日本の物価はなぜ上がらないのか

世界的にインフレ懸念が強まってきた。アメリカの消費者物価指数(CPI)上昇率は6.2%だが、日本は0.1%と異常に低い。企業物価指数は8.0%と40年ぶりの水準なので、これが波及してくるのは時間の問題だと思うが、なぜCPIはこんなに動かないのだろうか(テクニカル)。

その一つの説明は、屈折需要曲線のようなしくみで、需要が多少変動しても価格が動かなくなっていると考えることだ。多くの企業が価格を「定価」として固定すると、コストが上がっても価格に転嫁せず、需要が増えると増産する数量調整を行う。

これを次のような図で考えよう。これは経済学でおなじみのエッジワース・ダイヤグラムで、横軸が労働市場、縦軸が財市場。上に凸の曲線Tが企業の生産可能曲線、下に凸の曲線Uが消費者の無差別曲線、斜めの直線Lが相対価格である(Clower 1965)

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教科書では、価格Lで需要U2と供給Tが一致しないと、無差別曲線U1と生産可能曲線Tが接するように財の相対価格が上がって賃金が下がる。しかし数量調整が行われると、財の需要dgが供給sgより大きくても定価が上がらず、供給制約で超過需要が発生する。

他方、賃金の硬直性が大きいと、労働供給sfに対して労働需要dfが少なくても賃金が下がらず、超過供給(失業)が残る。ところが失業した労働者(sf-df)には所得がないので、その需要は有効需要にならず、不均衡が均衡として正当化されてしまう。

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1970年代のスタグフレーションが戻ってくる

日経新聞で紹介されているロゴフのコラムがおもしろい。世界が1970年代のスタグフレーションに似てきたという話である。

1970年代のインフレの原因は一般には「石油ショック」だと思われているが、それはきっかけに過ぎない。ロゴフも指摘するように本質的な問題は財政赤字だった。アメリカ政府はベトナム戦争で大きな赤字を抱え、インフレ圧力が高まっていた。

そこにOPECの原油値上げで供給ショックが起こり、さらに財政支出を増やしたため、大インフレになった。これを抑制する役目のFRBには独立性がなかったので、不況の最中に金利を上げられなかった。このため世界にドルがあふれ、不況とインフレが同時に起こるスタグフレーションになった。

今の資源インフレは、OPECではなく先進国の脱炭素化が起こしたものだ。日経の藤井論説委員長も指摘するように、化石燃料を禁止する動きが世界的に強まっているため、油田や火力発電所が「座礁資産」になることを恐れて投資が減ったことが供給制約の原因である。

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日本経済新聞より

構造的な原因である政府債務は、1970年代とは比較にならないほど大きく積み上がっている。ベトナム戦争はアメリカだけの問題だったが、今の先進国では社会保障債務が一般会計より大きく、高齢化で労働人口が減るので長期的には金利も物価も上がる。そのきっかけが供給ショックだというのも70年代と同じだ。

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日本の「逆タテ社会」はなぜ続いているのか

タテ社会の人間関係 単一社会の理論 (講談社現代新書)
中根千枝氏が死去した。本書は110万部以上売れ、"Japanese Society"というタイトルで海外でもベストセラーになったが、日本は「タテの序列が強い階級社会だ」という誤解を広めてしまった。

中根氏ものちに弁明したように、これは逆である。タテ社会というのはタテ割りの小集団の自己完結性が強く、ヨコの連携が弱いという意味で、丸山眞男の「タコツボ」に近い。タテ社会の中の階層関係はむしろ弱く、平等主義的だ。

これを山本七平は逆方向のタテ社会と呼んだ。江戸時代にも大名と家臣の上下関係は弱く、主君だけで意思決定はできなかった。家臣のコンセンサスを踏み超える乱心の殿様や急進的な改革をする殿様は、主君押込によって隠居させられることが珍しくなかった。

こういう構造は一揆と同じで、鎌倉時代からあった。下剋上も戦国時代に特有の現象ではなく、タテ社会の中の序列は流動的だった。江戸時代に身分制度でそれを固定したのも、そうしないと農村の秩序が守れないからだった。

