日本の「逆タテ社会」はなぜ続いているのか

タテ社会の人間関係 単一社会の理論 (講談社現代新書)
中根千枝氏が死去した。本書は110万部以上売れ、"Japanese Society"というタイトルで海外でもベストセラーになったが、日本は「タテの序列が強い階級社会だ」という誤解を広めてしまった。

中根氏ものちに弁明したように、これは逆である。タテ社会というのはタテ割りの小集団の自己完結性が強く、ヨコの連携が弱いという意味で、丸山眞男の「タコツボ」に近い。タテ社会の中の階層関係はむしろ弱く、平等主義的だ。

これを山本七平は逆方向のタテ社会と呼んだ。江戸時代にも大名と家臣の上下関係は弱く、主君だけで意思決定はできなかった。家臣のコンセンサスを踏み超える乱心の殿様や急進的な改革をする殿様は、主君押込によって隠居させられることが珍しくなかった。

こういう構造は一揆と同じで、鎌倉時代からあった。下剋上も戦国時代に特有の現象ではなく、タテ社会の中の序列は流動的だった。江戸時代に身分制度でそれを固定したのも、そうしないと農村の秩序が守れないからだった。

だから一揆と下剋上と押込は本質的には同じで、平等な小集団のリーダーが共同体のコンセンサスを破るとき、部下が「空気」に従わせる運動である。このような王殺しは未開社会によくみられるもが、日本社会が珍しいのは、21世紀になっても超民主的な「逆タテ社会」が続いていることだ。それはなぜだろうか。

議論はアゴラサロンで(初月無料)

自動車メーカーはライドシェアで「爆縮」する

松田公太氏の記事は、猪瀬直樹氏などが岸田首相に売り込んだ「モデルチェンジ日本」の提言だが、基本的な事実誤認があるので、簡単に指摘しておく。



この提言は「日本の自動車メーカーはテスラに追いつけ」という話に尽きる。たしかにテスラの時価総額は1.2兆ドルでトヨタの5倍以上だが、テスラの2020年の販売台数は50万台。トヨタグループは991万台である。

ではテスラがトヨタを追い越して年間1000万台売る日は来るだろうか。たぶん来ないだろう。世界の自動車産業は縮小しているからだ。

続きはアゴラ

コロナの「例外状態」はいつまで続くのか

政治神学 主権の学説についての四章(日経BPクラシックス) (NIKKEI BP CLASSICS)
11月24日の東京のコロナ感染者は5人。もはやゼロコロナといってもいい状況だが、政府は行動制限を解かない。このように人権を侵害する状況は、近代国家の例外状態である。

本書は20世紀の古典の新訳だが、冒頭の「主権者とは例外状態について決定をくだす者をいう」という言葉は、法学部の卒業生なら誰でも知っているだろう(そこしか読まなかった学生も多いと思う)。

コロナは最初、例外だった。移動の自由を制限するロックダウンは、近代国家の根本的な人権をおかすものだ、とアガンベンは警告したが、それはなし崩しに世界に広がり、例外は日常になってしまった。

移動の自由は近代国家のコアである。その原型となった都市国家は、権利を侵害する国や税金の高い国から移動するexitの権利が保障されていたから、競争が機能した。移動の自由を国家が制限するロックダウンや緊急事態宣言は、近代国家を規律づける原理を国家が否定するものだ。

続きはアゴラサロンでどうぞ(初月無料)

資本主義だけ残った

資本主義だけ残った――世界を制するシステムの未来
最近、中国がいろいろ話題になる。こういう「収奪的」な制度のもとで資本主義は維持できない、というのがアセモグル=ロビンソンなど欧米リベラル派の主張だが、習近平体制はいまだに崩壊しない。

それは資本主義が、民主政治を必要としないからだ。中国の体制は、生まれたときから「社会主義」ではなかった。毛沢東の革命は中国の伝統的な農民反乱であり、結果的には資本主義を生みだす「本源的蓄積」だった。それはヨーロッパでは新大陸からの略奪で行われたが、中国では地主からの略奪で行われたのだ。

