忖度と「しらす」で動く国

森友学園の騒動で、忖度という古風な言葉がよく出てくるのはおもしろい。これは臣下が天皇の「御意」をおしはかることで、これに対して天皇は臣下をしらすという形で受動的に統治する。天皇は監査役のようなものだから、臣下は「上奏」する説明責任を負うが、天皇は事後承認するだけなので無答責である。天皇が判断すると、失敗した場合に責任を負って退位しなければならないからだ。
天皇

この「まつりごと」の構造は、形式的には1000年以上前から同じである。名目的な主権者(プリンシパル)はつねに天皇だが、実権は摂政・関白や将軍などの代理人(エージェント)にあった。幕府の中でも、老中が将軍の意思を忖度して決定を行うので、将軍は合議に参加しない。老中や大目付は1ヶ月交代の輪番制で、すべての役職は二重化して相互に監視させ、特定の家(藩)への権力の集中を防いだ。

このように名目(権威)と実質(権力)を厳格に区別する「日本型共和制」は、権威と権力をもつ独裁者を防いで権力分立を守る巧妙なシステムだが、実権をもつ将軍が建て前上は代理人だという弱点がある。その矛盾を突いて出てきたのが、「幕府を倒して本来の主権者たる天皇に国家権力を取り戻す」という儒教イデオロギーにもとづく尊王攘夷運動だった。

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明治憲法は「民主制」だった

共和制

今週のVlogで使った表の出典は、丸山眞男の「昭和天皇をめぐるきれぎれの回想」である。彼は広島の宇品で終戦を迎えたが、1945年8月16日に上官(谷口参謀)に呼び出され、戦後の日本の行く末について1週間の講義を命じられた。
T参謀の発するさまざまの質問のうち、つきつめたような表情で私に語ったのは、「連合国は民主主義と言っているが、そうなると陛下はどうなるのか? 君主制は廃止されるのではないか?」という問いであった。私はすぐさまつぎのような意味の返答をした。

「御心配には及ばないと思います。民主主義がわが国体と相容れないというような考え方は、それこそ昭和の初めごろから軍部や右翼勢力を中心にまかれて来たプロパガンダです。国法学の定義としても、君主制と対立するのは共和制であって、民主制ではありません。民主制に対立する概念は独裁制です。イギリスは君主制ですが、極めて民主的な国家であり、逆にドイツは第一次大戦以後、共和国になりましたが、その中からヒットラー独裁が生まれました。」
この分類でいうと、丸山は明治憲法を立憲君主制、すなわち民主制の一種と理解していたことになる。天皇が絶対君主と区別されるのは、その権限が憲法に制約されている点である。憲法第4条には「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」と書かれていた。戦争も、憲法にもとづいて天皇の書いた「宣戦の詔書」に帝国議会が「協賛」して始まったのだ。

丸山は昭和天皇を敬愛し、その意に反して戦争が起こされたことを知っていた数少ない日本人だった。しかしリベラルな天皇と民主的な憲法が、どうして戦争を止めることができなかったのか――それを彼は「半年も思い悩んだ揚句」、上とは違う答に到達し、それを有名な「超国家主義の論理と心理」に書いた。

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ルターの復古主義は「中世の終わり」

プロテスタンティズム - 宗教改革から現代政治まで (中公新書)
今年は「宗教改革」500周年である。1517年10月31日、マルティン・ルターがヴィッテンベルク教会の扉に、カトリック教会の贖宥状(いわゆる免罪符)を批判する「95ヶ条の提題」を釘で打ち付けたことから近代が始まった…と教科書には書かれているが、彼がこの提題を貼り出した形跡はない。ルターがカトリック教会を否定したこともない。

彼らの運動は改良(Reform)と呼ばれたが、カトリック教会は彼らを「教会に反抗する者」としてプロテスタントと呼んだ。トレルチも指摘したように、ルターの教義は初期教団に回帰する復古主義であり、近代の始まりというより「中世の終わり」と考えたほうがよい。彼のビラが印刷されてこれほど大きな反響を呼んだのは、終わりかけていたローマ教会のヨーロッパ支配に最後の一撃を与えたためだった。

それは日本でいうと、幕末に似ている。「神聖ローマ帝国」の実態はドイツのバラバラな領邦で、その全体を統括する精神的権威はローマ教皇にあった。贖宥状はルターの前から多くの聖職者が批判していたが、その背景にはドイツの俗権とイタリアの教権の対立があった。ルターがローマ教皇を批判するとき、神の代理にすぎない教皇を超える神の権威を利用したのは、長州藩士が徳川家を倒す復古主義に「天皇」を利用したのと似ている。

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ワイドショー芸人の刺激する「古い脳」


人間はなぜ合理的に考えるのかはむずかしい問題で、いまだに明快な答がないが、人々が反射的な速い思考で考える原因は明白だ。何者かが近寄ってきたとき、「これは敵か味方か」を合理的な「遅い思考」で推論していると間に合わないので、見たことのない顔からは瞬時に逃げる必要がある。

そういう能力は進化で生き残る上で重要だから、脳の情報処理の80%以上は大脳辺緑系の古い脳の「速い思考」で行われている。「石原氏の責任追及が移転問題とどういう関係があるのか」などという「遅い思考」は面倒でコストがかかるので、「石原が悪い」という印象を作り出して「悪いやつのやったことは悪い」と近道するのだ。