だから一揆と下剋上と押込は本質的には同じで、平等な小集団のリーダーが共同体のコンセンサスを破るとき、部下が「空気」に従わせる運動である。このような王殺しは未開社会によくみられるが、日本社会が珍しいのは、21世紀になっても超民主的な「逆タテ社会」が続いていることだ。それはなぜだろうか。

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自動車メーカーはライドシェアで「爆縮」する

松田公太氏の記事は、猪瀬直樹氏などが岸田首相に売り込んだ「モデルチェンジ日本」の提言だが、基本的な事実誤認があるので、簡単に指摘しておく。



この提言は「日本の自動車メーカーはテスラに追いつけ」という話に尽きる。たしかにテスラの時価総額は1.2兆ドルでトヨタの5倍以上だが、テスラの2020年の販売台数は50万台。トヨタグループは991万台である。

ではテスラがトヨタを追い越して年間1000万台売る日は来るだろうか。たぶん来ないだろう。世界の自動車産業は縮小しているからだ。

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コロナの「例外状態」はいつまで続くのか

政治神学 主権の学説についての四章(日経BPクラシックス) (NIKKEI BP CLASSICS)
11月24日の東京のコロナ感染者は5人。もはやゼロコロナといってもいい状況だが、政府は行動制限を解かない。このように人権を侵害する状況は、近代国家の例外状態である。

本書は20世紀の古典の新訳だが、冒頭の「主権者とは例外状態について決定をくだす者をいう」という言葉は、法学部の卒業生なら誰でも知っているだろう(そこしか読まなかった学生も多いと思う)。

コロナは最初、例外だった。移動の自由を制限するロックダウンは、近代国家の根本的な人権をおかすものだ、とアガンベンは警告したが、それはなし崩しに世界に広がり、例外は日常になってしまった。

移動の自由は近代国家のコアである。その原型となった都市国家は、権利を侵害する国や税金の高い国から移動するexitの権利が保障されていたから、競争が機能した。移動の自由を国家が制限するロックダウンや緊急事態宣言は、近代国家を規律づける原理を国家が否定するものだ。

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資本主義だけ残った

資本主義だけ残った――世界を制するシステムの未来
最近、中国がいろいろ話題になる。こういう「収奪的」な制度のもとで資本主義は維持できない、というのがアセモグル=ロビンソンなど欧米リベラル派の主張だが、習近平体制はいまだに崩壊しない。

それは資本主義が、民主政治を必要としないからだ。中国の体制は、生まれたときから「社会主義」ではなかった。毛沢東の革命は中国の伝統的な農民反乱であり、結果的には資本主義を生みだす「本源的蓄積」だった。それはヨーロッパでは新大陸からの略奪で行われたが、中国では地主からの略奪で行われたのだ。

鄧小平が指導者になった1978年以降、中国の国営企業は激減し、今は20%しかないが、政治的な独裁は強まっている。これを社会主義と呼ぶのは無理がある。今や経済システムの選択は、資本主義か社会主義かではなく、どんな資本主義かの問題である。

本書はそれをリベラル能力資本主義政治的資本主義の二つに分類する。前者の代表はアメリカ、後者は中国である。かつてフクヤマは冷戦終了のとき『歴史の終わり』で前者の勝利を宣言したが、それは時期尚早だった。資本主義は社会主義に勝利したが、リベラル資本主義が政治的資本主義に勝利するかどうかはまだわからない。

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主権国家から都市国家へ

劣化国家
日本の「江戸時代システム」が行き詰まっていることは明らかだが、それに代わるシステムはあるだろうか。ファーガソンは近代国家は軍事機能を縮小し、人口1000万人以上のメガシティを中心とする都市国家に戻るべきだという。

国家の形態として、もっとも効率的なのは都市国家である。世界の一人あたりGDPの上位にもルクセンブルク、香港、シンガポールなどの都市国家が並んでいる。それは軍事的には主権国家に勝てなかったが、現代の戦争においては地上戦は大した問題ではない。