鄧小平が指導者になった1978年以降、中国の国営企業は激減し、今は20%しかないが、政治的な独裁は強まっている。これを社会主義と呼ぶのは無理がある。今や経済システムの選択は、資本主義か社会主義かではなく、どんな資本主義かの問題である。

本書はそれをリベラル能力資本主義政治的資本主義の二つに分類する。前者の代表はアメリカ、後者は中国である。かつてフクヤマは冷戦終了のとき『歴史の終わり』で前者の勝利を宣言したが、それは時期尚早だった。資本主義は社会主義に勝利したが、リベラル資本主義が政治的資本主義に勝利するかどうかはまだわからない。

続きはアゴラサロンでどうぞ(初月無料)

主権国家から都市国家へ

劣化国家
日本の「江戸時代システム」が行き詰まっていることは明らかだが、それに代わるシステムはあるだろうか。ファーガソンは近代国家は軍事機能を縮小し、人口1000万人以上のメガシティを中心とする都市国家に戻るべきだという。

国家の形態として、もっとも効率的なのは都市国家である。世界の一人あたりGDPの上位にもルクセンブルク、香港、シンガポールなどの都市国家が並んでいる。それは軍事的には主権国家に勝てなかったが、現代の戦争においては地上戦は大した問題ではない。

日本は日米同盟でアメリカに国防を「外注」しているので、少なくとも大都市は都市国家としてやっていけるだろう。都市国家に議会は必要ない。シンガポールのように選挙で選ばれた独裁的な市長が決定し、それがいやな人はexitして他の都市に行けばいいので、制度間競争で効率的な都市が生き残る。

もう一つの解は、全員が同じ都市にずっといることを前提にして、民主的なvoiceで意思決定することだ。Rosenthal-Wongによると、これが中世の都市国家のガバナンスだった。これは交渉問題が発生するので効率が悪いが、だめな国家は戦争で負けるので、結果的にはexitが機能した。

日本の幕藩体制は都市国家に似ているが、その戦争を禁止し、武士も農民も藩という「家」にしばりつけた点で世界史上に例をみない。これは対外的な戦争には弱いが、幸運なことに250年間、戦争が起こらなかったので、この「家」が日本人の脳内に文化的遺伝子として刷り込まれたのではないか。

続きは11月日22日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)

移民で低賃金労働を輸入しても人手不足は解決しない



外国人労働者の在留資格「特定技能」について、政府は長期就労や家族帯同を認める業種を広げる方針だという。これは2019年にできた「特定技能2号」の範囲を2分野から14分野に拡大し、実質的に永住資格を与えるものだ。

これを「移民の容認だ」というのは当たっているが、「日本文化が移民に破壊される」というのは杞憂である。この2年間で入国した特定技能の労働者は3.5万人。すべての外国人労働者を合計しても172万人で、労働人口の2%余りしかいない。

続きはアゴラ

「ステイクホルダー資本主義」はみんなを幸せにするのか

The Theory of Corporate Finance
岸田政権の「新しい資本主義」が何を意味するのかよくわからないが、新しい資本主義実現会議の資料を読むと、少なくとも事務局はこれをステイクホルダー資本主義と理解しているようだ。

この資料は内閣府審議官の新原浩朗氏(元経産省産業政策局長)が書いたといわれる。ここでは首相の意図を忖度し、2001年のティロールの論文が「企業は株主価値を最大化するものという伝統的な考え方に対して、ステークホルダー全体を考慮すべきとの考え方を提示」していると書いている。

これだと経済学は株主の利益しか考えない偏狭な学問みたいだが、これは誤りである。このティロールの教科書(2006年)を読めばわかるように、経営インセンティブ理論の目的は、もともと経営者や労働者を含む全ステイクホルダーの利益の最大化である。

しかし全員の同意で意思決定する企業が、全員の利益を最大化するとは限らない。それは次のような欠陥があるからだ。

 ・利益の配分を契約で決められない
 ・意思決定が行き詰まる
 ・経営陣に明確な目的がない

これに対して株主がすべて決める株主資本主義はバイアスがあるが、GAFAMやソフトバンクやユニクロのように、最近はステイクホルダー型より高いパフォーマンスを上げている。それはなぜだろうか?

