なぜ人々は差別を作り出すのか

今日のトーテミスム (みすずライブリー) (みすずライブラリー)
きのうアゴラの新年会で、ポリコレの話が盛り上がった。日本にもセクハラ騒動を輸入しようという人々が、顔を黒く塗った芸人を「人権問題」と騒いだりしているが、これには既視感がある。かつて日本でも部落解放同盟や朝鮮総連が「糾弾運動」で、役所やマスコミを攻撃した。ポリコレの最大の原因は民族差別だが、それはなぜこのように強いタブーになり、人の心を動かすのだろうか。

まず明らかなのは、差別の中身には意味がないということだ。肌が黒いことも、国籍が日本ではないことも、その人が劣っていることを意味するわけではない。だから民族差別は不合理だ、とポリコレ派は考えるが、これは誤りである。差別の意味は、他者を排除して自己のアイデンティティを作り出すことにあるのだ。

これはレヴィ=ストロースが探究した問題である。未開社会の人々が特定の動植物を「トーテム」として崇拝して(日常生活から切り離した)タブーにする意味は、それ自体では理解できない。トーテムは自他の境界を画す記号である、というのが彼の理論だった。このようなタブーは普遍的にみられ、日本のケガレもその一種と考えることができる。

ここで大事なのは何をタブーにするかという内容ではなく、一つの集団が同じタブー(記号)を信じているという形式である。タブーがお笑いと結びつくのも偶然ではない。自他の境界はもともと恣意的なものであり、「民族」の定義も不明だ。その境界を揺すぶることで、芸人(道化)は敵と味方を固定する集団に反抗しているのだ。

続きは1月22日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

韓国人はなぜ90年代から日本を憎むようになったのか

慰安婦問題をめぐる日韓合意は事実上、白紙に戻った。日本にまた謝罪を求める文在寅大統領は異常だが、これは昔からの問題ではない。80年代までは、こんなに強い反日感情はなかった。韓国政府が戦時賠償の話を蒸し返すようになったのは、1990年代に軍事政権から民政に移行した後である。

続きはアゴラで。

日本とドイツ 二つの戦後思想

日本とドイツ 二つの戦後思想 (光文社新書)
日本の戦後史を語るとき、よく出てくる決まり文句が「ドイツはナチスを徹底的に追及して戦争犯罪を清算したが、日本は…」という話だが、これは作り話である。ドイツは東西に分断され、戦争犯罪についての国家としての統一見解はなかった。西ドイツはホロコーストを追及したが、東ドイツの指導者には抵抗運動でナチスと戦った社会主義者が多かったので、ホロコーストは「敵国の犯罪」だった。

他方で「ドイツは戦後60回も憲法を改正したのに日本は…」という話もおかしい。西ドイツは連合国の占領下で、1949年に「基本法」という暫定的な憲法をつくったが、それはいまだに正式の憲法にならず、講和条約さえ1990年まで結べなかった。日本でいうと、サンフランシスコ条約の前のような状態が、東西ドイツの統一まで続いたようなものだ。

だからその悩みも対照的だ。日本では天皇制が存続して明治国家との連続性が残ったことが問題になるが、ドイツでは第三帝国が解体されて国家の連続性が断ち切られ、各州に分断された。しかもベルリンを含むプロイセン州は東ドイツになったため、西ドイツは日本でいうと、関東地方から北海道までを除いた地方の集まりのようなもので、ドイツ国民としての求心力を何に求めるかが切実な問題だった。

そのアイデンティティを「憲法愛国主義」に求めたハーバーマスなどの左派に対して、右派は「連合国の押しつけた基本法はドイツの伝統ではない」と反発した。彼らにとってドイツは、ゲーテやカントやベートーベンを生んだ偉大な国民なのだが、それを左派は「歴史修正主義」と批判した。このへんは日本と似ている。

続きは1月22日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

憲法改正という「偽の問題」はなぜ終わらないのか

キャプチャ

希望の党の玉木代表が「安倍総理が提案している9条の改憲案については、私は反対です」と表明した。自民党は両論併記で、「改憲政党」だったはずの希望の党までこんな状態では、通常国会では憲法改正の発議どころか、まともな審議もできないのではないか。

彼は「安倍総理は9条を改正しても自衛隊の役割は変わらないと言った。変わらないなら変える必要はない」というが、変わらないのなら反対する理由もないだろう。少なくとも自衛隊の根拠が明確になり、玉木氏のような神学論争がなくなるだけましだ。

憲法改正は今では無意味な「偽の問題」だが、こんな明白な欠陥を抱えた憲法が70年以上も改正できないのはなぜかという問題は簡単ではない。そこには自民党にも野党にも共通の「無責任の体系」があった。

続きは1月15日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

左翼はなぜ負け続けるのか



社民党の党首選挙で立候補者がなく、告示をやりなおすことになった。国会議員はわずか4人で、党首が落選という状態では、誰も党首なんかやらないだろう。社民党の消滅は時間の問題だが、それ自体は大した問題ではない。深刻なのは立民党も含めて左翼が弱体化し、日本では政権交代が(見通せる将来に)不可能になったことだ。

続きはアゴラで。

中曽根康弘の「新自由主義」

中曽根康弘 - 「大統領的首相」の軌跡 (中公新書)
中曽根元首相は1918年5月生まれだから、今年満100歳である。世間的にはロッキード事件やリクルート事件で逃げ切った「汚い政治家」というイメージが強いが、政治的な実績は大きい。特に国鉄と電電公社の民営化は、他の政権にはできない大事業だった。これはレーガン政権の「小さな政府」の日本版だが、「新自由主義」という言葉は中曽根が1977年に使ったのが最初だといわれている。