日本は日米同盟でアメリカに国防を「外注」しているので、少なくとも大都市は都市国家としてやっていけるだろう。都市国家に議会は必要ない。シンガポールのように選挙で選ばれた独裁的な市長が決定し、それがいやな人はexitして他の都市に行けばいいので、制度間競争で効率的な都市が生き残る。

もう一つの解は、全員が同じ都市にずっといることを前提にして、民主的なvoiceで意思決定することだ。Rosenthal-Wongによると、これが中世の都市国家のガバナンスだった。これは交渉問題が発生するので効率が悪いが、だめな国家は戦争で負けるので、結果的にはexitが機能した。

日本の幕藩体制は都市国家に似ているが、その戦争を禁止し、武士も農民も藩という「家」にしばりつけた点で世界史上に例をみない。これは対外的な戦争には弱いが、幸運なことに250年間、戦争が起こらなかったので、この「家」が日本人の脳内に文化的遺伝子として刷り込まれたのではないか。

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移民で低賃金労働を輸入しても人手不足は解決しない



外国人労働者の在留資格「特定技能」について、政府は長期就労や家族帯同を認める業種を広げる方針だという。これは2019年にできた「特定技能2号」の範囲を2分野から14分野に拡大し、実質的に永住資格を与えるものだ。

これを「移民の容認だ」というのは当たっているが、「日本文化が移民に破壊される」というのは杞憂である。この2年間で入国した特定技能の労働者は3.5万人。すべての外国人労働者を合計しても172万人で、労働人口の2%余りしかいない。

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「ステイクホルダー資本主義」はみんなを幸せにするのか

The Theory of Corporate Finance
岸田政権の「新しい資本主義」が何を意味するのかよくわからないが、新しい資本主義実現会議の資料を読むと、少なくとも事務局はこれをステイクホルダー資本主義と理解しているようだ。

この資料は内閣府審議官の新原浩朗氏(元経産省産業政策局長)が書いたといわれる。ここでは首相の意図を忖度し、2001年のティロールの論文が「企業は株主価値を最大化するものという伝統的な考え方に対して、ステークホルダー全体を考慮すべきとの考え方を提示」していると書いている。

これだと経済学は株主の利益しか考えない偏狭な学問みたいだが、これは誤りである。このティロールの教科書(2006年)を読めばわかるように、経営インセンティブ理論の目的は、もともと経営者や労働者を含む全ステイクホルダーの利益の最大化である。

しかし全員の同意で意思決定する企業が、全員の利益を最大化するとは限らない。それは次のような欠陥があるからだ。

 ・利益の配分を契約で決められない
 ・意思決定が行き詰まる
 ・経営陣に明確な目的がない

これに対して株主がすべて決める株主資本主義はバイアスがあるが、GAFAMやソフトバンクやユニクロのように、最近はステイクホルダー型より高いパフォーマンスを上げている。それはなぜだろうか?

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日本で「納税者の党」は可能か

政友会と民政党 - 戦前の二大政党制に何を学ぶか (中公新書)
10年前は二大政党ができるかと思われた日本の政治はどんどん劣化し、立民党は55年体制のような「1.5党体制」に戻ろうとしているようにみえる。それに対して一時期は二大政党ができた戦前の政治は、まだましだった。

日本は明治時代にヨーロッパから立憲君主制を輸入したが、それがどう機能しているのかよくわからなかったので、帝国議会には立法権もなく、内閣も組閣できなかった。この結果、議会の争点は政策論争ではなく、議員の腐敗やスキャンダルを暴くことになり、政党は政策集団としては機能しなかった。

これに対して伊藤博文は、官吏とともに国家のために政策を立案する「吏党」として立憲政友会をつくり、それに対して自由民権運動は民政党という「民党」に結集し、政権交代も行なわれた。1927年に浜口雄幸の結成した立憲民政党の理念は「議会中心、軍縮、健全財政」であり、彼らの集票基盤は地主や財閥などの高額納税者だった。

政友会が「税金を使う党」だとすると、民政党は納税者の党だった。超高齢化社会になった日本にも必要なのは、社会保障を負担するサラリーマンの党だが、それは可能だろうか。

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