続きは11月日22日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)

日本で「納税者の党」は可能か

政友会と民政党 - 戦前の二大政党制に何を学ぶか (中公新書)
10年前は二大政党ができるかと思われた日本の政治はどんどん劣化し、立民党は55年体制のような「1.5党体制」に戻ろうとしているようにみえる。それに対して一時期は二大政党ができた戦前の政治は、まだましだった。

日本は明治時代にヨーロッパから立憲君主制を輸入したが、それがどう機能しているのかよくわからなかったので、帝国議会には立法権もなく、内閣も組閣できなかった。この結果、議会の争点は政策論争ではなく、議員の腐敗やスキャンダルを暴くことになり、政党は政策集団としては機能しなかった。

これに対して伊藤博文は、官吏とともに国家のために政策を立案する「吏党」として立憲政友会をつくり、それに対して自由民権運動は民政党という「民党」に結集し、政権交代も行なわれた。1927年に浜口雄幸の結成した立憲民政党の理念は「議会中心、軍縮、健全財政」であり、彼らの集票基盤は地主や財閥などの高額納税者だった。

政友会が「税金を使う党」だとすると、民政党は納税者の党だった。超高齢化社会になった日本にも必要なのは、社会保障を負担するサラリーマンの党だが、それは可能だろうか。

続きは11月日22日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)

「カーボン植民地主義」の敗北


COP26では、1.5℃目標が焦点になった。G20では中国とロシアとインドが反対して葬られた1.5℃目標が生き返った原因は、カリブ海など島国の支持だった。彼らは海面上昇の被害を受ける一方、石炭を禁止しても失うものがない。それを議長国イギリスを初めとする旧宗主国が利用したのだ。

しかしボリビア代表は「2050年ネットゼロを強要するカーボン植民地主義を拒否する」と宣言した。それに呼応して、旧植民地のインドが反撃したのが決定的だった。結果的には最終文書では1.5℃は努力目標にとどまり、石炭火力も"phasedown"という無意味な表現になった。

続きはアゴラ

明治維新は「居抜き」の革命

愛国・革命・民主:日本史から世界を考える (筑摩選書)
今が江戸時代の後期だとすると、衰退は200年ぐらい続くことになる。平和でゆるやかに衰退するのも悪くないと思うが、若い世代には耐えられないだろう。かつてそれを変えたのは明治維新だったが、それはいったいどのようにして成功したのだろうか。

私の学生のころは、明治維新は将軍の代わりに天皇が君主になった「上からの革命」だったので本物ではないと教えられたが、300の藩を廃止して統一国家にし、身分制度をやめて支配階級だった武士はほとんど失業したのだから大きな革命だった。

しかし革命のやり方は大衆蜂起ではなく、宮廷革命だった。当時の武士は人口の10%程度の特権階級で、その中で徳川藩から長州藩などに権力を移すだけというのが当初の多くの武士の了解だったので、大した変化だとは思われていなかった。むしろ最初は「攘夷」というナショナリズムが前面に出ていた。

ところが攘夷をやろうとすると、相手が強すぎて歯が立たない。ここで普通なら路線論争とか内紛が起こりそうなものだが、もともと目的がはっきりしていないので、攘夷を捨てて尊皇だけで行こうという西郷隆盛の合従連衡策にみんな乗ってしまう。

天皇が日本の正統的な君主であるということは、武士はみんな勉強して知っていたので、大政奉還には反対できない。最大の分かれ目は江戸城の明け渡しだったが、これも西郷隆盛と勝海舟の話し合いで無血開城してしまう。中国では王朝が代わるごとに前の王朝の宮廷を焼き払ったが、明治政府は江戸城を居抜きで譲り受けて皇居にしてしまった。ここに現代にも通じる秘訣がある。

続きは11月15日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)





記事検索
月別アーカイブ
QRコード
QRコード
Creative Commons
  • ライブドアブログ