近代天皇の生み出した左翼的ステレオタイプ

近代天皇論 ──「神聖」か、「象徴」か (集英社新書)
本書の前半は言論アリーナでも展開された片山杜秀氏の持論で、そのとき彼が「次の課題」としていた水戸学と天皇の関係はおもしろい。徳川家の副将軍が「日本は神代の昔から天皇のものだ」という(のちに徳川家を倒すことになった)誇大妄想を397巻もの膨大な偽史で立証しようとしたのはなぜか、という謎は昔から歴史家を悩ませてきた。

水戸学の起源に儒学があることは明らかだが、それがどういう経路で光圀の妄想になったのか。片山氏は、中国(明)から亡命してきた朱舜水が光圀に影響を与えたという。このへんは諸説あり、丸山眞男も平泉澄も山崎闇斎が水戸学の元祖だとし、最近では荻生徂徠という説もある。

それはいいとして、後半は島薗進氏の「日本会議がなんちゃら」とか「アベが危ない」みたいなステレオタイプになってしまう。バズビーを根拠にしてICRPを否定する島薗氏のほうが、よほど危ない。彼のように科学も法も踏み超えて大衆の感情に迎合する左翼ポピュリストは、近代天皇の鏡像である。

続きは1月23日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

豊洲移転の中止はコストが大きすぎる


毎日新聞によると、東京都の小池知事は豊洲移転について、こう答えている。
--豊洲には既に6000億円をつぎ込んでいる。築地市場をもう一度活用するとか、あるいは第三の場所の検討は。
(小池)これまで都も、ありとあらゆる方策を考えてきたのだろう。豊洲という場所に決めたことには私自身、もともと疑義がある。サンクコストにならないためにどうすべきか客観的、現実的に考えていくべきだ。
ここで彼女は「サンクコスト」の意味を取り違えているが、これはすでに発生して回収できないコストなので、豊洲の移転費用のほとんどはすでにサンクコストになった。設備に再利用可能なものは少しあるだろうが、特殊な建物なので、再移転費を考えると6000億円と大きく違わないだろう。

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「国家の伝統を守る」という虚妄

生前退位は大した問題ではないが、これを語る人の知的水準を知るメルクマールにはなる。まずいえるのは、この問題に大騒ぎする人は歴史を知らないということだ。天皇家は「万世一系」ではなく、1000年以上にわたって貴族や武士が天皇を政治的に利用して対立抗争を続けてきた。天皇家が長く続いたのは単なる飾りだったからで、それを「国家を統治する主権者」としてかついだ明治政府が異常だった。

もう一つは「退位は国家の安定性をそこなう」などという人々が、国家とは何かを知らないということだ。彼らが守ろうとしているのは「日本の伝統」どころか西洋近代の主権国家であり、150年前まで日本には存在しなかった。昔、新宿の飲み屋で西部邁氏に「先生のおっしゃる『国柄』は江戸時代にはどうなってたんですか?」と聞いたら、隣の右翼が殴りかかってきた。

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「空気」とは出世主義である

『丸山眞男と平泉澄』のテーマは、この2人が闘った敵は何か、ということだ。結論だけいうと、彼らの共通の敵は、山本七平のいう「空気」と考えることができるが、丸山も平泉も山本も、その正体を解明しないまま世を去った。晩年の丸山はそれを「まつりごと」と名づけたが、その原因はまったく語らなかった。

空気はゲーム理論でいうと共有知識だが、図のようにナッシュ均衡は複数ある。ここでペイオフを対称として「保守」を1に標準化し、「革新」のペイオフがX>0だとする。読売新聞ではX<1、朝日新聞ではX>1だとすると、読売(左上)では自分だけ革新的な記事を書くと出世できず、朝日(右下)では自分だけ保守になると出世できない(ペイオフが0になる)。

空気


ナッシュ均衡はXが1より大きくても小さくても、初期値のみで決まる。朝日の「革新」のペイオフXが1より小さくなっても、上司が革新である限り、自分だけ保守では出世競争に生き残れない。これは読売も同じで、図のようなペイオフが社内の共有知識になっている限り、空気を読んで上司に迎合することが合理的(部分最適)なのだ。

続きは1月16日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

トランプのポピュリズムと日本のパターナリズム

キャプチャ

トランプの記者会見は予想以上に支離滅裂だったが、娯楽としてはおもしろい(クリックで動画)。これを見ていて、彼のポピュリズムは日本のパターナリズムと対角線上の位置になっていることに気づいた。

