女系天皇の何が悪いのか

世襲の日本史: 「階級社会」はいかに生まれたか (NHK出版新書)
自民党総裁選で、女系天皇については野田聖子氏以外の3人が反対で、一時は女系を容認した河野太郎氏まで曖昧な答に終始しているが、これはそれほど大きな問題なのだろうか。

まず憲法では天皇は単なる象徴であり、それが男だろうと女だろうと政治に影響はない。大正天皇のように健康上の問題があると困るが、愛子様には問題ない。彼女が皇室の外から夫を迎えると、その子は(男子であっても)女系天皇になるが、何も実害はない。

男系にこだわって「旧宮家の復帰」などのややこしい方法を考えるのは、「男系男子が万世一系の皇統だ」という神話を信じているからだろうが、継体天皇以前の王朝は複数あり、ウルトラマンファミリーのように血はつながっていなかった。日本書紀以降は男系が続いたことになっているが、これも明治時代に宮内省の編纂した皇統記以外に証拠はない。

それよりも明らかなのは、平安時代以降は天皇に実権がなくなったことだ。政治的意思決定をしたのは藤原氏であり、歴代の天皇は藤原家に婿入りした。これは世界の王家には類をみない伝統であり、国家権力が実質的には女系で継承されていたことを意味する。12世紀以降に実権をもったのは、天皇家と無関係な武士だった。

男系男子は中国の皇帝の継承原理で、宦官などの制度で厳格に守られたが、日本には宦官がなかった。実質的な権力は、血統ではなく「家」で継承されたからだ。日本の伝統は血ではなく家だという事実は、現代社会を考える上でも重要である。10月からのアゴラ読書塾では、こういう日本社会の深層構造を考えたい。

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戦略が組織に従う昭和陸軍

昭和陸軍の軌跡 - 永田鉄山の構想とその分岐 (中公新書)
本書は今日では陸軍についての古典といってもいいが、最初読んだときは、固有名詞がたくさん出てきて、それを覚えないとあとの話がわからなくて困った。陸軍の意思決定がすべて「**さんがいうことだから」という人間関係で決まっていたからだ。

昭和に入ってからの陸軍は、それまでとは違う組織になった。明治の陸軍は薩長の武士だったが、大正期にその世代は引退した。1921年にドイツのバーデン・バーデンで、永田鉄山、小畑敏四郎、岡村寧次の3人が、長州閥を打破して国家総動員体制をつくる誓いを結んだ。これが昭和陸軍の誕生である。

そこから統制派と皇道派の派閥抗争が始まり、1935年の永田暗殺事件に至る。二・二六事件の後は粛軍人事で皇道派が排除されたが、統制派の中で武藤章や田中新一のような強硬派が実権を握り、石原は日中戦争に反対したが武藤が強行し、武藤は日米開戦には反対だったが田中が強行する…というように次第に強硬派に主導権が移った。

昭和陸軍の意思決定は、統制派の20人余りのグループの中で引き継がれ、彼らの微妙な方針の違いが、軍全体の戦略を決めた。チャンドラーの「組織は戦略に従う」という言葉とは逆に、統制派という組織が戦略を決めたのだ。

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河野太郎氏のエネルギー問題についての知識は周回遅れ



きのうの日本記者クラブの討論会は、意外に話が噛み合っていた。議論の焦点は本命とされる河野太郎氏の政策だった。

第一は彼の提案した最低保障年金が民主党政権の時代に葬られたものだという点だが、これについての岸田氏の突っ込みは的確で、消費税の増税は避けられない。河野氏の答は曖昧で「高所得者には支給しない」という程度では財源問題は解決しない。消費税を上げ、社会保険料を下げるという政策を明示すべきだ。

最大の争点は原子力だが、これについても河野氏の答は曖昧だった。特に「再エネのほうが原子力より安いということが明確になった」という認識(49:30前後)は、最近の再エネタスクフォースと同じナンセンスな話である。

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偽造された「明治ナショナリズム」

尊皇攘夷: 水戸学の四百年 (新潮選書)
高市早苗氏を初めとする劣化保守が信じている夫婦同姓や男系の皇統などは日本古来の伝統ではなく、明治時代に偽造されたナショナリズムである。それも一つの伝統ではあるが、コモンロー的な自生的秩序ではなく、日本人の心の中には根づいていない。

天皇が尊敬の対象になったのは、そう古いことではない。江戸時代なかばまでのミカド家は貧しい公家の一つで、13世紀以降は「**天皇」という謚さえなかった。その皇統譜ができたのは1925年であり、天皇家の系図は日本書紀と同じように後世につくられた神話である。

天皇が国家の象徴になったのは儒学の影響だが、本来の儒学では中国の皇帝以外は「夷狄」なので、ミカド家が天皇を自称するのは僭称だった。この正統性の問題は江戸時代の儒学者の論争のテーマで、そこから生まれたのが水戸学だった。

ここでは古来の天皇が日本の正統な君主で、将軍家はその地位を簒奪したという儒教的な価値観で歴史が編纂され、それが尊王攘夷という排外主義になった。その元祖が会沢正志斎や藤田東湖などの後期水戸学で、著者はここにグローバル化の意識を見出している。

江戸時代までの「いくさ」は各藩の紛争であり、それを防ぐために武士を農村から切り離して城下町に集めたが、これでは対外的な戦争にそなえることができない。そこで会沢が提案したのは、武士を農村に返して国土を防衛し、一国一城制や参勤交代を廃止する改革だった。

