしれない。植民地支配以外の道はあったのだろうか。

続きは2月12日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。(まぐまぐに引っ越します)

戦後左翼は歴史を変えた

戦後の歴史を振り返ると、左翼の役割が意外に大きいことに気づく。今では左翼は無力な万年野党だと思われているが、1950年代までそうではなかった。1955年に左右の社会党が統一したことが、保守合同のきっかけだった。当時の社会党は、自民党と対等に闘う力があった。彼らがドイツの社民党のように現実的な社会民主主義で結集できれば、政権交代の可能性はあった。

しかし60年安保が、社会党に誤った成功体験を与えた。議会では多数を取れなくても、街頭デモの「直接民主主義」で岸内閣を倒したからだ。それが自民党にも恐怖感を与え、池田内閣以降の自民党ハト派は「低姿勢」になった。岸のような「強行採決」を控えて国会対策で野党を尊重する慣行も、このころできた。無能な野党を「生かさぬよう殺さぬよう」飼い慣らすことが、自民党の知恵になったのだ。

これは野党にとっても快適な状況だった。現実的な政策を掲げることは政権を取るには必要だが、それが不可能になると、野党には自民党のような「不純な」政策を提案するインセンティブがない。逆にいうと、どんな非現実的な政策を掲げても反証されないので、彼らは「平和憲法」や「福祉国家」の美しい理想を語ることができた。この意味で、左翼は政治的には敗北したが――というより敗北したがゆえに――理念的には勝利したのだ。

続きは2月12日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。(まぐまぐに引っ越します)






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