弱小派閥の出身で「田中曽根内閣」といわれたほど政権基盤の弱体だった彼が5年の長期政権になった背景には、日米関係の変化があった。70年代までアメリカの忠実な部下だった日本の位置づけは、レーガン政権で大きく変わった。日本はアメリカの最大のライバルとなり、経済的な「自立」を求められたのだ。

中曽根首相は「戦後政治の総決算」を掲げたが、憲法改正は提案しなかった。彼が総決算しようとしたのは、戦後の「福祉国家」路線だった。その第1弾が民営化で、第2弾が間接税による財政再建だった。そのため中曽根は「売上税」を導入しようとしたが失敗し、「増税できる首相」として竹下登を後継者に選んだ。

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丸山眞男は全共闘を「ナチスや軍国主義もやらなかった」と非難したか

また丸山トリビアで申し訳ないが、篠田英朗さんの記事でおもしろかったのは(本筋と関係ないが)「丸山眞男が、1969年の東大紛争で研究室を荒らされた後、全共闘の学生たちに『君たちのような暴挙はナチスも日本の軍国主義もやらなかった』と述べたことは、有名である」という話だ。これは「戦後民主主義の教祖」と全共闘運動の対立を象徴する発言として有名だが、彼の談話はもちろん、周囲の人の話でも確認できない。

唯一の出典は、吉本隆明が「収拾の論理」という1970年のエッセイで丸山が「君たちのような暴挙はナチスも日本の軍国主義もやらなかった。わたしは君たちを憎みはしない。ただ軽蔑するだけだ」と口走ったと書いたことだ。この出所は「新聞」だというが、それに近い報道は1969年1月19日付毎日新聞の次のような記事だ。
この日午後、封鎖が解けた法学部2階の研究室へ戻った丸山真男教授は、しばらく声も出せなかった。床にばらまかれ、泥に汚れた書籍や文献を一つ一つ拾いあげ、わが子をいつくしむように丹念に確かめながら「建物ならば再建できるが、研究成果は……。これを文化の破壊といわずして、何を文化の破壊というのだろうか」とつぶやいていた。
これは前日の安田講堂の封鎖解除のときの描写だと思われるが、彼が「ナチスや軍国主義」という発言をする状況ではなかった。このエピソードは、吉本の作り話である疑いが強い。

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朝鮮半島は日本の「植民地」だったのか

矢内原忠雄――戦争と知識人の使命 (岩波新書)
共産党の小池書記局長が在日韓国民団の機関紙で「日本側には、朝鮮半島を侵略し、植民地支配した過去の歴史に対する姿勢が問われる」と語ったが、これは誤りである。日本が朝鮮半島を「侵略」した事実はない。

日韓併合は国際法にもとづく条約で、英米など世界の承認を得た。韓国政府でさえ「侵略」と呼んだことはない。そもそも侵略という概念は、1928年の不戦条約で戦争を非合法化したときできたので、1910年に日本が朝鮮を侵略することは不可能だ。

しかし一部の人のいうように、日本は大韓帝国を同格の国として「併合」しただけで「植民地」にはしなかったというのも間違いだ。朝鮮は大日本帝国の支配する植民地だったが、それは合法的な支配だった。東京帝大で「植民政策」の講座を担当した矢内原忠雄は、非戦論をとなえて大学を追われたが、植民地支配が悪だとは考えていなかった。むしろ朝鮮半島を近代化する政策として植民政策を論じた。

続きは1月15日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

安倍首相の好きな三橋貴明容疑者の国家社会主義

三橋貴明が傷害の容疑で逮捕された事件が話題になっているが、事件そのものは大した話ではない。私が驚いたのは、12月12日に彼が(藤井聡などと一緒に)安倍首相と会食したことだ。

その席で三橋は「プライマリーバランス(PB)黒字化目標が諸悪の根源だ」と主張し、首相は「何をやるにしても、全てPB黒字化目標が壁となり、何もできないという現実を認識している」と書いている。この話は根本的に誤っている。首相はもともとPB黒字化を目標とはしていないからだ。

続きはアゴラで。

投資のきらいな日本人が国債を支える

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2008年のリーマン・ショックから、今年で10周年。私の金融資産の大部分はドル建ての投資信託なので、去年はいい年だった。図のようにダウ平均(青線)はこの5年で約2倍になり、その間にドルは約40%上がったので、ダウ平均インデックスを買った日本の投資家の資産は、円ベースで2.8倍になった計算だ。

日経平均(上の図の赤線)はまだ「リーマン前」の50%高でアメリカには及ばないが、銀行預金よりはるかに有利な運用であることは間違いない。長期をとると銀行預金が最悪の資産運用であることは明らかだが、日本人はリスク資産への投資をきらう。

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日本の家計金融資産の50%強は預金で、世界的にみても異常に片寄っているが、ゼロ金利になっても変わらない。おかげでこの20年をとると、図のようにアメリカの家計金融資産が3.11倍になったのに対して日本は1.47倍。運用で2倍以上の差がついたが、実質金利マイナスの預金が国債の相場を支えている。これはいつまで続くのだろうか。

続きは1月8日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。






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