続きはアゴラで。

「鎌倉仏教」というオリエンタリズム

戦国と宗教 (岩波新書)
日本人の宗教についての理解は、いまだにキリスト教をモデルにしている。浄土真宗や日蓮宗などの「鎌倉仏教」は宗教改革に似ており、それは一向一揆という「市民革命」を生んだが、織田信長につぶされた――というのが従来の理解だが、これは宣教師の報告にもとづく「オリエンタリズム」である。

当時の仏教の主流は、まだ天台宗や真言宗だった。親鸞の「信仰のみによって救われる」という教義がルターに似ていると宣教師は報告したが、実際の真宗は各地の神仏と混合した雑多な信仰だった。それが広まったのは『歎異抄』(16世紀まで知られていなかった)のような高度な教義のおかげではなく、ひたすら「南無阿弥陀仏」を唱えていれば極楽にいけるという単純な信仰が民衆に受け入れられたからだ。

「一向一揆」という言葉は中世の史料にはなく、本願寺を設立した蓮如も「一向宗」という言葉は使わなかった。本願寺は武士と戦う「反権力」の教団ではなく、いろいろな戦国大名と連携して戦う軍団だった。信長と一向宗の「石山合戦」も後世につくられた物語で、石山という地名は同時代の史料にはない。そもそも宗教と世俗権力の対立という図式がオリエンタリズムであり、信仰の中心は戦国大名だった。

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情報弱者の「速い思考」が政治を動かす



石原元知事の百条委員会は、予想通り何も出なかった。しいていえば彼が「環境基準のハードルを高く設定した」と認めたことぐらいだが、これは2014年に舛添知事が「安全宣言」で修正した。もともと法的根拠のない議会答弁なのだから、小池知事があらためて「安全・安心宣言」を出せばよい。

続きはアゴラで。

人間はなぜ合理的に考えるのか

A Natural History of Human Thinking
経済学では、人間が合理的に考えるのは当然で、感情的な行動は「バイアス」だと考えるが、これは非現実的というより完全に倒錯している。感情は霊長類に普遍的にみられるが、理性は人類にしかない特殊な能力だからである。それが進化の過程でなぜ有利だったのかははっきりしないが、その一つの要因は言語による伝達を容易にしたことだろう。

猿は自分で経験したことしか記憶できないが、人間は他人に言語で経験を伝えて協力できる。動物が身振りで伝えられる内容は限られているが、人間は文法的な再帰性(recursiveness)で複雑な知識を表現できるからだ。たとえば「穴があると落ちる」という事実と「落ちると死ぬ」という事実から、「穴に落ちると死ぬ」という知識を組み立てることができる。

このように複雑な知識を互いに伝えることによって、個体としては弱い人間がグループで生き残った。つまり合理的思考そのものより、それによって協力する意図の共有が生存競争で重要だった、というのがトマセロの理論である。

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百条委員会は小池知事を延命する「パンと見世物」


東京都の百条委員会が始まったが、何も出てこない。あすの石原元知事の喚問が山場だが、豊洲移転を左右するような話は出てくるはずがない。この委員会は移転の是非を議論するはずだったが、始まる前に小池知事が豊洲の「安全宣言」を出し、何のためにやるのかわからなくなった。「豊洲は安心ではない」というなら、彼女が「安心です」といえばすむ。

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「八百長の平和」が終わる

朝鮮半島の緊張が高まる中で、国会はワイドショー化している。これは当然で、日本の国会にはもともと国家戦略を決定する機能がない。自民党は1955年に結党したときから、保守勢力が「反共」で野合した理念なき日本型ポピュリズムの党だった。党是としては憲法改正を掲げたが、その実態はアメリカの核の傘にただ乗りして地元利益で集票するマシンだった。

アメリカは軍事負担の肩代わりを求めたが、自民党は「国内的な配慮」を理由にして拒否してきた。1972年の沖縄返還のとき、佐藤内閣は「沖縄の核は黙認するが自衛隊は海外派兵しない」という取引をして「集団的自衛権」の行使を違憲とする法制局見解を出した。集団的自衛権は、東アジアの紛争から逃げるための「貞操帯」のようなものだった。

安保法制をめぐる「与野党対決」も、アメリカの圧力をかわすための八百長だった。そのあと争点を失った野党は、大阪の幼稚園をめぐる騒動に国会審議を費やしているが、こんな茶番はいつまでも続けられない。東アジアの地政学的なバランスは大きく変わったからだ。

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日本は「国家的アナーキズム」

アナキズム入門 (ちくま新書1245)
アナーキズムはプルードンの「所有は盗みだ」という思想と、クロポトキンの「相互扶助」の思想に尽きるが、いずれも荒唐無稽なものではない。プルードンの「社会的所有」の思想はマルクスに剽窃され、共産主義(国家的社会主義)に堕落した。

クロポトキンの思想はダーウィンの進化論に依拠しており、今の生物学でいうと集団淘汰の理論である。これは個体群のレベルでは正しいが、多くの中間集団が複合して「大きな社会」をつくるとき、全体を統括する国家(暴力装置)をつくらないで、ローカルな集団の協力で秩序を守れるかどうかは疑問だ。

プルードンとクロポトキンの思想は一体で、国家による所有権の保護なしで中間集団の相互扶助によって社会が維持できる、というのがアナーキズムの仮説である。こういう性善説は近代国家では内戦を誘発して悲惨な結果になるが、その唯一の例外が日本である。

「家」は相互扶助の単位だが、徳川家は全国で300の家を固定し、その中でさまざまな中間集団をつくった。明治以降もこのフラクタル構造は生き残り、意思決定はすべて中間集団で行われる。役所を超える天皇の意思は「忖度」されるだけで、究極的な決定主体としての国家はなかった。それは今も続く国家的規模のアナーキズムともいえよう。

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