そこで明治時代に幕藩体制を超えるナショナルな権威としてつくられたのが天皇だったが、それは結局、根づかなかった。それは敗戦であっという間に人々が明治憲法を捨てたことでもわかる。日本人にとってナショナルな記号には実体がないので、天皇でもマッカーサーでもよかったのだ。



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河野太郎氏の提案する「老人限定ベーシックインカム」

自民党総裁選挙で河野太郎氏が「最優先の政策」として提案している「最低保障年金」は、彼が2009年に提案した改革案と基本的には同じだ。



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核廃棄物の問題を解決する超簡単な方法

核廃棄物は全国の原発に1万8000トンあり、使用ずみ核燃料プールの75%が埋まっている。これを再処理しないとプールがあふれて原発が止まる――という話がよくあるが、これは錯覚である。

使用ずみ燃料を中間貯蔵する場所はいくらでもある。各発電所のサイト内にキャスクを置いて乾式貯蔵すればいいのだ。四国電力の伊方原発と九州電力の玄海原発では工事が始まっている。



今は最終処分までの一時的な保管方法ということになっているが、このまま100年置いても200年置いてもかまわない。乾式貯蔵は1980年代にできた枯れた技術で、安全性は問題ない。空気が循環するだけで冷却できるので、何もしないで放置しておけばいい。

サイト内だから立地問題はなく、警備もできる。何か起こっても地上に置いてあるので、すぐ対応できる。再処理をやめたアメリカでは、原発の廃棄物はすべてこの方式で処理しているが、何の問題も起こっていない。

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アメリカの発電所内のキャスク(connyankee.com)

つまり地下数百メートルに埋める「最終処分」は必要ないのだ。今まで最終処分は地層処分でやるという固定観念があり、「核のゴミ捨て場」になるのはいやだとか「10万年後の安全」がどうしたとかいう議論があるが、こんな話は無意味である。

最終処分地が見つからなくても、中間貯蔵地はむつ市や福島県など全国にあるので、そこにずっと置けばいい。六ヶ所村には300年分ぐらいの貯蔵スペースがあるので、地元との協定を改正して無期限に置けば、核廃棄物の問題は解決するのだ。それがヒッペルなどの提案である。

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河野太郎氏と石破茂氏は原子力をめぐって合意できるのか

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自民党総裁選挙で、石破茂氏が河野太郎氏を支援する方向になった。これで第1回投票で河野氏が過半数をとる見通しが強まったが、2人の間には原子力と核兵器をめぐる政策で大きな違いがある。この問題はややこしいので、超簡単に解説しておこう。

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核燃料サイクルはなぜ止められないのか

原子力と政治:ポスト三一一の政策過程
アゴラにも書いたように、核燃料サイクルがビジネスとして成り立たないことは、電力会社の経営者も技術者もわかっている。役所も2004年に「19兆円の請求書」を出したときからわかっていた。それなのに、なぜ20年近く止まらないのか。

それは「使用ずみ核燃料は青森県六ヶ所村の再処理工場に送る」という前提で、全国の原発が動いているからだ。これを知らないで2012年に「革新的エネルギー・環境戦略」で「原発ゼロ」を打ち出した民主党政権は、青森県知事に拒否権を発動されて挫折した。

青森県と電力会社の結んだ協定では、六ヶ所村でつくるプルトニウムは、他に運んで核燃料として利用することになっていた。しかし原発ゼロにするなら核燃料サイクルもなくなるので、再処理は必要ない。六ヶ所村にあった約3000トンの核廃棄物は「すべて発電所に送り返す」と青森県知事は通告したのだ。おかげで民主党政権は「戦略」を閣議決定できなかった。

もし河野太郎氏が首相になると、同じ問題に直面するだろう。彼が「核燃料サイクルをやめる」と決めると、青森県は「使用ずみ核燃料を送り返す」と通告するかもしれない。河野氏は民主党政権と違ってこの分野のエキスパートだから、その対策は考えているはずだ。

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河野太郎氏が核燃料サイクルを止めれば原子力はよみがえる



河野太郎氏の出馬会見はまるで中身がなかったが、きょうのテレビ番組で彼は「巨額の費用がかかる核燃料サイクル政策はきちんと止めるべきだ」と指摘し、「そろそろ核のゴミをどうするか、テーブルに載せて議論しなければいけない」と強調した。

青森県六ヶ所村の再処理工場は来年稼働することになっているが、河野首相になるとプラントそのものを解体することになるかもしれない。これは日本のエネルギー政策を根底からくつがえす大転換である。

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アゴラ読書塾10月~12月 「家」の日本史

エマニュエル・トッドで読み解く世界史の深層 (ベスト新書)
自民党総裁選挙では「女系天皇」を認めるかどうかが争点になっています。天皇家の正統性が血統にあると思われているからでしょうが、日本の伝統の中では血縁はそれほど重要ではありません。「家」は血縁集団ではなく機能集団だからです。

平安時代に実権をもっていたのは男系男子の天皇ではなく、まったく血縁関係のない藤原氏でした。鎌倉時代に軍団としての「家」が生まれ、それが武士だけでなく農民社会のコアになりました。江戸時代の幕藩体制は、大名家の連合政権でした。

このような構造は明治維新で大きく変わったようにみえますが、明治憲法の天皇と政権の関係は江戸時代とそれほど変わらなかった。明治政府は長州藩の「家」を拡大したもので、近代の総力戦には不向きでした。

戦後は明治民法の「家」制度は廃止されましたが、夫婦同姓を事実上強制する規定が残りました。これをいまだに守ろうとする政治家がいますが、そんな話は時代錯誤です。「家」は企業系列や長期雇用という形で、日本社会に残っています。「家」は人々の心に深く根づき、私の行動に影響しているのです。

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