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戦後左翼の偽造した「8月革命」という仮想現実

丸山眞男と平泉澄—昭和期日本の政治主義
マニアックな話が続いて申し訳ないが、「8月革命」で思い出したのでメモ。この言葉が有名になったのは、丸山眞男の1960年6月12日の講演、「復初の説」である。ここで彼は朱子学の「復性復初」という言葉を使って、安保反対のアジテーションを行なった。
初めにかえれということは、敗戦の直後のあの時点にさかのぼれ、8月15日にさかのぼれということであります(拍手)。私たちが廃墟の中から、新しい日本の建設というものを決意した、あの時点の気持というものを、いつも生かして思い直せ…
ここで「8・15」に比すべき位置づけを与えられているのは、安保条約が可決された「5・19」だが、8月革命に始まった戦後左翼の闘争は、政治運動としては完全な敗北に終わった。勝利したのは、「後楽園球場は満員だ」とうそぶいて全学連のデモを無視した岸信介だった。

左翼が負け続ける原因を、著者はもともと8月革命が仮想現実だったからだと断じる。それは現在の政治から遡及した「革命」であり、偽造された歴史だった。ガラパゴス左翼の守ろうとする「平和憲法」は、世界的にみると無知蒙昧な平和ボケでしかない。それは丸山と対照的に歴史に葬られた平泉澄の偽造した皇国史観と一対をなしている。

続きは1月16日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

現在の憲法は「押しつけ」ではない

憲法が「押しつけ」かどうかという事実関係は「戦後レジーム」を否定するかどうかという価値判断とは独立だが、しばしば両者は混同される。今年は憲法改正が日程にのぼってくるだろうが、同じ論争が繰り返されるのは不毛なので、歴史的事実を整理しておこう。

続きはアゴラで。

丸山眞男が擁護した「ガラパゴス立憲主義」

偽史の政治学:新日本政治思想史
丸山眞男の死後20年以上たっても、東京女子大の丸山眞男文庫では、彼の録音テープや手書き原稿を刊行する事業が続いている。本書の最終章は、それを利用して丸山の幻の主著『正統と異端』の一部を復元しているが、意外な指摘は、彼の「L正統」という奇妙な概念が、江藤淳の「押しつけ憲法」論への反論だったという話だ。

江藤はポツダム宣言の受諾は「無条件降伏ではなかった」として、アメリカの「属国」になった戦後の日本を批判した。丸山は「8月15日は日本国民が自由な主体になった革命だった」と主張し、それを宮沢俊義が「8月革命」説として憲法を正統化した。これはいまだにガラパゴス憲法学者が信じている荒唐無稽な説で、そんな論理を許したら独裁国家も正統になってしまう。

丸山はその無理を知りつつ、「Legalではないが日本国民が主権者として選択したLegitimateな正統」として憲法を擁護した。保守派が憲法を批判し、リベラルがそれを擁護する「ねじれ」はこのとき始まったが、どちらも事実誤認だった。江藤も丸山も知らなかった(2001年に機密指定を解除された)吉田=ダレス会談の記録で明らかになったのは、新憲法は手続き的には押しつけだったが、実質的には日米の合意だったということである。

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もう元号を使うのはやめよう

mig政府は平成31年1月1日から新しい元号にする検討を始めた…と聞いて、とっさに西暦何年のことか、わかる人は少ないだろう。平成31年とは2019年のことだ。今度これが新元号になると、2020年から「新元号」2年、3年…となり、年数の計算は一段とややこしくなる。

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「明治国体論」を批判した北一輝

評伝 北一輝 II - 明治国体論に抗して (中公文庫)
世界的に、リベラルの退潮が目立つ。今年は日本でも、憲法改正など保守派が巻き返すだろう。そのリーダーはもちろん安倍首相だが、彼の歴史認識のコアには、いまだに靖国神社に代表される「明治国体論」があるようにみえる。その矛盾を最初に批判したのは、岸信介が師と仰いだ北一輝だった。

一般には、北は二・二六事件を指導したファシズムの元祖だと思われているが、初期の『国体論及び純正社会主義』は教育勅語を否定し、穂積八束などの天皇大権説を「国体論の中の『天皇』は迷信の捏造による土偶にして天皇に非ず」と強く批判して発禁になった。土偶というのは、彼の表現でいえば「土人部落」である日本で国民をだます偶像のことだ。

天皇は明治政府の国体論者に利用され、万世一系なる迷信で正統化されているので、これを改めて天皇を「国家の機関」として位置づけることが、彼の革命の目的だった。それは国家社会主義というより、レーニンの社会主義に近い。1906年の段階で天皇機関説を唱えていた北が、なぜ二・二六事件で天皇を利用したクーデタを企てたのだろうか?

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